ええ〜今回も、チナツの過去編です。
「ううっ〜〜〜〜……」
「えっと……なんか、ごめんねカタナちゃん……」
「別に良いわよ……アスナちゃんのせいじゃないし……」
「いやでも……」
「気にしなくて良いって……」
「いや、そんな露骨に落ち込まれると、かえって気になっちゃうんだもん……」
「ううっ……ぐすっ……だってぇぇ〜〜!」
机にうつ伏せになった状態で、すでに半日が経過していた。
あれからと言うものの、カタナはチナツについて色々と調べて回っていたらしい……。以前チナツが所属していた軍にいる友人に協力を仰ぎ、詳細な情報を提供してもらっていたのだ。
しかし、チナツは軍の中でもトップシークレット級の扱いだったらしく、情報はあまり多くはなかった。
ただ、チナツの存在が、他のレッドプレイヤーたちに認識されないように、偽装していた事があったらしい。
「それで、“結婚” してたなんて……チナツくん、見ない間に凄いことやっちゃってたんだねー」
「どう言う事よ…………あの若さで結婚とか、幕末期じゃあるまいし……」
「カタナちゃん、本音が出てるよー?」
「もういい! もう知らない! 私一生恋なんてしないもん!」
「 “もん” って……で、でも、チナツくんはその、奥さーー恋人さんがいるのに、どうして一人で旅なんてしてたのかな?」
奥さんと言わないあたり、アスナも気を使っているらしい。
だが、確かに妙だった。
チナツはこれまで、たった一人で旅を続けてきた。
各階層を歩き渡り、小さなトラブルも大きなトラブルも一様に片付けて行ったと、本人がそう言っている。
では、結婚した相手はどうしているのだろうか?
偽装するためとはいえ、結婚して、離婚した話が出てきてない以上、チナツと、チナツの嫁さんがまだ繋がっているのは間違いない。
無論、離婚したという情報が、まだ入ってきていないだけかも知れないが、それでもおかしい。
その相手とは誰なのか……今どこで何をしているのか……そして、何故チナツはその相手を放ったらかしにして、こんな旅を続けた挙句、血盟騎士団に入ったのか……
「確かに……ちょっと気になる話ね」
「でしょう? チナツくんが結婚してる話は聞いたけど、その相手が誰なのかまではわからないんだよね?
一体、どんな人なんだろう……」
「そうよねぇ……あの鈍感唐変木朴念仁のチナツくんを射止め人なんだから、それこそ、私やアスナちゃん以上の美人とか!?」
「チナツくんの悪口って、全部一緒の意味だよね?」
「ん、んんっ! まぁ、とりあえず……そこら辺のところを調べてみる必要があるわね……」
「どうする? 私も手伝おうか……」
「うん。でも、アスナちゃんには、チナツくんの周りの人間関係について調べてもらっていい? 無論、本来の職務優先で構わないわ!」
「了解! あんまり詮索するのは気がひけるけど、でもしょうがないよね、カタナちゃんのためだもの!」
「ありがとう〜〜〜! アスナちゃん、愛してるぅ〜〜♪」
「ひゃあっ!? ちょっ、カタナちゃん、くすぐったいよぉ〜!」
「うふふっ、良いではないか、良いではないかぁ〜!」
「いやあぁぁぁ〜〜‼︎」
急激な百合展開は置いといて……その後、二人は任務をする傍らで、チナツについての情報を集め始めた。
昔から交流のあったエギルや、情報屋のアルゴなどを通じ、少しでも貴重な情報を得られないかと……。
チナツがいた暗部での情報は、さすがに拾えなかったが、それでもその後のことは、大まかなら集めることができた。
と言っても、先ほどの情報と、あまり大差のない情報だが……。
それからというものの、特にこれといった進展はなく、カタナにとっては、非常にやきもきする日々の毎日だった。
一向にその彼女らしき人物と会う気配もないし、普通に任務を遂行し、達成し、報告する。たまに料理なんかを作って、振まってくれる……そんな、何気ない日常を過ごしていた。
「このままじゃ埒があかないわね……」
カタナはげっそりしながら、どうしたものかと考える。
チナツとともに生活していた女性プレイヤー……その姿を捉えようと情報を集めるが、逆にその姿が遠ざかっていく。
一体どういう人物なのか……。
「こうなったら……一か八か……!」
ここでカタナは思い切って聞いてみることにした。
ちょうどその時、二人で次の階層の迷宮区を探索するという任務を請け負っていた。
これは、またとないチャンス。
だからカタナは、当時最大級の勇気を持って、チナツに尋ねた。
「ね、ねぇ……チナツくん」
「はい?」
「その……チナツくんって、か、彼女がいるって本当?」
「えっ?」
「あっ、ご、ごめん! その、変な意味じゃないのよ?! その、噂で聞いてさ!」
「ああ……」
どうやら、噂という形で広まっている事は、チナツも知っていたようだ。
チナツは一瞬、どう答えていいものかと逡巡するが、カタナが向けてくる視線に気づき、ここは誤魔化していい場面ではないと判断したのか、一度深呼吸をすると、カタナの目をしっかりと見て答えた。
「はい……いますよ」
「っ…………そ、そう……やっぱり、そうだったのね……」
そう言われるのはわかっていた……わかってはいたが、やはり改めて言われると、胸が痛む……。
「えっと、どうして急にそんな事を?」
「えっ? あ、えっとね、そのぉ……その彼女さんって、どんな人なの? ちょっと気になっちゃって!」
「どんな……ですか……うーんと…………」
チナツは右手で口を覆うと、上を見上げた。
「うーんと……まぁ、美人ではありましたかね。とても静かで、おとなしい……なんか、深窓の令嬢みたいな感じだったかな……」
「深窓の令嬢……」
その単語を噛み締めながら、カタナは一言つぶやいた。
鈍感唐変木朴念仁のチナツがそこまで言うのだから、その人物は本当に美人なのだろう……。
正直な話、カタナはその彼女の情報なんて、どうでもよかったのだ……。好きだと気付いた時、カタナはチナツの想い人になりたかった。でも、すでにチナツには想い人がいた。
ならば、チナツの事を諦めた方がいいと……柄にもなく思ってしまった。本当なら、自分が奪い去るくらいの気持ちを持っていたかもしれない……でも、そうできなかった。
それは、チナツ自身の事を思ってのことだった。過酷な世界で生きてきた彼にも、心を許せる大事な人がいる……安らぎを、癒しを与えてくれる存在がいる……それで彼が幸せに感じるのであれば、それは、とても良いことだと思った。
そしてそれが、自分でなくてもいい……自分ではない他の誰かでも、チナツを幸せにしてくれるのなら、カタナはそれでいいと思ったのだ。
だから、その人物が、自分よりも優れている人ならば、早々に諦めがつくというもの。
これは自分勝手な、自己犠牲の正当化だ。
「そうですね……普段からおとなしいのに、やたら毒舌なんですよねぇ〜。ほんと、心を強く持っておかないと、すぐにでも折られそうですよ」
「へ、へぇ〜……」
そんな人物ともここまで付き合ってられるのだから、チナツの心の広さ……というよりも、優しさの境界線の無さには、カタナは尊敬すらできる。
しかし、心をへし折るほどの毒舌っぷり……本当にその彼女は人間なのだろうか……。
人間の姿をした悪魔なのでは……?
「えっと、名前はなんていうの?」
「名前ですか? 名前は《ユキノ》です。ほんと、名前のように、まるで雪みたいな雰囲気なんです。
でも、時折お茶目というかなんというか……変に真面目で、不器用なところがあったり……まぁ、とりあえず、色々と可愛い所があるんですよ」
あはは、と笑うチナツの顔は、確かにユキノという人物に対して、本心からそう思っていたと思える節が見られたが、カタナには、どことなく悲しげな色が見えたような気がした。
本当は、会えなくて寂しいのではないか……。自分の都合で、血盟騎士団に入れしまったが為に、そう思ってしまう……。
「そうなの……チナツくんは、そのユキノさんの事が、好き……なのよね?」
「……どうでしょう。別に俺たちは、望んで結婚したわけじゃないですからね。
俺の……《人斬り抜刀斎》というプレイヤーの存在をカモフラージュする為に、俺は一般プレイヤーになりすます必要があったんです……その時に、俺の相手に選ばれたのが、彼女なんです」
「えっ?」
衝撃の真実だった……。
これは、いくら情報屋やカタナの諜報力を持ってしても、得られなかった情報だ。
しかし、いったいどう言う意味なのか……?
「えっ?! ちょっと待って、あなた達は……互いが好きで結婚したんじゃなくて……」
「ええ……まぁ、なんて言ったらいいのかな……政略結婚みたいな感じだったんです」
「っ……!」
政略結婚……互いに利益を得る為に結ばれる結婚……。
そこには愛し合うという感情が入っている事は少ない……。
しかし、先ほどのチナツの話からするに、二人とも良縁だったようにも思えたが……。
「その、ユキノさんは、納得したの? チナツくんとの結婚は、政略結婚みたいなものだったんでしょう?」
「ええ……。俺もちゃんと聞いたんです。俺なんかでいいのか? ってね。
でも、彼女は、そうする事が、一番最善でしょう……って言いました。それで、俺たち二人は、結婚を申請して、正真正銘の夫婦になったわけです」
「はあっ?! ちょっと待って! 最善って何よ、それは、何? その最善っていうのは、そのユキノさんの為? それともチナツくん? ……まさか!」
「はい……軍にとっての最善でしょうね。まぁ、俺も正体を明かさないようにという点については、俺の為でもあったんでしょうけどね」
狂ってる……。
そう思った。軍の為に、彼は自分の意思を殺し、その要求を受け入れたのだ。
そんな事を、見るからに幼さが残る少年と、その相手に背負わせるなんて……。
「軍の人間ってのは、本当に癪にさわるような奴らばっかりね……っ!」
カタナの表情に、怒りの感情が露出した。
確かに軍にとっては得難い利益なのかもしれない……だが、大の大人が、年端もいかない少年少女を利用し、美味しいところだけを吸い尽くす……そんな馬鹿げた話があるだろうか……。
今からでも、カタナは軍でそのような命令を出した人物達を洗い出し、処罰しようと考えた。
しかし、その考えを、瞬時に読み取ったチナツが、カタナの両肩を抑えて、首を横に振った。
「確かに、端から見れば俺たちの関係は、歪なものだったかもしれません……でも、俺は、そうは思わなかった。
いや、実際に、すごく心地よかったんです……彼女ともに過ごす日々は……とても……」
そもそも、どうしてチナツが彼女……ユキノにであったのか……。
まだ《人斬り抜刀斎》という名が周りに浸透する前の事。チナツはあるフィールドで、暗殺者と対峙した。
変則的な動きから繰り出される一撃一撃が、まさに暗殺剣そのものだった。
その動きを見て、チナツはすぐに悟った……このプレイヤーは、自分と同じ暗部の人間なのだと……。
だが、こう着状態もそう長くは続かず、一瞬の隙をついて、チナツが一撃でプレイヤーを屠った。
その時だ……まさにそのプレイヤーにトドメの一撃を食らわせたその一部始終を、一人の女性プレイヤーに見られたのだ。
その女性プレイヤーこそが《ユキノ》だった。
ユキノはただ単に、見られたことに動揺して動けなくなったチナツを見ていたという……。その時チナツは、その女性プレイヤーの対応に困惑していた。
しかし、ここで無闇に彼女を殺してしまうのは、チナツの本意ではないし、もとより彼女はレッドやオレンジマーカーのプレイヤーではなかった。
どうしたものかと考えあぐねていたその時、彼女の口が動いた。
「惨劇の場には血の雨が降る……」
「なに?」
「なんて言われるけど、あなたは光の雨を降らせるのね……」
「光の雨……?」
「ええ……その人を、プレイヤーという情報体を構築した光……それを破壊し、雨あられと降らせてしまう……。
綺麗であっても、やっていることは残忍非道だわ……」
彼女の目からは、なにも読み取れなかった。
ただ淡々と、思った事を口に出しているだけのように思えた……。惨劇の現場を目撃して動揺や恐怖、軽蔑の感情が見て取れない。
彼女は一体何者なのか……。
ただ分かる事と言えば、とても綺麗だったという事だ。
腰まで伸びた黒髪のストレートに、氷を思わせる氷白の瞳。
身につけている装備は、さほど低くない事から、そこそこレベルのあるプレイヤーだと見て間違いなかった。
その姿はまるで、日本人形のような……儚げで、お淑やかそうな雰囲気を持った人物だった。
そんな彼女も、さすがに気を保っていられなかったのか、その場に崩れ落ちそうになった。それをチナツが受け止め、安否を確認するが、少女は眠っているだけとわかり、肩を空かした。
そんな彼女を、チナツは軍のギルドホームへと連れて帰り、その日は彼女をチナツの部屋で寝かせた。
そして次の日、チナツが目覚めると、彼女の姿はなかった。
(っ! しまった! やはり何らかの拘束はしておくべきだったか?!)
このまま彼女がチナツの事を話せば、チナツの存在……《人斬り抜刀斎》という最強のレッドプレイヤーの存在が明るみになってしまう。
そんな事は許されない。
何としても彼女を見つけ出し、情報の漏えいを防がなくてはいけない……。そう思い、チナツは部屋を飛び出した。
しかし、そんなチナツの心配は、杞憂に終わる。
何故なら、部屋を出てすぐ、アインクラッド解放軍の制服を身に纏ったユキノに遭遇したからだ。
聞けば、ユキノは当てのない旅をしていたとの事。そこにチナツが宿……というより部屋を貸してくれた為に、その恩返しも兼ねて、アインクラッド解放軍に所属したそうだ。
わざわざ所属する必要は無かったのでは? と聞いてみたら、いずれはどこかに落ち着くだろうと思っていたから、構わない。と返ってきた。
「その後は、ユキノも軍人として生活し始めたんです。でもある時、俺とユキノは、再び暗殺者からの襲撃を受けたんです。
それはつまり、暗部の人間からは、俺が《人斬り抜刀斎》だとばれてしまった……という事でした。
だから、ギルドリーダーであるシンカーさんの指示で、俺たちは身を隠す事になったんです……」
「なるほど……たしかに、若い恋人同士のプレイヤーとして扮していれば、何とか誤魔化すことはできるか……」
その後は、ほとんど何の気ない平和な日常だった。
時折チナツが狩りに出かけ、生産職のプレイヤーたちにアイテムや情報を売って、生活を賄っていた。
ユキノは、二人が住んでいた家の近隣に住む生産職プレイヤーたちの元へと赴き、お手伝いとして働いたりしていたらしい。
本当に何の気ない……平和な日常……。
チナツがこの世界に来て、初めて知った、アインクラッドでの暮らし。
その中で、二人は互いの存在を、意識し始めたそうだ。
「いつも愛想がないユキノが、時々ですけど……笑ってくれたんです……。彼女が笑ってるのを見ると、なんか……凄く嬉しかった……!」
そう、凄く嬉しかった。
こんな幸せな時間が、これからも永遠に続けば良い……《人斬り抜刀斎》として生きるよりも、何十倍、いや何百倍と楽しかった。
「そう……チナツくんには、ユキノさんがいるんだね……」
カタナの心は深く沈んでいった。
それもそうだ……もはや、手の出しようがない。いや、出すべきではないと思ったのだ。
二人が幸せに感じているのなら、それを壊してしまうわけにはいかない。
自分もチナツの事が好きだ……ならば、その想い人の幸せを願うのも、必須だろう。
「彼女のところに戻らなくて良いの? 今こうして離れ離れになってたら、彼女が心配するでしょう?」
「…………それは、大丈夫ですよ」
「どうして? なんでそんなこと言い切れるの? ましてや君は、レッドプレイヤーたちから命を狙われるような人物なんだよ? 今は血盟騎士団の団員として入ってるから、より知名度が上がってるだろうし……。
それに、彼女さんも危ないかも……!」
「大丈夫ですって……奴らにユキノは、指一本触れられませんから」
「〜〜〜〜ッ!!!!!」
なんだかイライラしてきた。
彼女の事を思っているのなら、こんなところで、自分と一緒にいるべきではないだろう……。
カタナはそう思った。なのに、チナツときたら、この有様だ。
先程言った危険が、絶対に無いわけではないはずだ。レッドプレイヤーたちならば、どんな汚い手段を用いても、チナツを殺そうとするはず。
ならば、一番手っ取り早いのは、チナツの恋人であるユキノを人質に、チナツを殺す事だ。
なのに、彼女を放ったらかしにして、この少年は、何をしているのだろうか……。
「すぅー……はぁー……。ねぇ、チナツくん。早く彼女の元へと帰ってやりなさい」
「急にどうしたんですか?」
「〜〜ッ! あーもう! 彼女の事が大事なんでしょう!? なら、一緒に居てあげなさいよ‼︎ 彼女に危険が迫ってるかもしれないのに、どうして君はそんなに危機感が足りないのよ!」
「…………落ち着いてくださいよ、カタナさん。一体どうしたんですか……」
「っ…………チナツくん。私、正直に告白するわ」
「は、はい……」
「私……私はね、チナツくんの事が好きなの!」
「っ!?」
「あっ、言っておくけど、LIKEの方じゃ無いからね?! LOVEの方だからね?! 一応!」
「は、はい……!」
「だから……〜〜ッ! 私は、心のそこから、君が、好きなの! もう、いつでも触れ合っていたいくらいに、もう、チナツくんのそばにずっとずっと居たいくらいに! わかるっ!?」
「は、はい! わかりますとも!」
「だからその……チナツくんには、ちゃんと、ユキノさんっていう彼女がいるわけだし……はっきり言うと、君に私をフッて欲しいのよ‼︎
このままモヤモヤした状態で、任務なんてできないし、君とも関わりあえない……!
だから、思いっきりフッて! 自分には、彼女がいるから、諦めてって!」
それが、カタナの意思だった。
諦めがつけば、自分は、またいつもの自分に戻る。チナツの上司で、隠密部隊の隊長であり、血盟騎士団副団長……だだのプレイヤーである、槍使いのカタナに戻れる。
だから……
「なるほど……それでここ最近、不自然だったんですね」
「えっ? そ、そんなに、不自然だった?」
「ええ、まぁ……なんか、ちょっとヨソヨソしいというか……」
「あ……ごめん……その、チナツくんの事を嫌がってたわけじゃ……」
「わかっています……。それに、ありがとう……って言っておきます。
こんな俺の事を、はっきりと、好きだと言ってくれたのは、あなただけですから……」
「チナツくん……」
「それと、彼女……ユキノの事は、本当に心配要りませんよ。彼女に手出しは “絶対に” できませんから」
「だ、だからどうしてーーーー」
絶対に…………そこまで言い切れるのは、何か確信があるからだ。
そして、チナツは一旦目を伏せ、カタナから少しだけ離れる。
カタナの視界には、何故だかいつもより小さく見えるチナツの背中が写っていた。
そして、深呼吸を一回。
何かの覚悟を決めたように、チナツは、改めてカタナに視線を合わせるために、再び向き合った。
「彼女は……もう、この世にいないんです」
「………………え?」
力のない笑みを浮かべ、チナツは発した。
この世にいない……と。
「だから、彼女はもう、この世界……アインクラッドにはいない。そして、現実世界でも、彼女はもう、存在しないでしょう……」
「っ!!!!?」
アインクラッドから消え、現実世界からも存在が消えた……それが意味するものとはつまり……
「ま、まさか……! ユキノさんはーーーー」
「ええ……。彼女は、もう死んでいるんですよ……。死んだ人間を、一体誰が、殺せるっていうですか?」
言葉が出なかった。
ただ目を見開き、力のない笑みを浮かべながら話すチナツの顔を、カタナは見ていることしかできなかった。
だが、同時に恐怖した……目の前にいる少年は、どうしてその事を受け、ここまで平然としているのか……と。
「え、ちょっと、ちょっと待ってよ……!」
「カタナさん?」
「し、死んでる? どうして、一体何があったの!? どうして、そんな事に‼︎ それに……」
「それに?」
「なんで? なんで君は、そんなに冷静でいられるのよ!? 大切な人の命を、奪われたのよ?! なんで……! なんでそんなに笑っていられるのよ……!!!!」
この感情が、悲しみなのか、怒りなのか、それとも虚しさなのか……それすらもわからない。
どうすればいいのか、何をするのが正解なのか……もう、なにもわからない。
そんなカタナの両肩を、チナツは優しく両手で押さえた。
カタナもそれに伴い、ハッと正気を取り戻し、涙目で視界が悪いが、じっとチナツの顔を見つめていた。
「カタナさん……彼女は、殺されたんじゃないんです」
「え? ど、どういう……」
「彼女は殺されたんじゃない…………。彼女は…… “俺が、殺したんです” ーーーー」
「っ…………‼︎」
なにも聞こえなくなった。周りの音……システムが自動的に鳴らしているであろうたわいもない音。
それら全てが遮断されたような気がした。
だが、その言葉だけは、はっきりと耳に残っている。
ーーーー俺が、殺したんです。
驚きのあまり、呼吸をする事すら忘れていた。
チナツは目を再び伏せて、俯いていた。
カタナの肩に掴まっていた両手には、自然と力が入っており、その表情は、苦悶に満ちてすらいた。
「どうして……どうして、そんな……!」
信じられなかった。
少なくとも、彼はそんな事をするような人間ではないと思っていたから……。
しかし、何故、そんな事になったのか……。その答えは、チナツ自らが話してくれた。
「二人で生活してて、まだ一ヶ月くらいしか経っていないくらいの時でしたかね……ある日、ユキノがいなくなったんですよ……。
最初は、いつものようにお手伝いに行っているのではと思ったんですけど、そうではなかった……。そうしたら、俺たちの家に、軍からの使者が来たんです。
そして、ユキノの事について話があると言われたので、その話を聞きました……。そしたら、使者が言ったんですよーーーー」
ーーーーユキノは、敵方の刺客だ。
「最初は信じられなかった。でも、使者から提示された情報によれば、近々俺を殺すための動きが見て取れると言う話でした。
そこにユキノの失踪……。疑う余地もありましたけど、ほとんど間違いではなかった……だから俺は、その事をユキノに問いただそうとしたんです。
彼女がいるであろう、ある山小屋に向かってね……」
その山は、氷雪地帯だった。
つまり、雪山だ。雪山のどこかに、ユキノはいる。
ただ、その情報だけで、チナツは山に入った。
それからは、過酷な試練の連続だった……。山に入るなり、いきなり地図が読みづらくなった。
周りからは、全くと言っていいほど気配を感じない。
そんな時に、敵に強襲された。
この特殊な環境下で、鍛え上げられてきた最強の刺客とも呼べる者達による暗殺……普通ならば、簡単に死んでいたかもしれない。
だが、その時のチナツには、譲れない思いがあった……。それは当然、ユキノに関することだ……。
「刺客達に襲われても、俺は構わないと思いました……なんせ、俺はユキノの大切な人も、この手にかけた……」
「ユキノさんの、大切な人?」
「ユキノには……俺以外に、恋人がいたんです」
「っ!?」
「その男性は、オレンジギルド所属のプレイヤーだったそうです……。これは、後からわかったことなんですけどね。
俺は当時、そのことを知らずに、ユキノと結婚しました。ユキノにとっては、絶好のチャンスだったでしょうね……なんせ、仇の相手が、自分の目の前にいて、相手は油断しているんだから……。でも、ユキノが俺を殺すことはなかった……」
ユキノには、《リョウ》という恋人がいた。
しかし、そのリョウはある日、裏の現場にてチナツと遭遇。
敵対する者同士……やる事は一つしかない。
即座に敵を斬り、亡き者にする事。
その結果は、言うまでもない。チナツが勝利し、リョウは敗北し、この世を去った。
だからユキノは、チナツを殺す権利があり、チナツはユキノに殺されなければならない義務があった。
だから、その事を知って……刺客達と戦う最中、チナツは思った。
ーーーーユキノに殺されるまでは、死ねない……っ!
自分を殺していいのはユキノだけ……それ以外の人間ではダメなのだと……。
だから、どんな相手だろうと、目の前に立ち塞がるのであれば、斬る。
「それからは、あんまり覚えてませんね……。戦っていたのは覚えている……三回……は戦いましたかね。でも、その戦いで、俺も消耗してきて……。
相手方の戦術は、自滅覚悟で俺を疲弊させる事でしたから……耳をやられ、眼をやられ……元々直感も使えない。そして最後は疲弊による触感の損失……。
人間に備わっている六感の内、四つを潰されて、正直死んでもおかしくなかった……」
そして、そんな状態で挑んだ、最後の戦い。
相手は今まで戦ってきた暗殺者たちを束ねていたリーダー格の男。
万全の状態でない以上、チナツが苦戦するのは目に見えていた。だが、心の底から湧き上がる執念だけは死んでいなかった。
最後に殺されるのは、ユキノでなくてはならないから…………。
「最後の最後。俺たちは互いに斬り合い、殴り合い、もうボロボロでした。
最後の一撃で、すべての決着がつく。そう思い、俺は決死の覚悟で挑みました。その時です…………山小屋に囚われていたユキノが飛び出して、敵の攻撃から俺を守りました……そして、振り下ろした刃は、無防備なユキノの背中を斬り裂きました……っ!」
その時の感覚は、今でも手に残っている。
二人分を斬った様な感覚に違和感を覚え、それと同時に視界が明るくなった。
そしてチナツは見たのだ。敵の攻撃を捌き、敵に剣を突き刺したユキノ……その背中には、たった今自分がつけてしまった、深い傷跡を……。
敵はユキノの攻撃でHPを全損し、ポリゴン粒子となって消えたが、ユキノはその場に倒れた。
チナツは気がおかしくなりそうで、剣を投げ捨て、すぐにユキノの元に駆け寄り、彼女を抱きかかえた。
「なんで……! なんでこんな……っ!」
「んっ……!」
「っ!? ユキノ! しっかりしろ、おい!」
ユキノのHPは全損しなかったものの、みるみるうちに減っていく。
回復用のアイテムを使おうとおもい、結晶を取り出した。
だが、いくら使っても、結晶が効果をもたらさない。
そこでチナツは、驚愕の事実を耳にした。
「無駄よ……ここら一帯は、結晶アイテム無効化地帯なの……」
「なっ……そんな! なんだよそれ!?」
ポーション類は、ここに来るまでの間に、チナツが使い果たした。ユキノも、アイテムは持っていない……どうすればいいのか……チナツは悩んだ。
だがしかし、もう明確な結論には至っていた……それは、ユキノの死だと。
「ふざけんなよ……っ! ふざけてんじゃねぇーよ! こんな、こんな事があってたまるか!」
チナツの目には、涙が浮かんでいた。
そうだ、こんな事のために、自分はここまで戦ってきたわけではない。
ユキノへと罪滅ぼし……最後は彼女の手で、この世から消える事を望んだ。
なのに、死ぬのが自分ではなく、ユキノだなんて……そんな事、断じて求めていない。
「いいのよ……これが、私の運命だったんだから……」
「何言ってんだよ! こんな所で死ぬのがお前の運命? なんの冗談だよ……大切な人を俺に殺されて、お前は俺に復讐したかったんじゃ無いのかよ‼︎ なのになんで、お前が死のうとしてんだよ! おかしいだろ!」
「そうね……私は、リョウを殺したあなたが憎かった。あなたを殺す事だけを生きがいにしてきた……私が味わった苦しみを、あなたにさせて、地獄に落としてやろうと思った……。でもーーーー」
ーーーーそんな憎き相手のほうが、私の何十倍も苦しんでいた……。
「本当は人殺しなんてできない甘ちゃんなのに、そんな心を殺し続け、悩み苦しんでいながらも、誰かのために戦うあなたを見ていたら……私の方が辛くなった……とても、殺す事ができなかった……」
だから、仇の相手を愛してしまった。
「だからこれは、私への罰なのよ……あなたが気にやむことは無いわ」
「何言ってんだよ‼︎ お前は俺を殺さなきゃいけないだろう! なのに…………」
涙が止まらない。
彼女には死んでほしく無い……彼女は、幸せにならなくてはいけないのだ。恋人を奪われ、その仇と一緒に生活する事を強要され、幸せなんてものとは程遠い一生を送ってから死ぬなんて……こんな残酷な事があってもいいのだろうか……。
いや、断じて否であるはずだ……。
「お前は幸せにならなくちゃダメだ! 俺が……っ、俺が全部……っ!」
「あなたは悪くない」
「っ!?」
「それに、私は……あなたと一緒にいられて、とても幸せだったわ……毎日が楽しくて、今まで生きてきた中で一番、幸せだった……!」
ユキノの目からも涙がこぼれる。
ユキノのHPゲージがレッドゾーンに入った。
もうそう長くない。ユキノに触れられる時間は、あとわずか……。
「ユキノ、俺は……ユキノの事が……!」
「……死なないでね」
「っ!」
「あなたは死んじゃダメ……私の分も、この世界で生き抜いて、現実世界に戻って……」
「なら! ユキノも一緒に!」
「お願い……あなたは、私の希望だったから……。今度は、他の誰かの希望になってあげて……そして、生き抜いて……っ! ねぇ、チナツ……約束よ?」
最後の力を振り絞り、ユキノは右手を持ち上げ、小指以外の指を握った。
指切りの形だった。
チナツもそっとユキノの小指を、右の小指で絡める。
最初で最後の約束……。
そして、ユキノは散っていった。
あとに響いたのは、慟哭の涙を流し、狂おしい絶叫を放ったチナツの声だけだった……。
次回でようやく、カタナとの結婚を描きたいかな……
感想よろしくお願いします(⌒▽⌒)