度重なるASTの失態に桐谷は頭を痛めていた。今回の折紙は民間人を誤って撃つという大失態だ。肝心の士道は生きているので幸いにも弾は外れた、という処理で済まされた。
ASTの隊舎では訓練を済ませて休憩を取る折紙と燎子、その他の隊員がいた。ASTが抱える問題は二つある。
一つ、グリムロックの存在。
二つ、消息を絶った偵察隊。
消えた偵察隊は未だに見つかってはおらず、消えたその場を中心に何度も捜索は入ったが、偵察隊は影も形も残っておらず、捜査は困難を極めた。
燎子はベンチに座ってジッとして動かない折紙を心配そうに眺めていた。助かったとは言え民間人を射殺しかけたのだ、折紙も傷心しても仕方がないだろう。燎子がそう言った予想をしていたが、実際の折紙の心の中は疑問の気持ちでいっぱいだ。
弾丸は確かに士道を貫いた。だが生きている。ショックで記憶が曖昧になっている。
「折紙、本当に大丈夫?」
「平気」
「そういつまでも落ち込んでちゃダメよ。任務に支障を来すようなら休んだら?」
「本当に平気」
折紙は知らなければならない。五河士道という人物を。
フラクシナスの医療室で士道は昨日からずっと眠っていた。腹に風穴を空けられ絶命した筈の士道は謎の復活を遂げて、しばらくしてから気を失った。傷口は再生してはいるが、念の為に医療室で診察を受けていた。
深い眠りについている士道は寝ている間に身包みを剥がされ、生まれたての姿で体を調べられていた。検査が終了すると破れて汚い服を着せる訳にはいかないので代わりに検診衣を着させられた。長い睡眠時間を挟んで士道はゆっくり目を覚ました。いつの間にか服が取り替えられている事に疑問を持ったが、寝起きの頭ではそこまで深くは考えなかった。士道はかけられた毛布をどけてベッドから降りようとする際に、突如令音に声をかけられた。
「良く眠れたかい?」
「わっ!? ええ、まあ……眠れました」
一瞬、驚きの声を上げたが相手が令音だと分かると少しずつ落ち着きを取り戻した。
「お腹は痛まないかい?」
低いテンションで令音は問う。
「はい、なんとも……」
「そうか、それは良かった……」
令音はしきりに頭をかいたり、明後日の方を向きながらと普段とはどことなく落ち着きがなかった。
「シン、確か君は発作的な頭痛に悩まされていたね?」
「はい……それがどうしました?」
「私なりに調べさせてもらっていたんだがね……どうも問題が起こった」
問題が起こった。それだけで士道の顔色は少し悪くなっていた。令音が言葉を濁して妙に遠回し気味に言うのだから士道の不安は募る。
「どんな問題ですか?」
「君をすっぽんぽんに剥いた後に医療ポットに入れたんだがね…………。シン、悪いが説明より見て貰おう。入りたまえ」
令音が指示を送ると部屋の自動ドアが横に動き、ぞろぞろと四人の人影が入って来るのが見えた。ラタトスクの機関員でもフラクシナスのクルーでもない。
人影が横一列に並んだ時、士道は心臓が飛び出す程驚いた。
「――!?」
士道の前に並んでいるのは士道と全く同じ顔をした人間が四人いた。似ているどころではない同じ顔なのだ。
一人はやや吊り目で口元がへの字に歪んで機嫌が悪そうな顔をしている。
一人は眉がハの字に寄り、肩をすぼめておどおどして今にも泣き出しそうだ。
一人は手を合わせもみもみしながら首をすくめて、媚びへつらうような顔だ。
最後の一人はなんと女だ。元々中性的な顔立ちの士道は見方を変えれば少女にも見える。豊満な胸にくびれたウェスト、足は長く理想的な体をしている。士道と瓜二つの少女は妖艶な眼差しで見詰めていた。
「……何じゃこりゃ」
「何じゃこりゃたぁ失礼だなぁ、オイ!」
目つきの悪い士道がオリジナルに突っかかる。
「お前がオリジナルらしいが、今すぐテメェをやっちまって俺がオリジナルになってやらぁ!」
「えっと……君は何て呼べば良いんだ?」
同じ顔の人間に名前を聞くという奇妙な気分だ。
「俺は五河士竜! よろしく」
「よろしく。……ほ、他の人も名前があるなら教えてくれるか?」
「ぼ、ボクは五河心太郎だよ。士竜くんが怒鳴るからおしっこ漏れそうだったよぅ」
「わたしくは五河伸吾でありますですよ~、いやぁ~流石はオリジナルの士道さん! わたしくごときが及ぶ所などありませんですよ~」
「五河士織、よろしくね。あなたがオリジナル? アタシに似た可愛い顔してるのね?」
士織は士道に詰め寄りながら頬から顎にかけて撫でて来る。
「シン、この子達は君の中にある潜在的な人格や元々あった人格が原因で現れたものだ」
「潜在的な人格って……俺の中に女の子がいたのかしら?」
「口調が変だよ、シン」
「ウオォォ! 俺様がリーダーだぁぁ!」
「こわいよー! ボク、泣きたいよー」
「わたしくが従うのは士道さん、あなただけでございますですよ~」
「士道くん、今夜……アタシの部屋に来ない?」
分裂した人格は授かった性格が色濃く表面に出て来ている。
傲慢の士竜。
臆病の心太郎。
ゴマするクズ野郎の伸吾。
色欲の士織。
以上の四名が士道の人格を元に出現した人々だ。唐突な出来事だが、士道はまだついて行けている方だ。助言を貰おうと令音に声をかけようとしたが、そこには空席となったパイプ椅子が残っているだけで令音の姿は無かった。
「あの人、逃げたなぁぁぁ!」
「オイ、心太郎パンとジュース買って来いやぁ。もちろんテメェの奢りな?」
「え、えぇ……わ、わかりましたぁ……だから怒らないでね……?」
「俺様の癇に触るような事をしなけりゃな」
「士竜! 心太郎をパシらせるな!」
オリジナルとしてこの理解不能な事態に敢然と立ち向かう。士道が士竜を注意すると心太郎はビクビクしながらも表情は明るくなり、士道の背中に隠れた。
「ンだとこの野郎、俺様にはリーダーの資格がある。今が変革の時、俺様がオリジナルをぶっ倒してやる!」
「そう言う暴力的な話で解決させようとするな!」
「頑張って下さいですよ~、あんたが大将! 士道さ~ん頑張れー!」
士道の後ろで手をもみもみさせながら声援を送る伸吾がいた。
ちょうどその時だった。令音から報告を受けて琴里そして神無月が入って来た。部屋に入るなり二人は目を点にして思わず固まってしまう。本当に士道と全く同じ顔が並んでいたからだ。
「嘘でしょ? 本当に士道が五人になってるじゃない」
「あぁ~ん? 何だこのチビ」
誰彼構わずに喧嘩を売る士竜が目を付けたのは琴里だ。理由は単純、女でしかも体が小さい、舎弟にするには絶好のターゲットだと踏んだのだ。
「ここの艦長よ」
目を細めながら答えた。士竜は艦長と聞くと口元を歪めた。
「なら、テメェを倒せば俺様がニューリーダーって訳だ。覚悟しろチビがぁぁ!」
構えてもいない年下の少女に躊躇い無く殴りかかる士竜だったが、そのパンチが振り下ろされる前に琴里の蹴りが鳩尾にめり込んだ。
「はうっ!?」
急所を的確に打たれた士竜は見る見るうちに顔が青ざめてやがて気を失った。
「顔は士道だけどか弱いレディにいきなり殴りかかるなんて下品極まりないわね」
士竜が一撃の下に沈められたのを見て真っ先に反応したのはゴマする伸吾だ。気味悪いへつらい顔と手を揉みながら伸吾は琴里にすり寄って来た。
「いやぁ~素晴らしい活躍でございますですよ琴里さん、流石は士道の妹様です」
必死に媚びながら伸吾は琴里の肩を揉み始めた。薄気味悪いが従順なのには悪い気はしなかった。
「それで琴里、コイツ等はどうにかなんないのか?」
「令音が解決法を考え中よ」
「わかった、十香は?」
「まだ眠ってるわ。とりあえず、この量産型士道を家まで送るわ。そこで伸びてる士竜とこの伸吾は預かるからあんたは士織と心太郎をお願い」
「ああ、重荷が減って助かる」
何かにつけて反抗的な士竜は適当な部屋に閉じ込め、媚びるだけで害の無い伸吾はそのまま琴里の側に置かれた。フラクシナスで転送された士道、士織、心太郎の三名は自宅へと入るとリビングのソファに掛けた。テレビもつけておらず、時計の針の音が普段よりも大きく聞こえた。
士道は居心地の悪そうにしながら同じ顔の二人を交互に見詰める。士織はまだ髪が長いので見分けがつくが他は全く分からない。依然変わらずに心太郎は震えて、ソファの上で三角座りのまま膝に顔をうずめている。
「あ、悪いなお茶も出さずに」
「お気になさらずにね、士道くん」
士織がニッコリと微笑むと士道は少しドキッと胸の高鳴りを覚えた。しかし即座に頭を振って我に返る。
――あれは自分。あれは自分。あれは自分。
士道は胸の内でそう言い聞かせながら台所の棚にあるお茶葉を急須に入れてお湯を注いだ。心太郎は人畜無害と判断しても良いだろう。自分から何かを仕出かすタイプではない、問題は士織だ。
士織は自身の性欲の部分が肥大化して出て来た存在だとすると、あれは性欲の塊だ。貞操観念の薄い性格ならば士道や心太郎の貞操は風前の灯火だ。二つの湯のみにお茶を注ぎながらそんな事を考える士道、一刻も早く令音に対処法を見つけてもらわねばならない。
「はい、どうぞ」
おぼんに乗せた湯のみを心太郎と士織の前に出す。
「ありがとうございますぅ……」
「ありがとう、士道くん」
士織はお礼を言ってから士道にそっとキスをして来た。
「何するんだよ士織!」
「あら? 嫌だった?」
士織はいたずらっぽく笑ってみせた。気恥ずかしそうに士道は目線を逸らす。どうやら士織には恥らしいの精神がかなり抜けているようだ。何より悲しいのが、この士織が士道の潜在的な性格から来ている事だ。
「なあ、士織に心太郎は家事は出来るのか?」
「士道くん、アタシ達は君をベースに生まれたんだよ、君が出来る事は大抵出来るわ」
「そうか、そりゃあ助かる。テレビでも見るか」
そう言って士道がリモコンのスイッチを押してテレビに映像が流れた。映像はホラー映画のCMで血まみれのゾンビが凄い速さで迫り来るシーンだった。士道も少しは驚いたが声を上げる程じゃない。
「うわーん! やめてよして、こわいよー!」
臆病の心太郎はソファを飛び越えると泣き出してリビングから出て行ったかと思うとそのまま玄関のドアを開けっ放しにしてどこかへと消えて行った。
「心太郎ー! 戻って来ーい!」
士道が声をかけたが、心太郎の耳には聞こえない。
「悪い士織アイツを探して来る。テレビとか適当に見ててくれ」
心太郎の後を追おうとソファから立ち上がった途端、士織が裾を掴んで来る。
「士織?」
「いいじゃない、あの子の事なんて」
士道に体重を乗せて無理矢理、ソファに押し倒すと士織は胸のボタンを一つ一つゆっくりと外して行く。艶めかしいその仕草に士道は固唾を飲んだ。焦らすようにしてボタンを外すと薄い青色のブラがシャツから僅かに覗かせる。
熱っぽい息づかいで士道の耳元に口を寄せると小さく呟いた。
「士道くん、一線を越えようか」
「だ、ダメだ……一線を越えるのは」
「良いじゃない、アタシ達は別に兄妹でもないし、アナタはアタシ、アタシはアナタ。オナニーしてると思えば良いんじゃあないの?」
「どういう理屈だ。そこからどけって士織!」
「断るわ、アタシは今からアナタと一つになる」
この士織の言う「一つになる」とは明らかに交尾の事を示している。
危うし、士道。
鼻をすすりながら町をとぼとぼと一人で歩く心太郎、さっきのホラー映画のCMを思い出すとまた泣き出したくなる。目頭と鼻先を赤くしながら歩いていると何者かとぶつかった。
「あ、すいません……」
心太郎はぶつかった相手に謝るが相手は三人組、だらしない服装に一目で染めたと分かる不自然な金髪で機嫌の悪そうな目つきをしている。心太郎は関わらないように頭を下げながら通り過ぎようとする。
「おい」
三人組の一人が心太郎を呼び止めた。
「はい……?」
「人にぶつかっておいてすいませんだけじゃあねえだろうよ」
啖呵を切りながら心太郎の胸ぐらを掴んだ。この時点で心太郎はもう泣き出しそうだ。
「ごめんなさーい! いたいのやだよー! こわいよー!」
「ごめんなさいで済んだら警察はいらねえンだよォ!」
胸ぐらを掴んでいた不良が心太郎を殴り飛ばす。塀に叩きつけられて心太郎は立ち向かうなど選択肢に存在しない。迷う事なく逃げ出そうとしたが首根っこを掴まれてすぐに捕まってしまった。
「テメェ、何逃げようとしてんだコラァ!」
再び振り上げた不良の拳を見て心太郎は顔を覆った。だが、いつまで経っても殴られない。恐る恐る目を開けると振り上げた腕を掴む折紙の姿があった。
「大丈夫、士道?」
「へいへい、女だ。悪かねえぜ」
「だらしねえ男の為に女の子ちゃんのお出ましかよ」
「結構、マブイ顔してんじゃん」
三人組の標的は心太郎から折紙へと変わった。かやの外となった心太郎は折紙を助けなければとは思うが、足がすくんで動けない。
「士道に手を出したら許さない……」
折紙は掴んだ腕を捻り、顔面を手のひらで打ち一人をダウンさせた。それと同時に残りの二人が襲いかかって来たが、並の男では折紙には適わない。掴みかかる男の腕を叩き落とし、膝を蹴り上げ、態勢が崩れた瞬間に背後に回り込み胴体に腕を回して綺麗なジャーマンスープレックスが決まった。
最後の一人を目視すると折紙は軽く飛び上がってから強烈なかかと落としが脳天に炸裂して動かなくなった。
「平気?」
「……はい」
心太郎は内心、不良よりも折紙が怖かった。それに顔が一緒の所為か折紙は士道とずっと呼んでいる。
「怪我してる」
心太郎の頬はさっき殴られた際に少し擦りむいていた。折紙が心太郎に手を差し伸べるとそれに応えるように手を取った。
「今、あなたの怪我を治す物を持っていない」
「あ、うん……気にしないでよ……」
「傷口から菌が入ると生命の危機に晒される。私の家に来て」
「いや、悪いよ。ホントに平気――」
「来て」
「うっ……わかりました」
半ば無理矢理に家に連れ込まれる結果となった心太郎は怪我をしているという事もあってか手厚く歓迎された。
折紙式手厚い歓迎とは……。
「むっー! むっー! むむっむー!」
折紙の住む部屋は生活感が無くて必要最低限の物しか置いていない防音措置のされた部屋だ。そんな部屋の寝室からは心太郎の低い呻き声がした。
白い布が両腕を纏めて縛りベッドに固定され、足は布でぐるぐると巻かれて胴体はベッドに直接固定されて殆ど身動きが取れない。そして口には猿轡がはめられて声を出せずにいた。
「士道、安静にしてて。怪我人が暴れてはいけない」
「むがっー! むっーむっー!」
「いいえ士道、そんな傷と油断していたら命の危険がある」
「むまむもっ!?」
分かるの!? と言いたいのだが猿轡の所為で話す事が出来ない。
「それにあなたに私は謝らなければならない」
折紙はベッドの前に座ると頭を下げた。
「あの日、私はあなたを撃った。謝って済む問題じゃないけれど……ごめんなさい」
心太郎や分裂した他の連中は士道の記憶を持っている。心太郎も十香とキスをした日の記憶はある。だがあれは心太郎がやったのではない、記憶は共有しているがあれは士道の功績だ。
「お詫びとしてずっと私が養ってあげる」
「むっ!? むもっむっー!」
「いいの、私達は恋人」
危うし、心太郎。
フラクシナスの艦橋で士竜の動向をチェックする琴里と肩を揉む伸吾、そしてその後ろでは神無月が恨めしそうに見詰めていた。
「くそ~、伸吾めぇ~私が何年も司令にお仕えしていると……! あんな士道くんそっくりの媚び媚び野郎にぃ~! だいたい何故彼は肩を揉むだけなのです! 司令の膨らみかけの胸部を誤って揉みさえすればキツ~いお仕置きが貰えると言うのに! あぁ~! 司令、お慈悲をお慈悲を~!」
「琴里さん、後ろの変な人どうにかならないんでありますですか~?」
「あれはもう治らないから」
士竜のいる部屋から十香の眠る部屋にモニターを切り替えた。十香はまだ眠っておりよほど精霊の力が抜けた際の反動が大きかったと見える。
「琴里」
「ん? あ、令音どうしたの?」
艦橋にシーツがかかったカートを押しながら令音が入って来た。
「シンから分裂した個体を戻す方法が分かったよ」
「って言うかそもそもの原因は何なのよ」
「……シンを医療ポットに入れていたんだ。その最中にね例のエネルギー物質とシンのDNA、もとい体毛を組み合わせていたらね、増えてしまったんだ」
「あのエネルギー物質本当に何なのよ」
「まあ今はそれは置いておこう。シンのクローンと言っても元は毛だからね、そこで私がこんな物を作ってみたんだ」
令音はカートの上のシーツを取り払うとそこにはコンパクトな掃除機が置いてあった。ふざけているのかと琴里は怪訝な顔をしてみせた。
「吸引力が衰えないただ一つの掃除機だよ」
「言うと思ったわ」
令音は掃除機の吸い込み口を伸吾へと向けた。
「どうしたんでありますですか、令音さん。わたくしは琴里さんの忠実な僕でありますですよ~」
「そうだね、でもダメだ」
掃除機のスイッチを入れた途端、大きなモーターの駆動音と共に吸引が開始された。
「おわー! す、吸い込まれる~! 何をするでありますか~!?」
その言葉を最後に伸吾は掃除機の中へと消えて行った。
「何それ」
「もちろんただの掃除機じゃないよ。元はただの掃除機だったが、以前にエネルギー物質のこぼした事があってね、あのエネルギー物質を吸い取る用の掃除機を作ったんだ」
「えぇ~……つまりどういう事?」
「つまり、エネルギー物質吸引装置だよ。シンの毛と融合した物質だけを吸い取って毛の状態に戻してやった」
「じゃあそのルイージマンションの掃除機みたいなの使えば全員を元に戻せるわけね」
「そうだ」
理論は不明だがとにかく解決策があるのならばそれに頼るしかない。次は士竜を吸い込まんと令音が掃除機を構え直すと艦内がぐらぐらと少し揺れた。
「司令、大変です! 士竜くんが病室から逃走しました!」と、雛子。
「何ですって!? 神無月!」
「はい、何でありますか!」
「そこの掃除機を持って士竜を吸い込んで来なさい」
「分かりました」
やることを伸吾に取られていじけていたが、琴里に名前を呼ばれると瞬時に元気を取り戻した。令音から掃除機を受け取り、ベルトにハタキを二本差すと艦橋を飛び出し、無線機を使って士竜の居場所が通達される。
艦内をいくら逃げた所で士竜の行動はブリッジに筒抜けだ。神無月は通路を右へ左へと曲がり、士竜の行く先々を隔壁で邪魔をして遂に掃除用具室に追い詰めた。
「チィ……追い詰められたか」
「さあ、観念しなさい士道くん、いえ士竜くん」
「うるせえ、誰が観念するか」
士竜はロッカーに入っていた箒を手に取ると臨戦態勢に入る。神無月はほくそ笑んで掃除機を投げ捨てると腰のハタキを器用に曲芸師のように回すと構える。
「どちらかが生き残り……」
「どちらかが倒れる。お前だ神無月!」
士竜が突き立てた箒を垂直に下ろす。神無月は僅かに後退すると箒の先が鼻先をかすめる。打ち下ろした動作には大きな隙が生じる。神無月はハタキをがら空きの士竜の腹に叩き込む。士竜は躊躇わずに箒を投げ捨て、後方へ跳躍する。武器を無くした士竜に神無月は追撃を図る。
縦、横と素早い連撃をかわしながら士竜は次の箒を握ると掃除用具室から逃げ出した。
「待ちなさい!」
リーチのある箒の性能を遺憾なく発揮出来るのは広いスペースのある場所だ。掃除用具室では振り上げれば天井にぶつかるし、振り回せば何かにぶつかってしまう。士竜は逃げながら神無月のハタキの猛攻を受け、回避し、ブロックしながらもエレベーターに逃げ込んだ。エレベーターの行き先は上と表示されてある。神無月や琴里達がいる今いる階が最上階、それ以上の上と言えばフラクシナスの屋外観測デッキしかない。
『神無月、士竜は屋外に逃げたわ』
「分かりました。必ず仕留めてみせます」
『それより掃除機で――』
最後まで聞かずに神無月は通信を切る。そしてエレベーターに乗り込み、観測デッキを目指して昇って行く。チーンと到着した事を知らせるベルがゴングに聞こえた。ドアが開くと神無月はデッキに躍り出た。
すると待ち構えていた士竜の渾身の一振りが神無月のハタキを一本叩き落とした。ハタキが一本となったが神無月の表情にはまだ余裕が残っている。
「どこかに隠れたかと思ってましたよ」
「とんでもねぇ、待ってたんだ」
士竜は箒を槍のように用いて振り回す、特定の流儀に則った作法ではなく暴れるかのように左右にぶん回し、接近すればハタキが有利であるにも関わらず、殆ど無謀な猪突を試みた。思いがけない気迫とパワーに神無月は防戦一方だ。乱暴な攻撃は全ていなし、確実にガードしながら士竜の体力が尽きる瞬間を待つ。かつてはASTのエースだった神無月、いくら凶暴化していようが士竜は所詮一般市民に過ぎない。通常なら防ぎようの無い脇下、内腿を狙って猛攻を仕掛ける。
荒っぽい乱撃にも徐々に精度が付加されだした。今まで寸毫の隙も見せずに士竜の打撃を命中する前に叩き落していたのだが、意表外の方向からの打たれ、突かれて、神無月の表情に余裕が消えた。まぶたをすうっと細めると士竜の腹を蹴り、突き放した。距離が空くと神無月の反撃が始まる。ハタキを素早く扱い、士竜の腕や脚、横っ腹を叩き、威力が低いながらも的確なダメージを与えている。それに応じて士竜は攻撃を防御しながらも反撃に移る。強風に晒されながらも熾烈な攻防戦を繰り広げている。以外にも粘る士竜、腰巾着と侮られていた神無月、両者は睨み合い殺気をぶつけ合いながら、殺気を武器に伝えながら一進一退の駆け引きをおこなっている。
箒とハタキがぶつかる度に周囲に軽い木の音が響き、風の音にかき消されて行く。ついさっきの激しい打ち合いは、ふとして無くなり代わりに慎重な足取りで士竜は、右へ右へと神無月を視野に入れながら移動する。神無月もちょうど対角線状になるように士竜と同じ動きをしながら決して、視野からは外さなかった。
歯を食いしばり神無月はフェンシングでもしている調子で華麗に、軽快に踏み込み軽やかなハタキの先は士竜の手を叩いた。箒を握っていた手が痛みで緩むと神無月は好機と睨んで士竜から武器を奪い取る。丸腰でも士竜は焦りを見せずに上段回し蹴りが神無月のこめかみにヒットする。大きくよろめき、神無月は観測デッキの手すりから体が乗り出してなんとか足だけで手すりに掴まっているという逆さ吊りの状態となった。
『神無月! 何フェイント取られてんのよ!』
「すいません、司令。掃除機は今は士竜くんよりも他に使って下さい」
『もう、回したわよ! 待ってなさい、今助けに――』
琴里が救援に来るよりも早くに士竜が近付いて来た。箒の先端をじっくり神無月に突き付けたかと思うと士竜は胸ぐらを掴んで引き上げると適当な所へ投げた。
「何故です。私を倒せたのに」
「いいかぁ! 滑ってこけた奴を倒したって言わないんだよ! 俺は実力で勝って副司令の座に着きてぇんだ! まあ、結局は俺はお前を叩き潰す……」
箒を固く握り、取っ手がミシミシと鳴る。
「俺のやり方でな!」
静けさから一転、再び箒とハタキの叩き合いが始まった。左から来る箒は右から打ち消し、右から来るハタキを左から打ち消し、両者は競り合う。
「ほう、ただの市民にしては見上げた根性をしているじゃないか」
「そっちこそ、俺は敵が強ければ強い程燃えるんでね、せいぜい副司令気取りで頑張るんだな!」
「いいだろう、だが勝つのはこの私だ!」
フラクシナスの艦橋では士竜と神無月の壮絶な戦いが流されていた。
「何でこの二人はチャンバラごっこしてんのよ」
「どっちが勝つか賭けませんか」と、川越が提案する。
「私は副司令に賭けまーす!」
「どっちでも良いから早く事態を終息させたいわね」
「そう言えば司令、村雨解析官は?」
「ああ……今は士織と心太郎を吸い込みに行ったわ」
士道の自宅へ来た令音はいつにも増してふらふらと覚束ない足取りで玄関に上がるとリビングの方向から短く呻く声が聞こえて来る。令音は声を頼りにリビングへ歩いて行き、そっとドアを開けて突入した先には奇妙な光景が広がっていた。
「士織ぃ……や、やめろよぉ。俺達はそう言う関係じゃダメなんだって!」
シャツを脱がされて上半身裸の士道がソファに押し倒されて腕をシャツで縛られて今にも犯されそうな光景だ。
「令音さん、タスケテー!」
「あ、ああ……お楽しみだったかな?」
「違いますって! 襲われてんですよ!」
「邪魔が入ったわね士道くん、お楽しみは少し先になるね」
「君に先は無いよ。元の姿に戻ると良い」
掃除機のスイッチを入れ強力な吸引力が士織に向けられる。最初は何をしているのか分からなかったが、士織は確かに引き込まれる感触を味わった。本能的に飛び引いて逃げようとしたが時既に遅し。
「な、何なのよこの家電製品は! あぁ~美少女台無しぃ~!」
士織の体は掃除機の吸い込み口へと消えた。
「ふぅ……二人目」
「れ、令音さんすいませんがほどいてくれますか?」
「分かった。その前に一つ良いかい?」
「何ですか?」
「確認だが、このプレイは君の趣味かい?」
「違いますよ! 俺にこんな趣味はありません!」
「…………一応、信じておくよ」
キツく絞められた手首を自由にした。
「って言うかそのルイージマンションみたいな掃除機何ですか?」
「琴里と同じ事を言っているね。やはり兄妹だからかな?」
「誰でも思いますよ」
「シン、ところで心太郎はどこへ?」
「そうだアイツ、ホラー映画のCM見てどこかに逃げて行ったんですよ」
「それは大変だ。彼ならあまり害のある事はしないにしても害に巻き込まれる可能性はある」
士道は事態を収拾すべく令音から掃除機を受け取り家を出た。士道のクローン等はインカムもケータイも持っていないので電波の発信元から居場所を特定する事は出来ない。だからと言ってフラクシナスが手をこまねいている訳にはいかない、あらゆる情報を駆使して心太郎を発見せねばならない。厄介事に巻き込まれていないように士道は祈りながら掃除機を引っさげて町を走り回っていた。
鳶一折紙に拉致、監禁された心太郎は拘束を解かれて居間に座っていた。折紙はと言うとシャワーに入って身を清めている真っ最中だった。逃げるには絶好の機会、これを逃すと永久にここから出れない気がした。物音を立てずに抜き足差し足とゆっくり一歩ずつ動き、リビングのドアを開けると玄関という名の逃げ道がある。
玄関が確認出来ると心太郎は特に注意も払わずに一目散に駆け出した。玄関のドアノブを掴んで外に一歩踏み出そうとしたが、不思議な事に足が動かない。足下を見ると強力な粘性のとりもちが仕掛けられており、逃げ出せないようにするトラップだ。
「やだよー、ネバネバが絡みついて来るよー」
とりもちに引っかかった事を知り、タオル一枚で体を隠した折紙が洗面所から出て来た。
「やめてよしてこわいよぉー! 何でボクを閉じ込めるんだよ」
「あなたが好きだから」
「じゃあボクを解放してよぉー!」
「それは承諾出来ない。悪い虫が付く」
とりもちに引っかかった心太郎をもう一度監禁しようと器具を取りにリビングに戻るとテーブルの上に置いてあったケータイに着信が来ている。発信者には『五河士道』と表示されてある。怪訝な顔をしてとりもちに捕まっている心太郎を見てから折紙は、恐る恐る電話を取った。
「もしもし?」
『ああ、もしもし? 五河だけどさ』
「士道!?」
折紙が士道の声を聞き間違える筈がない。さっきまで話していた士道と電話をかけて来た士道は全く同じ声だ。
「あなたは?」
『だから五河だって、鳶一は今空いてるか?』
「……大丈夫、用件は?」
『ちょっと人を探してるんだけどさ、俺にそっくりな人を見つけたら教えてくれないか?』
折紙はもう一度、とりもちに捕まっている心太郎を見た。電話は持っていない、喋っている気配もない、それどころかとりもちから逃れようとずっとジタバタしている。
「…………」
『鳶一? 聞こえてる?』
「見つけた」
『は?』
「士道のそっくりさんは私の家にいる」
『ホントか!? 分かった、いきなりで悪いけど今から家に行っ――』
「構わない」
やや食い気味で返答して来た。家に行く事を快諾してくれたのは士道としても嬉しい限りだ。心太郎が何故、折紙の家にいたのか疑問は感じたが。
折紙はとりもちに引っかかった心太郎をリビングの隅っこに置いておきバスタオルを捨てて私服に着替えた。その間に何度も心太郎と盗撮した士道の写真を見比べていた。違いと言えば士道は普段から情けない表情はしていない事くらいか。
インターホンのベルが聞こえると折紙は大きく飛び上がって喜びを露わにしてドアを開けた。ドアの向こうには掃除機を構えたもう一人の士道が立っており、実物同士比べても違いは分からない。
「悪いな鳶一、急に邪魔して」
折紙に招かれてリビングに士道と拘束を解かれた心太郎が並んで座る。
「問題ない。それよりも……あなた達は何? 士道に双子がいるなんて知らない」
「えっとね……双子だよ、心太郎は地方の高校にいるんだ」
「初耳……」
「ああ、うん、それで何で鳶一の家に心太郎が居たんだ?」
「彼が不良に絡まれていた。それを私が助けた」
「マジか、それはありがとうな鳶一」
「お礼には及ばない」
互いに頭を下げ合ってから少しの間が空いた。
「じゃあ、俺達はそろそろおいとましようか」
「うん、おいとましよう」
士道と心太郎は立ち上がると折紙は士道の裾を掴んだ。つい一時間前にこれと似た経験をしている士道は背筋に嫌な汗が噴き出した。
「な、何かな鳶一さん……?」
声が震えている。
「私はあなたに謝らなければならない。謝って済む問題ではないけれど……ごめん」 何の件について謝罪されているのか最初は分からなかったが、昨日の事が脳裏をよぎって行く。
「鳶一……そんなに気にすんなよ。なんつーかさ、こうして俺も生きてるんだし、良いじゃないか」
「これからも一緒に居ていい?」
「良いに決まってんだろ」
掃除機を担ぐと士道は手を振りながら折紙の部屋を後にする。マンションのエントランスを出て周囲に人通りが無い事を確認してから士道は掃除機のスイッチを入れる。
「何で、掃除機をつけるんですか?」
「ええっとな……これはまあお前等を元に戻す為なんだ」
そうして士道が吸い込み口を心太郎に向けた。
「やめて、吸わないで! やめてよしてこわいよー! あぁ~イケメン台無しぃ~!」
士織と似たような断末魔を上げて心太郎も皆と同じ運命を辿った。士道はどこか胸に刺さるような気分だ。自分と同じ顔の人間を掃除機吸い込むなど人生で一回でも経験すれば多い方だ。
士竜と神無月の戦いは終戦が近付いていた。二人の激しい打ち合いは静まり返って士竜は箒を垂直に突き立ててある種の威厳を放っている。箒の範囲のギリギリ外に位置する神無月はミシミシと力を込めて打ち振り下ろさんと待機する士竜を見て、ハタキの柄を人差し指と中指に挟み込んでから、他の指でしっかりと握る。ハタキの先を左手の人差し指と中指で摘み、ギリギリと力を込めた。
士竜は神無月のハタキの射程と箒の射程を計算しながら勝利を確信していた。遠巻きから構えても肝心の技が当たらねば意味が無い、得物の長さはその射程を生かせる空間ならばその威力を遺憾なく発揮出来る。
――遠い、遠すぎる、そんな間合いから何が出来る。
士竜は口元が歪み絶対的な勝利の自信を込めて一歩踏み込み、箒を振り下ろす。神無月も士竜と全く同じタイミングでハタキを横殴りに抜いた。上半身から右腕に伝達する蓄えられた破壊力は恐るべき速度で士竜の顎を狙う。確かに届かない間合いに居た士竜、しかし右手に握っていた柄はいつの間にか束尻にまで移動しており、ハタキは二本の指先だけで支えていた。
ハタキの先端が士竜の顎と脳を揺らし、箒を振り下ろす前に気を失った。
「ふぅ司令、倒しましたよー! さあ今の内に掃除機で吸い取って下さい」
『んあ? やっと終わったの、はいはい。士竜をこっちに連れてきて』
「了解しました」
気を失っている内にフラクシナスで士道を呼び戻し、士竜は掃除機で綺麗に吸い取られた。また暴れ出せば面倒極まりないからだ。
エネルゴン掃除機の中に吸い込まれた四人は掃除機の中で元のサンプルである体毛とエネルゴンの二つに分別されて行き、奇っ怪な事件は終息を見た。ほんの数時間だが皆、普段の何倍も疲れた表情をしていた。
自分の部屋のベッドに寝ころんだ士道は、今日は学校があった事に気付き明日はちゃんと行こうと決めて眠った。