混沌の使い魔   作:Freccia

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 ーーパラリ、パラリと紙を手繰る音。

 読み進めるというにはいささか早いように思えても、いつもそんな調子、本人にとってはそれで問題ないらしい。

 ふと、音が止んだ。

 見れば、エレオノールが優しげに微笑んでいる。





第28話 The Beginning of the End

 

「孤児院の件、ようやく工事が始められますよ。ほら、見て下さい」

 

 エレオノールの肩越しにのぞき込む。むろん、読めはしないが。そんな様子に気づいたのか、エレオノールがクスリと笑い、俺の手を取り、手紙をなぞる。

 

「ほら、ここから。国からの裁可と、関連法案の草案ですね。最初の資金に関しては家からの持ち出しにならざるを得ないですが、将来的には国が責任を持つことになります。建物などは既存のものの改修で十分ですし、あと数ヶ月もすればそれなりの形になりますよ。アルビオンの孤児についても、そこで受け入れられそうです」

 

「良かった。これで、テファもようやく安心できるな。テファだって、自分の好きなことができるようになる」

 

「ええ。ルイズとそう歳が変わらないんだから、学校に通っていたっていいぐらいですからね。ところで……」

 

 不意に、エレオノールの手に力がこもる。まるで逃がさないとばかりに、いつの間にか両手が添えられている。

 

「いつ、行きましょうか?」

 

 エレオノールは変わらず微笑んでいる。

 

「……どこへ?」

 

「もう、分かっているんでしょう? 私の実家にですよ。手紙だけのやりとりで資金を出すというのもおかしな話ですから、やっぱり一度は顔を出さないと。それに、シキさんもお父様も、姫様の結婚式の時に言っていたでしょう? また、日を改めてって」

 

「……言った、ような気はしなくもない、な」

 

「はい、言いました。じゃあ、色々と準備もありますから……。そうですね、来月最初の虚無の曜日にでも行きましょう。あ、準備は全部私の方でやっておくので、シキさんは何もしなくてもいいですよ。ただ……」

 

 エレオノールは笑う。まるで、ずっと準備してきたいたずらがうまくいった子供のように。

 

「逃げないで下さいね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紙面にはびっしりと、几帳面な文字が書かれている。

 

 これは書いた人間の性格からだろう。そして、以前に比べればどこか丸みを持った文字であることが、その変化もまた表しているのかもしれない。それは良い傾向で、素直に嬉しい。そしてまた、書かれた内容についても。

 

「ーー孤児院の件はうまく進んでいる、か」

 

 エレオノールからの、孤児院設立のことを報告する手紙。

 

 学者というものは得てして頭が硬くなりがちのものだが、なかなかどうして、我が娘は家名も利用してうまく立ち回ったようだ。資金のことはともかく、それ以外には特に手助けをしたわけでもないというのに、短期間でここまでこぎ着けた。父として嬉しいばかりだ。

 

 国の基礎は人。であるならば、孤児をただそのままにするよりは、人材として使えるようにするというの理にかなったこと。しかし、それだけは回らぬというのが政というものだ。娘の思わぬ成長をこんな所で見れるとは思わなかった。ただ一つ……

 

「アレと一緒に挨拶に来る、か」

 

 何のおかしなこともない。むしろ、当然のこと。だが、アレと会わなければならないかと思うと、一貫して非常識であった方がはるかに有り難い。アレと良い関係を保つ、それは国としても、一貴族としても理に叶ったことではあるが。

 

「見なかったことには……」

 

 不意にノックの音、思わず体が跳ねる。

 

「ーーああ、丁度良かった。あなたも読んだ所だったようですね」

 

 扉から覗くのはカリーヌ。何のおかしなことはない。ただ一つ気になるのは、手元の紙片。今しがた見た手紙と同じだと思しきもの。だが、なぜわざわざカリーヌの手元にも同じものがある。

 

 儂の視線に目を細め、カリーヌが言った。

 

「同じ手紙は私にも届いていますので。ああ、少しだけ違いますね。エレオノールから一言、公爵には必ず同席して欲しいとのことが書かれていました。もしかしたら出ないと言われるかもしれないと心配だったようですね」

 

 カリーヌが微笑み、緩やかに首を傾ける。

 

「逃げるなどという恥知らずな真似、まさか公爵ともあろうものがするはずないでしょうにね?」

 

「……もちろんだとも。そんなこと、あるはずがないだろう」

 

「ふふ、そうですね。もしそんなことがあれば、私は恥ずかしく死んでしまいます。まあ、その時はあなたも一緒ですけれどね」

 

「当たり前……だろう」

 

 背中を汗が伝う。カリーヌは、冗談を言うことはない。やるといったらやる。

 

「そうですね。では、準備は私の方でやりますので、ご心配なく」

 

 それではとカリーヌが去っていく。

 

 天を仰ぐ。

 

 エレオノールも、うまく立ち回れるようになったものだ。本当に、それ以上いらんという程に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーールイズ、お父様から手紙が来ていたわよ?」

 

 掲げたエレオノール姉様の手に、ひらひらと揺れる紙片。

 

「……はあ。お父様からというのは珍しいですね?」

 

 普段はお母様からで、時折、その中にお父様からの言葉が入っていることがあるぐらい。思わず首をひねる。

 

 お姉様が言う。

 

「まあ、内容はだいたい分かるわ。私とシキさんの様子でも聞きたいんでしょう。とりあえず、へたれとでも返しておきなさいな。シキさんについても、ーーお父様についてもね」

 

 それだけ言うと、お姉様は立ち去る。

 

「また何かやるつもり、なのかな? それにしても、シキはともかく、お父様も?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車輪が何かを踏む度にゴトゴトと揺れる馬車。

 

 町と学院の間の道は舗装したが、それでも馬車は揺れるものらしい。時間の短縮はできたが、もう一工夫必要かもしれない。通うとなるとテファも辛いだろう。

 

 ーーまあ、それは時間がある時にでも考えればいい。今はもっと別のこと。

 

「……エレオノール」

 

「何ですか?」

 

 上機嫌な返事。まるで、鼻歌でも歌うように。

 

「実家に行く準備をするというのは分かるんだが、また服を仕立てる必要はあるのか? この前の結婚式の時にも一つ、仕立てたじゃないか」

 

 貴族とはそういうものなのかもしれないが、その感覚は今一つ理解できない。

 

「そういうものなんですから、気にしないで下さい。採寸と、あとは一緒に来てくれれば大丈夫です。ほら、もうすぐ着きますから。ーーふふ、これもデートですよね。せっかくですから夕食も食べて帰りましょうね。うーん、どこがいいかなぁ……」

 

 エレオノールの口からは聞き覚えのある店の名が出てくる。中には屋台の料理の名も。

 

「そう、だな」

 

 ーーどうする。

 

 エレオノールの実家に行ったらどうすれば良い。ここは娘さんを下さいと言うべきなのか……。

 

 エレオノールはそれを期待しているんだろうが、俺が父親なら、まず二股をどうにかしろと言う。いや、もう母親には言ったーー言ってしまったんだが。誠意を見せるにも、どうすれば良い……。手遅れとしか思えないんだが……

 

「シキさん、聞いてます? 頭を抱えてないでシャンとしていて下さい」

 

「……分かった」

 

 

 

 

 

 いくつかの店を周り、エレオノール曰く、もっとも上等だという店で仕立てることになった。どんなものになるのかはよく分からない。ただ、エレオノールが自身の為に仕立てを頼んだのはドレスだと分かった。多分、ダンス用のものだと思うが、なぜそんなものが必要なのかよく分からない。それから先はエレオノールに促されるまま、王室御用達だかの店を回った。何を買っていたのかはあまり覚えていない。

 

 俺も、何かお礼の品を準備すべきだろうか……。しかし、喜ばれるものは何だ? 金貨や宝石は違う。逆に礼儀知らずになるように思う。何か、喜ばれるものを……。誤魔化すわけではなくて、ただ純粋に礼として。

 

 たっぷりと買い物をして食事もとなったが、味がよく分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーああ、シエスタ。丁度良いところに」

 

 朗らかに笑う、エレオノール様。どこか楽しそうに手招きされる。

 

 ーー良かった、今日は機嫌が良さそうだ。

 

 それは私にとっても嬉しいこと。割と変態魔人次第なところがあるので、そこは感謝しても良い。なんなら変態魔王と呼んでもいいぐらい。

 

「何かご用でしょうか?」

 

「ええ、お茶の準備をお願いしたいの。私の部屋に三人分」

 

「かしこまりました。茶菓子は如何致しましょう?」

 

「そうね。あまり甘すぎないものがいいかしら? あなたのことは信用しているし、任せるわ。じゃあ、よろしくね」

 

 エレオノール様は部屋へと戻っていく。微かに鼻歌も聞こえる。本当に機嫌が良さそうだ。

 

 

 

 

 

 

 蒸らし終わった紅茶を、予め温めておいたカップに注ぐ。

 

 まずはエレオノール様の分。そして、同席されていたウリエル様の分。優しく微笑まれて、知らず頬が熱くなる。

 

 ウリエル様は女性と見紛うほど美しい顔立ちだけでなく、とても紳士な方。当然、メイド仲間の中でも人気が高い。そして、持っている空気が違うというのだろうか、そばにいるだけでどこか心が休まる、そんな方。きっと、とても偉い司祭様なんだと思う。変態魔人と一緒にいる所をたまに見かけるけれど、アレにもぜひ見習って欲しいものだ。

 

 部屋がノックされる。出迎えると、ロングビル様だった。

 

「あら?」

 

 ふわりと微笑む。

 

「あなたが給仕に来ていたのね。じゃあ、私の分の紅茶もお願いできるかしら?」

 

 知的だけれどどこか冷たい、そんな風に思っていた。

 

 けれど、今は全く逆の印象。貴族ではないということが理由の一つかもしれないけれど、私達にも分け隔てのない、優しい方。メイドの中にもあんな大人の女性になりたいという言う声がある。

 

 人気といった意味ではエレオノール様も同様。確かに怖いところはあるけれど、仕えるのなら尊敬できるエレオノール様のような方が良い。それには素直に皆がうなずく。

 

 そして、そんなお二人に堂々と二股をかけている変態魔人はありえない、それにも皆がうなずく。変態的な行為を強いているという話も聞くし、本当にありえない。一度死んだら良いと思う。

 

 

 

 

 

 部屋の片隅、邪魔にならないように控える。

 

 話の雰囲気はとても和やか。内容を話すには少しばかり憚りがあるようなものだけれど、それは私がどうこう言うべきものではない。私はこの部屋にはいないもの、だからこそ同席できるのだから。求められるのは給仕のみ、それ以上でもそれ以下でもない。

 

「ーーああ、そうだ」

 

 エレオノール様の良いことを思いついたという弾んだ声。どうしてだが私に向けられているようだった。

 

「シエスタ、あなたにお願いしたいことがあるんだけれど、いいかしら?」

 

「私にできることでしたら、喜んで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、ウリエル。少し、相談したいことがあるんだが……」

 

 そう、ウリエルに切り出す。

 

 結婚の実経験が合ったという話は聞いたことがない、そういった意味では相応しい相手ではないかもしれない。だが、常識的な判断という意味では十分に期待できると思う。

 

「何でしょう?」

 

 いつものように、穏やかに笑う。

 

「エレオノールの実家に行って、父親に会うことになった。ことによっては、エレオノールとの関係についての話も出てくると思う」

 

 流石に即答はしかねるのか、ウリエルはしばらく沈黙する。

 

「……そろそろ、結婚ということで良いのでは? 幸い、この国では一夫多妻ということもあるようですし。少なくとも、貴族であれば問題ないでしょう。この国の貴族とは違いますが、たとえば別種族の王として、堂々すれば良いのです。このまま長引かせる方が身動きがとれなくなりますよ? 今ならまだこちらが主導権を握れますが、それ以上になると余計な波風というのも出てくるでしょうし」

 

「それはそう、何だが……」

 

「いっそ、マチルダ嬢のことも併せてきちんと整理しましょう。お任せいただければ、横槍が入らないよう、予め周りの整理ぐらいはできますので」

 

「……その方が、いいのか」

 

「では、あとは私にお任せを」

 

 ウリエルに任せておけば、少なくとも悪いようにはならないだろう。

 

 そろそろ、きちんと話はしないといけないと思ってはいる。この世界の婚期というのは早いらしい。エレオノールはもちろん、マチルダも結構な嫁き遅れという括りになるようだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 忙しく立ち回るカリーヌ。

 

 メイド達にもてきぱきと指示を出していく。お陰で、私が口を出すことは何もない。

 

「ーーお母様、動物達も一緒に出たいんだけれど駄目かしら?」

 

「普通ならば認められないけれど……。まあ、あまり格式ばったものでもないですし、問題無いでしょう。ただ、あなたが責任を持つのが条件ですからね」

 

「もちろんです」

 

 最近は体の調子が良いカトレアも楽しそうだ。くるくると変わる表情は、まるでルイズのよう。

 

 以前は部屋にこもって動物とだけ接していた。もちろん、私達がそうさせていたということもあるが、カトレアも自分の体のことをきちんと理解していた。だから、体に負担がかかることは決して行わなかった。だが、今は普通の生活ならば支障はない。

 

 人並みの幸せは難しいと思っていたが、これならば。一代限りの領地を持たせ、せめて静かに暮らせるようにと考えていたが、改めて伴侶を見つけても良いかもしれない。体調さえ落ち着けば、親の贔屓目を抜きにしても聡明で器量良しだ。

 

 そうなると、少し準備が必要か。妙に勘の鋭い子ではあったが、人との関わりがそもそも少なかった。そういった当たり前のことから考えていくのがまずは必要だろう。次に王宮に向かう際には同行を考えても良いかもしれん。良い相手が見つかれば、それでも良い。

 

 何にせよ、良いことだ。私自身、カトレアの当たりまえの幸せというのは諦めていたのだから。

 

 それは良い、良いことなのだが……

 

「ーーなあ、カリーヌ。そこまで張り切って準備をしなくても良いんじゃないか。ただ、孤児院のことで一度会うだけじゃないか」

 

「やる気がないのなら黙っていて下さい。私たちで全部やっておきますから」

 

「ええ、私たちに任せて下さいな」

 

「そ、そうか……」

 

 私が知らぬ間に、様々な準備が整っていた。

 

 いつの間にかダンスパーティーが開かれることになっていた。ただ挨拶に来るだけだというのに、わざわざ東方伝来だという料理を出すことが決まっており、なぜか学院からメイドが一人手伝いに来ていた。

 

 エレオノールからカリーヌに手紙が度々来ていたから、きっとその中にあったのだろう。なぜか王室からの手紙も混ざっていたようだが……

 

「なあ、カリーヌ。何か大きなことになっていないか?」

 

「あら、エレオノールのことは私に任せて下さるんですよね? ーーそれに、早く結婚して欲しいとおっしゃっていたじゃありませんか」

 

「まあ、それはそうなんだが……。いや、いつの間にそういう話になっていたんだ? 今回はただ会うだけだろう?」

 

「エレオノールにとって悪いことにはなりませんから、心配しなくても大丈夫ですよ。ただ、あの子の良き人を迎えるので、それなりの準備をしているだけですから。……あら、カトレア? 厨房に何か用事ですか?」

 

 見れば、いつの間にか厨房の中にいたカトレア。

 

「お母様、私も料理を作ってみたいのだけれど、駄目かしら?」

 

 叱られると思った子供のような、どこか不安げな表情。

 

「そうですね……。できるに越したことはないでしょうから、興味があるのなら。せっかくですから、今からでも練習なさい。それはそれとして今回のこと、段取りを含めてこれからの参考になるよう、よく覚えておきなさい。殿方は最初が肝心ですからね。最初を間違えれば遊び歩くようになるかもしれまんせんが、最初さえきちんとすれば、そんなことはありませんから。男性は誰もが貞操観念を持っているわけではないですからね」

 

「犬の躾と同じですね」

 

 朗らかに笑うカトレア。しかし、いつの間にそのような恐ろしいことを言うように……

 

「ーーおおむねその理解で間違いないでしょう」

 

 カリーヌは、……変わらんか。

 

 そうだな、カトレアも体が弱かっただけでカリーヌの娘であるからな。病弱であっても弱音を吐くことは決してなかった。柔らかい雰囲気を持ちながらも、これと決めたことは曲げなかい。そういった意味では、カリーヌの血をもっとも色濃く引いているのはカトレアなのかもしれない。良くも、悪くも……

 

「エレオノールからの要望は二人きりになれる部屋も準備して欲しいということだったから、それも考えておかないといけませんね」

 

 ああ、エレオノールも、張り切っているのだろうな。どうしてだが、かつてのカリーヌの様子が目の前に浮かぶ……

そうだ、あの時もいつの間にか逃げ道がなくなっていたか……。

 

 先延ばしにしていた儂が悪かった、確かに悪かったのだが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見上げんばかりの石造りの門。そこからのぞく、国主のものよりも立派かとも思える城。そして広がる、地平線が見えてもおかしくないほどの敷地。

 

 エレオノールが準備した馬車は少々立派すぎるのではと思ったが、なるほど。これならばそれなりの格のものでなければ見劣りしてしまう。

 

「ーーやっぱり、国一番の貴族ともなると違いますねぇ」

 

 ただただ関心したという様子のマチルダ。羨むのではなく、本当にすごいと。

 

「まあ、単なる見栄という部分もありますけれどね。ゲルマニアとの国境ということもあって、それなりのものでないと格好がつかないんですよ。それに、最前線となったこともありますし、戦略上の拠点としても重要ですから」

 

 以前にも同じような感想を聞いたことがあるのだろう、淀み無く答えるエレオノール。

 

 ルイズもうなずき、ただ一言。

 

「大きいのはいいんですけれど、毎回の移動が大変で……。ほら、門をくぐってもまだこれからだし」

 

 ルイズが指さした先、城までの道がずっと続いている。門扉の前には、右から左へとずらりと並んだ使用人。だが、まだ指の先ほどの大きさにか見えない。

 

 

 

 

 

 ようやく門までたどり着くと、それからはまさに流れるようにスムーズだった。予め話を通していたというのはあるだろうが、一番大きいのは、使用人達にきちんと教育がなされているからだろう。国を代表する大貴族ともなれば、客層もそれなりのもの。これならば決して恥ずかしくない対応ができるだろう。

 

 そうして通された先にはエレオノールの両親と妹ーールイズにとっては姉ーーが待っていた。

 

 会合はよどみなく進む。

 

 孤児院の件については、カトレアが中心となり、父である公爵に説明する形で進めていく。俺は時折、そこに言葉を混ぜる程度。孤児院はどういったものになるのか、これからどうするのか。そして、協力に対する謝意を述べる。

 

「ーー孤児院については何も問題は無さそうですね」

 

 不意に、それまで沈黙を保っていたエレオノールの母が口を開いた。

 

「ええ、何も問題ありません」

 

 なぜだか母に対して目配せをするエレオノール。母はうなずくと、視線をエレオノール、そして俺に。

 

「ではそろそろ本題、あなた達の婚約についての話に移りましょうか?」

 

 ーーここで、その話になるのか?

 

「なあ、カリーヌ。儂はそんな話は聞いていなかったのだが……」

 

 先ほどまでとは打って変わって随分と弱気のエレオノールの父。

 

「当然でしょう? 言っていませんから」

 

 表情を微かにも変えないエレオノールの母。そして、エレオノール。

 

「付け加えると、シキさんにも言っていませんから」

 

 確かにエレオノールが言う通り、今聞いた。いつのタイミングで話そうかと迷っていたのがバカらしくなるぐらいにあっさりと。

 

「……そうか」

 

 それだけをやっと口にするエレオノールの父。何かを訴えるように妻を見るが、言葉が続かない。

 

 気持ちは、なぜだか分かる。

 

「ヘタレの二人に任せても進まなそうだったので、私たちの方で進めたんですよ。ああ、国にも話は通してあるのでご心配なく」

 

 ーーそうだ、マチルダは。

 

「……あ、私のこともご心配なく。というか、知ってたので。私の方は重婚だからととやかく言うような親戚はいないので大丈夫です。まあ、それもすぐという話じゃなくて、あくまでけじめという話ですよ? だって……」

 

 マチルダの視線がエレオノールへ。そして、エレオノールの手は慈しむように腹へ。

 

「ーー私たちのお腹には」

 

 言葉を引き継ぐマチルダ

 

「ーーシキさんの子供が」

 

 マチルダの手もエレオノールと同じように。

 

「……………………それは、本当か?」

 

 むっと不機嫌そうになるエレオノール。

 

「あら、シキさんの浮気ならともかく、私たちの浮気を疑うんですか? ねえ、マチルダさん?」

 

「ええ、今更心当たりがないとか言ったら流石に怒りますよ」

 

 もちろん心当たりはあるーーありすぎるほどある。だが、今までできたことがなかったのに……

 

「ーーということは、私もようやくおばあちゃんになるのですね。孫をみれるのはもう少し先かと思っていましたが、思ったよりも早かったですね」

 

 もしかして、人間相手ならということなのか? 確かにそういうことなら今までできたことがなかったという理由も分かる。そもそも悪魔が子供を生むなんていう話は聞いたことがなかった。

 

「ーーあらあら、じゃあ、私はおばちゃんになっちゃうのね。うーん、姉さんが羨ましいなぁ」

 

 いや、それはどうでもいいことだ。そんなことより、結婚前に子供を作るなんてことはあって良いことなのか?

日本でもあまり褒められた話じゃない。エレオノールはもちろん、マチルダだって血筋で言えば相当のお嬢様ということになる。例え歳がいっていたとしてもーーそれは関係ない。

 

「ーーまあ、作っちゃったものは仕方ないにしても、責任ぐらいは感じてよね。それと、これ以上節操なくというのは私も恥ずかしいから。実は他にもいたっていうのも嫌だからね。ねえ、聞いているの?」

 

 どうする?

 

 婚約云々という話はともかく、ーーできちゃいました、それはまずい。謝るーーいや、それはそれでおかしい。

 

 とにかく、エレオノールの父親はーー彫像のように無表情。体もぴくりとも動かない。

 

 ーーどうする?

 

 

 

 ふと、くすくすと漏れ聞こえる笑い声。エレオノールとマチルダ、そしてこらえきれないと笑い出す。

 

 からかった、のか? が、余計なことは言えない。言えば、やぶ蛇だ。

 

 エレオノールがマチルダに語りかける。

 

「私としては早くできて欲しいんですけれどね。一応、名前も考えてはいますし。一番上は男の子がいいかな?」

 

「私も、そうですね。頼りになる兄というのも、昔憧れたことがありますし。ーーということで」

 

 くるりと向けられる、二人の視線。そして重なる言葉。

 

「ーー頑張って下さいね」

 

「……善処する」

 

 それだけ言うのが精一杯。

 

「……儂からはもう、とやかく言わん」

 

 ふと、エレオノールの父。

 

「たが、一つだけ助言しておこう。女は強くなる。母になれば尚更にな。まあ、もう手遅れかもしれんが……」

 

 目を細め、遠くを見るように。重く、やけに実感のこもった言葉。

 

 ああ、なるほど。エレオノールの母がそうだったのか。どうしてか、心が通じ合った気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 ーー広々としたホール。見上げる程の天井の高さは、ここが室内であるということをつい忘れそうになるほど。

 

 決して華美すぎるということはないが、柱材一つをとっても、よくよく見ればさりげなく職人が技を競ったのだろう精緻な彫刻が伺える。ここにいるのは使用人を合わせても10人に満たないというのに、随分と豪勢なものだ。まだ日が高いということで酒は控えめだが、ホールの中心のテーブルにも、それに負けない料理の数々が並んでいる。牛一頭を使ったのだろう料理に、これは和食もあるのか?

 

「ーーシキさんはこういうものの方が好きでしょう?」

 

 エレオノールがとっておきを披露するように笑う。

 

「シエスタの実家に伝わっている料理がシキさんの好みに合うようでしたからね。ちょっと手伝ってもらったんですよ。私が作ったのはちょっと失敗だったようですから。あ、あまり変わった食材は使っていないので、心配しないで下さいね?」

 

 その言葉に、料理を注意深く伺っていたマチルダが安心した表情を見せる。あのときは酷い目にあったとため息まで。

 

「ーーシキさん」

 

 見れば、ふわりと笑うエレオノールの妹。確か名は、カトレアといったか。

 

 ルイズと同じ、母親譲りの桃色の髪。柔らかくウエーブを描いたそれは、穏やかな表情と相まって優しい空気を作り出している。良くも悪くも気が強い姉と妹を受け止めて来たんだろう。

 

「こうして話すのは初めてですね。ずっとお礼を言いたかったんですよ」

 

「礼を言われるような覚えはないんだが……」

 

 カトレアの為に何かをしたということは思い当たらない。言葉を交わすのも初めてだと思う。

 

「聞かれてませんか? 毎月姉さんから、シキさんにいただいた薬を参考にしたというものを送ってもらっているんです。姉さんはまだまだだって言うんですけれど、おかげですごく体の調子が良いんです。少し前までは外を散歩するのも日を選ばないといけなかったんですけれど、今は好きなときに外へ出られます。だから姫様の結婚式にも行けたんですよ? そうでなければ遠出なんて夢のまた夢でしたから」

 

 エレオノールが言葉を引き継ぐ。

 

「本当は治療できれば一番なんですけれどね。でも、シキさんのおかげで日常生活には支障がなくなりましたから。今までのことを思えば、それだけでもすごいことなんですよ」

 

 そしてカトレア。

 

「ええ、シキさんのお陰で私の世界は広がりました。あ、シキさんというのは少し他人行儀ですね」

 

 大人になったルイズが浮かべるようないたずらっぽい笑顔。

 

「ふふ、もうお兄さまとでも呼んだ方が良いですか?」

 

「それは少し気が早いというか、そもそもエレオノールの方が年上なんだが……」

 

 ぴしりと表情を凍らせるカトレア。

 

「えっと、何歳なんでしょう?」

 

 ああ、カトレアの歳も……。しかし、今更嘘をつくわけにも。

 

「……20と少し、だな」

 

「……じゃあ、私にとっては弟に、なるんですね」

 

 後ろに回り込んでつねるエレオノールにマチルダ。

 

「シキさん、デリカシーというのはとても大切なものなんですよ?」

 

「ええ、とても大切なことですから」

 

 周りからの視線はどこか遠慮がち。エレオノールの両親にルイズ、そして使用人達も。静かになった室内。お陰で普段であれば聞こえないだろう鳥の羽音が聞こえた。逃げるように窓の外を飛去る鳩が見える。少しだけ羨ましい。

 

 そんな風にして、実家訪問はどうにかこうにか終了。ただ、外堀が全て埋まった、埋まっていただけの話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー随分とまた、楽しそうですね?」

 

「そうですか? ああ、確かにそうかもしれないですね」

 

 自分でも気付いていなかった、ともう一度笑う。そうして教皇の手が窓枠で休んでいる鳩に触れる。ありふれた、どこにでもいる鳩。そう、どこにでもいるもの。あえて違いを挙げるのなら、足下に手紙を運搬するための筒があることぐらい。

 

 教皇が言う。 

 

「ジュリオ、愛情というものは普遍的だと、改めて思ったんですよ。形はどうあれ、彼も、そして私も捨てきるということはできなかった。まあ、それはいいでしょう。私達にとっても、決して悪いことばかりではないのですから。それで、他の国の様子はどうでしたか?」

 

「そうですね、それぞれの国が、それぞれの思惑を持って動き出したようです。まずはガリア、平民に対してという限定はつきますが、無能王とまで言われた彼が評価を上げているようです。魔法が使えないからこそ、自分たちのことを分かるのでは、とね」

 

 教皇は特に驚いた様子は見せない。ただ、そういうこともあるだろうと微かに目を細めたのみ。

 

「無駄に費やしていた税を街道の整備やらに使い始めています。すぐにどうこうということはないでしょうが、事実として資金が様々な場所に投資されています。一部では景気の良い話もでているようですね。他にも子飼いの騎士団を派遣して、山賊やら亜人やらの駆除を積極的に行っているとか。奇行という扱いではありますが、悪い話ではないですからね。概ね良い評価を受けているようです」 

 

「各諸侯の反応は?」

 

「様子見、ですね。彼らは民以上に王の奇行になれています。そもそも、彼らにとっても悪い話ではないですから。下手なことを言って機嫌を損ねるよりはということでしょう。それと、これはまだ噂なのですが……」 

 

「構いません。噂になるということはそれなりの背景があることでしょう」

 

「確かにその通りですね。噂というのが、王女がトリステインに留学するとかで」

 

「ーーそれは」

 

 教皇が初めて驚いた顔を見せた。

 

「ええ、もし事実だとすれば、トリステインの虚無に接触するためでしょうね。それで、どうされますか? もし事実だとすれば、何かしらの不確定要素になりえますが」

 

「……いえ、その必要はありません。恐らく、その噂は真実でしょう。そして、余計な邪魔はするなということでしょうから。ただ、私達も何がしかの『手』は必要でしょうね。目だけでは、後手に回ってしまいますから。……もちろん、難しいのは分かっています。既に失敗していますから」

 

 裏から入るというのは不可能。そういった意味では、噂が真実であればガリアのやろうとしていることは最も確実で、それでいて安全なやり方だと言える。効果については未知数ではあるが、そこにあり続けることができるということには大きな意味がある。

 

「分かりました、他に手段がないか考えてみます」

 

「ええ、難しくても必要なことですので、お願いします。それで、他の国でも何かありますか?」

 

「エルフについては変わりがありません。悪魔とやらを押さえるので精一杯、こちらとしても現状維持というのが都合が良いでしょう」

 

「ええ、それで構いません」

 

「次にゲルマニアですが、こちらは焦りがあるようですね。トリステインの取り込みが難しいということで、以前から進めていた技術への投資を王主導で更に押し進めているようです。まだ大した結果は出ていないようですが、将来的には魔法とは違う力に結びつくかもしれません。何せ、場違いな工芸品という証拠が既にあるのですから」

 

「自分達の首を締めることになるかもしれないということは、きっと分かっているんでしょうね。それでも、優位点を持つにはそれしかない。まあ、お手並み拝見というところでしょうか。これまでの歴史では、皆途中で諦めてしまった道ですが」

 

「それしかないとなれば、仕方がないことでしょう。では次にトリステイン、こちらはアルビオンを取り込もうと躍起になっているようです。いくらトリステインでもそれくらいはできるでしょう。それすらできないというのは心配事の一つでしたが、流石にそれは杞憂だったようです」

 

「それは良かった。……ところで、肝心のアルビオンは? そろそろ彼らにも動き出してもらわないと始まらないのですが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――遠く、天を目指す石造りの塔が見える。その周りに一回り小さい塔が並び、更にそれを、ぐるりと塀が囲む。

馬車がゴトゴトと音をたて、目に映る塔が少しずつ大きくなる。

 

「ほんの数日だというのに、帰ってきたという気がしますね。テファ達も元気にしているかなぁ」

 

 マチルダが言う。

 

 戻る日は既に伝えてある。テファの性格なら既に門で待っているかもしれない。

 

 ーーああ、案の定だ。

 

 門の前でテファが手を振っている。いつものように子供達も一緒に。外に出かけるとマチルダは必ず土産を買って帰る、だからきっと、それが目当てだろう。

 

 子供なら、それぐらいで良い。喜んでくれる、ただそれだけで十分に嬉しいのだから。昔見たテレビで、酔って帰った父親が寿司やらピザやらを買って帰る。決して安くはないそれは酒で気が大きくなったからかと思っていたが、ただ純粋に喜ぶ顔が見たい、きっとそういうことだったんだろう。

 

 

 ただ一つ、予想していなかった顔もある。あれは確か、アルビオンの王子付きの者だった。名は、パリーと言ったか――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――仏頂面で突っ立っているけれど、私と一緒に行くというのはそんなに不満?」

 

「いいや、そんなことはない。君のお陰でトリステインに堂々と入れるのだ。そのことにはとても感謝している。

むしろ、君の方こそどうなのだ?」

 

「私?」

 

「聞けば、トリステインというのはこの国に比べれば二流も良いところなのだろう? そんな国へわざわざ留学するというのは面白くないのではないか?」

 

「――ははっ。そんなことを言うのはあんたぐらいだよ。私は魔法に関しちゃできそこないも良いところ。貴族共にはむしろお似合いだと言われるだろうさ。ああ、別に気を使ってもらわなくても結構。せっかく国を離れるんだ、私も好きにやらせてもらうよ。余計な目がないんだから、むしろ気楽なものさ。エルフのあんたがいれば、少なくともそこらの連中にどうこうされるということもない。食事だって向こうが勝手に気を使ってくれるだろうしね」

 

「努力はしよう。だが、知っての通り、あそこには何が潜んでいるか分からない。期待に答えられるかは、何とも言えない」

 

「あんたも真面目だね。人間、どうしようもないものはある。老いて死んだり、天災で死んだりね。あんたが言うような化け物は、そういう類のものだよ。それで恨むほど狭量じゃあないさ。なに、あんたが言うところの混沌王とやら、なんだかんだ話は通じるんだ。こそこそ私の命を狙うようなやつらに比べれば、それだけましだよ。私は表面だけ取り繕っても裏で何を考えているんだか分からないやつらの方がよっぽど恐ろしいね。だから、さ、話が通じる、私には、それで十分。私にとって損はないんだから、トリステインに行くのもまあ、、あんたらにとってでも役に立つというのらそれでいいさ。私より、あんたこそ一人でそんな場所に行けって言われているんだから、良い迷惑だろう?」

 

「いや、それだけ、ではない」

 

「ん?」

 

「国だけでなく、私個人も感謝している。あそこには、私の家族がいるかもしれない」

 

「――ふうん、そうかい。見つかれば、いいけれどね。そういうことならまあ、多少なりとも協力したっていいさ。何ができるかなんて知らないけれどね」

 

「感謝する」

 

「そういうのは見つかってからでいいよ。で、名前は何て言うんだい? 一応覚えておくよ」

 

「――ルクシャナ。人間で言うのなら、ちょうど君と同じぐらい年代だよ」

 

 

 


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