混沌の使い魔   作:Freccia

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 コツ、コツ、と二度固いものを叩く音が聞こえた。読んでいた本から目を上げ、音の先に目を向ける。一羽の梟が窓の縁に止まっていた。

 ふと、窓際にシキが歩いていく。いつものように窓を開けると、その梟は一度だけ羽ばたいて、差し出された腕に掴まった。広げた羽根で器用にバランスをとる。梟って、羽根を広げると案外大きい。ぱっと見には中型犬より大きいかもしれない。そして、そんな大きな羽根なのに、不思議と羽音は聞こえない。





第21話 The monkey's Paw

 

 

 たしか、獲物に気づかれないよう、音を打ち消すような羽根になっているんだったか。ちゃんと理屈があるんだとは思うけれど、こうやって目の前で見るとやっぱり不思議。実は梟というのは皆、サイレントの魔法を使えるんじゃないだろうか。だとすると、ちょっとうらやましい。

 

 そして、梟の足は獲物をとらえる為の鋭い爪があるけれど、この子は爪を食い込ませるということがないよう、いつも控えめに掴まる。ちい姉様が助けた子も大人しくてよい子だったけれど、私に掴まる時などは落ちないように遠慮がなかった。悪気はもちろんないんだろうけれど、頭にとまった時などは本当に痛かった。

 

 そういうことを考えても、この子は本当にいい子だ。ウラルっていう名前らしいけれど、荷物を運んでくれるような普通の使い魔としてちょっと、いや、ものすごく欲しい。

 

 ――ちょうだいって言っても、くれなかったけれど。

 

 それはともかくとして、この子、実は喋れるし、人の姿にもなれるらしい。お母様が来た時に見た女の子がこの子ということだけれど、それ時以来見ていないからあんまり実感がない。でも、シキの所に来るときにはいつも何かメッセージを持ってくるから、しゃべれるというのは間違いなさそうだ。

 

 そして今回も、シキが腕を耳元に寄せると、一言二言――というのが正しいのかは分からないけれど、何かを呟いた。ちい姉様が飼っている鳥もしゃべったりするから、この子がいたらお揃いだ。

 

 また、ちょうだいって言ってみようかな。最近はお姉様を含めて私に強く言うことはないから、拗ねてみせたら案外あっさりくれるかもしれないし。

 

 そんな風にやりとりをじいっと見ていたら、ウラルと目があった。私が考えていることが分かったのか、そそくさと飛び去っていく。勘も良いようで、ますます欲しい。まあ、いずれ……。

 

「ねぇ、あの子、何て言っていたの?」

 

「いや、大したことじゃない。――学院長の所に客が来たらしい」

 

 そう言うシキは、眉根を顰め、どこか面倒そうだ。

 

「学院長宛てだったら、シキには関係ないでしょう?」

 

「まあ、そうなんだが……」

 

 困ったように私をみる。

 

「なに? 私がどうかしたの?」

 

「いや、気にすることじゃない」

 

「ふうん。まあ、シキがそういうならいっか」

 

 本当に何かあるのなら、その時に教えてくれる。読んでいた本に、また目を落とす。

 

 ぱらりぱらりと10ページだか、20ページだか読み進めた所で、今度はドアがノックされた。軽めに二回。この感じはミス・ロングビルだ。ドアを叩く回数が多いので、自然に覚えてしまった。

 

 ちなみに、私は二人のノックを聞き分けることができる。もう一人はもちろんお姉様。お姉様はもっと強めに叩く。誰かが返事をするまで叩く。

 

 正直なところ、盛った二人、いや、三人にはいい加減にして欲しい。ドアに向かったシキの背中をついつい睨みつけてしまうのも仕方がないと思う。

 

「ルイズ、学院長室に来て欲しいそうだ」

 

「私が?」

 

「正確には、シキさんとお二人で、ですけれどね」

 

 シキの肩越しに、ひょいと顔を出したミス・ロングビルが補足する。そしてその後ろにはもう一人、どうやらエレオノールお姉様も一緒だったらしい。まあ、それも良くあることだ。

 

 でも、何だろう? 最近は授業中にものを壊したことなんて……ほとんどなかったはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 私とシキと、そしてお姉様にミス・ロングビル。連れだって学院長室に入ると、学院長の他、意外な人物が二人いた。

 

 一人はワルド。アルビオンに一緒に行った時以来だから、かれこれ一月ぶりにはなるだろう。

 

 あの時の功績と、その後の亜人退治で獅子奮迅の活躍をしたとかで、今では魔法衛士隊の隊長以上に、アンリエッタ様の側近とも言える立場らしい。一緒にいた時に活躍していた記憶がないから、たぶん、あの後にがんばったんだと思う。

 

 私と目が合うとニコリと笑った。そうやって笑った様子は、私が子供の時に笑いかけてくれた時となにも変わらない。ああ、そういえば同じことを旅の時にも思ったっけ。

 

 そしてもう一人は、これまたアルビオンの時以来だろう。ウェールズ殿下の側近だった、確かパリーという人。髪に白いものが混じり始めた初老の男性で、しっかりとした年の割にはしっかりとした体つきながらも優しげな表情が印象に残っている。

 

 ただ、戦争自体はすでに終わったとはいえ、その後のことで色々とあるのだろう。あの時と同じく、いや、あの時以上に頬がこけている。そばにたたずむのがこの国有数の戦士であるワルドということで、尚更それが際立つ。

 

「二人の紹介はいるまいな。むしろ、ワシよりもお主らの方が詳しいじゃろうて」

 

 学院長が私が生まれるよりもずっと昔から白かっただろう髭をなで、ぐるりと見渡す。一度だけシキに目を留めたが、それも一瞬だけだ。

 

 前に呼び出された時も警戒していたようだったから、そのままということだろう。お互いに不干渉という形のままだから、それも仕方がない。まあ、お互いどうこうしようという気はないから、それでいいのだろう。今どうこう言うべきものでもない。学院長が余計なことをしなければシキはなにもしないし、逆もそう。それはお互いに分かっているはずだ。

 

 それはそれでいい。今はそれよりも、この場について。確かに学院長の言う通り、二人のことはよく知っている。

 

 一人は――私の婚約者で、もう一人は、私の思い上がりかもしれないけれど、戦場で一緒に戦った人だ。あの時、私は生まれて初めて本当の貴族というもののあり方を考えたんだと思う。それこそ、命をかけてでも守るべき、そのあり方を。フーケのゴーレムの時も頑張ってはみたけれど、あの時はまだ、単なる自分の意地だった。

 

 そして、この二人がこの学院に訪れた理由は。普通に考えればあの時の関係者で、ワルドとパリーさんは、姫様と、そしてウェールズ殿下の代理ということだろう。さて、どういった話だろう。まあ、何にせよ、ワルドからの話になると思う。ワルドと目が合うと、表情をほころばせた。

 

「またほったらかしにして、済まなかったね。アルビオンとトリステインを往復することになってしまっていてね。今までどうしても君に会いに来ることができなかったんだ」

 

 ワルドが謝罪する。そういえば、あの時久しぶりに会った時もそんなことを言っていたような気がする。でも、今回が仕方がないことだ。

 

「いえ、国を守るという任務の方がずっと、ずっと大切ですわ。それよりも、今回はお二人でどうされたのですか? まだアルビオンは大変だと聞いています。ならば、ワルド様は先ほどのお話通り、まだまだお忙しいのではないですか?」

 

「それがようやく、終わるということじゃよ」

 

 ワルドの代わりに、学院長が言葉を引き継ぐ。

 

「そう、まだ一般には知らされていないがね、ようやく方がつきそうなんだ。――そして、これこそまだ正式に発表されてはいないがね、アンリエッタ姫とウェールズ王子の婚約が正式に発表される。その時に大々的に戦争は終わったと伝えられるのさ」

 

「それは、素晴らしいことですわ」

 

 戦争が終わる。そして何より、姫様がウェールズ王子と結婚することができる。ゲルマニアの成り上がりなどではなく、本当に愛する人と。

 

 今は戦争で傷ついたとはいえ、アルビオンは強国。トリステインとアルビオンが結びつくことで、二つの国の発展が約束される。

 

「そう、ルイズの言うとおり、とても素晴らしいことだよ。トリステインとアルビオン、どちらにとってもこれ以上のことはない。そこで、ルイズ、君にも手伝って欲しいことがあるんだ」

 

 ニコニコとワルドが口にする。

 

「私に、ですか」

 

「そう、君にだよ。近く、お二人の婚約がこの学院から発表される。今でもアルビオンからの亡命者のほとんどを受け入れていて、二つの国のつながりが一番深い場所でもあるからね。そして君も知っての通り、代々トリステインの王族の結婚式では、選ばれた巫女が始祖の祈祷書を手に祝詞をあげる。その巫女を学院から選ぼうというわけさ。まあ、そこまで言えば分かるね。その時に君が学院の代表となって欲しいんだ。両国の最初の架け橋、王子を救った君へ、アンリエッタ姫とウェールズ王子からの指名さ」

 

「でも、王子を救ったのは……」

 

 後ろに控えているシキへと視線を向ける。腕を組んだまま、じっと佇んでいる。あの時アルビオンに行くのは反対だと言っていたけれど、良くも悪くもシキがあの状況を作った。いや、結果を見れば最良のものだろう。王子が亡命し、レコンキスタも討ち果たされた。

 

「ルイズ、君の言いたいことは分かるよ。でも、君がいたからこそのことじゃないか。君が行かなかったら、彼もまた、あの場所にいなかったはずだからね」

 

 ワルドは、シキを見ていた。それでいて、どこか遠くを見ているような。私にも、時折そんな視線を向けることがあった。あんまり覚えていないけれど、ずっと昔はそんなことはなかったと思う。

 

「そうだな。俺はルイズの使い魔だ。だったら、もしも救ったというのなら、それはルイズだ」

 

 シキならば、そう言うだろう。シキはあくまで不干渉で、あれも、不本意な形ではあっただろうから。

 

 その傍らの、お姉様を見る。目が合うと、困ったように笑った。

 

「ちょっと考えなしの行動もあったけれど、まあ、それなりにあなたも頑張ったんじゃないかしら? せっかく名誉なことなんだから受けなさいな。あなたもそう思うでしょう?」

 

 お姉様が、ミス・ロングビルに視線を移す。どうしてか、彼女は苦笑いだ。

 

「そうですね。それで、いいと思いますよ」

 

 シキもお姉様も、ミス・ロングビルまでもが皆、私でいいと言う。キュルケもタバサは、なんと言うだろうか。

 

「でも、私は何もしていないし……」

 

 いつの間にか集まっていた視線に、言葉尻が沈む。私は結局何もしていない。王子を説得したのだって、結局はシキだった。

 

「――ルイズ」

 

 ワルドだった。優しい声色で、そういえば、私が魔法を使えなくて落ち込んでいたときには、そんな声で励ましてくれた。昔は、よくふさぎ込んでいて、人には見られたくなくて隠れていた。それなのに、ワルドはどうしてか私を見つけてくれた。

 

「君だって立派な働きをしたんだよ。これは王子がおっしゃったことなんだけれどね。ひたすらに亡命をすべきだと、本当に愛しているのならそうすべきだと言ったのが君だった。考えないように、決して考えないようにと口にしなかったその言葉を言ったのは君だけだった。建前だけで、自分でも本当の気持ちを分かっていなかった自分に選択肢をくれたのは君だってね。だからもっと自信をもっていいんだよ。それは、君にしかできなかったことなんだからね」

 

「私で、いいのかな」

 

 誰に言ったわけでもない。あえて言うのなら自分にだろうか。ぐるりと、部屋にいる人を見渡す。

 

「君は自分にもっと自信をもっていいんだよ」

 

 ワルドが繰り返す。

 

「……皆の前での、生きるべきだと説いたあの口上。あのような敵意の中で言えるものなどそうおりませんよ。少なくとも、王子にとってはとても心に響くものだったのでしょう」

 

 パリーさんが優しくほほえむ。あの時はとても怖かった。でも、それでも言わなくちゃと思った。

 

「俺は、ただ流されるだけでの行動だった。本当にこうすべきだと思って、その道を示したのはルイズだ。それは、俺には絶対にできないことだ」

 

 道を示したのは私だと、いつかのようにシキが断言する。

 

「ミス、ワシはおまえさんが何を見て、何を思って、そして何を伝えたのかはしらん。だが、皆がおまえさんが代表としてふさわしい働きをしたと言っておるぞ。ならば、それを受け入れてはどうかね。わしとて、おまえさんが普段どれだけ頑張っておるのかぐらい知っておるぞ。それを見る限り、それだけのことをやってもおかしくないとは思うがのう」

 

 学院長が、普段が嘘のように学院長らしいことを言う。

 

 目を閉じて、皆が言った言葉を何度も反芻する。ちょっとくすぐったいけれど、私を認めてくれる言葉が何にもまして嬉しい。誰かに認められること、それは、私が何よりもも欲しかったものだから。

 

「――そこまで言ってくださるのでしたら、その大役、謹んで引き受けさせていただきます」

 

 どうしてか、涙が頬を流れた。

 

 

 

 

 学院長室を出てからずっと、ドクン、ドクンと胸が痛いぐらいに高鳴っている。

 

 私が巫女に。国を代表する巫女に。アンリエッタ様とウェールズ様、愛し合う二人の結婚式で。本当に、これ以上素晴らしいことはない。畏れ多くもあるけれど、その祝福を私がだなんて。

 

「――ルイズ」

 

 ワルドだ。そうだ、ワルドも、皆も一緒に部屋を出たんだった。ようやくそれに思いいたって、顔をあげる。

 

「本当に、久しぶりだね。さっきも言ったけれど、またほったらかしにして済まなかったね」

 

「いえ、私こそ戦争中だというのに何もお手伝いできずに……」

 

「いや、戦争なんて学生が関わるべきものではないからね。あの時のことだって例外中の例外なんだ。まあ、それは今更言っても仕方がないことか。でも、僕は君は必ず何か大きなことをすると思っていたよ。代表になったのが、最初の大仕事になるね。ああいや、王子を救ったのが一つ目だから、もう二つ目になるのか」

 

 ワルドが笑う。

 

「私一人では、何もできなかったことです」

 

「そんなことはないさ。あの時のことは君がいたからこそだし、今度のことはその結果さ。まあ、祝詞を考えるというのがあるから、前とは違った意味で大変ではあるけれどね。そのことを考えて君には先に知らせるという意味もあった訳だし。そういえば、どんな言葉を作るかは思いつきそうかな?」

 

「え?」

 

 言われて初めて思い至る。そういえば、祝詞は準備されているものではなかったはず。ということは、私が準備するものということになるのだろうか。

 

 目を閉じ、深く深く考える。私が祝詞を考えるのならば。

 

 大切なのは、二人を祝福すること。そして、それを導いて下さった始祖に感謝の意を示さなくてはいけない。しかし、最初からそれでは繋がりが悪い。となるとまず言うべきは導入としての挨拶だろうか。

 

「……本日は御日柄も良く」

 

 そして、二人への祝福を。私は学生だ。であるならば、あまり固すぎるというのも、ふさわしくないだろう。見合ったものでなければ、どうしても言葉だけが浮いてしまう。

 

「……お二人のご結婚、私はとても嬉しいです」

 

そして、始祖への感謝を。お祈りのような言葉はやっぱり堅苦しいし、遠回り。もっとストレートな方がいいだろう。

 

「……この出会いを作って下さった始祖は、とてもすばらしいです」

 

 まあ、基本の形はこんなものだろうか。目を開け、ワルドを見る。なぜが、眉を下げ、とても難しそうな顔をしている。

 

「……良いと思うよ。君はどう思うかな?」

 

 ついと、シキを見た。私もその視線を追う。

 

「……個性的で、いいんじゃないか?」

 

 ほとんど目を合わさずにお姉様へ視線を逸らした。いっそ、だめならだめだと言って欲しい。それが優しさだと思う。

 

「……ルイズ、あなた、全くセンスがないわね。聞いているだけで恥ずかしいわ」

 

 でも、できればもう少しオブラートに包んで欲しいかも。いきなり、ぎゅりっと頬をひねられた。すごく痛い。ずいぶんと久しぶりな気がする。最近はずっと私の方が優位だったのに。

 

「ルイズ、ちょっと私と一緒にお勉強しようかしら? ええ、もしかしたら無駄かもしれないけれど、あなた、ひどすぎるわよ」

 

 つねられたまま、ぐいぐいと引っ張られる。

 

 後ろから声が聞こえた。

 

 

「……えーと、ルイズ。今日は任務できたから話ができないけれど、また来るからその時にゆっくり話そうか」

 

 ワルド、助けてはくれないんだ。また、ほったらかしにするんだ。どこか懐かしく、引きずられながらそんなことを思った。ああ、これでまたお姉様の態度はもとに戻るんだろうなと思いながら。

 

 特別授業はしばらく続いた。でも、途中で諦めたようだ。どうやら、私は自分でも驚くほどそういう才能がないらしい。結局お姉さまが考えるということになった。まあ、お姉様は今までの私に対するストレスをきっちり発散できたからそれで十分なんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 朝からにぎやかなものだった。どこか祭りのそれに似た空気がある。誰にとってもそれは、心地の良いものだ。

 

 普段からしかめっ面をしている人も、その中ではいつもと違った表情を見せる。そんな中で暗い表情をした人がいたとしたら、それはよっぽどのこと。どうしても受け入れがたい理由があるに違いない。

 

 そんな空気の中、学院長の秘書ということで忙しかったが、すでに私が準備すべきことは終わって学院内をぶらぶらと歩いていると、出会う人皆が浮き足だっていた。

 

 メイド達は、ゴミひとつ残すまいと、会場となる本塔はもちろん、直接は関係ないであろう学院内の廊下であっても忙しそうに駆け回っている。やはり、外部からも人が来るとなれば違ってくるのだろう。

 

 少しだけげんなりして、軽くなにか食べらればと食堂に向かってみれば、こちらはさながら戦場だ。いわば指揮官であるマルトーを筆頭に、湯気を上げる兵站を積み上げていく。オーブンで程良く焦がされた自慢のソースが香ばしい。

 

 ほとんどは無駄になるのだろう。だが、それでもこの特別な時というのは、彼らにとっても特別なものとなるのかもしれない。皆が忙しそうにしているが、それでも、楽しそうだ。

 

 ――まあ、そんなものか。

 

 直接は関わりのない別世界のこととは言え、娯楽などほとんどない。よくわからなくともおめでたいということが重要なのだろう。素直に喜べれば、それはそれですばらしいことだ。

 

 それに、大した被害はなかったとはいえ、間近に感じられるようになっていた戦争が終わる。それは、それだけで十分だ。

 

 そして、生徒達。

 

 そこここで、トリステイン万歳だの、アンリエッタ姫万歳だの、異口同音に同じようなことを口走っている。確かにまあ、彼らにとってはめでたいことだろう。ほんの数年前であったのならトリステインが属国になっていただはずだ。しかし、今は立場が逆だ。属国になるのはアルビオン。今すぐではなくとも、いずれは直接、間接に利益が入ってくる。

 

 アルビオンの領主として土地を得る者がいるだろう。それなりの数のトリステイン貴族がアルビオンにも封じられるであろうから、男爵程度でも玉突きの要領でおこぼれに預かれるはず。

 

 はたまた貿易であろうか。もともとアルビオンは食料の輸入国。輸出する食料に少しばかり上乗せしても誰も咎めはしまい。そしてトリステインは、安く羊毛やら風石やらが手に入る。

 

 そうなれば、いくら頭の固い、いわば衰退するしかなかったトリステインとはいえ持ち直す。大した出費もなしにそれなら万々歳だ。

 

 さて、それなら、アルビオン側はどうだろう?

 

 喧噪のなか、歩いていく。廊下を抜けて一旦外へ。一月ほど前には使われていなかった、離れの寮へと。

 

 ふと、笑い声が聞こえた。無邪気に笑う、5、6才といったところだろうか、男の子が、一回り小さい女の子を連れている。たぶん、兄妹なんだろう。

 

 そして、そばにはすっかり顔見知りになった女性が立っている。子供がいるというのは知っていたが、それならばこの子達がそうだと言うことだろう。

 

 ここしばらくは質素な服であったが、今日ばかりは特別ということか、今では一張羅ともいうべきドレスに身を包んでいる。晴れ渡る空のような鮮やかな青だが、対して表情には陰りがある。

 

 子供たちは王子が結婚するということ、そしてもうすぐ帰れるということがうれしいのだろう。

 

 だが、母親はその後のことも考えてしまうのだろう。王子側だということで国に残る貴族達に比べればましにしても、それでも、国の将来を思えば仕方があるまい。他の亡命者はまだ部屋の中にいるのだろうが、多かれ少なかれ似たようなものだろう。

 

 ぼんやりと見ていると、ふと、足下に何かがぶつかってきた。さっきの男の子だ。尻餅をついてしまっている。さっきまでの元気はどこへやら、顔をゆがめて泣きだしそうだ。

 

 知らず、頬が弛む。男の子の目線まで腰をおとして、頭に手を乗せる。

 

「気にしなくてもいいんだからね。子供は元気なのが一番なんだから。さ、起きれる?」

 

 少しだけ遠慮して、それから、こくんと小さくうなずく。いい子だ。右手を差し出す。握り返された手は小さくて、柔らかい。ちょっとだけうらやましい。

 

 ごめんなさい、ありがとう、そんなことを言ってまた女の子と走っていった。

 

 ふと、さきほどの女性と目が合う。申し訳なさそうにお辞儀をするのに、軽く手を振って返す。

 

 さて、そろそろ迎えに出る準備をしないといけないか。あんまり気は乗らないけれど、仕方がない。それくらいは、まあ、いいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 先頭はグリフォンに跨った一団だった。

 

 立派な羽根付帽に、いつもとは違う、儀礼用だろう金糸で縁取られた真っ白なマントをまとったワルド、一歩遅れて似た格好をした隊員たちが従っている。そして、彼らに守られる形で4頭ものユニコーンに引かれた馬車。ごてごてしい飾りにはっきりと分かる形でこの国の紋章の百合が描かれているから、これが今日の主役たちのものだろう。

 

 一団が歩みを止め、ワルドだけが一歩前へ出る。

 

 迎えるこちらは学院長が同じように一歩前へ。こういう時ぐらいは着飾ってもよさそうなものだが、いつも通りの地味なローブを身にまとっている。

 

 らしいといえば、まあ、らしい。いつも飄々とした彼は、いつか言っていたように、権力を畏れるということはないのだろう。そこだけは、素直に尊敬できることかもしれない。

 

 そうして一言二言言葉を交わすと、合図とともに一団が学院へと進む。細かい話はまた学院の中でだ。

 

 一団が横切っていく。ワルドを先頭に、団員たち、そして姫達の乗った馬車が。

 

 ふと馬車の中が目に入る。真っ白なドレスをまとったお姫様に、枢機郷。そして、それに同乗という形が今の国の関係ぴったりに、王子と側近の初老の男。なんともまあ、皆、辛気くさそうな顔をしている。違うのは枢機郷ぐらいのものだが、さて、少なくとも姫はもっと堂々とすべきだと思うけれど。

 

 そんな風に見ていると、一瞬だけ、王子と目があったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 学院の代表という大役を務めるともなると、やはり緊張する。大きく深呼吸をして会場を見渡す。

 

 本塔の中に設えられた聖堂。学院の式典にも使われるこの場所は、本塔の中でも一番広い場所になる。入り口側が扇形に広くなっていて、壇上に向かって狭くなっていく。そして、入り口から壇上に向かって少しずつ下がっていくので、扇にそって並べられた椅子と、壇上まで延びた通路が一望にできる。

 

 普段なら生徒全員分の椅子を並べてもまだ余裕があるはずが、今日ばかりはちょっと様子が違う。普段ならばがらんとした扇の端の方まで、今日は椅子がぎっちりと詰められている。当然、全ての椅子は埋まっている。今回出席するのは近郊の貴族だけだが、それでも結構な数になるようだ。

 

 ぐるりと見渡すと参列者は皆貴族なので、皆が皆、豪奢に着飾り、扇を色とりどりに飾っている。そんな中でも、中心になる壇上、扇の取っ手大粒の真珠が飾られたようにひときわ輝いている。もちろんそれは、この国の宝石、アンリエッタ姫だ。

 

 そこここに青だの、赤だのときらびやかな中に、だからこそ混ざりけのない白が、はっきりとその純白を主張している。頭上には銀のティアラの輝きがあり、まさに一つの宝石だ。

 

 そして、その傍らに、これから伴侶となるウェールズ王子。アルビオン王族の正装である豪奢なマントで身を飾っている。

 

 だが、当然それは最上級のものではあろうが、アンリエッタ姫の隣に立つには、大国の王子がこの場でまとうには少しばかり物足りない。

 

 仕方がないことではあるが、アルビオンの今の状況と、そしてトリステインとの関係を如実に表している様で胸が痛む。ああ、そういうことなんだと見せつけられるようで。

 

 姫様が愛する王子と結婚できるということでただただ嬉しかったけれど、もしかしたら、本当はそう単純なものではないのかもしれない。少しだけ、悲しくなる。

 

 いや、暗い顔など、この場では最大の不敬。頭を振ってその考えを追い出す。たとえそうだとしても、これは喜ぶべき、両国にとってとても意味のあることだ。お二人の婚姻を発表する、いわば平和への一里塚。

 

 式が始まった。

 

 まずは王子の、トリステインの協力に対する感謝、亡命者の受け入れに対する感謝。

 

 それに対して姫の、謝意の受け入れ。これからの協力の約束。アルビオンが助力を願い、トリステインが受け入れる。それを本当の意味で約束する、始祖に誓う婚姻発表。

 

 さあ、細かいことは今はいい。私の出番だ。壇上まで続く通路へ一歩足を踏み出す。それに合わせて久しぶりにまとったマントがふわりと空気をはらむ。参列者皆が私を見る。

 

 こんなに注目を浴びるのは初めてだ。気後れしそうだけれど、姫様と王子が、そして皆が私にといってくれたのだから、恥ずかしい真似はできない。踏みしめるように、一歩、一歩とお二人の前へと向かう。それなりの距離があると思ったのに、もうお二人は目の前だ。最初の言葉はごく自然に出てきた。

 

「アンリエッタ姫殿下とウェールズ皇太子のご婚約、臣下として、そしてトリステインの一員として、この上ない喜びに存じます。苦難の内のアルビオンは辛き日々にあることでしょう。しかし、それは今しばらくの辛抱です。この婚姻はトリステインとアルビオンとの未来永劫の協力を約束するものです。なれば、アルビオンの苦難はわずかなものとなることでしょう。トリステインの助力によって、アルビオンは持ち直すことでしょう」

 

 何度も何度も練習を繰り返したから、この後の口上もすらすらと続く。ただ、どうしても感情を込めることはできない。これは私が贈りたい言葉とは違うから。これはマザリーニ枢機郷から届けられた、いわば、トリステインからアルビオンに対する言葉だから。

 

 私の言葉に姫と王子は柔らかく、どこか儚くほほえむ。

 

 姫が枢機郷から古びた一冊の本を受け取る。この学院の図書館にある本とどこが違うのかわからけれど、この国が始祖の時代からずっとずっと受け継いできた、この国の根幹を成す宝だ。トリステインの王族の結婚式では、この本を手に選ばれた巫女が祝詞をあげる。始祖が直接残した宝を始祖に見立てて永遠の愛を誓うということだ。偶像崇拝を禁止するブリミル教のある意味では例外と言えるだろう。

 

 姫がその本を私へと差し出す。私はその本を押し頂く。私が選ばれた巫女になったということだ。そこここから拍手があがり、それが会場全体へと広がる。今だけは本当の意味で私が中心。気恥ずかしくもあるし、やはり、嬉しく思う。ほんの一時の間ではあっても、私にはそれで十分だ。

 

 拍手が疎らになったところで、使用人達が一斉に入ってくる。椅子が取り払われ、代わりに、次から次へと料理が運び込まれてくる。ある意味これからが本番ではあるが、私の役目はここでおしまい。これから先は、まだ私には早い。姫様と話すこともしばらくは無理だろう。

 

 ゆっくりと視線を落とす。腕の中に抱きしめた本、始祖の祈祷書を開いてみる。仰々しい表紙の下は何にもない。ぱらぱらとめくって見てもただの白紙。真っ白。

 

 姫と王子を見る。お祝いを述べる貴族に囲まれているが、ただただ、さきほどと同じ笑みを浮かべている。二人の、そして両国のこれから。もし本に書くとしたら、どうなるんだろう。真っ白でまだ決まっていないというのなら、もしかしたら、その方がいいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 学院長の傍らで、式を見ていた。

 

 姫と王子の短い言葉のやりとり、そしてルイズが国宝だとかいう古い本を受けとる。

 

 なかなかえげつないことをする。

 

 当然だが、今回の参列者はトリステインの貴族が大部分を占めている。アルビオンの人間もいるが、それは王子と、ここに避難してきてる人間だけだ。だから、今回のこれはトリステインの貴族に向けたものだ。

 

 さすがに姫と王子は表の意味でも好きあっている。だから、言葉も控えめだった。だが、あのルイズの言葉。おそらく自分で考えたものではないだろう。あからさまとまでは言わないにしろ、助けてやる、と上からのものだった。

 

 なんともまあ、今のトリステインとアルビオンの関係を実に分かりやすく示してくれたわけだ。わざわざ、王子を前に言うことで。これではまるでさらし者。さすがに、哀れだ。

 

 式が終わって、会食になった。合わせて、有象無象の貴族共が姫と王子の周りに集まる。壇上からは離れているのでよく分からないが、きっと口々にお祝いを述べていることだろう。きっと、口だけではあろうが。

 

「おや、ミス。どちらへ?」

 

「いえ、ちょっと気分が悪いので、外の風に当たりに」

 

 気分が悪い。見下すような目、そんな目で見られるのは惨めで、本当に惨めで嫌だった。

 

 会場を出て、手近にあった石に腰を下ろす。緩やかな風が頬をなでた。嫌な空気もまとめて洗い流してくれるようで、少し、気分が落ち着いた。軽く伸びをする。

 

「さすがに見ていられなかったか?」

 

 きっと、しばらく前から様子を見ていたんだろう。

 

「ええ、ちょっと前ならいい気味だって思っていたんでしょうけれどね」

 

「そうか」

 

 いつも通り、短い言葉だった。

 

「シキさん。せっかく来てくれたんなら、そばに来てください。その方が嬉しいです」

 

 ぺたぺたと隣を叩く。何も言わず、そばに腰をおろす。何か気の利いたことを言ってくれるわけじゃないけれど、それでいい。結局は、私の問題なんだから。ゆっくりともたれ掛かる。もう一度、風が吹いた。

 

「ねえ、シキさん。私、しばらく学院を休むことにします」

 

「そうか」

 

「ここしばらくは忙しかったけれど、ようやく落ち着きましたしね。妹にもずいぶんと会っていないし、アルビオンまで行ってきます」

 

「戻って、くるのか?」

 

「うーん。でも、シキさん。ここを離れる気はないでしょう? だから、気持ちが落ち着いたらまた戻ってきます。そうですね。たぶん、1、2週間ぐらいですよ」

 

 もう一度、そうか、と短い言葉だけで、それ以上は聞かなかった。少し物足りないけれど、それでいい。

 

 ふと、誰かが駆けてきた。

 

「……ミスタ、ミス。王子がお二人をお探しでしたよ」

 

 私も? シキさんならまあ、なんとなく分かるけれど、私に何の用事だろう。

 

 

 

 

 

 

「やあ、あの日以来だから、ずいぶんと久しぶりだね」

 

 王子が私とシキさんに話しかける。改めて近くで見ると、少し痩せたような気がする。浮かべた笑みも、どこか乾いたものだ。一緒にいる姫も、どこか似ている。

 

「そうだな」

 

 一国の王子を相手にするには随分な返事だ。だが、怪訝な顔をするものは一人もいない。ここにいるのは王子をはじめとして、直接、間接に事情を知るもの達だけ。知らないような者は遠ざけれているのだろう。そうでなければ、落ち着いて話もできない。

 

「君は変わらないね。それが、うらやましくもある。また会えて、本当に嬉しいよ。あの決断ができたのは君のおかげだからね。どうあれ、ただ死を選ぶよりはずっと良い選択だった。だから、どうしても直接会ってお礼を言いたかった」

 

 やはり、乾いた笑みだった。

 

「俺は自分の責任をとっただけだ。それ以上は、何もしていない」

 

「君らしいね。でも、感謝しているよ。そして、ミス・ロングビルで良かったかな?」

 

 王子が私に視線を向ける。直接話したことなどなかったはずだが、覚えていたということだろうか。

 

「君にも感謝しているよ。情けない王に替わって、亡命者達を支えてくれた。自分の味方をしてくれた国民すら守れないのだから、情けない限りだよ」

 

 自嘲するような言葉が、どうしてか嫌だった。

 

「そんなことはありません。皆、王子がいたからこそ希望を失うことはありませんでした。私も、私がやるべきことをやっただけです」

 

「……そうか。君にそんなことを言ってもらえるとは思わなかったよ」

 

かすかに笑った。さきほどまでの乾いた笑みとは、少しだけ違った。

 

「……ところで」

 

 王子が続ける。

 

「君たちは、恋人同士なのかな? 」

 

 シキさんと目が合うと、腰を手に抱き寄せられた。

 

「そうだ」

 

 眼を閉じる。頬が熱い。少しだけ、恥ずかしい。普段は言葉になんて絶対にしてくれないのに、こういう時はすごくストレート。分かっていてそんな風にしているとしたら、とても罪な人。

 

 私一人だったら、もっと嬉しかったけれど。でも、そんな贅沢は言わない。私はそれで十分だから。

 

「そうか。君たちなら、きっと幸せになれるよ」

 

 王子が眩しそうに眼を細めた。

 

 

 

 

 

 

 

 馬車に揺られ、トリステイン城へ戻った。車内では、ずっとアンリエッタと一緒だった。

 

 私はアンリエッタを愛している。アンリエッタも私を愛してくれている。自惚れではなく、それは事実。それなのに、交わされる会話はどこかぎこちない。

 

 お互いに、その理由は分かっている。私は自らの情けなさから。アンリエッタは、きっとこの状況に対する引け目から。分かってはいても、どうにもならない。むしろ、日に日にそれは大きくなっていく。

 

 私だって、最初から覚悟していた。していた、つもりだった。

 

 トリステインにいる限り向けられる視線。どんなに表面上は丁寧な言葉でも、そこに込められたものは違う。所詮は負け犬という嘲り、一国の王子がという同情。

 

 そして、一緒に逃げてきたもの達から向けられるもの。今の状況に対する悲しみと、何より、今を受け入れるしかないという諦め。責めるものではないということが、より一層自分の無力さを際だたせる。

 

 ただの被害妄想かもしれない。しかし、私自身がそれを当然のものだと思ってしまっている。

 

 私を見るアンリエッタは、それに引け目を感じてしまっている。今の状況、決してアンリエッタに責任はない。今の状況は当然のことなのだから、責任など感じる必要はないのだ。むしろ、堂々としてくれた方が気持ちは楽かもしれない。愛する人が気に病んでいるというのは、それだけで自分が情けなくなる。それなのに、私を愛してくれるいるからこそ、当然だということに引け目を感じてしまっている。

 

 その結果が、今の状況だ。

 

 私を含めて、王族の一部はトリステイン城に滞在している。いや、間借りしているというのがふさわしい。同じ建物に住んでいるというのに、アンリエッタと顔を合わせるのは今日のように用事がある時か、さもなくば食事の時だけだ。

 

 用意されている部屋に入り、なんとなくその中を見渡す。調度品の一つ一つにも気を配られたこの部屋は、この城でも、いや、この国でも最上のものの一つであろう。それなのに、どこかよそよそしく、落ち着かない。まるで……

 

 ――やめよう。いくら考えたところで仕方がない。それに、父に話さねばならないこともある。

 

 

 父に用意された部屋、こちらも借り物ではあるが、軽くノックする。メイドが私だと分かると、すぐにドアを開けた。年は私の母ほどになるだろうか。メイドとして残ってくれたのは、古くから使えてくれている彼女、マリーだけになってしまった。得難いものでなんとか報いたいと思うのに、それすらままならない。

 

 眼を閉じ、椅子に深く腰をおろした父に向き直る。この動乱の中で、刻まれた皺もすっかり深くなったように思う。それも仕方がない。あの時から本当に気が休まることはなかったのだから。伏せるということはないにしても、やはり衰えは隠せない。

 

 ようやく父が私を見た。

 

「そう、暗い顔をするな。お前がアルビオンの顔なのだ。せめてお前だけでも、胸を張らねばな」

 

 言葉に力はない。父も仕方がないと思っているのだろう。大きく息をつく。

 

「今日は、姫と学院に行ったのだったな。お前にばかり、苦労をかけるな」

 

「いえ、どうあれ、私達に代わって彼らを助けてくれたのですから、それに対して礼を尽くすというのは、当然のことです」

 

「そう、だな。皆は、どうしていた?」

 

「元気にしていましたよ。子供達も、もうすぐ国に帰れるということで喜んでいました」

 

「そうか。……そうだな。早く、帰れるようにしなくてはな」

 

 二人して笑う。だが、それは表面だけのものだ。だから、そのまま黙ってしまう。それがずいぶんと長く続いて、ようやく私は口を開いた。

 

「……マリー、少しだけ席をはずしてくれるかな」

 

 マリーに言う。彼女に対しては必要ないのかもしれないのだが、余計な気を使わせてしまうだけだろうから。何も言わず、ドアを閉める。本当の忠臣、本当に得難いものだ。

 

「今日、サウスゴーダの娘と会いました」

 

 その言葉に父が目を閉じ、大きく息をつく。

 

「……そうか、あの時も、来ていたな。やはり、お前も覚えていたか」

 

「随分と昔ですが、一緒に遊んだこともありましたから」

 

 そうか、と短く言うと、もう一度沈黙が支配した。長く、長く眼を閉じ、ようやく口を開いた。

 

「やはり、私たちを恨んでいたか?」

 

 どこか悲しげだ。

 

「かも、しれません。ですが、アルビオンから避難した者達には良くしてくれていたようです。子供達も懐いていたようですから」

 

 父は再び黙り込んでしまった。私を見て、もう一度視線を落とした。

 

「……ウェールズ。近く、お前に王位を譲ることになる」

 

 アンリエッタとの結婚の後は、私達とは別のところで既に決まってしまっている。つまりは、アルビオンをどうするかということ。中心になったのはトリステインではなく、ガリアとロマリアのようだが。まあ、どこが筋書きを書こうが大した違いはないだろう。

 

「その前に、一つ、話しておくことがある。本当は、墓まで持っていくつもりだったのだがな。もう、そういうわけにもいかんだろう。お前も知っておくべきことだろうからな」

 

 目を伏せたまま口にする。父がここまで言いよどむのは、初めてかもしれない。常に決断をして、皆を率いていく本当の王だったのだから。

 

「お前も、おかしいとは思ったかもしれない。弟の、大公のことだ。謀反を企てての処刑など、ありえないとな」

 

 それは、常々思っていたことだ。あの時はまだまだ子供ながら、叔父はそんなことをするような人ではないと思っていた。野心などとはほど遠く、どこかのんびりとした、父を助けることで満足しているような人だった。

 

「……その通りだ。謀反などあいつは考えていなかった。そんなことなど夢にも思うまいよ。それは私が一番よく分かっていた。まあ、ある意味ではそれよりも罪なことだったかもしれないがな。処刑までせねばならなかった、本当の理由。あいつはな、――エルフを妾にしていた」

 

「それは……」

 

 思わず息をのむ。言うべき言葉が見つからない。よりにもよって、エルフなど。もしそれが公になれば、あのレコンキスタが起こした動乱に匹敵する騒ぎが起きてもおかしくはない。何より、ロマリアが黙ってはいない。あのロマリアがおとなしくしているなど考えられないことだから。

 

「そう、あってはならんことだ。そんなことが表沙汰になればどうなるかなど、あいつとて分かっていただろうに。だが、あいつは拒んだ。なんとか話が表にならんようにエルフを差し出せと言ったのに、それはできないとな。それでは私とてかばい立てはできん。だから、処刑した。処刑せざるを得なかった」

 

 全てを吐き出すように息をつく。

 

「本当に身を裂かれる思いだったよ。実の弟を処刑。しかも、それを反逆の汚名などで覆い隠さねばならなかったのだからな」

 

 堅く閉じられた眼からは、いつしか涙が伝っていた。

 

「……それとな、もう一つ、言わねばならぬことがある。あいつには、子がいたのだ。エルフの血を引いた、な」

 

 今度は言葉すら出なかった。まさか、人間の敵となど。それも、始祖の血を引いた者がだ。

 

「最後までエルフを隠したあいつを処刑したあと、その相手をなんとか見つけだした。すぐに兵が向かったがな、持ち帰った死体は母親だけだった。そんなはずは、ないのだがな。そこで初めて分かったのだが、部屋には子供の服があった。どうやったのかは分からんが、兵達はその時のことを覚えておらず、そして、サウスゴーダの娘が消えた。エルフを隠していたのはサウスゴーダの者で、その娘だけが消えていた」

 

「では……」

 

「その通り。サウスゴーダの娘がつれて逃げていた。もちろんすぐに追わせたし、すぐに見つけたよ。だが、殺せなんだ。年端もいかぬ娘二人、必死に生きていた。サウスゴーダの娘にとっては親の敵のようなものであろうに、自分が体を売ってまでな。……私も、疲れていたのであろうな。本来ならその場で殺すべきだったのだ。だが、できなかった。最後に残った弟の子、そして、体を売ってまでそれを守る娘。もう、十分だとな。子はいたのかもしれない、だが、見つからなかったのだ。それでいいとな。そして、いつの間にか姿を消していたよ。私は、どこか安心した。自分の手で殺さずにすむ理由がようやくできたとな」

 

「……まだ、生きているのでしょうね。そして、まだ守っているのしょうか」

 

「かも、しれんな」

 

「……私は、どうするべきでしょうか」

 

「……すまん。本来なら私だけで片づける問題だったのにな。お前には、余計なものばかり……」

 

 最後は言葉にならなかった。

 

 ずっとずっと小さく見える父から眼をそらし、窓から空を見上げた。明日は晴れるだろう。星がとても綺麗だ。寄り添う月もよく見える。

 

 そういえば、昔、ラグドリアン湖でアンリエッタと一緒に星を見たのも、たしかこの時期だった。あの時も、月と星が綺麗だった。そして、私に永遠の愛を誓ってくれた。国のことを考えてしまった私は、ずいぶんとひどいことをしてしまったが。

 

 アンリエッタは、今でも私のことを愛してくれているんだろう。だからこそ、今彼女は苦しんでいる。そして、私も。

 

 アンリエッタと結ばれること、私は嘘偽りなくそれを願っていた。そして、その願いは叶う。

 

 だが、選択としては本当に正しかったのだろうか。いや、本当に正しい選択などというものはあるのだろうか。

 

 私の選択は正しかったのかもしれないし、同時に間違っていたのかもしれない。父の選択もそうであり、叔父の選択も、きっとそうだったんだろう。

 

 


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