【リメイク】緋弾のアリア 抜けば玉散る氷の刃   作:てんびん座

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『やがて魔劔のアリスベル』のコミックがついに発売!
キリコが凄く可愛くなってて驚きました。ちなみに私が一番好きなキャラは鵺です。


第3弾

 時は平成、世は太平。

 世界は核の炎に包まれることもなく、概ね平和だった。

 昨今では日本も欧米化の煽りを受けて銃が普及するようになったためか、犯罪が凶悪化する傾向にこそあるものの、一般人にとっては「ニュースで専門家がそんなことを言ってるなぁ」という程度にしか感じないだろう。

 さて、そんな平和な日本の関東地方、その神奈川県に、神奈川武偵高付属中学校という学校がある。

 現在、この学校ではとある事件が起こっていた。

 

「どけッ、どけぇッ!」

 

 ひとりの少年が渡り廊下を駆ける。

 息を切らし、視線を周囲に巡らせ、まるで何かから逃げ出すように表情は恐怖に染まっている。

 右手には愛銃のグロック19、左手には両刃のコンバットナイフが握られていた。

 

「クソッ、あの女どもめ! とうとう“あいつ”を出してきやがったッ!」

 

 恐怖を紛らわすかのように少年は叫ぶ。

 必死の形相で走る彼に道を譲るように他の生徒たちは廊下の端に寄り、しかし誰も少年の異常な行動に関心を持たない。

 否、正確には持とうとしない。

 余計なことに首を突っ込めば、次には自分があの少年のように逃げ惑うこととなる。

 この神奈川武偵高付属中学に通う生徒ならば、それは半ば常識だった。

 触らぬ神に祟りなし――そして、走り続ける少年はその神への生贄のようなものである。彼が大人しく犠牲になれば、再び平和は訪れるのだ。

 それならば、ここは何もせずに静観するのがこの学校で生き抜くための最善である。

 

「あ、ああっ、あああああああ……」

 

 人波を掻き分けて走っていた彼が、唐突に足を止めた。

 少年の眼前に聳え立つのは、まさに絶望的な光景――即ち行き止まり。

 そして少年は、選択を誤ったことに気付いた。右方へと目を向ければ、窓から見える校庭によって自分が居るのが四階だということに気付かされる。

 ワイヤーを使えば壁伝いにリぺリングすることはできるが、そのような時間を迫る追跡者が与えてくれることはないだろう。

 そして左方には特別教室があり、そこは現在施錠されている。無理やりぶち破るという発想は、武偵高の防弾扉の耐久性を考えると実用的ではない。

 まさに八方手詰まり。

 少年に打てる手は、もはや追跡者を一騎打ちにて撃退するしかない。

 そしてそれは、不可能だ――それはこの学校の生徒ならば誰でもわかる。

 だが、残された道がそれしかないならば……

 

「……やってやるよ」

 

 深く息を吸った少年は、背後から迫る足音を確認した。

 足音は一つ――奴だ。

 ならば容赦は必要ない。

 覚悟を決めた少年は、背後の追跡者へと振り向き様に発砲。マズルフラッシュが閃き、亜音速のパラべラム弾が追跡者を迎撃した。

 だが――

 

「……嘘だろ、おい」

 

 完全な不意討ちのはずだった。

 もし自分が今の銃撃を浴びせられたならば、なす術もなく胸元に一発食らっていた。

 そんな攻撃を、追跡者はあろうことか軽々と躱して見せた。

 弾丸は敵の防弾制服に掠ることもなく、廊下の向こうへと消えていく。

 

「無駄だ」

「うるせぇ!」

 

 再び発砲。

 残りの弾丸を全て使い切る心持ちで、少年は銃爪を引き続けた。

 少年の反撃に溜め息を吐いた追跡者は、表情を変えることもなく身を翻す。

 迫り来る弾丸を易々と躱しながら、しかし一歩一歩と確実に少年へと近づいていった。

 

「う、おおおおおおああああああああ!!」

 

 少年の雄叫びが校舎に響く。

 しかしそれも空しく、追跡者は少年を間合いに収めてしまった。

 

「無駄だと言っただろう」

 

 追跡者の前蹴りが、グロックのグリップを蹴り上げる。

 少年の手を離れたグロックが天井に激突し、それと同時に高速の拳が少年の頬を強かに撃ち抜いた。

 脳を揺らす強力な一撃に呻いた少年だったが、追跡者は休む暇も与えずに回し蹴りを胴へと叩き込む。少年の身体は軽々と宙に浮き、そのまま壁へと背中から衝突した。その拍子に、手元からナイフが滑り落ちる。

 三撃――少年を制圧するのに用いたのは、たったこれだけだった。

 しかし、全ての攻撃が尋常な威力ではなく、周囲からは息も吐く間すらない連撃として映った。これでは流石の武偵高の生徒であっても、手も足も出ない。

 

「お前は昨日、3年B組のとある女子に告白をしたそうだな。そして、あろうことかそれを断った彼女に付き纏っているとか。全く、淑女(レディー)の扱いがまるでなっていない」

 

 さらに一撃――廊下に転がる少年の腹に、爪先が突き刺さる。

 呻く少年に、しかし敵はまるで容赦しない。

 さらに一撃、そしてもう一撃。

 周囲の人間が目を逸らすような惨状に、しかし彼は表情ひとつ動かさなかった。

 

「いいか。彼女にこれ以上纏わり付いてみろ。その時は……わかっているだろうな?」

 

 襟を掴み上げた彼は、片手で軽々と少年を持ち上げる。

 そして低い声で少年に囁くと、そのまま廊下の隅へ投げ捨てた。

 そのまま踵を返し、彼は悠々と来た道へと去っていく。後に残されたのは、呻きながら廊下に転がる少年だけ。

 その光景を、他の生徒たちは恐怖の表情と共に見ているしかなかった。

 

「……悪魔め」

 

 誰かがそう呟く。

 そしてそれこそが、その場の――否、この学校の生徒たちの総意だった。

 

 この学校には、最強にして最悪の武偵が存在する。

 

 曰く、彼は並みの生徒では敵わないほどの戦闘能力を持ち、数による打倒も今のところ果たされていない。

 曰く、彼はあらゆる女子の味方で、太腿を軽く見せるだけで何でも従う変態である。

 曰く、彼の戦闘能力はSランク並みという。

 曰く、彼は二年生の頃、既に三年への上勝ちにも成功している。

 曰く、彼は銃弾を目で見切れる。

 

 様々な噂が飛び交う、神奈川武偵高付属中学校(カナチュー)の“正義の味方”。

 彼の名前を、生徒たちは畏怖、憎悪、羨望、恐怖などの様々な感情を込めて呼ぶ。

 

 

 その者の名は――遠山キンジ。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

「死にたい」

 

 今にも死にそうな声で呟いたのは、神奈川武偵高付属中学校の“正義の味方”――遠山キンジである。

 現在彼は、ホームルーム前の教室の自分の机で突っ伏していた。

 

「マジで死にたい」

 

 そう呟く彼の周囲には、遠巻きに彼を眺めるクラスメイトが居る。

 しかし誰一人としてキンジに声をかけてくる者は居らず、それどころかキンジの動きを警戒しているようだった。

 

(やっちまった。俺の馬鹿野郎が)

 

 今朝の自分の所業を思い出したキンジは、思わず拳銃自殺したい衝動に駆られた。

 というのも、今朝、彼はいつものように(・・・・・・・)女子にいいように扱われ、登校直後の――恐らくは冤罪であろう――男子生徒を粛清することとなったのだ。

 彼には本当に悪いことをしたという罪悪感と同時に、抑えきれない女子たちへの嫌悪感に吐き気すら催してくる。

 それもこれも、原因は己の特殊な体質にあった。

 “HSS――ヒステリア・サヴァン・シンドローム”という遺伝性の体質がある。

 これは遠山家に代々伝わる体質で、ある一定の条件を満たすと神経伝達物質を媒介し大脳・小脳・精髄といった中枢神経系の活動が劇的に亢進され、つまりは超人的な身体能力を得ることができるのだ。

 この体質により、キンジはこの学校でも最強クラスの戦闘能力を誇っている。

 だが、その肝心の条件というのがキンジの悩みの種であった。

 

 その条件とは――即ち“性的興奮”である。

 

 これによってβエンドルフィンが一定以上分泌されることで、キンジはHSSを発現させることができる。

 しかしこれは、キンジにとっての最強の武器となると同時に最大の弱点となった。

 詳しい説明は省略するが、HSS――キンジはヒステリアモードと呼んでいる――を発現したキンジは、女性の言うことに逆らえなくなってしまうのだ。

 そして最悪なことに、詳細はわからないまでもキンジのこの体質に気付いた一部の女子たちが出てきたのだ。この女子たちは次第にキンジのこの体質を悪用するようになり、今となっては私的な復讐目的や私刑のために自分の身体を使って発現させるようになった。

 このような経緯があり、キンジは一部の女子にとっての“正義の味方となった。最初こそキンジも女子たちに抵抗していたものの、初心なキンジでは女子たちの誘惑に耐え切ることができなかった。

 そして、その結果が今朝のような事態へと繋がってしまっている。

 

 ――どうしてこうなってしまったのか。

 

 そんな思いでキンジの胸はいっぱいだった。

 普通に武偵を目指しているだけだった。兄のような立派な武偵になりたいと、自分なりに頑張ってきたつもりだった。

 正義のためにこの力を使い、いつか誰かの役に立とうと努力してきた。

 しかし、その結果がこれ(・・)とは。

 一体、自分が何をしたと言うのか。

 

「こんな日々が、これからも続くのか……?」

 

 キンジは既に中学三年。この学校に居るのは残り一年間ではあるが、今はまだ一学期だ。

 この学校を離れるにしても、卒業までまだ一年はある。

 それまでの間、自分はずっとあの女子たちの奴隷として誰かを傷つけ続けることとなるのだろうか。

 

「……転校したいな」

 

 自然とそんな言葉が漏れていた。

 自分のことを誰も知らない新天地に移り、そこで何もかもやり直したかった。

 もちろん、三年のこの時期に他の学校へ移るとなれば人間関係などの構築が難しくなるだろう。しかし、この学校の生徒たちよりは何倍も楽なはずだ。なにせ、現在のキンジはあらゆる生徒から恐れられる“正義の味方”なのだから。

 

「……正義の味方、ねぇ」

 

 あまりの滑稽さに、思わず失笑してしまう。

 一体、今の自分のどこに“義”があるというのだろう。女子に言われるままに他人を痛めつけ、奴隷のように傅く。

 こんな自分の姿を、憧れの兄が見れば何と言うだろうか。

 とりあえず確かなことは、間違いなく一発ぶん殴られるだろうということだ。

 

「…………死にたい」

 

 先程よりも重い溜め息が漏れる。

 その時、教室の前方にある扉が開いた。キンジがのっそりと顔を上げると、担任の男性教師が教室に入ってくるところだった。

 

「おーい、お前ら。席に着けぇ」

 

 軽く教室を見回した彼は、生徒たちが席に着くのを見計らうとホームルームを始めた。

 そんな最中、キンジは何をすることもなく窓の外を眺める。

 何か連絡事項を教師が話していた気がしたが、朝から鬱々真っ盛りのキンジには既にそれを聞く気力はなかった。

 しかし、次に教師の口から出た言葉には流石に視線をやってしまう。

 

「えー、突然だが、ウチのクラスに転校生が来た」

 

 シンと教室が静まり返る。

 そして数秒後、教室の各所でヒソヒソと囁き声。

 

(へぇ、珍しいな)

 

 キンジとしても、転校生の話は驚きだった――事前情報が皆無だったという意味で。

 武偵高では、あらゆる情報の拡散が異常に早い。これは情報共有や情報売買などが命運を左右する職業である武偵の職業病のようなもので、噂や確定情報に関わりなく、あらゆる情報が学校中を飛び交っている。そんな武偵高で、“転校生”などというビッグニュースの噂すら聞こえないのは非常に珍しい。

 友達の全く居ないキンジが知らないならまだしも、周囲の生徒たちの様子から鑑みるに、本当に何の情報もなかったのは明白だ。

 

「お前らが驚くのも無理はない。“彼女”は一週間前に突然転入が決まり、編入の手続きや試験などを最速で消化する形で入ってきたからな。先生も転校生がウチのクラスに来るということを知ったのは一昨日だ」

 

 “彼女”――その言葉に、教室中の男子が沸いた。歓声が上がり、ノリの良い者は口笛をピーピーと吹き鳴らしている。その一方で、キンジは転入生が女子ということにゲンナリとした気分になった。鬱々だった気分が悪化し、感覚的には鬱々々くらいな感じだ。具体的に言うならば、ますます転校したくなった。

 

「それじゃあ、転校生。入りなさい」

「はい」

 

 高い、そして澄んだ声。

 それだけでクラスの男子たちがどよめく。

 そして彼女は防弾扉を開け、ゆっくりとその姿を現した。

 

「一般中から転校してきました。“大塚(おおつか)(みやび)です。宜しく」

 

 黒板に自分の名前を書いた彼女――ミヤビは、軽く頭を下げる。

 その様は、まさに可憐で清楚なお嬢様だった。

 

 そこに居たのは、儚げな美少女。

 

 身長は140センチと少しほどという、小学生のような小柄な体型だった。中学生でギリギリ通用するかというほどの低身長だ。それに比例するように肩幅も小さい。顔立ちは童顔で、大きな瞳もその愛らしさを助長している。腰まで届くであろう長い黒髪は、所々に赤毛が混じるという変わった色彩をしている。だが、手入れが行き届いているのか美しい艶があった。

 制服は成長を見込んで大き目のものを選んだのか、ややサイズが合っていない。袖によって掌は半分ほど隠れており、全体的にだぼっとした雰囲気である。まさに服に着られているといった状態で、普段は武偵高の生徒の身を守る防弾制服がまるでコスプレの衣装のようだ。

 そして目立つのは、腰に下げられたブツ(・・)。派手な柄のカービングベルトをスカートの上から巻き、そしてそこには黒塗りの鞘に納められた日本刀が差されていた。そしてハッキリとはわからないが、その刀からは押し殺されるような重い“ナニカ”を感じる。少女の歩き方も、刀を腰に差しているというのに全く不自然さがない。恐らくは、稀に武偵高に現れる『前からさん』という人種だろう。

 

 だが、彼女の最も特徴的な部分は、刀でも容姿でもない。

 

 クラスの全員がまずその点に気付き、そこから目を逸らすことができなくなった。

 男子たちは歓声をピタリと止め、女子たちは囁き声をすることも忘れてそこ(・・)を注視する。

 かく言うキンジも、周囲の生徒たちと同じようにその特徴に絶句していた。

 

 

 その少女は、なんか目が死んでいた。

 

 

 まるでドブのように濁り、死んだ魚のように生気がなく、亡者のように活力がない。幼くも美しい容姿は完全にその瞳の圧力に屈し、もはや死んでいる目に美少女と刀がくっついているように錯覚するほどだった。

 一体、どのような経験を経ればあのような目になるというのか。

 

「それじゃあ、大塚の席は遠山の隣だ。ほら、あの眼つきが悪いあいつの隣、あそこ」

 

 転校生の姿を観察していたキンジは、自分の名前が呼ばれたことを呼び水に我に返った。教師の言葉を理解すると同時に、グルリと首を隣へと巡らせる。

 窓際二列目の最後方――キンジの隣には、確かに普段は誰も使っていない予備席が鎮座していた。普段は誰かの荷物置き場などに使われるその席は、なるほど転校生のための席としては最適だろう。

 

(マジかよ!? よりにもよってなんでここなんだ!)

 

 窓際一列目最後方のキンジは、自分の隣に女子が来るという事実に呻いた。辛うじて頭こそ抱えなかったものの、人目がなければ絶望に膝を突いていたかもしれない。そしてキンジがそうこうしている内に、ミヤビは隣の席に着いてしまった。

 腰の刀を席に立てかけたミヤビは、鞄から教科書を取り出すと机に仕舞っていく。その光景を口元を引き攣らせて見ていたキンジは、顔を上げたミヤビと視線が合ってしまった。思わず目を逸らそうとしたキンジは、しかしミヤビがジッと自分を見つめてくるのに気付いて目を逸らすことができなくなった。

 

(な、何だこいつは……)

 

 すぐに視線を外そうとしたキンジは、背中に悪寒が走るのを感じて動きを止めた。ミヤビの瞳を見てキンジが感じたのは、大きな不安。何が不安なのかと聞かれれば返事に困るが、あえて言うのならば『何をするのか予測できない』という得体の知れない感覚だろうか。

 その瞳からは負の感情が滲み出ており、それは怒りであり絶望であり、さらには憎悪でもあった。その濁り切った目から視線を逸らしてしまえば、即座に傍らの刀で斬られるのではないかという妄想染みたことまで考えてしまう。

 

「宜しく」

 

 その言葉でキンジは正気に戻った。既にミヤビはキンジから視線を外している。

 背筋をピンと伸ばし、視線は教卓の教師へと固定。足を揃え、手はお膝。その姿からは、どことなく育ちの良さを感じさせた――目以外は。

 

「あ、ああ、これから宜しくな」

 

 キンジにはそう返すので精一杯だった。この奇妙な転校生の圧倒的な存在感に呑まれたキンジは、もはや返事すら覚束ない。

 何はともあれ、キンジはようやくその濁り切った視線から解放されたことに胸を撫で下ろす。どうやら今日は特大の厄日らしい。自然とそう思ったキンジは、盛大な溜め息を吐いた。

 

(女だからって理由もあるが、この明らかに厄介そうな転校生とはできるだけ関わらないようにしよう)

 

 自然とそのような考えに至ったキンジは、なるべく隣の席を視界に入れないように前を向いた。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 『転装生(チェンジ)』という制度がある。

 この制度は、女子が男子のフリ、あるいは逆に男子が女子のフリをして武偵高に通うというもので、武偵高では一学年にだいたい一人か二人は通っているものらしい。これは特殊条件下における犯罪捜査に備えるための制度であり、教務課(マスターズ)に申請した後にいくつかの審査を潜り抜ければ許可される特殊な生徒だ。その審査の内容は、主に面談などによって異性装の完成度を確かめるものが多い。

 ミヤビはこの審査を当然のように合格し、そのまま転装生として武偵高に通うことになってしまった。いくら何でもこれはあんまりだろう。ミヤビのプライドに誓って武偵高への潜入は反故にしない所存ではあるが、流石にこれは酷過ぎる。ここまで過酷な状況は想像すらしていなかった。早くも不登校になってしまいそうだ。

 

「死にたい」

 

 教務課棟から教室へ移動する最中、ミヤビは周囲に聞こえない程度の音量で呟いた。もちろん前方を歩く男性教師はもちろん、時折すれ違う他の学校関係者にもだ。

 

「……死にたい」

 

 自分の服装に目を向ければ、そこには何度見ても臙脂色の襟とスカート。学校の制服にしてはとても派手な色彩だ。聞くところによると、武偵高の制服が派手なのは、周囲に「ここに武偵が居るぞ!」とアピールするためらしい。これによって犯罪者の威嚇と、同時に一般人などに武偵だと一目で見分けてもらうという二つの効果があるのだとか。

 それを聞いたミヤビは、哀れな悪魔に魂の救済をする黒い教団の制服を思い出していた。

 

「…………死にたい」

 

 現実逃避もここが限界だ。

 再び襲い来る自殺衝動を懸命に抑えながら、ミヤビはなるべくゆっくりと歩を進めていった。これからこの格好を見ず知らずの大衆の面前に晒さなければならないかと思うと、キリキリと胃が痛む。

 

「あのクソ探偵、次に会ったら絶対に殺す。五体をバラしてマリアナ海溝の底に沈めてやる」

 

 それもこれも、元々の原因はシャーロックだった。こともあろうに彼は、ミヤビに無断で転装生として武偵中に通う手続きを終えていたのだ。そしてそのことは完全に事後承諾。ミヤビが全ての事情を知った時、既に書類申請は通され残るは編入のための試験だけという状況だった。

 しかも試験日は、ミヤビが事情を知った日の翌日だった。シャーロックに抗議する時間も与えられなかったミヤビは大急ぎで荷物を纏め、飛び込むように改造海水気化魚雷(スーパーキャビテーション)『オルクス』に搭乗。

 太平洋の沖ノ鳥島の近辺を潜航していたボストーク号から発ったミヤビは、数時間かけて東京湾に密航。そのまま知り合いの家に荷物を預け、その足で試験会場の武偵高へと向かったのだ。その後、ミヤビはその知り合いの家に居候する形で滞在している。

 

「おい、大塚」

 

 男性教師の声に顔を上げたミヤビは、とある教室の前で足を止めた。

 この大塚という名前――これはミヤビが武偵高に転入するに当たって用意した偽名だ。由来は単純に“犬”の字から一画を抜いただけというものだが、本名を晒すよりはマシだろう。犬塚という苗字は、武術界ではマイナーなものだ。名前を聞いただけでピンとくる人間は極少数だろうが、用心するに越したことはない。しかし偽名が過ぎるとミヤビ自身の反応が不自然になる恐れがあるため、多少の変更で戸籍を作っていた。

 さて、どうやらここがミヤビの教室となるらしい。ざっと見たところ、どうやら扉は防弾性。嵌め込まれた硝子も防弾性。周囲を見渡せば、木製やプラスチック製の設備などはほぼ見当たらない。

 武偵高では発砲が許可されているとのことなので、どうやら流れ弾の対策をされているようだ。

 

(冷静に考えれば、制服も全部防弾性だし)

 

 転校の際、ネクタイからスカート、タイツに至るまでTNKワイヤーを用いた防弾防刃性のものが支給されている。靴は自由だが、転校前の説明によると制服などと同じく防弾及び防刃性のものが推奨されていた。その他、学校から支給されるものは教科書など以外は全て防弾性だ。鞄まで防弾性と言われた時には、流石のミヤビも恐れ入った。

 

「先に俺が入るから、呼んだら入ってこい」

 

 それだけ言うと、彼はのそのそと教室へ入っていった。それからしばらくして、ミヤビの名前が呼ばれる。

 とうとう恐れていた時間が来てしまったことで、ミヤビはなけなしのプライドを捨てた。これから短くとも一年間、自分は女子生徒として学校に通うこととなる。その間、ミヤビは周囲に本当の性別が発覚しないようにしなければならない。

 そして最悪なのは、恐らくシャーロックは性別がバレても転校や退学を許可してくれないだろうということだ。もしもバレたら最後、女装男子(オンナオトコ)と詰られながらこの学校に通うことになる。別に他人の評価など一顧だにしないミヤビであったが、自身の急所を的確に抉られ続ければ長くは持たないだろう。最悪、ネットに顔写真などがばら撒かれれば裏社会の知り合いにすらも笑い者にされる。それだけは何としても避けなければ。

 

「…………死んでしまいたい」

 

 全身から負の感情を滲ませながら、ミヤビは教室へと一歩を踏み出した。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 大抵の学校では、転校生は多かれ少なかれチヤホヤされるものである。

 それはこの武偵中でも変わらず、転校したばかりの生徒には少なからず人が寄ってくる。ある者は興味本位で、ある者は情報収集を目的に、またある者はお節介でと、下心や親切心が入り乱れた歓迎だ。ましてや三年生の一学期中盤という途轍もなく中途半端な時期の転校であれば、興味が全くないという人間の方が少ないだろう。

 

 普通ならば。

 

 そしてキンジは、稀有であろうその逆パターンを目撃していた。

 HRが終わり、授業までには10分程度の時間がある。その時間、生徒たちは授業の準備をするなり、教室を移動するなりに使うのだろう。今日は特に移動教室はないため、生徒たちは束の間の自由時間を手にしていた。そんな中、転校生のミヤビの下には生徒たちが集まって――

 

「…………」

 

 ――くるようなことはなかった。

 ミヤビの発する不可視のオーラのようなものに気圧され、クラスメイトたちは全く寄ってこない。心の壁が全方位に張り巡らされ、通常兵器では破れそうにない。この壁を中和するには、常人を超える精神力とコミュニケーション能力を必要とするだろうことをクラスの全員が感じていた。

 その証拠にキンジの反対側に座るミヤビの隣の席の生徒は、プレッシャーに負けてトイレへと脱出していった。そして退避が遅れたキンジは、窓を背後にして追い詰められるような形で席に閉じ込められていた。まさに背水の陣である。ここより背後に逃げ道はない。

 

「…………」

「…………」

 

 気まずいというレベルを超越した空気に、キンジの背に冷や汗が伝う。

 ミヤビは席に着いたまま一言も話さず、視線は黒板へと固定されていた。身体は微動だにせず、まるで精巧な人形が鎮座しているようだ。しかしその小さな身体から発せられる異様な圧力が、人形には出せない凄みのようなものを滲み出している。

 以前、強襲科の実習で行った爆弾解体の方がまだ気楽だったとキンジは内心で嘆いた。

 

(早く授業が始まってくれ!)

 

 気が付けばキンジは、普段は怠さしか感じない授業を待ち望んでいた。今ならば抜き打ちテストでも歓迎できる。何なら指名を全て自分にしてしまっても構わない。それほどにキンジの心労は凄まじかった。

 そこでキンジは思い切って机に突っ伏し、視覚情報だけでもシャットダウンする。これによって、「自分は寝てますよー」とアピールして気まずさを緩和しようとしたのだ。

 しかしここで、キンジは大きなミスを犯した。目を使わなくなれば、自ずと他の感覚に意識が向くのは必定。突っ伏したキンジは、周囲の囁き声を拾ってしまった。

 

「見ろよ、キンジの奴。あの圧力の前で寝る余裕があるみたいだぞ」

「流石はカナチュー最強。あの程度なら意に介すこともないようだな」

「私だったら絶対に席を立ってる。あのプレッシャーを前にして睡眠なんて、なかなかできることじゃないよ」

「転校生も可愛そうにね。いきなりキンジに喧嘩売る形になっちゃって」

 

 戦慄と畏怖、そして僅かな称賛を秘めたその言葉に、キンジは伏せながら肩を震わせる。どうやら周囲には、自分はこの圧力をものともしていないように映っているらしい。

 止めようのない勘違いが広まったことに、キンジは小さく舌打ちしていた。

 自分は何もしていないというのに、周囲が勝手に自分の姿を曲解して広めていく。本当ならば声を大にして「それは違うよ!」と弾丸のように論破したいが、日頃の行いから考えてそれも無駄だろう。

 

(強いのは、ヒステリアモードの俺なのに! 俺は普通の中学生なんだ!)

 

 そう叫べたら、どれだけ楽だろう。恐らく、言ったところで信じる者は自分を利用する女子たちだけだろうが。そもそも、性的興奮で強くなる体質など、信じろという方が難しいだろう。もし自分が何も知らなかったならば、そのようなことを言われても到底信じられない。というか、確実にヤバい奴だと思う。通院か救急車をお勧めするだろう。

 

(……ヤバイな、ますます鬱になってきた)

 

 余計なことを考えたからか、キンジはまだ授業が始まってもいないというのにドッと疲れを感じていた。それに加え、傍らから押し寄せるプレッシャー。内と外からのダメージに、キンジの精神は瀕死寸前だった。

 だからだろうか。精神的に追い詰められていたキンジは状況を打開しようと、先程関わらないと誓ったにも関わらず、何でも良いから会話を成立させようとしてしまった。要は、重い空気に耐え切れずに口が滑ってしまったのだ。後になって考えると、完全に魔が差したとしか言い様がない。そのようなことをするくらいならば、自分もトイレに行けばよかった。

 

「お、大塚……で良かったよな?」

 

 教室中から音が消失した。

 シンと静まり返った室内に、キンジの胃が痛くなる。

 

「何ですか?」

 

 そんな無音の教室に、ミヤビの高い声が響く。

 同時に件の死んだ魚のような瞳と重圧的なプレッシャーが、キンジへとまっすぐに向けられた。その目は僅かに迷惑そうな色を含んでおり、言葉にせずとも「なんで話しかけてきたんだよ」というメッセージが伝わってくる。

 話しかけるだけでそこまで迷惑そうにされたことに、流石のキンジも少し不愉快になった。

 

「お前、なんでそんなに不機嫌そうなんだよ。周りの奴らが委縮してるだろ。新しい生活に緊張しているのはわかるが、少しは愛想良くしたらどうだ」

「超巨大なお世話です。ましてや初対面の君に、そのようなことを言われる筋合いはありません」

 

 バッサリと切り捨てられたキンジは、今度はハッキリと不愉快さに表情を歪めた。

 口が滑ったとはいえ、こちらは親切で言ったというのにそう返されては腹も立つだろう。普段のキンジならばここで押し黙っていただろうが、今日のキンジは特別機嫌が悪かった。朝から女子たちに利用されて望んでいない暴力を振るわされ、そして今度は同じく女子にここまで言われる。

 端的に言って、非常に癪に障った。

 

「…………」

「…………」

 

 視線が交錯する。

 状況はまさに一触即発、二人の間に火花が散った。いつの間にか、ミヤビは立て掛けられていた刀を手に取っている。

 教室に緊張が走った。

 武偵高では基本的に喧嘩や私闘、非推奨ではあるが決闘なども普通に行われる。事例は少ないが、男と女の間で行われることもある。よって、ここでキンジとミヤビが戦うことになろうと何もおかしくはない。

 しかしだ。片や神奈川武偵高付属中において最強の男子。片や正体不明とはいえ女子。戦力差が明白なのは歴然としている。なにせキンジは、二年生の時には三年生を相手に上勝ちをしたという噂まであるのだ。その戦闘能力は、同学年とは隔絶したものであることは疑い様がない。

 あわや転校初日に病院送りか、とクラスメイトたちが息を呑む中、沈黙を破ったのはミヤビだった。

 

「…………はぁ」

 

 軽く溜め息を吐いたミヤビは、疲れたように背凭れに寄り掛かる。

 

「やめましょう、不毛です」

 

 険悪な雰囲気を一気に霧散させたミヤビは、首をコキコキと鳴らしながら刀を再び机に立て掛けた。

 それを見たキンジも、相手に戦意がないというのならば矛先を収めざるをを得ない。

 

「すみません。流石に口が悪かったですね。朝から不快な思いをさせてしまいました」

「……いや、俺も機嫌が悪かったからな。つい言いすぎた。すまん」

 

 ミヤビの殊勝な物言いに、キンジは毒気を抜かれた気分だった。

 それは教室のクラスメイトたちも同様だったようで、しかしミヤビの転校早々に荒事にならなかったことに安心した空気が漂う。

 それによって空気が弛緩したのか、教室の各所からも談笑の声が戻ってくる。

 

「……確か……遠山くん、でしたよね? 改めて宜しくお願いします」

「あぁ、遠山キンジだ。遠山でもキンジでも好きに呼べ。それと、同学年なんだから敬語はいらん」

「遠山で……キンジ? まるで遠山の金さんみたい。なるほど、それなら君は差し詰めキンさんか」

「うぐっ……! いや、できればその呼び方は……その、困る」

「……? それじゃあキンジくんで。遠山は別に知り合いが居るから」

 

 砕けた口調になったミヤビ。

 未だに目は死んだままだったが、周囲を威圧するような圧力はだいぶ薄れていた。

 

「それにしてもお前、なんでいきなりあんなに周りを威嚇してたんだよ。あれじゃあ誰も寄り付かないぞ」

「……まぁ、色々あって。ほら、ボクって人間関係とか煩わしく感じる質だから?」

「知るか、そんなこと。というかいきなり馴れ馴れしくなったな」

 

 キンジの言葉に、ミヤビはふっと笑って妙なポーズを取った。

 右手で大きく顔を隠したかと思うと、開いた左手を大きくキンジに突き出す。そして右手の指の間から腐った目を覗かせながら、微妙に低くなった声色で何やら語り出した。

 

「我が身は世界の裏に潜む組織に属する身。それ故に他者との無用な接触は、可能な限り避けねばならぬのだ。クククッ、しかし貴様は我に声をかけるという愚挙を犯してしまった。あるいは、既に組織に目を付けられているかもしれぬぞ?」

「………………」

「………………」

「…………お、おう……」

 

 静寂が場を支配する中、キンジは必死に反応を返した。だが、表情には「何だそれは」という感情が如実に現れている。実際、死んだ瞳で邪悪に嗤ったミヤビにキンジはドン引きだった。

 というか、キャラが濃すぎて付いていけない。ダウナー系で人嫌いで厨二病(?)とか、どれだけ個性的な要素を詰め込めば気が済むのだ。ボクの考えた理想の主人公像か。さぞかし設定ノートが埋まるだろう。

 しかしそんなキンジの反応を特に気にすることもなく、ミヤビは淡々と口を開く。

 

「ちなみに今のは、ご存じだとは思いますが一応説明しますと厨二語の一種です。翻訳すると『友達作るの面倒臭い』という意味ですね」

「わかるかッ!?」

 

 思わず叫んだキンジだったが、ミヤビから返ってきたのは呆れをふんだんに含んだ視線だった。

 そのあまりの呆れ具合に、一瞬だが自分がおかしいかのようにすらキンジは感じてしまう。

 

「現役中学生のくせに厨二語も解さないなんて。君はこの三年間、学校で何を学んできたの?」

「普通に勉強と戦闘訓練だ! というか、厨二語なんてわけのわからんものを一般常識みたいに語るな!」

「え~、ボクの知り合い(ジャンヌ)には普通に通じてたんだけどなぁ……。我に脳髄すらも融かす甘露を捧げよ! とか言ったらちゃんとジュース買ってきてくれたし」

「ジュース!? 今の台詞のどこにジュースが!?」

「クククッ、我は闇に生きる者。故に我は闇に紛れ、月がその役目を終えるまで知識の収集に耽っておったわ。――ちなみに今のは『徹夜でネットサーフィンやってた』って意味ね」

「いや、もう普通にそう言えよ! というかそもそも厨二語って何だ!?」

「特定十代に通じる言語体系だよ。これを習得した人同士が会話すると、日常会話すらも楽しく感じるという素晴らしい言葉なんだ。さぁ、キンジくんもレッツトライ!」

「そんな背筋が痒くなるような日常会話は御免だ」

 

 律儀にツッコミを返すキンジ。

 それに何を思ったのか、ミヤビは微かに笑みを浮かべた。「面白い人材発見」と小さく呟いているが、生憎興奮していたキンジはそれを聞き逃していた。

 

「っていうか、友達付き合いとか本当に面倒なんだよね。これは個人的な意見だけど、無闇に友達を作っちゃう奴の気が知れない。もっとこう、少数精鋭? みたいな関係が好きだな。良く言えば『沢山の友達より一人の親友』みたいな? まぁ、別に友達とかいなくても死にはしないからどうでもいいけど」

「……寂しい人間関係だな、それ。というか、武偵に人間関係は必要不可欠だ。コネや伝手は武偵の仕事に役立つ。顔は広い方がいい」

「……?」

 

 キンジの言葉に首を傾げたミヤビは、視線を教室へと巡らせた。

 そして再びキンジに視線を戻す。

 

「でも、そういうキンジくんこそ友達いなさそうだよね」

 

 会心の一撃だった。

 あまりにストレートなミヤビの発言は、キンジの急所を容赦なく抉る。

 

「休み時間なのに誰も寄ってこないし、キンジくんも話しかけようとしない。席を立つ様子もないから、他のクラスに駄弁りに行くって線も消える。でも本を読むこともなければ授業の予習をする気配もない。つまり、暇してるんでしょ? なのに誰とも話さない。よって、ボクはここに『遠山キンジはボッチ論』を提唱します」

 

 的確な推理にぐうの音も出ない。

 文句なしに正解だった。

 『遠山キンジはボッチ論』、恐るべし。

 

「そ、それはともかくだな!」

 

 痛いところを突かれたキンジは、咄嗟に話題を逸らす。

 ミヤビも流石にこれには気付いた様子だったが、何も言わずに生暖かい目を向けてくれた。

 死んでいるのに生暖かいとは、これ如何に。

 

「お前、所属科はどこだ? その刀から察するに……まさか強襲科(アサルト)か?」

「まさかも何も、普通に強襲科だね。この立派な日本刀が見えないの?」

「冗談だろ。その小学生みたいなちっこいナリで銃弾飛び交う現場で戦えるのか? というか、その刀を使えるかどうかも疑わしいぞ」

「さぁ?」

 

 キンジの言葉に、ミヤビは首を傾げるだけだった。

 ついつい強襲科のきついノリで言ってしまったが、これはキンジの本心でもあった。スポーツの格闘技でもわかる通り、戦いは体格がモノを言う。ボクシングにもフライ級とヘビー級があるように、身体の大小は非常に大きな意味を持つのだ。それを覆すための武器ではあるが、ミヤビの小柄さは武器で補うことができるのか心配になる。

 

「俺も強襲科だから実感として知っているが、ウチは体力がないと辛いぞ。大塚は一般中(パンチュー)から来たと言っていたが……実際はどうなんだ?」

「……クククッ、我に同じことを語らせるつもりか? 世界の裏に身を潜める組織と申したであろう? それとも貴様は、言葉も解せぬ獣か?」

「……ちなみに、今のはどう訳せばいいんだ?」

「自分で考えなさい、って意味」

 

 さらりと質問を躱したミヤビは、それ以上答えない。どうやら、必要以上に自分のことを話すつもりはないようだ。あるいは本当に地下組織のようなものの出身なのか……流石にないか。

 そもそも、武偵は情報の価値が特に重い職種だ。無為に過去の詮索をすることは、あまり宜しいことではない。これ以上踏み込むのはやめておくべきだとキンジは判断した。

 

「えーっと……それじゃあ、どうしてここに転校してきたんだ? 武偵なんて危険な職業、進んでなりたがるものじゃないだろ?」

「なりたがるかどうかは人それぞれだと思うけどね。でも、ボクが転校してきたのはふさ……あー」

 

 急に言葉を止めたミヤビは、唐突に天井を仰いだ。何かを考え込んでいるのか、視線がなかなか降りてこない。

 しかしそれも少しの間で、やがて濁った視線がキンジへと戻ってきた。どうでもいいが、この不気味な目を直視したくないのはキンジだけだろうか? 他人と会話する際は視線を合わせるのが礼儀だとは思うが、この目はもう見るに堪えない。ゴキブリの大群とどちらがいいかと言われれば真剣に悩むレベルだ。

 

「ボクが転校してきた理由は…………ほら、中学くらい出とけって親が煩くて?」

「なんで疑問形なんだよ」

「クククッ、この世に確定された事象や歴史など存在せぬ。故にその問いは無意味であり、それに対する我の言葉もまた無意味。ならばこの問答にそもそも意味などあるまい」

「…………」

 

 どうやら釘を刺された……らしい。厨二語という日本語ベースの未知の言語を習得していないキンジでは、フィーリングでしか言葉がわからない。

 だが、これも聞いてほしくないことなのだろう。どう考えても怪しすぎるが。一般中からの転校という話が嘘なのかどうかはわからないが、これはもう『前からさん』だということはほぼ確定だ。幸運なのは、ミヤビ自身がその事実の隠蔽に積極的ではないということだろう。雰囲気から察するに、そこまで全力で隠している感じではない。隠し事をしていると、キンジにあからさまに気取らせているのがその証拠だ。

 とはいえ、武偵の学校には違法で銃を撃っていた人間や、裏社会に繋がりを持つ家柄の人間が来る場合も多い。今は転校してしまっていなくなったが、以前はヤクザの跡取りという人間もいた。ミヤビもそういう人種なのだろう。

 そしてどうでもいいが、厨二語を発する度にポーズを取るのはやめてもらいたい。会話している自分までもが同類と見られてしまいそうで、キンジは非常に恥ずかしかった。

 

「まぁ。こっちにも色々と事情があるんだよ。詮索しない方がいいと思うな」

「……悪い。確かに初対面の人間に不躾だったな」

「気にしなくていいよ。こっちが勝手に複雑にしてるだけだし。本当のことを言うと、ボク自身はどうでもいいんだけどね。でも、世の中には大人の事情というものがあるわけでして。下手に喋って色々と情報が出回るのは……」

 

 そこまで言いかけたミヤビは、ピタリと言葉を止めた。そして暫し何かを考える素振りをすると、「あぁ」と納得したように嘲笑を浮かべた。

 

「そうだったね。ボッチのキンジくんには関係のない話か。いや~、出回る相手すらいないって悲しいね。きっとキンジくんのケータイにはご家族の連絡先しか登録されていないんだ。可愛そうに……」

「おいコラッ! テメェ、流石に家族以外の連絡先だって登録されとるわ! お前の中の俺は、どれだけ悲しい人間なんだよ!」

 

 目を剥くキンジに、ミヤビは「はいはい、わかっているよ」とキンジの怒りなどどこ吹く風とばかりに欠伸をかます。それを見て「コイツ……!」と若干キレかかるキンジだったが、ここでふと気付いた。

 

 女子を相手に、まともな会話ができている。

 

 度重なる女子たちの悪行と二面性によって会話することにも忌避感を抱いていたキンジだったが、どういうわけかミヤビにはそれを感じない。ミヤビがキンジの秘密を知らないためかもしれないが、キンジは久しぶりに女子とまともな会話のやり取りをしていた。

 いや、正確にはミヤビによって知らぬ間に会話を引き出されていたような感じだ。キンジとしては警戒交じりに言葉を発したというのに、気が付けば警戒心を解かれている。

 改めてミヤビを見れば、そこには間違いなく美少女のミヤビが居る。キンジの想像する大和撫子の模範のような容姿に、それを全て台無しにする死んだ目。威圧的な日本刀。若干大き目の服に小柄な身体。

 これらのどこに、キンジの嫌女センサーをすり抜ける要因があったのだろうか。

 

(やっぱり、死んだ目か?)

 

 自然と注目してしまうその瞳。

 闇色の眼にはキンジの姿が映り込んでいた。

 そんなキンジに対し、ミヤビは身体を両腕で抱くようにして目を細めた。

 

「キンジくん、そんなギトギトした視線を向けないでくれる? キモいよ?」

「言いがかりだッ!」

「じゃあなんで人の顔を見てたわけ? ……あっ、もしかしてガンくれてたの? ごめんね、気付いてあげられなくて」

「勝手に憐れむんじゃねぇ!」

 

 やはり、ミヤビの何がキンジの警戒を抜けたのかはわからない。

 しかしキンジは思った。

 

 ――これは、面倒なのと関わってしまったかもしれない。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 武偵を養成するこの学校では午後の授業――つまり五時間目以降の授業はそれぞれの生徒の専門科目ごとにわかれて実習を行う。強襲科に所属するキンジは、偶然にも同じ科目だったミヤビと連れ立って強襲科棟へと移動していた。

 キンジはいつものように一人でそそくさと移動しようとしていたが、ミヤビがそれをひっ捕らえたのだ。

 曰く、「まだ校内の施設の位置がわからないから、棟まで案内しろ」とのことである。それに仕方なく頷いたキンジは、腰に刀をぶら下げたミヤビを引き連れて教室を出たのだった。

 

「強襲科では、与えられたノルマを熟した後は各人の自由ってことになっている」

「自由? それって帰っちゃってもいいの?」

「構わない。だが、訓練は自分の命にかかわってくるからな。必要な技能は自分で修めなければならん。そのための訓練は自分で考え、そして実践しないといけないんだよ」

「へー、自立を促してるってことかー」

「そうだ。早めにその習慣を付けておかないと、いざ卒業しても何もできませんってことになりかねない」

 

 キンジの説明に、ミヤビは感心したように頷いていた。

 来るまでは無法者予備軍たちの蔓延る偏差値が低いだけの荒れた学校というイメージしかなかったらしく、キチンと武偵の育成機関として機能していることに驚いたのだとか。偏差値が低い荒れた学校であるというところは否定しないが、流石にそれはもう学校の体を成していないだろう。というか、そんな想像をしていたというのに何故ここに転校してきたのだろうか。

 

「ボク、武偵高ってもっと碌でもない場所だと思ってたよ」

「世間では叩かれることの多い職業だからな、武偵は。金さえ積めば基本的に何でもやるし、一般中から来たお前からすると意外に思われても仕方ない」

 

 移動しながらそう語るキンジ。

 まだここに一年と少ししか通っていないキンジではあるが、それでも自分の学校の株が上がって悪い気はしない。

 いつになく饒舌になったキンジは、ミヤビに武偵高のイロハを教えていた。

 

「ほら、着いたぞ」

 

 キンジが立ち止まったのは、一般校の体育館よりも数倍は大きいであろう建物の前だった。

 ここが強襲科棟である。

 射撃練習をする射撃レーン、様々な器具の揃ったトレーニングルーム、徒手格闘の訓練を行う多目的ルームなどが内部にはあり、教師の直接の指導の下で訓練を行えるのだ。特に射撃レーンは他の科の生徒が来ることも多く、そこでは様々な拳銃が日々発砲されている。

 ちなみに、空薬莢を拾うなどの雑用は下級生の義務である。キンジも一年生の頃はここで延々と薬莢を拾っていた。

 

「それで、連れてきたはいいがこれからどうするんだ?」

「えーっと、まずは強襲科の先生に挨拶だね。その後で軽く射撃のスコアとかを測って、それから――」

 

 どうやらミヤビにも予定があるらしい。

 何やら込み入った事情があるとはいえ、ミヤビに必要なことはまずこの学校に慣れることだ。それまでは多少の面倒を見てやることは、キンジとしても吝かではなかった。

 しかし、いくら転校生とはいえ編入試験に合格するだけの技量はあるのだから、まるで付いてこられないということはないだろう。となれば、今日はこれ以上キンジにできることはない。

 

「それじゃあ、ここで解散だな。俺にもノルマはある。終わったら声でもかけてくれれば色々と教えてやるから……なんだよ?」

 

 解散しようとしたキンジは、ミヤビがジッと自分を見つめていることに気付いた。

 気のせいかその目は、先程よりも僅かに活力が戻っているような気もする。そして瞳の奥には、活力の他に何やら奇妙な色の感情が浮かんでいたように感じたが、キンジにはその正体が全くわからなかった。

 

「……キンジくんってさ」

「あん?」

「なんていうか、見た目暗そうだけど、意外と面倒見がいいよね。何だかんだでここまで連れてきてくれたし、色々と教えてくれたし。うん、ツッコミも及第点だ。80点」

「何の点数だそれは」

「とりあえず優秀な成績を収めた君には、『二代目ミヤビ係』の栄誉を与えよう! これから頑張ってくれたまえ!」

「……は?」

 

 機嫌良く肩を叩くミヤビに、キンジは目を点にして固まる。

 何だかわからないが、本当に何がどうなっているのか欠片も理解できないが――自分は今、とんでもない状況に追い込まれてしまったような気がする。キンジの本能が、生存本能のアラートを鳴らしていた。だが、その警報が何に対してのものなのかがキンジにはわからない。

 だが一つだけわかったことがある。キンジとしてはそこまで面倒を見たつもりはなかったのだが、ミヤビは自分に思いのほか好印象を抱いたらしい、ということだ。

 

「何はともあれ、ここまでありがとう。――クククッ、また逢い見えようぞ(それじゃあまたね~)

 

 そう言うとミヤビはクルリと背を向け、強襲科棟の奥へと歩き去っていった。

 その背中を見送って、キンジはふと思う。

 

「……目が死んでないと、意外と可愛いかったな」

 

 本心であると同時に、キンジにできる最大の現実逃避だった。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

(いやぁ、キンジくんマジいい人やわぁ)

 

 内心で独りごちる。

 武偵高での学生生活は、ミヤビの想定以上に好調な滑り出しを見せていた。

 ミヤビの武偵高への潜入における大前提は、自分が転装生であることが知れないようにすることだ。これは何と比較しても優先され、これよりも重要な秘密は存在しない。つまりは最重要機密(トップシークレット)だ。

 そのために、ミヤビは必要以上に人間関係を築かないことを事前に決めていた。

 しかし一人も友人のような存在がいないのは逆に周囲から浮き、注目を集めてしまう。それに武偵高の常識などが全くわからないのも問題のため、誰かにそれを教わる必要もある。よってミヤビは、同じ所属科、同学年、そしてできれば女子の事情に疎そうな男子という条件を満たした少数の人間とだけ交友関係を築こうと画策していたのだ。

 そういう意味では、キンジが隣の席だったのは僥倖だったと言える。

 

(見るからに女性に慣れてなさそうな感じだから性別バレは心配なさそうだし、オマケにかなりのお人好しっぽいし)

 

 加えて、友達が少なさそうというのも好印象だった。これでミヤビの情報が不必要に出回り、性別が特定されてしまう可能性も格段に減る。

 素晴らしい。

 まさにキンジはミヤビにとって理想の“お友達”だった。

 そして、理由は不明だがキンジはそこそこ顔が知られているらしい。これも悪くない。ミヤビはこのままキンジの名前に隠れるように過ごし、目立つような行動を控えるつもりだ。そうすればその内に、ミヤビの印象は『キンジの友達』というもので止まる。

 これによってミヤビは、キンジというネームバリューの陰に意図的に隠れることができるのだ。

 

(友人がいないのに顔が知られているのが少し気になるけど、細かいことはどうでもいいや)

 

 要は目立たなければ良いのだ。それも、曖昧に情報が手に入るレベルで。

 ボッチでもなく、かと言ってリア充でもない。深い関係の人間も居ない。しかし正体不明でもない。まさに最高に“平凡”だ。

 そして人間は、平凡で普通なものにこそ最も視線が向きにくい。

 

(木の葉を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中ってね)

 

 そのようなことを考えながらも、ミヤビは強襲科棟を黙々と歩いていく。その際、見慣れないミヤビの顔に複数の視線が突き刺さる。しかしミヤビも流石に慣れたもので、それらを悉く無視して歩みを進めていった。

 どうせこの注目も一過性のものだ。すぐにこれもなくなり、一ヶ月もすれば完全に“あちら側”に混ざることができるだろう。

 

「……ここでは殺しはご法度か」

 

 周囲を見回せば、そこには訓練に明け暮れる武偵の卵たち。

 彼らもあと数年もすれば一武偵として世界に羽ばたき、自分のような無法者を狩る存在になるのだろう。ここで技術を身に着け、経験を積み、人脈を築き、装備を整え――そして、いつか“自分たち”と戦う存在になる。

 しかしそれは未来の話であって、今ではない。

 ここは卵を温める場所であって、同時に羽ばたく準備をする場所だ。自分で飛んですらいない武偵では、まだ“面白くない”。豚は太らせてから喰らい、果実は熟れてから収穫する。短慮に走って後々の楽しみを奪うこともないだろう。

 

「……まぁ、退屈そうではあるけど」

 

 そういう意味では、ある種の危機感を感じる。

 確かに未知の“不殺”という領域には、シャーロックに強要されたということに目を瞑れば全く興味がないということもない。今までは殺す相手でしかなかった武偵という職種の人間が、いかにして凶悪犯罪者を殺さずに取り押さえるのか。そのような技術は、法を守るも破るも自由という無法者の自分には全く縁のないものだった。これを学ぶことは、自分にとっても修行の良い一環となるだろう。

 だが、今まで自分は剣術を極めるためにあらゆる修行をしてきた。殺人剣こそが剣の道と信じ、修行として山のように人を斬ったこともある。その努力が、ここに通うことでふいになってしまうのではないだろうか。そのことが、ミヤビの唯一にして最大の危惧だった。修行の果てが見えないことには喜悦を感じるが、今までの努力が腐ってしまうことだけは許すことができない。

 

(要は両立が大切ってことか)

 

 殺人一辺倒ではなく、かと言って活人だけでも駄目だ。どちらにも一長一短があり、それらの長短の全てを使いこなすことこそが真の武術なのだ。ミヤビはそういう武術家になりたい。というよりも、それが難しいからこそシャーロックの安い挑発に乗ってしまったと言えなくもない。いや、決してできないわけではないが。本当に少し苦手なだけだったが。むしろ手加減する前に相手が死んでしまうのが悪い。

 まぁ何はともあれだ。この武偵を育てる学校で活人の術を学び、自分で納得ができるようになるまではシャーロックの思惑に従うのも吝かではない。

 

「修行が終わったら絶対に殺すけど」

 

 ミヤビの小さな呟きは、強襲科棟の騒ぎに紛れて消えた。

 

 

 

 

 

 


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