自室の天井は白くも、暗い。
妙に左半身が痛む。
それは左腕。
それは左脚。
そして左眼。
痛むそこに、古傷がある訳でもなく。
怪我をしたわけでもないのに、痛む。
奇しくも、夢と同じ場所。
ここ最近、ふざけた夢を見る。
本当に、ふざけた夢だ。
職業柄、深酒をする癖もなく。
しかし二日酔いを患ったかのように、吐き気。
気分が、悪かった。
外の空気を吸いたいと、上体を起こしてみる。
が、しかし生憎外は雨。
薄暗いカーテン越しに聴こえる雨音の、小刻みなノック。
梅雨の今を、恨む。
身体の倦怠感に身を任せ、私は再びベッドに身を委ねた。
今はまだ、起きる気分にはなれなかった。
幸いにも、今日は休み。
目を閉じれば、暗闇。
視覚情報の一切を、受け入れない。
しかし時計の針は、カチコチと。
雨音は、ポツポツと。
耳に触る音が、私に思考停止を許さない。
………最近、ふざけた夢を見る。
そして私の身の回りでは、最近妙な事が起きている。
それは、竹下二尉から。
あの作品を見せられてから。
声を聴いた、あの日から。
いや、声を聴いた事がきっかけかどうかは定かではない。
もしかしたら、もっと以前からそうだったのかもしれない。
「ヴィルヘルミナ」
そう、ヴィルヘルミナ。
私は、ヴィルヘルミナの夢を見る。
彼女に生まれ変わり、運命を弄ばれ、戦火に身を投じられんとする、夢を見る。
ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー。
私が記憶する彼女は、竹下二尉から借りたあの作品、『ストライクウィッチーズ』の中では既に故人として扱われていた人物だった。
だがと、私は1冊の書籍に手を伸ばす。
それは小説版『ストライクウィッチーズ』の最新刊。
以前私が作品に興味を示したからか、竹下二尉に嬉々として押し付けられたものだが。
栞を挟んだ頁を開けば、そこに描かれているのは、一人の少女。
それは私の記憶を否定し、混乱させるに足るもの。
『我々は、必ず還って来る』
カールスラント軍所属だったはずのヴィルヘルミナ――――しかしこれは、どういうことか?
群衆の前に立つ、ガリア空軍の軍服を纏った彼女が、そこにいた。
テーブルに置くノートパソコンを開き、Wikipidiaで「ストライクウィッチーズ 登場人物 ヴィルヘルミナ」で検索をかけてみる。
『 ストライクウィッチーズの登場人物 ‐ Wikipidia 』
ヴィルヘルミナ・フォンク
原隊:ガリア空軍/ 使用武器:ボーイズMk.I対装甲ライフル / 使い魔:白狼 / イメージモデル:不明
通称「白銀の戦乙女」。祖父に前大戦で活躍したルネ・フォンクをもつ。小説版では名前のみの登場であったが、大戦初期のガリアを支えたガリア屈指のウィッチであったことがペリーヌの口から言及されている。またブレイブウィッチーズ外伝『ガリア反抗戦前夜』では祖父の家に訪れていたジョーゼットがネウロイに襲われているところを助け、彼女が軍に志願するきっかけとなっている。
同作品中では飛行脚なしという限定下でありながら、単独で分裂型ネウロイの撃破に成功するなど、戦闘においては卓越したセンスを持つウィッチであると同時に、敗走する軍を再編し指揮したことから指揮官としても優秀であることが伺える。しかし目的のためには我が身を顧みず、―――――
開かれたページ。
そこには末尾であるが、彼女の説明が載っていた。
彼女の苗字であるルドルファーの名がない事が気がかりだが、記載されている内容は夢で見た通りである。
しかし、どうしてこんなことに?
私の記憶していた彼女は、脇役以下の風景でしかなかった筈。
それが、どうだ。
小説版で僅かとはいえ、彼女の名が言及され。
別の作品では獅子奮迅の活躍。
さらに挿絵に描かれた彼女は、以前見た優しさを、一切として持ってはいない風貌。
此処までくれば、もはや別人だ。
「………?」
Wikipidiaの続きを読もうとスクロールするも、パソコンがそれ以降のページを読み込まない。
フリーズか? いや、パソコンには、生憎詳しくはないので分からないが。
彼女への疑問は、積もるばかりだ。
何故、このような事が?
人工的な光、青白く輝く画面。
室内を照らす唯一明確なソレを眺めながら、私は考える。
以前との差異がなぜ起こったのか?
ただ変わっているのなら、私の勘違いであったと済まされるだろうが、なら、私が見る夢との関係性は?
デジャヴの原理を思い出すが、首を振る。
それでは説明には足りない。
………もしも。
もしも説明足り得るモノがあるとするならば、それは、私が―――――
と、不意にバイブ音。
傍に置いていた携帯が震えた。
着信したのは、メール。
嗚呼。
用事か。
用事だ。
その送り主の名と短い内容に目を通した私は、誰に知らせるでもなく、呟いて。
手早く返信を打ち、パソコンを置き、私は去った。
部屋から、自宅から。
足並みは、早々として。
それは僅かでも、問題から逃避できる事を望んでいるのかという自覚はあった。
◇◇◇
西暦203X年6月 日本 政令指定都市K
『―――――殴られたから殴り返す、侵略行為を受けたからやり返すというのは大凡文明人のやることではないと私は強く信じております』
傘をさして人の海を泳ぎ、雨粒を掻き分けて進む。
メールの差出人に会うため、待ち合わせとした店に向かう途中、私が街中のスクランブル交差点に差し掛かったところ、街頭に設置された大型スクリーンでは総理大臣の国会答弁の様子が映し出されていた。
内容は、どうやら自衛隊関係のことらしい。
『―――――ましてや、本来我々が望むべき彼ら自衛隊のその存在意義は、一般に我々が認識する軍隊のそれとは異なっているのです。軍隊はどんなにきれいごとを並べたところで突き詰めてしまえば国家の暴力装置であります』
スクリーンの人工的な輝きは目に悪いと目を逸らしたところ。
私はふと、交差点を渡らんとした足を止める。
はて、何か。
なにか、忘れていたような気がすると。
『―――――対して自衛隊は、決して暴力装置ではありません。また、暴力装置に貶める気もありません。彼らはこれまで、時としてわが国で起こった自然災害には危険地帯に進んで踏み込み、多くの命を救ってきました。また、先の戦争では国民が被る一切の火の粉を払うため、自らの命を賭し、防衛任務を全うしてまいりました。ですが忘れてはなりません。彼らは我々と同じ日本国国民なのです』
スクリーン。
人工的な光。
パソコンの電源。
そうだ、パソコンの電源を切っていない。
『―――――そんな彼らに…………そんな彼らに、あなた方野党は結託して、なんと? 「憲法9条廃案」? 報復手段を用意しろと? 冗談ではない!! 彼らは我々を守るためにあるというのに、どうして進んで他国を侵し、人を殺すことを勧めるか!? 寝言も大概にしていただきたい!!』
さて、一度戻るか?
待ち合わせには、まだ余裕があることを思う。
『―――――彼らは我々の為に命を賭して戦ってくれた。ならば私もまた自らの政治家生命を賭してでも、彼らの誇りを守るため、戦う事を誓おうではないですか』
いや、進むかと。
再び足を進めようとしたところで、信号機の青は点滅しはじめた。
交差点で、私は足止めされる。
足を止めた私は手持無沙汰で、傘をくるりと回転させて。
視界は、まっすぐとしていた。
だから視界に入るモノは、必然的に、人、ひとびと。
全て、今は亡き仲間達がその命を賭して守った、命。
彼らは、スクリーンに映された国会の事など見向きもせず。
歩く女性はスマホを弄り。
立つ店員は客の呼び込みをしている。
足早なサラリーマンは先を急ぎ。
皆が、各々の生活を生きている。
恐怖心に囚われる事無く生きている人々の様子は、日本の土を踏ませんとし、日本海で戦って死んでいった仲間たちにとってはまさに本望だろう。
私もまたそんなことは望まないし、思わせないことが自衛官としての当然の本懐であるということは心得ている。
しかし、彼らもまた自衛官としてある前に、一人ひとりが生きた人間であったことを、私は知る。
生き延びた私は、死んでいった仲間たちの苦悩や、叫びを、誰よりも多く見てきたからこそ、知る。
そんな彼らのその偉大な英雄的行動に反して、無関心に見向きもされず、無名で忘れ去られてしまうだろう、この社会の姿。
正しい姿とはいえ、そこに私に思うところがないと言えば、嘘になる。
誰に聴かせる訳でもなく、呟く。
「私に、この世は生きづらい」と。
眼前を通り過ぎる車の群れ。
その中で、一台のトラックが不意に私の視界を目隠しした。
それは雨の湿った匂いに混じって、おかしな臭い、獣らしき臭いを伴って。
街では嗅ぐことはまずない臭いに、はてなと思うとそれは動物輸送の為のトラックらしく。
僅かに設けられた柵より、中にいる一匹の動物と刹那目が合う、白い狼。
………カルラ?
過ぎる、純白の狼を載せたトラックを暫く見送る私は、まさかなと首を振る。
私の身に起きている現象。
夢での体験が現実に影響を及ぼすことなんて、可能性を考えることすら馬鹿らしいことこの上ないが。
夢に出てきた狼が、現実に現れる可能性を考えることはもっと馬鹿らしいことだろう。
トラックは通り過ぎ。
さて青信号。
気持ちを切り替え、気を取り直して私は道を渡らんとする。
「へ―――――――イ、ユーイチィいいいいい!!」
………が。
今度は背後からバタバタと駆け足が聞こえ。
周囲はザワザワと騒がしい。
嫌な予感がしてひょいと横に避けてみれば、びたんどしゃ。
私の横をゴロゴロと飛んで転がる、なにか。
なんだなんだと思えば、転がったソレはブゥブゥ言いながら顔だけ上げて。
「なんで避けるネ!?」
と、どこか胡散臭い中国人を思わせる口調で、その女は宣うた。
いや、普通避けるだろう。
寧ろ、避けない理由が何処にあるか。
それ以前に、あんた誰だ。
と、面識ない筈なのに妙に馴れ馴れしい女に問う前に、しかし何処かで覚えのある造形には違和感を覚える。
まずは快活な印象を与える整った顔。
次にモデル顔負けの煽情的なボディ。
最後に両サイドにお団子を結ったブラウン色のロングヘアに左右に揺れるアホ毛というヘアスタイル。
服装こそキャリアウーマンと呼ぶにふさわしい女性モノのスーツであるが、竹下二尉に無理矢理見せられたせいで強く記憶していたそれは、『艦隊これくしょん』というアニメに出てきた『金剛』というキャラクターと瓜二つ。
私の名を知っていることといい、こんな悪ふざけをするのは一人しか覚えがない。
「………まさか、スミスか?」
「久しぶりネ、ユーイチ」
CIA工作員のスミス。
メールを使って、私を呼び出した張本人である。