「うぅ、でも、やっぱりこれはちょっと綱渡りすぎますよぉ~……。『孫呉に揚州支配の正当性なし』って言われちゃってますし~」
先だって送りつけた檄文への辛辣な返信を、陸遜が涙目で読み進める。
対する孫策は、小さく首を振って苦笑を浮かべた。
「まぁ、確かに私が周家の立場なら同じことを言うでしょうね。けど、これで呉の四姓はこっちに付くはず……。いえ、付かざるを得ないはずよ」
「
「この宣言で『今の周家には味方できない』と思わせて、あとはなし崩しに巻き込んじゃえばいいのよ」
周家の手紙では孫呉の要求は強気に突っぱねられているが、
この手紙に江陵の思惑は絡んでおらず、間違いなく
「……確かにそうなれば、時間は私たちの味方ですけどぉ……」
これで盧江の周家が江陵から支援を取り付けてきたというなら話が変わるが、自分が実力者であると勘違いした者達がまず表に立ってしまった時点で呉郡の四姓に取っては頭を抱えたくなるような事態だ。
なぜなら今の盧江周家を頼った場合、彼らが己の実力不足に気付いて江陵の周瑜に泣きつく頃には、矢面に立たされているであろう四姓は滅ぶかそれに近い打撃を受けているはずだから。
この瞬間、四姓は孫呉に最低でもどっちつかずの返答をしておくしかなくなった。泣きつかれた江陵が動き出す、その時まで。
「穏、違うわよ。今は時間が無いことが私たちの味方なの」
もちろん孫策がそんな時間稼ぎを許すはずがない。袁術討伐のために呉の四姓から借り受けた兵士を、そのまま揚州支配を確立させるため用いるつもりだ。
たぶん自分はあくどい顔をしているのだろうなと、孫策は頭の片隅で考えた。
「では周家郎党の収容先は江夏郡西陵に。ここには
「はい」「はっ」「はいなっ」
江陵最上層、
そのさらに奥にある、四季を通して咲き乱れる桜と、その根元を流れる水路に囲まれた
周囲を囲う壁すらない四阿の屋根の下、広い机とそれを取り囲む複数の丸椅子のうち、四つの椅子が埋まっていた。
「呂布が揚州に派遣されたあとは、文遠にはそのまま孫呉討伐の先鋒となって貰うことになるはずだ。
尊い方位とされる北を背負うは空海。ただ、他のものと同じただの石の丸椅子だと背が足りないので、座面にクッションをつけた、背の低い軍師たち向けのと同じものに座っている。座面が高くなったので足は宙ぶらりんである。
「了解やっ、ウチに任しといて下さい!」
気負った様子で返答をしたのは張遼だ。文武に幅広い万能型の人材であり、人当たりも良い上に実戦経験も指揮経験も豊富で官位まで高いためどんな現場でも任せられる、と、最近は軍師たちに使い潰されていて忙しい。
荊州江夏郡の東、揚州との境には、天を支えるとも言われる天柱山を含めた山地が存在し、これを避けて長江沿いを南回りで東に向かえば、周家の本拠地である揚州盧江郡へと入れる。
水路が存在するため、江陵からは三、四日で進軍できる土地だ。
いま盧江からは、周家に従う人々が、荊州に希望を見いだした人々が、江陵に移り住みたい人々が、地平の彼方まで続くような列をなして逃げ出していた。
元から移住を奨励していた荊州上層部だったが、揚州情勢の悪化を受けて船を増便、開戦を決断した後はさらに増便して盧江以外へも派遣、孫呉の蜂起が決定的となってからは頭がおかしくなるほどの大船団を手配している。
別に狂ったわけではないのだが、少なくとも他勢力から見れば桁を一つか二つ間違えているのではないかと疑うほどの量だ。
張遼は盧江の
江夏郡都の西陵から長江に沿って八百里(330㎞)強もの道のりだ。踏み込んで攻めるのは前提であるため、兵馬の選定から糧食の手配まで気を配らなくてはならない。
「その場合、幼平は江夏で防諜活動を継続。漢升は江陵への人員の移送を担当してね」
「はいっ! がんばります!」
「お任せを」
背筋をピッと伸ばした周泰が元気よく、柔らかく微笑んだ黄忠が凛々しく返答する。
周泰は張遼の背中を守る役割なので話は簡単であるし、黄忠が派遣される江陵と江夏を繋ぐ経路も、漢全土を見回してもおそらく最も安全な部類の経路にあたることから、責任重大ではあるものの不安のある土地ではない。
黄忠が守るべき経路は三つ。
一つは北回りに襄陽近くを経由する街道。唯一の陸路であるが劉表軍の主力の移動にも利用されているため、ここに残っている賊が居るとすれば自殺志願者だろう。
二つ目は、ほぼ一直線に東西の、下流で荊州の中心都市の一つ江夏と、西側、上流側の超巨大都市『江陵』の北部とを結ぶ襄江。ここでも、残っている賊がいるとすればそれは自殺志願者に他ならない。
三つ目は、江陵の南部をなぞってやや南側に遠回りするように流れる、大陸を代表する巨大河川である長江。江陵水軍の停泊地があちこちに存在する。
どれを取っても国家の大動脈であるためしっかりと警備と整備がなされており、事件はもちろん事故の類も稀という、この時代の人々にとって夢のような土地だ。
その輸送能力たるや、江陵と襄陽周辺の陸路三つが漢帝国下の陸路の交通量上位三つを誇り、江陵の周辺の水路三方向が漢帝国下の水路の交通量で上位三つを誇るほど。
主題である難民の移送も、外から見たときの問題は小さく少ないと言える。どちらかと言えば内に抱える問題への対処の方が比重が大きいとなれば、人格を伴う武官がこれを担当するのが望ましいと言えるだろう。
空海の人選――というより幹部会の推薦――は、そんな理由から為されていた。
ここに至るまでに空海と劉表はまず、揚州盧江からの避難民を江夏で受け入れ、江陵を含めた荊州各地に分散させた後に本格的な出兵をすることで意思を統一した。
その間に袁術が孫呉に負けることを見越しての計画だ。
避難民の受け入れと同時に江夏に兵を集めて出兵の段取りを整え、北回りで劉表配下の呂布が八万を率いて揚州の中心都市たる寿春を中心に、南回りで空海配下の張遼が八万を率いて孫呉の本拠たる呉郡まで占領していく、というもの。
孫呉か、可能性は低いが袁術か、まずあり得ないが孫呉と袁術の連合が待ち構えていて決戦にもつれ込んだとしても、ひと月ほどで揚州主要都市を制圧できる見込みだった。
曹操が北方の平定に取り組んでいる間に南方の諸問題を終わらせる算段である。
「さて、誰が勝ち残るかな。袁術か、孫呉か、
フッとわざとらしく笑った空海は、数秒黙ってから首を傾げた。
「いや。袁術はないな」
◇◇◇◇
「下蔡県から、汝南郡へ向かう道がふさがれているため、軍を派遣して欲しいと……」
その状況を端的に言い表せば「一番当てにしていた逃げ道がふさがれた」だ。
張勲は思わず天を仰ぐ。孫策たちの明確な殺意を感じ取ってしまったために。
かつて統治能力を疑われた結果、劉表によって揚州に追いやられた袁術には、ひとまず逃げてから舞い戻って再起するという選択肢が存在していない。
さらに揚州には、袁術の統治能力の欠如を示す証拠が数多く存在している。
大義名分が揃えば――立身出世はともかく――孫策たちが上司である袁術を追いやった責を問われることはないだろうし、上手くすれば功績に数えてもらえるかもしれない。
少なくとも張勲ならそれで妥協する。
だから、孫策たちの目的が単に袁術による揚州支配からの解放であれば、証拠だけ確保して大義名分を劉表と空海に示せば良い。外へ逃がしてから他所に処理して貰った方が、孫呉の被害も少なく得るものが大きくなるはずだ。
そして、孫呉の軍師陸遜はその程度に気付かないような愚物ではない。
つまりは、逃げ道をふさいでまで優先するものがあるということ。
それは何か。言うまでも無い。――危機的状況である。
「そ、それ、は……。…………とっ、とりあえず、西へ!」
東、孫呉の拠点なので無理。北、曹操軍の主力級が未だ駐屯中なので無理。南、未開の地である上に「未開の地ですよね」という扱いをしてきたので飢えた狼の巣に肉を持って飛び込むような挑戦になっちゃうから無理。西しかない。
このままでは本当に『悪政の象徴』として二人揃って殺されかねない。顔色の変わった張勲を不安げに見上げてくる
「西へ向かいますよ、お嬢さまっ!」
「う、うむっ! ゆくぞ、七乃!」
誰の目にも強がりと分かる程度の空元気を出した袁術が号令を飛ばす。
そんな彼女を見て、張勲は必死になって打開策を考えていた。
――お嬢さまの可愛らしさに共感してもらえるかも、という点では空海元帥ですけど、当てに出来そうな人ではありませんでしたしねー。扱いやすそうでしたけど、威厳も全くなかったですし。
などと誰に知られても絶対に不味いことになるようなことを平然と考えつつ。
――となると利用できそうな人はもう劉大将軍しかいませんから、揚州牧からの正式な依頼ということで反乱鎮圧をお願いして、反乱軍の身柄を引き渡せば……身の安全くらいだったら何とかなりますかね……?
悲観的な考えを振り払い、張勲は馬首を西に向けた。
低い山に沿って西へ向かえば、道はやがて南に向かい、その先には
陽泉まで出れば、劉表の治める荊州までは西に十日。途中には支配下の街もある。
孫呉が大軍を率いていることから、自分たちがとにかく移動を優先させていれば無傷で逃げ切れる可能性もなくはない。
選択肢は限りなく狭い。どうすれば生き残れるのか、張勲は必死に考える――。
――孫策さんたちに大将軍や元帥と全面対決する力はない……。ということは、対決にもつれ込むような戦闘は避けたいはず。
だから、と、張勲は顔を上げ、希望を胸に袁術の手を握る。
――逃げ込みさえすればやりようはある!
「逃げ道も援軍もないとわかれば、袁術ちゃんたちは必ず荊州へ向かうわ」
ひときわ大きな体躯の馬上から進軍する兵たちを睥睨しつつ、孫策が述べる。
「では姉様は、劉表が袁術に手を貸すと?」
孫権が訝しげに尋ねた。
劉表にとっては反乱を起こした孫策たちも、反乱を起こされた袁術も、どちらも処罰が可能な小役人に過ぎない。本気で揚州に介入するつもりなら、手を貸したという事実すら必要ない。
そして『本気』でないのなら、十余万もの兵を集めることもなかっただろう。
もはや袁術など必要はないはずなのだ。
「それはどちらでも良いのですよぉ、
「どういうこと?
「それはぁ、袁術さんを成敗するという目的と、劉表さんたちと敵対しちゃうかもという状況は、どちらにしても変わらないからですよ~」
陸遜の謎かけのような受け答えに、孫権は分かったような分からないようなと首をかしげて思考に沈む。
劉表が袁術を助けず処断する可能性もあるが、その場合でも孫策らに揚州牧を譲ったり袁術の政治基盤を引き継ぐことを許す可能性はまずない。
むしろ、劉表の立場ならば、孫策たちを討伐した上で袁術を合法的に引きずり下ろして政治組織を引き継ぐ方が手間が少ない、のか。袁術が生きているか死んでいるかは大事ではなく、揚州の実権を劉表の手に移すことが目的。
であれば、揚州を手に入れたい孫呉は最低でも劉表との敵対が決定的で、袁術が劉表に保護される見込みも十分にある。それが一時的なものであっても。
孫権はそこまで考えてようやく納得したように頷く。
二人のやりとりを見ているようで見ていなかった孫策が、獰猛に笑った。
「だから、劉表の下に逃げ込んでくれれば、それを名分にして江夏まで攻め込み、母様を殺した黄祖の首を獲れるわ」
「しかし、雪蓮様。江夏には十余万の大軍が駐留しているのでは?」
三人のやりとりを黙って見ていた甘寧が、思わず口を挟んだ。
荊州江夏郡には今、劉表大将軍と空海元帥の連合軍十数万が集結中なのだ。単純に考えれば、孫呉は自軍に倍する兵と戦わなくてはならない。
「私からお答えしますね~。まず、大軍と言っても相手の総戦力から言えば微々たるものですから、これに勝てなければとうてい独立など出来ません~。『孫呉はこの程度の兵を出せば言うことを聞く』などと思われちゃうと困ってしまいますから~」
「今でこそ戦う準備ができてるけど、この機を逃せば劉表が攻めたい時に攻めてくるのを迎え撃たなくてはいけなくなる。次は最低でも現状を上回る兵力差になるわよ」
陸遜の言葉を孫策が継ぐ。孫家の兵力は短期間に増えたりしない。それどころか、この戦を終えたときには減ってさえいるだろう。相手が袁術だけであったとしてもだ。
対する荊州連合軍に目を向ければ、その全力は現状の四倍を優に超す。遠征に回す兵を見ただけでも、である。蟻と巨人の戦いだ。勝てる可能性のある所で勝っておかなければ手も足も出なくなってしまう。
孫策の言葉に深く頷いた陸遜が孫権に向き直る。
「それにぃ、相手にはこちらを討伐する名分が存在しますけど~、こちらからは仕掛けるための名分がほとんどありませんからぁ……」
遙か雲の上の上司であり清廉潔白の儒教家と言われる劉表や、類い希なる善の人という評価の空海にいきなり喧嘩を売りつけた場合、周辺勢力はもちろん、部下や民衆までをも敵に回してしまう可能性が高い。
その場合、孫呉に付く兵士は絶対に現状を下回り、相手方は下手をすれば百万を超えてしまうかもしれないし、そうなったらもう勝負にもならない。
つまり、戦争をふっかけるためには真っ当に聞こえる理由が必要なのだ。
「孫呉が理由をこじつけて戦を仕掛ける集団と思われては、民もついてこない……か」
陸遜の説明を聞き、納得した様子で孫権がつぶやく。
いったい誰が、いつどんな理由で戦争を始めるのか分からない王の下で暮らそうと思うだろうか。いつ何時、暮らしていけなくなるのかも分からない場所に、寄りつく人がどれほどいるだろうか。
平穏や安定からは縁遠い場所に、民は居着かない。
孫呉がその形を維持するためには、少なくとも「仕方ない」と多数派の民が妥協できる程度の理由が必要だ。何事においても。
よくできました、と笑みを浮かべて再び大きく頷いた陸遜が続ける。
「そういうことです~。ですから、この機会を逃した場合、より強大となった相手を迎え撃つか、民心が離れることを覚悟してこちらから奇襲するか、言われるままに恭順を選ぶしかなくなっちゃうんですね~。なのでぇ……」
簡単な話だ。どれも認められないのだから、そちらの選択肢はなし、ということ。
そうなってしまえば残る選択肢は――
「――この機に勝っちゃうつもりで戦うしかないと思います~」
「…………では、戦うとして。勝算は?」
親しい者達にしか分からないほどにわずかな変化で感心の表情を浮かべていた甘寧が、やはりわずかに不安を滲ませながら鋭い視線を陸遜へと向けた。
「はい。それはぁ――――」
◇◇◇◇
「
眉を寄せ、憮然とした態度で要求を告げるのは、江陵を代表する女将軍、黄忠。
「あー……その。何か問題が?」
悪戯が見つかった子供のように身をすくませたのが、荊州の宿将、黄祖である。
そこには名目上の立場以上の、明確な力関係が見て取れた。
「難民の多くは武器を持つ余裕もなく、食料も十分に行き渡らぬ弱者です。武器を持って肩を威張らせて歩く兵達に萎縮することはもちろん、民を守るでもない兵士に鬱屈とした感情を抱くなというのは無理があります」
これは仕方のないこともでもある。貧しい難民に、苦しい避難生活での疲労、行き渡らない食料とくれば、問題が起きないはずがない。
そんな中で、外的の排除を第一の目標にしている部隊が、多発する問題の仲裁や解決に奔走していては本末転倒とも言えるからだ。
「しかし間者が入り込んでいるやもしれぬのでは、見回りは必須でしょう」
だから、黄祖の反論も最もなものである。実際に間者は入り込んでいるのだから。
ただ、今のところその工作が実を結んでいるということもない。大陸の巨人、江陵軍が駐屯しているということは、反抗勢力に対する絶大な重しなのだ。
「我々が懐柔しようと行っている様々な方策が実を結べば、見回りの兵の目だけではなく難民の多くが我々の目となり、間者の暗躍を防いでくれるでしょう。それまでは、懐柔のついでに見回りが出来る程度に器用な者を巡回に当てて下さい」
簡単に言っているが、江陵を除く世の中の兵士は、そのほとんどが文字を読めない程に知識がないのである。百人規模の部隊の長でようやく自分の名前を書類に書ける、という地域もあった。中には、将軍の地位にまで上り詰めながら知っている文字が十字ほどしかなかったという人物すらいたほど。
即ち無教養なのだ。「こうする」という方法しか知らず、疑うことを許されない環境で育った兵員に柔軟に対応しろと言う方が普通は間違っている。知らないことを出来る人は少なく、それを問題のない方法に仕上げられる人はさらに少ない。
つまり無茶ぶりである。
黄祖は実質的に上官と変わりない地位にある黄忠に向けて「無理」とは言えず、反論の言葉を何とか飲み込み、引きつった表情を浮かべて見せた。
「えー……なんと言いますか。華将軍には、伝えておきましょう」
「ご理解いただけたようで何よりですわ。華将軍が納得しないようでしたら、襄陽方面の街道の警邏と難民の警護に回してしまって下さい。その後は我々が引き継ぎます」
もちろん華雄は街道警邏に回された。
巨大な川に沿った立派な街道を難民たちがゆっくりと進んでいる。
彼らを挟み込むように配置された騎兵の一団が、流れに逆らって移動していた。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……。よし! んじゃ、この辺までで次の船団を出すから、誘導する兵士を何人か挟んで宿泊地とか分けんでー!」
『応ォ!』
青い衣を纏い白馬に跨った張遼から、ハキハキとよく通る声が、難民の頭の上を跨いで周囲の兵士の耳に届く。
張遼の指揮する騎兵隊は精兵揃いの江陵でも指折りの部隊だ。遠征可能な部隊としては元帥直属の隊に次ぐ高級部隊で、左慈や貂蝉ら管理者から直接の指導を受けているほどの精鋭である。
彼らをここまで運んできた江陵の長江輸送船団は大陸で最大の輸送機関であり、そこに所属する船の総数は二万隻を遙かに超える。商用船だけで、だ。
江陵に所属しない大陸の軍艦、商用船を全てかき集めても、長江を航行できる大きさの船は一万隻に届くかどうかというところであるから、その輸送能力も大陸で最大と言って良いだろう。
今回の輸送作戦には軍艦まで出張ってきているため、一見すると長江が詰まるのではと考えてしまうほどの船が集まっている。
川が見える場所まで出れば、対岸がかすむ広さの大江を埋め尽くす江陵を示す青い旗を掲げた船が、その圧倒的な光景が、否応なしに安堵と畏怖を呼び起こすだろう。
事実としては半分は渋滞しているのだが、そのあたりは孔明や鳳統や現場の張遼たちが頑張って調整しており、何とか予定通りの輸送を実現している。
「オラァ! そこでチンタラしとる婆ちゃんを助けんかい! そんでも江陵の男か!」
『ありがとうございます!!』
恍惚とした表情でお婆ちゃんと荷物を担ぎ上げた一団を見送りながら、張遼は呆れたようにこめかみを揉み、改めて周囲に目を走らせた。
「……んー、やっぱりちょぉ手間取っとんなぁ……。もうちょい先の方まで足を伸ばした方がええんかなぁ」
現在、張遼たちが先行して民を収容しているのが
ここには長江の北岸、
当初は周家の揚州脱出に付き従う人々が、次に劉表の揚州制圧から逃げようという人々が、そして最近では孫呉の蜂起と袁術軍から逃げる人々がこの地を揚州の出口に見立てて逃げ込んでいるのだ。
特に合肥や六安は、孫呉が進駐している
張遼の目的は難民の護衛と移送であるため、そういった悪影響の大きな地域に注力して行けば、より多くの被害を防げるはずではあるが……。
「……よっし、決めた! 龍舒まで兵を進めんで! 護衛の連隊と警邏大隊、工作大隊と補給大隊を一個ずつ残して明日の朝に出立や!」
袁術と孫呉がぶつかった、あるいは通過しているのはかなり北よりの地方である。
最新の情報では
江陵としては現段階で北進しての占領にうま味はない。しかし、長江沿いの港の周囲を掃除しておくことは今後の進軍の助けになるだろう。
――もし孫呉と遭遇しても、偶然っちゅーことやな! 星の言葉を借りるんなら『仕事が楽になるか楽しくなるかの違いでしかない』ってことや♪
張遼は目を細めて楽しげな含み笑いを浮かべる。
事前に鳳統から伝えられた状況の推移とその予想と比べるに、本当にそうなる可能性は五分より低い。
だが、張遼の武人としての勘は、戦いの空気を間近に感じていた。
翌朝、張遼率いる江陵軍は北に向けて長江沿いの港を離れた。
◇◇◇◇
「蓮華様、先行して偵察を行いたいと思います」
「いいわ。だけど明日には本隊がぶつかるのだから、兵の損耗は避けなさい、思春」
「はっ!」
孫権と甘寧は今、荊州にほど近い
ここからさらに西進すると街道は揚州をかすめて荊州へと向かう。荊州へ入ってすぐに南下していけば、比較的小さな山地を抜けた先に江夏郡の中心都市、
北西の大都市
孫権率いる五万を超す兵は、袁術軍の尻尾に食らいつこうとしていた。
――これより五日前。
揚州の中心都市、寿春へと進軍した孫呉は、そこで呉郡四姓から派遣された文武官から江陵の息が掛かった者達を検挙していた。孫策の直感に従って。
「こいつもダメね」
「……やっぱり江陵が取り込みに動いていますよねぇ。あ、その人たちは手荷物を改めてくださいね~」
陸遜が孫家直属の兵士を率いて、間諜たちを次々に取り押さえていく。
「――どいつもこいつもっ! 揚州を代表する名家の一員って自覚もないのかしら!」
「そこはー、揚州に所属する以前に大陸に所属してるという意識もありますから~」
「ちっ……江陵が動きだした以上は私が阻止に動くしかないじゃないの……」
寿春の城へと入城してから、孫策の機嫌は降下の一途をたどっていた。
なぜなら呉郡四姓と江陵を仲介しているのは落ち目の方ではない周家のようだから。
その手口が巧妙で多岐にわたり、一筋縄ではいかないから。
連動するように四姓から出された要求が、真っ当すぎて突っぱねられないから。
敵対できない四姓との協議は、孫策と陸遜にしか出来ない仕事だから。
「ですねぇ。江陵の手口は巧妙ですし、雪蓮様以外では誰も止められないですよぉ」
「……ぐぬぬぬ」
つまり前線に出られないということだから。
そうして袁術討伐は孫権の手にゆだねられた。
袁術軍は安豊の西を西進しているが、荊州まではあと三日はかかる位置だ。孫権軍なら明日には追いつき、丸一日程度の追撃で壊滅まで追い込めるだろう。
問題があるとすれば、荊州へ向かう難民が多く所々で道をふさがれてしまっていることだろうか。軍事行動が優先されることは言うまでもないが、だからと言って民を傷付けてしまってから「民を守る」などと宣言しても耳を傾けてはもらえまい。
血気盛んというか猪突猛進というか暴虎馮河と表するべきかという甘寧にはそういった微妙な案配の仕事は任せづらいため、
もちろん歴戦の武将としての甘寧には期待しているのだが。
「私たちは陣を設置した後、西側の街道で進軍の障害になる民たちを移送するわ。思春は袁術軍陣地の位置とその進路の確認、障害になりそうな民の集団などの有無を調べて」
「心得ております」
「戻ったら明日の出立までには十分な休養を取っておいて。理由は……言わなくても分かるわね?」
「はっ」
主従は阿吽の呼吸で襲撃の準備を進めていく。袁術軍の終焉の時は、彼らのすぐ後ろに迫っていた
◇◇◇◇
「ふぅー……。ここまでくれば、ひとまずは安心でしょう」
一仕事やり遂げいい汗かいたと言わんばかりの輝かしい笑みを顔に貼り付けて、張勲は汗をぬぐうような大げさな仕草で道化を演じる。彼女も疲れてはいたが、必要なことだと割り切って表に出さない。
本当のところ、湿気の多い季節だったので長く馬に跨っていた足には汗も滲んでいたのだが、余裕のなかった張勲はそれに気付くこともなかった。
張勲はちらりと愛する主の様子を窺う。出来れば気付きませんように。気付いても気にしてませんように、と。
だが、彼女の愛する主君はそんな側近のいじらしい心遣いも目に入らない様子で熱心に周囲を見回していた。
――なんでそんなに熱心に見てるんですかねー?
翡翠色の瞳が張勲を見上げ、ときめきではない予感に心臓が跳ねる。
「のぅ七乃?」
「はいはーい。どうしました、お嬢さま?」
張勲は、自分の笑顔が引きつっているんだろうなとおぼろげながらに感じた。
なぜなら愛する主君が眉を寄せていたから――ではない。否、間接的にそれが原因ではあるのだが、もっと直接的に言うと、口をとがらせ眉を寄せている可愛らしい主には既にバレてしまっている、と理解できてしまったからである。
――あぁぁっ、いつも通り気付かないでいてくれて良かったのに……。
既に半ば手遅れだったが、張勲は袁術の口から漏れる言葉が自身の想定しているそれと異なっていてくれることを祈った。
でもやっぱり無駄だった。
「劉家は赤い旗を掲げると思うんじゃが、何でさっきから青い旗しか見えぬのじゃ?」
「旗を間違えたんじゃないですか?」
「そんなわけないじゃろ」
「ですよねー♪」
>桁を一つか二つ間違えたのではないかという量
「新学期から新しい先生を二〇〇人ほどお迎えしたので紹介します」
みたいな。
>「誰が勝ち残るかな……」
「俺は大陸を支配する者達にとっては一地方の領主でしかない。しかし未来永劫にわたってそうだろうか? そうであらねばならぬ正当な理由は何処にもない……」
江陵がやってることがまるっきりフェザーンだったので空海は黒狐だと思います。あとノリで言ってるので別に劉表と対決したいとかそういう意味じゃないです。
「勝ち上がる気はないけど勝ち残る自信はあるぜ!」
なんという自信……やはり卿は天才……。しかしこの自信が、後に大いなる災いを招くことになろうとは、この時の天才は思いもしなかったのです。
銀河系オリオン椀太陽系第三惑星地球の歴史がまた一ページ……。
>華雄は犠牲になったのだ……江陵の犠牲、その犠牲にな……
私は華雄が好きなんですけど出番これだけですかね?
>長江が詰まる?
長江は大きいから大丈夫。もちろん史実の赤壁より多い。演義の赤壁と良い勝負か。
>孫策あくどい顔からのー、張勲引きつり笑顔で締め
今回の流れは完全にこれ。「袁術軍の終焉の時は、彼らのすぐ後ろに」。彼らです。彼女らではありません。
遅れに遅れてすいません。去年一回しか更新してないという。
……恥ッ。あってはならぬこと……ッ!!
しかしとにかく執筆が進まなくて……。続きはちまちま書いてます。