だから彼女は空を飛ぶ   作:NoRAheart

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………臭い物に蓋をするのは勝手だが、失敗した料理を密封して時限爆弾を作るのはやめてくれ、頼むから


――――エーリカの失敗した料理を発見した際の、ヴィルヘルミナの一言――――


Re:だから彼女は

(久瀬)の中の、彼方の記憶。

遠くとおくに捨てようとも、泥のようにこびりついた風景。

そこは真四角で、シミ一つない真っ白な空間。

そこで私はひとり虚ろに、膝を抱える。

ボンヤリとして、フラフラとして。

変わらない場所で、私は永遠とも呼べる時間をそこで過ごした。

また薬のせいか、はたまた頭を弄られたせいか。

いつも、何時も覚醒してくれない意識。

けれどもハッキリとわかる、この空間の歪さ。

そして微かに匂う、己に染みついた薬品の匂いは、懐かしい。

 

 

――――嗚呼、ゆういち君、貴方は可哀想な子

 

 

――――貴方は心ない、大人の犠牲者のひとり

 

 

私に語りかける言葉。

それは背後から。

それは女性の………いや。

声色は、もっと幼い少女のもの。

 

 

――――聴いて、ゆういち君

 

 

――――人間はね、都合の良い生き物なの

 

 

――――平気で嘘をつくし、弱いモノを虐げる

 

 

ふと、私の両手の中には二つ、握る物があることに気付く。

左手には、モルモット。

丸々太ったそれは、私の小さな手には収まり切れないほどに大きい。

 

 

――――でもね、そうしなければ人は人を保てない可哀想な生き物なの

 

 

――――虐げる強者でなければならない

 

 

――――強者でなくても、強者に見せないといけない

 

 

――――そうしなければ、今度は己が虐げられる側になってしまうのだから

 

 

それは「きゅっ」と鳴いて、小さな瞳でじっと私を見つめる。

人の悪意を知らないのだろう。

逃げ出す素振りは全く見せない。

 

 

――――だから人間は平気で嘘をつく

 

 

――――平気で嘘をついて、自分を守ろうとする

 

 

――――『臆病』

 

 

――――人間は、高度な社会性がある生き物だからこそ、そんな病的な臆病を根本的に抱えているの

 

 

右手には、ナイフ。

おおきな、ナイフ。

その刃渡りは、己の身体さえ容易く貫き通せるほどのモノ。

私はこれをどうすればいいかを、知っている。

私はこれをどうすればいいかを、覚えている。

 

 

――――躊躇ってはいけないわ

 

 

――――でも、虐げられてもいけないわ

 

 

――――そうしないと、君もまたモルモットに成り下がる

 

 

――――弱者に成り下がるの

 

 

――――尊厳も、自由も、意思も

 

 

――――全て奪われた人間は、道具に成り下がるの

 

 

――――でも貴方は、違うでしょう?

 

 

――――私とは、違うのでしょう?

 

 

君がするべきことはただ一つ。

右手に持った凶器を、左手に持つ『純粋』に振り下ろすこと。

彼女はそう言う。

 

それを躊躇ってはいけない。

躊躇ったモノは、()()()()()()()()

それを私は知っている。

 

でも、だけれども………

他者に言われるがまま、従順に従ってもいけない。

 

これは私の、私だけの、生。

生きる私の選択肢は、けして奪われてはならない。

奪われればそれまでだから。

他者の思惑に動かされる道具に、ただの人形に成り下がってしまうのだから。

だからこそ、私は左手に力を込めて、右手の凶器を振り下ろす。

その先にある、目標に向けて。

 

 

 

 

 

私の左手の手の中でパッと咲く。

ちいさくて紅い、刹那の花火。

 

 

 

 

 

悲鳴は無く。

一瞬だけ、酷く綺麗に宙に咲いた花火は、残酷なほど幻想的。

私の手の中で、ちいさな命は。

人間の、大人たちの都合で、子どもの私の手で殺される運命は。

私の狂気を研ぎ澄まし、育てる。

ただ、それだけの為に散らされるのだ。

………くだらない。

 

 

――――ゆういち君

 

 

――――唯一、優しい子と書いて、「優一」君

 

 

いい加減、分かったような口ぶりの声の主に苛立ちを覚え振り返れば、そこには肩程に伸びた癖のある茶毛が印象的な、女の子。

顔は………見えない。

墨汁を垂らしたかのように、真っ黒にその顔を潰されていて。

そんな彼女はまるで、のっぺらぼう。

 

 

――――君は他者に虐げられても、弄られても、踏みにじられても

 

 

――――それでも、優しい君のままだった

 

 

彼女が指さす私の左手の『純粋』は朱く染まって、ぐったりとして動かない。

そして純白の検査衣は、少しばかりの朱で汚れていた。

 

 

――――私はそんな君が、羨ましかった

 

 

そんな汚れ、穢れは、目の前の彼女に比べればかわいいモノ。

彼女の着ている検査衣も、もとはきっと私と同じ、この部屋のような純白だったに違いない。

しかし今は、鮮やかな紅色でその検査衣を穢す。

彼女の右手にはたくさんの生を吸った、禍々しく、肥大化した凶器。

育てられた凶器――――狂気は、私とは比べ物にならないもの。

 

君は誰だ?

そう問うた己の声は、自分でも驚くほどに震えが伴っていた。

声が震えるのは、恐怖?

 

………違う。

きっと違うだろう。

彼女に抱く私の感情は恐怖、それだけではないはずだ。

そんな単純で、見当はずれなものではないはずだ。

抱くのは、ぐちゃぐちゃで、どろどろとした真っ黒なもの。

 

彼女に膨らむ、不明な憎悪。

取り戻す、正気。

そして同時に、私は抱く。

此処は何処だ?と、疑問を抱く。

 

 

――――私も此処も、何者でも何処でもない

 

 

――――強いて言うならば、貴方を構成する一部

 

 

――――ほんの記憶のひとかけら

 

 

訳が分からないと首を振る。

答えになっていないと怒鳴り散らす。

ああ、そうだ。

おかしいの事だ。

私は此処を、記憶の彼方と認識したが。

しかし今になって、覚醒してきた脳が、目の前の事を否定する。

 

 

 

 

 

こんな記憶、覚えがないと。

 

 

 

 

 

覚えていないことを「思い出す」なんて、そんな滑稽なことがあるはずない。

なら此処は、彼女は、本当に私の記憶のものか?

 

 

――――私は言ったわ

 

 

――――人間はとても都合の良い生き物で、嘘つきだと

 

 

――――時として自分さえも、平気で嘘をつく

 

 

――――記憶も、そう

 

 

――――人の都合の良いように変わるもの

 

 

――――残酷な記憶なら、なおさら

 

 

――――何故なら、人間の人格のそのほとんどが経験、記憶に依存するものなのだから

 

 

聴こえない、聴こえない、聴こえない。

聴こえない聴こえない聴こえない聴こえない。

 

聴きたくない。

 

呼吸が乱れ、息は苦しい。

頭痛がし、吐き気もする。

それは目の前の少女が何を言っているのかを、理解したくない、認めたくないと。

脳が、心が、躰が鳴らす、警鐘。

この記憶が間違いなく私の、久瀬優一の過去だとしたら。

これは私その存在そのものを根底から覆す爆弾でしかない。

………でも。

 

 

「――――久瀬の過去は、もはや過ぎた日の遺物でしかない」

 

 

そうだ。

何故いまさら?

どうしてこんなことを、思い出す必要がある?

 

 

「ヴィルヘルミナであった、私もだ」

 

 

どうして今更?

何故こんなモノを思い出さなければならない?

 

此処を私は無意識にも久瀬の記憶と認識し、彼女は自身を久瀬の記憶の一部だと語った。

………だが、もしも。

もしも、だ。

仮にそれが本当のことだとしても、どうして今更それを思い出す必要があるだろうか?

そう、意味なんてない。

あるはずがない。

 

何故なら私は、もう死んでいるのだから。

 

 

「私は死人だ、終わった過去だ」

 

 

目の前の少女の存在を嫌い、否定する。

 

 

「そんな私に、今更何を思い出せと言うのだっ!!」

 

 

真っ白なこの空間を嫌い、否定する。

 

 

「消えろ亡霊、消えろ()()。私も、君も、もう誰であろうと関係ない」

 

 

だから否定の為に、投げ捨てるように、私は右手の凶器を少女に投げつける。

凶器は、まっすぐ少女の胸へ。

少女は避けるしぐささえ見せない。

凶器は彼女の胸に、深々と突き立つ。

その様は私の意思を、全て受け入れるかのよう。

 

 

「すべて、無へと還るんだ」

 

 

刺さる凶器を基点にして、景色が歪み、何もかもが消えていく。

私が此処の記憶と彼女の存在を否定したことで全てが闇へと、虚無へと、私の奥底へと返ってゆく。

 

けれど。

 

 

――――ふふ、ふふふふふ―――――

 

 

――――くっ、くっ、あはは、あははははははは――――――

 

 

耳障りな笑い声が、私の鼓膜を震わせる。

その笑い声は、とても印象的で。

まるで私はその声が親の敵であるかのように、当然のような嫌悪と憎悪を膨らませた。

しかし彼女が誰であるかまでは、思い出せないままだった。

 

 

――――まるで貴方は、自分が終わったかのように言う

 

 

――――でも貴方には、帰るべき場所がある

 

 

――――何故貴方が、まだ苦しみを感じるのだと思う?

 

 

――――何故今更、記憶に苦しむと思う?

 

 

――――いい加減、気付いているのでしょう?

 

 

笑い声とともに、彼女は闇へと溶けていく。

 

 

――――貴方はまだ、何も終わっていない

 

 

そんな不可思議な言葉を残して。

 

そして何もかもが消え去った暗闇の中。

理解できないと、私はひとり嘯く。

残るのは、私以外にただ一つ。

ぽたりぽたりと響く、滴の音。

 

 

「………君もまた、私の記憶か?」

 

 

左手の中で、もぞもぞと動き出した温かなもの。

首を絞めて気絶させていたソレを、解放して問うてみる。

 

 

「きゅっ」

 

 

解放された『純粋』。

それは闇の中を僅かに走り、私に振り向いては鳴く。

何度も、何度も。

 

振り返っては私に向かって鳴く『純粋』は、私に付いてこいとでも言っているのだろうか?

未だ血の滴る、穴の開いた左手の甲を擦る。

刺した左手に痛みを感じないのは、此処が現実ではないという事の証左。

そんな場所、しかし目の前を走るあれは、一体何処へと私を誘おうというのか?

少しばかりの不安を覚える。

が、私は目の前を走る『純粋』に続くことを選ぶ。

此処にいる事も、続く事も、この闇にいることに変わりないのなら、進歩を選んだ方が幾分かマシに思えた。

 

 

 

 

 

闇の中。

光はなく。

寒さもなければ、温もりもない。

そこはまるで、この世の果て。

そしてあの世の入り口にさえ、思えてならない。

 

そこで私は闇の中にポツリと存在する、白色の扉を見つける。

それはこんな所にあるにはあまりにも不自然な扉。

『純粋』は、まさにその扉の前で止まる。

 

 

「これは――――」

 

 

――――何だ?と言いかける、その前に。

『純粋』は私をまた見て「きゅっ」と鳴き、その扉に向かって駆けていき。

そして扉があるにもかかわらず、それを無視してすり抜けて、扉の向こうへと消えてしまう。

 

………最後、私に振り向いて、鳴いた声。

それは私に「続け」と言われた気がしてならなかった。

 

私もまた扉へと、恐る恐る近づいてみる。

その扉はスライド式であった。

取っ手の長いバリアフリータイプのそれは、病院ではよく見かけるもの。

何か特別なわけでもなく、何か変わっているわけでもない。

しかし、自身の胸に触れて。

この胸、この心から湧き上がるものを感じ、噛みしめる。

それは、今この場で抱くには、理由がなければ説明がつかないものだった。

 

それは、行かなければならない思いで。

それは、帰らなければならない願いで。

それは、戻らなければならない本能で。

そして、やっと帰ってきたという安堵。

 

郷愁とでも、呼ぶべきか。

そんな感情を抱く、何故かの理由は分からない。

けれど、義務感。

私はこの扉の向こうへと行かないといけないのだという義務感が、私を支配する。

 

この先には、何があるというのだろうか?

 

のっぺらぼうの、少女は言った。

私には、帰るべき場所があると。

その意味が、訳が、理由が。

はたしてこの扉の向こうに、あるというのか?

答えは、この扉の向こうにあるのか?と。

その答えを知るために、私は扉へと手を伸ばす。

 

 

 

 

 

しかし私の伸ばした手は、扉へと届かない。

 

 

 

 

 

金縛り。

毛の先、指の先一本さえも、何故か動かない、動けない。

そんな自身の身に起きている現象を理解するには、少しばかりの時間が必要だった。

身体を誰かが触れているのを感じ、それは内的なモノではなく、外的なモノに縛られているのだと判断する。

唯一動くことの許されたのは、瞳のみ。

故に、その瞳を動かすことで、己を捕らえるモノを見ることを試みる私は――――影を見た。

 

それは背後から伸ばされた、細い腕の形をした、幾多の影。

その影の腕が、私に触れ。

慈しむように撫で。

執着するように這って。

そして逃がさないと言わんばかりに、強く私を捕らえていた。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

撫でる影の腕のひとつが私の胸へと至り、するりと私の胸の中に滑り込めば、突如、胸に激痛が走る。

左手を刺した時は感じなかったはずの痛みは、心臓を捕らえられたとか、そんな物理的な痛みではなくもっと残酷なモノだという事を直感する。

忘我と、喪失。

それは私が今この瞬間まで抱いていた感情が壊されていく、痛みだった。

 

 

 

「や、め―――――」

 

 

私が抱いていた感情を壊され、忘れさせられるにつれて、目の前の扉は遠く、掠れ、霞みのように薄くなっていく。

必死の抵抗は、空しく無意味。

 

抱いていた感情を壊される、忘れてしまう。

目の前の扉もまたそれに合わせて掠れてしまえば、私は何を抱いていたのかさえも分からなくなる。

抱いていた感情が分からなくなれば、自身の抵抗する故の行方さえ分からなくなる。

抵抗する意味が分からなくなれば、身体の力を向けるべき方向が迷子になってしまう。

 

そうしてバランスを崩した私は、影の腕になすが儘に後ろへ、後ろへと無抵抗にも引きずられていく。

 

引きずられていく先にも、扉があった。

しかしそれは、先ほど見た白い扉とは違う、木製の、廃れた、穢れた、古びた扉だった。

その扉は大きく開かれて、影の腕はその中から伸びていた。

 

扉の先は此処よりも深く、どこまでも深い、黒。

 

さながら巨大な化け物が、大きく口を開けて獲物を丸呑みしてしまうかのように。

とうとう私は扉の境界まで引きずられ、トプン、と。

扉の向こうへと、闇よりも深い黒へと飲まれ、そうして私は堕ちてゆく。

身も、心も、意識も、全て。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒の中では、なにも届かない。

 

かつて感じていたはずの、光も、音も、声も、思いも。

 

かつて抱いていたはずの、思想も、夢も、希望も、願いも。

 

ただあるのは『孤独』と『絶望』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは光届かぬ冷たい海底から、光さす海面へと上がる心地であった。

 

玉響の安息。

穏やかな浮遊感から浮上して、私がそこで初めに知覚したのは暖かな眩さであった。

瞼の裏でも見える穏やかなオレンジの灯り。

瞼を上げれば、それは天幕に吊るされたランタンの輝きであると認識できた。

 

 

「ここは………」

 

 

状況確認の為に身体を起こそうと努力するが、身体はどういうことか、その意思を思うように受け付けつけてくれない。

きしむ身体、倦怠感。

そして己の身体が自分のものでないという奇妙な違和感を、何故か覚える。

 

無理に起きる事を諦め、首だけを動かして辺りを見る。

そこは、ちいさな天幕だった。

その中で、ただ一つだけ設けられたベッドで私は一人、寝かされている。

ベッドの傍には、ワゴンが一台。

その上には数種の医薬品と、血に濡れた包帯が乱雑に置かれているだけで、他には何も見当たらない。

 

 

「………」

 

 

天幕を叩く、雨音。

鼻をくすぐる、薬品臭。

それらを知覚することで、ぼーとしてた私の意識は急速に覚醒し始める。

覚醒する意識、そして私はなにか引っかかりを覚える。

はて?

なにか重要な事を、私は忘れていないだろうか?と。

 

そうだ、戦闘は?

あの街を占拠していたネウロイ群はどうなったのだろうか?

記憶は………意識の混濁のせいか上手く思い出せない。

 

 

「………うぅ」

 

 

うめき声を上げながら、軋む身体、ズレている感覚に構うことなく身体を起こそうとするも、しかし派手に音を立ててベッドから転げ落ちてしまう。

下敷きとなった左腕が、ズキリと痛む。

見れば、左腕は固定されたうえで包帯をがっちりと巻かれているのに気付く。

骨でも折れていたのか。

 

 

「―――――馬鹿な」

 

 

自由の利く右腕をベッドに掛け、立ち上がろうとする際、気配を感じた。

それは天幕の入り口の方からのもので。

そちらに視線を向ければ、白衣を着た女性と目が合う。

銜え煙草でもふいたのだろう。

その口元から煙草がポロリと落ちるが、幸いにも天幕の入り口は雨で少し濡れていたため、煙草の火は湿気た布でジュッと音を立てて消える。

 

 

「………患者のいる場で煙草をふかすとは、あまり感心しないなドクトル」

 

 

ベッドに上がるのも一苦労。

冗談を言うにも、息も絶え絶え。

 

 

「………『感心しない』、その言葉そっくりそのまま返すよ中尉」

 

 

しかも指摘はそのまま返されてしまうとは、なんとも格好がつかないと羞恥に悶える。

 

 

「まったく………そのまま安静にしてろ中尉、君は重傷を負っているんだ」

 

 

医師はそう言って、私に肩を貸す。

 

しかし重傷と言われるも、何処か納得しない私がいた。

重傷、ただ()()()()のものだったか?と。

視線は、自然と左腕脚へと落ちる。

 

 

「ネウロイは?」

「君が撃破した。覚えていないのか?」

「………いや」

 

 

覚えている。

口にするのは、肯定の言葉。

混濁する記憶を思い返し、私は覚えていると告げる。

確か小型ネウロイの包囲を突破した私は、ネウロイ本体から50Mの射程に満身創痍で落ちたあの時。

その銃口を目の前の大型に向けて、引き金を引き――――

 

………いや、違うと首を振る。

私は落ちたあの時、銃口は大型へと向けず地中に隠れるネウロイへと向けて引き金を引き、本体を撃破したことで街を解放することが叶った。

これが正しい記憶だと、思い出す。

 

 

 

………

 

 

 

………………

 

 

 

………………………………?

 

 

 

何故私は、地中に隠れるネウロイの存在を知っていた?

 

 

「中尉?」

 

 

記憶が曖昧になっているのかと、今一度記憶を辿ることを試みるが、記憶を思い返せば思い返すほど、矛盾が生じる。

 

確か私は、ネウロイの欺瞞に引っかかって――――違う。

 

すんでのところで地に隠れる本体の気配を読み取って、ネウロイを討って――――違う。

 

私はこの身を撃たれ、失って――――違う。

 

勝利した私は、おじいさまと再会できて――――違う

 

敗北した私を見たおじいさまは、復讐を誓って、そして私は―――――

 

 

「落ち着け中尉!! こっちを見ろ!! 私を見て、ゆっくりと呼吸をするんだ!!」

 

 

ひっ、ひっ、と引きつけでも起こしたかのような声が、私の脳を震わせる。

何故か、上手く呼吸ができない。

………そもそも、呼吸とはどうするものだったか?

 

 

「覚えて………覚えている…………」

 

 

何を?

ネウロイを倒したことか?

………違う。

では、何を?

 

 

「………私は、死んで……………………」

 

 

………そうだ。

思い出したと、私は呟く。

 

己が死んでいることを――――しかし私は生きている。

この左腕脚を失ったことを――――しかし私の左腕脚はある。

何も護れなかったことを――――しかし護れた結果がある。

成功と失敗の相反する記憶。

正しい記憶は、どちらか?

不正解はない、どちらも正解だというのが解答だ。

 

私はおそらく『死に戻り』を果たしたのだ。

 

その解答を確かめる勇気はない。

ここで自害して、推測が間違っていたなら死ぬのは言うまでもなく、そもそもその事実を受け止める余裕すら、今の私にはない。

そう、今の私には余裕がない、それなのに。

死に戻れるという仮定解答は、新たな疑問を私に投げかけてくる。

 

 

 

 

 

それは()()()()()()()()()()()()()()という疑問。

 

 

 

 

 

私がまともに考えられたのは、そこまでだった、

疑問が膨らむほどに、更にズレる身体の感覚。

自分の身体なのに、他人の身体を動かしているような妙な感覚は、ますます悪化していく。

私が私を拒絶するように。

脳が廻りまわり、視界が揺れて気持ちが悪い。

あまりの気持ち悪さに、思わず嘔吐。

 

 

「くそ、頭を打ったのか!? 誰か、衛生兵!!」

「ドーゼ先生、どうし………ヴィッラ!?」

 

 

全部空想であって欲しかった。

しかし敗北の記憶は、空想と断じるにはあまりにも鮮明過ぎた。

覚えている。

あの時の悔しさを、己の無能を、身を失った痛みを、死に逝く寒さを、全て。

 

 

「ヴィルヘルミナ!!」

 

 

ズレはますます酷くなる。

これ以上ズレが進めば私は私でなくなってしまうと直感する。

泥のように、私を捕らえるナニカを振り払い、フラフラと一歩、そして二歩。

何とかしなければと混濁する意識で考え、しかし足に力が入らず私は、遂に前のめりに倒れる。

 

派手に音を立てて倒れるワゴン。

床にぶちまけられ、散乱する薬、器具。

私も、散乱するそれらの一部となる。

 

視線の先に、医療用のハサミを見た。

きっと、包帯を切る時にでも使ったのだろう。

そのハサミがあったことに、私は感謝した。

右手にハサミを掴んだ私は、迷わず左手の甲にそれを突き立てる。

 

 

「―――――――っ!!」

 

 

意識は、戻る。

意識の焦点は左手の痛みのおかげで収束し、感じていたズレはやがてなくなる。

吐き気も薄れ、消えてゆく。

私は私へと、帰ってこられたと息を吐く。

 

本当に?

本当に此処が、私の帰るべき場所か?

 

傷付けた左手の甲を見て、私はそんな馬鹿げた疑問を覚えた。

だが、それはきっと今の今まで錯乱していたからだろう。

 

 

「ヴィルヘルミナや」

 

 

おじいさまの声がした。

そして背中に感じるのは、人の暖かさ。

 

 

「もういい、もういいんじゃ」

「………おじいさま」

 

 

抱きしめるおじいさまは私をやさしさで包もうとする。

慈しむように私を撫で、労わるように私に囁く。

 

 

「私は――――」

 

 

おじいさまは、私に優しくしてくれる。

その優しさに、私は何もかもをさらけ出して、投げ出したい衝動に駆られる。

しかし私に、その権利はない。

 

私は、誰も護れなかったから。

 

 

「………ドーゼ先生」

「分っている。鎮静剤を打つぞ」

 

 

薬を打たれ、遠のく意識。

意識が落ちるその一瞬まで、私の左手が痛むのは決してハサミで刺しただけの痛みではない。

 

幻肢痛(ファントムペイン)

 

失ったはずの左腕脚の痛みは今あるこの左腕脚を蝕んで、自分勝手で誰も護れなかった私を戒める。

 




公式風ミニヴィッラ嬢を描いていただき、更には紹介動画まで頂いた私は死ぬんじゃないかと不安になる今日頃ごろ(活動報告参照)



>大型ネウロイ、無事撃破

やったねヴィルヘルミナさん。撤退の為の障害を排除したよ(問題が増えないとは言っていない。ましてや久瀬自体に問題が無いとも言っていない)

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