イェーガーズ本部へと着いたら、本部の入口辺りでチェルシーとボルスの奥さんが談笑していた。
ボルスは奥さんのすぐ隣で娘を抱っこしている。
「大変だったわね……この人、見た目だけは怖いから」
「ええと……はい。追いかけられてるときは迫力が凄かったです」
「でしょう。あの人私にプロポーズしてきたときも凄い気迫で回りにいた人たちが小さな声で警備隊を呼ばなくちゃとかって言っていて危うく事件に発展しかかっちゃったのよ」
奥さんは笑いながらそんなことを言っているが実際には笑い事では済まないレベルの話ではないのだろうか?
いや、まあ……本人たちが笑い話で済ませているなら全く構わないのだが……チェルシーも困ったように顔をひきつらせている。
「あの時は私も必死だったんだよ。危険な仕事で何かの拍子に死ぬかもしれない……だから、結婚を申し込むことも相当迷ったんだけど……ここで自分に嘘を吐きたく無かったから勇気を出して告白したの」
恥ずかしい! と顔を反らすボルス。
どんな風にプロポーズしたのかは聞いたことが無かったので新鮮だ。そもそも他者のプロポーズの言葉を聞くことはどれだけ仲の良い友人同士でも滅多にあるまい。
……それはともかく……これは話しかけ辛いな。
「…………あ! ランスロっ!? 」
チェルシーがこちらに気がつき手を上げて振ってくる。
「思っていたよりも元気そうだな」
俺も軽く手を振り返し、近寄っていく。
「あ、将軍さん! こんにちわ!」
「こんにちわ。今日も元気そうで何より……良い子にしてるか?」
「もちろん! ちゃんと毎日ママのお手伝いしてるもん!」
胸を張って自信満々に答える娘の頭をボルスが優しく撫でる。
「そっか、なら後でご褒美に美味しいおやつを買って食べようか」
「本当! パパ! 大好き!!」
ぎゅっと最愛の娘に抱きつかれて幸せそうなボルスを奥さんは優しく見つめる。
「あらあら」
幸せそうな家族のやり取りを見てると俺とチェルシーは完全に邪魔者でしかないと思う。
やはり、人はほんの細やかなことで幸せになれるのだとこの光景を見ていると分かる。
人は欲深い……自らの欲に溺れるから醜くなるのだ。過ぎたる欲は自身だけでなく周りをも腐らせる。求めすぎた結果が今の帝国か……。
「…………サイン頂戴」
唐突に渡されたのは名前の書く欄がいくつも並んだ紙束だった。
「何に使うんだ?」
「え、えと……ちょっとした署名活動よ!」
今思い付いたかのように慌てた様子で捲し立てるチェルシーに内心首をかしげつつ、それを表に出さないようにする。
「そうか……まあ、いいか」
変なことには使わないだろうと信用しているのでサインをしておく。
「……よし!」
グッと拳を握り、勝ち誇ったような雰囲気を出すチェルシー。ふと、視線を感じてそちらの方を見ると……何とも言えないような雰囲気を醸し出しているボルスの姿があった。
そして、ボルスの妻とその娘はチェルシーに向けてピースしている。
…………俺は何か取り返しのつかないようなことをやってしまったのだろうか? いや、まさか…な。
我ながら疑り深くなってしまったものだと再認識しつつ、この事を頭の中から追いやる。すでにやってしまったことなのだからこれ以上考える必要はあるまい。
結果なぞ後になれば嫌でも分かる。
「……俺はそろそろ西の地に行く。しばらくの間帝都にはいない。チェルシーがいつまで帝都にいるかわからないがこれを渡しておく」
俺は家の鍵をポケットから取り出して、それをチェルシーへと渡す。
「帝都にいる間は自由に使うといい。安全性ならば帝都の中でもかなり高いはずだ」
本来なら家の鍵を渡す必要は無いのだが……俺が帝都にいない間に家にチェルシーが出入りしているところを誰かに見られても問題ないようにするためだ。
ついでに後の布石にもなる。
■
ほどなくして俺は小型の飛竜種に騎乗して帝都から出立した。その際に多くの人目につくようにしてだ。
こうしておけば今が好機と動き出す輩が出るだろうと見越して。
エスデスと俺……将軍が2人して帝都からいなくなるのだ。これで動き出さない革命軍ではない。
活動が活発になるにせよならないにせよだ。
種は蒔かれた……後は周りが勝手に芽吹かせてくれる。
俺もそうだが、エスデスや大臣も所詮は1個人に過ぎない。いくら恐れられていようが人の口に完全に閉ざすことなど出来はしないのだ。
後は時が来るのを待つばかり。
故に……西の異民族の件は出来うる限り早期に終息させる必要がある。
でなければ、蒔かれた種を収穫出来ない。
「………………殉職者がでなければいいのだが」
エスデスも俺もいないイェーガーズのことを考えると心配になってしまうが、その原因を作り出した要因の1人である俺にそんな資格はないだろう。
瞬く間に小さくなる帝都の姿にそんなことを考えてしった。
人の心は移ろいやすい。その事を実感してしまう。
余計なことを考える必要はない。何度も自身に言い聞かせてきたことだ。それでも考えてしまうのは人だからであろうか……。
分かる分けないか……俺自身が文字通りの意味で1番の人でなしだ。
人から生まれたわけでなく……この姿のまま存在する者。
姿形は人なれど、根本的に他者と違う。だからこそ、分からないのかもしれない。
俺は
だが、愛や恋というものが理解出来ないのだ。好意の一種であるとは分かる。だが、それだけだ。
親が子に向ける愛、他者と他者が抱く愛、そこには間違いなく好意がある。
だが、その違いが分からない。
妻子持ちのボルスを見れば分かるがそこには幸せがあった。見ていてそれは素晴らしく良いものである感じた。これは金銭などでは決して得ることの出来ない価値のあるものだと。
だが、それを自分が抱けるのか……それを考えると完全に分からないのだ。意思の深いところで拒絶……いや、怖れていると感じられる。
原因……それは間違いなくこの身体と俺という人格の齟齬であろう。
この身体の本来の持ち主は現状をどう思っているのだろうか? 考えたところで彼……ランスロットの意思を知ることなど出来はしない。
■
月明かりに照らされた湖にたたずみ。月を見上げる人影。
その人影から感じられるのは……後悔のみ。
在りし日を懐かしみ、今ある己の過ちに後悔の念を内に抱く。
…………そんな人影が此方に振り向いた。
そして、理解する……これは夢又はそれに類するものだと。
ゆっくりと近づいてくる人影。その容貌は逆光となり全くわからない。
ただ分かるのは……今の自分に恐怖などの感情はなく、揺れ動くことのない落ち着いた気持ちであることだけであった。
やがて人影が目の前にやってくる。
その人影は何をするまでもなく、たたずみ此方を見ているだけだ。
「●●●●●●」
何かを言った。だが、何を言ったのかわからない。
すでに人影は消え、月明かりに照らされた湖の中央には先程まで存在していなかった剣が突き刺さっていた。
それは見覚えのある剣であった。だが、明確な違いがある。
……禍々しい剣ではなく、神々しく感じられる剣であったことだ。
そして、唐突に視界は白い靄のようなものに包まれていった。
■
数日後。
帝都に行方不明となっていたエスデスが帰還した。
それもオーシャンドラゴンと呼ばれる危険種を伴ってだ。
多少のパニックがあったものの、エスデスの登場と共に次第に鎮静化していった。
「なんだ、ランスロットの奴はいないのか?」
イェーガーズ本部の私室で身だしなみを整えてきたエスデスは談話室に入るなり、室内を見渡す。
「将軍なら西の異民族の討伐に行きました。革命軍から横流しにされた帝具があるとのことで」
「……そうか」
サヨの言葉にエスデスは頷く。
「では、エスデス隊長。これを」
ランがエスデスにエスデスが不在時に行った会議の内容や起きた事件などを纏めた資料を渡す。
「……ふむ」
談話室の椅子に腰かけ資料を読み始めるエスデス。
「……どうぞ」
そこへボルスがお茶の入ったコップを持ってきた。
「いただこう」
お茶を飲みつつ、資料を読んでいくエスデス。
「……ナイトレイドの動きはないか」
「ええ、今のところは……ですが」
「ああ、奴等がいないのは今のうちだけだろう」
あらかた読み終わった資料をテーブルに置くとエスデスは窓越しに空の方へと視線を向ける。
「……そう遠くないうちに仕掛けてくるぞ」
ゾッとするような視た者を畏れさせる雰囲気を出すエスデス。
テーブルに置かれた資料の1番上にはオネスト大臣の息子であるシュラについて記載されているものであった。
ナイトレイドという獲物と自身を辺境の地に飛ばした犯人。その2つがエスデスの嗜虐心を奮わせていた。
特に自身を辺境の地に飛ばした犯人であるシュラに関しては借りを返す為にと……特別な拷問をしてやろうと思案するほどには。
■
西の異民族との国境に総数2万人を4部隊に分けて展開。
これを囮とし、少数精鋭による異民族の帝具使いがいるであろうと予測される地点をしらみ潰しに襲撃する。
また、囮として展開した部隊は展開して半日が経過したら異民族の町を攻めるように指示を出してある。革命軍と通じているのだ、1度徹底的に異民族の心を折るべきだろう。
圧倒的な兵力と武器の性能差……これだけなら異民族の心を折るには足りないだろう。故に彼らの土地を部隊を撤退させる際に暫く使えないように焼いておく。
帝国に挑めばどうなるかを彼らの目に焼き付ける。
敵に容赦する必要はない。味方になり得るのであれば考えるが……革命軍に与した時点で彼らは味方になり得ない
。
エスデスであれば、根絶やしなどを当たり前の如くやりそうであるが、それは部下の心が耐えられない。
皆が皆……そこまで非情になれないのだから。
「将軍……いつでも行けます!」
少数精鋭の部隊において服隊長を勤める最古参の兵が黒い鎧姿で現れた。
その後ろにも同様に黒い鎧を身に付けた兵士たちが並んでいる。
「……では、行くぞ。逃げる奴は追う必要はない。目的は異民族の帝具使いのみ。逃げた奴が此方のことを広めるだろう。ならば、こちらは標的が出るまで同じ事を繰り返すのみだ!」
帝具ベルヴァークその特徴や能力はすでに全員が知っている。
故にその対策もある程度出来ているのだ。
長距離射撃による使い手の射殺。
いかに強力な帝具であろうとも使い手は人間だ。その人間が知覚できない、もしくは防ぎきれないような攻撃をすればいい。
数百メートル先からでも人を殺すこと出来る兵器よりも射程が長ければ話は変わるのだが、ベルヴァークは近接用だ。投げればある程度遠距離にも対応できるが、それでも数百メートルには届かない。
「……これは、意外と早く終わるかもしれんな」
森や人が余裕で隠れられそうな草原などは燃やすように指示を出してあるから、余計にそう感じる。
大臣には劣るだろうが我ながら悪どい奴だと思わずにはいられない。