吹き付ける風が、ジリジリと肌を焦がす。
同じ風にさらされているというのに、アルブレヒトは涼しい顔。戦場から伸び上がる不気味な雲を眺めて、満足げに笑ってすらいる。それも、余裕からか。
アルブレヒトの両脇に控えるのは、対照的な二体の人型。どちらも無機質な仮面を付け、表情は伺えない。
一体は、常人の二倍を越えようかという巨体。トロールかオーガといったところの化け物が、大砲とも鈍器とも取れる鉄塊を担いでいる。もう一体は、人と変わらない、あるいは、いっそ華奢とも取れる肢体。他の兵と同じような銃を持っているが、本命は別にあるのかもしれない。どちらにせよ、亜人の生きた肉体を材料にした、どうやればそんなことを思いつくのかという悪趣味極まりない代物。どこから亜人をかき集めて、それを単なる道具として使う。
タバサが、私の前に出る。私よりも頭一つ小さな体で、私を守らんと立ち塞がる。
それでも、アルブレヒトは動かない。タバサは見かけとは異なるスクウェアの実力、アルブレヒト1人ならどうとでもできる。だが、タバサを口元を固く引き結んだまま。あいつが連れているものには勝てないと、タバサ自身が理解している。
戦場に昇る雲は、四つ。激戦の場に、噴火のように立ち昇る。恐らくは、父がエルフ達から入手したという技術。火石の力を極限解放したに違いない。エルフが禁じ手としていたものも、父やアルブレヒトなら戸惑いなく使うだろう。使えるものを使うのは、当然。
しかし、なぜ味方まで、共に戦うものまでも道連れにする。どんなに強力な個体であっても、万全ならばともかく、疲弊した状態であれば致命的。もはや、アルブレヒトに敵はいない。
私は、ようやく理解した。父は、この男にこそ全てを託していたんだと。
私の前に立つタバサを、押しのける。子供のように軽くて、小さな体。昔は、そんなに変わらなかったのに。
タバサの、驚きに目を見開いた顔。私だって驚いた。事ここに至って、タバサだけでも守ろうなんて思うなんて。
アルブレヒトは、興味か、ただ面白そうに見ている。こいつにとっては、もはや余興。私に切れる札は既にない。逆転の目は無い。
「──全て、あなたの仕業ですね」
「むろん。なぜとは聞くまいな?」
「邪魔になるものをまとめて消そうということだろう。敵だけでなく、人、エルフ、悪魔、全てを葬れば、お前こそが全てを支配できる。そんな機会は今をおいてない」
アルブレヒトは満足気にうなずく。
「さすがはジョセフ自慢の娘だ。だが、惜しい。理解できても、実践出来ねば満点とは言えない。君にもそのチャンスはあったというのにな。今でこそ、君の兵達も返してもらったがね」
笑みを深めたアルブレヒトは、指揮者のごとく大仰に両腕を開く。無機質な両隣の配下と、随分と対照的だ。
「世界をあるべき姿に戻すには、今をおいてない。幾千年の停滞は、私が打破する。なに、君のことはジョセフから託されている。賢い女としてあれば、尊重することを約束しよう。──君が庇おうという元王女は、悩みどころではあるがね。取り敢えずは、杖を捨ててもらえれば私も安心できるのだが。私の魔法の才は並でしかないのでね。こういうものにも、頼らなくてはならない」
アルブレヒトの手には、鈍く光る拳銃が握られている。装飾のない、実用一辺倒のもの。大人しく従うことで得られる未来は、どうにも明るくない。わざわざ女と言ったこの男だ、詰まる所は情婦の扱い。最悪の、一歩前。せめてもう一歩。
背中に感じる風。タバサは、乏しい表情の中に、はっきりと嫌悪の感情。タバサから感じる風は──いけない。
タアンと、発砲音が聞こえた。地面に倒れこんだタバサの胸元に、赤い円が広がっていく。起き上がろうとする手が宙を泳ぐ。まだ、間に合う。
タバサの傷口を、両手で押さえる。溢れる血が、火のように熱い。タバサはもがき、ゼイゼイと荒い息。呼吸音がおかしい。
「──さすが、魔法の天才と謳われたシャルルの愛娘だ。心臓を狙ったというのに、得意の風でずらしてのけたということかな。旧来の銃であれば何とかなっただろうが、見誤ったな。ああいや、及第点以上だ、恥じる必要は無い」
アルブレヒトが投げるのは、感嘆の言葉。取るに足らないことだと、ただ見下ろすばかり。噛み締めた唇から、血の味が広がる。
「あなたは、本当に女性の扱いというものを知りませんね」
「そう、怖い顔をしないでくれ。ゲルマニアは野蛮な国なものでね。しかし、必要であれば紳士的な振る舞いはできる。彼女もまだ生きている。今から治療すれば、間に合うだろうな。あとはイザベラ、君次第だ。私にはまだ、これからの仕事がある。私も手早く済ませたいと思っている」
「……紳士的な振る舞いという言葉、違えることはありませんね?」
「結構。賢いというのは、上に立つ資質だ。これからのことは、君にもよくよく知ってもらいたい。それと、君には、女としての役割も期待しているよ。父の才を受け継ぐ君と、私との子。将来が楽しみではないか。まあ、今更跡取り云々に意味はないのだがね。新しい風を常に受け入れる。私はそれこそが人の世に欠かせないものだと考える。停滞は、衰退だ。──それと、言葉遣いは君らしいものの方が好ましい」
ゲルマニアの陣幕には、私1人が連れて来られた。
タバサの血に濡れたドレスは、赤い、ケバケバしいゲルマニアのそれに変えられた。私の青い髪には、赤も映えるとの皮肉とともに。
タバサは、治療の名目で人質に。形見でもある杖を固く握りしめていたが、今は折られ、欠片だけを私が持っている。これだけは、なんとか返してやりたい。
陣幕の奥には、どこかで見たような鏡が並んでいる。もはや隠す必要も無いということだろう。違うのは、その様式のみ。ガリア、ゲルマニア、エルフと雑多な影響が見て取れる。あるいは、それこそがゲルマニア式。使えるのであれば、何でも良いと。事実として、数多くの試作の結果らしきものが見て取れる。一つの戦場に対しても複数の視点を確保できるような組合せは、確かに便利だろう。
単なるモノが、改めて現実を突きつける。父が私にだけ残したと思ったものは、その実、一部にしか過ぎなかった。私をアルブレヒトに託したというのも、結局の所は、私への悪意への発露だったのかもしれない。
「──年相応の顔をするではないか。らしくないぞ?」
王として中心に在るアルブレヒトを、呪いよあれと睨みつける。
しかし、言葉は出てこない。何か手があるのであれば、虚勢とてはれよう。私はもはや身一つ。所詮、私の魔法など児戯も良い所。それが分かっているからこその余裕。睨むことしかできない、それが一層腹立たしい。
「結構結構、それだけ強気であればこそだ。それを組み敷くというのは、楽しかろう。お前のように骨のある女などそうそういないからな。さて、約束通りお前にも見せたい。状況が分かるよう、私からレクチャーしよう」
アルブレヒトは、顎で鏡を指し示す。鏡の中の現実を。
人間側の、離れた本陣には余力などそもそも無かった。そこを、小狡く温存してたゲルマニアの部隊がほとんど反抗も受けずに制圧していく。こんな形での奇襲になど、誰も備えていなかった。この戦いでそんなことをするなど、誰も考えていなかった。私だってそうだ。残したのはタバサのみで、他は主戦場に回していた。アルブレヒトは時間の問題だと言い、大した興味は無いようだ。
エルフは、大隊を組んでいた船は壊滅。燃え落ちたか、形を残すも墜落し、やはり燃えている。生存は、絶望的。旗艦に乗船していたビダーシャルも、そうだろう。ビダーシャルも、この戦が終われば正式に妻になるはずだったファーティマも。
アルブレヒトが、指し示す。これが本命だと。
予想通り、主戦場はほぼ壊滅。当然だ。主力同士が潰しあったところでの、敵味方を問わない奇襲。
そして、アルブレヒトが放ったのだろう、私から奪った、空から何かを運ぶガーゴイルの群れ。遅れて、ゲルマニアの正真正銘の本隊が戦場を進んでいる。形の統一などない異形の軍勢が、しかし、一つの生き物のように整然と進む。自ら動く、大砲の化け物のようなガーゴイルともゴーレムとも見える何か。共に進む、もとは真っ当な生き物だったはずの人擬き。未だ火の燻る中、それすら意に介さない者達。
先頭で指揮をとっている若い男こそいる。アルブレヒトの面影を見て取れるからには、縁者か。真っ当な兵士は最小限で、あとは、趣味の悪い、人や、亜人やらを作り変えたものばかり。私は嫌悪してうまく使えなかったが、アルブレヒトはそのような感情など持ち合わせていないのだろう。
科学としての技術を駆使した武装と、先住の魔法なども良識無しに組んで作り上げた奇怪で醜悪な技術。認めよう。感情を越えられない私は所詮小娘だったと。そんなものを喜んで使えるのは、父や、この男だけだと。
進軍の中での戦闘は、殆どない。最初の奇襲でほぼ壊滅した上に、第二陣のガーゴイルが空からの攻撃を加えている。地上を進む者達は、そこから漏れたものに対して遠慮なくその手の銃を使っていく。氷の魔法が込められた銃弾は、残る敵を凍らせ、砕く。空からの補給があるからか、節約する様子すらない。
猛威を振るった赤い巨獣と、岩石の巨人が見えた。
人型をかろうじて保つも、四肢すら崩れかけた惨めな姿。両者が体を起こすも、もはや死に体。巨体が災いして、銃弾の的となるばかり。砲弾の爆発が起きる度に、大きく体を損なう。
異様なほどに統率された兵達は、既に答えを知っているパズルのように、ただただ作業のように繰り返す。それは、蟻が獲物に群がる様を思わせる。蟻の毒に、獲物はその動きを止める。獲物は、光の塵になって消えた。
勝利すらも意に介さず、兵達は進む。幾つかに別れて進んでいた兵も合流し、目指す場所は一つ。最後の戦闘の場。
呆れたことに、未だに戦っている。
カグツチは、右半分が大きく崩れた歪な球形になっていた。しかし、それでも攻撃を止めない。体が砕けながらも、その魔法を繰り返す。
矛先には、あの男。
姿形はそのまま。しかし、再生したにしても無理やりに動いているのか、カグツチからの攻撃を避けきれていない。近づく兵に気づいているのか、そうでないのか。今も崩れていくカグツチの攻撃を避けるばかり。
アルブレヒトは、さすがだと感嘆の声を上げる。
兵は既に終結しており、数えるのも馬鹿らしいほどの砲身を向けている。整然と並んだ陣形は、決着をつけるつもりだろう。
「……本当に、そんなことをするつもりか。」
私の、意味の無い問い。
「無論だ。そもそも、あのような人外がいる世界など安心できるのか?」
──それは、不可能だ。
人は、自らの理解を超えるものを受け入れることはできない。自らが信じる神という例外を除けば、そこには恐れという感情が生まれる。
「君も承知の通り、あれは人外どころか、この世界にとっては異物でしかない。むろん、もたれされたものは有効活用させてもらうがね。危険の芽は摘める時に摘まねばならない。言ってしまえば、これこそがもっとも重要な事柄だ。君もその目で見たまえ。新たな歴史の一歩だ。さて、始めようか」
言葉に寸分の遅れもなく、砲火が始まる。
音は聞こえずとも、その激しさが分かる。全てを打ち砕かんと、カグツチもあの男も構わずに。
カグツチの崩壊が見る間に進み、ボロボロと破片を落としていく。一際大きな爆発に、ごっそりと大穴が空いた。
あの男も、異様な頑強さであっても、再生するより血に染まる方が早い。
カグツチが、落ちる。しかし、更に歪な姿となって、あの男を目掛けて落ちる。巨大な顎となったカグツチが食らいつく。歓喜か、地に落ちたカグツチは大きく震え、幾らも経たずに崩壊する。
砲撃は止まない。もはや土煙で見えずとも、それでも止まない。
「──念には念を入れねばな」
なぜか砲撃が止み、軍が引いていく。空に何か大きなものを運ぶガーゴイルの一団が見え、それを落とした。
鏡から光が溢れ、ほんの少し遅れて、あの世界を揺らす破壊の音が聞こえた。
「イザベラ、君の感想も聞きたいね。一番の難題は片付いた。あとは作業的なものだ。そこには、ぜひ君の考えも借りたいと思う」
アルブレヒトの顔は、これまでになく晴れやかなもの。
「……良いだろうさ。しかし、世界の覇者となって何を求める。全てを支配して何とする」
どうしてか、困ったように笑う。
「より良い世界を作る。こればかりは信じて欲しいとしか言いようが無いな」
肩をすくめてみせるこの男の瞳には、いつも絶えないギラギラしたものとは違うものが浮かんでいる。
「──私は、ずっと疑問だった。人の価値とは、何を成したかではないかと。どのような血を引くかなど、些細な問題でしかない。君も知っての通り、ゲルマニアでは平民でも功績をあげれば貴族にとりたてることにした。実績で判断するようにしたわけだが、これがすこぶる効果的でね。人は、その実績をきちんと認められてこそ、より良い結果を出す。しかし、だ。古い価値観しか持たないものは、結果すら認めない。古い価値観にかなうものでなければ、ろくに価値を認めようとしない」
アルブレヒトは、じっと私を見ている。
「なあ、君ならば理解できるだろう? 君は、私寄りの考えの持ち主のはずだ。そうやって、育ってきたはずだ」
「──勝手に、同類扱いするな」
なぜ、そこで笑う。なぜ、私を憐れんだ目で見る。
「では、あくまで私の考えとして聞いて欲しい。私はあらゆる手を使ってゲルマニアを発展させてきた。客観的事実として、民も豊かになった。だが、それでも頑なに認めようとしない者達がいた。ゲルマニアの外の貴族などは、皆そうだと言っていい。所詮、始祖の血を引かぬ成り上がりだとね。血など取るに足らぬこと、しかも、何ともならぬことでだ。私は、自らの努力でなんともならぬというのが許せない。だから、自らの才覚によって全てを勝ち取れる世界を作りたい。貴族制とは違う、努力が正しく評価される世界だ。それは素晴らしいと思わないか? 例えば、魔法の才だけが全てというのは、間違いだ。施政者が魔法だけにすぐれていて何とする?」
アルブレヒトは、目を細める。心を見透かされるような、嫌らしいもの。
「それに、こうは思わないか? そのような世界であれば、魔法とは違う才に溢れた君の父も、あるいは歪まかったかもしれないと。そもそも、真に魔法というものに優れていたのは君の父だったというのは、皮肉だがね」
「──ああ、父は、優秀な弟を憎むこともなかったろうさ。国の発展には、魔法など関係無い」
「理解が早くて良い。賢い女というのは良いな」
アルブレヒトは満足気に笑う。だが、違う。私は決して認めたわけではない。だから、言ってやる。
「それでも、お前のやり方は間違っている。こんな悪辣な裏切り、誰もお前を認めない。誰もお前を信用しない。いつかきっと、お前が裏切られる」
「普通なら、そうだろうな。だから、私がきちんと管理する。人は、容易く愚かにもなる。管理は必要なことだ」
「結局は、お前の都合の良い世界を作るということだろう。全てをお前の手の内にする。お前は、神にでもなるつもりか」
「神、か……」
アルブレヒトの口元が歪む。
「思えば、ブリミルは結局それを選んだのだろうな。実にうまいやり方だ。加えて、何千年もそれを維持する仕組みも作ってのけた。愚かな者を愚かなまま管理するのにも、都合が良い。管理されていることを知らなければ、それは幸福だ。悩むことがないのだからな。余計な悩みがなければこそ、その者に見合った努力もできる」
「ならば、お前は何を持って神となる? 悪辣な裏切りを行ったお前に、それができるのか? 管理など、1人ではできない。1人の手の届く範囲など、限られている。一つの国ですら、零れ落ちる。お前に忠義を誓う臣下がいなければ、いつかは裏切られる。すぐではなくとも、いつか必ず」
「そうだな、ちゃんと考えているとも。裏切られることのない、絶対にあり得ない方法をな」
「随分と自信があるようだが、人形共で固めるつもりか? ……そんなことは不可能だ。あれは所詮、人形でしかない。自らの意思の無いものに、新たなものを作り出すことはできない。それとも、軍隊を率いていた者か? どうだろうな? 人は、例え肉親であってもその心を理解仕切れないことだってある」
お前の目の前にも、いるだろう。
「私を見ろ。父にとっては玩具でしか無かった私を見ても、人を信用できると言えるか?」
父が見れば、思惑通りだと笑うだろう。お前も、笑えばいい。所詮、取るに足らない小娘だと。
「──君の言う通りだ。例え肉親であっても、どこまでいってもそれは他人でしかない。私も、身をもって知っているよ。王位を手に入れる時、邪魔者として消した。野蛮だと罵られたが、私は間違ったことだとは思わない。だからこそ、私も考えた。考えて、考えて、答えを見つけた。君の父君でも見つけられなかった答えだ。いいや、歴史上全ての王が探してきたが、ついぞ見つけられなかった答えだと自負している」
「そんなもの、あるわけが無いだろう」
アルブレヒトは、楽しげに目を細める。
「いいや、いるとも。絶対に裏切らない者がな」
気づけば、陽が陰っていた。
木々の間より覗けば、ようやく太陽が地平にかかり始めていた。あと一時間もすれば、完全な闇に包まれるだろう。厄介な空からの追跡も、恐らくは撒けよう。
そうすれば、一時とはいえ姫にも身を休めていただける。
「アンリエッタ姫、もうしばらくご辛抱ください。もうひと頑張りいただければ、どこかに身を隠すこともできましょう」
姫の手を取るも、力が無い。振り返る姫の顔に、生気が無い。足を完全に止めている。傍に寄り添い、姫を案じるカトレア。カトレアがまだ動けるからには、精神的なもの。人手さえあれば背負うこともできるが、私とカトレアだけでは何ともならない。口惜しいが、姫には自ら歩いていただかねばならない。
「ここは何とか引くしかありません。ここに残っては、ただ蹂躙されるだけです」
姫は、足元へ視線を落とす。歩くためでは無い靴は泥に汚れ、血が滲んでいた。
「……逃げられたのは、結局私達だけででした。これ以上、何となるというのです。全て、ゲルマニアの思う通りにしかならない。公爵とて、理解しているのでしょう? 私の希望はあの人に、ウェールズ王子にあった。でも、アルビオンの為に、戦場に散りました。あなたとて、あなたの妻も……」
カリンのことは、理解している。だからこそ、その意志を継がねばならない。
「分かっております。それでも、やるべきことを放棄するわけにはいかないのです」
姫の、卑屈な笑み。女王として、あってはならないもの。
「あなたは強いのですね。私は、やっぱり弱い。どうか、捨て置いてください。やはり、私は女王の器などではなかった」
振り払われた手は、拒絶。これまで姫を励ましてきたカトレアも、何も言えないでいる。
姫は、暗い笑みを浮かべる。
「どうか、あなた方だけでも……。ああ、もう来てしまいましたか」
音が、聞こえる。重い何かが近付いてくる音が、いくつも重なって聞こえる。ゴーレムやらガーゴイルが入り混じった先頭集団は、既に視界の内にあった。
年若い、1人の男が前に出てくる。
「ようやく見つけた。なに、恥じる必要は無い。他の国に比べれば、側近として十分に優秀だ。残念ながら、私が最後だからな。しかし──」
男の視線は姫に。
「アンリエッタ姫を無傷で迎えられるのであれば、悪くはない」
不躾な視線を、姫の前に立ち、遮る。男は目を細める。
「お前はヴァリエール公だな。覚えているぞ、先王と一緒にいたな」
この男は、誰だ? 私は知らない。しかし、この男は私を知っている。アルブレヒト王に似ているからには縁者か。しかし、それならば尚更、私が知らぬはずがない。いや、今は良い。
「卑劣な裏切りに飽き足らず、アンリエッタ姫に対する不敬。例えどのような時であろうとも、王族に対する作法はあろう」
男の表情は動かない。
「お前は、優秀な男だと聞いている。人望も厚く、ともすれば王座に手も届くだろうという。しかし、王家に対する忠誠心がこの上なく強く、決してそれを良しとしない」
男の手が無造作に動き、発砲音が響く。
カトレアの悲鳴が聞こえる。体の中を焼かれる痛みに気が遠くなるが、倒れるわけにはいかない。
「ふむ、優秀な魔法使いというのは、どうにもしぶといものらしいな」
「……お前は、女王をどうするつもりだ?」
男は、眉をひそめる。
「自らの死を前にしても、不出来な女王を案ずるか。単に、あいつの娘であるというだけで」
発砲音が、聞こえた。
「──忠誠心は認めよう。あいつは、確かによい部下を持ったのだろう」
カトレアの声が、耳元にある。そばにあるはずなのに、遠い。
「こんなことをして、何をするつもりですか! アルブレヒト王!」
「面白い娘だ。美しく、賢い。いいや、賢いのとは違うな。本当に、惜しい。本当に、残念だ」
二つの月は、霞がかかったようにぼやけている。
自分の体を見下ろすと、服もボロ布みたいだし、血の固まり始めた傷だらけ。瓦礫の山から抜け出す時に、こうなったんだと思う。意識すると、今更になって痛む。
でも、生きている。船が落ちる時、ビダーシャルが私だけでもと守ってくれた。ビダーシャルのおかげで、私は生きている。ビダーシャルは、私の目の前で死んじゃった。
「──私だけじゃ、だめだよ」
1人じゃだめだよ。私1人だけじゃ、だめだよ。まだあなたとも結婚もできていないし、子供もいない、幸せな家庭だって。私が欲しかったものは、なに一つ持っていない。
発砲音が、聞こえた。
「──まったく、エルフの魔法というのは大したものだな。まさか生き残りがいるなどとは思わなかった。これだから気が抜けない」
ごめんなさい。せっかく、せっかくあなたが守ってくれたのに。
「エルフですら生き残りがいたとなると、やはりアレももう一度確認しなくては」
「しかし、地形すら変わっているとなると、場所もはっきりしない」
「だが、必要なことだ。見張りとしておく必要もあるだろう」
「当てのない見張りとなると、貧乏くじだな」
今はまだ楽しい夢を見ているエレオノール様、マチルダ様、ルイズ様、そして、テファ様。でも、いずれ、夢から覚める。そして、全てを知る。
絶対に安全だったはずのこの学院も、いつかは占領される。今はまだティターニア様の守り力が残っているけれど、その当人が亡くなられたからには。裏切ったのは、ゲルマニア。
「ねえ、ウラルちゃん。これからどうしよっか?」
力無く笑う、アイリス。アイリスとイリヤ、いつも一緒にいる銀髪の姉妹は、今は1人だけ。
「……この方達だけでも、逃がせるように努力すべきなんでしょうね」
「でも、あなたは行くつもりでしょう?」
「最後に一つワガママぐらい、良いでしょう」
「うん、そうだよね。だから、私も行きたい。あなたと同じ、恩返し──とは違うね。私達の自己満足だから、勝手な敵討ち。私達がお父さんみたいに思っているのも、勝手だからね。私なんて、単なる偶然であの場所から助け出してくれたことを、勝手に感謝しているだけだから」
「妹は、どうするつもりですか?」
「行くのは、私だけでいいの。だって、最期ぐらい姉らしいことをしたいじゃない?」
体が重い。
自分の体の中に、アルブレヒトのものが残っているような感触。最悪の気分だ。
鏡に囲まれた急拵えの玉座、全てを把握できるそこがこいつの定位置か。私を迎えるにやけた顔が、癪に触る。
「──やあ、気分はどうかね?」
「最悪だよ。紳士的な振る舞いとは、口だけか?」
にやけた顔のまま、手で顔を覆う。
「それに関しては耳が痛いな。素直に謝罪しよう。いや、破瓜の痛みにも決して目を逸らさぬ君がいじらしくてね。しかし、君は最高の女王たらん素質があるな。実のところ、少しばかり心配していたんだよ」
自殺するとでも思っていたか? 自死など選ぶぐらいなら、お前の首でも食い千切ってやる。だが、そんなことはどうでも良い。
「──タバサは?」
「君は誤解されがちだが、慈愛にも満ち溢れている。素晴らしいね。なに、心配はいらない。監視こそつけさせてもらっているが、命に別状は無い。大人しくしていれば、問題にはならないさ」
私の表情の変化を、一々楽しげに見ているアルブレヒト。
「随分と余裕じゃないか。昨夜だって、襲撃があっただろうに。騒ぎがあったことぐらいは、私でも分かった」
「ああ、あれか。なに、想定の範囲内だ。大した問題では無い。闇夜に紛れての襲撃など、まず第一に想定してしかるべきだろう?」
「……当然、だな。あとは、時間の問題か」
「そうだな。あとは学院の制圧さえ終われば、引き上げの準備を始めるつもりだ」
学院には、あいつの女達がいたはず。それで、最後か。
ゲルマニアは、戦力の損耗がほとんど無い。本国にもまだ残しているだろう。ガリアは、私を含めてこいつのものに。そういう意味では、トリステインもそうだ。加えて、アルビオンのおまけ付き。ロマリアは、肝心の要が消滅。勝手に瓦解するだろう。エルフも、主力が消滅した。
「……まったく、呆れるばかりの完全勝利だな。あとは、足元をすくわれないよう、注意することだな。そんなことになっては、せっかくの勝利も台無しだ」
私の嫌味にも、自信に満ちた表情は一切陰らない。
「言っただろう? その心配は無いと。私は、答えを見つけたんだよ。一にして全、全にして一といったところか。ああ、分からないといった顔だな。なに、それは当然だ。私自身、体得して初めて真に理解できたのだからな」
落ちる──落ちていく
ゆっくりと、どこまでも
何もかも、遠くへ
「──そろそろ起きて欲しいな」
見下ろす、少年の顔。知っている。
「そんなに身構えなくても良いじゃないか」
飛び起きた俺に、困ったように涼やかな眉根を寄せる。
金髪の子供。少女のように整った顔立ちに、煌びやかな舞踏会に参席できる正装。遠く、砂礫だらけの地面が広がる何もない世界に、場違いなその姿。
知っている。姿だけは子供を装ってはいても、根本的に違うもの。
「やあ、直接相対するのは久方ぶりだ。シキ、こうして君と話せるのはとても嬉しいよ」
「お前は……」
俺を、人から別のものへと作り変えた張本人。戯れにマガタマを植え付け、そして、俺を試した。幾度も顔を見せるが、目的は分からなかった。
「──ああ、そうだ」
見かけだけは無邪気に笑う。
「直接名乗ったことは無かったね。僕のことはルシファーとでも何でも、好きなように呼んでくれれば良いよ」
名前などは、今更。もっと重要なことがある。
「お前は、何をした? 俺は、死んだはずだ」
覚えている。俺は、カグツチに喰われた。喰われたはずだ。
「君は自らを過小評価し過ぎだよ。もちろん、可愛らしい妖精の献身あってこそではあるけれどね。ただ、自らの命を捧げても構わない忠誠を得たというのは、それも実力のうちさ。で、君の疑問に答えるなら、”子”の危機に駆けつけるのは”親”としての勤めといった所かな?」
「──何を言う。全ては、お前の思惑通りだろうに」
重なる、非難の声。
「……ブリミル。お前も、生きていたのか」
ゆっくりと歩いてくる男。
髑髏のような面貌に、感情は伺えない。しかし、ルシファーと名乗ったものへと向ける視線は剣呑。
ブリミルは、こちらを一瞥する。
「お前と同じだ。カグツチに喰われた。しかし、生かされた。大方、カグツチに細工をしていたんだろう」
ルシファーは、肩をすくめてみせる。
「細工というほどじゃあないさ。あのカグツチの誕生の場には、僕も立ち会っていた。カグツチは必ず創世の中心になるからね。それを見守れるようにという、瑣末なものだよ。カグツチをどうこうできるというものでもない。──ああ、それを言えばシキ。そもそも君と出会ったのも、それが理由ということになるね」
ブリミルが、鼻で笑う。
「お前にとっては瑣末なものかもしれない。だが、意志を喪失したカグツチならば別だろう」
毒づかれても、ルシファーは微笑んで見せる。
「──それこそ、偶然。偶然に、偶然が重なった結果さ。しかし、ブリミル。僕は君に不利益になるようなことをした事があったかな? 君に提示した選択だって、決して悪い話では無かったと思うな。僕は、君と良い関係を築きたいと思っているんだから」
「……分かっている。あとは人修羅、お前次第だ」
ブリミルはこちら向き直り、そして、ルシファーの傍へ。一歩遅れて立つ。
ルシファーと名乗った者は、満足気に微笑む。
「僕は、君にも提案したい。もちろん、提案だから無理強いなんてしない。それは約束する。断るというのなら、残念だけれどね」
崩れぬ笑みは、断ることなどないという確信。
「まずは、聞いて欲しい。大方の予想はついているかもしれないけれど、あの世界は言ってみれば失敗作なんだ。世界の寿命が尽きているというのに、無理に形を保っていたに過ぎない。ブリミルはそれをなんとかしようとしていたんだけれど、失敗した。そして、二度目の失敗は致命的だ」
ブリミルは、否定しない。
「無理に無理を重ねていた所に、歪なカグツチを呼び出した。あの世界はそもそもが壊れかけ。もう、いくらも経たずに崩壊する。あのカグツチが無ければ、ブリミルは自らが新たな世界の核となるつもりだった。けれど、もはやそれだけの力は残っていない。そしてシキ、君の力は随一だ。でも、それ以外は別だ。だから、僕が手を貸そう。僕ならば、既に壊れた世界を延命させられる」
ルシファーは、うっすらと口元を歪める。
「なにより、君の愛する人達にも幸福な未来を与えられる。あの世界の勝者の手にかかろうとしている彼女らにもね」
「──対価に、何を求める?」
花開くような微笑み。
「来るべき戦いの時に、君の力を貸して欲しい。あの傲慢なる神との戦いにね。ブリミルは受け入れてくれた。そこに君が加われば盤石だ。しかし、迷う必要はないだろう? 君にとって本当に大切なものはなんだい?」
大切なものなど、決まっている。
俺は、愛する人を守ると誓った。それなのに、願いを裏切って惨めに負けた。それが挽回できるのなら、全てを投げ打っても余りある。
「──了解した」
ルシファーは、満足気に頷く。
「嬉しいよ、親愛なる友。では、あの世界に帰ろう。少しばかりおいたが過ぎた彼には、身の程というものを教えてあげようじゃないか」
最終の第50話は、原作復活の2月25日を目標に。