それと、次の短編はできるだけ早めに。温泉の話か、カトレアを主役にした話とかでも……
こうあって欲しい、そうであればどんなに幸せだろうと思う生活がある。たぶん、人によって全然違うもの。美味しいものを食べたり、好きな人と一緒にいたり。
私は、贅沢な暮らしはいらない。
半分はエルフの私にとっては、皆が仲良く、それこそ、人かそうでないか関係無く過ごせれば、それだけで十分。
私のもとに戻ってきた、古びたオルゴール。
人の記憶を奪う忘却の魔法をくれたように、今度は幸せな夢を見せてくれる魔法をくれた。
夢の中で見たそれは、とても素晴らしいものだった。私は、涙を流すほど幸せだった。
でも、だからこそ、夢から覚めた時の悲しさは──
ルシードを中心に、子供達は集まる。
すっかり皆のお兄ちゃんになったルシード。いつも子供達の真ん中で、皆を引っ張っている。強くなる為、体も毎日鍛えている。雰囲気だって逞しくなって、どんどん男の人になっていく。
ルシードが強くなりたいのは、きっと私を守る為。
私は馬鹿だ。
私が中途半端に記憶を消してしまったせいで、ルシードを縛ってしまった。ルシード自身も分からないまま、ずっともがいている。
私は最低だ。
そんなことをしておいて、ルシードの気持ちを嬉しいと思ってしまう。私の為に、私なんかの為に。
サラサは──そんなルシードに懐いている。
他の子にはなかなか近づけないのに、ルシードだけは別。今だって、後ろにくっついている。ルシードへの視線は、他の人に向けるものとは違う。
きっと、私が一人ぼっちになった時に姉さんに向けていたものと同じ。私にはこの人しかいない、この人に見捨てられたら本当に一人になっちゃうって。子供だから、頭で理解しているわけじゃないのにそう思う。
私は姉さんに、サラサはルシードに。
本当は、私が向けていたものとは少しだけ違うものも入っているのかもしれない。昔ならきっと分からなかった。けれど、今の私には分かる。助けてくれる、頼りになる人に惹かれてしまうということも……
「──テファお姉ちゃん?」
薄い紫色の髪、目の前にルシードがいた。鳶色の瞳が心配そうに私のことを覗き込んでいる。いつの間にか、私と身長もそう変わらないぐらいに大きくなった。
「あ、ごめんね。ちょっと考え事をしていたから。どうしたの?」
「何かっていうわけじゃないけれど……。なんとなく、テファお姉ちゃんが辛そうな顔だったから」
「心配、かけちゃったね。ごめんね、大丈夫だから」
心配してくれるルシードに、私は謝ることしかできない。一緒にいるサラサも心配そうに私を見ている。
「本当に、ごめんね。そうだ、サラサちゃん、お母さんの調子はどう?」
サラサが嬉しそうにはにかむ。
「ようやく、一人で食べられるようになったよ」
「そっか、じゃあ、またお見舞いに行っても良いかな?」
「うん、テファお姉ちゃんが来てくれたら、お母さんも喜ぶから」
サラサはルシードと同じように、私のことをお姉ちゃんと呼んでくれる。私にとっても、妹のよう。まるで、昔の私を見ているみたいで。
部屋に入るなり、サラサはベッドに駆け寄った。そして、ベッドの女性からは申し訳なさそうに会釈された。
ルシードの話だと痛々しい傷で真っ赤だったという背中の羽も、今では真っ白。すぐにでも飛びたてそう。サラサのお母さんのアリサさん、前に来た時よりもずっと顔色が良くて安心した。
サラサと同じ鳶色の髪をかきあげ、後ろで丸くひとまとめに。髪と同じ色の瞳は優しげにサラサを見ている。お母さんって、きっとこんな人なんだろうな、こんな風になりたいなと思う女性。
「良かった、本当に元気そうで。これでサラサちゃんも安心できますね」
私の言葉に、アリサさんがふわりと微笑む。
「お陰様で。あの時ルシード君に見つけてもらえなければ、もしルシード君でなければ……。本当に感謝しています」
ルシードはどこか照れ臭そうに頬をかいている。そして、サラサはそんなルシードを愛おしげに見ている。
「ルシードは、頼りになる子ですから。もし、何か必要なものがあれば遠慮なく言って下さいね。どんな風に暮らしていたのか、私達には分からないので」
「ありがとうございます。でも、こうして体を休められる場所と、美味しい食事をいただけるだけで十分過ぎるぐらいです。むしろ、今まで食べていたものよりずっと美味しくて。食べたものが美味しかったって、毎回教えてくれるものね、サラサ?」
サラサは恥ずかしげに頬を染めるけれど、素直に頷く。
「だって、美味しいから……」
そんなサラサに、ルシードが少しだけ意地悪を言う。
「そういえば、サラサ。初めて甘いものを食べた時には食べ過ぎて動けなくなって……」
サラサはさっき以上に真っ赤。
「ル、ルシードの意地悪!」
いつもは引っ込み事案なサラサが、ルシードの口を塞ごうと飛び上がる。じゃれ合うような2人は本当に可愛らしい。サラサも、何だかんだで楽しそうなルシードも。
ふと、アリサさんと目が合う。
悲しげな表情は一瞬、いつもの優しげな微笑みを浮かべる。そして、アリサさんが二人にやんわりと注意する。
「元気そうね、二人とも。でも、遊ぶのならもっと広いところで遊んで来なさいな」
サラサは素直に、今度はルシードが恥ずかしそうに返事をする。私もつい、笑ってしまう。
「ふふ、そうね。せっかく良い天気だもの、二人で遊んできたらいいわ。私は少し、アリサさんと話すことがあるから」
「そうなの?」
ルシードはどこか訝しげ。
「うん、男の子の前だと、ちょっと話せないことかな」
そう言うと、ルシードは黙ってサラサの手を引いて出て行った。顔が赤かったのは、気のせいじゃないかもしれない。
慌ただしく扉が閉まり、ルシードとサラサが駆けていく。
きっと、サラサは意味も分からず引っ張られて目を白黒させている。ルシードはやっぱり男の人になったんだなぁと思う。子供と大人の真ん中で大変だ。
「……二人とも、仲が良いですね」
そんな余韻から、アリサさんの悲しげな声で引き戻される。
アリサさんは続ける。
「サラサはもともと引っ込み思案だったのに、すっかりルシード君に懐いています」
「そうですね。年も近いし、惹かれることになったって仕方ないのかもしれません。ルシードは毎日頑張っていて、ずっと見てきた私にとっても頼りになるし、強くなりました」
「良く、分かります。本当、サラサがあんな表情を見せるのなんて、初めてですよ」
寂しげに言って、それきり、言葉がなくなる。
だから、私が本題を切り出す。親として、親代わりとしてとても酷いこと。仲の良い二人が知ったら嫌われて、恨まれても仕方がないこと。
「もし、もしも子供ができたら、人と翼人のハーフになりますね」
アリサさんは、深く、深く嘆くように息を吐く。でも、私は言わなければいけない。アリサさんも分かっている。
「私は、エルフとのハーフです。辛いことも、沢山ありました。翼人は、もし、二人の子供が生まれたら、受け入れられるでしょうか?」
「……難しい、いいえ、不可能だと思います。元から難しかったのに、何人も仲間が死にました」
「そう、ですよね。やっぱり、そうですよね」
分かってはいたこと。私も、アリサさんも分かっていること。
アリサさんは言う。
「私、私達──動けるようになったらここを出て行くつもりです。かけがえがなくなってからだと、尚更に辛いですから」
「……そうですね。大切な人に会えなくなるのは、本当に辛いことです」
沈黙と、深い嘆き。
そうしてようやく、アリサさんが呟いた。
「私、酷い親、ですよね」
誰にともなく、まるで、自分を責めるように。アリサさんはうつむき、震えていた。
気持ちは、痛いほどに分かる。
私もアリサさんと同じことを考えて、それでも悩んでいた。でも、ハーフに生まれることがどういうことか、私はよく分かっているから。どこにも居場所がない、それがどういうことか分かっているから。
「行く場所は、あるんですか?」
「……心当たりだけは。集落が襲われる前、聞いたことだけはあったんです。いくつも亜人の集落が襲われていて、まとまろうという話があるって。いざ目の当たりにするまでは誰も信じていなかったんですけれど」
「でも、同じ種族でもバラバラに暮らしていたはずですよね?」
「そうですね。エルフぐらいじゃないでしょうか、国としてまとめ上げているのは。皮肉ですよね。人のせいで、まとまれるかもしれないなんて」
「人に対する憎しみ、ですか……。でも、それは……」
「ええ、とても、悲しいことだと思います。集まったとしても、何ともならないかもしれません。それでも、私達にも居場所が必要なんです。それを、守らないといけないんです」
アリサさんの表情は険しい。でも、迷いは見えない。
迷っているのは、むしろ私の方。
古びた扉をノックする。
建物の中は散らかっているのか、ガサガサと何かを掻き分けるような音が近付いてくる。開いた扉からは、何とも言えない薬品の匂い。
そして、私にとってお父さんぐらいの年齢の、眼鏡の優しそうな顔。年齢にしては髪が薄いのかもしれないけれど、かえって愛嬌がある。ただ、今は不思議そうに首を傾げている。
「コルベールさん、忙しいところごめんなさい。今、大丈夫ですか?」
「ああ、それは構わないよ。テファ君ならいつでも歓迎だとも。ただ、今日はルシード君は来ていないんだが……」
「ええ、知っています。今日は、コルベールさんに聞いてみたいことがあって」
「うん? 私に答えられることであれば良いのだが……。まあ、外で話すのも何だ。遠慮なく入ってくれ。いつもながら散らかっているがね」
困ったように笑うその様子は、どこか純粋な子供のよう。
コルベールさんの前に、紅茶のカップを置いた。
「砂糖はいらないんですよね?」
「ああ、うん。いや、ありがとう」
私が尋ねると、コルベールさんは困った顔、今度は本当に苦いものでも食べたような顔。
「お口に合えば良いんですれけれど」
私もカップを置いて座る。ちょうど、コルベールさんと向かい合うように。
「私が淹れるよりずっと美味しいと思うよ。ただ、客人に淹れてもらうというのはなんともね。いや、まあ、せっかくなら美味しい方が良いに決まっているね。それで、私に聞きたいこととはなんだね?」
「ええ、虚無ってどんなものかご存知ですか?」
「うん? それはまあ、人並みには。誰でも──といえば語弊があるが、メイジを名乗る者であれば知らない者はいないだろうね。偉大なる祖先である始祖が用い、この世界をまとめあげた力。今では失われた、地、水、火、風とも違う、5つめの属性。それぞれの王家は始祖の血を引き、それこそが正統なる後継者である根拠となっている。ああ、こうやって説明しようとすると、具体的には言葉にできないな。どんなものか分からないのだから。しかし、それがどうかしたのかね? 聞くなら私より……」
急に言い淀むコルベールさんに、私は続ける。
「シキさんに聞いた方が良い、ですか?」
「ああ、いや……。何と言えば良いか、彼なら、大抵のことを知っているんじゃないかと、ね」
「そうですね。そうします。困らせるようなことを言ってごめんなさい」
「困るわけじゃないが……。急にどうしたんだね?」
「ちょっと、気になることがあって。──この指輪のことを知っているコルベールさんなら、色々と知っているじゃないかなって」
左手を持ち上げ、見せる。透明な石が輝く、貰い受けたあの指輪を。それを見たコルベールさんが気の毒になるぐらい狼狽した指輪を。
今だって、驚き、そして、後悔する罪人のような表情。まるで、人を殺したあの日の私のような酷い表情。
コルベールさんは目を伏せ、縋るように口にする。
「……聞いても、良いかね?」
「私に答えられることなら」
「君は、どこでその指輪を?」
「とある人から、譲り受けました。これは、私が持つべきものだって」
ああ、とコルベールさんは吐息を漏らす。深く、深く、まるで嘆くように。
「そう、か……。運命なんて言葉、口にはしたくないが。これを運命と呼ばずに、何をか」
コルベールさんは、運命と何度も繰り返し呟く。
そして、不意に立ち上がると、奥の机へと向かった。背中で隠れて見えないけれど、しばらく迷ったように机の前で立ちすくみ、そうしてようやく戻ってきた。
手には小箱。
コトリと私の前に置き、開いた。中には、飾り気のない、赤い石の指輪。ちょうど、私が持っているものと色が違うだけ。
「始祖の、火のルビーですね。私の風のルビーとそっくり」
「……そうか。君は、これが何かも知っているんだね?」
「指輪と、一緒に受け取ったオルゴールが教えてくれたんです。これは始祖が分けた魂の欠片だって。ぼんやりとしか教えてくれないんですけれどね」
「……そうか。ならば君も、虚無の担い手ということか」
「ええ、そうみたいです。実感は、ないですけれど。虚無の後継者、もう一人はルイズさんですよね? ──あ、大丈夫です。私が勝手にそう思っているだけなので。コルベールさんを困らせたいわけじゃないから、自分で話します」
「運命、そんな言葉は好きではないのだが、そうとしか思えない。私が託されたこの指輪、君が持っていて欲しい。私は、君に託すべきなんだろう。ただ、一つだけお願いがある」
「私にできることなら」
「大したことではないんだ。ただ、少しだけ話を聞いて欲しい。君には関係のない、詰まらないもので申し訳ないが、昔話を聞いて欲しい。とある愚かな男の話だ。本当に愚かな男だよ」
コルベールさんは戸惑い、言い淀み、ようやく、ポツポツと語り始める。
ダングルテールという、少しだけ他とは毛色の違う地方。
かつてアルビオンからトリステインに移住してきた人々が開いたという、海に面した小さな村が集まるだけの辺鄙な場所。少しばかり独立独歩の気風はあったが、良くも悪くも上手くやっていた。世俗に染まったブリミル教を正しい姿に戻すべしという実践教義運動、少々過激なそれを取り入れても、弾圧をうまくかわしてすらいた。
しかし、20年ほど前にあっけなく終わった。地図から消えるという最悪の形で。
ロマリアの宗教庁が新教徒として厳しく弾圧する人物を匿い、それが為に滅びた、正確には滅ぼされた。とある愚かな男が国の命令に従い、伝染病の撲滅の為にと全てを焼いた。
愚かな男が真実を知ったのは全てが終わった後。真実は単なる新教徒の弾圧であり、そして、その協力から得られる賄賂の為であったと。
愚か者は悔いるが、灰になったものは、もう戻らない。そして、恥知らずにも教師などということをしている。せめてもの罪滅ぼしをと足掻いてはいるが、結局何も成せずに20年が過ぎた。
──血を吐くような言葉。
語り終えたコルベールさんは、一気に老け込んだように見えた。それだけの思いを込めて告白した。
私は、応えるべき。
だから、人前では決して取らなかったイヤリングをはずす。コルベールさんの目に映っただろう尖った耳と、そして驚いた表情。でも、卑怯なことはしたくないから。
「──私も昔話を。ううん、ほんの最近の話しですね。とあるエルフの、人とエルフの間に生まれた者の話」
私は、語る。
とあるハーフエルフが家族を亡くして、どうやって生きてきて、人を殺して、そして、何を考えているのか。ちっぽけな小娘が、どれだけ大層なことを考えているのか。
随分と長く語ったような、それとも、ほんの一瞬だったような。
そして、目の前の男の人は、話が終わっても、ただじっと私を見ていた。哀れむように、そして、どうしてか眩しいものを見るように。
「──君は、本気なのか?」
「もちろん、そうですよ。冗談でこんなことは言いませんし、エルフであることを明かしたりなんかしません」
「すまない、変なことを言ってしまって。そうか、君が聞きたかったことというのは……。確かに、君にはその資格がある。君にしか、できないことだ。やはり私は、君にその指輪を託す為にここにいたのだ」
私は、姉さんとシキさんを呼び出した。とても大切な話があるから、どうしても話したいことがあるから、と。
姉さんは、どこか落ち着かない様子。いつもな気丈で頼れる姉さんが、まるで怯えるよう。
私は不出来な妹だ。
せっかく姉さんが守ってくれてきたのに、血のつながりなんてない、むしろ敵のような私を守ってくれた姉さんの想いを台無しにする。それが分かっていながら諦められないなんて、本当の恩知らず。
罵倒されても、ぶたれても仕方ない。
シキさんは、姉さんとは逆。きっと、私が何を言っても動じないで受け入れてくれる。
たぶんだけれど、私が何を考えているのか知っている。お願いすれば、きっと助けてくれる。私がやりたいこと、それにはシキさんの助けがなければ実現できない。私には何を返せるものがない。でも、縋るしかない。
「──私、声を聞いたんです。私が虚無を継ぐものだって。そして、虚無を継ぐことの意味と、私が本当にやりたいことが分かったんです」
姉さんは、ただ嘆き、私を止めようとする。
でも、シキさんが押しとどめる。姉さんらしくない言葉も、シキさんはただ受け止める。
私は、姉さんが止めたかった言葉を口にする、口にしてしまう。
「──私は、国が欲しい。亜人だからって差別されない国を作りたいんです」