SIRENE:Neue Übersetzung   作:チルド葱

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『――ああ、ふふ。いやはやこれはいけないな。
 さすがの《串刺し公》と《魔女の鉄槌》といえど、その"蛇"は少々度外れて性質が悪い』


Kapitel01【Mädchen, Außerirdischer und Ritter】
ぷろろぉぐ│2006.8.2~3.


 鍬を持って襲い来る翁の頭を鉤爪のように開いた手で抉り飛ばし、

 上空から飛びかかって来る老婆が頭から生やした羽根を引っ掴んで片手間にむしり、

 異様な体勢で壁を這って来た翁だか老婆だか判然としない――良く言えば中性的な――老人を、痛んでいた壁ごと軍靴の底でバキバキと踏み抜いて、

 ヴィルヘルム・エーレンブルグは呆れたように片眉を上げて「おいクソガキ」と後方に声をかけた。

 

「さっきからこの辺にゃあ耄碌したジジイやらやたら機敏なババアやらしかいねぇんだが、もっとこうたぎる奴はいねぇのかよ。つうかマジでこっちで道合ってんのか? いい加減水ンなか歩くのもダリィ」

「そこ!? お前の問題意識今そこなのか!? ていうかお前なんであれを普通に爺婆認定してるんだ!? 飛んでたろ!? さっきそこ飛んでたろ!?」

「トバナイババア、タダノババア! Go to hell!! You did it, Bey!! ミヤコ、きをつけてすすもう、OK?」

「村の外って……村の外って……こんなアクの強いノリの人間ばかりなのかッ……!?」

 

 2006年、8月3日。羽生蛇村、田堀方面。

 "赤い水"のせいで屍人と化した村人達に特に恐怖するでもなく千切っては投げ千切っては投げしてゆく第三帝国の聖槍十三騎士団黒円卓第四位《串刺し公》と、羽生蛇村に伝わる宗教儀式で生贄にされかけていた少女・美耶古。そしてアメリカ人青年ハワード・ライトは、各々が微妙にずれた危機感や志向性を持ちつつ一時的に行動を共にし、なんだかんだで前進していた。

 

 事の起こりは数時間前。

 雨のように降り出した赤い水と、村中に鳴り響いたサイレンが、この異様な恐怖劇の始まりだった。

 

 

 

 ◎ ◎ ●

 

 

 

 首の後ろを一瞬這った違和感は、ただジッと待つことにも倦んで未だ黄金練成に呼び出されてもいないのにこんな極東に暇つぶしにやって来たためだろうか。わざわざこんなぬるったく空気の湿った非戦闘区域の島国に足を伸ばすなんて、ガラにも無いことをしたもんだなという自覚はあった。

 

 2006年、8月2日。23時頃。

『県道333号線』と書かれた褪せた青色の標識をサングラス越しに見遣って、ヴィルヘルム・エーレンブルグは「アン?」と声をもらしてはたと立ち止まった。

 ジジジ、ジジジと、虫の声だか街灯の切れかけた電球の音だか判然としない高温が鼓膜に張り付く湿っぽい熱帯夜である。月も星も無い空は先ほどまではただ暗かったが、今はなにやら、嗅いだことのないにおいの雲がのったり広がりつつあるような、不思議に重い気配を山道に垂れている。

 斜め後ろから着いて歩いていたルサルカ・シュヴェーゲリンが、急に立ち止まった同胞に「ベイ?」と声をかけた。

 

「なぁに、面白い虫でもいた? 毒虫とかなら前に話した"蟲毒"に使えるから、見てみたいなら捕まえて来なさいな。ま、あたしはパスだけどぉ」

「誰がンなクソ暑ぃ中食えもしねえ虫捕って喜ぶかよふざけんな」

「じゃあ何見て立ち止まったわけ? ていうかココどこよ。シュピーネがおさえた交通機関使わずに退屈しのぎにぶらついてる内に、あたしたちすっかり迷子じゃない」

 

 わざとらしく肩をすくめてため息をついたルサルカの言う通り、ふたりは半ば以上迷子であった。

 派手な戦争もたぎる好敵手も近年不作気味の傭兵暮らしに少々飽きたヴィルヘルムが『ちッとシャンバラでもひやかして来るかァ』と思い立ったとき、ちょうど近くに潜伏していたルサルカも『あら、じゃああたしも一緒に行ってみようかしら』と気まぐれに同行を決めた。そこで手回しの周到な彼女はさっそく黒円卓の器用な仕事人――もとい、予算手配やら情報操作やらの雑用係とも言う――ロート・シュピーネに連絡を入れた。

 あの紅蜘蛛に任せておけば、シャンバラまでの交通券や途中宿泊施設、はては移動中に通る観光地の詳細までまるっと手配してくれる。各々が個性豊かな仕上がりで世俗離れしている気のある聖槍十三騎士団において、シュピーネの社会適合力は稀有な才覚であると言えた。

 実際シュピーネはものの数時間でそれらの手配を済ませてみせたのだが、その手際の良い準備が旅人たる当人たちに活用されずに打ち捨てられたことは、この現状が物語っている。

『劣等どもの面ばっかし見飽きた』とぼやいたヴィルヘルムがぶらぶらと人里離れた山道を歩き、《形成》した車輪に乗って足休めしたりしつつもルサルカがそれに付き合っていた夏の夜。

 まず違和感に気付いたのは、カンの良いヴィルヘルムの方だった。

 

「……においが変わりやがった」

「? におい?」

「生臭ぇんだよ、具体的にゃあいつからかわかんねぇけど。テメェ何か出しやがったか」

「どういう意味で訊いてんのよそれ。女の子に訊く内容じゃないし」

 

 そんなだからモテないのよあんた、とくちをとがらせつつ、ルサルカは翠の瞳を細めて周囲をぐるり、見回した。赤い髪が夜の空気を含んでふわりとなびく。

 車の通らない県道の真ん中。幅の狭いアスファルトは、明滅する街灯の灯りが届かなくなると墨のような闇にとっぷり呑まれている。不意に、その闇の向こうが見通せないし感知も出来ない、まるで切り離された条理の外であるかのような気がして、ヴィルヘルムは未知の違和感に赤い眼をすがめた。

 そのとき、である。

 

 

『――Crazy!!(イカれてやがる!!)』

 

 

 ふたりの左側に鬱蒼と茂った草木の奥、随分と離れたところから、そんな叫び声が微かに聞こえた。

 ぱちりと眼を瞬かせた第三帝国の残党達は、名前も知らない木々の奥に揃って視線を向ける。

 

「……なんだ今の、アメリカ軍かなんかか」

「いや、英語喋ってたら誰でもあそこの軍人ってわけじゃないでしょ」

「く、は……はは! つっても、なぁおいマレウスよぉ、実際臭ってきやがるぜ?」

 

 ――まだヤりたての濡れた血肉の臭いだろうよ、こいつは。

 そう続けるうちにも、この戦闘狂の頭からは、先ほどの細かい違和感やらなんやらはぼろぼろ抜け落ちて行く。みるみる喜色を浮かべ牙のような犬歯を晒して笑んだ白貌のSS中尉を見遣って、ルサルカは呆れたふりで半眼になった。しかしそのくちもとも、仔猫のような悪戯な微笑を隠す気も無くたたえている。

 異常事態に浮き足立って、嗜虐嗜好と残虐趣味を遊ばせて、黒円卓の白い吸血鬼と赤毛の魔女は古びた県道から横に一歩踏み出し、夜露に湿った下生えをパキリと踏みしめた。

 

 

  ●

 

 

 そのとき英語で悲鳴を上げたのは米軍では無く、アメリカからテレビ番組の取材に来ていたクルーたちであった。

 

「お、おい、なんだあれは……!」

「頭がおかしい……人殺しだわ! 殺人よ!」

 

 成人男性が2人。成人女性が1人。幼い少女が1人。

 合計4人の異邦人達が茂みに隠れて見詰める先には、このあたりの集落の住人らしい老若男女がわらわらと集っていた。松明の灯りで浮かびあがる地元民達は何かの祭事を行っているようで、雰囲気はいかにも物々しく、オカルティックであった。一目見たときから、既に尋常でない空気は感ぜられていたのだ。

 その予感は、白衣の女が血を噴いて倒れた時点で目に見える脅威に変貌した。

 異邦人の1人であるメリッサ・ゲイルは、この取材クルーの仲間であり元夫であるサム・モンローが彼女達の1人娘ベラをこんな所に連れて来たことを現実逃避気味に強く恨んだ。「マミィ、ダディ……」と言う震え声を背中で聞いたメリッサは、すぐに「大丈夫よ」と無根拠に返す。隣で黙ったままのサムを横目に睨むと、彼は眼鏡がズレていることにも気付かずに視線の先の凶事に見入り、顔を青くしている。その黒縁の眼鏡は、かつてメリッサが彼にプレゼントしたものだった。そんな些事ひとつさえも忌々しい。

 攻撃的な気持ちで誤魔化そうとはするものの、メリッサの手足はガタガタと小刻みに震えていた。

 

「いけない、殺されるぞ」

 

 斜め後ろで、カメラマンのソルが抑えた声をもらす。その言葉のとおりに、この辺境の儀式は、次の犠牲者をひとりの少女に定めたようだった。黒髪に黒いワンピースの人形じみた少女が必死に何か言ってもがいているのを、この4人のアメリカ人達は恐怖に縫い止められたように見詰めていた。

 

「生贄か? この国には、こんな儀式が生きてるっていうのか……!?」

 

 

 

 ……一方その頃。

 そんな異常事態の模様を木の上から俯瞰せんとするふたつの影は、同じシーンを興味深く目を瞠って眺めていた。

 

「ヘェ、あれも生贄の儀式に入んのかよ。みみっちいっつうか年寄りくせぇなァ」

「あははっ! そりゃあ、メルクリウスのあれと比べちゃあダメよ。こういうローカルな儀式も結構好きだけどね、あたしは。せっまぁい共同体のなかで煮えとごった情がべたべたべたべた絡んじゃっててさぁ、良い感じにえぐいじゃない」

 

 抑揚をつけてそう弁舌をふるったルサルカがきゃらきゃらと笑ったとき、その儀式に茶髪の白人青年が何事か喚きながら乱入するのが見えた。

 

「あら。マレビトの王子様? 辺境のわりに洒落た展開っ」

 

 黒髪の少女を殺そうとしていた長身の男を押し退け、日本人ではないのだろう青年は逃げ出した。儀式の場に集った村人達のなかには武器のようなものや農具を持った者も多い。秘教的な宗教の信徒たる彼らは、突如現れた乱入者に当然のように恐慌状態に陥っていた。

『邪魔するな』『何だあいつは』『よそ者』『捕まえろ!』――まさに先ほどルサルカが挙げた"煮えとごった情"とやらの矛先を向けられて、助けられた黒髪の少女も、助けた青年も、さぞや背筋を粟立たせていることだろう。

 特に、白人青年に押し退けられた長身の男に至っては猟銃を携えていた。暗闇の中とはいえ、ヴィルヘルムとルサルカの目にはその黒い銃身がはっきり視認できている。

 ルサルカの興味はドラマチックな救出劇とこの土着の秘教らしきものにおける生贄行為の呪術体系あたりに向けられているのだろうが、そのときヴィルヘルムは、長身の男の首から上の角度を、すがめた赤眼でジッと見詰めていた。

 

「……何だあいつ、泳がすつもりかよ。あんだけ背中凝視しといて撃たねぇんだから、この国の狩人はオクユカシイこったな」

 

 オクユカシイ。覚えはしたもののこれまで使う機会なんてほとんど無かった単語を舌の上で転がして、喉の奥でくつくつ笑う。奥ゆかしい、ねぇ。逆に『いやらしい』とも言えるのかもしれないが、極東の美観はよくわからない。ああいう俯瞰的な手合いを見るとなんとなく聖餐杯あたりを思い出して、厭味のひとつでも叩きつけてやりたくなる。

 

「あ、でも結構イイ男じゃなぁい? あたしあの中だったら一番タイプだなぁ、あのガンマンちゃん」

 

 ヴィルヘルムの視線の先に気付いたルサルカはそう茶化して、「ていうか他にはもう棺桶と友達ぃって感じのおじーちゃんしかいないし」と続けながらきょろきょろと周囲を見渡した。それから「あら」と、何かを見止めて声をあげる。

 

「あそこにもよそ者感溢れてる人たちがいるじゃない」

「さっきイカれてるだの言ってた奴らだろ?」

「あ、そっか。変なの。こんな辺鄙なところにわざわざ観光に来るなんて随分と物好きなのねぇ」

「違ぇねぇ」

 

 自分達のことはさらりと棚上げしてうんうん頷いたふたりは、そこで関心を、先ほど生贄の黒髪少女を救出した白人の青年に戻した。

 

「さっき逃げた子、誰も追いかけないのかしら?」

「さぁな。どっかでここの猿共なりに防衛線張ってる可能性もあるし、あのガキにゃあ地の利も無さそうだ。やっこさんがその気になったら時間の問題だろ。ま、猿とアメ公の鬼ごっこなんぞに興味はねぇけどよ」

 

 ぺらぺらとそう言いきって、ヴィルヘルムはがしがし頭を掻いた。足場の悪い木の枝を軋ませながら気だるげに立ち上がり、「もう仕舞いだろ」とそっけなく言い捨てる。

 

「どうせだからあのへん喰ってくか? もうちッと面白ぇモン見れるかとも思ったんだが、これで終わりならつまんねぇ。潰せなかったぶんの暇ァあいつらで潰してこうぜ」

「やっだ、ベイってば悪食。ふふっ、じゃああたし、あのクールガンマンちゃんもーらった♪ ジジ専の趣味は無いから、残りはあんたにあげるわね」

 

 と、そのとき。

 

 

 ―――――――ぱぁん ぱんぱん

 

 

 軽口を叩き合っていたふたりの耳に、安っぽい銃声が届き。

 その直後、 ぼ た り 、と 、赤 い 雨 が 空 か ら 落 ち て き た 。

 

「……ア?」

「なによ、これ」

 

 雨脚はあっという間に強くなった。ばらばらと身体を打つ赤い水に、さすがの黒円卓の魔人たちもぽかんと目を瞠る。

 血の雨なら幾度と無く浴びてきた。しかしこんな"赤い水"の降雨、大戦中のどんな人外魔境じみた修羅場でもお目にかかったことが無い。

 常人なら恐れおののきそうな超常現象であったが、この吸血鬼と魔女は黒円卓の騎士特有の『危機感・恐怖の薄さ』もあって、ただ物珍しげに己を濡らす赤い水を浴びていた。

 

 

『ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ――――』

 

 

「……おい。何だってんだ、これァ」

「赤い雨、と……」

 

 "――……サイレン?"

 ぽつり、と、呟かれた単語を言い終えるか終えないかの間際。

 そこで、ヴィルヘルム・エーレンブルグとルサルカ・シュヴェーゲリンの意識はぐるりと暗転し、途切れた。

 

 

 

 ◎ ● ●

 

 

 

 目が覚めたとき、ヴィルヘルムは1人きり、民家か納屋のトタン屋根の上に倒れていた。

 空は赤く濁っていて、永遠に続く夕焼けのようだった。朝なのか昼なのか夕方なのかは判然としなかったが、疎ましい日の光の眩しさは感じられなかったため、半ば寝惚けたまま、ヴィルヘルムはさっさと行動を開始した。

 ルサルカの姿は近くに見えず、気配もにおいも感知不可能。しかしそんなことは些事にすぎない。あっちもあっちで何かやってんだろ、と流して、周辺状況を適当に探った。

 探ってみて――どうやら何かによって引きずり込まれたこの辺境の人里は、随分と笑える異界と化しているらしいことが間もなくして判明した。

 

 目や口など、体中の穴から赤い水を垂れ流しながらゆらゆら歩く屍。

 洪水のように溢れる赤い水。

 たまに聞こえてくる『カユイ~~~』とかなんとかいう、澄んだ高い女の声。

 枚挙に暇が無いそれらの異変をひとつひとつ確認してヴィルヘルム・エーレンブルグが胸に抱いたのは、『シャンバラほどじゃねえにしてもこれァ結構面白ぇ戦場なんじゃねえのか!?』というある意味屈託の無いゾクゾク感(※興奮と高揚による)であった。

 

 そんなわけで、殺しても殺しても起き上がる村人を哄笑まじりにふっ飛ばしながら更に周囲を探索していたヴィルヘルムは、数時間後、あの赤い雨とサイレンの夜に見た生贄の黒髪少女と彼女を救出した白人の青年に、思わぬところでバッタリと出会ったのである。

 

 

 




ぷろろぉぐ、終わり。
次回に続く。

ここからベイ中尉は、美耶古・ハワード組と行動を共にします。
それゆけ【羽生蛇村脱出チーム】!
班長「わ、私は生贄なんかじゃない!美耶古!」
中尉「聖槍十三騎士団黒円卓第四位、ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイだ」
ヒーロー「I am a hero! Haward Wright!! Go to hell!! いっしょ、にげる、がんばる!」

個人的には、外国人勢のぶれない感じが非常に微笑ましいと思っております。
ルサルカさんの行き先と身の振り方は、また追々。

ちなみにあえて中尉准尉コンビを取り上げた理由は、葱の好み90%、シャンバラ到着時ふたりで連れ立って来てたしけっこう自然に一緒に行動してそうだよね、というプロットの立てやすさ10%です。


(2014.10.8. こねぎ。)

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