もしも彼女にもハーレム因子があったなら   作:温玉屋

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前回のあらすじ。

1.ダークニンジャのタテナシ=サンがマドカ=サンとかに気を取られているうちにスゴイツヨイ・Xレイレーザーで撃たれる。命中を受け、アクア・クリスタルはしめやかに爆発四散。
2.これで優位を確信したウェルキン=サンだが、いきなし亡国さんたちにISを剥離剤で奪われる。彼女のISは暴走機めいた自立行動と二次移行を始めた。ナムアミダブツ! 福音・インシデントの再現である。
3.事件の再現の影には、実はCIAのサラリマンだったハミルトン=サンが関係していたのだった。サツバツ!

逆ハー? あ、ごめんなさいそれ次回からなんですよ。ごめんなさいね。


第11話 決着(前編)

 ティナ・ハミルトンが命令を下されたのはわずか数日前のことだった。定常任務の他、必要なときに必要なだけの任務を果たすのも彼女の役目であるが、いくらなんでも急な話だ。

 任務内容はあの組織と接触し、《銀の福音》のロック解除用のデータを渡すこと。聞く人が他にいたなら驚くような指令だったろうが、聞いたときハミルトンに浮かんだ感想は一つだった。

 

 ――よくまあ、ここまで軍の勘に触りそうな事案を通してくるものだ。

 

 ISドライバーを目指している学生、という(てい)が今のハミルトンの立場である。数少ない留学組ということもあり、実は米国IS戦略軍所属の軍人・軍属搭乗者とも会わせて貰ったことがあった。時期は出国前、相手は(くだん)のナターシャ・ファイルス、イーリス・コーリングの両大尉だ。

 二人とも多少レズっ気を感じさせるところはあったものの、悪い人ではない、と思った(同性愛者というのはハミルトンの直感でしかないけれど)。特にナターシャ・ファイルス大尉などは、おどおどする未熟な少女を演じているハミルトンをなで、きっといいドライバーになれるわ、と励ましてくれたものだ。

 情に篤く、身内と見た者に対しては優しさがあり、血気もある。ハミルトンの経験と見聞から言うと、ああいう手合いは何よりテリトリーを部外者が荒らすのを嫌っているタイプだ。すなわち、敵と同等かそれ以上に、旗を同じくする他部門の人間が縄張りを荒らしたときに、一番怒る種類の人間だった。

 まあ、軍人としては別に悪いことではないが――この世で一番恨まれたくないカテゴリの人である。

 

「……それ、絶対あのおっかないビアンさんたちの怒り、買いますよ、おとーさん(ダッド)

 

 深夜に通信を受けたとき、ハミルトンは部長(ディレクター)に対してそう言った(彼は部門で父さん(ダッド)という符牒で呼ばれていた。理由までは知らない)。命令自体に否やとは言わず控えめに、不幸な未来があり得ることを指摘したわけだ。無駄と思いつつ、言わずにおれない気持ちだった。

 

 もちろん、時差でちょうどランチタイムにあたるヴァージニアの上司が意に介すわけもない。返ってきたのは軽い言葉であった。

 

「我々の関与は表にはならないよ。万が一なったとして、情報公開するときには君も、私の息子さえ家を買って悠々過ごしてるような頃さ。戦略軍(STRATCOM)の女傑二人も、流石にその時まで現役ではない」

 

 同じように言っていた事案がいくつ、二度と消せない恥になりましたっけ、とハミルトンは思った。(ダッド)の全能感に満ちた台詞を聞いていると、神父(ファザー)と会話している気にさせられる。実際、マクレーンのオフィスで使われる言語と教会の言葉には共通点があった。どちらも()()()に乗っていて、形而上(けいじじょう)の概念ばかりが(つづ)られているのだ。

 

「――カンパニーが今晩見たい夢については、理解しました。で、実際には? あにはからんや、“彼ら”が大暴れしてウチらの干渉がバレることに、みたいな感じになるわけですか?」

「……。口が過ぎる。慎みなさい、ミス・ハミルトン」

 

 かけられる言葉が頭ごなしになり、固くなる。組織人としてのトラウマに触れてしまったらしい。ハミルトンは回線の向こうに向けて肩をすくめた。

 

「失礼しました。ただ、“彼ら”は身内ですらないので、本当のところで何を考えてるかはわかりません。当然、彼らがこちらの予想外の行動を起こしたり、コントロール不能になったときのことは考えないと、なのです。

 その場合、私はどこまで自分の裁量で動いていいんです?」

 

 返ってきたのは、確認する、という言葉の後の短い保留時間と、いつも通りの回答――学園の動きには静観を貫き、関与が感知されないことを優先せよ、といういつも通りの言葉だった。

 

「必要ならば、東アジアのフロントからも支援を行う」

「つまりそこも、いつも通りってわけですね。了解です。頼みにしてますよ。こっちはニンジャ崩れやらボンド・ガール候補生までいるような異常地帯なんですから。よろしくです、ダディ」

 

 ほんの少し皮肉を込めて、ハミルトンは通信を切った。その夜はよく晴れていて、月の明るい夜だった。

 ちょうど三日前の夜、ハミルトンが今いる寮の屋上での話である。あれから日付が立ち、場所は同じだが今日は星の光もない曇天だった。

 そして傍らには、先日はいなかった連れがいる。別に嬉しくも何ともないけれど。

 

「データ転送、終わったよ」

 

 その連れ――例の篠ノ之箒似の少年が言う。彼は地べたにぺたんと座り込み、投影型キーボードをいじっている。操作している画面が見当たらないのは、瞳の微細薄膜に直接ディスプレイを見せて作業をしているためだろう。

 

 ハミルトンは頷いて、左腕に抱えたタブレット端末を見た。右手には消音器付きのグロックを構えて、辺りの警戒を続けながらだ。衣服は薄いジャージとショートパンツにパーカを羽織っただけで、秋の夜風が少し寒い。

 部屋で少年と合流してから、屋上に出ていた。ハミルトンは《銀の福音》ロック解除用のキーを渡したあと、そのまま彼の作業に立ち会って結果を見届けている。事態はおよそ予定通りに進んでいた。上手くいきすぎている程だ。

 少年が作業の結果が手元の画面にでている。バックライトを絞ったディスプレイの隅に、どこからか転送された映像が来ていた。場所は海港エリア付近のグラウンド、つまり楯無たちの戦闘地域だ。画質は良くないものの、現地の様子をざっと見るには十分だった。

 

 暗闇の中、二機のISが対峙している。言うまでもなく《フィアレス》と《レイディ》である。相対する二機の構図だけは戦闘端緒と同じで、機体の状況が著しく異なっていた。《レイディ》が特殊兵装を(うしな)い装甲にも傷が目立つのに対し、《フィアレス》は文字通り今生まれ変わったばかりの姿だ。

 今度はその《フィアレス》が先に動いた。右手に銃剣兼用のタングステンナイフを顕現させ、地面を足で、空間をブーストで蹴って突撃してくる。二次移行した《フィアレス》の所作は全てが冗談のように速く、ナイフは楯無の身体をとらえていた。

 

 更識楯無は落ち着いていた。目で刃を追うような愚はせず、相手の体の動きを認めて攻撃を受けている。速度と鋭さで上回る攻撃が受け流されていた。彼女の技量はやはり高い。

 

 だが《フィアレス》も、攻撃が通らないと見るや挙動を変えてくる。数度目の交叉がかわされた直後に、移行で顕れたスラスターを噴かした。格闘の合間に推力が加わり変則的な動きが入る。補助動力だけで強引に機体ごと転回し、紙一重で空振った刃を有効打に変えてみせた。

 IS格闘でもそうそうあり得ない動きに楯無の反応が遅れた。剣で逸らすのは間に合わない。《レイディ》は手甲でもってそれを迎え直撃を避ける。シールドエネルギーが消費される光が散り、勢いを殺されながらそれを破った刃が複合金属と激しく擦れあう。装甲面の破断は免れたが、ナイフの通った軌道に沿って(わだち)めいた跡が機体に残された。

 

 更識楯無は舌打ちを隠さず、満身でもって《フィアレス》を蹴る。叩きつけた脚部からの力で勢いよく後ずさった。

 そして十数メートル空間を置いて後、彼女が構えを変える。蛇腹剣《ラスティー・ネイル》の切っ先が地面を向き、正眼から下段へ。構えの変化は、彼女の意識の変化でもあった。あの学園最強を自他にて任じ、事実それだけの技量もあった女性が、守りに入ったのだ。

 

「いやー、すごいな。これ」

 

 ハミルトンの口が声を漏らした。ディスプレイに映っているのは監視装置からの情報だ。学園内には、こんな風に彼女や彼女の同僚たちが仕掛けた監視装置やら盗聴機何やらがそこかしこにあった。ハミルトン自身も仕掛けた例でいえば――先日の生徒会室のがあげられる。ウェルキンにしがみつく振りをして機器を仕込んだときのやつだ。

 まあ、あれはすぐ更識楯無に気付かれた失敗例である。しかもあのとき以降更識一門の注意がウェルキンに集中したため、見ようによっては、今夜の事態の原因にはハミルトンも一役か二役ぐらいは買っているのかもしれない。

 

「桁外れじゃん……二次移行(セカンド・シフト)って」

 

 ハミルトンが短めの髪を掻きながら言った。声の色はやや寒々しい。気温によるものではなく、もちろん《フィアレス》の発揮している性能故である。更識楯無と第三世代機を退けるような暴走機となれば、相手取れるのも限られた要員だけになるだろう。

 

 少年は、ハミルトンの方を見ず、口を開いた。

 

「ISの自律稼働、それに二次移行。《福音》の機体から、篠ノ之束があの事象を引き起こした要因を拾って再現した。それだけだよ。別に独創的なことをしたわけでもない」

「それだけ、ねえ。十分大したことなんだけどな」

 

 少年はにこりともしなかった。会って一時間足らず、二人の間に漂っている雰囲気は固い。多分、どれだけ長く二人でいても和らぐことはないだろうな、とハミルトンは思う。口をきかなくとも彼がこちらを軽んじていることは判るし、それ以上に彼に対してハミルトンは何か得体の知らないものを感じていた。女装に違和を感じさせないところも、語り口も、はっきり言って不気味だ。

 

「結局のとこ、あんたたちが《福音》を“強奪”したのには、こういうわけがあったってことか」

 

 《銀の福音》は近年に篠ノ之束が痕跡を残した数少ないISの一つである。二次移行を果たし、候補生相手とはいえ一個飛行小隊のISを蹂躙する戦闘ぶりは、戦力としても技術的にも解析にすることに大きな意義があった。

 しかしハミルトンが聞く限り、現有の技術ではろくに解析が進まず、結局ロッキーだかアラスカだかにある基地に封印する他なくなったはずである。それをあっさり解決したというのだから、亡国機業の技術水準は相当高い。あの剥離剤という兵器も含めて、IS学園や国家が知りうるレベルの技術すら超えて、どちらかと言えば篠ノ之束に近づいているようにさえ思える。

 CIAを始めとする米国の当局が、むざむざ機体を亡国機業に“奪われた”のはなぜか、ハミルトンにもわかった気がした。

 

「で、これはどうやってるわけ?」

 

 映像の中で能力を発揮している《フィアレス》を指して訊ねる。少年はひときわ面倒くさそうな様子を露わにしたが、「ウチとアンタらの取引要項にも入ってたっしょ」と念を押すと、ようやく口を開く。

 

「――ナターシャ・ファイルスについてのレポートはもう読んだかい? 福音事件の経緯がドライバー側から記録されているやつ」

「それなら読んだよ。この二晩で、なんとかね」

 

 任務にあたり、最低限の情報は解放されている。福音事件におけるナターシャ・ファイルス大尉関連のレポートはその中にあり、極秘案件としてロックがされていた。本来ならハミルトンの情報適格性では、資料の存在すら知り得ないレベルの機密だ。

 答えたハミルトンの顔を少年が見据える。視線を合わせて、彼女は自分の感じる不気味さに、理由が見つかった気がした。彼はパーツひとつまで篠ノ之箒とよく似た顔をしているのに、“本家”と比しても幼い雰囲気を持つ。女装しても声を発しなければ無垢な少女に見えるほどだ。そして、見目の印象に反して、彼が発している語調は理知的だった。外見と中身がアンバランスなのだ。

 

「なら、彼女の証言も読んだはずだよね」

「ええ。だけど、大尉のレポには、篠ノ之束がどうクラックしたみたいな情報はなかったはず。それどころか、暴走の契機みたいな証言もなかったよ」

「だろうね。そりゃそうだよ」

 

 スカートから脚を投げ出して、ぱたぱたと動かしながら喋っている。

 

「あの事件で篠ノ之束から《銀の福音》に仕掛けられたのは、ハッキングじゃないもん」

「はい?」

 

 思わず聞き返した。意味がよくわからなかった。クラックと暴走をほとんどセットで考えていたこともあり、ハミルトンは虚を突かれる。驚くハミルトンをよそに、少年はぶらつかせていた脚を止めて続けた。

 

「《福音》はあの事件で暴走したって言われてるけどさ、そもそも、機械が暴走するってどういうことかわかる?」

「どういうって……制御を受け付けなくなる、入力を受け付けなくなる、正常の終了手順が通らなくなる、そういう状態のことを言うんじゃないの」

「うん。大体合ってるね。正確には、最後に行われた入力をトリガーに、機械――機構、論理回路、動力、その他諸々が、あらゆる入力を受け付けず実行状態を続けること、それが暴走だ。

 車輌なら走り続け、論理回路ならリソースを使い果たすまでループし続け、反応炉なら炉心が吹っ飛ぶまでエネルギーを生産し続ける。

 じゃあ、ISでは?」

「……主機のPICが止まらなくなるとか、武器が停止しなくなる、ってとこかしら」

 

 首を捻りながら言ったハミルトンに少年はうなずいて返した。話すうちに興が乗って来たのか、満足げに後を続ける。

 

「間違いじゃない。実際にそういう事象が発生したら、誰だって“ISが暴走した”、というだろう。――だけど、福音事件で起こった事象は、それとちょっと違う」

 

 彼は言葉を切り、人差し指を上げ顔の前で振った。

 

「福音事件では、ISは主機・銃器・エナジー系、情報系、いずれも暴走していなかった。それどころか、《銀の福音》は敵の脅威度まで判定しながら戦闘を続け、戦闘が不要な状態になったら空中でエネルギー放出を押さえて休眠した。これらは、通常のISの機能であり、ISという機械に期待されている機能要件を全て満たしている。

 つまり、全ての機関は秩序だって、“正常”に動作していたんだよ。これは、アウトログやら機体側の記録を見ても判ることだ」

「ちょーっと待った。《福音》はファイルス大尉の入力を無視して動いてたんでしょ」

 

 ハミルトンが思わず遮る。少年は首をかしげてことも無げに、

 

「そうだよ?」

「そうだよ、ってね。じゃあ、正常とは言えないでしょ。ドライバーを認識してないんだから」

 

 ハミルトンは呆れたように言う。彼の意見を暴論と見たのだ。しかし次の瞬間彼の口許がにやりと歪んだのを見て、彼がこの反論を予期していたことに気付いた。議論を誘導されていたらしい。

 

「ISコアは、ドライバーの存在を認識はしていたよ。そうでなければ、絶対防御も生命維持も発動せず、ドライバーは今ごろ“あれ”に叩き切られて国立墓地行きだ。つまり、『福音事件』において《福音》はファイルス大尉の存在を認知しておきながら、入力だけは無視してたことになる。

 その間の操縦は、他の何かがドライバーとしてやっていて――それが誰かについては、もうファイルスさん自身が資料で言ってるね」

 

 彼はブレスレットを見せつけるように腕を顔の前にあげ、反対の手でそれを叩いて示す。

 

「『あの子は私を守るために』、だっけ? 泣かせる話だね」

 

 言葉だけの共感を口にしながら、彼は腕の《福音》を見せつけた。ハミルトンは、白銀に輝くそれを見つめながら――ゆっくりと噛みしめるように、少年に導かれた結論を口にする。

 

「篠ノ之束は、IS自身にISを操縦するように仕向けたってこと」

「ほぼ正解。正確にはISコアに操縦するように仕向けた、だけどね。彼女がやったのは、ハッキングよりもっとシンプルなことだよ。具体的に言うなら、ISコアの意識体、常ならドライバーとリンクしている子に向けて呼びかけ、煽ったんだ」

 

 ハミルトンは、ファイルスの報告書に別紙として添えられた資料のことを思い出した。福音事件の資料であり、報告書に載せるには当たらないとされたファイルスの証言を集めたものだ。『私は許さない、あの子の判断能力を奪い、全てのISを敵に見せかけた元凶を(……)』と彼女は語ったらしい。

 証言では名指しこそされないものの、誰であるかは明白なそいつがしたことを、彼は静かに告げた。

 

「そうだね、たとえばこんな感じかな――『人間たちは《福音》の大事な操縦者、パートナーを害そうとしている。お前たちの味方はこの世界にはいない。他のISコアでさえ、お前の敵だ。その人間のことなんて、何とも思っちゃいない。今彼女を守れるのは、お前だけだ』ってね」

「ISコアの意識体と、明確にコミュニケートしたっていうの! あの女は一体どうやって……というか、そもそも、そんな幼稚な教唆で、あの騒ぎが起こったっていうの」

 

 悄然とした様子でハミルトンは言う。声がわずかに震えているようだった。少年の言が事実なら、ISコアの潜在的な危険性は現在認知されているそれをさらに上回る。篠ノ之束だけでも相当なのに、子供のように気まぐれな意志に支配された最終兵器など冗談ではない。

 少年は答えなかった。ハミルトンも絶句したままだ。屋上には遠くの虫の音ぐらいの微かな音しかなく、二人の間に数十秒とも数分とも思えるような長い沈黙があった。

 

「ISコアはどれも満年齢で十歳以下だ。大切な存在が奪われるとなれば、パニックを起こしてもおかしくない」

 

 やがて少年が沈黙に飽いたように静かに口を開いた。

 

「ヒトと同じ基準で考えるわけには行かないけど、彼女らは人間が考えてるよりは幼くナイーブで傷つきやすくて、そして、愛されたい子供なのかもしれない。

 二次移行も唯一仕様も、そんな追い詰められた子か見せる変化なのかな。――うん、まあ、最後のは、ただの僕の妄想だ」

 

 少年は続けて言った。彼のやけに感傷的な言葉は夜の分厚い静寂にぶつかって消えた。ハミルトンからはそんなことを気にしている余裕が消えたようで、続けて訊ねる。

 

「それで、篠ノ之束と同じ方法で《フィアレス》のコアを暴走させたことまではいいけど、止める算段はあるの?」

「うん? まあ、一応はあるよ。用意してはいる。たぶん、うまくいくはずさ」

 

 彼の答えは曖昧でかえってハミルトンの不安を刺激する。良くも悪くも“襲撃慣れ”した学園だが、今は夜半である。彼女の脳裏には、自室に寝かせたままのルームメイトや、休日の最後の一時間を過ごしているだろう、たくさんの友人の顔が浮かんでいた。

 

「一応ってね……。止まらなかったら、本当に福音事件の再現よ。しかも学園のど真ん中で、そのうえこの時間。恐ろしい被害が出る」

「失敗すればそうなるね。あの《メイルシュトローム》級、予想よりかなり強く二次移行したし。他のISが敵だと思ってるから最初に狙われるのは専用機持ちだろうけれど――運の悪いのが、一人二人、死ぬかもね」

 

 明日の天気でも説明するように、少年は淡々と言う。ハミルトンの表情がはっきり強ばった。

 

「その中には私の友人もいるんだけど。というか学園をめちゃくちゃにする気なの」

 

 知らずに語調が荒くなっている。ハミルトン自身も冷静さを欠いているなと思った。情報機関の担当官としては不適格な、まるでただの学園生――子供としての言葉だった。

 そしてもちろん、この少年が動じるようなことは全くない。

 

「君の言うような展開になったとしても、悪者になるのは僕らであって、君たちじゃない。全て悪は僕らにあり、君らの組織は何もしないし、何も知らなかった。“そういうことになっている”、だろ?

 互いの組織が納得した上で、君個人で誰か傷つけたくない人がいるというなら、それは取引の範囲外だ」

 

 彼の言わんとすることはシンプルだ。彼女の意向は察した。そして、その上で意に介さない。確かにハミルトンの組織にとっても彼らにとっても、日本人が何人死のうが、まして中国人が死んだところで痛痒(つうよう)を覚えるわけもないのだ。

 

「おっしゃる通り。正論屋ね、貴方」

 

 ハミルトンは毒づいた。“本家”と違い口が達者だ。そして彼に感じる不快な印象は膨れ上がるように増しつつある。ハミルトンは感情を隠さない瞳で彼を睨んでいた。

 

「まあ、そんな微調整はそもそも不可能だけどね。もう言ったけど、今の《メイルシュトローム》級は、混乱して刃を振り回してる子供だ。誰某(だれそれ)を狙うな、なんて物言いは通用しないし、僕らが言って止まる相手でもない」

「ふうん。止める手段もない、と言っているように聞こえるわ」

 

 ハミルトンは言った。台詞に込めた皮肉を感じて少年はうるさそうな表情で続ける。

 

「しつこいな。手はある。あの子は――《メイルシュトローム》級はただ、怯えて暴れているだけなんだから、正気に戻るよう呼びかけてやればいい。ただ、それができるには二つ必要な条件がある。まず、大前提として、コアと情報連結(リンク)ができる――つまり、ISを操縦できること。これがないと、そもそもコアの意識体に接触できないからね。

 そしてもう一つ、それ以上に重要なのが、コアを“引き戻せる”ぐらいに、強い繋がりを持つことだ」

 

 言い終わると少年は立ち上がり屋上の端に歩み寄る。地面を蹴って身軽に飛び上がり、手すりに腰掛けた。

 

「その実演を君に見せてから、撤収することにするよ」

「ずいぶん親切ね?」

 

 うろんげな目つきでハミルトンが言った。少年は彼女の視線を受け流しつつ、風に後ろで束ねた長い髪をたなびかせながら脚を組んだ。

 

「たぶん、そこまではする必要はない、と思うよ。……ただ、結果も見せる前にさようならじゃあ、君が納得しないだろ。さっきからずーっと、僕のことが気に入らないって顔してるし。帰り際に背中から撃たれたりしたら、ヤだからね」

 

 少年が言う。ハミルトンの内心など把握済みだといいたげな顔だった。やはりこの少年は気に入らないと彼女は思う。喋るほどに嫌悪を感じさせる関係から目を外し、手元のタブレット端末に目を落とした。

 

 画面の中では戦場の二機が再び、動きだそうとしていた。

 

   ◇    ◇    ◇

 

 今度もまた仕掛けたのは《フィアレス》からだった。二次移行した《フィアレス》と《レイディ》は既に打ち合うこと数十合で、楯無は時間とともに押し込まれつつある。短い交戦時間でサラ・ウェルキンは確信した。今の状態の楯無では、《フィアレス》に勝てない。機体性能のうち、格闘戦に関わる箇所のそれに差がありすぎるのだ。

 もし《レイディ》が万全の状態でなおかつ特殊兵装があれば単純な能力差を跳ね返せた可能性はあるが、そいつは今、複合金属のスクラップになって楯無の足許に転がっていた。

 楯無は険しい顔で荒く息をついている。呼吸にあわせて形のいい胸とその下の身体のラインが動いている。呼吸もまた、楯無のリズムと同様に乱れていた。

 

「楯……無……!」

 

 ままならない身体を虫のように這わせながら、ウェルキンは腕を地面について頭をもたげる。かすれ気味に発された声だった。誰の耳にも届くとは思えない。それに楯無に届いたとして何を言いたいのかも、ウェルキンの中ではっきりしていなかった。逃げろといいたいのか、あるいは謝罪か。一番の友人でもありながら敵でもある。ずっと続けてきた曖昧な関係が、楯無にかけるべき言葉をウェルキンから奪っていた。

 

「虚ちゃん、本音ちゃん――聞こえてる?」

 

 楯無が言った。通信回線に向け声を流しているようだ。相手は待機している布仏姉妹だろう。

 

「ええ。本音ちゃんは轡木(くつわぎ)さんに連絡と報告を。虚ちゃんはそのままの位置を抑えてちょうだい。私は――」

 

 楯無は指示してのちうなずいた。深く一度息をついて、眼前の敵を見る。

 そのとき、彼女の視線がウェルキンに走った。短い時間に二人の視線が交錯する。

 

「面倒をかけます、楯無……」

 

 ウェルキンは絞り出すような声でいい、重い意識に引きずられて突っ伏した。楯無が頷いたのが、くずおれる前の視界に見えた。

 

「私は……私が、ここで押さえる」

 

 独語は虚たちへのものにも、ウェルキンに掛けたようにも、彼女自身の覚悟のためにも聞こえた。

 直後、また《フィアレス》が動いた。楯無は自身を襲うナイフを蛇腹剣のリーチでもって防ぐ。得物の長さは技量以外で彼女に残された唯一の優位だ。敵機もそれを判っているので強引に懐に割りこんでくるが、そうなったら一気に後進して間合いを稼ぐ。

 勝つための戦いから負けないための戦いへ戦闘の質が変わった。戦闘の主導権を放棄して、ひたすら時間稼ぎに終始する楯無――彼女のそんな姿を見るのは、ウェルキンも初めてだった。

 背進を強いられ、楯無は島の北側へと移動していた。交差する剣戟の音が徐々にグラウンドから離れていく。

 ウェルキンは身を動かそうとするが、手も足も恐ろしく緩慢で、死にかけの老馬よりも力がない。金属同士がぶつかる音が視界の外側で徐々に遠ざかることだけが、まともに知覚できるただ一つのことだった。

 

「よ、まだ辛そーだなー」

 

 突然そんな声をかけられた。傍らに気配を感じ、近くに誰かが立っていることに気付いた。暗闇の中、男が立っていた。長身で短い黒髪の、亡国機業のアジア系の少年だ。辺りにはいつの間にか彼の他には気配がなくなっていた。

 

「ま、普通か。やっぱり“あれ”みたいに、剥離剤食らってすぐ復帰とかありえんわ」

「――何です」

 

 きつい眼差しでウェルキンは彼を睨み付ける。恐れは正直に言えばあった。彼らの意図も利害のありかも、先刻襲われたことでまるで判らなくなった。逃げも抗いもできない立場が、恐怖だけをちりちりと刺激している。

 

 ウェルキンの警戒をよそに彼は腰の医療キットから無針注射器を取り出し、彼女の首に押し当てる。圧搾空気の音がして、静脈に薬液が注入された。嫌がる暇もなく首に冷たい感触が走った。さらに手際よく携帯型の光学装置を手に取り、彼女の前に晒す。「はい、ぴかっとするよ」と医者のような台詞を言った直後、ペン型の機器の先端がフラッシュした。何色とも判らない閃光が目に入り、一瞬意識がぐらりとする。

 

 顔面から地面に突っ伏しかけたとき、立てた腕に不意に力が戻り上体を支えることができた。ずれていた意識と身体のピントがぴたりと会うような感覚に、嫌悪が胃の辺りから駆け上がる。次いで激しい嘔吐感が彼女を襲ったが、吐くものがなかったため醜態は免れた。昼の茶会から水以外口にしていなかったのが幸いした。

 

「数分で気分がましになる。動けるようにもなるはずだ」

 

 少年は言って、背中に手をやりウェルキンを支えた。彼の言うことに嘘はない。痺れから覚めるようなむずがゆさと共に、手足に力が戻りつつある。

 やや自由に近づいた身体をもたげウェルキンは険しい視線を向けた。

 

「本当に……何がしたいのです、貴方たちは」

「最初にあいつの言った通りとおりだよ。そっちの損にならないよう行動している」

 

 あいつ、というのはあの少女だろう。呼び方に軍隊らしくない娑婆っけを感じさせる。理由を追及する気にはなれなかった。それよりも不条理に対する怒りが優先する。

 

「私のISを――私の《フィアレス》を暴走させておいて、よく言います。あれほどスペック差があっては、楯無にも止められない。このままでは私の母国は汚名を受けますし、楯無も私自身も破滅を免れ得ません」

「うーん。ま、そう思われんのも無理ないわ。説明も何もなかったし」

 

 恨みがましい響きの言葉に返ってきたのは苦笑だった。口下手どもばかりですまんね、とまたよくわからない謝罪をして、彼は続けた。

 

「さて、無駄口を言ってもなんだから、結論から言うとさ。止めるのは不可能じゃないんだよ、アレ」

「何……?」

 

 何をとは言うまでもない。ウェルキンは彼を見た。怪訝な表情の彼女に少年は続けた。

 

「むしろ、あんたにしか止められないんだ。今のあの機体は。そして、そこまで伝えることで、やっと俺らの今夜の取引は完了する。――そーいうことさ。知らされてなかったみたいだけれど、今ならこの意味、アンタならわかるんじゃない」

 

 軽い口調の彼をウェルキンは睨んだ。含みを持たせた言葉の意味をウェルキンは思考の奥で考えている。彼の言をまともにとるなら、《ゼフィルス》の戦闘データだけでなく、《メイルシュトローム》を暴走させ、そしてウェルキンに止めさせることまでが“取引”だったということになる。

 先ほどからぐるぐると廻っていた言葉がどこかで出口を見つけた気がした。この夜の出来事の本当の意味。亡国機業と母国が本当に取引せねばならないものは何だったのか。ウェルキンはなぜか知らされていなかったそれの内容が、今わかった気がした。

 

「さーて、どうする?」

 

 少年が言った。ウェルキンは頷いた。ウェルキンの腹は一つだ。止められるというなら、止めてみせるしかない。

 

「逃げ道を絶って話を進めるような遣り口は気に入りませんが」

 

 ぼそりとウェルキンは言った。少年はよく聞こえなかったようで、

 

「ん、なんか言った?」

「いえ。いい性格をしていらっしゃる、と思っただけです」

 

 嫌みに対して彼は肩をすくめた。自分が責められるのは理不尽だと言いたいらしい。

 

「そりゃ、お互い様だ。あんたMI6なんだろ? この取引に同意したのはウチのボスだが、場をセットしたのはあんたの上司(ミスターM)だよ。責任の半分はそっちにもある。

 いいか、伝えるからよく聞いてくれよ」

 

     ◇    ◇    ◇

 

 楯無は一方的に打ち込まれる攻撃をひたすら耐えていた。

 性能差のある機体との戦闘なら経験はある。《レイディ》を専用機とする前はロシアの量産機の《トゥマーン()》型で仏の《ラファール(疾風)》型とやりあっていたし、《レイディ》を受領してからの実戦形式の訓練にあって、機体機能を制限した状態で戦闘を行ったこともあった。

 しかしキルレシオを計ったら倍以上、下手すれば三倍以上になるような敵機を相手にするのはさすがに初めてだ。

 

 《フィアレス》に圧されて徐々に北へ流されている。場所は既にグラウンドから学園エリアへの街路に移っていた。被害拡大を避けるためには海側へ誘導するべきだ。できないなら、武器を破壊するなりして戦力を殺ぐなりしたかった。

 そんな正論や、やりたいことならばいくらでも思いつくものの、それらを現実にできる力は楯無の手元からははるか遠くにある。要するに典型的な負け戦だった。

 

 だか退くわけにはいかなかった。彼女の後背には無防備に眠りにつく学園がある。妹がいる。そして専用機《フィアレス》がそこに突入すれば、ドライバーのサラ・ウェルキンはその責任を免れ得ない。

 敵対したとはいえ何度も降伏を勧めたことでもわかるように、楯無はウェルキンの破滅を望んでいるわけではなかった。互いの立場が道を選ばせただけだ。まして横から出てきた亡霊どもに友人を暗部の奈落にたたき落とされるなど、認められるはずがない。

 

 振り下ろされる刃を刀身で受ける。組み合うと力負けするため、相手の勢いに合わせて受け流すように衝撃を払った。敵との剣戟は均衡を保っている。

 

「格闘型に移行してくれて、まだよかったわ……!」

 

 凌ぎきれているのは、砲撃戦用の《フィアレス》が格闘型に移行してくれたことが大きい。《福音》と同様に《フィアレス》が持ち前の砲爆撃能力を高め無差別に暴れ回るようなことになっていたら、そんな悠長なことは言っていられなかっただろう。

 常に後の先を取らねばならないため状況が危機的であることに変わりはないけれども、楯無にとって利点はあった。敵の格闘挙動は、ウェルキンの操る《フィアレス》のそれとよく似ているのだ。機体に蓄積された情報を基に戦っているのかもしれない。

 

「サラと仲良くしてね、って言った甲斐があったわー。情けは人のためならずね」

 

 見慣れた動きなら捌ける。動きが読めれば、速度差もなんとかなる。

 

 そう考えた直後、《フィアレス》が突っ込んできた。主副どちらも優勢な機動力を生かし大きめに旋回して後方に回ろうとしてくる。楯無は後ろを取らせまいとその場で転回しながら、半身になって正面斜めで受けた。

 

 身に引き付けた刀剣とナイフが交叉する。握りしめた《ラスティー・ネイル》が嫌な音をあげてしなり、両刃造りの刃が楯無の空色髪に触れる。二、三本の髪が切り落とされ舞い落ちた。

 得物があげる軋みを手で感じて、楯無は考えを改めた。《ネイル》は蛇腹剣、つまり刀剣の形と鞭状の形態を取る武装である。間合いの自在さが攻勢に有利な兵器である一方、構造上強度に難があり防御に向かない。

 

 ――このやり方でも武器が保たないか。

 

 守りを固めてなお粘ることはできないらしい。《ネイル》にせよ《レイディ》にせよ、もともとそういう兵器ではないといえばそれまでだ。

 

 ひたひたと楯無の心の底に溜まっていくものがある。楯無の前に迫っている未来に対する感情だ。彼女にとっては最初で最後になるだろう被撃墜、そしてその後に待っている楯無自身の最後。恐れはもちろんある。焦りも後悔も、たった一人の妹に、まだ大したことをしてやれていないという思いもその中には混じっている。

 ただ、暗部などというろくでもない生き方をしてきたのだ。まともな死に方をできないのは以前からわかっていた。何せ楯無でもう十七代の更識家だ。早逝したもの、無残に死んだものも多く、当主の中にあってさえ人知れず消えていった者もいる。更識の系図は安楽でない死の見本帳であり、そして楯無はそこに乗る最新の一人になる。それだけのことだ。

 

 ただし一言付け加えておくなら、わずかな時間稼ぎの代償にくれてやるほど、十七代目楯無の命に安値をつけるつもりはない。

 

 楯無はその場で短くターンし同時にブーストをかける。鋭角な軌道で旋回した。敵機は楯無より大回りを取っているが、それでもついてくる。埒があかず、距離も開かない。遮蔽物か障害物のある場所で戦うべきだ――と、半秒以下の短い思惟(しい)でもって決断した。楯無は機体を傾け路を逸れて脇の短い防風林に突入する。《フィアレス》は素直にその後を追ってきた。進路が妨害される環境なら、機体は小さい方が有利なはず、そう考えたのだ。

 

 結果から言えば試みは敵機の優勢を殺ぐような効果には繋がらなかった。《フィアレス》は細い樹木は体当たりで倒し、数本まとめてへし折って進んでくる。飛来する幹でかえって楯無の軌道が制限されるほどだった。

 

 むしろ、状況に変化が生じたのは、狙いとは別のところだ。

 《フィアレス》は自分で倒した跳ねる樹を肩で吹っ飛ばしながら《レイディ》に迫る。そのとき二機の間に、視界を塞ぐ形で樹木が複数倒れ込んだ。身体ごとぶつかろうとする寸前で《レイディ》が視界から消えて《フィアレス》が速度を緩める。再度《レイディ》をサイトに収めるまで、数十ミリ秒間が空いた。

 楯無はその一瞬を逃さなかった。

 

 樹木が地に落ち、また《フィアレス》の視界は開ける。暴走ISはナイフを前面に出して再加速しようとし、先ほどまでいた敵機の姿が消えていることに気付いた。攻撃は空を打ち《フィアレス》が再度敵の姿を確認するまで時間が要る。

 

 ハイパーセンサーは楯無の機体を《フィアレス》のほぼ直上に観測した。実際にあったのは一瞬以下の機械時間であり、その間だけで楯無には十分だった。

 

「いああああああ!」

 

 横倒しに空中姿勢を取ってマニュアルPICをフルに使って機体を自転させた。全推力を回転に乗せて蛇腹剣を振り下ろす。楯無の得物が曲線を描いて延び敵機へ襲いかかった。

 戦闘が始まって初めて蛇腹剣が鞭の形をとった。リスクをかける以上楯無には狙いがあり、それは眼下に結果として現れる。

 

 単分子繊維の収束でできたワイヤーが、周囲の木を巻き込んで《フィアレス》の右腕とナイフに巻き付く。半ばまで折られた幹や地面に倒れ落ちた丸太をウェイトさながらに結びつけ、ついでに手近で一番太いカエデやらたまたまそこにあった避雷システムのポールを巻き込んで、得物ごと右腕を縛り上げた。

 再度獲物をとらえた敵機は動こうとし、木と金属柱をしならせてがくんと停止する。楯無は右手で蛇腹剣を、左手でワイヤーを繰った。

 

「暗部は暗部でも、仕事人って感じねー。……狙いとは違うけど結果オーライってとこかしら」

 

 機動性に勝る敵の動きを封じることができた。《フィアレス》は、ままならない右手を引っ張って自由になろうとする。さすがに無駄だ。《ネイル》のワイヤーは見た目は登山用ザイルより細くとも、護衛艦の牽引すら可能な高度技術の束である。引っ張り耐性は異様に高い。ナイフがあれば切断できるだろうが、それも今は捕縛の中だ。また、とっさにアンカーに選んだ樹も柱も、そう簡単に破壊できない大きさである。

 

 《レイディ》で押さえつけておく必要はあるものの、これで相当の時間を確保できたはず。楯無はそう思った。《フィアレス》も数度の試行で徒労に気づいたようで、無意味な綱引きはやめる。辺りに静けさが戻った。

 

 ただし、一瞬だけ。

 

 楯無が安堵しかけた直後、補助AIが眼前の《フィアレス》の異常を叫んで楯無に報せた。敵機内に異常発熱を検知。楯無はすぐに命じた。推論を提示せよ。答えはこうだった。制限装置を解除し、主機・副機にエネルギー投入するものならん。

 

 楯無は怪訝な表情をとった。

 

 ――アンカーを引きちぎる気か?

 

 流石にそれは無理だろう――と考え、次に《フィアレス》がとった行動に、顔を強張らせた。

 

 人間なら諦めるか別の駆け引きにでたところだろう。どちらにせよ時間を求める楯無の意の上で歩いてくれたに違いない。しかし機械は諦めることも迂回することも知らず、さらに愚直さでは楯無の予想を上回った。

 

 《フィアレス》は繋がれた右腕を残す格好で、スラスター、主機、脚部――その他自分自身に向けて作用する全ての力を用い、自機を前方に押し出した。当然吊られたままの右腕は限界まで延びきる格好になる。張られたワイヤーが三味線のように音を立てた。そのまま軋みをあげる自らの腕にかまわず、《フィアレス》は推力を高めていく。

 天下無敵のISといえど、機械部分には相対的に弱い箇所が存在する。たとえば、構造的に強化しにくい関節部分など。多重皮膜装甲のみで覆われたそこは、変形は柔軟に受け止める一方で、破・断・裂にきわめて弱い。

 

 右腕から一番近い関節に負荷が集中する。後は単純な材料力学の問題だった。延びきった腕に向けて(こた)えられないほどの張力がかかり、肘部の半ばから引きちぎれた。破断する金属の甲高い音とともに、ナイフを握りしめたままの右腕が宙を舞う。飛び出しざまにそれを左手でひっつかんで拘束から引き抜き、《フィアレス》は溜め込んだ推進力で弾かれたように加速した。

 

「うっそ……!」

 

 補助AIより早く、楯無は自ら判断して蛇腹剣を半ばで切り離した。刀剣にして五分ほどの長さになってしまうが、絡みついた箇所を振りほどく余分な時間がない。

 より正確には、余分でない時間すら残されていない、というべきだった。《レイディ》と《フィアレス》にはそもそも加速に差があり、さらにこのときのタイミングでは楯無の反応がわずかに敵機よりも遅かった。

 

 苦心して確保していた間合いがまばたきする間もなく消失する。《フィアレス》は《レイディ》を抱きしめられるほどの距離まで機体を投げ出し、左手で掴んだ腕を楯無の胸部に何度も叩きつけた。右手が握ったままの刃が深くあたり、シールド防護が作用するときの光を発する。槌が衝突したような衝撃で内臓が突き上げられる。苦痛の声を漏らしそうになったところで、左脚部の一撃が腹に入り、呼吸と一緒に声をキャンセルされた。息を詰まらせた彼女の背に、スラスターで転回した右脚部でさらに強い追撃。

 《レイディ》は低い軌道で弾むように飛ばされた。制御を失い、頭を下にして地を這うように林を抜け、開けた広場中央の時計台に衝突してようやく止まる。

 

「ぐ……」

 

 楯無はうめいた。脳が揺れていて働かない。その呆然とする意識野に向けて、けたたましい警告が次々発されていた。シールド系、制御系、戦闘補助、そのほか全システムから、補助AIがアラートを投げていた。最近ついぞ聞かないほどの量に楯無は顔をしかめる。

 

 全ては確認し切れない。ただ内容は見なくてもわかる。沈みつつある船がそうであるように、機体のあらゆる箇所が機能不全を訴えているのだった。試しに警告のうち優先度の一番高い二つを開いてみる。シールド、アクチュエーターの自己点検の結果で、それぞれ現在の出力は二割未満、五割弱という値だった。後者はもちろんだが前者が特に派手に減っている。食らった攻撃のうち複数で絶対防御が発動したらしい。

 

 ――軽く見てもC整備か。虚ちゃんに怒られちゃうなー。

 

 最低でもそれである。最悪はもちろん機体は丸ごとスクラップ、そして楯無自身は地獄行きだ。そうなったら逆に泣かれるかしら、と口に出して笑おうとして、楯無は声が出せずに咳き込んだ。口内でべたついている唾を吐き出した。

 

「楯無!」

 

 そのとき、意外な声が彼女に届いた。数少ない正常稼働中の機構、ハイパーセンサーが歩み寄る影をとらえている。サラ・ウェルキンだった。まだふらつきながら、グラウンドの方から近づいていた。

 

「サラ! 何をしに来たの。危ないでしょう……!」

 

 楯無は非難じみた声で(なじ)った。立ち上がろうとするが、膝がまだ笑っていて上手くいかない。ウェルキンはよろめく彼女を支えようとし、果たせずに一緒になって倒れた。

 痛みにうめきつつウェルキンは口を開いた。

 

「この期に及んで私の安全など、世界中のどこにもありません。あなたが敗れて死ねば私の破滅も確定します。私たちは同じボートの上です」

 

 楯無の脇に肩を入れ立たせながら言う。楯無の方は焦燥の上に渋い表情を浮かべ、

 

「一蓮托生ってわけ? それはそうだけどね、ここに貴女がいてもできるのは私と心中することだけよ。私、一緒に死にたいほど貴女が好きなわけじゃないわ」

「私もです。日本人の貴女にいうのも悪いですが、極東なんかで人知れずのたれ死ぬなんて、私の趣味ではありませんわ」

「なら、どうして……ああもう、また!」

 

 他の警告を押しのけ、最優先で接近警報がAIから投げられる。楯無はとっさにウェルキンを横抱きにして地面を蹴って逃れた。直後、楯無の寄りかかっていた大時計が破裂するようにコンクリートの噴煙を巻き上げた。

 

 土煙の中には当然《フィアレス》がいた。しつこいなあ、と吐き捨ててから楯無は何か気付いたような表情になる。

 

「しまった。何でサラをお姫様抱っこしてんのよ、私」

 

 とっさに抱え込んでしまったが、よく考えれば突き飛ばすなりして楯無から離れさせた方が安全だ。心中だの何だのと要らぬを喋ったせいだろうか、余計なことをしている。

 

「いいえ。このままで結構。むしろ好都合です。これなら、《フィアレス》の注意は常に私に向きます」

 

 ウェルキンが言った。彼女の様子を見て考えなしに来たわけではないらしいと楯無は気付く。

 

「どうする気?」

「《フィアレス》を止めます。貴女も協力してください」

 

 片腕を楯無の首に回してしがみつく。その視線が持ち上げられ、楯無のそれと重なった。

 

「剥離剤についてご存知なら、使用後の副作用にも通じているはずですね。剥離剤を使用されたISに備わる性質を使います」

「そうか」

 

 完全に虚を突かれた思いで楯無は声をあげる。

 

「遠隔コール……!」

 

 剥離剤は、展開状態のISを強制解除して待機状態に戻すが、これを使われたISには、後遺症とでも言うべき特殊な性質が二つ備わる。一つは、剥離剤への耐性。ISコアという代物は適応能力がやけに高く、一度使われた剥離剤は二度と効果を発揮しない。

 そしてもう一つの後遺症として、通常なら身につけていないと顕現できないISが、ある程度なら距離をおいた状態でも手元に呼び出せるようになる。あの暴走状態のISにも効くならば、活路なしのこの状況を打開できる。

 

「剥離剤について知っていたようなので、貴女もご存知とばかり思っていましたが」

 

 実際のところウェルキンに指摘されて初めて思い出した。剥離剤の副作用とISの暴走、その二つとも楯無は知っていたが、結びつけて考える発想はついぞなかった。

 

「悪かったわね。貴女がぶっ倒れた時点で、頭から吹っ飛んでたのよ」

 

 赤面する思いで楯無はぼそりと言い返す。ウェルキンは口元を緩めた。少し意地悪い具合だった。

 

「あら、ずいぶん心配して下さったようで。恐縮ですわ」

「当然でしょ……。ただ剥離剤の作用も暴走してる機体に利くかなんて、試したこともないわ」

「暴走ISなど《福音》と《フィアレス》しかないのですから、それについても当然ですわね」

 

 ウェルキンは片手を楯無の首から外し、自分の胸に手を当てる。目は前方に向いている。楯無も彼女を支えながら同じものを見ていた。

 二人の前には《フィアレス》がいた。それまでの躍動が鳴りをひそめ、距離を置いたまま彼女たちの様子を伺っている。心なしか戸惑っているようにさえ見えた。

 

「どのみち、坐して待てば死ぬだけです。理論上は成功可能性があるようですし、私は試みてもよいと考えます」

「理論上、ね。……そういえばさ」

 

 不敵な表情で語ってみせるウェルキンに対して、楯無は指摘する。

 

「副作用のこともそうだけど、剥離剤の効果なんて、あれの存在も知らなかった貴女が誰に聞いたのかしら。あの亡霊っぽい人たちとは、トレーニングの途中でたまたま会った、という話じゃなかった?」

「あ」

 

 今度はウェルキンが口元に手を当てた。自分で言った“設定”を忘れていたらしい。

 

「……喋りすぎました。そういう詮索は、生き残ってからに致しましょう」

 

 顔をそらされてしまう。ウェルキンがミスをすることはあるが、ただの不注意で口を滑らすというのは珍しかった。というかそんな彼女を見るのは――極めつけに恥ずかしげに顔を背ける表情も含めて、二年間で今が初めてだ。

 

 二人は互いに顔を見合わせ、どちらからともなく声を漏らすように笑いあった。

 

「お互い、しまらないわねぇ」

「まったくです」

 

 異常な事態にあって互いがした馬鹿みたいな些細なへまがおかしい。短い時間笑みを送り合い、楯無は口を開いた。

 

「――それで? “出所不明なその情報”によると私は、どうしないといけないのかしら」

「“通りがかりの通行人の助言”によると、私と《フィアレス》ならば遠隔コールが可能なのは最大で七、八メートルです。できれば、五メートル以内まで近づくことが望ましい」

「最低でも教室の前から後ろまでぐらいか。ISにしたら近距離ね。必要な時間は?」

「そこまでは、判らない、と。私がコツを掴めば数秒で。もし感覚を掴めないならば、何時間でも」

 

 結構な無茶だと楯無は改めて思う。ウェルキンが表情を曇らせて続けた。

 

「ですから、貴女が保つだけの時間でチャレンジします。どの程度保ちますか」

「そうねー。大言壮語できる状態じゃないし」

 

 楯無は目前の《フィアレス》を見つめる。片腕をもいでやったとはいえ、優位になった訳ではない。こちらの悪条件に目を向ければ、シールドや出力の低下は楯無の確実な死を予告している。

 

「……ここは謙虚に三分と言っておきましょうか」

 

 楯無は首にウェルキンをつかせたまま、刀剣形態にしてIS用小太刀ほどの長さになった蛇腹剣を構える。腿の辺りで刃を構えゆっくりと距離を詰めた。

 《フィアレス》は自分からは動かず、楯無が距離を詰めるに任せていた。十数メートル、十メートル、近づいても静止したままだ。

 

「来なさい、《フィアレス》……!」

 

 距離が十メートルを割ったとき、ウェルキンが言った。二者の間の見えない壁が破れたように、《フィアレス》がぶつかって来た。

 振り下ろされる左手――右腕を掴んだままのそれを、楯無は剣を携えた方の腕でブロックする。腕部へはシールドを一局偏向させている。振り下ろされる腕ごと刃の軌道を逸らすのだ。ナイフは楯無の横の空間を通過し、その間に《レイディ》は蛇腹剣をボディに向けた。刃が薄く入り、ダメージを与えた手応えがあった。

 《レイディ》と《フィアレス》が何度か交錯を続ける。腕以外が無防備になるうえ衝突のたびにシールドが減るので、この手は長く続かない。シールド残量一割のところで、まだか、と思いつつ楯無はウェルキンに視線を走らせた。

 

 彼女は、至近距離の《フィアレス》だけを見据えていた。欠片も不安の色はない。信頼されているということ、やるしかないという覚悟、両方がウェルキンの表情の中にあった。

 

 ならば、楯無はそれに答えるだけだ。幸い振り下ろされる切っ先の速度はやや鈍い。なぜかと考え、先ほどの《フィアレス》の姿――ウェルキンを守るようにして楯無の前に立っていた姿を思い出した。

 この子はウェルキンが傷つくのを嫌っているのだ。気付いた楯無は敵機に対して総身を晒し、叫んだ

 

「来なさいよ、《フィアレス》ちゃん! 大事なサラはここよ!」

 

 言葉と所作でした挑発に敵機は乗った。今までにも見せた爆発的な加速で楯無たちに襲いかかる。

 

 ウェルキンを抱えたままの楯無相手に敵機が狙える場所はどこか。顔、肩口、腹、下半身、選択肢は限定される。姿勢から下を狙っていないとわかった。なら肩より上のどこかだ。

 

 突進に合わせて楯無は軌道を完全に読んだ。姿勢を低くして切っ先をくぐり、肩から突っ込む。腕を肩部装甲に当てて押さえ《ネイル》を振って左の関節を狙った。手応えあり――《フィアレス》左肘に深々と切っ先が食い込む。

 

 やったか、と思った直後に、腹部に衝撃があった。フィアレスの膝が腹に入って息が詰まる。それ以上刃を下ろせなかった。

 

 苦痛が楯無の肉体を支配している中、ウェルキンの声がすぐ近くで聞こえた。

 

「戻ってきなさい」

 

 《フィアレス》は機能不全で曲がらなくなった左腕を楯無に延ばす。攻撃が入らないよう、楯無はウェルキンを庇った。《フィアレス》がウェルキンを避けても、万が一がある。《レイディ》のシールドも絶対防御もウェルキンにはもちろん効かない。

 伸びる手が眼前にまで迫ったとき、今度ははっきりと、ウェルキンが声を張り上げた。

 

「私の友達を傷つけないで。貴女はそんなことのために、私のパートナーになったわけじゃない。あるべきどころに戻りなさい、私の《フィアレス》!」

 

 《レイディ》の肩まであと数十センチ、というところで、《フィアレス》は止まった。間をおかず機体は量子化の光を閃かせ、装備と装甲を納めていく。

 やがて、無数の光に紛れるように《フィアレス》は消えた。楯無は腕の中のウェルキンを見下ろした。彼女の胸には暗蒼色のネックレスが戻っていた。

 

 辺りには虫の声しかしない静寂だけが残った。今までの騒音が逆に悪い夢だったようにさえ思われる。百年前から続いていたかのような、静かな夜だった。

 

「はあ」

 

 楯無は思わず息をついた。安堵した身に急に疲労がこみ上げてくる。楯無は不時着するように膝から着陸して、ウェルキンを地面に転がし手をついた。乱雑に扱われたウェルキンも文句も言わず、脚を崩してへたり込んでいた。

 楯無の周囲で量子化の光がまたたいて、機体が待機状態へと移行した。楯無はそのまま、仰向けに地面に転がる。

 

「さすがに、もう限界……」

「ええ……」

 

 二人して息を荒くしながら長く黙り込んでいた。相手の荒い息だけが互いの耳を打つ。やがて、ウェルキンが口を開いた。

 

「――楯無、ありがとう。迷惑をかけました」

 

 彼女を救ったことか、《フィアレス》を救ったことか。あるいはこの夜の騒動全てについてか。どこまでの礼かは言及しないものの、深い感謝の色を込めてウェルキンは言った。その一言を聞いて、疲労した楯無の肉体に穏やかな達成感が染み渡った気がする。楯無は柔らかく相好を崩し、乾いた声で笑って応じた。

 

「ホントにねー。ひどい目にあったよ。別に、恨んだりするようなことでもないけど――私たちの関係、もともとこんなもんでしょ」

「そうですわね。ここまで直接にぶつかったのは初めてですが」

「ええ、もう、まったく……」

 

 二人は揃って首を振り穏やかに苦笑した。笑った拍子に互いに痛むところがあったらしく、楯無は背中に手を当てながら咳き込み、ウェルキンは肩の辺りを押さえた。

 先に呼吸が落ち着いてたウェルキンが立ち上がり、立てますか、と楯無に手を差し出す。楯無は立とうとして力なくへたり込み、尻を地面につけたまま笑う。

 抱えていけ、とふざけてねだる楯無に取り合わず手を引き、ウェルキンはそのまま肩で支えた。二人は寄りあいながら、ゆっくりと歩み始める。楯無が痛みに顔つきを変えるたび、気遣わしげにウェルキンが背中をさすった。

 

 歩みを寮に向ける。互いに支え合いながらなので歩みはのろのろと遅い。疲労のためか二人とも口を開かず、道中は沈黙が落ちていた。

 ただ、不快な静寂ではなかった。不思議と以前よりも、それどころかほんの一日前よりも、ウェルキンを近くに感じるような気がする。話すことがありすぎて言葉が出てこない、そういった類の距離感だった。

 

 道半ば、というところまで来たころで、楯無はぽつりとつぶやいた。

 

「明日から、私たち、また元通りかしらね」

「さあ、どうでしょう」

 

 ウェルキンが答える。曖昧な口調だった。ごまかされたわけでもなく、本当にわからないと言いたいようだ。楯無も、同感だった。明日はやそのさらに先は、分厚い壁の向こう側のように不明確だった。楯無たちにとって、未来はもとよりそういう不条理なものだった。ある種の自動機械のように、彼女たちには止めようもない場所と仕組みで動き続けている。

 

「少なくとも、今は友人です」

 

 迷いなく言うウェルキンに、楯無は少し、嬉しくなって笑みをこぼした。

 

「ええ。そうね」

 

 はっきりとした声で答えた。今夜のことや亡国機業の狙いなど、まだ色々と考えるべきことや決断すべきことは楯無にもウェルキンにも残っている。それらも、今このときは保留にしたかった。

 

 そして、楯無とウェルキンとの関係もひとまず、友人のままだ。少なくとも寮にたどり着くまでは。できれば、明日朝目覚めるまで。もし可能なら、次に対立するときまで。その時はできるだけ遠ければいい、と楯無は思った。

 

 見上げると、天候が晴れ間に変わっており、遠い微かな星の光を見つけることができた。日付が新しい日に変わる頃の少し暖かい風が、彼女らの周りを通り抜けた。

 

 

    ◇    ◇    ◇

 

 

 ――楯無とウェルキンは、寮までの道を二人で歩く。ゆっくりと、肩を組みながらだ。

 

 体調が万全なら十分ほどでいける道程だがこの早さでは三十分ほどもかかる。誰がみても亀の歩みというべき早さで、短いようで長い道のりを消化した。

 

 そして半ば辺りまで来たところで、楯無が傍らの連れに声をかけた。

 

「そういえばさ、あの亡霊さんたちはどうしたんだっけ?」

 

 落ち着いてきてようやく思い出したらしい。楯無はウェルキンを覗き込みながら言う。

 

「彼らならいつの間にか消えていました。もとより、騒ぎに乗じて逃げるつもりだったのでしょう」

「んん、ま、あの場にいた子たちもそうなんだけどさ。ほら、亡霊さんはみんな“あの子”たちに似てたじゃない?」

 

 明言せずに言っているものの、()()を見てきた楯無とウェルキンの間でならば誰のことを指しているか明らかだ。ウェルキンはうなずいて続きを促した。

 

「確かに、そうですね……」

「ね。となると、足りない子がいるのよ。虚ちゃんから連絡があったんだけど、狙撃の場所を押さえてさ。狙撃手の子はイングランド人っぽかったらしい。結局そっちも逃げられちゃったんだけどね。

 だから、私たちが遭ったのは、イングランド、中国、ドイツ、フランス。あとの一人は、向こう側にはいないのかしらーって」

「……確かに、気にはなりますね。まあ、その一人がいたとして、もう脱出しているに――あ」

 

 話しながらウェルキンの方も何か思い出したらしい。口に手を当て何か思案を始める。楯無は首をかしげた。何か忘れものでもしたのかと訊ねると、ウェルキンは慌てたように楯無を物陰に引き込み周囲に目をやり始める。

 

「どうしたの?」

「忘れていました。もう寮の近くですから。警戒が必要です」

「確かに寮からも見える場所だけど。警備部ならこの時間には巡回はないはずよ」

 

 不思議そうに訊ねる楯無。学内の警備について楯無はオフィシャルな内部情報を持っている。

 

「寮の辺りを()()()()()()()()()()()()()はずです――彼女から土曜日、直接聞いたのに、今まで忘れていました」

 

 楯無にとっては寝耳に水の情報であったようだ。目が抜き打ちテストを食らったときの一般学園生のように見開かれる。

 

「それ、私も知らなったな。確かな感じ?」

「教員が内部的に実施しているようです。まだ知れていなくても無理はありません」

 

 通常スケジュール以外の巡回とは、効果があるかはともかく楯無のような立場にとっては厄介だ。目前まで来て部屋にたどり着くには時間を要しそうである。

 

「危ないね。もしそんな巡回があると知らないで侵入してたら……」

「ええ。思い出してよかったです、うかつにうろついているような輩は、見つかって大変な目に遭うでしょう」

 

 二人は強張った面もちでやりとりをしている。先ほどまでとは種類が違うとはいえ、緊張の度合いは同じくらいだ。インテリジェンスとしての顔ではなく、学園の規則破りをした女子高校生として――どちらも彼女らの本当の顔であるから、こちらでも真剣になるのは当然だった。

 

 実際のところ彼女らに知る由もないことだが、このときに二人が警戒する必要はほとんどなかった。

 

 楯無が言及した人物、そしてウェルキンが思い出して警戒した人物がその原因だ。

 




ドーモ、ここまで読んで下さったドクシャ=サン。クローン作者のオンタマヤです。

仕事でひぎぃしていて遅くなりました。厳密に言うと今もひぎぃ中なのですが、後編は1~2週間目処で上げたいとおもいます。

というかマ ド カ = サ ン 出 番 な し。そしてタテナシ=サンの主人公アトモスフィアを重点しすぎた気がする。影で苦労してる人、というのが好きなせいですが、自分の好みに寄せて書きすぎたかもしれません。

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