【リメイク】緋弾のアリア 抜けば玉散る氷の刃 作:てんびん座
犯罪者たちが大手を振って跋扈し、日々研鑽を続ける魔窟『イ・ウー』。その内部において、ジャンヌ・ダルク30世は『ミヤビ係』と呼ばれる特殊な立ち位置だと認識されていた。これはイ・ウーに入学したばかりという者でなければ誰もが知っている、云わばイ・ウーの常識である。
では、そのミヤビ係とは何なのか。簡単に言えばミヤビとの仲介役及びミヤビが起こした問題の処理係――つまるところトラブルシューターだ。
まず前提として、イ・ウーには個性や我が強い者が多く集まる傾向にある。それは強者故の傲りであったり、育ってきた環境によるものだったり、生来の性格であったりと様々な理由があるが、ここは置いておこう。そして我の強い彼ら彼女らは、常人とはかなり違った感性や常識を持つ場合が多い。ましてやイ・ウーは国際色が豊かなため、何かと文化的に違う面もある。そしてこの組織では私闘が禁止されていないことから、イ・ウーではどこで争い事が起きても不思議ではない。
そんな中、イ・ウーでも特に大きく面倒な問題行動を起こすのがミヤビである。
我の強いイ・ウーの構成員たちの中でも、ミヤビは特別に“ヤバい”存在として認知されていた。何がヤバいのかと具体的に問われればどれから説明したものかとジャンヌは悩むだろうが、多くの者が最初に言うことは超絶的に自己中心的な性格をしているということだろう。
以前、イ・ウーの拠点であるボストーク号を個人的な趣味の延長で轟沈させかけたことは、構成員たちの心にトラウマとして刻まれている。あの時、シャーロックが船内にいなければ搭乗員は全員が海の藻屑と化していたに違いない。
そしてそれ以来、ミヤビはイ・ウーでも要注意の危険人物として認定されるようになった。文字通りの問題児だ。イ・ウーにも問題をよく起こす生徒はミヤビ以外にも存在するが、差し当たって直接的な危険度の高いミヤビには監視役が設置されることとなった。それがミヤビ係であり、つまりはジャンヌだ。
ちなみに選定方法は他薦である。イ・ウーの最下層に位置する彼女が人身御供となったことは言うまでもないだろう。ジャンヌは犠牲になったのだ。
さて、そんな無人の野を往くが如く傍若無人なミヤビだったが、彼がこのイ・ウーでもその存在を絶対に無視することのできない人間が一人だけ存在している。
イ・ウー最強の人物が相手では、流石のミヤビ無碍にはできない。
「ミヤビくん。君、学校に興味はないかね?」
その言葉に、ミヤビは眉根を寄せた。腰掛ける革張りのソファがキシリと音を立て、しかしそれ以外の音は部屋にない。ミヤビはもちろん、対面に座る青年も言葉を発しない。そんな静寂が支配する室内で、次に言葉を発したのはミヤビだった。
「それはどういう意味でしょうか?」
「深く考える必要はない。君の思ったままの意見を聞かせてほしい。君も本来ならば、日本の義務教育に組み込まれている年齢だ。それならば、多少は平凡な学生生活に興味があるのではないか、という至極単純な質問だよ」
「はぁ……」
気のない返事をしたミヤビは、「学校……学校かぁ……」と小さく呟く。
ミヤビが学校と呼べる正式な施設に通っていたのは、小学校の数年間だけだ。それ以降は故郷の村を捨てて修行の旅に出てしまい、まともな教育機関に通っていない。ドラマや書籍などでどのような場所なのかは知っていても、実際のところどのような場所なのかということは知らない。知識に経験が伴っていないのだ。
そういう意味では全くの無関心というわけではない。ないが……
「……興味ないですね」
今の生活で満足しているミヤビにとって、意識を裂くだけの価値を感じられない。それがミヤビの解答だった。
イ・ウーの中には学生として世間に紛れている者も存在するが、ミヤビにとって社会的な評価や地位は無価値に他ならない。となれば、学校などという社会適応のための訓練施設も無価値となる。
その程度の思考トレースは、朝に弱いミヤビを寝起きの状態で強制的にこの部屋へと引き摺り込み、そのままダッシュで逃げ去っていったジャンヌにもできるだろう。つまり、このような答えが返ってくるのは青年も織り込み済みのはずだ。だというのにこのような質問をしてくるということは、今の質問が彼のミヤビに対する用件に関わっているということだ。
「ああ、君ならそう言うと
「何の用なのかと思えば、わざわざボクに説教をするために呼び出したんですか? 超巨大な上に、金を貰ってもいらないお世話です」
にべもなく青年の言葉を跳ね除けたミヤビは、出された紅茶に口を付ける。
明らかに反抗的な態度であったが、青年は笑顔を絶やさない。というよりも、まるでミヤビの反応を楽しんでいるかのようだった。もしもこの二人を俯瞰している人物がいれば、まるで生意気な孫を相手にする老人のようだと感じるかもしれない。
「いらぬ世話だということは自覚しているがね。僕も老い先短い老人だ。若い世代を見ると、つい説教臭くなってしまう」
「老い先短いって……それはジョークですか? この組織でも五本の指に入るくらい長生きしてるじゃないですか。っていうか、あなた“この”ボクよりも長生きしそうなんですけど」
「そうでもないさ。緋弾の所有者として不完全な僕では、延命にも限界がある。今日明日で寿命を迎えることもないが、永遠ではない」
「あっそ」
「実に残念そうだね。それだけのふてぶてしさがあれば、君の将来も安泰だろう」
表情を崩さないその優雅な様を見たミヤビは、内心で「やりにくい」と苦々しい思いを抱いていた。それと同時に、どうせそう思っていることも
そう、ミヤビはこの男――シャーロック・ホームズが嫌いだった。
“
(チッ、仏像かよこいつは……)
この悟りを開いたような男は、きっと自分の死ぬべき時と状況が推理できているのだろう。きっと口にはしないが、恐らくは自分の知るあらゆる人間の未来も“視えて”いる。
だからこの男は、恐らく余裕や焦りと言った概念を既に超越しているのだ。何せ、全て知っているのだから。普通の人間ならば正気ではいられないだろうが、その未来を予知することができる能力を十全に使いこなせてしまう彼は、もはや精神が神か仏の領域にでも達しているのかもしれない。
そんなシャーロックからは、生命特有の揺らぎといったものが感じられない。まるで機械のような男だ。いや、この超然とした雰囲気から連想されるのは、やはり仏像だろう。元はただの木だというのに、一流の仏師の手によってその姿を変えられたそれは、まるで本物の仏が宿ったかのような神々しさを見せる。それと同じように、ただの人間からこの領域にまで辿り着いたシャーロックは、もはや超人的な空気をその身に纏っていた。
闘争の果てには神や仏すらも斬殺する意志を持つミヤビではあるが、それは無駄な決意だったとイ・ウーに来てから悟った。そのようなものを斬って、一体何の意味があるというのか。例えこの男を斬ることに成功したとしても、それで自分の中に何一つとして悦が齎されるとは思えない。それこそ、無駄な殺生というものだろう。
(早く死ねばいいのになぁ、こいつ)
口には出さないが、ミヤビは内心でいつもそんなことを思っている。
意外かもしれないが、ミヤビが心の底からこのようなことを思っている相手は、今のところシャーロックただ一人である。好意の反対は無関心と言うが、シャーロックという存在はミヤビにとって無関心にするには強大すぎたのだ。だからこそシャーロックはミヤビの“嫌い”という領域でまだ留まっている。
しかしそんな考えすらも見透かしているのか、シャーロックは悠然と微笑むだけだった。
「それで、用がないならもう帰ってもいいですか? 貴重な時間を無駄にしたくないので」
「おや、僕との会話は無駄かな? それは悲しいね」
「こっちはありがたくもない説教を受けるために呼び出されたんです。聞く気もない説教を聞かされるのは間違いなく無駄です。馬耳東風で行かせてもらいます」
ミヤビはおっとりした見た目に反して、結論ありきの会話を求めるというせっかちな性格だった。
キロッとシャーロックに無機質な視線をやるミヤビは、しかしその実それほど不機嫌ではない。流石のミヤビも、これが話の前置きであることはわかっている。要は「さっさと本題に移れよ」ということだった。若干の苛立ちを感じつつも、即座に席を立つほどではない。
そんな無言の抗議に答えるように、シャーロックはソーサーにカップを置いた。そして「さて」と表情を真面目なものに変えると、さっそくとばかりに話を切り出す。
「それでは本題に入ろう。これから言うのは、イ・ウーの教授としての“命令”だ。よってこの組織で私の下に就く人間として、君には従ってもらいたい」
シャーロックのその言葉に、ミヤビは戸惑うことなく頷いた。
「理解しました。それで、その命令とは? 先程の学校と何か関係が?」
「ああ、その通りだ。君には、日本のとある学校に“通って”もらいたい」
「……はぁ?」
一転して、ミヤビは戸惑いの表情を浮かべた。その言葉を聞いて数秒間、ミヤビは己の聴覚を疑ったほどである。
「……よりにもよって学生になれと?」
目を瞬かせるミヤビに、シャーロックは悠然と頷いた。
ミヤビにとっては想定外の発言だった。というよりも、あり得ないと言っても過言ではない。ミヤビは自分が集団行動を強要される学校に通うなど、それは決して耐えられることではないだろうと語るまでもなく理解している。というよりも、ミヤビは戦いに集中するために無法者となったのだ。社会に適応している暇があったら修行しろ、戦えと、そのために村を抜けたのだ。だというのにそれを遅らせることが明らかな学生生活を送るなど、本末転倒もいいところである。
「マジですか……」
先程の前置きから本当に薄々と学校関連の命令だと察してはいたミヤビだったが、その中でも特にあり得ないと判断していた可能性をピンポイントで突かれるとは流石に思っていなかった。というよりも、ミヤビの予想としては生徒か教師の暗殺、あるいは拉致の依頼の方が可能性が高いとすら考えていたというのに。
それがまさか、学生になれとは。
「命令ということは、それはイ・ウーとしての任務ということですよね? 任務の詳細説明を希望します」
「なに、そう難しく考えることはない。君は普通に学校に通い、私が良いと言うまでそこで一生徒として生活してくれればいい。それ以外には何も望まない。好きにしたまえ」
「はぐらかさないでください。あなたは、ボクに、何をさせるつもりなんですか? 英国人ならば5W1Hをハッキリさせてください」
ミヤビの疑問は尤もだった。ミヤビは、イ・ウーの戦闘員なのだ。その技術は戦場でこそ活きる。逆に言えば、戦でしか活躍できない武力一辺倒の人間なのだ。それを一般社会に放り込むだけして、後は何もするなとは。全く以って理解しがたい命令だった。何か裏があると考えるのは自然なことだろう。
しかしシャーロックは何も語ろうとしない。ただ、いつも通りの超然とした雰囲気でそこにいるだけだ。
「別に、何も。こればかりは本当だ。僕は昔から口が回るとは言われるが、嘘はそうそう言わない。君は安心して学生生活を送るといい」
「…………」
これ以上は無駄とミヤビは悟った。
きっとシャーロックの頭蓋に秘められた明晰な頭脳では、ミヤビという“駒”を有効活用するための道筋が出来あがっているのだろう。そしてその道筋を進むためには、ミヤビが詳細を知るべきではないと判断した。だから何も話さないのだ。それを知ることは、シャーロックにとって都合が悪いことなのだろう。
だが、大まかな予想はできる。シャーロックの命令通りにどこかの学校に通うとして、そこでミヤビがミヤビらしく、あるいは予知にあえて逆らう形でミヤビらしくなく行動することが
もしくは、ミヤビをボストーク号から遠ざけることが目的なのか……
「……それは、事実上の
常識的に考えれば、これは組織からの締め出しだ。一般企業にもある、窓際部署に追いやる手口と似ている。そう考えるのならば納得なのだが――というよりも、できればその方が助かる。それならば、後顧の憂いなくこの男の下を去れるのだ。後はフリーランスに戻るも良し、古巣の組織に戻るも良し。そういえば、中国に残してきた友人は今頃どうしているだろうか。重い病気が原因で前線から退くことも考えていると聞いたが、病状はどうなっているのだろうか。
「難しく考えることはない、と言っただろう? 一種の長期休暇とでも思って、数年間は外の空気を吸ってくるといい」
ミヤビの思考を遮るように、シャーロックはそう口にした。それに対し、ミヤビは不機嫌そうな表情を隠すこともなく口元をへの字に歪める。どうやら答えるつもりはないらしい。
いっそのこと本当にイ・ウーを退学してしまおうかと考えるが、シャーロックならばこの
(ここは従うしかないか)
そうして嫌々ながらも納得しかけたミヤビは、渋々頷こうと思考を切り替える。
その時だった。シャーロックが思いも寄らぬ話を始めたのは。
「ところでミヤビくん。君は“神武不殺”という言葉を知っているかね?」
「……はい?」
全く関係ない話題に、ミヤビは虚を突かれた。
◆ ◆ ◆
「というわけで、学校デビューすることになりました」
あからさまに不機嫌な様子で言い放たれたミヤビのその言葉に、その場がシンと静まり返る。
自室へと戻ってきたミヤビは、イ・ウー同期のメンバーを集めて報告会を行っていた。普段はそれぞれがバラバラに動いている彼女たちであったが、ミヤビがボストーク号から長く離れることは流石に報告せねばなるまい。
そう思っての招集だったのだが……
「ワンちゃん、いつかは来ると思ってたけど、とうとうイ・ウーを退学に……」
「教授に呼び出しを命令された時にもしやとは思ったが、やはりか」
「むしろ遅すぎたと私は思うわ。私が教授の立場なら、そもそもミヤビを組織になんて勧誘しないし。教授もとうとう人選ミスに気付いたということね」
散々な反応だった。
ミヤビは云わば出向や異動のような感覚で説明したというのに、彼女たちには退学と捉えられたらしい。しかも、どこか納得している節がある。ミヤビはそれが非常に不愉快だった。
そして今のミヤビは、諸事情によって非常に機嫌が悪い。だが見た目は子供でも頭脳は大人なミヤビは、失礼なことを口走った友人たちをそれぞれ拳骨一発で許せるくらいには大人だった。ちなみに、殴った際に頭蓋骨が妙な音を立てていたが、一発は一発である。
「それにしても、あなたがよく学校に通うことに納得したわね。結構ゴネたんじゃないの?」
濃紺のセーラー服を纏う黒髪の少女――夾竹桃は、煙管を片手に静かに疑問を口にした。ちなみに、残った手は殴られた部分を震えながら押さえている。
愛らしい容姿と甘ったるい美声で擬態してこそいるが、彼女たちが知るミヤビは修行と闘争を人生の生き甲斐にしている変態である。「実戦なくして修行なし、修行なくして実戦なし」と豪語するほど無類の戦闘狂であるミヤビが、生活の八割を拘束されると言われる学生生活にシャーロックの命令とはいえ応じる理由がわからなかった。
そんな夾竹桃の疑問に答えるように、ミヤビは「ちゅ~も~く」と何かを広げて見せた。そこに記載されていた文字に三人が注目する。
「神奈川武偵高付属中学? ……って、武偵!? ワンちゃん武偵になるの!?」
「ワンちゃん言うなし」
癖のある金髪をツーサイドアップにした少女――峰理子・リュパン4世は、驚愕に目を見開いた。だが、それも無理からぬことだろう。無法者の頂点であるシャーロックのチョイスが、まさかの武装探偵養成学校だったのだから。ミヤビが広げたパンフレットには、デカデカと学校の校舎の写真が掲載されている。
『武装探偵』とは、凶悪化の一途を辿る犯罪に対して警察では対処できないと判断した政府が認めた職業である。俗に『武偵』と呼ばれる彼らは犯罪者を逮捕する権限、及び武器の所持を認められており、報酬金によってあらゆる荒事を行う何でも屋なのだ。欧州や米国では比較的前から存在していた職業ではあったが、戦後になってからは犯罪が凶悪化の一途を辿る日本にも導入されたという。
そして武偵高とは、その武偵となるための人材を育成するための公共機関なのだ。
「よりにもよって武偵とはな。なんだ? 合法的に武装できることに魅力でも感じたのか?」
「それは少しあるけど、本来の目的とは違うよ。……ぼ、ボクはね、ここ、で……て、てて、“手加減の練習”をするっ、こここ、ことが、ことが決まりまっ、ました……」
屈辱に表情を歪めたミヤビは、憎しみだけで人が殺せるのではないかというほど殺気立っていた。表情は怒りのあまり逆に薄く笑みが浮かんでおり、呼吸が儘ならないほどに声が震えている。蟀谷には薄っすらと血管が浮き出ており、憤怒を必死に制していることが察せられる。
その様子に、一同の表情を不安の雲が陰らせた。このミヤビが不機嫌な場合、大抵は直接的にしろ間接的にしろ周囲に被害を撒き散らすのだ。そして恐らく、この被害を受けるのは神奈川武偵高付属中の人間だろう。顔も見たことがないジャンヌたちだったが、密かに内心で合掌した。ジャンヌたちにできるのは、精々が廃校にならないよう祈ることのみである。
そんなジャンヌたちの祈りを余所に、ミヤビは怒りのあまり頭痛がし始めたのか、頭を押さえて深呼吸をしている。
「……ジャンヌは、“神武不殺”という言葉を知ってる?」
「シンブフサツ……? いや、知らんな。何だそれは」
「はいはーい! 理子りん知ってます! マンガとかでよくあるアレだよね! 『殺さないことが本当の強さだ!』的なアレですよね!」
「……ああ。そんなの聞いたことがあるわね」
勢いよく手を上げた理子が目を輝かせる。
“神武不殺”の概念は、正確なところでは意味が違う。本来の意味は、『無闇に敵に攻撃を仕掛けず、その武の圧倒的な力によって戦いそのものを起こさせない』という、どこかの学園都市の第一位の目指した境地のことだ。元は易経に記されている君主の理想像を指す言葉なのだが、日本では誤った意味で解釈されていることが多い。
この場合の理子が言っているのは、恐らく『活人の道こそが最強の武術』的な意味のことだろう。しかし、ミヤビは理子たちが誤用で意味を覚えていることを前提に話すつもりだったので、これは都合が良いと言えるだろう。この手の書籍に詳しいココが聞けば顔を真っ赤にして怒るだろうが、そこは勘弁してほしい。
ちなみに本来の意味で用いるのならば、神武不殺はミヤビと最も対極に位置する言葉であり、同時にミヤビが最も嫌う言葉である。わざわざ強くなったというのに、それで戦わなくなってしまっては本末転倒だからだ。
「武偵は“不殺”が原則――つまり容易に殺しができない環境。逆に言えば、武偵となることでボクは強制的に殺人剣を封じられることとなる」
武偵法9条――武偵は如何なる状況に於いても、その武偵活動中に人を殺害してはならない。
この法律によって、武偵は殺人を制限されている。国によっては条件付きでそれを解禁されてこそいるが、基本的には不殺を強要されていると言っていい。特に日本はその傾向が強く、条文にあるようにどんな状況であろうとも殺人は許可されない。それはつまり、敵の犯罪者の無力化のために武偵は命をかけなければならないということだ。そしてそれを実行するには、犯罪者たちとは隔絶した戦闘能力を必要されることに他ならない。
不殺――ミヤビとは明らかに縁遠い言葉だ。無論、ミヤビとて気分によっては敵を殺さないこともある。だが、戦った相手の大半は躊躇なく殺してきたことも事実。そんなミヤビにとって、不殺という究極の手加減は非常に面倒で難解なものだった。というか、敵は殺すものであって、わざわざ積極的に手加減する意味がわからない。
では、なぜミヤビが不殺などというものに手を伸ばすこととなったのか。それは――
「お前、戦いしか取り柄ねぇのに不殺もできねぇのな。未熟者m9(^Д^)プギャーwww」
というようなことをシャーロックに言われたためである。当然ながらこれにはミヤビの被害妄想が多分に入り混じっているが、大筋では間違っていない。
これにプライドを刺激されたミヤビは、「不殺くらいいくらでもやってやるしッ!」と脊髄反射の領域で返答してしまったのだ。我に返った時にはもう遅い。世界最強の頭脳には、先程のミヤビの宣言が記憶されてしまっていた。
無論、これはシャーロックしか知らない。動画が残っているわけでもなければ、レコーダーに録音されたわけでもない。だが、もしもミヤビがこの“不殺の誓い”を破ってしまえば、その時はミヤビのプライドはズタズタだ。一生シャーロックに後ろ指を指されても文句が言えなくなる。それだけは断じて許せなかった。
「狸爺がッ! ああやるよ、やってやりますよ! 殺さなきゃいいんでしょうがッ! わざわざ特別に戸籍まで用意して編入を認めてくれてありがとうございますよぉー!」
『お、おう……』
ほいほいと武偵高行きに乗せられてしまっているミヤビ。同期として、これは大丈夫なのだろうかと一同は素直に心配になった。どう考えてもシャーロックの口車に乗せられているようにしか思えなかったが、まぁミヤビ自身がやる気でいるのならばあえて口出しはするまい。
それに例えシャーロックの策略にまんまと嵌って危機に陥ったとしても、ミヤビならば自力で逃げることができるだろう。いざとなったら、お得意の剣術でバリバリ人を斬って強行突破すれば良い。
というよりも、ミヤビのことは心配するだけ無駄だ。むしろそのまま厄介事を引き連れて戻ってくることを警戒しなければ。この疫病神は厄介事を引き連れるだけ引き連れて、他人にそれらを擦り付けて逃走するというMPKのような卑劣な手段を平気で取ってくる。用心しなければなるまい。
「……それにしても、
「さぁ? あのミラクル頭脳の腐れ名探偵が言うんだから、何か適当に理由でもあるんじゃないんスか? 武偵高には強力な血族の子孫も多く来るって言うし、そういう人たちの勧誘の拠点にでもするつもりなのかもしれねッスよ」
すっかりやさぐれたミヤビは、備え付けのソファでふて寝していた。もはや答えも適当になり、すっかりキャラがぶれている。
だが、ミヤビのその程度の奇行を気にするような人間は三人の中にはいなかった。
「なるほど……一理あるわね」
「青田買い、もとい青田浚いッスか。若い内に将来有望な子を浚って、自分好みに育てる……ハッ!? これ、なんて光源氏計画?」
「……まぁ、場所云々はどうでもいい。荒事が多そうだが、お前ならばうまく適応できるだろう。学力は、まぁ何とかしろ。だが問題なのは、お前の服装だ」
ジャンヌのその言葉に、理子と夾竹桃はハッとした。
そう、二人は肝心なことを忘れていたのだ
今のミヤビの服装は、普段から着用している女性用の服装である。しかし――
「ミヤビ、お前はどっちの制服で行く気なんだ?」
ミヤビは男なのだ。
もしもミヤビがこのまま男としていくのならば何も問題ない。いや、行った先の学校で色々と問題になるかもしれないが、
だが、もしも女として編入することになれば……
「……その発想は……なかった」
流石のミヤビもこれには瞠目している。
神武不殺という目先の出来事に囚われ過ぎて、肝心なことを忘れていたのだろう。もはやふて寝すらできなくなったミヤビは、オロオロと助けを求めるように同期の三人を見回した。さながらそれは弱り切った仔犬のように慈愛を誘う目だったが、理子は気まずげに目を逸らし、ジャンヌは我関せずと視線を合わせず、夾竹桃はそもそも興味がなさそうだった。
友軍壊滅、我孤立セリ。
「ど、どどどどどどどど――」
「童貞ちゃうわっ!」
「ごめん理子、マジでうるさい! というか、本当にどうしよう!? えっ、本当にどうすればいいの!? 戸籍では普通に男性だったのに、ボクはパンフにあった派手なセーラー服で学校に堂々と通わなくちゃいけないの!? そんなのただの変態じゃん! でもブレザーとか絶対に似合わない! というか、そもそもウチの一族の伝統が――でも流石にセーラー服は――でも――いや――しかし――」
「私は似合うと思うわよ? セーラー服」
「それは知ってんだよ! 問題なのはブレザーとズボンが似合わないことなの!」
「ミヤビ、お前何気に凄いことを言っているぞ」
セーラー服が似合ってしまう男子中学生には、先程までの冷静さはもはやない。
完全にパニックに陥ったミヤビは、その場をグルグルと歩き回りながら「どうしようどうしよう」と呟き続けている。
「あら?」
ミヤビのエンドレスな徘徊を遮ったのは、意外にも夾竹桃だった。
ミヤビたち三人の視線が夾竹桃に向かうと、彼女は床に落ちている一枚の折り畳まれた紙を拾い上げる。
「何それ?」
「パンフに挟まっていたわ」
夾竹桃の差し出したそれを受け取ったミヤビは、脳内の危機センサーが警鐘を鳴らし始めたのを感じた。
このセンサーを感じた時は、大抵の場合碌でもない状況に追い込まれているのだ。狙撃手に背中を狙われていたり、部屋にブービートラップが仕掛けられていたり、身近なところだと靴に画鋲が仕込まれていたりする。となれば心の準備もなしに突撃すると、最悪ショック死するかもしれない。それほどの覚悟をミヤビは今決めているところなのだ。
「ワンちゃん、何書いてあるの~?」
「ちょっと待って、心の準備をさせて」
理子の催促に、しかしミヤビは手が震えて上手く紙を開けない。
それでも無理やり震えを抑えつけたミヤビは、深呼吸した後に思い切って紙を開く。
「…………あびゃぁ~」
数秒後、文章を読み終えたミヤビは白目を剥いて失神した。