暮れる夕日。煌めく水面。海に浮かぶボート。紫色の髪の少女。
それだけで一枚の絵画とも思える風景に混ざっている青い顔の邪神。
「うあああ~、き、気持ち悪い」
「裕君大丈夫?」
女神誕生の絵画の背景にムンクの叫び混ぜた感じの台無し感がいっぱいの光景である。
白崎から引き出した情報から海鳴市の海の中にジュエルシードを回収するために月村忍が所有するボートで海に出た裕とすずか。メイドの姉妹に高町恭也と月村忍の六人でジュエルシードをサルベージすることになった。
「なんでメダルトリオは回収していないんだよぉおお」
「見せ場だったからじゃないかしら。結構大きな現象が起きるから、それを収める場面をなのはちゃん達に見せたかったんじゃない」
船酔いした裕のぼやきに忍がツッコミを入れる。
だが、裕としてはジュエルシードを素早く回収して無用な事態を引き起こさない方が、好感度が上がると考えていた。
少なくても船酔いでダウンしている邪神に対してなら好感度が上がること間違いなしだ。
ボートに乗り込んでいる全員にWCCで生命維持に特化させたダイバースーツに着込んだ後に船酔い止めの効果をつければよかったと裕が思い直していると恭也とメイドのファリンが海に潜る。その二人に続いて裕も潜る。
基本的に裕は常に潜り続け、残る二人がサポートを行う。
ボートの上では残った三人は何があってもいいように待機しておく。
海底までは六メートル弱で素潜りでもなんとか行ける距離である。
裕は海底に手を触れて一度、その周辺をグループアイテム化してデータを取り、一度浮上してからそのデータ上にジュエルシードが無いかを探す。
一度にグループアイテム化できる範囲は限られているので、あらかじめ準備していた海図にマークを施しながら探索を続ける。
探索から一時間ほどで日が沈むので一日で捜索できる範囲は少ない。だが、現時点でジュエルシードを二個回収することに成功した。
「ねえ、裕君。少しいいかしら?」
裕は暴走要素を取り除く作業をボートの上で行っていると、忍が話しかけてきた。
ボートの上には裕と忍。そしてファリンが残っており、残りの三人は今まで捜索した海底にGPSの設置に海に潜っていた。
「なんですか忍さ、ん?!」
「お、お嬢様?!」
裕は暴走要因を取り除いたジュエルシードを持ってきた布袋に入れながら忍の方に顔を向けると、身構えてしまった。
ファリンもまた身構えてしまう。
何故なら彼女の手には黒光りする拳銃が握られていたからである。
「…ごめんなさいね。でも、私はあなたを信用できないの」
月村忍の人生は壮絶だった。
生まれたころから『夜の一族』として、周囲には種族間での争い。月村の当主としての財界をくぐってきている彼女は自分を受け入れてくれた恋人でもある高町恭也とその家族しか心の底から信用できない。
もし、裕が自分達を騙していたらと考えると不安で仕方がない。いくら、恋人の恭也と妹のすずかから彼の人柄について言質があるとはいえ田神裕を信用しきるという事が出来ずにいた。
彼の持つWCCという異能力は見過ごすわけにはいかない。
彼は自分の能力を包み隠さず答えた。その弱点として周りに何もなければ何もできないということも。だから、今回のジュエルシード探索を申し出た時はチャンスだと思った。
彼の能力は脅威でもあっても何もない海の上。たとえ、海水を加工できてもそれを壁にしたところでたかが水である。銃弾を止めることは出来ない。
「あなたは自分の為にその力を使うと言った。それは好感を持てたわ。誰かのために使うという事は誰かの意志でその力を使うという事にもなる。あなたは自分の力に少なからず責任を持って行動する人だと取れるもの」
「…それだけじゃ駄目なんですか」
裕は身動きせず忍の言葉を聞く。少しでも変な動きをすれば撃たれるかもしれないからだ。
ファリンもまた主である忍やすずかの事を思うと彼女の行動に異を唱えにくい状況だった。
「私は『夜の一族』間での争いを体験したわ。自分の身内すらも敵に回したこともある。恭也に会うまで他人が信じられなかった。それは今でもそう。一族間の争いだけじゃなく月村と言う財閥はね、その資産からも色んな人達から狙われているの」
「…お金ですか」
「だからね。裕君。あなたも月村のお金欲しさで近付いたのかもしれないと思ったの。そして、二年前になのはちゃんやすずかに近付いたのかもしれないと考えたのよ」
「俺の力があれば大抵の物は作れるんでお金はそんなにいらないと思うんですけど」
「そうね。あなたにはその力がある。だからもう一つの可能性があるんじゃないかって思うの。それはすずか。なのはちゃん達自身よ」
「なのはちゃん自身?」
裕はその言葉の意味が分からない様子で聞き返す。
「白崎と言う子。いえ、子と言うには不適格ね。あの白崎と言う人間は前世の記憶を持っていたわ」
「…はい。そうらしいですね」
だからこそこうやって海の上まで来てジュエルシードを集めることが出来ている。
「なのはちゃん達は将来美人になる事が確定していて、彼女達との逢瀬を楽しみたいがために近づいた。そう、白崎は答えたのよ」
彼女達の未来像を白崎は知っていて、それを手にする為。いわばハーレムを作るために近付いたとも喋っていた。
「…裕君。貴方にも前世の記憶はあるんでしょう。子どもにしてはあの状況で大人しすぎるし、今この状況でも私と話し合っていられる。普通の子どもじゃできない事よ」
「…まあ、そうっすね」
「あの子の姉としてはそんな邪な心を持っている人に近付いてほしくないの」
邪神の力を持っている裕は何と答えたらいいか迷っていた。
だが、忍の言う事もわからないでもない。
今まで様々な人間関係で戦ってきただろう彼女にとって裕の存在はかなり危険視されてもおかしくはない。他人を信用しきっていれば彼女はもちろんすずかも今この場に居なかったかもしれない。
自分のたった一人の妹がそんな輩が近寄ってきたら警戒するだろう。
「あなたの事は調べた。普通の家で普通の親の間に生まれたただの少年。だけど、その能力。そして、この世界の未来を知っているかもしれない人間。すずかやなのはちゃんに近付いてきた貴方をそう簡単には信用できないの」
「…どうすれば信用されますかね?」
「あなたがすずかの伴侶になってくれると言うなら信じたかもしれない。だけど、それ自体が狙いですずかに近付いたというのなら私はあなたを許さない」
裕は忍の言葉にはっきりとした意志を持って答える。
「確かに俺には前世の記憶はあります。が、この世界に関する記憶はないですよ。それに似たような、それこそこの世界で放送されているアニメやマンガみたいなサブカルチャー的な物です」
「信用できないわね」
「そうですよね。俺だって立場が違えばそう答えますし…」
裕は困った顔をして忍の次の言葉をまっていたが彼女は拳銃を向けたまま喋らない。
「じゃあ、俺にもう一度、催眠をかけますか。勿論、WCCの影響が出ないよう全裸で催眠術をかけてそれではっきりさせましょう。俺自身、どうしてなのはちゃん達に近付いたか分からないですし…」
「分からない?」
「俺はただなのはちゃん達と馬鹿騒ぎが出来ればよかったと考えていますが、もしかしたら自分でも気が付かないうちに下種な感情があったかもしれません。もし、そうなら忍さんが言う通り記憶を消したほうがいいかもしれません」
さあ、ばっちこい。
と、言わんばかり裕は腕を広げて忍の出方を待つ。もしかしたらそのまま拳銃で撃たれるかもしれないのに、だ。
「貴方はどうしてそんなに捨て身で挑めるのかしら?」
「少なくても俺をどうこうしようものなら、すずかちゃんが黙ってないでしょうから」
「あら、えらくあの子を信用しているのね。あの子がそこまで貴方に好意を感じていると思っているのかしら」
「少なくても友達関係。…ぐらいには思っていますよ」
「…そう。なら遠慮はしないわ」
いつの間にか変わっていた赤い瞳で裕に近付いていく忍。ファリンはそれを止めることも進めることも出来ずにハラハラと状況を見守っていた。
裕は何があっても受け入れるつもりだった。
自分が行ったように馬鹿騒ぎがしたいだけかもしれない。だけど、なのは達の将来性を考えてみると確かに美人になるだろうとも思った。もしかしたら忍の言うように邪な心があったかもしれない。
これで記憶を消されたとしてもそれは彼女達にとってはプラスであるし、そんな下種な自分の考えを止めてくれた忍にさえも感謝する。
ただ一点。裕は消してほしくない記憶がある。それは…。
「あ~、一つお願いがあるんですがいいですか?」
「なにかしら?」
「すずかちゃん達との記憶は消しても『イエーガーズ』との記憶は消さないでください」
裕は前世。いわゆるボッチだった。
他者とコミュニケーションをうまくとることが出来ず、死ぬ寸前まで『友達』と心から言える人間がいなかった。
それが今の自分にはある。
一緒に何かをやり遂げる為に共に進んでくれる。共に行動できる。共に笑っていける友人達が多くできた。
その記憶を失いたくはない。
そう伝えると忍は怪訝そうな顔をする。
「あなたの記憶。下手したら前世の記憶も消えるのよ。WCCという力の使い方も失ってしまうかもしれないのに、それでもいいの」
裕は笑ってそれに答える。
「当然でしょ。ボッチは友達と言ってくれる人と言える人にはなんだって出来ますから」
だから、裕はなのはにサッカーをしようぜと声をかけた。
アリサの横暴と思える初対面時にも笑って過ごせた。
月村の家に監禁され、殺されると誤解していた時もすずかが友達だと言ってくれたから全てを許せた。
もしかしたら凶悪な犯罪者に友達を言われたら手を貸すかもしれない。だけど、最初に友達になれたのはなのは達で、後に『イエーガーズ』になる子ども達だった。
ボッチだからわかる彼等とのつながりは何よりも価値がある。
それはなのは達との思い出もそうである。
彼女達との記憶が消えるのは悲しいが、裕には『イエーガーズ』という繋がりが残されているから平気だと考えていた。
「何でもできるという事は私達の敵にもなるという事ね」
「敵にならないように奔走も出来ます。説得も出来ます。何でもできます。なぜなら…」
裕は言葉を切って忍におもいっきりの笑顔を見せつけた。
「俺は邪神様ですからね」
そう言うと裕は意識を手放していった。
夜。
月村忍は屋敷に戻ると同時に裕に謝った。疑って悪かったと、ひたすら頭を下げていた。
お詫びに屋敷で御馳走をふるまうとか、高品質の下着(男子用)や服、装飾品。自分に出来る事なら何でもするとまで言い出す彼女に引いてしまう裕だった。
妹のすずかやメイド姉妹。高町恭也がそれを制しに来ると思いきや、彼女達もまた裕と忍のやりとりをボートの裏側でこっそり聞いていたらしく全面的に裕側についていた。
とりあえずここは退いてもらおうと、裕は最初の方は忍に顔を上げてもらおうとしていたが、ぷりぷりと怒っているすずかの顔を見て、ふと悪戯心が出てきた。
にやりと思わず口角が上がった裕を見て、嫌な予感がしてきたすずかは謝っている忍を止めようとしたが、一歩遅かった。
「それなら、すずかちゃんのチューで手を打ちましょう!」
「裕君?!」
忍は一瞬、何を言われたか分からなかったが、裕の実に邪な顔を見て彼の意図を読み取った。単にすずかに悪戯がしたいのだろうと。
邪神が今最も欲しているのはこういった『友』とのじゃれ合いなのだと。
「ただのチューじゃない!クラスの皆がいる教室でのチューを求めます!ブルーレイでの録画付きで!」
「…く、それだけの事をしたから仕方がないわね。…了承したわ」
「本人の意思確認なしに了承されちゃうものなの!?というか、恥ずかしくてできないよ!」
「その『み、皆の前じゃ出来ない。で、でも約束だし…』と悶えているすずかちゃんのチューが欲しいんだ!」
「悪趣味だよ!」
まさか自分に矛先が向かうとは思わなかっただろうすずかは思わず裕と姉を問いただすと、姉のいかにも残念そうな顔と裕の満面の笑みで返される。
「大丈夫よ。すずか。彼もそこまで酷い人じゃないから…。それにチューの種類まで問われていないからきっと優しいチューで済むはずよ」
「激しいチューでも俺は一向に構わない!」
「私が構うよ!」
邪神が作りだし空気にすずかを除いた全員が和みだした。
所詮吸血鬼が作り出したシリアスなど邪神の手にかかれば和やかになる物だと、見ている者はそう感じていた。
「舌を入れてもいいぞ!」
「だからしないってば!」
そんな吸血鬼の少女と邪神の少年のじゃれ合いを二つのジュエルシードが静かに映し出していた。