「おお、やってるやってる」
エンジン音の響くグラウンドを眺め、少女は呟いた。手にした扇子で顔を扇ぎつつ、にんまりと笑みを浮かべる。
グラウンドの端には戦車道チームのメンバーが集う格納庫があり、彼女の行き先もそこだった。頭につけたヘッドフォンを取り、少女は自分の喉を擦る。そして大きく息を吸い込み、声を出した。
「孝行糖、孝行糖。孝行糖の本来は、うるの小米に寒晒し。カヤに銀杏、ニッキに丁字、チャンチキチ、スケテンテン……よし」
何やら気合いを入れたのか、彼女は途端に脚を早め、格納庫へと駆けていく。誰かに見られれば変人扱いされかねないが、当人にとっては意味のある儀式だったようだ。だが幸いというべきなのか、戦車道チームは戦車の整備に余念がない。彼女の存在に気づく者はいなかった。
「後はシュルツェンを取り付ければ完了です」
「お疲れさま! 自分の戦車が強くなるのっていいわね」
トゥラーンの車長・大坪が整備に当たる男子生徒に笑顔を向けた。彼女のトゥラーンIIは以前と見違えるほどの、逞しい姿になっていた。スタイリッシュとは言えない無骨なデザインだが、長砲身75mm砲に換装し、前面装甲も強化。試作のみに終わったトゥラーンIIIに準じた仕様となっている。
八戸タンケリーワークから買った改造キットを校内のサポートメンバーが取り付け、装甲のリベット留めなどに苦労しながらも組み立てたのだ。砲が大型化した分俯角を確保するため、砲塔上部がかさ上げされ、独特のシルエットになっている。後は側面の追加装甲板、ドイツで言う所のシュルツェンを搭載すれば完成である。
元々トゥラーンは工業力の低いハンガリーで作られたにしては、なかなか完成度の高い戦車だった。チェコ製のT21を元にしつつ、三人乗り砲塔の採用、乗員の人数分設けられたハッチなど、ドイツ戦車のような合理的設計を取り入れている。装甲がリベット留めということを除けば、ハンガリー版IV号戦車とも言えるスペックだ。
これで強力な主砲を手に入れれば、戦車道でも十分最前線で戦えるはずだ。
「次の試合ではもっと頑張らないと」
大坪は練習試合の内容に大きな不満が残っていた。自分が敵のフェイントに引っかかって撃破されてしまったため、ズリーニィが第二の待ち伏せポイントへ向かうまで時間を稼げなかったのである。もっとも以呂波もまた、この点に責任を感じていた。もっと早く隊長車が参戦していれば、十分な撹乱ができたのではないか、と。
だが以呂波からそう言われても、大坪としてはやはり今のままでは駄目だと思った。こうしてトゥラーンがまともに戦える戦車になったのだから、乗員もまたより一層の努力が必要なのである。
「人馬一体って言葉があるように、人車一体とも言いますから。しっかり乗り物のことを理解して大事に乗れば、生き物も機械も乗り手に応えてくれますよ」
ウエス(布切れ)で手を拭きながら、男子整備員は語った。
周囲でも男女混在の整備班が、各車両の整備に当たっている。彼らは千種学園の鉄道部から派遣されたサポートメンバーたちで、普段学園艦内を走る路面電車の運営を行っているのだ。普段から乗り物に馴染みがあるだけに、それに関する言葉も重みが利いている。
「そうね、馬も戦車もその心が大事。しっかりやるわ!」
「俺はどっちかってーと、うちの連中が皆さんの足引っ張らないかが……」
彼はゆっくりと、視線を車庫の外へ向けた。戦車が、否、戦車のような物が一両、よろよろとグラウンドを走っている。スラローム走行の最中のようだが、置いてあるパイロンを倒したり、踏みつぶしたりとミスを連発していた。操縦手のあたふたした様子が車外からでも分かりそうだ。
「……心配です」
「あはは……」
九五式装甲軌道車『ソキ』は日本陸軍鉄道連隊に配備された、軌道用装甲車両である。一見すると中戦車だが武装はつけられておらず、現地部隊で有り合わせの機関銃などを搭載することになっていた。鉄道連隊が戦車を使うのは戦車隊の面子に関わるためこのような仕様になったというが、どの道8mm程度の装甲で対戦車戦闘は無理がある。
この車両の最大の特徴は部品の付け替えなしで線路上を走行する機構を持っていることで、乗り物好きにはたまらない代物だ。守保は高く買い取ると提案したのだが、千種学園はソキを手放すわけにいかなくなっていた。その存在を知った鉄道部がソキをいたく気に入り、乗員を派遣するから戦車道で使えと言い出したのだ。
整備要員も派遣し戦車道チームを支援すると言われたので、以呂波や船橋も了承せざるをえなかった。確かな腕を持った整備員がいれば、乗員の負担は大幅に減るのである。
現に鉄道部員の働きは見事なものであり、ソキ乗員たちの練度も訓練すれば向上するだろう。しかしソキの使い道について、以呂波は未だに頭を悩ませていた。
「それにしても変な乗り物だよねー」
戦車の砲塔の上から、美佐子が言った。納品されたばかりのタシュ重戦車に乗り込み、四人で点検をしているところである。カヴェナンターの40mm砲弾よりずっと重い75mm砲弾を、美佐子は難なく積み込んでいた。
「履帯の内側にある車輪を降ろして、履帯を吊り上げて線路を走るのよね」
面倒見の良い結衣は、操縦に苦戦するソキの乗員たちを助けてやりたそうだ。だが今はタシュの操縦装置のチェックが先である。守保の部下たちが試験を済ませているとはいえ、元々幻に終わった戦車だけに気は抜けない。この戦車がこれから、部隊の要となるのだから。
澪の方は新しい大砲に夢中なようで、砲塔内に閉じこもり照準器をピカピカに磨いている。外の世界のことなど気にしていないようだ。
「うーん、軌道上では70km/h以上出るし、線路のあるフィールドならそれを利用して偵察も……」
タシュの前面装甲に寄りかかり、以呂波は考え込んでいた。
「いや、読まれるよね……やっぱり普通に偵察戦車として使うしかないか……」
「考え過ぎもよくないんじゃないかい。使ってみなきゃ真価は分からないもんさ」
「まあそうなんだけど……え?」
聞き慣れない声に顔を上げ、見慣れない生徒と対面した。いつの間にやってきたのか、通信手席のハッチに女子生徒が腰掛けていたのだ。鉄道部のサポートメンバーではない。初めて会う少女だ。制服の校章は赤、つまり二年生である。アップにした髪を後頭部で結い、どことなく勝ち気な表情だ。
以呂波だけでなく、美佐子と結衣も初めてその存在に気づいたようだ。
「ど、どちら様ですか?」
「おや、隊長さんはあたしをご存じない?」
口を尖らせ、彼女は結衣や美佐子の方をちらりと見た。
「あんたらは?」
「ええと、知りません」
「あたしも知りませーん。そんなに有名なんですか?」
美佐子の問いかけに、少女はフフンと鼻を鳴らした。
「有名に決まってるさ。知らない人以外はみんな知ってるくらい」
「それは当たり前だと思いますが。というかここは危険だから関係者以外立ち入り禁止なんですけど、いつの間に現れたんですか?」
「それが船橋先輩に声かけてみたんだけどね。あの人ってばあたしが『たのもー!』と言ったら『ズダーン!』って返事してさ。『もしもし』と言ったら『ズダーン、ズダーン!』。日本語で答えてくれないから、もういいやって中に入って……」
「それは20mm砲の照準調整をしてたんですよ!」
ツッコミを入れる以呂波に、結衣が落ち着いてと手をかざす。操縦席から体を出し、彼女は謎の二年生に向かい合った。
「もしかして、時々お昼の放送で落語をやってる方ですか?」
「あ、そうだ! 同じ声だ!」
美佐子も砲塔から身を乗り出して言う。以呂波は昼の放送などろくに聞いていなかったが、そういえば確かにこんな声が流れていたような気がする。この人を食ったような、どこか年寄り臭いような口調を。
「確か名前は高遠……」
「高遠晴。お晴って呼んでおくれ」
ようやく名乗った彼女、高遠晴は以呂波に向き直った。
「隊長さん。戦車道やりたいんだけど、空いてる席ある?」
「……最初からそう言ってください」
ツッコミ疲れた以呂波は頭を抱えた。しかし実際に空いている席はある。カヴェナンターは四人乗りだったがタシュは五人乗り、通信手が必要だ。通信機器が発達している現代では必ずしも専門の通信手は必要なく、車長が他車と直接連絡もできる。それでもいた方が車長の負担は軽くなるし、特に隊長車には欲しい存在だ。
「喋るのが得意なら、今座っている席で」
「おっと、ここかい」
腰掛けていたハッチを扇子でトンと叩き、高遠は笑う。よっこらせ、という声と共にハッチを開け、通信手席に乗り込んだ。というよりは潜り込んだ。
「ひゃー、狭いねぇ。まるで棺桶だ。ここで無線機を弄るのが仕事かい?」
「概ねそうです。できそうですか?」
「できなきゃ困るんだろ」
ひょこっと顔を出し、高遠は言った。
「知ってるよ、もうすぐ大会があるって」
「え!? 大会に出るの?」
美佐子が驚きの表情を浮かべる。それを聞いて澪も砲塔のハッチから顔を出した。結衣も初耳だったようで、以呂波の顔をじっと見ている。
全員の視線を受け、以呂波は苦笑を浮かべた。
「……後で私と船橋先輩から、正式にみんなに言う予定だったんだけどね」
……日本の戦車道全国大会には暗黙のルールがあった。戦車道のイメージダウンになるような学校は参加しない、というものだ。実際全国大会の常連校は古くから戦車道を続けている学校がほとんどで、近年になって戦車道を始めた学校は存在しない。
戦車道連盟の中では、このような暗黙のルールが強豪校の驕りを助長し、戦車道への新規参入がしづらい環境を作っていると考える者もいた。延いては日本の高校戦車道衰退にも繋がっている、と言える。事実、戦車道から撤退する学校は増え続けていたのだ。
しかし昨年度の大洗女子学園の優勝は『弱小』と見なされていた多くの学校を奮起させ、同時に強豪校の慢心を浮き彫りにするものでもあった。連盟はこれを機会に戦車道の衰退に歯止めをかけるべく、戦車道歴十年以下の学校を対象とした大会を開催することを決定した。
戦車道『士魂杯』である……
どうも、やっと更新できました。
会社の出張のせいで治りかけた風邪が悪化しまして……
大体治ったので、ちまちまと書き進めていきます。