SIRENE:Neue Übersetzung   作:チルド葱

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(前書き係の某蛇さんは女神の金髪が潮風に遊ばれた拍子に一糸抜けたことでコレクション作業に没頭しているため、今回はあらすじVTRをご覧下さい)


\前回までのSIRENE:Neue Übersetzungは!/

【挿絵表示】

美耶古「やばい ベイがすごい短時間で死んで屍人になってるやばい やばい」
↑別行動中↓
ベイ中尉「やっぱり戦争は最高だぜ!」
※ベイ中尉はべつに屍人化はしていない。素でコレ。


そぉどおふ│2006.8.4.

 ――つい今さっき飛び出して行ったばかりのベイが、なんかすごい勢いで屍人化してる。

 

 視界ジャックで得られたあの白いSS中尉の今の様子から導かれた結論に、美耶古は打ちのめされていた。

 まずもって絵面が怖すぎた。全身に杭が刺さっているように見えるあたり、死因は恐らくその怪我だろう。しかしあんな木が全身に刺さるような仕掛けがこの村にあったというのだろうか。あれはどんな名探偵も真っ青の変死体だ――もっとも、それを言うならこの村の死体達は皆条理の外側であるのだが、しかしそれにしたってヴィルヘルムの姿はひときわ奇異だった。

 しかも、ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイという男は、生きているときであっても鬼のように強かったのだ。

 それが屍人になったということは、つまり美耶古とハワードを狙う側の存在になったということだ。味方としてでも持て余したあの化け物じみた男が敵に回るなんて、考えたくもなかった。

 あんまりにもあんまりな衝撃でまたも視界ジャックを打ち切ってしまった美耶古は、ハワードにしがみついたまま鈍く思考を続けていた。

 

(ベイ……かわいそうに、ほんの数分であんな変わり果てた姿になって……もっとしっかり止めていれば、こんなことには……!)

 

 意気揚々と謎特攻をかましにいったあの時、もっと全力で止めるべきだったのだ。無茶苦茶な奴だったが、こうして失ってみると、あの物怖じしない気性や良くも悪くも空気を読まないところ、そして無類の戦闘力にどれだけ心を預けていたかが身に染みる。

 今も遠く、バキバキドカンズダァンと、凄みのある破壊音や銃声が響いていた。屍人化したヴィルヘルムとあの狙撃手が闘い続けているのだろう。

 

(今は屍人どうしで闘ってるんだとしても、決着がつけば、勝ち残った方がわたしたちを襲いに来る)

 

 どうすればいい。どうすれば、せめてハワードと自分は生き残ることが出来るのか。

 頭の中がぐちゃぐちゃになり始めたそのとき、ハワードが「ミヤコ」と背を軽くゆすった。

 

「ぼくも、視界じゃっくした。ベイ、たたかってる、みえた」

「……見たんならわかるだろ。あいつは、……もう……っ!」

「Yes, ベイ、どうみてもしびと。But……でも、ぼくたちを、おそいには、きてない」

「そ、それは、目の前にあの、撃ってきたやつがいるからじゃないのか」

「……ベイは、たたかってる。アー、Maybe……I think that, ――ベイ、たたかってくれてる」

 

 もう通訳をしてくれるヴィルヘルムがいないからと慎重に言葉を選びながら大事な部分を日本語になおして訴えるハワードに、美耶古は「え……?」と首を傾げる。

 破壊音は、今も続いている。

 ハワードは美耶古を壁沿いの作業台の上にそっと下ろすと、真っ直ぐな目で力強く、彼の見解をくちにした。

 

「I saw ゴジラVSモスラ!! アー……And, Masked Rider! ショッカーかいぞう! Hiroshi Hujioka,!」

「……は?」

「ベイは、わるくないしびとかもしれない!」

「い、いや。ゴジラとかヒロシさん? はわからないけど、でもあいつどう見たって……」

 

 ギラギラ笑いながら、ジャックした視界越しにこちらを睨んだふうに見えた。どう見たって人を喰いそうな面構えをしていた。

 美耶古は、屍人になったと思われるヴィルヘルムのことが純粋に怖ろしいのだ。しかしハワードは違うらしい。少なくとも、ヴィルヘルムが完全に敵に回ったという以外の可能性を、その淡い茶色の瞳は見据えているようである。

 あるいは、美耶子を安心させたくてこじつけたことを言っているだけかもしれない。それでもハワードの彫りの深い顔立ちを見詰め返して、美耶古は、その心の内が知れない不安以上に、強い意思を宿した面立ちに安心感を覚え、冷静さを取り戻せてきた。

 

(確かに、そうだ。……ベイの意思や意図はどうあれ、今あいつがあそこでやりあってるからこそ、わたしたちは生きている。どっち道あの狙撃手はこっちを狙ってたわけだし、ぶつかり合うのは避けられなかったんだ、きっと)

 

 ならば知りようの無いヴィルヘルムの内心や敵味方云々などはひとまず捨て置いて、今ある事実から合理的に次の行動を決めるべきだ。恐怖と不安で動きあぐねるよりも、まず動いたほうが良い。飛び出していくヴィルヘルムを止められなかったそのときから、既に状況は開始されているのだから。

 

(ベイ、ごめんなさい。悼むのも、悲しむのも、勝手に飛び出していったことを怒るのも、村の外に出てからだ。……今はただ、お前の死をぜったい無駄にしないために動くから)

 

 美耶古の黒い瞳が凛とした光を取り戻したのを見て、ハワードは表情をやわらげた。

 

「ぼくが、ミヤコ、まもる。いっしょ、がんばる。OK?」

「……ああ。おーけーだ」

「Good!」

 

 ニカッと笑ったハワードは、すっくと姿勢を上げて小屋の外を見遣った。

 狙撃手とヴィルヘルムがいる場所は、視界ジャックでだいたい目星がついている。この鉱山の中でいっとう見晴らしの良い線路橋の上。ハワードが考えていることは、美耶古にも察せられた。

 

「外は、危ないんだろうな」

 

 のこのこ外を移動すれば、狙撃手かヴィルヘルムのどちらかは確実にこちらに気付くだろう。今のところ仮に襲われたとすれば厄介な相手の2トップである。そんな可能性は極力避けて通りたい。

 ならば――外が駄目なら、答えは自ずと決まっていた。

 

 ――地下と行き来できんのはここだけじゃねぇらしい

 

 去り際のヴィルヘルムが言ったことを思い出す。

 外と繋がっているのがここだけじゃないということはつまり、坑道を通って、どこか別の出口から羽生蛇鉱山を離脱出来るということだ。

 美耶古は目を伏せ、足をぶらつかせながら、「おいっ」と、しばらく黙り込んでいるハワードに声をかけた。

 

「も、もうおんぶはいい。自分で歩ける。どうせお前も外はやばいって思ってるんだろ? さっさと坑道に入るぞ、愚、……ず………?」

 

 

 自分にもハワードにも発破をかけるようにツンケンした態度で顔を上げた美耶古はそこで、隣で黙りこくっていたハワードがノコギリの刃を外で拾って来ていた狩猟用散弾銃の銃身にあてているのを見た。

 

 

「…………は、はわーど……?」

 

 沈黙。

『エッなにやってるんだこいつ』とか美耶古が思っている間に、ノコギリと銃身はギコギコギコと摩擦音を奏で始める。ハワードの真剣な横顔にツッコミを入れるのはなんとなく憚られて、美耶古も大人しく、細かく震える作業台の上で突如始まった危険すぎる工作をポカン顔で見守る。なんだこれ。

 ハワードは集中して喋らない。美耶古はなんだかツッコめない。なんとも微妙な沈黙が2、3分続いた後、銃身の先はバキンという音をたてて切り落とされた。

 少々短くなった狩猟用散弾銃を、ハワードは迷わず壁に向かって構える。間を置かず引き金が引かれ、ガゥンッ、という重低音に、美耶古は「ヒッ」と首をすくめた。

 グラビアアイドルのポスターを壁ごと打ち抜いたハワードは、その仕上がりに満足げにヒュウと口笛を吹くと弾数を確認し、リロードした。

 

「All right! バッチリだ!」

 

 外の人間、戦闘面において頼りがいありすぎる。

『ベイがいない今は、わたしがしっかりしなきゃ! こいつはなんだかんだ抜けてるしな』と健気に心をかためつつあった美耶古は、ハワードの手馴れた銃捌きと謎の銃加工技能に『わたしは戦力になれるんだろうか……』と乾いた笑いを浮かべたのだった。

 

 

 

 ちなみに。

 ハワードが銃身に施した加工はソードオフ――その名の通り、ショットガンの銃口付近をのこぎりで切り落とすこと――である。

 銃身を切り詰めるため、銃口付近にある散弾の拡散を調節するチョーク(絞り)が無くなり、発射直後に散弾の拡散が始まるようになる。通常のショットガン――散弾銃に比べて有効射程は短くなるが、至近距離での殺傷力はむしろ増大。加えて、銃身が短くなったことで狭い所での扱いが多少は容易になるというメリットもある。

 そういった特性から、この加工を施した散弾銃は遠距離狙撃には向かないものの、屋内戦闘には非常に適している。実際の軍や特殊部隊においても、敵と鉢合わせすることの多いポイントマンがエントリー・ショットガンとして用いることも少なくない。

 これから閉所・狭所である坑道に入るにあたって考えうる限りで最も殺傷力があり、扱いやすい武器を、ハワード・ライトは母国で得ていた銃火器の一般教養から適切に導いた、というわけだ。

 

(ミヤコ、けがしても、こわくても、がんばってる! ぼくも、がんばる! ベイ、天国でミマモッテテプリーズ……!)

 

 こちらも同行者である少女に負けないくらい健気にそう心をかためた少年は、ソードオフの仕上がりに満足しているのか「は、はは……」と微笑みを浮かべた少女の黒い瞳に向かって、深く頷いた。ぼくはもういつでも行けるよ、ミヤコ!

 ハワードの頼もしさに更に安心したのか「ばっちりか……すごなぁ……」となおも微笑み続ける美耶古は、作業台から降りながら、周囲に視線を巡らせた。

 

「わ、わたしも何か持って行く、かな……武器とかな……」

「Oh, that's good! じゃあ、これ、ドウ?」

 

 ――選ばれたのは、柄の長いハンマーでした。

 あまりに狭い屋内戦闘には不向きでもある武器だが、この柄の長さなら美耶古の非力さも補えるだろう。彼女が少しでも時間を稼いでくれれば、あとはこの手製のソードオフ・ショットガンが火を吹いて、ジ・エンドだ。

 そう算段してサムズアップして見せると、美耶古も「お、おう」と慣れない様子で、それでも親指を立てて返す。少女のほっそりした指を見て、ハワードは改めて「I wanna be her hero」と心の内で呟いた。

 

「Let's go, Miyako! ついてきて!」

「あ、あんまり早く行き過ぎるなよっ!」

 

 こうしてヴィルヘルムとはぐれたふたりは装備を整えて、羽生蛇鉱山の細くうねった地下坑道に踏み入ったのである。

 

 

 

 ● ○ ○

 

 

 

 一方その頃、少年少女の心の中ではもうすっかり『瞳を閉じればいつでもお前の笑顔に会えるよ』的なポジションに据えられたヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイはそんな感傷などつゆ知らず、赤眼を見開き殺気を垂れ流しながらニヤニヤギラギラ笑っていた。

 もちろん、屍人化はしていない。聖遺物の《形成》位階を解放したことで、ちょっとかなり人間離れした風貌になっているだけである。頭から返り血ならぬ"返り赤い水"をひっかぶってはいるが、負傷も出血もしていない。ユキエ(仮名)の攻撃手段は主に、右手の銃撃と、鎖を纏った左手の殴打に大別される。その両方をヴィルヘルムは苦も無く受け、あるいは避けていた。

 身体中から生えた血の杭がミシミシと軋み、血を欲するのに焦れながら、ヴィルヘルムは「なぁ、おい」と乾いた喉の奥から声を出す。

 線路橋の上は今やまんべんなく小型のクレーターのような窪みや穴に穿たれている。ユキエ(仮名)もよくしのいだが、損傷は免れられなかった。足を削り飛ばされ、笑い混じりに腕を引っこ抜かれ、肩や大腿の関節を軍靴で踏み潰され――

 ――驚嘆すべきことに、それでも未だ、戦闘行為を続行できているのだ。

 

「テメェの回復力がすげェのも、その虫みてぇな悪趣味な手足が大概しぶとく生えてくンのもよッくわかった。ほめてやるよ、サンドバックは丈夫なのに越したこたァねえわなあ! ――……そんで。これでもうテメェ、ネタ切れか?」

 

 近接戦闘の身のこなしではヴィルヘルムに分がある。耐久力も、ユキエ(仮名)もかなり常識外れではあるものの、聖遺物の使徒に敵うほどではない。これ以上隠し玉が無いのだとすれば興ざめだ。

 しかし、未だ見過ごせない要素もこの戦場には残っていた。この"屍人"という存在を満たす「赤い水」は、血に似ていながら、しかしヴィルヘルムの血への渇望を満たさないのだ。要するに、吸精の能力が巧く機能していないふしがある。それでジリ貧に追い詰められるほどの相手とは思えないにせよ、ユキエ(仮名)にまだ何か対抗手段が残っていると考えるには十分な手がかりだ。

 削られる端から虫のような肢を生やし肉をびちびちと蠢かせて欠損を補うユキエ(仮名)は、今は線路橋のなかほどに、1本の人間の脚と3本の虫の肢――1本ごとに成人男性の足程の太さがある――で立っている。爛れた皮膚に埋もれそうな目玉と側頭部から生えた羽根が飛行の練習でもしているかのように痙攣し動いているが、飛び立つ様子は無い。

 彼我の距離は数メートル。ヴィルヘルムは舌打ちすると、つい先ほど千切り取ったユキエ(仮名)の人間の片脚を握り潰し、放り捨てた。

 

「終わりだっつうなら、そろそろマジでいくぜぇ。心臓に杭を撃ちこめば吸血鬼だって死んじまうんだ、テメェもそうなのか試してやらぁ。アアあとはそうだな、その前に――」

 

 す、と、指差す先に立つユキエ(仮名)は相変わらず、「『せんせいは、わたしがいないとぉ……だめなんだからァ……』」と高い声で呻いている。

 

「さっきヤり始める前に何か突っ込んでやがった腹ァ、開いてやるよ。ありゃ何だ、テメェのタマかなんかかァ?」

 

 言い切ってしまえば、アアそうだそれが面白いよしそうしよう、と、戦場に快楽を見出す白い吸血鬼は即決して足を踏み出す。

 弱者をいたぶるのは嫌いというわけではないが、同胞の魔女ほどじゃない。歯ごたえのある、遊び甲斐のある相手と殺し合うことがいちばん面白いのだ。だからいつまでも切り札を出し渋るというのなら、この特異な屍人はもう用無しだ。

 鼻歌でも歌いだしそうな様子で大股に歩み寄る戦場のオカルトにユキエ(仮名)は銃を撃ち、左手から延べた鎖を振りかぶるが、赤い水を顎からポタポタ垂らしながら「おーおー頑張るねぇ。で? そんだけか?」と牙を晒して薄ら笑う彼は歩みを止めない。

 距離を取ろうと走り出しかけたユキエ(仮名)だったが、すぐさま足元に杭を撃たれ、素早く引っ掴まれた左手の鎖を力任せに手繰られて地面に引き倒される。ヴィルヘルムの軍靴は、無様に転がったユキエ(仮名)の頭部をミシリと無慈悲に踏み、軋ませた。まるで片手間の手軽さで動く死肉を足蹴にしたヴィルヘルムは、もがき暴れる長い虫の肢や羽を鬱陶しげに掴み、「あーウゼェ」とぼやきながら適当に関節風に見えるあたりを破壊していく。

 ひととおりの四肢を壊して、ついに、そのときがきた。

 

「そんじゃア、ご開帳、ッと。……なぁ言っとくが、何か出すなら今の内だぜユキエセンセぇイ?」

 

 抑えた掠れ声でそう言って、右の掌から、ずぐずぐと杭を生やす。その鋭い切っ先が、横たわったまま新たな手足を生やそうと蠢く屍の下腹部に這わされた。

 肉に小さな穴が擦り傷のように出来、そこに血の杭が埋まる。傷は拡張され裂傷になり、さらに押し込まれる杭によって穿たれた穴が出来上がる。

 黒い白目を細めくちびるを舐めて熱っぽい笑みを浮かべる《串刺し公》に躊躇は無い。

 杭が5センチほどユキエ(仮名)の下腹部に潜り込んだ。

 

 ――そのとき、である。

 

 

「ユ、き、え」

 

 

 ユキエ(仮名)の声が、急に低い男のような声色に変わり、びぐんと肉塊全体が痙攣した。「あン?」と愉快そうにゆるく目を瞠ったヴィルヘルムが軽く腰を曲げ、猫背を丸めて続きを促すように顔を寄せようとする。

 その途端、――『ガリ』、と、木を削るような音がした。

 細かな振動である。ガリガリガリと細い爪で鼓膜をひっかくような音は、最初の音を皮切りに徐々に大きくなる。初めの一瞬はポカンとしていたヴィルヘルムも、何が起こっているかすぐに気が付いて反射的に手を引こうとした。

 齧られ、喰われているのは、他でもないヴィルヘルムの聖遺物《闇の賜物》の血の杭なのだ。

 後先考えない馬鹿力で引かれた腕に、屍人の身体はそのまま持ち上げられた。背が地面から離れ宙に浮き上がる間にも、その下腹部の奥の"何か"はヴィルヘルムの杭を喰い進んでくる。

 

「てっ、めェ、何――!」

 

 地味ではあるが予想外の反撃。この杭を文字通りに噛み砕き喰うような敵など、これまでお目にかかったこともなかったのだ。しかも聖遺物が破壊されることは生死に直結する。生理的な嫌悪に、さすがのヴィルヘルムも余裕を失った。

 振り払おうとする間にも、杭はもう根元まで喰われている。このまま喰い進められれば、次は杭どころでなく右手の骨肉が噛み千切られていくことは想像に易い。

 とうとう笑みを引っ込めたヴィルヘルムは、もう片方の手で屍人の頭を引っ掴み、力任せに引き剥がした。

 

 

「悪食も大概にしとけよ、てめえええええええええええええッ!」

 

 

 ぶちん、と。

 瞬間、屍人の腹が弾け、首や胴は四散して、甲冑にも似た、人間の頭よりひとまわりほど大きな虫の顎が飛び散る肉片と赤い水の血霧のなかに飛び出すようにあらわれた。ちょうど、巨大なシロアリの頭部のような。

 赤い水にまみれた複眼は、怒りに燃えてでもいるかのように赤く爛々と光っていた。

 そのあぎとが腕に喰い進むより早く、ユキエ(仮名)の身体を千切った勢いのまま、ヴィルヘルムは身を捻り、地面にそのシロアリ頭部を叩きつける。

 ぐちゃ、とあっけなく硬質な頭蓋を割られ、ガリガリという耳障りな音はようやっと停止した。

 ふ、と息を吐いたヴィルヘルムはジトッとした半目になって、そのまま《形成》を解除してしまう。「あー」とがしがし頭を掻いて、白い吸血鬼はふてくされるように歯軋りした。

 

「何やってくれンのかと思ったら陰湿なことしやがって……滾らねぇんだよなあ、こういう地味ィな技はよお……ま、ちッたぁ面白かったんだが」

 

 聖遺物を齧るような敵は初めてだ。やっぱりこの異界は悪くねえ戦場みてぇだな、と。

 総合的には気分良くそう納得して、ヴィルヘルムは先ほど自分が撒き散らしたユキエ(仮名)の胴体の切れ端を足蹴に歩き始めた。

 

 そのときヴィルヘルムは、黒円卓の騎士特有のある種の危機感の薄さを発揮してしまっていた。

 下腹部から出て来たシロアリの頭のようなものがユキエ(仮名)の核のようなものであろうと、彼は決めてかかっていたのだ。あの謎の生命力に、聖遺物すら噛み砕くポテンシャル。それがユキエ(仮名)の隠し玉であり切り札であり、それを今こうして無力化したわけだから、もう今ここに見るべきものなど何も無い、と。

 踵を返しかけた背後、足元で、低いひくい男の声が、地を這った。

 

 

「ゆ、き、えぇぇ、ぇ」

「――……ア?」

 

 

 むんず、と。

 鎖を巻いていた左手が、立ち去りかけていたヴィルヘルムの片足を掴んだ。

 直後、別の所に吹っ飛ばされていた右手が、しぶとく握っていた銃を発砲する。

 とはいえ地面に転がった腕1本では照準なんかあわせられるわけがない。まともに当てる気があるか無いかくらい、ヴィルヘルムは素で判ぜられた。ゆえにその無意味と思われる射撃には、特に反応を返さなかったのだ。

 そしてだからこそ、魔装加工がほどこされた非一般的な貫通力を持つその銃弾が、ここまでの戦闘やヴィルヘルム渾身のシロアリ頭部破壊時に限界ギリギリまで痛めつけられていた線路橋にとうとうとどめをさしたことに気付くのが遅れてしまう。

 

 ビシリ、と細く長い亀裂が一瞬で太く広い線路橋を網の目のように埋めた。

 その次の瞬間にはバゴッと足場に凹凸が出来、まるでジグソーパズルをひっくり返したかのように、アスファルトだかセメントだかで出来た橋は一気に崩落する。

 

 それでも、それしきの異変ならばヴィルヘルムの運動能力は十分対応可能だった。

 唯一の想定外が、今足にまとわって来ている、しつこいこの左腕(マレウス・マレフィカムの聖遺物と思しき鎖付き)。

 

「……おい、こら、てめ、邪魔だ離れろうぜぇ」

 

 支柱から離れたところから崩れ落ちてゆく線路橋の上、ちょうど支柱近くだったらしい場所に立っていたヴィルヘルムにはほんの少しとはいえ崩落に巻き込まれるまで猶予があった。飛び降りるなりなんなりする前にこの鬱陶しい腕を引っぺがしてから行こうと、げしげし足を地面に叩きつけるくらいの猶予なら。

 ドドウ、ドドウ、という地響きじみた音のなか、蹴りつけること数秒。

 結論から言うと、まったく離れる様子が無い。そればかりか振り回すたびにジャラジャラと鎖がもつれて、もう片方の足にまで絡まり出す始末。

 ひくり、と、ヴィルヘルムの口角が引き攣り、こめかみに青筋が浮いた。先の反撃もそうだったが、地味に鬱陶しい悪足掻きに決して長くない堪忍袋の緒が切れたらしい。

 

「ッの、マジでうぜえ! なんだテメェ今さら根性出してんじゃねぇよボケがッ!!」

 

 ギリギリと歯軋ったヴィルヘルムが靴紐でも結ぶかのように身を屈めたちょうどそのとき、とうとうその足元にも崩落のときは訪れ。

 瓦礫の雨と一緒に空中に放り出されたヴィルヘルムが自由落下しながら苛立ちに任せてユキエ(仮名)の左腕とそこに絡む鎖を荒々しく千切る間、羽生蛇鉱山の山間には、地響きにも似た崩壊音と低い男の声の絶叫と黒円卓第四位の怒鳴り声が奔流の如く響き渡ることとなった。

 

 

「ゆきえええええええェェェェえええええええええええええええええええええええええええエエエエエエエエええええええええええええええええええエエエエエエエエええええええぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

「うるっせぇぇぇえええええええよ! 人違いだクソがッ!! あンの足引きババア今度会ったら一発ぶん殴ってやらああああああああああああああああああああああッ!!!」

 

 

 

 ○ ● ○

 

 

 

 そのとき、羽生蛇村のどこかで、

 

「――……省吾くん?」

 

 聖遺物の一部が破壊される感覚に、ルサルカ・シュヴェーゲリン=マレウス・マレフィカムが顔を上げて目を見開き。

 

 

 

 ○ ○ ●

 

 

 

 更にその十数分後、

 

「……OH……ナンデスカコレ……」

 

『珍しい実』――羽生蛇の生贄の巫女たる美耶古――を追って羽生蛇鉱山にやってきたアマナという赤い僧衣の巫女は、瓦礫の山と化した採掘場にしばし呆然と佇むしかなかったのであった。

 

 




ユキエ(仮名)さんについては、このベイ中尉サイドのお話が終わってからとっぷり語る予定ですので、今はまだ伏せさせて頂きます。足引き魔女さんサイドのお話でまた会いましょう、ということで。

前書きのイラストは、SIRENしかご存知無いという読み手さんがいらっしゃったため「ベイ中尉がどう屍人っぽいかイメージを共有できたほうがより楽しんでいただきやすいかもしれないなぁ」と思い、添えてみました。葱なりにがんばって描きました。
描いてみると、あらためて、すごく屍人でした。これは美耶古ちゃんだってびびります。思わぬホラー(スリラー?)要素!
ヒャッハーしているベイ中尉を描くと、心がほっこり和みますね。

あと、ハワードくんが急に散弾銃をソードオフし始めるのは、わたしのオリジナルなんかではなく、原作ゲームママです。
原作ゲームママです!!
大事なことなので2回言いました。彼、なにげに大変なスペックの高校生だと思います。
羽生蛇鉱山の原型が無くなったところで、次回に続く。

(2014.11.9. こねぎ。)

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