もしも彼女にもハーレム因子があったなら   作:温玉屋

10 / 15
間が空いてしまいました。話を忘れられている可能性がありますので、前回までのあらすじを書いておきます。

1.マドカさんとウェルキンさんは学園内でこそこそ取引をしようとしておりました。
2.しかし正義の痴女・更識楯無により痴女特有の勘でああああっという間に看破され、いいようにやられてしまいます。
3.首を絞められて本格的♀降伏勧告をされるマドカさんですが、その目は野獣の眼光で一転攻勢の機会を狙っているのでした。


第10話 銀の弾丸

 分隊規模の歩兵を討つのにISを用いる。楯無の行動は、さしずめ牛刀もて鶏を割くの現代版と言ったところだ。楯無の実感としては故事とは逆に大げさすぎてかえって処し難いというところだった。少女の細首に車両の装甲さえねじ切るISの腕をかけるというのは、それほどにアンマッチで威力過多な行為であった。

 

 当初の想定では、楯無は初動で奇襲でもってウェルキンとISを制圧し、しかる後に亡国機業エージェントを押さえるつもりだった。実現していればウェルキンもなんなく撃破できるし、亡国機業も捕らえうるわけで、理想的であっただろう。実際には、あの織斑千冬に似た少女が楯無に真っ先に気づいたことで出鼻を挫かれ、計画は始まる前に頓挫していた。

 その後の展開は語るまでもない。ウェルキンが発煙弾頭で視界を乱して抵抗したりはしたが、楯無は小技で撹乱を破り彼女の機体には中破もしくは大破の被害を与えている。その後は、亡国機業の兵たちの妨害が激しく、ウェルキンにとどめは刺せずに膠着を作られ掛けたが。

 

 ――これで、チェック。

 

 それもこうして亡霊のリーダーと思しき少女を捕らえたことで終わった。射撃も今は止んでいる。ほぼフルオートで撃たれた割に驚くほど精度のある銃撃で、兵らの攻撃だけでシールドが二パーセントも減っていた。学園に入って以来、ウェルキンやフォルテ・サファイアなどの専用機持ち以外にこれほどシールドを減らされた記憶はちょっとない。

 

 とはいえ、実際の所、強引にウェルキンや亡国機業を制圧することはできた。《フィアレス》を性能差で押し切り、歩兵はISの頑強さに任せて虱潰しに無力化すれば容易にこの場を制圧可能だったに違いない。が、その場合亡国機業の兵は死傷させざるを得ないし、《フィアレス》撃墜に際しても歩兵たちを倒すのにもさらなるエネルギーの損耗は避けがたいだろう。

 

 この状況で楯無をして判断をせしめたのは、彼女の脳裏を占めている疑問である。

 

 ――亡国機業の兵がこの場に踏みとどまっている理由は?

 

 この一事が、先ほどから彼女の頭から離れなかった。分からないのだ。確かにウェルキンを見捨てたところでさしたる時間稼ぎにはならなかった。しかし、そのことを勘案しても、劣勢な立場で戦闘を維持している割には彼らの士気が高すぎた。

 義理や付き合いで戦っているとは思えない。彼らがただの無能であることを期待するつもりもない。いたずらに破滅を先延ばしにしているのではなく、おそらく待つこと――この膠着が続くことが、彼らの助けになるのだ。

 

 例えば、彼らにも増援のISが来る、というような。そして、楯無の掴んでいる限り、亡国機業が所持しているISでまともに動員可能なのは、スコール・ミューゼルの機体だけだ。

 

 スコール・ミューゼル。その名が思い浮かべると、楯無は表に出さずとも唇を噛む思いがする。彼女がもし来たとしたら勝てるのか。あるいはその前に、戦果としてこの兵らを捕らえて退くべきか。

 ともあれ、どちらの場合でも事態が引き延ばされることは楯無にとって望ましくはなかった。

 

「さあどうするの、サラ・ウェルキン!」

 

 慎重に亡国機業の少女の喉頸(のどくび)を掴みながら言った。細い首筋は気を抜くと()()折れそうだ。少女も苦しいのか、楯無の腕を掴んで吊られた身体を支えている。

 

 ウェルキンは唇を噛んでいた。迷うのも無理はない。いまさら降伏するか、楯無の手の内の少女を顧みず望みの薄い戦いを続けるか。すでにウェルキンの手札にはリスクを負って被害を小さくするカードしかなかった。

 

 と、そのときになって、少女の顔に不意に笑みが浮かんだ。無理に笑ったような表情の変化をし、口の中で何か呟いている。楯無は訝しげな顔つきになった。視線か少女を捕らえると、彼女はその不敵な面持ちのまま口を開いた。

 

「……捕縛と……サラ・ウェルキンの降伏にこだわるのは、更識の立場があるからか」

 

 あざ笑うように楯無に語りかけてくる。窮地にいるのも忘れて、相手をなぶるような表情だった。楯無は、目だけ油断ない色を保ったまま応じた。

 

「あら、この期に及んでお喋り好きになるなんて思ってもみなかった。

 まあ、有り体に言えばそうよ。うちの家もヤクザな一族でねー。ナメられたら終わりってとこがあるの。だから、貴女については、そう優しくしてあげられない。ごめんなさいね」

 

 楯無は彼女の態度を虚勢とは考えなかった。何かたくらみがあるのは分かる。首に回した力を少し緩めた。少女は傷めつけられていた喉に呼気を取り戻し、激しく咳き込んだ。

 

「――違う、な」

 

 切れ切れの息の合間から少女は言った。

 

「貴様が気にしているのは更識の直接的な権威ではない。日本国内での()()()()()だ」

 

 楯無は目をすっと細める。浮かべていた人を食った笑みが、潮でも退くようにどこかへ去っていく。一方、それを見ていたウェルキンの目には怪訝(けげん)な色が宿る。無理もない。マドカの口にした言葉は唐突で、パワード・スーツで首を掴まれながら言うにはおよそ場違いな言及だ。

 マドカは続ける。顔には薄い嘲笑らしいものを浮かべたままだった。

 

「……更識の行動には、そもそもおかしな所があった。四月からここまで織斑一夏がらみで起こった連続するトラブルの発生をほとんど無視し、学園の夏期休暇が終わってから思い出したように事態への干渉を始める。支離滅裂だ。手違いか、学園内の手勢が足りないのか。

 あるいはただの“無能”か」

 

 少女が(ろう)する言辞に、楯無は自分の顔からさらに感情が去っていくのを感じる。少女は続けた。

 

「そもそもあのイレギュラーの入学で起こるトラブルが予測できなかった、ということがあり得ない。加えて都合三度も起こったヤツがらみのトラブルを、阻止するそぶりすら見せなかった理由は、先の三つの他ない……当初はそう思っていた。先のIS学園のイベントまではな」

 

 いったんそこで言葉を切る。楯無に視線を重ねてから、続けた。

 

「おかしいと思ったのは、先日のキャノンボール・ファストだ。会場にいた情報系の警備には更識の手勢が十七人。が、それだけいたのに――()()()()()()()が一人もいなかった。

 学内ならともかく、あの会場は日本国内だ。もし政府に本気で警備する気があるなら、自衛隊でも公安でも、あるいは政府系PMCでも、人員を向けることは可能だったはず。

 やれるのにやらなかった、となれば答えは一つだ。更識は学園内で手勢が不足だけではない」

 

 少女は楯無の肩越しにウェルキンに目をやる。

 

「――貴様、日本国内で孤立しているな。政治的に、それも増員も手配も、全て一族の家内で(まかな)わねばならないほどに。理由までは知らんがな、ロシア代表の日本人。

 大方、亡国機業の兵とサラ・ウェルキンを捕縛して見せて、政治的なカードに使うつもりか」

 

 背後でウェルキンの視線が少女と楯無を捉えているのを感じる。楯無は応えなかった。少女の言が正しくとも謝っていようとも、応えてやる必要や義務はない。少女もウェルキンも、答え合わせが欲しい訳ではないだろう。勝手に考えさせればよい。

 

「自分の想像ばかり、よく喋るわね。仮に貴女が正しいとして、今それを言うことになんの意味がある?」

 

 冷たい声音が辺りに響いた。口にした楯無自身が驚くほど、平坦な色の声だった。

 

「意味はある。一つには、……そこのイングランド人に、苦しい状況は貴様も同じということを伝えられる」

 

 少しきつくなった首元に顔を(しか)めながら、少女は答える。言いながら、少女は目をウェルキンの方へ走らせていた。

 恐らくウェルキンは楯無がどういう状況にいるかまでは理解していなかったはずだ。だから楯無の談判に逡巡した。そして今その表情は、再び焦燥の熱から覚めつつある。結局のところ、苦しい状況にいるのはウェルキンだけではない。楯無も、亡国機業の少女らも、この場にいる全員がぎりぎりの立場に頭まで浸かって戦っているのだ。ウェルキンは今、ようやくそれに気付いた。精神的に全員が対等になってしまった。

 

 ただ、もちろん亡国機業の狙いはそれだけはない。気の持ちよう一つで勝てる、ということがない以上、次の手があるのだ。

 

「もう一つの理由は……」

 

 来る。楯無はハイパーセンサーのパッシヴレーダーに意識を集中した。おそらく狙いはISによる増援。楯無はそれの気配を察知しようとセンサーの感度を超望遠の範囲に引き上げていた。

 海港エリア全体はもちろん海上まで、キロメートル単位の検知で範囲にいれる。ステルスを使っていてもめいっぱい感度を上げておけば接近は感知できるはずだ。来ると分かっていれば、受けられる。

 

 どこから来る。どこから――、海側から低空侵入、あるいは上空から急襲。楯無がレーダーの感度を、そして意識を遥か遠くにやったそのとき、彼女が警戒していたものの到来がイメージ・インタフェースから告げられる。ハイパーセンサーによるロックオンだった。

 

 ただしそれは遠距離からでも上空からでもない。距離は後方()()()()()()。しかも、地上からだった。

 

「何!?」

 

 それまで冷静たった表情に驚愕が浮かび、楯無は後方視界に注意を飛ばす。ハイパーセンサー反応の元には、バトルライフルを構えた背の高い銀髪の兵が姿を見せていた。

 

 フードを外している顔から少年と分かる。彼の珍しい髪色に楯無は見覚えがあった。ラウラ・ボーデヴィッヒ。男でその上、短髪の長身と全てにおいて正反対ではあるものの、銀髪で彫りの深い少年の容姿は、彼女も知るドイツ人の学園生とよく似ていた。

 

 そして彼の()()は今、ラウラ・ボーデヴィッヒの片眼――眼帯の下の瞳と同じ、金色に染まっていた。

 

「疑似ハイパーセンサー!?」

 

 生身でも最長二キロまで狙いをつけられる視覚強化。性能で言えば比べようもないが、ISのそれと仕組みを同じくするシステムだ。《レイディ》が発したハイパーセンサーへのアラートはこれに対するものだった。

 

 溶かした金のような強い輝きを見て、楯無は一転狙われた獣のように身を翻そうとする。疑似ハイパーセンサーは彼女をロックした。そして、彼らは先ほどから局地データリンクらしいものまで使っている。つまりこの男は、楯無の位置情報をどこかに送っているのだ。そこまで考えれば、次に起こる事態は予想できた。

 

 完全に思考がISへの警戒に居付いていた回避は遅きに失した。回避動作に移るのとほぼ同時に、《レイディ》のアクア・クリスタルに向けて遠距離、一五〇〇メートル空間を置いた地点から、狙撃手が発砲したのである。

 

 狙撃。それも実弾ではなく対人・対物ライフルでもない。放たれたのはIS規格のX線レーザーが二条だ。位相と振幅を揃えた不可視の光線は、正確に《レイディ》のアクア・クリスタルに命中した。

 

「――!!」

 

 やられた、と思った。高出力のレーザーが易々とシールドを、そしてアクア・クリスタル自体を貫通する。二基の特殊兵装は激しく発光部を明滅させながら緊急停止した。楯無は思わず少女を掴んだ手を緩める。少女は《レイディ》の機体を蹴って拘束から逃れ、地面に転がって伏せた。

 その間に、《レイディ》戦術AIは楯無に対して荒々しく警告メッセージを叩き付け、次いで両肩の部品を自動で切り離した。一基は機能を失ったままグラウンドに落ち、もう一基は分離直後に爆発を起こして四散する。至近からの衝撃は《レイディ》本体を襲って、シールドエネルギーを削った。

 

 次が来る。楯無は地を這うようにPICを動作させ避退、グラウンド脇のコンクリート塀の影に飛び込んだ。

 アラートを鳴らし続ける戦術AIは、三次元レーダーによる射撃位置逆算に加え、一連の攻撃を行った兵器の推定を提示していた。

 

 BASシステムズIS用二〇ミリX線レーザーライフル――通称《スター・ブレイカー》。

 

 戦闘を始めてから数十分、このとき楯無の表情が初めて歪み、噛みしめた唇からは僅かに音が漏れた。

 

    ◇    ◇    ◇

 

「……ヒット」

 

 港湾エリアのとある建屋の屋上でセシル・オルコットの声が響く。辺りには人影、灯りの類はなく、声に出して確認したのは彼自身への確認のためだ。

 

 人工島南部を視界に収める高所にセシル・オルコットは一人、都市迷彩・対赤外線のシートを被って伏せっていた。水中浸透の際使った浮体をクッション替わりに、目許には《ゼフィルス》のバイザーを装着しており、また手には同機のレーザーライフルを構えている。水損に気を遣いながら慎重に運び込んだうえ上陸直後に彼が組み立てていたあの銃器は、このIS用ライフル《スター・ブレイカー》だった。楯無の《レイディ》、正確には特殊兵装アクア・クリスタルを狙い撃ったのは、もちろん彼だ。

 

 現在の位置は楯無の地点からは一五〇〇メートル強離れている。五人の中で最も遅れて行動を開始した彼は、上陸地点からマドカたちの居る地点から離れる方向に移動していた。狙撃に際し、射界を最も広く確保できる地点を保持するためだ。

 

 ただしこの距離では完全な視界があっても命中は難しい。まして今は真夜中に近い視界ゼロの状況である。何らかのアクティヴ探知手段がなければ照準さえ不可能だ。しかし相手はIS――世界で最も鋭敏な探知機器、ハイパーセンサーを装備した敵である。レーダー波を頼りに狙撃するなど、銅鑼を叩きながら奇襲することに等しかった。

 

「いい仕事です、B」

 

 オルコットはバイザーの表示を読むと呟く。彼の視界には楯無がアクア・クリスタルを喪失した旨の情報が通知されていた。

 この制限下で正確に狙撃を実行するための鍵が敵前で観測を行ったボーデヴィッヒだ。彼が疑似ハイパーセンサーで取得した位置情報・三次元データ・現地の大気状態が、全てデータリンクを介してオルコットのバイザーに転送されている。オルコットは受領した情報だけを頼りに、間接射撃でレーザーを《レイディ》に放ったのだ。

 

 彼女ほどの実力者をISを着けた状態のまま撃つにはこれしかなかった。ハイパーセンサーの探知からも見逃されるほどの悪条件ごしに狙撃を行うのが、楯無に損傷を負わせる唯一の方法だったのだ。

 

「M……。皆、御無事で」

 

 額の前で十字を切った後、オルコットはレーザーライフルを抱え上げた。彼の視線はライフル側面のコンソールに走る。整備士――スコール部隊の場合は篠ノ之――が調整をするために使うディスプレイの表示は、チャンバー内のエネルギー残量がゼロに近いことを通知していた。ISの兵装はコアのラインに繋いでいることが実用稼働の前提条件である。この状態では、出力を絞っても二回が限度だ。

 

 オルコットは長い銃身を支えたまま、足を振り上げてブーツの底で弾倉交換レバーを蹴りつけた。体重を乗せた衝撃でも弾倉部分はなかなか外れない。もともとがISの力で動作するレバーである。何度も蹴りつけることでようやく動作し、がこん、と音を立ててエネルギー弾倉が地面に落ちた。オルコットはすぐに傍らの荷物に手を伸ばす。地面に予備のマガジンと、それに直結したアダプター付きの外部エネルギーパックが一つだけある。着用して再度狙撃体勢に入るつもりだ。更識楯無は遮蔽物の影に隠れたらしいが、出てくれば撃つ。今度は別の武装、あるいはボディを狙うところだろう。

 

 彼の荷物は少ない。持っている武器といえばせいぜい腰のホルスターの拳銃くらいで、レーザーの予備弾倉は他に見あたらない。つまり撃てるのは後多くとも2発だ。重機関銃なみに重量のあるIS用ライフルを担いでこの建物に移動したことを考えれば当然とも言えた。

 

「どのみち余裕はありません。上首尾(うま)くいってくれれば良いのですが」

 

 オルコットの独語が小さく漏れる。一人で暗闇の中待機する彼に、いつも浮かべているような笑みはない。笑って見せるような他者がいないためか、あるいは本当に笑う余裕もないものか、どちらであるかはオルコットにしか分からなかった。

 彼の着けたバイザーの中には、データリンクで送られた最後の味方の位置が映っている。学園島の半分ほどが映った画面には、彼から一番近い位置に、夜闇の向こうで敵と対峙するマドカたちの位置が表示されていた。

 そのディスプレイの中をよく見ると、マドカたちからかなり離れた位置にも友軍を表すマークがある。戦闘地域よりさらに北側、学園生徒たちの生活圏にもかかる辺りだ。そこには篠ノ之を表すSのコードが表示されていた。

 

「しかし、“銀の弾丸(Silver Bullet)”ですか。ずいぶん見得を切りましたね」

 

 表示を見てオルコットは呟く。篠ノ之が送ったという、マドカたちの奥の手を表すコードだった。口振りからすると、彼が“銀の弾丸”というわけではないらしい。

 

 篠ノ之と同じ位置にはさらに記号があり、そこには《YF-51 SG》と表示されている。ISや戦闘機など、何らかの機体の存在を示すコードだ。そして、その記号で呼ばれる亡国機業の機体は一つしかない。

 

「“その機体”に掛けたんでしょうが……。大きく出たからには頼みますよ、S」

 

 涼しげにも見える額を、一筋汗が垂れ落ちる。

 

    ◇    ◇    ◇

 

「《ゼフィルス》のX線レーザー……」

 

 ウェルキンは眼前の光景を見て唸った。指向性の高いレーザーはハイパーセンサーでも不可視だが、大気中ならその通り道に残る温度変化が軌跡となって検知できる。また戦術AIは大気の変化を検出と同時に記録し、注意が足りない人間にも知らせてくれていた。

 

 ウェルキンは《フィアレス》からの報せで、目の前で起こっている事態をようやく理解した。亡国機業は一〇〇〇メートル以上離れた場所からX線レーザーライフルでアクア・クリスタルを撃ち抜いたのだ。

 

 凄まじい腕だった。先ほどの疑似ハイパーセンサーの位置情報だけを頼りに射撃したはずなのに、()()はおそらく最初から楯無の特殊兵装だけを狙って放たれていた。

 

 この距離ならセオリーではボディーショットを狙うところである。得物がレーザーだろうと対物ライフルだろうと変わりない。

 実際には彼らはそれをしなかったわけだが、理由はウェルキンにも想像が付いた。生身の人体相手なら胴体でも致命となりうるが、ISでは違う。操縦者が死傷するような箇所を狙った場合、命中したとしても間違いなく絶対防御――《ブレイカー》の出力なら十分シールドは貫ける――に攻撃が阻まれる。エネルギーを大幅に削れるものの二発では撃墜することができない。狙撃したところで戦闘能力がそのままの残るなら、楯無は優位なままだ。それではISなしで戦う彼らにも、性能に致命的な差があるウェルキンにも意味が薄かった。

 

 これに対し武装を狙って《ブレイカー》で狙撃すれば、絶対防御は発動しない。そのうえシールドを貫通すればまず一撃でターゲットの兵装を破壊できる。あの厄介なアクア・クリスタルを喪失すれば、《レイディ》はその性能を相当に下げる。おそらくは、ウェルキンでも与しうるほどに。

 

「しかし、本当に無茶をします」

 

 言うだけなら易いが、その為に彼らが乗り越えて見せた壁は多大だった。長大な距離越しの夜間精密射撃。しかも、楯無の「清き熱情」の余波で湿度が増し、屈折率が不安定になっていたことを考え合わせれば、身体のどこかに命中すれば幸運と言うべきレベルだ。

 

 《レイディ》はもちろんウェルキンの《フィアレス》にも、本当に撃たれるまで射手の位置が分からなかった。アンブッシュしたときの隠密性ならば、生身の歩兵とISを比したとき、前者に軍配が挙がる。また少女が殊更に長広舌を振るったのも、今なら狙撃のに最適な状況を作り出すための行動だったと分かる。あれの狙いは味方への合図とともに、おそらく楯無の動きを止めることにあった。

 

 その楯無は今、狙撃手の射線に身をさらすことを嫌って、いったん遮蔽物に退避している。ウェルキンは彼女から距離を起きつつ、塀の開口部にIS用拳銃をポイントした。

 

 ウェルキンの三六〇度の視界の中で動いたものがいた。地面に転がって楯無の爆発から逃れた少女、そして、あの銀髪に疑似ハイパーセンサーの少年、さらにその後ろの茂みから、背の高い、八重歯に切れ長の目をしていたアジア系の少年が現れる。彼はどことなく顔つきが、一年の中国人に似ている気がしていた。ちなみに、ウェルキンは彼女の名前を忘れている。確か代表候補だ。

 彼はのびているシャルロット・デュノア似の少年を起こし、彼が取り落とした装備を回収する。たしか剥離剤と楯無が読んでいた装備だ。彼らの様子からしてISに対して効果があるらしい。彼は、手に取った剥離剤を、少女に向けて投げ渡した。

 

「大口を叩くだけのことはありましたわね。大した物です。あれがあなた方の“銀の弾丸”というわけですか」

 

 ウェルキンは少女に向けて言った。亡国機業の事情を知らないウェルキンがその単語を選んだのは偶然だった。困難な問題を片付ける、たった一つの冴えたやり方。ただのイディオムとして、ごく自然に口に出したつもりだ。

 

「いや……」

 

 少女は曖昧に応え、首を振る。アジア系の少年から放られた剥離剤を手に取った。

 ウェルキンが述べた感嘆にも眉一つ動かさない。戦闘前、合った当初と変わらず、静かな表情のままだ。そういうところは“本家”と違うな、とウェルキンは思う。今助け起こされている“デュノア”も含め、どうも彼女ら/彼らがIS学園の一年生グループと似ているのは姿形だけで、人柄は似ても似つかない。例えば、さっき少年が楯無を罵った英語で言えばBワードに相当する単語など、シャルロット・デュノアは知りもしないだろう。

 

「Dの怪我は?」

 

 少女が“D”を起こした少年に聞いた。彼は「よくねーな。銃創っつーか刺創っつーか。流体が貫通してる傷もひどいが。それよか頭を打ってるらしいのが」と応える。意識を失っているらしい少年は、一番大柄な銀髪が背負った。

 

「そうか」

 

 少女の顔に初めて表情の変化が現れた。唇を噛み、小さく舌打ち。僅かな変化だが、冷たく平らな感情に表れた些細な変化は嫌でも目につく。

 

「それで、あなた方はどうするつもりですの。まさか永遠にこの体勢をとり続ける心算(つもり)でもないでしょう。

 ……負傷者もいるようですし」

「気遣いのできるスパイさんって、素敵だねえ」

 

 ウェルキンが言うと、彼らのうちアジア系の少年が口を開く。軽く叩いた無駄口に、少女と銀髪が二人して彼を睨み付けた。少年は溜息をついて肩をすくめる。嘆息したいのはウェルキンの方だ。

 

「特殊兵装を喪失させた《レイディ》を《フィアレス》に牽制させて離脱。そのつもりだったのでは?」

 

 彼らの力単独では、楯無を退けられない。もちろん、ウェルキン単独でもそれは同様だ。彼らが兵装を狙って破壊したのには、初めからウェルキンの戦力を当て込むところがあったはず。この場における弱者同士が協力して生き残る。

 ウェルキンはそう考えていたし、客観的に見ても手持ちの材料からすれば、彼女の判断はほぼ合理的だった。

 

「およそ、その通りだ」

 

 彼女は言って、ウェルキンに近づいた。手には、剥離剤を持ったままだ。何をするのか、とは、このときウェルキンは思わなかった。

 

「――ただ一つ、足りないことがあるが」

 

 その後の行動が、ウェルキンの予測を超えていた。彼女はさらにウェルキンの近くに身を寄せる。ちょうど身体に手が触れられるほどの距離だ。

 

「え」

 

 そしてそのまま、手に持った剥離剤――百科事典ほどの大きさ、厚みの金属と、ISにとりつくための脚を持った装置を、ウェルキンに押しつけた。皮膜装甲とスーツで覆われたウェルキンの腰の、ちょうどくびれの辺りに甲虫のように張り付く。

 思わず間抜けな声を上げたウェルキンは、彼女の表情を見た。一瞬前までよぎっていた微かな感情は、もうどこかへ去っていた。残っているのは底冷えするような目つきだけ。物でも見るような眼差しに、寒気が降りるのを感じる。

 

 少し遠くから、声が聞こえた。

 

「貴方たち、何を!?」

 

 楯無が叫んでいる。遮蔽物から半身を出した彼女はガトリングの銃口を向けていた。楯無が彼らを撃とうとした直後、彼女の足許でアスファルトの地面が小爆発を起こす。レーザーによる狙撃はまだ彼女を狙っていた。

 

「サラ、それを外して!」

 

 楯無は歯がみをしながら言った。彼女はこれの効果まで知っているらしい。反応からすれば間違っても楽しい装置でないことは確かだ。それどころか、彼女の声はウェルキンを案じているようにさえ聞こえる。

 しかし結局、ウェルキンが腰の機械を払いのける間はなかった。ウェストの一番細いところに張り付いた機器は、前触れもなしに動作し――激しい衝撃が彼女の肢体を襲った。

 

 悲鳴をあげる暇もなかった。いつぞや楯無に当てられたショックを上回る衝撃だ。身体的なものだけでなく、意識にスプーンを突っ込まれて乱暴にかき回されるような感覚がウェルキンを駆け抜ける。

 自分の身体とISに何が起こったのか、定かには悟る余裕もないまま、サラ・ウェルキンの身は投げ出された。固いグラウンドに背中から叩きつけられ、そのまま転がる。すさまじい嫌悪感が身体を駆け下り、口の中に砂の味を感じる。

 

「何、を……」

 

 起き上がろうとするが動けなかった。自分の胸が息をつく度に上下しているのを、ウェルキンは他人の身体を見る思いで認識していた。思考は妙に鮮明だが、身体がぴくりとも反応しないのだ。意識と身体を繋ぐ大事なラインを、どこかで切られたかのようだった。

 なんとか自由になる目だけを巡らし、ウェルキンは周囲を見る。そして気付いた。すぐ近くに暗青色の大型ISが立っている。誰の、どこの所属の機体であるかは、間違いようがなかった。それは紛れもなくつい先刻までウェルキンが装着していた《フィアレス》だ。授業で生徒の搭乗を待つ訓練機がそうするように、完全展開状態でそこに鎮座していた。

 

 そんな、どうして、と、自分の口がそんなことを言った気がした。起動状態のISに直接手出しを出来るような手段など、ウェルキンは聞いたことがない。彼女が無知だったのか、別の理由があるのか。経緯はどうあれ、結果は眼前で展開している通りだ。

 

「な、ぜ――」

 

 次いで、なぜ自分が攻撃を受けたのか、疑問が口を割って出た。ドライバーを引き剥がすのがあの剥離剤の効果だということはさすがに理解できる。それをしたのが亡国機業だということも含めてだ。しかし今のウェルキンには、この状況で一体誰が得をする、ということが分からない。第一、彼らは母国との取引相手だったはずなのに。

 《フィアレス》には銀髪の少年と少女が近づき、機体にある整備用コンソールに手を触れていた。何を入力したかは不明だ。少年が少女に指示を投げかけ操作をしている。

 

「く……それに、触るな……さわらないで……」

 

 動ける物なら飛びかかって制止しただろう。今は、口で制止するのが精一杯だった。声に出して何になるのかと思うくらい無意味で弱々しい抵抗だ。銀髪の少年は一瞥だけをくれた。少女の方は制御部の操作に忙しく、見向きもしなかった。

 

「コアネットワーク接続。PtPデータリンク。《YF-51 銀の福音》……開始」

 

 少女が簡潔に、ウェルキンの手から離れたウェルキンの機体に指示を与える。そして、制御部にキスでもするように顔を近づけ、ぼそりと“何か”を呟いた。

 一瞬の間があった。ひどく長く感じられたが、実際には一秒もなかっただろう。《フィアレス》は静かに電子機器だけが音を立てている。コアネットワークへ接続しただけではISに目に見える変化は生じない。

 

 よって、その次の瞬間に《フィアレス》に起こった“変貌”は、コアネットワーク接続のによるものでなくその結果――彼らの命じたデータリンクの結果、接続先から送られた情報によるものに相違なかった。

 

 暗闇の中に不意に光が走り、ウェルキンは思わず目蓋を閉じた。《フィアレス》が、ウェルキンの機体が、カラーリングと同じ暗青色の光を放っている。光は機体の中心、コアが座しているはずのあたりから放たれていた。

 目を閉じていてもなお痛いほどの光度だ。ウェルキンの目許にはいつの間にか滲んだ涙が滴になっていた。眩しさのためか、身体の嫌悪感からくる生理的なものか、あるいは精神的な事由か、ウェルキン自身にも判然としない。

 

「気持ち悪いかい? すまんねー」

 

 アジア人がウェルキンのことをのぞき込んでいる。欠片もすまないと思っていなさそうな口調で、なぜか苦笑を浮かべてウェルキンと視線を合わせてきた。

 

「ま、しばらくすりゃ楽になるよ。キツめの金縛りと二日酔いが一緒に来たようなもんだからさ。なんせ、量子的精度の意識情報連結から強引に引き剥がされたんだ、無理も……って、おわわわ!」

 

 彼は最後まで言い切ることができなかった。空気を裂く瞬時加速の爆発音が、ウェルキンの耳にも届く。《フィアレス》の変容を見た楯無が、遮蔽物から飛び出し突貫してきたのだ。彼女を警戒させていた狙撃は、なぜかこのとき楯無を撃たなかった。肉眼では追いかねるほどの速度で、ウェルキンとの戦闘で見せたものを速度で上回る踏み込みだった。 が、今回は先ほど、亡国機業の少女がやられた時とは同じ展開にはならなかった。楯無の進路、ちょうど延長線にウェルキンの肢体が横たわるところに、暗闇の中で蒼い光を放つ大きな“何か”が飛び出したのだ。

 

「……《フィアレス》!」

 

 ウェルキンの口から呟きがもれる。楯無の進路を塞いだのは、誰も搭乗していない《フィアレス》だった。HMW-17、女王陛下の翼(Her Majesty's Wing)の建造番号十七番。ウェルキンに貸与された機体が無人で再起動し、向かってくる楯無の前に飛び出していた。

 

「自立行動で!?」

 

 楯無が声を上げる。満身創痍の装甲で向かってきた《フィアレス》を認め、驚きながらも《蒼流旋》を構える。そのまま先刻ウェルキンに食らわせた一撃のように打ち下ろした。相対速度、双方の軌道を考えれば、新鋭機でさえ回避できない斬撃だ。こと、変容が起こる前の鈍重な《フィアレス》に対するならば十分を過ぎたはず、だった。

 

 楯無の振りを受けた《フィアレス》は機体各部のスラスターを、スペックを大幅に上回る勢いで噴射する。本来補助動力に過ぎないそれは、ウェルキンさえ主機かと見紛うほどの出力と加速に変貌しており、機体は弾かれたように加速した。当然、二機の距離は予期よりも早く、計測困難なほど短い一瞬で消滅する。スラスターとコアの放つ光の向こうに、楯無の目が驚愕で開かれるのがウェルキンからも見えた。

 完全に槍の軌道の内側に飛び込んだ《フィアレス》は無駄のない所作で体を裁き、機体を捻るようにして両腕を振りぬく。楯無の槍の柄、そして左前に構えた楯無の右手をつかみ、非対称に四つに組んだ形になった。

 それだけなら、先ほどまでなら簡単に負けていたところだ。しかし、変容によりスラスターだけでなく各部パワーアシストの能力まで跳ね上がっているらしい。右腕と槍、先ほどの戦闘で装甲面が剥離した左腕と右腕がぶつかった瞬間、衝撃だけで楯無が()け反るほど《フィアレス》が激しく押し勝った。

 

「ちょっとっ……!」

 

 出力に勝る機体と組み合うのは、楯無に不利だ。楯無もそれを見切ったらしく、直後に地面を蹴った。PICで重心を支えながら、脚部装甲で《蒼流旋》を上から下へ蹴り抜く。競り合いと違う方向から力を加えられ、衝撃で二機がともに槍を取り離した。力比べから解放された長槍は上空へ跳ね上がり、《フィアレス》のすぐそばに落ちて突き刺さる。

 楯無はそのまま低い軌道で後方へ舞い、距離を置いて着地した。一方の《フィアレス》も僅かに移動し、背後に亡国機業の兵らを――いや、その後ろのウェルキンを隠すようにして、楯無の前に立ちはだかった。

 

 その間にもコアの光は強さを増している。光が機体に及ぶと、その形状が変容を始めた。兵装支持架がある大型の左肩部装甲がばつん、と音を立てて切り離され、瞬時に量子化する。その他も機体各部の重装甲が次々と音を立てて切り離され、機体は肉がそぎ落とされるように、シルエットさえ変えていった。上体に装甲が集中した逆三角形ぎみのシルエットから、ライダースーツのようにスマートな形を成形しつつある。そして、装甲が落ちた箇所には、全て今までなかった小型のスラスターが発現していた。

 

 ウェルキンの中でぐるぐると廻っていた言葉が、結論になってようやく唇を割って出た。

 

「自立行動――いや、暴走と二次移行(セカンド・シフト)を、《フィアレス》で……」

 

 頭痛が走り始め最後は言葉にならなかったが、《フィアレス》に起きているのは、まさに口にしたとおりの事象だった。形態が変容し、機体に不足していたものが形成されていく。

 

「福音事件!」

 

 楯無がウェルキンの呟きの後を引き取るように言った。その事件は、情報部の間では周知の事実だ。七月、ハワイ沖から日本近海のエリアで米国の機体が暴走し、学園一年生の専用機ドライバーと交戦した事件。そこでは篠ノ之箒の単一仕様発現に加え、世界でも例の少ない二次移行が二件が同じ現場で起こったという。二年のウェルキンと楯無には見られなかった起こった事象の一部が、目の前で事実として再演されていた。

 

「その機体に何が起こっているかは、説明するまでもないようだな。見ての通り、福音事件の再現だ。その《メイルシュトローム》級は、自立行動状態に陥り、今二次移行を果たした」

 

 少女が言った。胸の前で腕を組み、今度は彼女が睥睨するように楯無を見つめている。両脇には、少年三人(一人は背負われて気絶しているが)、周囲を警戒していた。

 最近に亡国機業に奪われたという合衆国の機体。《銀の福音》という名、二次移行、合衆国の機体、といういくつかの単語がウェルキンの脳裏を廻っていた。

 

「シフトに伴い出力と機動が上がったようだ。並の第三世代機では相手になるまい」

 

 いいながら、少女はウェルキンに一瞥をくれる。ウェルキンの視線の先では、彼女の手を離れた彼女の機体が、静かにうなりを上げ、機体周辺のPICの重力の影響で、砂が波紋を作るように僅かに動いていた。

 

「これが()()の“銀の弾丸”だよ」

 

 ウェルキンの言に答えるように、少女は言った。

 

「合衆国から機体を“奪った”のは、このために……」

 

 少女の言を聞きながら、ウェルキンは身を起こそうともがいていた。ようやく動くようになった身体は、首をもたげる度に頭蓋にひびが入ったのかと思うほど激しい痛みに見舞われる。

 苦痛の海に沈んでいるような状況の中で、ウェルキンの思考はある一つの疑義に達しつつあった。

 彼らはコアネットワーク越しに《銀の福音》に接続したが、ウェルキンの知る限り合衆国の機体もまた他の国の軍用機と同様に、一機辺り一人から数人の登録済みパイロットしか起動出来ない。認証はパスワードに加え、虹彩・静脈等の生体データを用いる。ハッキングでそれ突破しようとすれば、ISコアの量子コンピュータ性能をフルに活用しても、並の技術者では一年以上はかかるだろう。

 そして、福音が強奪されたのは九月末。これが意味することは一つだ。

 

 ――合衆国(ステイツ)も、彼らに協力している。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 時刻は少し戻り、二十二時すぎごろ。戦闘の状況で言えば、《レイディ》とウェルキンの戦闘が開始する頃のことである。

 

「鈴、鈴、りーん。ねーねー、アロマいれていいかな」

 

 IS学園の寮の一室で、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身のティナ・ハミルトンが、ルームメイトの小さな背中に抱きついていた。楽しげに鼻歌を歌いながら、自分より小柄な彼女を強くハグしている。

 

「あーもう、うっとうしい。髪とかしてんだから、くっつくなー! いーわよ、アロマなら。好きにして」

 

 ハミルトンのルームメイトの少女は、髪にヘアブラシを入れながら、鬱陶しそうに彼女を払いのける。本気で嫌そうにはしていない。ただ、自分がぬいぐるみよろしく抱かれるのが気に入らないというという表情だった。

 普段彼女がしているツーテールの髪は今は解かれ、長いストレートぎみの黒髪が背中まで降りている。ちょうど風呂から上がったところらしく大きめのジャージ姿で、頬にはやや赤みが差していた。

 

「ていうか、ティナはなんで夜中なのにそんなテンション高いのよ」

 

 若干渋い顔になりながら、やたらに元気がよく、しかも空気を読まない友人を見ている。ルームメイトの少女の足許には、衣服がいくつかと、駅前のショッピングモールに入ったアパレルの紙袋が置かれていた。今日の昼間、街にショッピングに出ていたらしい。

 ハミルトンは頭を掻いて笑うと、デスクの上のディフューザーに寄った。

 

「いやー、昼にウェルキン先輩、それと生徒会長のお茶会にお呼ばれしちゃってねー。憧れのおねーさま方との同席で、私はテンション上がりまくってずーっと戻んないってわけですよー」

 

 舌を出して笑いながら机のディフューザーの電源を入れる。静かに霧が吹き出して、二人部屋の空間をラベンダーの香りが満たした。ハミルトンは「いい香りだー!」と言ってベッドに飛び込んだ。効能の鎮静作用が疑わしくなるでかい声だ。

 そんな彼女を、ルームメイトの少女はじとっとした目つきで見つめている。

 

「更識会長と、ウェルキンってイギリス代表候補か。あの二人が憧れねー……。あんたってやっぱり色々変わってるわ」

 

 ルームメイトは言った。部屋に舞うミストで深呼吸して気を落ち着けている。ハミルトンが頼んで使わせてもらった芳香だが、今はむしろ彼女の安らぎに寄与しているようだ。

 

「そーお?」

 

 ハミルトンはベッドに仰向けになったまま、首だけを反らせてルームメイトを見る。

 

「そーよ。あの人を食ったような会長と、あとウェルキン先輩って、ちょろいとこの全くないガチガチの英国淑女でしょ?」

「そそ。けど、どっちも優しい人だよー、基本的には」

「基本はね。あの人たち、基礎が終わったら応用編・実践編、おまけにチャレンジモードと後が続きそうなのよ」

「ははは、何それ。ビデオゲームみたい。まあ、確かに底は見えない人たちだね」

 

 ハミルトンは笑った。友人の評は的確だと言いたげである。

 さらに、どんな話をしたの、と利いてくるルームメイトに、ハミルトンは語った。

 ウェルキンと楯無、そしてハミルトンの三人で行われたお茶会は――驚くべきことに全く和やかなものだった。牽制も威嚇も含みも何もなし。ウェルキンが茶と菓子を、楯無も茶請けを沢山持ち寄り、女子三人で全く他愛ない話に興じたのだ。

 

「……普通ね」

「でしょー」

 

 友人の話、異性の話、趣味の話。特にハミルトンのやっているアロマテラピーの話では二人が興味津々だった。腹の中には一物どころでないものを抱えていそうな二人であるのに、本当にごく普通の少女で、年相応の友人同士のようだった。

 

「それが大人ってやつなのかなー」

 

 ハミルトンは小さく呟いた。諸々の事情を腹に飲んでさえ、日常では普通の少女らしくいられる、そういうタフネスの持ち主なのだ、彼女らは。

 ハミルトンのわずかなつぶやきにルームメイトが反応し、切れ長の目を怪訝な色にしてハミルトンを見る。

 

「なーんか言った?」

「ん、ああ。まあ、二人とも鈴の言うとーりだわ。人としてでかいというか。奥深いところがあるよねって」

 

 耳ざとい相手を適当にごまかしつつ、ハミルトンは脚を振って勢いよく起き上がった。立ち上がって冷蔵庫に寄り、中から菓子を取り出す。扉を閉じると彼女の手の中には葛菓子と可愛らしいクッキーの包みがあった。

 

「食べる?」

 

 ひらひらと包みを振ってルームメイトに言った。

 

「食べない。アンタと違ってこの時間は太るし」

「おいしーよー? 実はこれ、先輩達の手作り御菓子でお茶会の()()()なのだよ。ほれほれー」

 

 返答を無視して、葛菓子を一つ、クッキーを数枚皿にのせ友人の机に置く。自分は残りを口に運び、頬に手をあてて幸せそうに味わっているように、見せた。

 

「へへー。時間たってもおいしいわー。幸せー」

 

 だらしなく相好を崩し、これ見よがしに食べている。ちらちらとわざとらしい視線を浴びせてくる彼女に、ルームメイトは手を止めて歯がみをする。

 

「人がダイエットに苦心してるのに、その横で……この鬼畜!」

「食べたらいーじゃん。大丈夫、毎朝トレーニングやってんでしょ?」

「うううー……じゃあ一個だけ」

「どっちか一個?」

「どっちも一個ずつに決まってるじゃん!」

「正直でよろしい。ほら、口空けて」

 

 ハミルトンは鼻息荒いルームメイトの口に、クッキーを一つあてがった。小さな口で一つ囓ると、よほど美味だったらしく、彼女の顔がふにゃっと溶けるように相好を崩す。

 

「ほんとにおいしー! 何これ」

「ふふーん。ウェルキン先輩から直伝のレシピも貰ったので、機会があれば披露してしんぜよう」

 

 ルームメイトとハミルトンはひとしきり菓子を賞賛し、大騒ぎして取り合うように一つどころか二人してあるだけ全部食べてしまう。ルームメイトがつい女子の欲望に負けてしまう様を見て、ハミルトンは手を叩いて笑っていた。

 そして、落ち着いたところで、ようやくルームメイトが口許を拭きながら話し始める。

 

「ごちそうさま……ふはー。ていうかやっぱ、すごい人たちよね」

「うん。女子力高いわ。というか――人間力?」

「まあ、私が直接話したのは楯無会長だけで、ウェルキン先輩はあんまりだけど。優しい人とは思った……でもちょっと苦手。勘とか色々鋭そうで、こっちを見透かしてそうで」

「あー、わかるかもかも。ちょーと怖いとこはあるよねぇ」

 

 ハミルトンは頷く。二人を前にして恐れを感じないようなのは、相当の向こう見ずか鈍感だ。それは彼女らの事情を知っているかどうかとは無関係な話だとハミルトンは思う。ただ、ルームメイトの言い方だと悪いように取られかねない。口を開いて少し付け加える。

 

「でもさ、本当に優しい人って、ちょっと怖いとこあるじゃない?」

「ふーん?」

「うん。今日も言われたのよー。ええと、先人ミズ・サラ・ウェルキンいわく」

 

 ハミルトンは言葉を切り、わざとらしく咳払いをして声音を変える。

 

「“思い遣り深い母親は、自分の子がどうなれば傷つくか、どうすれば死ぬのかを知っています。

 同じように、本当に優しい人とは相手の活殺の在処(ありか)を理解している。そういった怖さも持ち合わせた人のことを言うのですわ”……って。要はさ、優しいだけじゃアレだよね、てよく言うじゃん?」

「――ティナ。先人って、昔の人のことだから、同時代に生きてる人には使わないわよ」

 

 得意げに目を細めて語るハミルトンに、ルームメイトは注意する。彼女は中国籍だが、八歳まで日本暮らしで父親も日本人の日本語ネイティヴだ。スクール通いで日本語を覚えた留学生よりよほど詳しかった。

 

 指摘を受けて、ハミルトンは慌てる。枕元に起きはなされたタブレットから日本語の用例を検索し、声を上げる。

 

「うげ、マジだ。普通に間違って覚えてたよー。先輩ごめんなさい! 日本語ってトゥーマッチディフィカルトね」

「急に怪しいアメリカ人になるな! しかし、優しさに怖さね……どうなんだろうな」

 

 言いながら、ルームメイトはブラシをデスクの上の鏡の前に置いた。ハミルトンの引いたウェルキンの言葉を考え込んでいるらしい。髪を纏めることもなく、頬杖をついて黙り込む。

 ハミルトンはタブレットで次に買う菓子やらアロマやらの検索に熱中し始めたようで、話しかけない。しばらく沈黙があった。

 どれくらいの時間そうしていたかだろうか。ルームメイトの目尻はとろんと下に下がり始め、自分の腕を枕にする。やがて、子猫が喉を鳴らすような音を漏らして、デスクにうずくまって眠り始めてしまった。

 

「あーほらほら。髪とかしたんじゃなかったの?」

 

 仕方ないなあ、と言いながらハミルトンはディフューザーに歩み寄って、ミストの放出を止めた。次いでルームメイトの傍によると、肩を叩いて、続けて彼女の柔らかい頬を二、三度つついてみせる。眠っている。揺すっても起きないことを確認して、彼女はひとまず安堵の息をついた。

 友人が落ちたことを(あらた)めた後、ハミルトンは机の上からティッシュ・ペーパーを手に取り、もう片方の手で口に指を突っ込んだ。えずくように奥まで喉を犯し、口腔から出てきた指先には、唾液にまみれたハンカチほどの大きさの薄膜が(つま)まれていた。

 

「入眠剤が効かなくなるとは聞いてたけど……」

 

 ハミルトンは独りごちる。

 

「味がしなくなるってのは聞いてないよ。昼間の味を思い出してなんとか顔は作ったけど、焦るわ」

 

 ハミルトンは薄膜を包んだティッシュをルームキーパーから見つからない場所に隠し、眠るルームメイトに歩み寄った。彼女の首を支えつつ手早く髪を一つにまとめ、デスクに置き放されていたナイトキャップをかぶせる。そのまま、横抱きに彼女を抱えてベッドに運んだ。

 

「……髪、てきとーになっちゃってごめんね」

 

 いとけない表情で眠りに沈むルームメイトに、ハミルトンは言った。

 

「それとさ、私もさっきの話の時、言われてたんだ、ウェルキン先輩に。私もちょっとだけ怖い、ってね」

 

 独り言をもらした後、ハミルトンはタブレット端末を持ち、生態認証鍵付きの引き出しから自動拳銃のグロック34を取りだした。普段使いらしいそれの安全装置を外すと、窓から離れたベッドに腰掛ける。

 

 やがて、彼女の身体が向いた先――庭に面した窓をノックする音が聞こえた。銃を片手で構えて、「開いてる、ゆっくり入って」とハミルトンが言うと、ガラス窓は音もなく開いて、外から白い影が身を翻して進入してきた。

 

「いらっしゃい。へえー。こりゃびっくりだ」

 

 自ら招き入れた相手の姿形を見て、ハミルトンは感心したように、呆れたように言った。もちろん手は握った拳銃の照準を乱していない。

 銃口の向いた先には、IS学園女子の制服をまとい、黒い絹糸のような長い髪を後ろでポニーテールに束ねた“少女”がいた。

 

「篠ノ之さん、じゃないのよね?」

 

 思わずといった口調でハミルトンが訊ねる。それほど“少女”はIS学園一年の篠ノ之箒によく似ていた。

 

 しかしハミルトンの印象は、次に“彼女”が浮かべた表情で裏切られる。ハミルトンの問いかけを聞いた途端、端正な顔に嘲笑するように歪んだ感情が浮かんだ。本物の篠ノ之箒ならどう転んでも浮かべないような、冷笑的で悪意に満ちた表情だ。

 

「さあね。君にとってそんなに大事? 僕がどこからひり出されたかってことが。別に大したことでもないでしょ……CIA(カンパニー)のオフィサーさん」

 

 その表情と、少女としては低い声が“彼”が男性であることに確信を抱かせる。彼は腕につけたブレスレットを見せた。

 

「頼んでたものを受け取りに来たよ、さ、《銀の福音》の操縦者、ナターシャ・ファイルスの生体認証データをくれ」

 

 スコール隊のうち、この夜の戦闘に参加していない最後の一人であった、篠ノ之彗が言った。

 




にじファン版の10話と11話をなんとかくっつけました。それでも引っ張りすぎな気がしますが。

今さらですが、原作ヒロインの一人がゲスト登場しています。
それなりに可愛らしくかけたんじゃないかと思います。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。