もしも彼女にもハーレム因子があったなら   作:温玉屋

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ここまでのあらすじ

1.なんやかやで学園に潜入してウェルキンと取引をすることになったマドカ一行。しかし楯無に見つかって戦闘に。学園最強の前に圧倒される。
2.マドカはウェルキンのIS《フィアレス》を暴走させて楯無を撃退。楯無は自身は大破しながら、暴れる《フィアレス》をウェルキンの力でなんとか待機状態に戻して事なきをえる。
3.騒ぎの隙になんとか逃げ出したマドカたちだったが、部隊のメンバー一人がなんと織斑千冬に捕まってしまう。助かる見込みなしと見捨てそうになるところ、マドカは一人彼の救出に向かい、千冬のフィッティングデータを使ったISを使用することで脱出するのでした。


学園サイドのエピローグです。亡国機業サイドの話は夜に投稿いたします。
 →※1/27夜半追記 推敲が間に合いませんでした……。エピローグ後半は1/28夜中に投稿します………。



エピローグ1 光なきうちは闇の中を進め

 十月五日、月曜日。人知れぬ騒動から一夜明けた、週始めの学園は、いつもの喧騒の中にあった。

 

 たとえどんなトラブルがあったにせよ、大半はそれを知る由もない生徒たちには関係のないことだ。そして、年頃の女子が百人あまり同じ学舎に集うからには(かしま)しいのは常態であった。

 

 そして、その賑やかな騒ぎの中心にあるのはいつものように一年一組、織斑一夏のいるクラスだった。今も、金色の髪のボーイッシュな少女、銀髪と右目の眼帯が目立つ幼げな少女、そして長い黒髪を後ろで一つにした少女が、彼を囲んでいる。彼は今日も、四組の日本代表候補生のところに行くようで、それを咎められているようだった。

 

 彼は話題の中心。いつもと変わらない、今年四月からの学園の風景である。

 

 一方、一組の二つ隣の教室――比較的静かな一年三組では、少女がひとり自分のデスクに突っ伏していた。ベリーショートのブルネットの小柄な背中は、放課後だというのに机に張り付いて、動く気もないという意思を全身で表現していた。

 

「ティーナっ」

 

 彼女の背中に、ちいさな手がぱしんと置かれる。さして強くない手つきだが、叩かれた方は電流でも受けたように反応した。

 

「うわああ! いったーい! そこは昨日の夜打ったとこなのー!」

 

 ハミルトンは痛みに仰け反り大声で反応した。その後はしおれるように机にへたり込み、首だけ巡らして恨めしげに友人に目をやる。視線の先にいるのは髪の毛を両サイドでツーテールにした、彼女のルームメイトだった。

 

「ひどいよお、りぃいいん」

「大袈裟ね。昨晩ベッドから落ちただけなんでしょ。てゆーか、ホントに痛いなら診てもらいなさいよ。……ほら、ここ?」

 

 ルームメイトが呆れたように言う。口は辛辣に、手では気遣わしげにハミルトンの背中をいたわっている。ハミルトンは大仰に聞こえるほどうなり、それを受けていた。

 

 深夜、亡国機業の兵と別れてほうほうの体で戻ったハミルトンだが、ことはそれで終わりといかなかった。乱暴な降着の際に打った背中と捻った肩は痛み、湿布を貼って一晩横になって泣く羽目になったのだ。

 

 そして今朝になってもまだ痛みは去っていない。深い眠りから覚めたルームメイトに対しては、痛みはベッドから転落したものだとすり替え、ごまかしていた。

 

 さすられて少し楽になったハミルトンが深く息をつきながら口を開く

 

「ああ~、鈴、いつもすまないねぇ……」

「もう、それは言わない約束でしょう……って違う! アンタ、どこでそんな言葉覚えてくるのよ」

 

 気怠げな声でされたフリに思わず応じてから、ルームメイトは言う。ただ、ハミルトンが訴えている気分の悪さは、本物のだった。背の痛みのほか、さらに寝不足気味で顔色がやや悪い。今日の授業も一日無理をして出ていたのだ。

 

 正直に言えば、学業にそこまでの愛着を持っているわけではなかった。ただ、学園では健康優良で通っている彼女がこんな時期に怪我で休んだとなれば、無用に耳目を引くだろう。そこで気力と演技で全ての苦痛を封印し、やっと放課後を迎えたのだ。ルームメイトさえ、ハミルトンはベッドから落ちた打ち身が痛いだけなのだと思ってくれている。本当は、一歩動く度に筋肉が反乱を起こしていた。

 

「テレビの深夜アニメ(カートゥーン)でやってたのー……。背中さすられたらこー言わなきゃなんでしょー?」

「リアルの日本にいて、よくそんな間違った日本観だけ見つけてくるわね……てゆーか、そーいうの見るような時間まで起きてるから、体調もおかしくなるのよ」

「うるさーい……」

 

 一通り自分の振りに付き合わせた後、またハミルトンは情けなく机に倒れ伏し、続ける。

 

「てーか、わざわざ二組から来て、私になんか用があったんじゃないの? いつもこの時間はあっちの“戦場”にいるじゃん」

 

 ハミルトンが逆に水を向ける。首だけ動かし顎をしゃくって、電子黒板の向こう――一組を示した。話題の中心、織斑一夏。常の彼女なら、ハミルトンや他の友人への挨拶もそこそこに彼のもとへ飛んでいき、心理的にも物理的にも他の娘と彼の取り合いをしているところだ。

 

「うん、まーね。その前にちょっと聞きたいことがあってさ」

 

 彼女の言に、ハミルトンは何か、とやや不機嫌な顔で応じた。いつものハミルトンは彼女を応援している。彼女は友人だし、恋はハイスクールの花だ。見ているぶんにも背中を押す分にも楽しい――ただそれも体調と気分が万全ならの話だ。今日だけは、正直なところ勘弁してもらいたい、というのが本音だった。

 

「悪い。すぐ済むからさ。ウェルキン先輩のことなんだけど――なんか今日怪我で全日休んでるらしいんのよ。あんた昨日の昼、会ってたって言ったじゃん。何か知ってる?」

 

 ハミルトンの眠たげな目が開く。顔からは痛みて曇っていた気配が、すっと消えていくようだった。

 

「怪我で、それで欠席……か」

 

 訝しげな顔になる。ルームメイトは頷いて続けた。

 

「そうそう。昨晩の話じゃ元気そうだったから。何か知ってるかなって」

 

 机に頬を当てたまま、忙しく頭を動かし始めた。ウェルキンが休んだという意味、昨夜の事件での彼女の様子が脳裏を巡る。ハミルトンは身を起こし、彼女に向き直った。

 

「しかし、どーしてまたそんなこと気にすんの。あの人のこと、苦手なんじゃなかったっけ?」

「用があるのは私じゃない、セシリアよ。今日から復帰だから、怪我の間世話してくれたあの人に報告があるのと、なんか昼に()使()()から連絡を受けてて、渡すものがあるらしいんだけど……教室行ってもいなかったらしくてさ」

「あー、なるほど」

 

 高速機動競技会――正確にはその後の戦闘――で負傷したセシリアも、今日から元通りということらしい。近頃の再生医療の進歩には目を見張るばかりだ。

 再生医療、万能細胞、クローン技術、とハミルトンの頭の中が、不毛な連想ゲームを始める。その先に篠ノ之箒とそっくりな少年や千冬とよく似た少女が思い浮かんだところで、彼女は脈絡も根拠もない想像を打ち切った。

 

「知らない。まあでもそんくらいの怪我ならよくあるじゃん? 昨日元気だったのに一晩寝て起きたら、隣のやつが死体になってました、みたいなの」

「ないわ、それこそアニメか! ……っていいたいけど。今のアンタがいうと妙な説得力かあるわね」

「でしょでしょー」

「褒めてないわよ」

「はは。そうねえー……」

 

 ハミルトンは顎に手を当て、しばらく思案する。

 

「行きそうなとこっていったら、医務室じゃないかな。知らないけどさ」

「……その意見は普通なのね」

「うーん? まあねー」

 

 ハミルトンは緊張感のない笑いを浮かべ、友人に言った。怪我だから医務室、という程度の意味に取られたらしい。そういう観点なら確かに平凡と言える。

 

 ルームメイトの方もそれ以上追及する気はないようだった。友人の尋ね人に気を利かせた、それだけらしい。彼女は「悪かったわね」と片手を振って、廊下へ行った。そして出たところでちょうど、通りがかりの一組の金髪巻き毛の少女と出会い、今ハミルトンから聞いたばかりの情報を伝えている。彼女たちが一組の方へ遠ざかるのを、ハミルトンは視界の端に見ていた。

 

 姿が消え、声がアリーナの方に行くまで、ずっと追っていた。

 

「さて……ウェルキン先輩がね。となると、私ももう一仕事しなきゃだな」

 

 身を起こし眼を擦って、ゆっくり立ち上がる。タブレットとバッグを持って、アリーナとは反対の方角に歩みを向けた。

 

「怪我で休み、ねぇ」

 

 思案げにつぶやいて首を捻っては、痛む箇所に響いて小さく悲鳴を上げる。鋭い痛苦が去った後、にじんだ涙を指で拭った。そして、また部長(ダディ)に連絡しなくちゃ、とひとりごち、人気のない方へ歩みを寄せていく。

 

「……げっ」

 

 その道半ばで彼女は身を強ばらせ、言った。廊下の人影を見つけたのだ。誰の物かはすぐにわかった。昨晩とは違ってスーツ姿だがシルエットはほぼ同じ。

 

「織斑先生じゃん。マジかー……ってあれ?」

 

 昨日の今日のことである。彼女を視界に入れて一瞬身を固くしたハミルトンだったが、次の瞬間彼女の頬を見て怪訝な顔になる。大きめの絆創膏が目立つ位置で貼られていた。

 

「こんにちはです、織斑センセ」

「……ハミルトンか。挨拶はきちんとしろ」

 

 気安さを装って声をかけると、織斑千冬はきっぱりと答えた。厳格な口調は単にだらけた態度への叱責であって、それ以上のものはない。どうやら、昨夜の屋上にいたことはばれていないらしい。ハミルトンは安堵しながら頬を指し、彼女に語りかけた。

 

「はーい。つーか、どーしたんですか、その怪我。ほっぺのばんそーこ」

「これか? ああ。かすり傷だ」

「いや、そうでなく」

 

 貴女がかすり傷を負うって、どういうことかわかってますか――とか、色々と突っ込みたいところはあったが、ハミルトンはぐっとこらえて最優先の質問をした。

 

「どしてまた、そんなところに怪我を?」

 

 普通の生活ならばそんなところに傷を負う者はいない。IS学園での生活は平凡とは言いがたいかも知れないが、少なくとも顔に傷を受けて目立たないほど荒れたものではないはずだ。部活をやっていたとしても、顔にバンデージをせねばならない怪我は相当珍しい。

 

 千冬が答えるまで、一瞬間があった。しばらく頬に手を当て、彼女は思案してから口を開いた。

 

「これは……まあ。古傷のようなものだ」

「は、はあ。なるほど。そんなもんですか」

「ああ。そうだ」

 

 有無を言わせぬ口調だった。聞くな、と言われたような気がして、ハミルトンはうなずくしかない。もちろんハミルトンの知る限り古傷など彼女にあった試しはなく、さらに言えば昨夜最後に見たときさえ、彼女は怪我一つなかった。もしあったら織斑一夏がもっと騒いでいる。

 

「お大事にしてくださいね」

「ああ」

 

 ハミルトンは心中のいろいろな言葉をのど元でこらえて、千冬を見送った。彼女の背中が廊下の角に消えてから、古傷ねえとつぶやいた後、思い出したように言う。

 

「昨夜あれからどうなったか、ってところね。そういや、会長がどうしたかもまだ知らないな……」

 

 事件後の対応――戦闘区域の封鎖などが朝には既になされていたから、彼女がすでに仕事をしているらしいことは見てとれる。今朝確認すると、第三グラウンドのうち一部が覆われ、全体は進入禁止とされていた。名目は水道管の破裂だ。生徒会長権限でできることではないから、学園の責任者に報告をあげたのだろう。

 

「あんだけのことがあったのに、すごいねえ……いやいや、感心ばっかしてる場合じゃないけど」

 

 何人かいる学園内の同僚たちは彼女やウェルキンの動向まで掴んでくれているだろうか。ハミルトンは思案する。

 

「たぶん、会ってるんでしょうけど。また調べなきゃだわ」

 

 ハミルトンの仕事に終わりはない。友人の知らないところで、ずっと続くのだ。おそらくいつまでもずっと。

 

「……部長への連絡ついでに、保険付きの診療とお小遣いでもおねだりしちゃおっかな。そんぐらいはないとね」

 

 彼女は小さくため息をつきながら、校舎の裏手側への消えていった。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 IS学園の一画、特に風通しの良い場所に、IS学園の医務室はあった。学舎の中では外れの辺りに位置するこの部屋は、学園島全体でも意外といえる空白地帯だった。学園のカリキュラム上、生傷を抱えた生徒にはことかかないものの、入院がいるような怪我人がいないときのこのエリアは常にがらんとしている。

 

 その閑散とした病室のベッド、いくつかある中の一つに、サラ・ウェルキンはいた。

 

 制服の下に着ているのは身体を締め付けない緩いシャツで、左肩のあたりが三角巾で固定されていた。胸には《フィアレス》の待機形態である、細工の精緻な暗い蒼のネックレスが下がっている。

 彼女は膝の上に、通信機と繋がったラップトップを置いていた。病室で電子機器を使うのは褒められた話ではない――というか、校則でも定められた禁止事項である。もっとも、(S)(I)(S)エージェントの彼女が、校内規則を常に遵守しているはずもない、と言えばそれまでだ。

 

 画面には簡潔に箇条書きで記された作戦の結果と付記がある。(いわ)く、取引は成立し媒体は受け取った。作戦の過程で婦人(レイディ)の妨害はあったが、撃退している。HMW-17(フィアレス)は“彼ら”に剥離剤と工作を受け、暴走と二次移行。当該機は現在は回収済み。

 

 要点と事実しかない、その場で記述した短いテキストだ。それを事前に合わせた指定周波数、指定時間に一度きりのバースト通信で送る。諜報では使い古した手だが、未だに効果のある、替えの効かない方法だった。

 

 傾く日がカーテンの隙間から、彼女の相貌に差しかかる。遠くの海からの照り返しがひらめいてまぶしい。サラ・ウェルキンはその光に顔をしかめながら、端末を前に待っていた。数分が経過し返信があった。こちらも短い文章だ。

 

 ――()()()予定通り終了したことを確認した。追って連絡する。

 

 云々(うんぬん)

 

 必要な言葉までそぎ落とした言い回しだった。しかも語の選び方にどこか妙なところがある。そんなメッセージでもウェルキンには理解できたらしく、彼女は文面に目を通すなりうなずいた。

 

「……なるほど。“全て”が、か」

 

 呆れたような口調で端末を閉じ、かたわらのサイドチェストにかかった上着に袖を通す。固定された肩を通せないため、左だけが羽織る形になった。

 

 ウェルキンが今回の指令を受けたのは高速機動競技会より前、学園祭が終わってすぐの時期だった。街で使っている連絡用のコインロッカーに、今回の作戦命令があった。

 彼女が受けたのは、命令に能って本当に最小限の指示だけだった。《フィアレス》を持って彼らと接触し、あの情報媒体を受け取れということ。それ以上は情報適格(ニード・トゥ・ノウ)の向こう側だ。亡霊たちの素性についても、今まで知らなかったし、これから知ることもないだろう。

 

 亡霊、すなわち亡国機業はいかなる国家、宗教、思想、民族にもよらない組織――つまり、“いかなる国家、企業、団体からも独立した存在”であり、行動理念も目的も不明と“されている”。事実、ある国の非合法取引を仲介したと思えばその翌年はその国の仮想的と交渉する。まるで悪事をなすためだけの集団とさえ写る連中。

 

「亡国機業、ね」

 

 右の手で髪をかき上げながら、ウェルキンは送られてきたメッセージの内容を反芻する。テキスト自体は、確認とほぼ同時に消しているが、文面は残響のように彼女の脳裏に残っていた。急な任務の目的、任務中に聞いた発言、そもそもの始めに彼女が専用機《フィアレス》を下賜されたこと。それらの意味をウェルキンは洞察せざるを得なかった。

 ウェルキンは深々と息を吐いて立ち上がる。どこからか聞き覚えのある声が飛んできたのは、そのときだった。

 

「亡国機業。目的不明の秘密結社。思想や信条、経済的利益は目的とせず、その活動が誰の利益にもなっていない。活動に一貫性がまるでないし、彼ら自身さえそれで利益を受けていない」

 

 涼やかな声が静かでひやりとした空気を割って響く。ウェルキンは、そのときになって部屋の入り口に、戸を背にして立っている人物の姿を見つけた。

 

「しかして、その実態は? 何と、国家が行えない悪事のアウトソーサー。彼らは、本当に悪いことを行うため――国ができぬ悪事を変わって行うための組織だったのです。目的がないのは当たり前。目的ができたときのための組織なのですから」

 

 整った顔だちに切れ長の瞳、空色の髪と同性でもうらやむような起伏に富んだ肢体。講談口調でふざけて語る声は、(すず)を転がすような柔らかさだった。そんな人物は、学園では他にいない。

 

「はぁい、サラ。怪我はどう、大事ない?」

 

 更識楯無が手をひらひらと振っている。小脇に何かの書類封筒を挟み、彼女はいつもの食えない笑みを浮かべて、いつの間にかそこにいた。

 

「亜脱臼していたそうです。朝一番にトレーニングして、ということにしました。校医さんには叱られましたけれど。

 それにしても、楯無……何です、今のは」

「サラが意味ありげに亡国機業、なんて言うのが聞こえたからね。ちょっと今回の事件で得た推論を謡っただけ。当たらずとも、じゃない?」

 

 ウェルキンは彼女を認めて何か言おうとする。しかし言うべきことが見つからず、やがて複雑な表情を浮かべ、首を振った。もういい加減、こんな展開にも慣れている。

 

「盗み聞きとはいい趣味です」

「お褒めに(あずか)り――って言いたいとこだけど、残念ながら端末を閉じたとこからしか見てないの。通信してたみたいだけど、内容も傍受できてないし。

 今日欠席してるって聞いたから、これでも学園中探し回ったんだから」

 

 皮肉っぽい口調でいうウェルキンに、楯無は肩をすくめて歩み寄る。探した、というのは嘘ではなさそうだと、とウェルキンは思った。邪魔だてするならもっと良いタイミングがあったし、今日一日泳がせておく理由も少ない。

 

 楯無はウェルキンの寝台の側まで来て、腰かける。寝台は沈んで、軋みもあげずに彼女の体重を受け止めた。IS学園の設備らしく、こんなところにも金がかかっているのだ。

 

「おおー、ふかふかしてるけど適度に固い。さすがIS学園」

「どこに感心してますの。それに、一年半もこの学校にいて、今さら驚くことですか」

 

 封筒を枕元に置き、感心してはしゃぐ楯無に、ウェルキンは無事な方の腰に手を当てて呆れた。

 

「実は医務室って、今まで来る機会がなかったのよ。ほら私、学園で一番強いから怪我しなかったじゃない。今まで」

「……なるほど」

 

 納得したようにうなずく。子供がするようにベッドを弾ませる楯無に、彼女もそれなりに負傷していたはずだが、とウェルキンが訊ねる。

 

「私は怪我なんて平気よー。今日も、ちゃんと授業出てたんだから」

 

 偉いでしょう、と言わんばかりに楯無は得意げに鼻を鳴らす。確かに口調は苦しさを感じさせない。が、身体の姿勢がやや不自然に見える気がした。ウェルキンは無言で彼女に近づき、背中を軽く叩く。反応は劇的だった。一瞬固まり、楯無は言葉にならない悲鳴を上げた。

 

「貴女が私より軽傷のはずがないでしょう。(あばら)ですか?」

 

 楯無はうつむいて震えている。ふるふる、と首を振る頭部を見下ろしていると、返事があった。

 

「……会長にはねー、意地と体面とスケジュールってものがあるのよー……ていうか、痛いところまでわかってるなら、優しくしてくれてもよくない?」

 

 ことさらに哀れっぽい声で楯無は答える。目には、涙まで溜まっていた。どうやら本当に痛かったらしい。

 

「空気を読め、と。あいにく私は日本人ではないのです」

 

 からかいと牽制。この一年半でお馴染みになったやりとりだ。少しひどくしすぎたかなとは思いつつ、

 

「先ほどの話でしたら、残念ながら、この身は貴女に肯定も否定も与えません――推理小説なら、文芸部にお持ちになってください」

 

 ウェルキンは頭を振る。これ以上彼女に腹を探られて平然といられるほど、余裕はなかった。別に予定はないが、この場を去るに強くはない。ウェルキンは楯無に背を向けた。

 

「待って。お願い」

 

 その背中に向けて、楯無が声をかける。ウェルキンは足を止め、肩越しに振り返る。いつの間にか身体を起こした楯無が、彼女の方を見ていた。二人の視線が重なる。楯無の瞳は、こちらの思考を洞察してのけるような深い色をしていた。

 

「少し。少しだけ、時間をくれない。今回のことで、話したいことがある。貴女を追及するつもりもないの」

 

 彼女にしては珍しく、人をからかうような笑みを浮かべていなかった。本当は何もかも見透かされているのではとさえ思えてくる。そういえば昨夜のことも含め、この娘にマークされて出し抜けた試しなどなかった。そのことを、ウェルキンは今更ながらに思い出していた。

 

「明日するわけにはいかない、そんな話ですか?」

「ええ。むしろ今日だけ、って内容ね。互いに二度と、これから話すことを他言しない。二人きりで腹を割ってする、そんな会話」

 

 楯無には、いつもと違う雰囲気があった。言っていることの意味はさすがにウェルキンでも察せられる。すがるようにさえ見える彼女の表情――それに少し押され、ウェルキンはうなずいていた。

 

「……いいでしょう」

「ええ、ありがとう」

 

 彼女は相好を崩す。やはりこの娘は猫のようだな、とウェルキンは頭の片隅で思った。ベッドの隣に椅子を引く楯無を断り、ウェルキンは壁に背中をつけた。

 

「それで? 亡霊たちが国家の合間を暗躍するアウトソーサーだなんて――どこからそんな想像が出てきたのです。そして、それが正しかったとして、我が国はその彼らを使って何をした、というのです。我が国は彼らにISを奪われているのですよ」

「ええ。確かに損失ね。もし“本当に”ISを本当に奪われたとしたら」

 

 楯無は言った。ベッドの上でしどけなく脚を崩し、ウェルキンを見上げてくる。

 

「どういう意味です」

「弾道弾の迎撃さえ可能な兵器を奪われた。それも、《アラクネ》、《ゼフィルス》、《福音》、当時の次世代試作機が相次いで、ね。当事者のアメリカとイギリス二カ国にしてみれば大損に見える。

 ところが、奪う側――亡国機業の側から論理からすると、ちょっと変なのよ。アメリカとイギリスって世界で最も優れた情報部を持つ二カ国なのよ。およそISを奪われるということに関しては、最も似つかわしくない国が二つを相次いで狙うなんて、非合理的だとは思わない? スポーツじゃあるまいし、なぜ一番強そうな連中に挑もうなんて思ったのかしらね」

 

 楯無は指を二本立てながらが言う。普通に考えれば、その命題を解く鍵は見つからない。ただ、彼女が口にしているのは問いの形をした思索だ。彼女はそれをもう、掴んでいる。

 

「だから、逆に考えた。もし、全てのことが当事者にとって――奪われた側にとっても合理的なメリットがあるようにことが進んでいるとしたら、どうかってね。

 易々と奪われたのは、自分の手元から一時的にせよ手放したかったから。手放すのに奪うという形を取らせたのは、“自国の意志から完全に離れた”ということを明確にしたかったから。今の時点をもってもろくな追跡をしていないのは、したくないからじゃないのか、って。

 ――私に、『亡霊さんたちが実は、“被害者”に頼まれて悪事を引き受けているんじゃないか』って疑う想像力が出てきたのは、このあたりよ」

 

 彼女は脚を組み替え、ベッドから立ち上がった。徐々に熱が入りつつあるのか、部屋の中をゆっくりと、身振りを交えて歩き始める。

 

「自国の管理外に出てしまったISならば――『悪用されました』という名目で条約に違反するような行為や実験だってできる。たとえば実戦に投入して、本気の戦闘に放り込んだデータ収拾をしてみる、とかね。

 それだけじゃない。剥離剤に対IS戦闘、ひょっとしたら《福音》の二次移行の研究もそれに入るのかしら。スコール・ミューゼルのやっていることは、条約で縛られた各国がやりたくてもできない情報収集だらけ。そのフィードバックを受けられるとしたら、ISを十機以上もつような大国にとっては、奪われた機を補って余りある。

 この例に沿って推測するなら、今回の侵入で渡した媒体。あれの中身だけど――英国が依頼した、ということから考えれば、このまえの高速機動競技会における《ゼフィルス》と《ティアーズ》の実戦データ、といったところかしらね」

 

 楯無はそこで言葉を切った。強い眼の光が彼女を射ている。ウェルキンは、彼女の目から視線を外せなかった。

 

「……面白い推理です」

 

 ウェルキンは深く息をつき、何とか口を開く。小さく手を叩いた。左肩を固定しているのでいい音は出なかったが、賞賛は心からのものだ。多くの者が「不明」という結論の向こうに置き去った亡霊たちについて、彼女は自力でその答えまでたどり着いた。

 

「たとえ考えが的を射ていたとしても、私からお墨付きはあげられませんが……。昨夜のことは結局、実戦データのやり取りだったと、そう(おっしゃ)りたいのですね?」

 

 事実、ウェルキンの受け取った媒体にはそのデータが入っていたのだ。楯無の想像はほぼ事態を正しく言い当てている――。

 

「いいえ」

 

 その楯無が、一言でウェルキンの思考を遮った。彼女はゆっくり首を横に振って、ウェルキンの近くに立つ。

 

「私は、昨夜やり取りした媒体の中身について言っただけよ。おそらくそれは取引の主な目的じゃない」

 

 楯無の声が低くなる。彼女の考えを聞き返そうとしかけたところで、楯無ウェルキンの胸元に手を伸ばした。ウェルキンは彼女の細い指が指す先を追った。そこには、暗い青色の金属をあしらったネックレスがある

 

「今回、亡国から結果的に手に入れたものが、もう一つあるでしょ」

 

 褐色の瞳でウェルキンを見つめるそれは、待機形態の《フィアレス》があった。中空でぴたりと止まった手は、《フィアレス》を示していた。

 

剥離剤(リムーバー)を使われたIS。それに備わる剥離剤耐性、および遠隔コール。さらに加えて、二次移行」

 

 楯無はウェルキンの前に立ち、彼女の周りの空間を侵すように乗り出してくる。ネックレスに伸びていた手は、ウェルキンの肩のすぐ脇、背を預ける壁についた。

 

「剥離剤は今のところアラスカ条約でも禁止の兵器になる。使用も研究もおおっぴらにはできず、その効果を受けているのは今まで《白式》だけだった。そして二次移行したISに至っては、《白式》と《福音》だけ。

 そしてあの夜を経て、貴女のISはその両方を手に入れた。現行稼働機では《白式》しか持たない二つの性質を、ね。

 ……そもそも、ただの媒体のやりとりなら、候補生に名を連ねる貴女を投入する意味はないし、取引場所をIS学園とする必要もない。貴女が投入されたのは、ISを使用せざるを得なかったから、IS学園が場所に選ばれたのは、ISの展開や戦闘が発生してもその秘匿が比較的容易だから」

 

 ウェルキンの表情をのぞき込むように楯無が顔を合わせてくる。楯無の目は真剣だった。

 

「英国の今回の本当の狙いは、おそらく、剥離剤を受けたIS、強制二次移行をしたISを入手することだった。英国が貴女にその“本当の目的”の方を教えずに今回のことをやらせたのだとしたら――英国は貴女を、危険な挑戦への道具に……ストレートにいうなら、実験台にした、ということになる」

 

 彼女の切れ長の瞳を見ながら、ウェルキンは思っていた。

 

 ――ごまかそうか、と思っていたのだが、それは適わなかったらしい。

 

 本当は気づいていた。本国の狙いは、二つのこと――この時期に《フィアレス》が彼女に下賜された意味、そしてあのアジア人の少年が言った「そこ(剥離剤使用後にの遠隔コール性が備わること)まで伝えることで、やっと俺らの今夜の取引は完了する」という言葉に込められている。付け加えるなら、報告の返信は、『“全て”が予定通り』だった。ウェルキンからすれば予期しない剥離剤と《福音》の再現があったにもかかわらず、だ。全ては最初から予定されていたのだ。

 

「貴女の本国の意向はこの際どうでもいいの。ただ少しだけ聞かせて。貴女は母国で安全な立場にいるのかどうか」

 

 そして、なぜ楯無ほどの女性が、人払いまでして腹を割って話そうなどと言い出したのかも、ウェルキンにはやっと判った。さっき感じていた違和感はこれだったのだ。

 英国の狙いを察したくらいなら、彼女はウェルキンを呼んで推理を披露したりしない。どこぞの私立探偵ではあるまいし、楯無は暗部の人間なのだ。

 

「貴女が……捨て駒として扱われたんじゃないのか」

 

 楯無はただ友人としてウェルキンを案じ、二人きりで話そうと言ってきたのだ。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 長いこと、二人は顔を寄せて見つめ合っていた。楯無は顔だけは平静とさせつつも、自らの心臓が早鐘を打つのを感じていた。

 柄にもなく緊張しているらしい。別に、他人にアプローチするのは初めてではない。なぜだろうと彼女は自問し、すぐ答えに気づいた。

 

 ――そういえば、打算も何もなしにこんなことをするのは、まだ経験がなかったな。

 

 十七代目として楯無を継いで数年、いろいろなことをやった。男を敵にしたことも、女と相対したことも、老人を、大人を、自分と変わらない年の子と協力したこともある。

 

 だが、友達が敵になったのも、敵を友達にしたのもこれが初めてのことだった。

 

「……もしそうだとしたら、どうします」

 

 やがて、ウェルキンの表情が崩れた。ふっと口元に淡い笑みを浮かべて、逆に彼女の方が楯無を慈しむような顔で見ている。

 

「もちろん、私からはどうすることもできない。英国が自国の候補生をどう扱おうが、攻める筋合いじゃないし。働きかけようにも大した権力を持ってるわけじゃないからね」

 

 楯無はウェルキンの側に着いていた手をはがし、壁から離れる。ベッドに向かい、そこに置きはなしになっていた書類封筒から中身を一通取り出した。

 

「ただ、貴女が望むことによっては、力を尽くす方法はいくらでもあるし、私が伸ばせる手もある」

 

 透かし入りのセキュリティ・ペーパーで印字された、数枚綴りの書類だった。ウェルキンの前の机上に置く。表紙にあたる面には、英、日、仏、独、中、露、葡、西、亜――アラスカ条約内の主な言語で、印字されている。

 

IS及び()関連兵器()に関わる()運用規制()条約 自由国籍条項申請書類”。

 

「これは……」

 

 ウェルキンもさすがに驚いたようで、絶句して書類と楯無を交互に見た。

 

「一夏君の真似をするみたいだけれど。ここは学園よ。あなたがいたいなら、ここにいればいい。その間に自由国籍を取って選ぶこともできる。……移る先、国によっては私が口を聞ける先があるかもしれないし、そのときは少なくとも貴女をチップに博打をするような真似はさせない」

 

 楯無は毅然と宣言した。ウェルキンは書類を受け取り、ぽつりと言った。

 

「大胆なことを、なさいますわね」

 

 珍しげに文言の記入事項を眺めている。無理もない、と楯無は思った。大抵の生徒には目にすることもない紙だ。ウェルキンは()めつ(すが)めつ書類を一枚ずつ確認してから、顔を上げる。

 

「独り言を言ってもいいでしょうか」

 

 ウェルキンが言った。楯無は呆気にとられかけてから、彼女の意図を察して首を縦に振った。もとよりその為の人払いだ。

 

「――欧州統合調達計画」

 

 ウェルキンがぽつりと言った。

 

「いわゆるイグニッションプランが、次の四半期に最終フェーズに入ります」

 

 ナレーションでも読み上げるような落ち着いた声だ。淡々とした言い方に耳を傾けつつ、楯無は腰を、ベッド脇のフットレストに預けていた。

 

 イグニッションプランについては、楯無も常識として知っている。英が《ブルー・ティアーズ》三番機を、仏が開発中の第三世代を、イタリアが《テンペスタ》型を、そして独が《シュヴァルツェア・レーゲン》型をそれぞれ発表しており、次のイースター明けに量産試作機がトライアルに投入される。今のところ、スペックと実績による技術点で英と独が他を圧倒しており、試作機の完成度から価格点の面でも目算が立っている。伊は実績に、仏は価格に何がありそれぞれ話にならないと見られていた。

 

「このまま行けば我が国の蒼滴(ブルー・ティアーズ)級とドイツの黒雨(シュヴァルツェア・レーゲン)型の一騎打ち、と専門誌あたりでは言われている。ただ、実際はそうならないだろうと考えられています」

 

 主体がぼかされている。ただ、それが誰かは聞かずともわかった。ウェルキンは内部関係者の話をしている。

 

「IS学園で行われた模擬戦において、オルコット卿はミズ・ボーデヴィッヒが負け越しています。確かに両者に実力的な差があり、ショートレンジに穴のある機体特性がIS学園規格のアリーナ戦闘に合わない、という理由もあります。ですが、それにしても成績がひどすぎる。単純に性能面にもカタログ以上の差があるのです。

 三番機を調整はするでしょうが、すでに設計を大きく変えられる段階でもない。このままいけば黒雨型の圧勝でしょう」

 

 セシリアは常々こぼしているが、口にするのは装備のバランスの悪さだけだ。残りの二つを周囲に言わないのは彼女本人と国の体面があるからか、真意はわからない。それも当事者たちには知れたことであるのだろう。

 

「かかる状況にあっては、機体の実戦データ取得にも、もちろん意味はありました。負荷のかかる高速戦闘下のデータをフィードバックすれば、ある程度技術点を稼げる。どこの国も苦労している特殊兵装についても、実戦下の記録があれば目処をつけやすい」

 

 楯無は小さく何度か相槌を打っていた。英国も別に第三世代機のコンペティションを捨てたわけではない、ということだ。《ブルー・ティアーズ》級の開発は進める。

 

「ただ、それがうまくいく保証はどこにもない。プランBとして、剥離剤研究と二次移行研究ってわけか」

「我が国としても自国の開発力とBAS社を守る必要がありますから」

「でしょうね。ところで、独り言じゃなかったの?」

 

 ウェルキンは楯無の方を見て応答を返している。少し笑ってそのことを指摘すると、

 

「今日は空耳がひどいのです。昨日の晩、ロシアかぶれのニンジャにひどく槍で打たれたせいかもしれません」 

「あらー、奇遇ね。私も昨日の夜イギリス製のISにボッコボコにやられたのよ。お腹なんて痣になってんだから。見せてあげよっか」

 

 制服の裾に手をかける楯無に、ウェルキンは肩をすくめて首を振る。

 

「結構です。というか、実習の着替えのときどうしたんです? 目立つでしょう」

「そりゃ朝にメイクしたのよ。目立たないように。顔に化粧するより、ここにかけた時間の方が長かったんたから――何が悲しくて早朝からお腹にファンデ塗ってんだろって、泣きたくなったわ!」

 

 楯無は自分の腹をさして愚痴る。ウェルキンが思わず噴き出し、口元を押さえて横を向いた。楯無も彼女の声に誘われるように笑う。強っていた空気の硬さが、それで解れていくような気がした。

 

 ややあって二人の笑いが収まった頃、ウェルキンが口を開いた。

 

「……ありがとう、楯無」

 

 彼女は目元を軽く拭う仕草をみせ、楯無に言う。浮かんでいるのは柔和な笑顔だった。

 

「それから、ごめんなさい」

 

 その口が続けてはっきりした口調で言う。楯無は唇を結んで彼女を見た。噛み締めた奥歯の力で、怪我のあたり――身体の奥の方が痛んだ。

 

「貴女の言うとおり。もし昨夜、失敗していれば私は捨て置かれたでしょう。今回はたまたまうまくいったからそうならなかった、というだけのことです。付け加えるなら、私は当初は計画の子細について――本当の目的については知らされていませんでした。知らされず窮地に送り込まれたことが、どういう意味かは自分でもわかります。

 私は本国にとっては失っても致命傷とはならない。賭けるにちょうどいいリスクだったということです」

「そこまで理解して、それでも受け入れるのね」

 

 楯無が言うと、ウェルキンはゆっくり首を横に振った。楯無に向けられているのは、穏やな拒絶だった。

 

「我が身の安全だけを顧みれば、貴女の申し出を受けるのが正着なのはわかります。ただ私は……」

 

 ウェルキンはそこで、長いこと逡巡するように宙を見つめた。楯無はその表情に見覚えがあった。難しい立場に追い込まれた人間が、何とかして今の自分の状態を言葉にしようと試みるときの表情だ。

 

 結局何も見つからないまま、時間が過ぎる。ウェルキンが深いため息をつくのを聞き、楯無は補うように口を開いた。

 

「自分の生まれた国を、離れる気にはなれない?」

「それもあります」

 

 ウェルキンはうなずいた。そして楯無が投げた一言がきっかけになったように、ウェルキンはぽつりぽつりと話し始める。

 

「その他にも、たくさん。捨てがたいものがあります。国にも友人や家族――義兄(あに)と姉がいますし、今まで生きてきた中でこのような立場を選んだのは、自分自身でもある。今回のような危ない賭けに出るような国でも、奉職を望んだのは私です」

 

 ウェルキンは肩の辺りをそっと押さえた。彼女の目は、楯無を向いてはいたが、少し遠くを見ているようでもあった。

 

「愚かだとお笑いになってもいいですよ。ただ、昨夜も言いましたが、向き不向きや好悪で変えられるものでもないのです」

「笑うわけないでしょ。理解は……できるから」

 

 ウェルキンは少し自嘲気味に続ける。彼女の選択を道理で責めることはいくらでもできる。だが楯無にとってもウェルキンにとっても、そんなことに意味はなかった。

 

「というかそもそも――私の身の上のために、貴女に迷惑をかけるわけにはいきませんしね」

 

 ウェルキンが最後に、冗談めかして付け加えた。思わず苦笑で応じる楯無に、ウェルキンの手が黙って手にした書類を差し出した。楯無は黙ってそれを受け取った。

 

「これはもう不要ね」

 

 楯無は自らの手でそれを裂く。乾いた紙の破れる音が、やけに高く部屋に響いた。ゴミになった申請書は、楯無が持ってきた書類封筒に入れておく。

 

 その直後のことだった。

 

「失礼いたします――」

 

 廊下の側から入室を求める声が聞こえた。医務室には今、他に誰もいない。楯無はウェルキンの隣の扉から、のぞき込んで誰何する。そこには意外な人物がいた。ブロンドの長い髪を巻き毛にして青いヘアバンドをつけた――学園では知らぬ者のいない英国人の一年生だった。

 

「あら、セシリアちゃんじゃない。どしたの?」

「あら、会長。ご機嫌よう。こちらにミズ・ウェルキンがいるかもしれないと伺いまして、参じたのですが」

 

 丁寧だが硬い態度で楯無に告げる。彼女がウェルキンを探すのは珍しいな、と楯無は思った。学内の英国留学生の取りまとめをしているのとウェルキンなので、彼女からほかの英国人たちに連絡をやることは多い。ただ、その逆というのは少なかった。

 

「ごきげんよう、オルコット卿。私に御用とは?」

 

 部屋の中からウェルキンがやってきて、型どおりの挨拶を英国人どうしで交わす。

 楯無はいつになく真剣な英国人少女の様子を、小首を傾げながら見ていた。少女の態度はウェルキンだけを見ており、あからさまに楯無を疎外している。ここ一か月にさんざん彼女の想い人をからかった楯無に含むところがある――というわけではなさそうだ。これは英国人同士、内輪の話なのだ、と言いたいのか。

 楯無は声をかける。

 

「急ぎならここで話していったらどうよ? 私の用事は……終わったところだから」

 

 何なら、楯無は出ていてもいい。そう申し出たものの、態度は煮え切らない。

 

「ありがとうございます。しかし……」

「いいえ。この場にしましょう、オルコット卿。それに楯無、席を外してもらうには及びません」

 

 逡巡する少女に向けて、きっぱりとウェルキンは言った。ウェルキンにそう言われては従う他なく、少女は部屋に入る。ウェルキンが近くの椅子についたところで、彼女も懐から封筒を取り出した。

 

「今日の()()、学園に来た大使館の職員からこれ受け取りましたの。ミズ・ウェルキンに手渡してその場で確認していただくように、と言付かっておりますわ」

 

 ウェルキンが手紙を受け取る。英国外務省の公証(ノータリー)シールで封をされた手紙だった。封筒を受け取った彼女は器用に片手で開き、中身に目を通す。

 直後、彼女の顔が眉を動かして驚きを表現した。

 

「ほう」

 

 ウェルキンは紙面を見つめていた。しばらくして彼女は、手紙を持ってきてくれた少女に向けて、

 

「確かに内容を拝見しました、オルコット卿。ご足労をおかけしまして」

「いえ。それでは、私は失礼いたしますわ」

 

 一礼し、肩で風を切りながら去って行く。姿勢良い後ろ姿を見送り、後にはまた楯無とウェルキンだけが残された。

 

 ウェルキンは手の中の書類にずっと眼を落としている。彼女が何も言わないため、楯無は所在なげに机の辺りで脚をぶらつかせていた。横から窺ったウェルキンの瞳は、心なしかどこか揺れているように見えた。

 

「楯無。もう一つ、謝罪することができたようです」

 

 ウェルキンは唐突にいい、立ち上がって楯無に手紙を差し出した。見ろ、ということらしい。

 

 見ても良いのか、確認してから中身を開いた。広げた封筒の中からは、音を立てて紙が二枚出てきた。一枚はアルビオン・エアウェイズの成田-ロンドンのチケットであり、もう一つには、英国空軍IS部隊司令官、英国IS委員会議長のサインが入り、次のように題が打たれた書類であった。

 

召喚状(サモンズ)

 

「連合王国IS委員会は貴公、代表候補生サラ・アビゲイル・ウェルキンに対し、ロンドン時間十月十二日までに帰国することを命ずる。貴公はIS学園の定める手続きに従って休学申請を行い、日本国入国管理局にて出国手続きを行うこと。

 本命令は、アラスカ条約第九十七条第二項並びにIS学園運営に関する規則特記事項五十一により、被命令者に対して強制力を持たない。ただし、被命令者が指示に従わなかった場合、連合王国の公的機関は、国外における被命令者に対する身元、身分保証義務の一切を喪失する」

 

 ウェルキンが楯無の手元にある英文を、日本語で読み直して告げる。言葉は仰々しいが内容はシンプルな帰国命令だった。

 

 本文の後半に続く言葉は、留学生や候補生が本国から命令を受けるときの定型句だ。学園生に対して本国は強制力も執行力もない、ということになっているが、実際に母国から切り離されるわけにはいかないものだ。よってやむなく命令を発するときは、このような但し書きを入れるのが通例だった。ロシア代表候補であり、日本国の情報コミュニティと繋がる楯無も、文面自体はよく見る。

 

 そして、多くの留学生がそうであるように、ウェルキンに従う他の選択肢はない。

 加えてこの書類が届いたタイミング。手紙を届けた娘は昼に受け取ったと言っていた。すなわちこの召喚状とチケットはあらかじめ発行されていたのであり――成否に拘わらず、始めから彼女を本国へ戻す心算であったのだ。

 

「部屋を、片付けねばなりません。手伝っていただけませんかしら」

 

 言いながら、ウェルキンは天井を仰いだ。

 

「それと……お別れを言わねば」

 

 腕を目元に当てて言った。深く長い息が、彼女の口から漏れた。ウェルキンが帰国したならば、もう日本に戻ることはないだろう。もとより休学者がやすやす復帰できるような学園ではないし、彼女の場合はさらに格段の理由がある。

 楯無はソファに歩み寄り、そっとウェルキンの肩と背中に手を回した。胸の奥の痛みが強くなったような気がした。口を開こうとして言葉が見つからず、身体を寄せた。

 

 国は違うが、学園では一番つきあいの長い少女。楯無とも全く臆さず対等に接し、友人であり、そして敵でもあった彼女。ウェルキンは楯無にとって間違いなく特別な存在である。楯無は彼女に対して何かを言いたい衝動に駆られた。彼女にだけ贈るべき特別な言葉をかけたかった。

 

 だが楯無にはそんな言葉を、今この短い時間で見つけることはできなかった。自分は存外平凡な人間らしい、と彼女は思う。しばらくして口にできたのは、こんな月並みな言葉だった。

 

「貴女がいなくなると、寂しい……辛いわ」

 

 かけた声に対して抱擁が返される。最初はおずおずと、次いで強く。

 

「私もです」

 

 ウェルキンは楯無の肩に顔を寄せた。彼女が今どんな顔をしているのか、楯無からは見えない。

 

「今まで選んだ道を後悔したことはありません。ですが、もしも――」

 

 ウェルキンはそこで言葉を切る。続きにどんな語が来るのか、楯無が聞くことはできなかった。ウェルキンが内心の思いを実際に言葉にすることはなかった。

 ただ、楯無には聞かずとも察せられるような気がした。おそらくウェルキンの思いは自分のそれと同じようなものだ。

 

 楯無は優しくウェルキンの背中を叩く。ウェルキンが、楯無の耳元で何かつぶやき、彼女はうなずいた。

 

 熱く小さな何かが、楯無の肩に落ちた気がした。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 ……どれくらい時間が経っただろうか。窓の外では日が落ちかかり、暗い夜がすぐそこまで迫っている。

 ウェルキンはすでに部屋に戻っていた。楯無は生徒会室に戻って自分の執務机の椅子に身体を預け、目をつむっていた。疲労が今頃になって背中にのしかかってきている。昨夜、ろくに眠る時間がとれないまま事態の後始末をし、その上昼の授業にウェルキンとの会談までこなした。多少の気だるさは当然だ。

 

 扉が開く音が、楯無の意識の遠くに聞こえる。かけられた声があった。聞き慣れた従者の声だ。

 

「お嬢様、お休みならば部屋にお戻りを。お風邪を召します。ただでさえ怪我を押してらっしゃるのですから」

 

 虚の声が響く。わかっている、と返したくなる。楯無はうなずき身体を起こした。

 

「どうかされましたか」

 

 気遣わしげなまなざしで、虚が声をかけてくる。楯無は椅子の肘掛けに身体を預けた。身体の奥の痛みは弱くなっていたが、鈍く重くなっているように感じられた。

 

「――友人がひとり、離れていってしまったから」

「責任を感じておいでですか」

 

 楯無の言葉に虚が訊ねる。楯無は首を振って否定した。罪悪感や後悔など、そんな話をしているわけではない。

 

「私が責を負える筋のことじゃない。二人とも自分のやるべきことをやっただけよ。ただ……もっとうまいやり方があったんじゃないか、というのはいつでも思うの。成功したときでさえ。そしてうまくいかなかったときは、特に」

 

 深い息をついた楯無の前に、虚が淹れ直した新しい茶器が置かれる。濃い色の番茶だった。楯無は顔をしかめた。

 

「欲しくないわ」

「必要と感じましたので」

 

 楯無は、結局それに手を伸ばす。口に含むとタンニンの渋みが口内に広がった。虚の淹れた茶はいつも苦い。だが、香ばしい匂いと合わさって、頭にかかった霞が晴れるような心地にさせてくれた。

 

「虚ちゃんの言うことは、いつでも正しいね」

「左様なことは。ただ、お嬢様のことなら、ある程度はわかります」

「十分すごいわよ、私は自分のこともわからないわ。ありがとう」

 

 礼を言い湯飲みを置く。少し思考がクリアになった。今の確かに楯無に求められている感覚だ。必要なものと欲しいものは、しばしば食い違う。今回で言えば、学園を守り抜き、《レイディ》を墜とされなかった楯無は、必要なものは守りきったことになる。

 

 ただ、求めたものは――何一つ手に入らなかった。

 

「また負けてしまった。亡国機業に、スコール・ミューゼルに」

 

 楯無は率直に言い、まだ熱い器を握りしめた。結果について取り繕う気にもなれない。

 

「今回のことも、糸を引いたのは彼女と?」

 

 首を振って肯定する。この規模の行動があの少女たち単独でないことは考えずともわかる。

 

「しかし彼女は自分自身も、自分のISも投入しませんでした。我らは侮られたのでしょうか」

「こちらの戦力を見極めてられたのは事実でしょう。ただ、彼女が出張らなかった理由は判らないわ。今回の戦闘経過から言って、ISを使わずに勝てると確信できるほどではなかっただろうし」

 

 楯無は奥歯を噛む。こうして敗北して、改めて痛感する。スコール・ミューゼルは強大だ。単に戦技だけでない。彼女は楯無に見えないものも見ている。

 

「もうこれ以上負けられない。戦力不足、実力不足も、三度目はただの言い訳になる」

 

 楯無が言った。虚は淡々と「はい」とだけ答え、神妙に応じる。

 

「簪ちゃんの打鉄弐式完成も、箒ちゃんの戦力化も待ったなしね。二人とも最低限自力で身を守れるようにはなってもらわないといけないし――箒ちゃんには一夏くんの背を守れるくらいになってもらわなきゃ。ISの修復が済み次第、私は箒ちゃんに付く。《レイディ》の状況は?」

 

 問うた楯無に対し、虚が電子ペーパーを差し出す。《霧纏の淑女》のデータだ。もちろん、両肩のアクア・クリスタルは喪失したままである。

 

「《レイディ》の検査は今日の夕に終わりました。結果から見るとなんとかB整備ですみそうです。遅くとも一週間で修理を終えます」

「吹っ飛んだ特殊兵装の交換は後回しにして。今の箒ちゃんの実力なら、鍛えるのにアクア・クリスタルは要らない。それにあの娘の性格からも槍と剣だけの方がいいでしょ。それで何日?」

「それでしたら、三日いただければ」

 

 早い答えが返ってくる。楯無が言い出すことは予期されていたらしい。思わず苦笑して、楯無は続けた。

 

「よろしい。じゃ、下がって。作業は明日からでいいわ。今日は貴女も疲れたでしょう」

「はい。ですが、お嬢様のお世話は……」

 

 虚も楯無と同様、ろくに眠らず事態の収拾に努めている。彼女も休ませる必要があった。本人は楯無が寝たあとに休むつもりだったようだが。

 

「いいわ。今日はもう更識一門は閉店よ。お下がりなさい。命令です」

 

 気遣わしげな彼女に向けてきっぱりと言い切る。椅子に身体を沈め、目を瞑り、

 

「それにね。私も今日は少し、一人に、なりたいの」

 

 言ってから、大きく息をつく。虚はそれで了解してくれたようだ。彼女が扉を閉めて部屋から去る音がした。部屋に残ったのは楯無だけとなった。

 海からの風音が窓の外で響く。楯無の唇が、それに紛れるように小さな音を紡ぎ出した。

 

「――もしも、か」

 

 ウェルキンか口にした言葉を反芻する。考えているのは、昔のことだった。

 

 もしも、ウェルキンが組織(SIS)の一員でなかったら。もしも、楯無が更識家の名を追っていなかったら。もしも、英国がイグニッション・プランで勝てる算段が付いていたら。あるいは、楯無がウェルキンを打ち倒し、強引に身内に引き込んでいたら。

 

 もしも、という言葉は、取り替えようもない過去の中にかけがえのないものを失った人間が口にする言葉だ。楯無の脳裏ではそれがいくつも、共鳴するように果てしなく響き合って繰り返されていた。あり得たかも知れない未来。それはいつも、頭がどうにかなりそうなほどに美しく見える。まして、それが自分の手で砕かれたものなら。月に繰り返し手を伸ばすように、ただ詮ないだけの過去への思慕が、楯無の中で募る。

 

「サラ……」

 

 友人の名を口にした。先ほど抱擁したとき、彼女に言われた言葉があった。

 

「スコール・ミューゼル……」

 

 ――亡霊たちに注意を。

 

 ウェルキンは続けて言った。

 

 ――貴女の推測どおり、亡霊たちは我が国の意向で今回の行動を起こしています。ただ彼らに接触して感じた雰囲気では、彼らは我々に隷従しているような人間ではないと見えました。我々の意向を果たす、という以外にも目的がありそうと感じたのです。

 

 彼女が最後に残した助言だ。危険を冒してまで伝えようとした、彼女の最後の思い遣りを、楯無は噛みしめながら思考を巡らそうとする。

 英国に本当の狙いがあったように、スコール・ミューゼルやにも彼女独自の狙いがあったとしたら? 楯無はウェルキンの示唆を受け、初めてその可能性に思いを至らせていた。

 

「自分のISを投入しなかった、というところまではいい……。生身のドライバーを、ISに当たらせるようなリスクを負ったのには、何か他に目的があったのか。いや、スコールだけじゃない、織斑先生似のあの女の子にも、自分自身の狙いがあり、内心別々の目的を抱えているとしたら」

 

 現時点で結論の出る答えではない。だが楯無は考えずにおれず、しかも疲労のためか思考は千々に乱れつつあった。ウェルキン、スコール、あの少女、学園、妹、一夏たち、楯無自身。過去と現在と未来、味方と敵のことが様々に交錯し、疲労もあって楯無の脳裏は混沌としている。

 

「……わかってるわよ、前に進むしかないって」

 

 楯無は自分自身に聞かせるように、小さい声で言った。

 

 明日の朝日が昇るころ、楯無はまた十七代目更識楯無としての日を始めるだろう。そのためには、誰にも見られず、誰にもとがめられないひとときのこの時間が、楯無にとって、どうしても必要なものだった。

 




楯無、サラ・ウェルキン、ティナ・ハミルトンのエピローグがこれにておしまい。

前書きの繰り返しになりますが、亡国機業サイドは夜半に投稿いたします。
 →※1/27夜半追記 繰り返しですが、エピローグ後半は1/28夜中に投稿します。

それにしても遅筆過ぎました。エピローグの真ん中で投稿が空くのは流石に許されないと考えて溜めたのですが、あらすじを見てさえどういう話だったか思い出していただけるかどうか。

続きがあるかどうか観察して下さっていたかたがおられましたら申し訳ないです。あとちょっとだけ続くんじゃよ。

今回も原作の設定を使い切りながら捏造設定てんこもりにするという私なりの平壌運転ですが、捏造箇所については全体通してあとがきを書く時間があったらそのときにでまとめようかと思います。


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