SIRENE:Neue Übersetzung 作:チルド葱
極東のバミューダ・トライアングルに住まう赤い蛇殿は、未知と既知、はたしてどちらを望まれるかな?
その女の自我が記憶を取り戻し、活動を再開したのは、ほんの1日2日前からである。
地形が変わった羽生蛇鉱山に到着した赤い僧衣の女――アマナは、愕然と眼を見開いていた。
「Oh……What's up……!?」
驚きは、あるはずのない未知に対してのものに他ならない。
"この日この時に起こるこんな大規模な破壊を、わたしは知らない"。
生贄の巫女・美耶古を求めてやって来たはずの鉱山は、今や大災害現場でしかなかった。瓦礫に押し潰された屍人は原型をとどめていないものもおり、しかも原型を留めたものも皆一様に『死んだように』停止している。これは、この周辺の屍人達の『頭脳〔ブレイン〕』となっていた上位固体が破壊されていることを意味する。屍人は――特に、上位固体である進化系『頭脳屍人』ともなれば――壊れてもすぐ起き上がるはずなのに。
未だ中空にはもうもうと土煙や埃が舞っており、ただでさえ薄赤く暗い視界はすこぶる悪い。セメントやコンクリート、土塊がそぼろごはんのようにごちゃりと混ざった瓦礫の山は、坑道への入り口のいくつかを完全に押し潰していた。
混沌としたこの状況、赤い尼僧アマナの思惑からすると『生贄の獲得の難度、跳ね上がってない?』という戸惑いに集約される。美耶古はどこだ。ていうか最早わたしの知ってる羽生蛇鉱山はどこだ。
ワンレングスのブロンドヘアをくしゃりと片手で触りながら、アマナは茶色い眼をすがめて「OK, OK, Calm down……そうよ、落ち着かないと」とゆるく首を振った。
(――大丈夫。まだ、ウロボロスは、壊れていない)
何か思いも寄らない異分子が混入しているような胸騒ぎは有るものの、アマナが守るべき円環はまだ決定的には壊されていない。第六感的に感ぜられる美耶古の生存が、彼女にそれを確信させた。
そう。この村の神代の記憶までもを取り戻した今のアマナにとっては、彼女の達成条件は決して難しいことではない。小娘1人、とらえて、生贄に捧げてしまえばいいのだ。
(そう、そうよ。ここはもうわたしと、聖なる神の領域だもの。屍人だってわたしの――)
そこまで思考した、そのときだった。
アマナのすぐ背後で『ドゴォッ』という鈍い音が発生し、それを爆心地としたように、あたりに充満していた土煙が払われた湯気のようにぶわっと吹き飛んだ。
「っ!?」
更にミシミシと何かが蠢き軋むような音がすぐその後に続く。周囲のぬるったい気温が心なしか冷えたような感覚があった。
慌てて音の方向を振り向けば、瓦礫の山の一部が内側から穿たれたように盛り上がり、穴になっている。積み上がっていた瓦礫がある一部分を力点として下から押し退けられたらしく、穴の周囲には土石が散乱していた。この光景からすると、アマナの方に大きな瓦礫が飛んでこなかったのは奇跡的な偶然だったのかもしれない。
「……そ。そうよ。わたしは、この因果に守られた存在だもの。何を怖れる必要があるというの?」
半ば無意識に暗示的に自分に言い聞かせて、アマナは不適な笑みを浮かべる。
そうだ、未知がなんだと言うのか。こんなちょっとした天変地異のひとつやふたつ、大昔に空からアレが落ちてきたのに比べたら屁でもない。
勝つのは。永遠を生きるのは、このわたし。
改めてそう断じてしまえば、今瓦礫の下でひと暴れしたと思われる存在だって、なんのことはない、きっと屍人に違いないのだ。だって人間がこの土砂に埋まって生きているはずがない。今の衝撃を生み出した馬力から察するに、ただのゾンビのような状態から進化した上位の屍人なのだろう。ちょうどいい。そいつを使役して美耶古を探させよう。そうだ、そうしよう。何も不都合なんかない。
そう決めて、どれどれどんな屍人かしらと歩を進め腰をかがめて穴の内を覗き込んだ、
その、瞬間。
「だー! やァっと全部取れやがったこの鎖ィ! ぎちぎちぎちぎち瓦礫にまで絡みつきやがって完全に嫌がらせじゃねえかこの仕様ッ、ねちっこいモンそこらにほいほいばら撒いてんじゃねえよマレウスのやつ」
「ひぎゃあッ!?」
「あ゛?」
ゴッチーン、という衝撃とともに、永遠を見据えていたはずのアマナの視界にいくつもの星が飛んだ。
意識を失う直前に見えたのは、いつかの遠い日に貪り啜った血肉の色を思い出させる一対の赤い眼だった。
★ ☆ ☆
絶妙に起き上がるのに支障をきたす絡まり方をするマレウス・マレフィカムの鎖を引き千切り、少し時間を置くとしぶとく再生し活動を再開し始めるユキエセンセイ(仮名)の腕をもぎ取り、そうこうしているうちに土中を移動してきたらしい、ユキエセンセイ(仮名)の下腹部から出てきたシロアリ頭部に思い切り顔を齧られかけ、破壊し……ヴィルヘルム・エーレンブルグの地中での闘いは、案外と面倒くさくもごもごごそごそ続いていた。絵的にも異常に地味な、思わぬ泥試合である。
ヴィルヘルムの怪力からすると単純に瓦礫のなかから這い出すだけなら活動位階の状態でもすぐに完遂出来ただろうが、細かな邪魔が多くて結局は杭を一本ぶち生やして瓦礫の下から穴を開けることで事態はようやく落ち着いた。
はずだった。
「ア? 何だこの女」
土中から勢い良く起き上がったまさにそのとき、どこの誰とも知らない金髪の女がこちらに顔を突き出してきていたらしいのだ。
土に汚れたアルビノの白頭と、赤い僧衣の女のブロンド頭は、まともにごっちーんとぶつかった。黒円卓の超人であるヴィルヘルムの方はこの程度の他愛ない衝撃になどいちいち痛みも感じなかったが、女の方はそうではない。
土から這い出た解放感やらルサルカへの苛立ちやらを元気いっぱいに発散したヴィルヘルムの起立は、それだけでこの一般人風の金髪女を2メートルは吹っ飛ばしていた。
しれっとした半目で首をゴキッとひねるヴィルヘルムは、瓦礫の上に大の字に倒れた女を睥睨し、片眉を上げる。
「ボサッと突っ立ってんじゃねえよ、ったく鈍くせぇ阿呆もいたもんだな。つかこいつ、アレか? あのガキが会ったとか言ってやがった……おい、生きてんのかテメェ。てめえだよオンナぁ」
ぶつかって吹っ飛ばしたことに関して一切悪びれることも心配することもなく、ヴィルヘルムは先の戦闘で血や泥や赤い水にまみれた軍靴で無遠慮に女の脇腹を小突いた。――ヴィルヘルムにとっての『気を失った女を起こすためにごくごく軽~く小突く』動作は、一般人からすると『だいぶ強いローキック』に相当したため、女はまた1メートルほど横合いに吹っ飛んだわけだが。
おでこにたんこぶを作って意識を失っ(たところに追い討ちを喰らっ)ているこの女の特徴は、ハワードが美耶古と合流する前に少しの間行動を共にしたと言う女の特徴と一致している。とりあえず生きているなら、身元やこの異界についての情報くらい吐かせてみるのも良いかもしれない。
美耶古やハワードとはぐれた今、ヴィルヘルムには当面の行動指針も無いのだから。
「っつーか、こりゃまた派手にぶっ壊れたもんだなァ。シュピーネの野郎は悪くねぇとかほざいてやがったが、やっぱし『日本製』なんざ未だにゴミなんじゃねえのかァ? 線路の一本もマトモに引けてねえんじゃタカが知れてんだろ」
自分が壊した線路橋に理不尽な文句を垂れ、目を覚まさない女に焦れて視線を巡らせると、一面が惨憺たる有り様である。土砂に埋もれた屍人の残骸がそこかしこに露出し、そこら一帯が血とも赤い水ともつかない液体にぬかるんでいた。空も相変わらず濁った赤色で、時間の経過が曖昧だ。
「……ふ、くくく。アー、これでもちっと火薬臭かったらもっとたぎるんだがな」
常人であれば不安や狂気に呑まれかねない光景のド真ん中で、土埃や赤い水に汚れた白貌は口角をつり上げて機嫌良くせせら笑った。もともとの容貌もあいまって、まったく吸血鬼じみた風情である。
くつくつ笑ったその声に意識をくすぐられたように、女のまぶたがふるりと震えた。
「……ん……」
「お。やっと起きたかよ」
赤い僧衣の女が、両手を付いてのろのろと起き上がる。
ようやくあらわになった茶色い瞳がヴィルヘルムをとらえ、驚いたように見開かれた。それから自分の体を見下ろし、周囲の惨状を確認してまた息を呑む。
再び視線をヴィルヘルムに戻した女は、どこか茫洋とした顔でくちを開いた。
「ここはどこ? わたしは誰?」
「…………ネタでやってんだとしたらそりゃてめえ、ベタすぎんじゃねえのか、おい」
★
一時は『めんどくせぇえええええ』と女を放置して行こうかと思ったヴィルヘルムであったが、『頭をぶつけた。打ち所が悪かった。記憶が混濁しているらしい』――と、それらの事情を飲み込むと、女は案外とすんなり納得した。
また『アマナ』という名は覚えていたようで、「恐らく、あなたが言う少年が会ったというのはわたしだと思います」と頷いた。ひとまず把握していた人物との照合も出来たわけだ。
加えて、もうひとつ。
「わたしはアマナ。あなたは誰?」
「あ? 俺ァ吸血鬼だ」
「……? ……! OH~!」
闘う予定の無い相手だからと適当に返したヴィルヘルムの簡易すぎて伝える部分がずれた感じの自己紹介に、アマナは何故かいたく感じ入って興奮気味に頬を赤らめた。
「So cool!」
「ああ?」
「あなたとならわたしも、前世の記憶を取り戻すことが出来そう……!」
「よくわかんねぇが、テメェのおめでてぇ前世はどうでもいいから最近のトコ思い出せや」
ここで彼女が記憶喪失ショックのヒステリーでも起こしていたら、放っておくかさっくり殺してしまったところだろう。しかしアマナは存外に手のかからない女であった。「わたしは、自分のこととこの奇怪な村のことをもう少し調べなくてはならない気がします。あなたもはぐれたという少年少女を探すなら、いっしょにどうです?」と言ったアマナに、ヴィルヘルムもとりあえず、ぶらりと気が向くまで同行することにした。
以下、しばし、謎の記憶喪失女アマナと、黒円卓第4位ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイとの雑談である。
「わたし、なんだか少し前にも記憶を失っていた気がするんです。だから今回もすぐ良くなるんだろうな、と」
「はーん。見てくれは若ぇが、アタマ耄碌しちまってんじゃねえのか? なんかババくせえし」
「『BA-BA』? うーん、覚えてはいませんが、香水はつけていないと思いますよ。ふふっ」
「ハ? 香水? んなもん言わなくてもわかる。ンな饐えたにおいの香水なんざ聞いたこともねぇよ」
「末田ニオイ? OH~、よくわかりませんが、あなたは鼻が良いんですね」
「当然だ。テメェら常人とは魂の総量からして違ぇんだよ」
「魂! 素敵なことばです。魂の救済を目指して共に頑張りましょうね。わたしも神に祈ります」
「おう、そうかよ。そういうことなら後で吸い殺してヴァルハラに連れてってやらァ」
「吸いころして、ヴァルハラ……楽園? なっ、Oh、や、なんだか卑猥! は、破廉恥デスっ」
「はああああ? ぶち犯すぞクソアマ。つってもマジで、テメェ、なァんか人肉っぽくねぇ臭いがしやがんだよなぁ。虫でも喰ったか?」
「虫……Uh……アウチッ、前世の記憶が……!?」
「ああ? 前世はいいから最近の記憶思い出しとけつってんだろボケが」
「へぶ!? 痛い! ああああなた、ひどっ……今マタ記憶飛びマシタ!!」
「そういやテメェ、人間にしちゃ頑丈だな。今のはうっかり骨砕くくらいイッたかと思ったんだが」
「? いたかったですよ! ああ、しかし……」
「ンだよ」
「赤い空、きれいですねぇ」
「まぁ、悪かねぇわな」
アマナが近くに居ると何故か襲ってこない屍人の群れを遠目に見ながら、吸血鬼と記憶喪失女はスタスタ歩いて羽生蛇鉱山(跡)を探索しにかかったのであった。
随分とまったり更新ですみません、お久しぶりです。
「ベイ中尉、素ですごい外道~!」と思いながらまったりと。今回はブレイクタイム回ですね。
あと1~2話ほどで、ぐるり、1周します。『アマナ』という女の紹介は、そのときにでも改めて!
今の彼女は、信心深いけどどこか中二げふんブレイブハートを持て余した温厚な女性です。ゴシック趣味等が魂に染み付いています。
発炎筒で陽動を行なうのがひそかな特技です。(←今回一番原作ゲームに忠実な部分)
次は美耶古とハワードと、ちょっぴり魔女さんです。たぶん
2015.2.13. こねぎ