デート・ア・グリムロック   作:三ッ木 鼠

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6話 グリムロックの怒り

 グリムロックが地球に来てからもう一週間は過ぎた頃だ。地球での交流は基本的に精霊である四糸乃だけである。ショックウェーブのようにインターネットを通じて情報を集めている訳でもない彼の主な情報源は四糸乃と自分が見た物だけである。それだからグリムロックは、この地球について殆ど知らない。精霊の脅威やASTの使命、この星での理の一切を分かっていないのだ。四糸乃が隣界へ消失ロストしている間は日々、強い相手を求めて山の中や町に顔を出してはASTに狙われる毎日だ。

 この星の兵器のレベルはセイバートロン星には及ばない。多少はマシなのはASTだが、グリムロックの相手にはならない。グリムロックが気になっているのは、地球初日に見たダークエネルゴンの反応を放つ少女、十香だった。今日も昼頃に目を覚ましたグリムロックはロボットモードに変形しながら起き上がって背伸びをした。

「四糸乃……? あれ?」

 名前を呼んでも居ないという事は隣界へ帰っているという事、だがそんな知識が無いグリムロックは町に遊びにでも行ったとしか思ってなかった。敵と戦う以外にグリムロックがしている作業は木を引っこ抜いて、削り、マイホームを作るくらいだ。雑で拙い造りではあるが、骨組みは完成している。破壊専門のダイノボットに建築はかなり厳しい、骨組みを作るだけで何本の木が伐採されたか分からない。

 あまりに上手くいかずに拗ねて中断した事もあった。八つ当たりで完成間近の家を破壊した事もあった。

「もうすぐだ」

 満足げに腕組みをして骨組みだけの家を見守る。接合しているのは木の枝で選んだ大木の大きさもメチャメチャだ。強風が吹けば一瞬で倒れてしまうだろう。一仕事終えた満足げな表情で何度も頷く。

 空から一粒の水滴がグリムロックの肩に落ちた。ポツポツと雨足が強くなって行く、骨組みだけの家をそのままにしてグリムロックは人里に下りて行く。

 

 

 

 

 昨日は無断欠席をした事を担任の岡峰玉恵、通称タマちゃん先生に怒られた士道は下校途中に突然、降り始めた雨に晒されながら家路を急いだ。雨宿りを考えたが、以前公園で雨宿りをしていたら謎の少女と遭遇し、危うく巨大ロボットに潰されかけた。その経験からか、今日は真っ直ぐに家に帰って行った。士道が家の前に着くと門の近くをあのウサギの耳の装飾のフードを被った少女を見かけた。

 今回はグリムロックが居ないのかちゃんと辺りを確認してから四糸乃に近付いた。

「そんなトコにいたら風邪ひくよ」

 膝を曲げて士道は四糸乃と視線を合わせた。

『お気遣いありがとー!』

「うわっ!?」

 四糸乃の代わりに左手のパペットが喋った事で士道は驚いて尻餅をついた。

『おんや~? だ~かと思えばラッキースケベのお兄さんじゃなぁい』

「誰がラッキースケベだ!」

『ラッキースケベだよ~、雨に濡れたよしのんの体を起こす時にさり気な~く、膨らみかけの胸を触ってたじゃん!』

「っつ……! あれは不可抗力だよ。えっと……」

『ありゃりゃ、よしのんとした事がまた自己紹介を忘れちゃったよん。よしのんの名前はよしのん』

「俺は五河士道、よろしく」

『しくよろ~』

「まあ、中にあがんなよ。体を濡らしてたらホントに風邪ひくしな。お茶くらいは出すぞ」

 玄関の戸を開けて四糸乃を招くが、急に黙り込んでその場から動く気配がない。遠慮しているのかと、士道は四糸乃の肩を揺すった時、足から力抜けて四糸乃の軽い体は前のめりに倒れた。反射的に士道は受け止めると額に手を当てた。

「よしのん! 熱があるじゃないか!」

 四糸乃を横抱きにして家の中へ連れて行くととりあえずソファへ寝かせた。濡れた服を着ていては体が冷えてしまう。ここは服を脱がせるのが得策なのだが、士道の手は止まってしまった。仕方がないとは言え自分よりも年下の少女の服を脱がせると言うのは、どこか犯罪的な臭いがする。

 しかし四の五の言っている猶予は無い、士道は洗面所からタオルを取って来ると目隠しをしてから脱がせる事にした。手探り状態でありながらも士道は、四糸乃の衣類を一枚一枚剥がして行き、下着だけにした。下着一枚で寝込んでいる四糸乃にバスタオルをかけてやる。

 一旦士道は目隠しを取り払って自室からシャツを持って来て着せてやった。琴里の服の方がサイズとしてはピッタリなのだが、妹の部屋に入って衣類を物色するのは気が引けた。

「危ない危ない、犯罪一歩手前だったな」

 冷たい水で絞った手拭いを額に乗せて体にはバスタオルではなく、押し入れから引っ張り出した毛布をかけた。

 時計に目をやって夕食の支度を始めた。鶏肉と卵が冷蔵庫に入っていたので今夜のメニューは親子丼に決まった。

「琴里はラタトスクの仕事か……」

 十香はフラクシナスの対精霊用の隔離部屋で今は過ごしている。士道の封印の欠点は精霊側の好感度の低下や不安感などで力が士道から逆流してしまう事だ。外の世界で何かショックな物でも見て力が逆流すれば大問題だ。

 親子丼以外のメニューを考えているとソファで眠っていた四糸乃が目を覚ました。額に乗せていた手拭いがポロッと床に落ちる。

「っ……?」

「ダメだぞまだ寝てなきゃ」

「……誰、ですか……」

 今にも消え入りそうな小さな声で聞いて来た。

「五河士道。さっき自己紹介したろ。よしのん……で良いのか?」

 四糸乃はぶんぶんと頭を横に振った。

「四糸乃……」

「よしの……?」

 士道が聞き返すと小さく頷いてパペットの方を指差した。

「こっちがよしのん」

「えぇ~君が四糸乃でそっちがよしのん?」

『理解が早くて嬉しいねぇ~!』

 四糸乃が黙り込み唐突によしのんが喋り出した。

『やっぱりお兄さん……じゃなくて士道くんはスケベだね!』

「スケベとは失礼だな、熱が出てたから脱がせたのに」

『キャ~、エッチスケッチワンタッチ! だからよしのんの服がこんなダボダボなのねん! な~んだがサイズの合ってないシャツを着る幼女って、ちょっと良くなぁい?』

「不可抗力だ。断じて悪意は無いぞ!」

『まあまあ、よしのんを看病してくれた事には感謝してるよ。でもあの場で放置されてもグリムロックが迎えに来てくれるしぃ~』

「グリムロック?」

『士道くんも知ってるよ! あの大きなよしのんの友達だよ!』

 大きな友達と言われて閃いたのは公園の地面に強烈なパンチを叩き込んで脅して来た巨大ロボットだ。危うく捻り潰されかけた経験が蘇り無性に怖くなって来た。仮に大きな鉄の拳を受けたら士道など跡形も残らずにプレスされるだろう。

「あいつ、グリムロックって言う名前なんだ」

『そうそう、乱暴で野蛮だけどぉ~根は素直で良い奴だよ! ちょっと敵に容赦がないから近寄りづらいと思うけど~』

「俺って敵視されてんの?」

『多分ね』

 会話が一区切りした所にちょうどラタトスクの仕事を終えた琴里が帰って来る。

「ただいま~」

「おう、遅かったな琴里」

 見知らぬ人の声に四糸乃は毛布をすっぽりと頭から被って丸くなった。

「四糸乃、どうしたんだ?」

 士道が声をかけたが四糸乃は毛布の中から新しく現れた琴里を警戒するような眼差しで見守った。

「あら、お客さん? 珍しいわね士道」

「違う、この子家の前で雨だってのに濡れてたからさ」

「ふぅ~ん」

 チュッパチャプスを舐めながら来客の顔を窺う。まさか年端もいかない少女だとは琴里も思っても見なかったし、それどころか琴里は四糸乃の顔を良く知っていた。四糸乃だと確信した時、琴里のツインテールはピンと針のように逆立った。未封印の精霊“ハーミット”が自宅に来ているのだ、驚くなと言う方が難しい。

 肝心の士道は四糸乃が精霊であるとは知らない様子だ。

「じゃあごゆっくり」

 琴里は大きなフリップを出すとマジックで文字を書いて、四糸乃から見えない方向から士道にフリップを見せた。

《その子、精霊よ》

「えっ!」

『どおしたの~士道くん! それよりあの子は誰なのかな~?』

「妹だよ妹」

 精霊だと正体が分かれば急に緊張感が出て来る。確かにパペットのよしのんはフランクで良く喋るのだが、四糸乃の方は先ほどから黙ったままで殆ど声を発しようとはしたがらない。再び、琴里がフリップを出して指示を送る。

《そのまま機嫌を損ねずに好感度をじゃんじゃん上げて!》

「よしのん、今度さ俺と……デートしないか?」

 あまりに段階を省略した誘いに琴里はずっこけそうになり、フリップに「バカ!」と殴り書きをして見せた。よしのんもポカンと口を開けて固まっていたが、口の両端がつり上がり笑い出した。

『キャハハハ! 士道くんてひょうきん者? それによしのんをデートを誘うなんてさ勇気ある~!』

「アハハ……どうかな?」

『う~ん』

 パペットが腕組みをして考えていると、微かにだが地面が揺れた。士道も琴里も特にはその揺れを気にしなかった。

「俺はもっとよしのんや四糸乃の事を知りたい」

 再び地面が揺れてコップに入った水の水面に波紋が起きる。ゆっくりとしかし確実に揺れは大きくなっている。流石に電球が揺れて食器がカタカタと音を立てた時は違和感を覚えた。

「よしのん、ちょっと待ってて。琴里」

「何よ?」

「さっきから何か揺れてないか?」

「そうね、地震ってわけでもないし」

 琴里がそう言いながら外の様子を見るべくリビングのカーテンを開ける。するとそこには巨大なグリムロックの頭があり、琴里の方を見ていた。

「キャァ!」

 ビーストモードのグリムロックを見て思わず琴里はひっくり返った。

「どうした、琴里! ――!? 何だコイツ……!」

 鋼鉄のティラノサウルは戦車をもズタズタにする鋭利な牙を備えて大きな口を開けている。

『あ、グリムロック!』

 よしのんがグリムロックと呼ぶと二人は目の前の恐竜を二度見した。映像ではグリムロックは大きな人型ロボット、こんなティラノサウルスではない。そんな事を思っているとグリムロックの体の各所が縮小と展開を繰り返して行き、ティラノサウルスからやがて巨人へと変形した。

 グリムロックは庭から見えるリビングの窓を壁ごと引きちぎって捨てると唸る。

「四糸乃、返せ!」

 グリムロックが人語を解するのは知っていたがいざ目の前で聞いてみると新鮮に感じた。

『グリムロック、ダメダメ乱暴は!』

 毛布から飛び出した四糸乃はよしのんを身振り手振りで暴れそうなグリムロックを止めた。

『この人はよしのんを助けてくれたんだよ!』

 よしのんが説得するとグリムロックは握り締めていた拳をほどいた。

「ありがと、四糸乃を助けて」

 意外と聞き分けが良くて助かった。士道は琴里を起こしてからグリムロックの目を合わせ、勇気を振り絞って聞いた。

「ぐ、グリムロック! 君は何者なんだ。何で十香を攻撃したんだ。何で四糸乃を守るんだ」

「俺、グリムロック。ダイノボットのリーダー、四糸乃は友達……」

「ダイノボット? 他に仲間はいないのか?」

 グリムロックはゴーグルから光が発射され、士道等三人の足下が崩れ落ちたように見えた。それはリアルな立体映像、およそ人類の技術とは思えないリアリティである。グリムロックが見せた映像はセイバートロン星での戦いの記録だ。そこにはグリムロック程ではないにしても人間から見れば十分巨大なロボット達が熾烈な戦いを繰り広げている。ありとあらゆるサイズが規格外の大きさでそれに伴って戦火も広く、行き渡っている。

 一見するとロボット達に見分けはつかなかったが、琴里は最初に肩や胸のエンブレムの違いに気付いた。よく見ればグリムロックも胸にエンブレムを刻んでいる。赤色のオートボットのマークだ。

 しばらく映像を見ていると奇妙な言語を話しだした。セイバートロン星の言葉で何を言っているのか分からなかったが、グリムロックがすぐに音声を翻訳した。

『オプティマス、どうしてこの星を離れなければならない』

『分かってくれグリムロック』

 グリムロックが出した映像に現れたのはオートボットの総司令官オプティマス・プライムだ。士道の意見としては誰が何なのか解説が欲しい所だが、グリムロックは黙って映像を流している。

『メガトロンがプライマスにダークエネルゴンを流し込み、シャットダウンした今、この星に居てはオートボットもディセプティコンも共倒れだ。逃げるしかないんだ』

『腰抜けめ!』

 グリムロックがオプティマスの肩を押して威圧的に見下ろし剣を突きつけた。

『俺はディセプティコンを一匹残らず狩り尽くす! この星をメチャクチャにしたメガトロンを俺がすり潰してミートボールにしてやる』

『待てグリムロック! 君はアークを守るんだ! アークが最後の希望なんだぞ』

 グリムロックは背を向けてオプティマスの命令を無視した。そして数名の仲間を引き連れてオートボットの基地を後にした所で映像は止まった。

「俺の星は、もう無い、仲間も」

 呑み込むには時間がかかったが、琴里は理解した。グリムロックは単なるロボットではない、機械だが感情が存在し心を持ったれっきとした生物だ。そして彼等は人間ように種族を持っていたのだ。グリムロックの口振りから戦争で故郷が滅んだと推測出来る。

 戦争で村や街が滅ぶの話は聞くが、戦争で自分達の住む星が滅ぶなど考えた事もなかった。

「グリムロック……」

 士道はどういう言葉をかけてやれば良いのか分からない。珍しくグリムロックは物悲しげな表情をしていた。性格は違えども四糸乃は地球に来て出来た初めての友達だ、そんな彼女に仲間意識が芽生えていた。グリムロックは四糸乃を肩に乗せて五河家の塀を踏み潰して路上に出た。

「グリムロック! その子はASTに狙われている!」

 振り返って足下で吼える小さな人間を見下ろした。

「知ってる、だから、来れば俺が、追い払ってる」

「その子がASTに狙われずに済む方法がある! グリムロック、お前も戦わずに済むんだ。平和な世界に戻れ――」

 士道の言葉を遮り、グリムロックの剣が真横を掠めて地面に深い堀が出来た。グリムロックの目が赤く光る。

「ぐ、グリムロックさん……止めて下さい……」

 四糸乃が止めようと小さな声で叫ぶ。

「俺は戦う為に生まれた。戦う事、それが、存在理由!」

 平和など考えた事も無い。戦う事が運命だと決められたトランスフォーマー、その中でも一際、戦闘と破壊に特化されたダイノボット、加えて知性の九割を戦闘力に割り振られたグリムロックは常に闘争心を抱えている。戦場こそがグリムロックの住処だ。 士道の説得は通じずグリムロックは帰って行く、潰れた塀と窓から冷たい風が吹き込む。

「琴里、あれどうしよう」

「宇宙人は専門外よ。それに十香みたいに戦いを嫌がる素振りも無いし。そもそも精霊じゃないから封印も無理かも」

「放っておいたらどうなると思う」

「アイツの口調からしてASTは何回か追っ払ってるみたいだし……。情報じゃあ先にグリムロックを見つけたのは陸自だしね。いつかはグリムロックから陸自を襲うんじゃあない?」

 グリムロックを人間の物差しで計ってはいけない。攻略は難しそうだ。

 

 

 

 

 朝礼が始まる前、窓際に席を持つ士道は学校の窓からボーっと空を眺めていた。頭の中は昨日見た精霊とトランスフォーマーの事で一杯だ。精霊はデートで救う事が出来る。だがトランスフォーマーを救う算段は思いついていない。チャイムが鳴って、士道が黒板の方に顔を向ける。そこには担任のタマちゃん先生と見慣れた顔があった。

「副担任の村雨令音だ……よろしく」

 フラクシナスの解析官がまさかの副担任として来禅高校にやって来たのだ。士道は思わず声を上げかけたが、新人の美人教師と知り合いと言うだけで怪しい香りがする。ついでに男子の嫉妬の的にされるだろう。

「では皆さーん! 村雨先生とも仲良くして下さいね~! 後ですねぇ、何と今日は転校生が来ちゃうのですー!」

 転校生と聞いて教室内が一気にざわついた。情報通の女子ですら転校生の話題を知らなかった。謎の転校生という響きが更に教室を色めき立つ。

「先生ー! 男ですか? 女ですか!?」

「それは入って来てからのお楽しみですー! では登場して頂きましょう! 夜刀神十香ちゃんです! どうぞー!」

 いつにも増して先生のテンションも高い。

 士道は十香の名を聞いて呆気に取られていると教室に長く艶やかな藍色の髪をなびかせて十香が入って来る。程良く肉付いた綺麗な足、引き締まった尻、くびれた腰にかけての完璧なボディライン、良く育った胸、わずかに覗かせる細い首はもちろんとても整った顔立ちとキラキラと何かに思いを馳せる用に輝いた瞳には男子を引き込む誘引力がある。

 性別を問わずに魅力する美少女の登場に教室は一瞬だけ静まり返った。次いで、歓声が教室を支配する。

「じゃあ夜刀神さん、自己紹介してみましょう!」

 おもむろに十香はチョークを取って汚い字で『夜刀神十香』と書いた。そしてポケットから何やらメモ帳を取り出して拙い音読を始める。

「ハジメマシテ、ヤトガミトオカデス、ミナサン、イチネンカン、ヨロシクー。うむ、完璧だ」

 ツッコミたいがここは我慢だ。士道は平静を装って十香に拍手を送った。

「では夜刀神さん、空いている鳶一さんの前の席で」

「うん!」

 折紙の前の席、それは士道から見て右下に当たる。十香が歩いて来るが士道はなるべる目を合わせないようにしていた。だが十香は目を丸くさせ、士道の存在に気付いた。

「あ、シドー! お前も私と同じクラスなのだな!」

 十香はそう言って人目もはばからずに士道に抱き付いた。その瞬間に全ての男子から殺気が女子からは嫌悪感が向けられた。

「五河! その子とどういう関係だ!」

「五河くんもう転校生に手を出してたの!?」

「まじひくわー」

「例えこの身が犠牲になろうとも五河を倒すしかない……!」

「十香、いきなり目立つような事するな。違うからな! みんな誤解だぞ! 俺と十香は変な関係じゃないからな!」

「うむ、そうだぞ! 私とシドーは変な関係ではない! もっと深い仲だ!」

 フォローのつもりだったのだろうがこれでは火にエネルゴンを注ぐような物だ。

「五河ァ! オレ……オレ、オレオォ!」

「まじひくわー」

「俺が死ぬか、お前が死ぬかだ五河……!」

 更に殺気立った時、スッと折紙が手を挙げた。

「夜刀神十香の言っている事は間違い」

 普段は無口な折紙の発言にクラスは少しだけ静まったかに見えた。折紙は士道の首に腕を絡めて強く抱き締めた。

「何故なら士道は私と付き合っているから」

「もういい! もうたくさんだ! 五河を破壊する!」

「五河を屑鉄に変えてやろうぜ!」

「選んだ学校が悪かったな! その顔を剥いでやる!」

「ご、誤解だ! 誤解なんだぁぁぁ!」

 授業が終了した後に士道がクラス中の男子に追い回されたのは言うまでもない。嫉妬に燃える男子等の消火剤は無い物かとコソコソと廊下を歩いていると背後から襟を掴まれた。そこから有り得ないバカ力で屋上へ通じる階段の踊場に引き込まれて行った。

「士道……」

「ゲホッゲホッ、何だよ鳶一」

「質問がある」

「質問?」

「夜刀神十香は精霊“プリンセス”に極めて似ている。夜刀神十香は精霊?」

 折紙の目は確信したような力強い眼差しをしており、そして士道は嘘が苦手な方だ。このままシラを切るのは難しい。

「十香は精霊だった……」

「だった……?」

「そうだ、今は力を失って普通の女の子だ。鳶一、それでもお前は十香を狙うのか?」

 折紙は首を横に振って否定する。

「観測機に精霊反応が無ければ出動する理由が無い」

 折紙の言葉を聞いて安心した。

「なあ、鳶一。何でASTに入ったんだ?」

「私の親は昔、精霊に殺害された。私は両親を殺した精霊に必ず復讐する。もう私と同じような人を生み出したくない」

 恐らく折紙の復讐心が鈍る事はないだろう。折紙が更に何かを言いかけたが、同時に士道に酷い頭痛が襲いかかった。痛みで少しフラついて手すりにもたれた。

「士道、大丈夫?」

 折紙は直ぐに肩を貸してやる。

「ああ、平気だ」

 頭痛がしばらくして収まると校内に全体にけたたましく空間震警報が鳴り響いた。これは折紙にしてみれば出動の合図でもあり、士道にとって戦争デートの時間でもある。

「仕事の時間」

 折紙は士道を人目のつく場所にまで運んでから人の流れに逆らって走って行く。士道も早急にフラクシナスに回収してもらう為にインカムを耳に入れながら走り始めた。

『士道、聞こえる? 四糸乃が現れたわ。幸いにもグリムロックもいないみたいよ』

「わかった、もう校舎から出るからフラクシナスで回収してくれ!」

『OK!』

 琴里と話しながら走っていると前方への注意が疎かになり、誰かとぶつかり士道はこけた。

「悪い! 前をちゃんと見てなかった!」

「シドー何をしているのだ?」

「十香?」

「このベルは何なのだ? まさか給食という奴か!? 皆食堂に向かって走っているのだな!?」

「違う違う、ちょっとしたトラブルだよ」

「トラブル?」

「詳しい事は後で話す! タマちゃん先生! 十香を連れて行って下さい」

 ちょうど通りかかった岡峰教諭を呼び止めて士道は十香を任せた。

「はい、先生に任せて下さい。皆さん! 押さない、走らない、死なない! さあ、夜刀神さんもシェルターに行きましょう! 押さない、走らない、死なない!」

 走り去る士道の背中を十香は物寂しい眼差しで見送った。

 

 

 

 

 フラクシナスの艦橋にはクルーと琴里、神無月と令音のお馴染みのメンバーが士道を迎えてくれた。士道の心臓も最近の度重なる異常事態に強くなった。空間震警報では眉一つ動かさないくらいの肝は座って来た。

「士道、四糸乃は現れるなりデパートの中に立てこもったままよ。ASTは空中で待機しているわ」

「十香と初対面と似たシュチュエーションだな」

「そうも言ってられないわよ、四糸乃は気性の穏やかな精霊、反撃もして来ないから向こうも強気よ」

「ASTはあんな小さな娘にも……」

「形は関係ないの、彼女が精霊である限りね。士道、転送の準備は出来てるわ」

「いつでも行ける」

 転送を開始し、士道の体が光と共に艦橋から消えた。

 士道を転送した先はデパートの七階おもちゃコーナーだ。電気が落ちて視界は悪いが慣れれば問題なく見える。フラクシナスの追跡カメラでは至って普通に映っており、視界に難は無い。周囲はプラスチック製のジャングルジムや子供向けのおもちゃが数多く並べられていた。士道は四糸乃を探して歩き回っていると、突然目と鼻の先にあのおちゃらけパペットよしのんが顔を出した。

『君もよしのんを苛めに来たのかなぁ~?』

『――!?』

『むむ!? 誰かと思えばこの間のお兄さんじゃない!』

「でたわね、よしのん」

 チュッパチャプスを舐めながらフラクシナスの提示して来た選択肢を見詰めた。

 一、よう、風邪は治ったのか? 元気そうで何よりだ。

 二、今日はグリムロックと一緒じゃないのか?

 三、合いたかったよ、四糸乃。

「総員選択!」

 琴里が指示すると全員が最良と予想するボタンを押した。

「ふ~ん……一番人気は一番か……」

「やはり、先日風邪をひいていたんです。会って心配されて悪い気はしない筈です!」と、川越。

「二は四糸乃よりもグリムロックに焦点を当てているのでダメですね」と、箕輪。

「士道、一番よ」

『よう、風邪は治ったのか? 元気そうで何よりだ』

『よしのんの事、心配してくれるんだ~、士道くんは優しいねぇ!』

 好感触なようだ。ひとまず好感度パラメーターは下がらず、僅かに上昇はした。しかしまだキスをして封印出来る程の好感度ではない。

「司令、どうします。彼女はまだ穢れを知らないツルペタボディです。デートやキスについて大した知識を持っていないのなら口説けるチャンスです」

「……十香のように事前の知識が無いならホイホイついて来る……か」

 十香は積極的な性格だが四糸乃はそれに対して消極的な性格をしている。誘っても乗って来ない可能性がある。

「士道、四糸乃をデートに誘いなさい。出来るだけ優しく」

 優しく、と言われてもピンと来ないが士道は普段の琴里を相手にしているような口調で言った。

『四糸乃、デートって覚えてるか? そっちが良いならその、俺とデートしないか?』

 士道の視線はよしのんではなく、心を閉ざしている四糸乃の目を見て言った。パペットは急に黙り込み、四糸乃は目を泳がせながら言葉を詰まらせている。

『俺はお前が狙われているのを見ていられない。四糸乃、チャンスをくれ俺ならお前を救える』

『し、士……道……さん』

 沈黙からようやく声を絞り出す四糸乃、だがそれは一発の銃声に掻き消されてしまった。弾丸は真っ直ぐに四糸乃の左手に命中し、パペットが地面に落ちた。霊装を纏う四糸乃に怪我はないがパペットには穴が空き、中から綿がこぼれている。

『誰だ!』

 暗闇から放たれた銃弾の方向に向かって士道は叫ぶ。現れたのは対精霊用のハンドガンを構えた折紙だ。ワイヤリングスーツ姿で右手には白く光るレーザーブレードを握り、憎悪を込めた眼光が四糸乃に刺さる。

『士道、どいて。ソレは私が始末する』

『鳶一! やめろ! 四糸乃は悪い奴なんかじゃあない』

『空間震で死んだ人にあなたは同じ事を言えるの? 精霊は敵、人類のガン』

 突然の折紙の乱入に琴里は額に嫌な汗を流した。ASTの任務よりも自己の復讐を優先する折紙はラタトスクの予想を外れた行動をして来る。

「司令、大変です。四糸乃の精神状態が不安定になって行きます!」

 椎崎が叫んでスクリーンに四糸乃の現在の精神状態が投影された。

「マズいわね、見る見るうちに不安感が強くなっている。十香の暴走に似た数値よ」

 

 フラクシナス内で四糸乃の心配をしていると事態は次なる展開を迎えていた。

『ハーミットは比較的大人しい精霊、反撃もして来ない』

『じゃあ何で執拗に追うんだ!』

『精霊と人間は水と油、終生混じり合う事は無い』

『十香は違う、アイツは普通の女の子になったじゃないか!』

『例外もある。私達の使命は精霊の抹殺』

 折紙はブレードを両手で握り、打ち抜かれたよしのんを両手に抱く四糸乃の首に刃を当てた。

『鳶一、やめろぉ!』

 士道が抹殺を阻止せんと一歩前へ歩いた同時に四糸乃は片手を天にかざし――。

氷結傀儡(ザドキエル)!』

 三メートルはある大きなうさぎを出現させる。これこそ四糸乃の天使の顕現化だ。凶悪なうさぎは折紙に吼えると天井に穴を開けて飛び去って行く。折紙もCR-ユニットを展開して四糸乃が空けた穴から野外へ飛んで行く。

 早速、外がドンパチ賑やかになる。

「士道、引き上げるわ」

『ああ』

 目標を見失い士道はフラクシナスに転送された。戦闘になれば士道に出る幕は無い、戦いが起きる前に決着を付けたかったが今回は折紙の横槍によってそれは叶わなかった。その後もフラクシナスでは四糸乃と会話を出来る機会を探しては見たものの苦しい戦いの間に入り込む事は出来なかった。そして何よりも折紙と対面してからの四糸乃の不安感が上昇しっぱなしなのである。精神が乱れれば精霊は天使をコントロール出来ない。制御を失った怪物はやがて隣界へとロストした。

 

 

 

 

 最近は雨が多い。

 季節は五月、梅雨にはまだ早いのだが連日空は雨模様だ。それに天気予報では晴れと言っておきながらいきなりゲリラ豪雨に見回れる時もあり、士道は傘を持参するようにしていた。十香が転校して来た日からどうにも男子から嫉妬が凄まじい。十香との潔白はなんとか証明出来た。現在、十香は士道の家に寝泊まりしており一つ屋根の下で寝食を共にしている事がバレたなら今度こそ引きずり下ろして細切れにされかねない。

 毎日毎日一緒に登校していてはいずれバレてしまう。だから士道は十香と登校時間をズラして学校に行っていた。授業が終了して十香と共に帰っていると玄関の前に何かが立っている。

 何かなど曖昧な表現をしなくても良い正体はグリムロックだ。ビーストモードで地面をクンクンと嗅いでいる。

「シドー、何だあれは!? ジュラシックパークか!?」

「動物ランドは断固NOだ」

 士道は少し引き腰でグリムロックに近付いた。それもそうだ、この間はグリムロックの癇に触って殺されかけたのだ。

「ぐ……グリムロックゥ~」

 語尾に行くに連れて声が小さくなる。それでもグリムロックにはちゃんと聞こえており目を光らせながら振り返った。

「お前、四糸乃、助けた奴」

「そうそう、四糸乃の看病してた。五河士道だ。よろしく」

 名前を名乗る士道よりもグリムロックはその隣にいる少女、十香を見てグリムロックは威嚇するように唸った。地球初日に会ったあの少女にようやく出会え、歓喜の雄叫びを上げたい所だが、問題はあの頃の強さもダークエネルゴンの力も感じないのだ。グリムロックは鼻を利かせて十香をクンクンと嗅ぐ。

「ちょっ……もう、アハハッ! くすぐったいぞ!」

 ダークエネルゴンの嫌な臭いがしない。グリムロックはとりあえずは危険が無いと判断してトランスフォームを開始した。複雑な変形プロセスはいつ見ても大した物だと感心出来る。ティラノサウルスが瞬く間に鉄の巨人に変形した途端、十香の表情が変化した。

「お、お前……あの時のメカメカ団だったのかー! 別の姿に変わって私を欺いたな!」

 元来変形能力とはこういった物に使う。人間社会に溶け込むに最適な通常のトランスフォーマーのビークルモードなのだがグリムロックのビーストモードでは欺くなど出来る筈がなかった。今回は十香を欺く事に成功はしたが。

「お前、今、匂わない」

「シドー、私は臭いか?」

「多分体臭の事を言ってるんじゃないと思うぞ。グリムロック、ここで何してるんだ! 四糸乃は一緒じゃないのか?」

「四糸乃、居ない、よしのんが無くなって、悲しんでる」

 よしのん、あのパペットは折紙に撃たれてからどうなったか分からない。グリムロックはよしのんを探しに町へ来たのだ。

「グリムロック、四糸乃はどこにいるんだ?」

「四糸乃、消えた、居ない」

 隣界へ消えたと言いたいのだろう。グリムロックは精霊の存在についてあまり理解していない事が分かった。

「よしのんを探すの俺も手伝うぞ」

「おいシドー、コイツは危険な奴だ。パワーもすんごいんだぞ! 私がぶわーって吹っ飛ばされたんだ!」

「十香、俺はグリムロックと四糸乃を助けたい。あの子もお前と同じ精霊なんだ」

「精霊? 私以外にも精霊が……?」

「お前と同じような運命を背負った子が他にもいるんだ。俺はそいつ等を助けたい」

「シドー……」

 十香は真剣な眼差しへ変化して士道と向き合う。不思議と十香の胸の鼓動が大きな音に聞こえて来る。

「俺、グリムロック。いちゃこらするなら先に行くぞ」

「ごめんごめん、とりあえず琴里に連絡を取ってみる」

「ええい、まどろっこしい! 町中を片っ端から匂いを嗅いで探すしかないだろう!」

「俺、グリムロック。賛成、お前、話合うな」

「うむ! よしのんの匂いが分かるなら探すのは簡単な筈だ!」

「十香、お前、賢いな。俺に乗れ」

 グリムロックはすかさずビーストモードに変形して頭に十香を乗せるとアスファルトをえぐり走り出した。

「おーい! あまり目立つような事はするなよ! つーかフラクシナスで見つけるから待てよー!」

 大声で士道が呼ぶがグリムロックと十香は既に遥か遠くで士道の声は聞こえない。諦めた士道はインカムの方に注意して琴里が出るのを待った。三、四回のコールの後に琴里が出た。

『どうしたの士道? 今、町で金属のティラノサウルスが女の子を乗せて走る映像を見てるんだけど?』

「見えてるのか……」

『まあね、あれだけ派手に走り回れば嫌でも目に付くわ、それで用件はなぁに?』

「四糸乃が持っていたパペットがあったろ?」

『え~っ確かよしのんだったかしら?』

「それだ、フラクシナスで探せないかな?」

『任せなさい、スーパーウルトラセクシーエンジン搭載、耐熱性五年間保証付きの空中艦にかかればすぐに見つけるわ』

「助かる。ところで四糸乃はどうして急に暴れ出したと思う?」

 士道が問うと会話が一時的に止まり少しだけ沈黙が訪れる。士道も四糸乃が不安定になった原因は大方予想はついているが、琴里にも聞いてみる事にした。

『……よしのん、かしらね。あのパペットが外れてから急におかしくなったわ』

「やっぱりか」

『見つけ次第連絡するわ』

 通信を終了して士道も自分の足で探してみる。四糸乃が居たのはデパート、その付近には高いビルが並んでおり人通りも多い。あいにくの雨で歩行者は普段よりも少ないにしても車はよく走り、サラリーマンなどが歩き回っていた。天使を顕現させてから良く見えていなかったが、四糸乃がよしのんを抱えていたのは確認している。四糸乃ももしかするとよしのんを探しに来ているかもしれなかった。

 今は頭痛もしないので空間震は起こらない筈だ。傘を差しながらデパートと他のビルの間を通る道を歩きながらどこかによしのんが落ちていないか探していると。例のうさぎの耳のフードを被る四糸乃の姿があった。服装が他に比べてかなり目立っているので嫌でも目に止まる。四糸乃は落ち着きが無く、そわそわした様子で辺りを見回し、ゴミ箱の中や自販機の下を覗いてよしのんを探していた。

「また風邪ひくぞ、四糸乃」

 士道が声をかけたが四糸乃は急な出来事に驚いてビクッと体を震わせた。だが声の主が士道だと分かると強張った表情もいささか緩んだ。また傘も差さずに歩いている四糸乃を案じて士道は自分の傘を渡してやった。

「……?」

「傘の使い方が分からないのか? こうやって使うんだよ」

 士道は膝を折って目線を合わせると四糸乃の小さな手に傘を握らせて傘布を上に向ける。

「ほらな、これで濡れない」

「ぁ、ありがとう……ござい……ます……」

 よしのんとは対照的で物静かな性格と口調だ。

「何か、探しているのか?」

 答えは知っているが念のため尋ねてみる。

「よしのん……」

「俺も一緒に探してあげるよ」

 四糸乃は驚いたように顔を上げた。よしのんの捜索に入ろうと士道が意気込むもののぎゅるる、と大きな腹の虫が鳴いているのが聞こえた。士道は目を丸くしていると四糸乃は恥ずかしくなってフードを深々と被って顔を隠した。

「お腹、減ってるのか?」

 赤面しながらも四糸乃は激しく縦に頭を振った。士道は笑って四糸乃の頭を撫でてやり、背伸びをする。

「飯でも食うか、連れて行ってやるよ」

 四糸乃の手を握って士道は近くのファミリーレストランに入った。四糸乃は物珍しさに辺りをキョロキョロと見回している。

「お客様、二名様でよろしいでしょうか?」

「はい」

「では、こちらの席へどうぞ」

 店員と席のやり取りをして二人用の席へと案内された。士道は財布の中身を確認して頷いた。一方、四糸乃は何をしたら良いのか分かっておらずまだ辺りを見回していた。

「ほら、このメニューで食べたい物を選ぶんだ」

 広げたメニューを凝視する四糸乃はしばらくの間メニューとにらめっこした後にデラックスキッズプレートを選んだ。琴里の好きな料理だ。それから呼び出しボタンで店員にデラックスキッズプレートとコーヒーを頼んだ。

「四糸乃、お前のあのよしのんはどんな存在なんだ?」

「……友達……よしのんはわたし……みたいにうじうじ……しない……理想の……わたし……」

「理想のわたしねぇ……俺は今の四糸乃の方が好きだよ」

 歯が浮くような台詞だが、当人は自覚はない。

「じゃあさ、グリムロックは?」

「いつも……わたしを守ってくれる……わたしの……もう一人の……友達、わたしのヒーロー……」

「ヒーローか。四糸乃はどうして反撃しないんだ?」

 四糸乃は言葉を詰まらせながらも答えた。

「……わたしは……いたいのや……こわいのが……キライ……です。……きっとあの人……達も……いたいのもこわいのも……嫌だと……思うから……」

 他者を傷付けるのも傷付けられるのも嫌な四糸乃の優しさには士道は胸に刺さる物を感じた。怪物でも何でもない、欲しくもない手に余る力を与えられた少女の心中は、果てしない優しさに満ちている。そんな子に一切の救いが無いなど悲しすぎる。今一度、士道は四糸乃を助けようと心に誓った。

『士道、聞こえる? よしのんの居場所が判明したわ。四糸乃とゆっくりご飯食べてて良いから良く聞きなさい』

「ああ」

『よしのんは今、鳶一折紙の自宅よ』

 

 

 

 

 グリムロック、十香の二名は現在走り疲れて人気の無い土手で休んでいた。

「見つからんな」

「俺、グリムロック。お前の勘、当てにならない」

 走り回った所為で腹が減ったグリムロックは昼飯用に持って来た串に刺さった焼き魚を取り出して食べ始めた。そんなグリムロックを横には涎を垂らしてまじまじと見詰める十香がいる。食い意地の張った十香が焼き魚の香りを逃す筈がなかった。

「美味しそうだな……ちょっとで良いのだがな……良い香りだな……」

「お前も、食って良いぞ」

「ホントか!?」

 瞳をキラキラさせながら十香は脂の乗った魚にかぶりついた。

「う~む! 美味い、美味いぞ焼き魚」

 何十本もあった焼き魚は大食らいの二人にかかればものの数秒で無くなってしまう。少しは腹が膨れて十香とグリムロックは土手で仰向けになって寝転んだ。

「十香、お前、何でダークエネルゴン、持ってた」

「前も言っていたな。そもそもダークエネルゴンは何なのだ?」

「危険な物」

 具体的に何が危険なのか知りたいがグリムロックはダークエネルゴンの詳しい事情は知らない。とりあえず危険な物質であると聞かされているだけだ。食後の休憩を終えると十香は立ち上がった。

「よしのんを探すか」

「そうだな、お前、当てにならないから匂い嗅ぐ」

 ビーストモードに変形して十香を頭に乗せて地道に鼻を利かせてゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 

 酷く気が進まない調子で折紙の住まうマンションの前にいた。このマンションを訪れるのは二回目だ。こんな短期間の間に二回も女子の部屋に上がるなど予想もしていなかった。四糸乃は、デラックスキッズプレートを食べ終えてからファミリーレストランを出てすぐにロストした。

 折紙の自宅は謎のとりもちが、部屋に散乱していた謎の拘束具を鮮明に覚えている。ついでに捕まっていた士道の分身体の心太郎もだ。インターホンを押す事にかなり躊躇うが、文句も言えない。恐らく折紙の家に行けるのは世界中探し回っても士道だけであろう。

 意を決してインターホンに指を近付けるとボタンを押す前にエントランスのドアが開いた。どこで士道を監視しているのかほとほと気になるが、なるべく意識はしないようにした。

 エレベーターで昇り、折紙のいる階に到着すると部屋の番号を頭に浮かべながら廊下を歩く。折紙の部屋の前までやって来ると同時に玄関のドアが開き、メイド服を着た折紙が出迎えてくれた。

「と、鳶一!?」

「何?」

 メイド服について触れて良いのか分からないまま部屋に上がると以前、来た時とは打って変わって生活感に溢れ、何故かベビー用品がいくつか置いてある。

「すぐにお茶を出す」

「お、お気遣いなく~」

 折紙に何をされるか分からない。そう考えると気が気でない。台所へ行った折紙がおぼんを持って帰って来る。

「どうぞ、粗茶ですが」

 そう言って出して来たのは紫色にブクブクと不思議な泡を立てる謎の液体だ。

「どうぞ」

「え、いや……どうぞって……」

「どうぞ」

 士道は断れず、恐る恐る湯のみに手をつけて紫色の液体の粗茶を飲み込んだ。一口だけで分かる異常な苦味に士道は耐えきれず吐き出した。

「ぶへぇッ!? 鳶一、お前何を入れたんだ」

 士道の質問に答える前に折紙は士道を押し倒し、馬乗りの状態となった。

「鳶一!?」

「一つだけ、無条件で呑んで欲しいお願いがある」

「な、何だ」

「私の子孫を残す手伝いをして欲しい」

「子孫を残すって……」

「セックス」

「ダメだ! それはダメだって!」

「だめ?」

「それは……まだお互い良く知らないし、もっと深く知り合ったりじゃないとさ……ダメ……かな」

「ではまた今度。もう一つ無条件で呑んで欲しいお願いがある」

「あなたは夜刀神十香を十香と名前で呼ぶ、対して私を鳶一と苗字で呼ぶ、これはたいへん不公平、私の事も折紙と呼んで欲しい。だめ?」

「それは……ダメじゃあ……ないかな、折紙」

 折紙の頬はほんのりと赤らみ、士道の腹の上から退くと軽やかにジャンプして喜びを表す。

「どこに行くんだ?」

「シャワー」

 それだけ言い残して折紙は風呂場へと行ってしまう。士道にしてみればまたとないチャンスだ。折紙がシャワーに行った隙に士道は部屋の中を探し出した。リビングはいくら探しても見つからない。次に士道は寝室を探る事にした。

 女子の寝室を物色する背徳感は凄まじいが四の五の言っている場合ではない。

「くっ……何なんだこの部屋、妙な香りがするしさっきから顔が熱いし……」

 ふと折紙のベッドに目をやるとそのベッドのサイズがやけに大きい事が分かる。嫌な想像が脳裏を駆け巡るが、全て無視した。しばらく寝室を探した後によしのんはタンスの上で発見出来た。撃たれた腹は綺麗に縫合されて以前と変わらない程に修復されていた。よしのんを持って来たバックに詰め込み、目的を達成した士道は汗を拭った。

 ちょうど折紙もシャワーを終えて出て来た。その格好は裸体にバスタオル一枚だけ巻いたというなんとも無防備な姿だ。

「オアッ!? 折紙ィ!?」

 思わず声が裏返った。折紙はちょこんと士道の隣に座る。それも嫌に距離が近い。士道が少し離れると折紙は即座に近付いて来る。

「……なあ折紙、お前精霊は殺さなくちゃいけないかな?」

「当然、精霊は私達の敵、どういう意思か何て関係ない。やらなければ私達がやられる」

「折紙、俺は精霊と話した事がある。十香も最初は精霊だ。でもアイツは破壊とか大嫌いなんだ。持ちたくもない力の所為で戦わねえといけないんだ」

「大いなる力には大いなる責任が伴う。破壊が彼女達の意思ではないしても代償を支払う義務がある」

「折紙、考え直してくれ。十香や四糸乃は本当に良い奴なんだ! お前もスゲェ良い考えしてるさ! お前にあんな良い奴らを殺して欲しくない……」

「いくらあなたのお願いでも、容認出来ない」

「そんな――」

 士道は更に何かを言おうとしたが頭痛に見舞われた。こんな時に空間震の発生とはタイミングが悪い。警報が鳴り、折紙のケータイに出動要請が出た。

「私はこれから仕事、あなたは早くシェルターへ逃げて」

 折紙はバスタオルを払いのけてワイヤリングスーツに着替えると出動した。士道も折紙の後に続いて部屋を出るとインカム越しに琴里の声が聞こえて来た。思い返せば通信を切った覚えはなかったが、折紙の家に来た時から琴里の声が突然聞こえなくなった。

『士道!? やっと繋がったわね! あの鳶一折紙って人何なの? 凄い妨害電波で通信が出来なかったのよ』

「妨害電波って……」

『まあその件は後回し。四糸乃が現れたわ。ASTの戦力も今までの何倍も増強しているし、四糸乃の方も力の制御が全く出来ていない暴走状態よ』

「了解、こっちもよしのんを見つけた。アイツを助けに行く」

 

 

 

 

 何もない空間から現界した感触は慣れた物だ。出現した時に四糸乃の目に映るのは無数の銃口だ。今回はその銃口が普段よりも何倍も多かった。四糸乃が姿を現したのをきっかけに空中のASTはガトリングやミサイル、ライフル、大砲というありったけの砲火を浴びせた。爆発と鉄の雨を凍らせて四糸乃は逃げ出す。四糸乃に下手に近付けば肉体を凍結されるのは、皆知っており接近を避けていた。

 その中で折紙だけは抜きん出て攻撃を仕掛ける。隊長の燎子は軽率な行動に目を剥いたが折紙も単に捨て身の特攻などではない。勝算があっての行動だ。

 四糸乃が逃げ行く方向に先回りし、折紙はガトリングを掃射しながら迎え撃ち逃げる方を予想してブレードで切り落とした。固い地面に叩きつけられた四糸乃は、痛みで泣きそうだ。目頭が熱くなり精神の寄りどころであるよしのんを頼るが、よしのんは今はいない。

 折紙はスラスターの噴射を緩めながら下降して来る。ガトリング砲の弾を再装填した。ブレードを握る手は精霊を斬れるという喜びに震えている。

「ようやく……私達の反撃……!」

氷結傀儡(ザドキエル)……」

 天使の顕現など想定の範囲内だ。だが今回の四糸乃の天使の威力は、今までのそれとは全く別の物であった。四糸乃の体には紫色のオーラが包み込み、天候が雨から雪へ雪から吹雪へと変わった。

 折紙が持っていたブレードも四糸乃の冷気によって見る見るうちに凍り付いて行く。氷結の浸食はテリトリーを展開している腕にまで及んだ。その瞬間に折紙はスラスターを噴射して急上昇で事なきを得た。

「あんたって、本当に死に急ぎ野郎ね」

「隊長、“ハーミット”は随意領域テリトリーごと氷結させて来る」

「ますます近距離戦は厳しくなったわね」

「今回は戦力が違う」

 ASTの戦力は普段とは違って明らかに多い。自走砲や空中には攻撃機、爆撃機までもが飛んでいた。ASTの撃破目標は四糸乃以外にもう一人いた。

 

 

 

 

 グリムロックが町の外れから帰って来た時、中央区は氷の世界となっていた。頭に乗せていた十香を安全な所に置いてからグリムロックはロボットモードに変形する。ゴーグルは吹雪で視界が悪くなっていても鮮明に景色を捉えており町で何が起こっているのかを容易に確認出来た。

 少し高いビルによじ登り、空中にASTの大部隊がいるのを確認した。そしてもう一つ、尋常ではない霊力を放ち堅牢な氷の城がある。それが四糸乃の物である事は察せる。

「四糸乃……!」

 本能か、勘か、グリムロックには四糸乃の叫びが良く聞こえる。こんな感情は覚えがある。ショックウェーブに仲間を改造され、シャープショットにスナールが拷問にかけられていた時の怒りだ。今度こそ、グリムロックはASTを一匹残らず叩き潰すつもりだ。巣穴である駐屯地も全て影一つ残らない程に破壊する。

 グリムロックは怒りに身を震えさせ、肉体は溶岩のように赤熱し、赤い蒸気を炎のように体から湧き上がらせた。怒りが頂点に達した際に見せる膨大なエネルゴンの燃焼によりグリムロックにかけらた枷は完全に外れる。

 腹の底から怒りの叫びを上げてグリムロックは、ソードと盾を出して家屋や店やマンションを突進で破壊しながら突き進む。

「俺の、友達、俺が、守る!」

 グリムロックが瓦礫を掴むと四糸乃への攻撃に気を取られていた隊員に投げつけ、命中した。瓦礫をぶつけられた隊員は多少は揺らいだが、流石にグリムロックの投擲力でも単なる瓦礫ではテリトリーは破れない。

「隊長、来ましたグリムロックです!」

 飛来して来た瓦礫の方向を指して一人が叫ぶ。

「待ってました。グリムロック、本命はあんたよ! 総員、グリムロックが現れたわ標的変更! AST、アタックだぁー!」

 燎子の指示に従い、大勢の隊員がグリムロックを空中で取り囲み持てるだけの弾を叩き込み、遠方からは綺麗な放物線を描いて自走砲の砲弾が飛んで来る。猛烈な爆発と風圧がグリムロックを飲み込む。段違いの防御力で全ての攻撃を弾いて大量の火花を散らした。人類の火力で迎え撃たれグリムロックは衝撃でよろめきはした。

 のけぞった所にブレードで斬りつけようと近付く隊員をグリムロックは睨んで荒っぽく掴み取り、力を込めて握りつぶした。目の前で仲間を失った瞬間を目撃して隊員等は血の気が引いた、瞬きをする間に二、三人がソードによって切り裂かれた。

 相手がトランスフォーマーでも怯まずに先行したのは折紙だ。怨みは無いが、敵対するなら容赦はしない。両腕にガトリング砲を携えてグリムロックの足下を狙い大量の薬莢を排出しながら弾丸を撃ち込む。ちょろちょろと鬱陶しい折紙を叩き斬ろうとソードを振り下ろし、水平に切り払い、うるさいハエを叩き潰すようにソードをデタラメに振り回した。

 やはり的が小さい所為もあってグリムロックの攻撃は当たらず、楽々と回避した折紙はガトリングを捨ててミサイルポットに持ち替え、六発のミサイルを発射。灰色の煙が整った軌跡を描きながらグリムロックの立っている地盤を粉砕した。

「うっ!?」

 足場は簡単に崩落を開始しグリムロックは抗う間もなく下半身全てが地面の中に埋まった。動きを封じ込めて燎子は「しめた!」と言い、対精霊用ネットをグリムロックに被せて動きを更に制限する。猛獣のように暴れているが、体が満足に動かないのであればどうしようもない。ネットを引き千切り、暴れるが次から次へとネットをかけられて動きが徐々に鈍くなっていった。

 対象は拘束した。ポイントをロックし、自走砲や爆撃機、攻撃機の支援を要請する。遠方から飛来する榴弾と頭上から撒かれる爆弾の雨、三〇ミリ機関砲、ASTも負けじと引き金を引き続けて周囲のビルは爆発に巻き込まれ、倒壊していく。瓦礫の落下場所はグリムロックの頭上だ。瓦礫が降り注ぎ、埋められてしまったグリムロックはそこで動きの一切を止めてしまった。燎子のセンサーにも熱源反応は無く、対象が停止したと確信した。

「撃破完了」

 折紙が静かな声で言う。

「ようやく折り返しって所かしらね」

 燎子が四糸乃の方にむき直した時だ。残るは精霊“ハーミット”だけだと燎子はいささかの安堵感を味わっていると――。

「隊長、あれを!」

 隊員の一人が近くにまだ建っている六階建ての雑居ビルを戦慄した表情で、恐怖で震えた指で差していた。最初は何を示しているのか理解出来なかったが燎子は目を凝らしてそのビルを注視する。

 なんとそのビルは動いていたのだ。

 燎子の背筋に嫌な脂汗が流れ、全身から血の気が引いて行くのを感じた。背筋が凍るとはこの事か、と燎子は改めて認識した。

 ビルの一棟の下、それを持ち上げて支えているのは紛れもなくグリムロックだ。更に体は赤熱して蒸気は益々迫力を増して吹き上がっている。背負っていたビルを時計回りに振り回し低空を飛んでいたAST部隊を巻き込んで振り回すビルの餌食にされた。そして上空にいるASTに向かってグリムロックは力任せにビルを投げつけ巨体と重量のパワーで押しつぶしていった。

 多くは回避が間に合わずに撃墜されてしまった。

「総員、グリムロックはまだ生きている! 攻撃開始ぃ!」

 再び砲火が向けられる。この時、グリムロックにも変化があった。剣を地面に突き刺してから両腕を殴りつけるように着いて、体が縮小と展開を繰り返してロボットモードからビーストモードへと変形した。

「なっ……!? 何なのあの姿は!?」

「恐竜と思われる」

 何だかんだでグリムロックのビーストモードを見るのは初めてのASTだ。その強さの深奥も初めて目の当たりにするのだ。

 空間をビリビリと震わせる程の音圧を持つ咆哮はガラス窓を割り、アスファルトの地面にクモの巣状に亀裂をいれた。更に何名かの隊員の戦闘意欲は萎縮してしまう程だ。口腔内に超高密度のエネルゴンを収縮、周囲の風がグリムロックを中心にして渦巻いて集まっている。瞳は赤々と輝きを増して肉体からもエネルゴンの光が漏れた頃だ、圧縮されレーザーファイヤーは燎子等ではなく、何もないビル群目掛けて放った。

 見よ、この破壊力!

 閃光、余波、熱量、爆発これら全ての出力が燎子達の未体験な物と断言しても良い程の規模だ。光で目を覆っていた手をどけると、グリムロックの前方に建っていたビル群は蒸発し、その先の小高い丘をぶち抜き、泉を干上がらせ、住宅街を薙払って陸自が配備した自走砲を消滅させたのだ。

 燎子はグリムロックの熱線が放った方向に本部がある事くらい知っている。燎子は素早く本部と連絡を取った。

「司令室、応答願います。司令室!」

『聞こえているよ』

 桐谷が応えた。

「司令室、そちらは大丈夫でしょうか!」

『自走砲がやられた。隊舎と倉庫もな』

 中央区の半分は四糸乃の氷で吹雪き、半分はグリムロックの攻撃で火災が発生している。

「無理よ……。止められないわ……こんなの」

 燎子は任務で初めて諦めの言葉を吐いた。普段の撤退命令とは訳が違う。中央区からAST本部までどれだけの距離が離れているか。最低でも一〇キロはある。その間にある障害物を破壊して自走砲だけを撃破したのだ。

 規格外にして桁外れ、凶悪にして情深く、過剰にして無謬。

 圧倒的戦闘力を誇るグリムロックは町をあっという間に凄絶な光景を作り上げた。

 気が付けば燎子の周囲には顔馴染みのメンバーだけで殆どはグリムロックにやられていた。

 グリムロックは口腔内からレーザーファイヤーを吐き出して撃墜を試みる。先ほどよりも出力を抑えて撃って来る。

「あの口腔内の熱線は命中すれば随意領域テリトリーごと破壊される」

「わかってる! でもアイツ変形してから一層固さが増してんのよ!」

「近接戦闘を提案する」

「死にたいの!?」

「体の大きさから見てスピードは無いと判断される」

 折紙と燎子が次の作戦を立てているとグリムロックはレーザーファイヤーから砲弾に切り替えて撃つ。巨大な砲弾をかわして折紙がスラスターを噴かしながら右へ左へフェイントをかけながら肉薄する。近付いて来た折紙に噛み付き、それを回避してはブレードで斬りつける。グリムロックは標的を折紙に絞って執拗に追い掛ける。口からの砲弾の発射先を正確に予測してかわしてながら折紙は次なる攻撃方法を組み立てる。

 折紙は持っていた発煙弾をグリムロックの周りにバラまいた。たちまち煙に覆われて互いに煙の壁が視界を遮った。巨体のグリムロックに素早さは無い、折紙がそう睨んだのが運の尽きだ。そもそも戦闘経験値が人間とトランスフォーマーでは天と地の開きがある。

 煙の中を動き回り、折紙はグリムロックの背後に回り込む。レーザーブレードを二本構えて折紙はスラスターを一方向に噴射し体を回転させながら斬りかかった。

 ブレードの刃は背中に触れる寸前で当たる事なく、折紙は尻尾で叩かれる。建造物を三軒ぶち抜きながら吹き飛ばされ、適当な家屋にめり込むと口から血を吐き折紙の意識は遠のいて行きやがて気絶した。

 残党の数を数えてグリムロックは勝利を確信している。基地の方もレーザーファイヤーの攻撃で被害が出ている。ASTも殆どが壊滅、四糸乃を傷付ける存在を絶滅させるのに大した時間は要らなかった。力強く一歩踏み込むと、燎子等は自然と後退した。残りの隊員だけでは四糸乃を止める事も怒れるグリムロックを倒す事も出来はしない。

 敗北が確定し、撤退も許されないこの状況で何をすべきか燎子には分からない。ただただ冷や汗がこめかみと頬を伝っていく。

『日下部一尉、防衛省に増援を要請した。諸君等は負傷者を回収し、緩やかに撤退しろ』

 通信から桐谷の声がした。撤退と言う言葉に燎子を含めて他のメンバーも内心では安堵している。

『日下部一尉、聞こえているのか? 負傷者を救助をしながら撤退しろ』

「は、はい! 了解しました!」

 残存部隊が撤退を始めるとグリムロックは目を見開いた。逃がしてはならないと思い、口からレーザーや砲弾を放ち燎子等を撃ち落とそうとする。回避に徹しながら退いていくASTを追撃せんと走り出そうとした時だ。

「グリムロッーク!」

 吹雪の中で己の名を呼ばれてグリムロックは踏みとどまった。周囲を目配りして声の元を探してから足下に視線を落とした。

「グリムロック、聞こえるか!? 俺だ、士道だ!」

「士道……」

 士道はバックからよしのんを取り出してグリムロックに見せた。

「グリムロック、よしのんは見つけた。俺はこれから四糸乃を助けに行く。グリムロック、お前も手伝ってくれ」

「嫌だ、よしのんを渡せ、俺が助ける」

「グリムロック聞いてくれ、四糸乃のあの力を封印する方法がある。俺にはアイツを救う手段があるんだ!」

 グリムロックは士道を睨み、四糸乃の居る氷の居城を見てから変形を始めた。ロボットモードへ姿を変えると手を差し伸べた。

「乗れ、四糸乃、助けに行く」

 いつしかグリムロックから溢れ出る蒸気は鳴りを潜めていた。

 士道は頷き、グリムロックの手に乗ると上から大きな手が被さり士道を保護するように包み込んだ。グリムロックが四糸乃の氷の城へと足を踏み入れた途端、吹き荒れる雹は鋭利に尖りグリムロック目掛けてあらゆる方向から飛来した。持ち前の頑丈さで傷は付かないにしても衝撃は並大抵の物ではない。

 士道一人なら不死身の力を以てしても再生が追い付かずに体を粉々にされていただろう。

「うっ、うぅぅッ!」

 ゆっくりと一歩ずつ踏みしめて確実に四糸乃の方へ歩いて行くグリムロックだったが、問題が起きた。四糸乃の所まで後半分という所で急激な冷却によりグリムロックの関節や駆動系が凍り始めたのだ。

「士道、足が凍った、動けない」

「嘘だろ!?」

 凍った足を無理矢理動かしてそこから何歩か歩いたが、遂に全身にまで凍結が及び、グリムロックは手が凍る前に士道を掴む。

「投げるぞ」

「え、は!? 投げる!?」

 有無を言わさずグリムロックは四糸乃の方角に向かって士道を投げた。

「うわぁぁぁ!? グリムロックゥゥッ!」

 鋭いナイフのような雹の嵐の中に士道は放り投げられた。グリムロックの手から出た瞬間から腹や胸、肩、顔に雹が突き刺さり、一瞬で衣服は血まみれになる。傷が出来れば炎で治癒してくれるが、痛みは消せはしない。皮膚と骨を貫かれる度に士道は悲鳴を上げるが足は止まらない。治りきらない傷口に再び雹が刺さる事もあった、雹が目をえぐる事もあった。士道が肉体を再生させ破壊されを繰り返している内にすすり泣く声を聞いた。

 四糸乃の泣く声が徐々にハッキリと聞こえる頃には雹は止み、外部の激しい抵抗とは打って変わって静かで音も風も無く、ただただ暗い空間がそこにあった。

「よしのん……グリムロック……」

「はぁぁい、よしのんだよ~」

 変な裏声を使って士道は真っ赤になった服で現れると力が抜けて四糸乃の前に倒れた。

「主役の五河士道が助けに来たぞ」

 手に持っていたよしのんを四糸乃に手渡してポンと頭を撫でてやる。四糸乃の顔は涙と鼻水でグチャグチャだ。士道は自然に優しく微笑んで見せ――。

「今度は友達をなくすなよ、四糸乃」

「士道……さぁん……士道さぁん……。わたしの……為に……」

「お前に何かあったら俺がグリムロックにどやされるからな」

 四糸乃の体から滲み出していた紫色のオーラは時間が経つに連れて収まりを見せて行く。他者を拒絶する冷たい雰囲気は次第に淡雪のように溶けて無くなる。

「な、なあ四糸乃。一つだけ……お前の力を封印出来る手段があるだ。お前はもうその力で苦しむ必要はないんだ」

「……?」

 大きな目を開いて四糸乃は驚いたような表情を作る。

「え~……キスって言ってな……口と口を合わせ――」

 士道の説明も待たずに四糸乃はそっと士道と唇を重ね合った。心地良く柔らかいキスに士道は呆気に取られ、四糸乃は惚けている。その瞬間から四糸乃の霊装はゆっくりと光の粒子となって散り散りになり、消えて行く。

「きゃっ!?」

 突然、衣服が消え始めて四糸乃は両手が体を隠した。士道もすぐによそを見て目線を反らした。霊装が消え、氷と吹雪の城は激しさを止めてやがては霧散する。鉛色の空から太陽の光が差し込み、空は澄み渡った快晴となった。

 凍結されていたグリムロックは霊力が弱まり張り付いた氷を割って再起した。暖かい日の光を見上げてからグリムロックは四糸乃のいる方に歩み寄る。

「四糸乃、無事で、良かった」

「グリム……ロックさん……」

 四糸乃の安否を確認してからグリムロックは士道を手のひらに乗せた。

「な、何だグリムロック?」

「お前、勇気ある、強い、認めてやる」

「そりゃあどうも」

 霊力を封印した反動か士道はグリムロックの手のひらの上で気を失った。ASTの増援が来る前にグリムロックは二人を乗せてその場から退散した。

 

 

 

 

 士道が目を覚まして視界に入るのはもうすっかりお馴染みの医療室の綺麗な天井だ。しかし、今日は珍しく琴里の顔も映っている。

「琴里?」

「うわっ! 起きるなら言いなさいよ!」

「無茶言うなよ、四糸乃は? グリムロックは?」

「両方元気よ、特にグリムロックは四糸乃が寝たっきりだからって心配で暴れ出したのよ」

「暴れ出したってアイツ町に下りたのか?」

「違う違う、フラクシナスの屋上に飼ってあるのよ」

「放し飼いか」

「それより士道」

「ん?」

 名前を呼ばれたかと思うと琴里は急に士道の腹に顔をうずめるように抱きついて来た。

「アホ士道、何であんな無茶すんのよ……どれだけ心配したと思ってんのよ」

 司令官モードの琴里にしては珍しく感情を剥き出しにして目に涙を溜めながら士道の無事を喜んだ。

「あんたはあたしの言う事聞いていれば良いのよ……バカ……」

「ハハッ、ごめんごめん。司令官殿」

 そんな兄妹の抱擁をフラクシナスの窓からグリムロックは覗いていた。フラクシナスの外装に掴まりながら窓から覗くという奇妙な態勢だ。

「グリムロック!? 何見てるんだよ!」

 士道は窓の鍵を外して開けた。

「俺、グリムロック。四糸乃、まだ目を覚まさないのか」

「令音が診てるわ。安心しなさい。あ、そう言えば十香は?」

「あっ」

「アっ」

 グリムロックと士道の声は重なり、尚且つ全く同時に十香の存在を思い出した。

 

 

 

 

「シドーとグリムロックのバカー! お腹減ったぞー! みんなどこにいるのだ~!」

 日も暮れた土手に十香の声がこだました。


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