もしも彼女にもハーレム因子があったなら   作:温玉屋

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タイトルとあらすじでお察しいただけるかと思いますが、以下の要素を含みますのでご注意願います。

・逆ハー的要素
・オリジナル設定
・オリジナルキャラ

逆ハー要員のオリジナルキャラは完全オリジナルを投入するのもアレなので、原作のキャラからインスパイアされたものを投入しています。
が、読者の方から見れば結局オリキャラじゃねーか! という感は否めないと思います。

ですのでオリキャラアウトな感じの方はご注意を願います。


第1話 ”彼”を襲ったあとのこと

「私はお前だ。織斑一夏」

「な……」

 

 間抜け面で口をぱくぱくさせている“ヤツ”に向けてマドカは告げ、両手で構えた拳銃を発砲する。ブローニング32口径からの照準は正確に頭部に二発、両手でつけた狙いならば外す距離ではなかったが、マドカの殺意はターゲットまで到達しなかった。銃口から飛び出した7.65ミリ弾は空中を緩慢に動き、やがて“ヤツ”の目の前で停止した。

 

「一夏!」

 

 アクティブ・イナーシャル・キャンセラーだ。マドカが認識すると同時に暗闇を裂いて少女の声が耳に入ってくる。パワード・スーツを部分展開した少女が一夏の前に走り込むなり、マドカに向けてナイフを投げた。

 

「邪魔が入るか……!」

 

 飛んでくる凶器を受けるつもりで、右手に皮膜装甲を部分展開しながら受ける。予想より重い一撃だったためにはじき返すことは叶わず、そのまま切っ先がてのひらに刺さった。肉を分けて金属が手に入り込んでくる不快感はあったものの、戦闘向けに調整した痛覚で痛みは感じなかった。

 

 左手の拳銃をホルスターに収める。空いた利き手でナイフを握ると、返すぞ、と言い捨て即座にそいつを投げ返した。マドカは暗闇の中、刃がドイツ人に飛ぶことだけ見ると脚部のISを部分展開し、隘路へ身を投げた。

 

「待て!」

 

 ドイツ人少女のISからAICのエネルギーがマドカのいた空間に集中しようとする。プロファイルによれば現役のルフトヴァッフェ少佐だというドイツ人の攻撃である。が、同じ情報の中に付記されていたとおり、彼女はまだイメージ・インタフェースの使用に難があった。集中が乱れる状況だと停止結界の展開に時間がかかるのだ。

 

「大丈夫か、ラウラ!」

「私を誰だと思っている。お前こそ無事か」

 

 事実、マドカの身が街頭の光も届かない暗闇に落ちると、それだけで追撃の気配は途絶える。この場から逃れるのには、なんの問題もなさそうだった。

 

「ラウラの左目って、綺麗だな――」

「な、なんだと!?」

 

 強化された聴覚には、後方での謎会話としか言いようがないやりとりがまだ聞こえている。もちろんマドカには気にする暇も事情もない。常の人間では追い切れないだろう速度で、日本の住宅地にありがちな家々の隙間を駆け回りながら逃走した。彼等の様子から見るにすぐに追っ手が来るとは考えがたい。が、警戒するにしくはなかった。昼間の交戦でISを完全展開するだけのエネルギーは既に尽きており、追撃がもしあれば通常戦力が相手でも敗北する可能性がある。

 

 このまま追跡の可能性を振り切りつつ、潜伏先に戻るべきか。時間が経ちヤツらが通報すれば、当局や学園側が出張ってくる可能性もある。一度繁華街に出て、街に紛れるべきだ。マドカは結論づけ足を市街の方へ向けた。

 

 そう長く時間はかけられない。身をくらましたと思われれば、スコール・ミューゼルがマドカの体内に仕込んだナノマシンの反乱抑止機能を作動させる怖れがある。当局や学園などに捕まっても同じ結末となるだろうが、この状況下ではこちらから通信することもできなかった。この点についてはスコールの寛容さか、あるいは気まぐれに期待するしかない。

 

 ――それにしても。

 

 内心で歯がみをする。“ヤツ”に一発も浴びせられなかったのは誤算だった。“ヤツ”に傷を付けるなり、命を奪うなり出来れば、きっと“姉さん”を引きずり出すことができただろう。ISの技術も戦闘訓練も、全てその一つを心の支えにして身につけてきたというのに。

 

 昼間の戦闘では邪魔が入った上、さらに再度の交戦可能な距離にヤツが来たところで帰投命令が出た。当初の作戦計画では、ステルスモードで戦場を離脱後、追跡を捲きながら潜伏先へ迎え、ということだったが――帰還ルートの途上にこうして長い寄り道を入れたのは、もちろんマドカの独断である。

 次のチャンスは。あるいは、生きていることができるのかも定かではない。そう思うと今日の機会は、安売りするべきではなかったのではないか。

 

 そんなマドカの思考は、街にいくつかある支線道路に出たところで止まった。眼前に古くさいワゴン車、年代物とわかるハイエースがマドカの前に停車したのだ。

 

「マドカちゃん、乗って!」

 

 スライドドアを明けて少年が叫ぶ。黒髪黒目、絹糸のように細い髪質の長髪を後ろで一つにした日本人で、背はマドカと同じくらい。男性としては小柄だろう。鼻筋のすっきりした小顔も相まって、どこか女性的にすら見える美少年だった。意表を突かれてマドカは立ち止まる。

 

 あり得ない、と一瞬、目の前の現実を否定しそうになった。今日、“ヤツ”を襲撃することは、もちろん誰にも知らせていないのだ。迎えなど来ようはずがなかった。

 

 だが迷っている暇はなかった。ここまで来ると周囲にも通行人がおり車の通りもある。彼がどうして来たかを考えるのは後にすべきだ。

 

 手を取ろうとする少年を無視し、マドカは身体ごと体当たりして三列シートの真ん中へ転がり込んだ。後ろ手で扉を叩きつけるように閉じると、同時に車は音もなく車道へ出る。

 普通の人間なら全力疾走となる運動を続けた後でも、マドカの息は乱れていなかった。深く短い呼吸をついて精神の動揺を鎮め、また目の前の少年に注意を向ける。

 

()()()()(ほうき)――なぜここにいる。迎えなど頼んだ覚えはないぞ」

 

 マドカは言った。声をかけられたほうは、勢いのまま突っ込んだ彼女の隣で、叩きつけられたカエルよろしく伸びている。

 

「そういきり立たないでください、マドカ。事情は説明しますから」

 

 別の声が、車内の後ろから響いてくる。迎えはむろん篠ノ之彗一人ではなかった。シートの最後列から、別の少年が声をかけている。わずかに下がった目尻が柔らかい印象を与え、緩くウェイブのかかったミドルの金髪で、街を歩いていれば振り返る者もいるだろうというほどの顔つきだ。物腰からはどこか上品な、貴族然とした雰囲気を滲ませていた。

 

 ――手元に見えるごついマイクロウージーを別にすれば、だが。

 

「“セシル・オルコット”……!」

 

 ニコニコと笑う彼の表情を見て、マドカは天を仰ぐ思いで呻いた。オルコットまでここにいると言うことは、既にこの襲撃が味方の間でも相当に既知であるということだ。誰かに知られるような迂闊は犯していないはずであるのに、何故ここまで知れ渡ったのか。

 

「オルコット! 頭上げるのはいいけどそいつは見えねーとこにしまっとけって!」

 

 そして車内にはもう一人男がいる。運転席から悲鳴に似た警告を出すのは、一目でアジア系と分かる長身の少年だ。切れ長の瞳、短く切りそろえた黒髪に八重歯が口元に覗く。篠ノ之やオルコットと呼ばれた少年と同じように、これまた耳目を集めるような顔つきだが、こちらは見た目だけなら青年と見えるぐらいに大人びていた。

 

「それと篠ノ之! いつまでのびてる。さっさとマドカの手当をしてやれ」

「はいはーい」

 

 軽く答えた篠ノ之がむくりと起き上がり、マドカの手を取る。いらない、と言おうかと思ったが、手際よく消毒して止血され、包帯を巻かれたので抵抗する間もなかった。

 

 少年は運転席からちらりとその様子に目をやり、マドカに呼びかける。

 

「――ところでー……、マドカ。俺もこうして車転がして迎えに来てるんだが、オルコットや篠ノ之みたく、名前は呼んでくれないわけ?」

「……」

 

 マドカは口を閉じたまま応える気配がない。不機嫌そうな顔つきで腕を組んで席に背を預けていた。代わりにというわけではないだろうが、篠ノ之が媚びるような声で運転席に声をかける。

 

「じゃあ僕が呼んであげるよ、ね、“凰鈴詩(ファン・リンシー)”」

「変な声を出すな、篠ノ之。それと気持ち悪い口調で喋るな。俺はヘテロなんだよ。オータムと違って」

「ひどいよ、僕あのビアンと同じ扱い? マドカちゃーん、鈴くんがいじめるよう。なぐさめて――あいたたたたたっ!」

 

 少年らしい高い声で篠ノ之が泣き真似をする。そのままマドカにじゃれつこうとして、彼女に両のこめかみを握りしめられていた。急所を押さえられて相当に痛いはずであるが、なぜか嬉しそうにも聞こえる悲鳴が響く。事実、マドカの手のひらで押さえ込まれた顔面には笑顔が浮かんでいて、それがまたマドカを戸惑わせた。

 ひとしきり篠ノ之を制裁すると彼を解放し、荒く息を吐き捨てる。

 

「なぜ来たんだ、お前たち。私は迎えを頼んだ覚えはないし、このことを――織斑一夏を襲うことを、誰かに言った記憶もない」

 

 騒がしい車内を制するように、低いマドカの声が響く。声に含まれる苛立ちを感じ取ったのか、じゃれ合いで騒がしくしていた車内の空気がわずかに堅くなる。

 筋目を考えれば、問い詰められるべきは独断で行動したマドカである。だが少年たちはそれを責める気はないらしい。彼女を拾った時点で、事も気も半ば済んだ、というような顔だ。

 結果として、咎人といっていい立場のマドカばかりが検事のように少年らを問い詰めていた。

 わずかに間を置いて、オルコットが口を開いた。

 

「……マドカ、貴女の帰投が遅れた時点で、私たちが行動したんです。

 今回の任務は、例の六機を襲撃して離脱、“あちら”のオルコットを引きずり出して交戦する。一当てして実戦でのBT稼働率と戦闘能力を確認したら、そのまま離脱の予定でした。交戦時間は長くとも一時間。当然、計画では日没までには潜伏先に帰投できるものと見ていましたから」

 

 オルコットは淡々とした口調である。事実を確認しているだけ、という声音で、怒りや苛立ちといった感情は全く見られない。

 

「……しっかし、マドカちゃんがこんな無茶するとは思わなかったよ。“あれ”を殺してみたがってるのは知ってたけれど、まさか手ずから銃弾を撃ち込みにいくとはね」

 

 篠ノ之が言った。マドカが襲った人物に対し、人とも思わぬような呼び方をしているが、特に口調に憎しみは感じさせない。彼女が殺したいと望んでいる人物は、彼にとってはどうでもよい男であるようだ。オルコット、凰の方も意見は似た様なものなのか、篠ノ之の言葉に肩だけすくめてみせる。

 

「篠ノ之だけじゃない。俺も、オルコットも、“ラファエル・ボーデヴィッヒ”も、スコール・ミューゼルの大姐(ダージエ)も当初はお前さんの行き先がどこかは見当がつかなかったようだ。

 だが、別口で五反田弾をマークしていた“シャルル・デュノア”が、ヤツらが誕生パーティーとやらで集まるらしいってな情報を寄越してな。まあ、襲撃があった当日ということを考えればにわかには信じられん情報だったが――俺たちがおっとり刀で駆けつけて、ハイパーセンサー反応をおっかけながら車を回したわけさ」

 

 凰が仔細を語り締めくくる。全てを聞いてもマドカは機嫌の悪そうな表情のままだ。彼らに助けられたこと自体が気に入らぬとでも言いたげである。

 

「……ヤツを殺せば帰投するつもりだった。それが成し遂げられれば……」

 

 マドカはつぶやくように言って言葉を切り、(かぶり)を振った。

 彼女自身、自分が無茶をしたということはわかっているのだ。命令違反、サボタージュととられて当然だし、それで構わない。それほどまでに自らの手で織斑一夏を傷つけること、そしてその背後にいる“姉さん”を引きずり出すことに執着していたのだ。

 そのまま言葉を探すように黙り込んで、マドカは大きく息をついた。気怠そうな仕草をして視線を落とす。今ごろになって疲労として身体にのしかかって来たらしく、身体が重かった。

 

「マドカちゃん。手、傷む?」

 

 ようやく静かになった彼女に篠ノ之が言い、篠ノ之はタオルと暖かい茶を差し出す。マドカは彼の問いに首だけを横に振り、黙って受け取った。清潔な布でわずかに浮いた汗を拭って、身体を温める。

 

 マドカの目が、篠ノ之の表情をとらえる。笑ってはいるようだが、どこか不安を殺したような表情だ。先ほどまでの軽口や悪ふざけの色は既になく、かといって、マドカを咎めるというような表情でもない。色々な感情がないまぜになっているようで、真意まではマドカがつかめるものではなかった。

 

「僕は、マドカちゃんがしたことを咎めたりしないさ」

 

 彼は包帯に包まれたマドカの右手に手のひらを添えて、その表情のまま、ぽつりとつぶやいた。

 

「……僕たちにはそんな意志も権限もないし。それに、マドカちゃんが望んでいたことを成し遂げるチャンスに、巡り会ったわけだから」

 

 小柄な少年の声が、車内の沈黙に染みいるように響く。望んでいたことを、という言葉がマドカの耳にも残った。凰はハンドルを握ったまま喋らず、オルコットも後部座席で姿勢を低くしたままだ。何も言わないと言うのは同意の表れのようだった。

 

「――俺も篠ノ之に同意だが、ミューゼルの大姐に通じるとは思わねーほうがいいだろーな。ボーデヴィッヒが取りなしてくれるだろうけど、どうなることか」

 

 しばらくして、車が高速道路に乗ったころ、また凰が口を開いた。指摘されるまでもない。スコール・ミューゼル――あのねちっこいサディストが、どんな懲罰を与えてくるか考えると今から気が重かった。

 

「もとより、覚悟の上だ。それに私は、一人でやりたかった。これは私の問題だ。行動が生む責めも結果も、私だけのものだ」

 

 最初から、誰にも気づかれたくなかったし、気づかれたとすればその責めはマドカ一人で負うつもりだったのだ。別に彼らを思いやったわけではないが、この行動が自分一人のためのものであるならば、その責めもまた一人で負うのが筋だ。

 

「マドカちゃん」

 

 篠ノ之がマドカに対してよりそって、手にてのひらを重ねる。背の丈がマドカと同じ――つまり、少年としては小柄な彼がそうすると、どうしても小動物を想起させた。

 

「でもよかった、マドカちゃんが生きていられそうで」

 

 篠ノ之にこにこと笑うばかりだが、言葉にはかみしめるような真摯さがあった。マドカがここにあることを、確かめようとしているような。マドカも彼の先ほどまでと違う気色を察したのか、今度は振り払わない。

 

「私を迎えに来ることを、スコールには言ったのか?」

「当然だろ。まあ、ミューゼル大姐には止められたけど。でも、明日の朝までに戻らなかったら、反乱抑止機能を作動させる、なんて聞かされたらしょうがねーさ。そこのセシルなんざ、対物ライフルやら小銃やらの長物まで持ち出しかねない剣幕だった」

「ああ、セシル君は凄かったねえ。日本に銃刀法があることを説明するのがあんなに面倒くさいとは思わなかったよ」

「ええ、私は日本という国が窮屈だってことを学ぶことができました。とてもいい勉強になりましたよ」

「……色々と突っ込みどころはあるが、銃刀法というよりは目立つかどうかの問題だ。だいいち、俺だって日本での自動車免許を持ってないんだからな。今、お巡りさんに捕まったら最後だぞ」

「あれ、鈴くん。免許は? アメリカで取ってたでしょ」

「国際免許は十八からだ。俺はまだ、十七歳だよ。交通課のパトカーがきたら教えろよ。どっかに乗り捨てて、走って逃げるんだ」

 

 マドカは短く溜息をついた。今度は先ほどのとは違う、どこか軽く困惑したような仕草で――使い道の分からぬ贈り物に困惑するかのような表情だった。

 

「……なぜお前たちはそうまでして、私を助けようとするんだ。――危ない橋を渡りすぎている」

「何言ってるの。決まってるじゃない」

 

 篠ノ之が、なぜか得意げな口調で言う。身をちょっと離して、彼女の前に身を出し、マドカの目をのぞき込むようにして、

 

「みーんな、マドカちゃんのことが大好きだからだよ」

「――う……!」

 

 直截な表現に、マドカは息を詰まらせて目をそらす。その頬はわずかに赤みがさしたようだ。

 

 そしてマドカは一瞬ののち、篠ノ之の胃の辺りを掴んで思いっきりひねり挙げた。

 

「どこを触っている、篠ノ之彗……」

 

 照れ隠しではない。先ほどから彼女のてのひらに添えられていた篠ノ之の手が、いつの間にか移動して彼女のささやかな胸部のふくらみに触れていたからである。

 

「いい痛だだだだだっ! ごめんなさい、マドカちゃん! これ、これは、そう溢れる愛のせいだから!」

「お前の愛などいらない」

「いたたたたた! 振られたのに心より体が痛いよ!」

 

 篠ノ之が悶絶しながらよく分からないことを喚いている。中座席から聞こえてくる漫才に、凰とオルコットは笑うだけだった。

 

「篠ノ之、愛で全てが解決すると思ったら大間違いだぞ。一世紀は遅れてる」

「第一、私たちにふさわしいとも思えませんね」

「志が低いよ、鈴くん、セッシー! いたたたた! テロリストや悪党にだって愛はあるんだよ!」

 

 制裁を受けながらも、口だけは減らさない。三人の中で一際小柄ながら、どこにそんなエネルギーがあるのかと思いたくなるほどだ。

 

「どうですかね。ただの悪党なら良いでしょうが」

「何しろ俺たちの役どころは亡霊やらピエロやらで、オマケに名前は織物業だからな」

 

 ふざけすぎていますね、とオルコットは言って、肩をすくめた。

 

「全く愛などと。くだらんな」

「身も蓋もないね、マドカちゃん。やっぱり僕が愛を教えてあげ――たたたたた!」

 

 二人の後を引き取るように吐き捨てたマドカに、篠ノ之が言う。身を寄せようとしたところでまた引き剥がされ、悶絶していた。

 

「愛ねえ」

「愛ですか」

 

 騒がしい二人をよそに、凰とオルコットはつぶやいた。苦笑しながら凰は、マドカからの視線を遮るようにミラーの位置を直した。マドカの位置から鏡越しに見えていた彼の自嘲的な笑いが隠される。

 

「まあ、この世は愛こそ全てだからな」

「愛されない子供にとっては、救いようがない世界です」

 

 明るく笑いながら、虚無的な響きのある二人の会話だった。矛盾した雰囲気を同時に出しながら彼ら二人は肩をすくめる。

 

「いたっ! ああ、でもだんだん良くなって……。だあーっ、やっぱだめっ。僕、好きな()でも気持ちいいのじゃなきゃ無理いいい!」

 

 騒々しい篠ノ之の声だけが、明るく車内に響いていた。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 ――亡国機業(ファントム・タスク)の実働部隊、スコール・ミューゼルの隷下に少年のエージェントがいる。

 

 言語としては何の誤りもない一文であり、事実をそのまま表している文章である。だが、聞く人によっては意味合いとして奇妙な――人間が犬を噛んだという文のような――箇所をいくつも孕んでいる。

 亡国機業が何をしている組織であるか知らない者にとっては、そもそも彼らが何であるか、ということからして不明であろう。一方、その組織の仔細について承知している者にとっては、亡国機業の構成員に少年を供するなど悪ふざけにしか聞こえない。

 そしてさらに、スコール・ミューゼルの部隊が何を目的として動いているか、そして彼女の為人がどんなものかを知っている者からすればこういうだろう。

 

「ありえねえ……!」

 

 少年は吐き捨てた。もっとも、彼がそう言ったのは全く別の理由からだったが。

 

 場所は都内の高層マンションだ。組織がスコール・ミューゼルの潜伏先として用立てた部屋であり、日本での彼女の拠点の一つでもあるが、ホテル暮らしを好む彼女のため、調度ばかり奢侈で生活感はあまりない。モデル部屋そのままといってよいローテーブルやら、背の低い棚やらに当たりながら、彼は叫んだ。

 

「何考えてんだよっ! マドカっ!」

 

 一見すると女性的にも見える中性的な顔つき、だが声に含まれる怒気と苛立ちは、紛れもなく男のものだ。金髪を後ろで束ねた、暗い碧眼の美少年であるが、顔全体の怒気がそれを台無しにしている。

 

「騒ぐな、デュノア」

 

 その少年――シャルル・デュノアに対し、対照的に静かな声でもう一人の少年が言う。風貌はゲルマン風だが、短髪に切りそろえた髪は銀色で、両目ともに紅色の虹彩が人目を引く。彼の名は、ラファエル・ボーデヴィッヒという。

 

 彼等二人の前に、マドカが腕を組んで対峙している。篠ノ之たちは、今は後ろのソファに身を預けてそれぞれに表情を浮かべながら、成り行きを見守っている。篠ノ之はやや心配そうに、オルコットは感情の読めない微笑で、凰は泰然として。

 

「騒がずにいられるか、ボーデヴィッヒ! マドカ――お前は命を落とすところだったんだぞ。それも、自分の愚行で。お前の存在と機体がどれだけの稀少物か、理解してないわけじやねーだろうがっ!」

 

 シャルルが険悪な視線で、むっつりと返事もしないマドカに顔を近づける。

 

「お前を鎖にでも繋いどくべきなのか、俺たちは。ああ? なんとか言ったらどうだ」

「言い過ぎだ。黙れデュノア」

 

 他の者が物静かな分、一人騒ぎ立てているデュノアに、ボーデヴィッヒが重々しく告げる。五人の少年たちの中で一際落ち着きがあり大人びた銀髪の少年――彼がこの集団のリーダー格らしい。

 

「懲罰が必要ならば、ミューゼル様が決定なさる。貴様が注意することではない」

「……ああ、そうかよ! じゃあ俺は休ませてもらうぜ。誰かさんのせいで、こっちは交代もとれなかったんだ」

 

 言い捨てると、荒々しく後ろ手に扉をしめ、デュノアは隣室に消えていった。騒々しい彼がいなくなったことで、部屋は水を打ったように静かになる。

 

「シャルも素直じゃないね。あんなにトゲトゲしなくったっていいのに」

 

 マドカは篠ノ之の言葉に応じるように、ただ(かぶり)を振った。篠ノ之がぽつりと言った言葉が、部屋の沈黙の中に溶けていくようだ。彼だけは、デュノアや他の少年たちを愛称で呼んでいた。親しみを込めて、かは分からないが。

 

「怒ってるのは事実だから、素直ではあるんだが……。でもまあ、マドカを見つけて一報入れて、一番喜んでたのはあいつだったな」

「僕らがマドカを失探したとき、一番大騒ぎしたのも彼です。私なんて可愛いものでしたよ」

「……AW50を担いで車に乗ってきたお前さんが言うと、不思議な含蓄があるな。主観はともかく、俺からすりゃオルコットもデュノアも似たようなもんだったさ」

 

 オルコットの言に答えつつ、凰がため息をつきながら立ち上がる。

 

「で、だんまりの我らがお姫さんに対して、大隊長殿はどうなさる?」

 

 凰が視線を向けているのは、銀髪のゲルマン人だ。彼は眉一つ動かさず凰を見返す。

 

「貴様らの数は小隊にも及ばんぞ」

「ああ。まあ冗談だよ。それよか、マドカの処遇だ」

「先も言ったが、ミューゼル様次第だ。あの方の考えは――俺などには判らん」

 

 冗談の通じないらしい彼の態度に、凰が辟易した表情になる。ボーデヴィッヒは片手を腰に当て、姿勢をのばしながら応じた。

 

「いずれにせよ、報告は明日だ。昼間の騒ぎも収束して、マドカの襲撃が公になった情報もないが――通信での報告やこれ以上の夜間行動はできん」

 

 部屋に沈黙が落ちる。マドカは首を巡らし、少年たちを見た。

 

 篠ノ之彗。

 凰鈴詩。

 セシル・オルコット。

 シャルル・デュノア(は休憩に入ったのでいない)。

 ラファエル・ボーデヴィッヒ。

 

 全て亡国機業IS部隊指揮官、スコール・ミューゼルがどこからか連れてきた者たちである。いずれも出自ははっきりしない。風貌や特徴からかろうじて人種ぐらいは判るが、どこで生まれ何をしてきたのか――本人たちもそれをはっきり話そうとしないのだ。

 

 例えば彼等のうちの一人、篠ノ之彗にお前は何者だと聞くと、人なつっこく見える笑顔でこう答える。

 

()()()()()()だよ。だから、篠ノ之束の弟でもある、ということになるのかなー」

「……組織のプロファイル上、あの二人には他に兄弟姉妹はいない」

「ありゃ。マドカちゃんは僕を疑ってるの?」

 

 マドカは篠ノ之を胡散臭そうな目つきで見る。そんな目で見られているのに、篠ノ之は自分への関心が好もしくてたまらないという風で、いかにも人の悪い笑顔を浮かべてマドカに応じた。

 

「僕がどこからひり出されたのか、そんなに知りたいのかな。僕自身はどうだっていいんだけれど。あ、もしかしてこれって愛? 好きな人のことを知りたい、みたいな」

「……聞きたくもない。戯れ言だった。忘れろ」

「じゃあ、マドカちゃんにだけ本当のことを教えてあげる。僕は実はね、篠ノ之束が夕食で余った豚肉と、実験で余ったカリウムやらで作った人造人げ――痛い! なんで殴るの」

「黙れと言った。それに、前回聞いた時、お前の原材料は堕胎された新生児だった」

「同じネタを言ったことがないのに、よく覚えてるね……」

 

 同じように、凰鈴詩に出自の由来を尋ねると、「ああー、凰鈴音の兄だ。彼女のお袋さんがね、こう、故郷の上海にいる結婚前のときに、えいやーって感じで産まれたの。たぶん。うん、きっとそれであってる」と答える。

 ちなみにオルコットに聞けば「セシリア・オルコットの遠縁です。先代のオルコット男爵(バロネス)が死んでいなかったら、僕は彼女の執事にされていたでしょう。彼女が死んで得をしたのは、僕ぐらいでしょう。と、まあそういうことになっています」と。また、シャルル・デュノアに聞けば「シャルロット・デュノアの双子の兄だ、って話だ。顔を合わせたこともねえけど。なんでも見た目はそっくりらしい」とだけ、答えてくる。

 

 五人の中で比較的出自がはっきりしているのは、ラファエル・ボーデヴィッヒだろう。何しろ、彼だけは書面でどうやって製造されたのか、記録が残っている。

 

(ラウラ)・ボーデヴィッヒが産まれた試験管――正確には人工子宮だが、その三つ右で同じ研究員管理から産まれたのが、(ラファエル)・ボーデヴィッヒなんだとよ。生まれた時期は半年か一年ぐらい、こっちのボーデヴィッヒの方が早かったらしいがね」

 

 凰が言う。本人からは聞く機会もなかったので、知ったのは周囲の面々がふと漏らしたときだった。

 

「右だからRでラファエル。左だからLでラウラなのか、なんて、初めて聞いた時は挑発していましたね、シャルル?」

「そんな品のいいこと言ったっけか? 『畑から産まれたなら産地(トレーサビリティ)タグでもあるのか、農家の名前はどこだよ』だった気がするんだが」

「……そうでした。当時は今より、口が悪かったですね」

「奴の堅物も今以上だったよ。製造者はアドルフ・ボーデヴィッヒだ、って普通に答えやがった、あのジャガイモ野郎」

 

 デュノアが面白くなさそうに吐き捨てた。少年らのうち三人は軽口を叩くだけだったが、一人反応が違った。篠ノ之が、子供のように頬をふくらませてマドカに訊ねてきたのだ。

 

「そんなにラファの事が気になる? やっぱファースト幼なじみってやつですか」

 

 妙な響きの言い方に、マドカは思わず顔を(しか)めて聞き返す。

 

「……なんだその気色が悪い言い方は」

「マドカちゃんの()()()が言った呼び方。一人目の幼なじみがファースト、二人目がセカンド。だからマドカにとってはラファ・ボーデヴィッヒがファースト幼なじみで、シャルがセカンド幼なじみだね」

 

 マドカは無言で額に手を当てて溜息をつくだけだったが、その呼び名はなぜかデュノアの勘に障ったらしい。聞きつけた彼は額に青筋を浮かべて篠ノ之の肩を掴んだ。篠ノ之が悲鳴を上げる。

 

「いたたたた。何すんの、シャル」

「誰が二号(セカンド)だ、篠ノ之? 命が惜しかったらその呼び方は今すぐやめろ」

「それって……いや、わかった、やめるって! でもこの呼び方を考えたのは、僕じゃないから」

 

 ……。五人がことごとく織斑一夏の関係者――正確には、織斑一夏に好意を寄せている女たちの“兄弟”を名乗っていることが、そこまで気になるわけではない。彼らの出自が、ことごとく偽装じみていることも、だ。

 

 マドカが彼らについて気になることは二つだけだった。一つには、彼らの行動に何の意味があるのかという点だ。それは彼らにそのような振る舞いをするよう、命じた人物しか知らない。

 

「スコール・ミューゼルに聞けば――“それ”の理由が分かるのか?」

 

 かつて、マドカはラファエル・ボーデヴィッヒに訊ねたことがあった。スコール・ミューゼルは彼らの直属の上官でもある。彼らの挙動には少なからず、彼女の意向が差し挟まれているはずだ。

 

「聞いて、どうする」

 

 訊ねられたボーデヴィッヒが重々しい声で答える。彼は元来静かで無駄口を叩かない男だった。ちなみにマドカは五人の中では彼が一番付き合いやすいと感じている。なぜなら他の少年たちと違い、喋らないからだ。

 

「どうもしない。ただ、あの女の動向を把握しておくことは、私の身の安全や行動に直結する要素だ」

「……悪いが、今の俺たちの権限では答えられん」

 

 答える権限がないならば、マドカに質問の動機を聞く必要もない。一瞬そう思った後、ボーデヴィッヒの顔を覗き込んで、マドカには彼の言葉の意図が分かった。鉄仮面と表現するのがぴったりの表情だが、僅かに瞳が揺れている。付き合いが長いマドカには何とか分かった。心配されているのだ。

 

「……気を回さなくてもいい。嗅ぎまわったりはしない」

「済まない、いつかは……」

「謝る必要もない」

 

 いつか、必要になれば――と、篠ノ之からボーデヴィッヒまで、口の重さも硬さも様々な五人が、この件については揃ってごまかそうとする。となれば、マドカにはもう探りようがない。いつか分かるかもしれないこととして、念頭に置いておくだけだ。

 

 そして、もう一つの気になること、それは一つ目に比べればそこまで大事ではない。鬱陶しさでは比にならないが、少なくともマドカの大きな目的を妨げるものではなかった。

 

「マドカ」

 

 ボーデヴィッヒに呼びかけられ、マドカは物思いから戻る。ボーデヴィッヒがマドカに歩み寄り、彼女を正面から見据えていた。マドカも彼と視線を合わせる。ボーデヴィッヒは凰より背が高く、五人の中で一番の長身である。マドカの方が見上げる格好になった。

 

「……無事で良かった。安心した」

「……そうか」

「生きたままのお前と、また会えてよかった」

「……」

 

 篠ノ之とはまた違った直截な言い方に、マドカは何とも言えず困惑する。彼が何を思っていたのかは聞かずとも分かる。ボーデヴィッヒの表情には、紛れようもなく深い安堵の色があった。

 

 篠ノ之も、ボーデヴィッヒも。口には出さないが凰とオルコットも。そして心配の裏返しに口数多く説教をしてくるデュノアも含めて皆、同じ思いを臆面もなく向けてくる。マドカに生きていてほしい、マドカに望みを叶えさせたい。マドカを助けたい。今日までにも、そして今も、言外にあるいは言葉にして、五人の誰もが彼女に伝えてきている。

 

 ボーデヴィッヒの真摯な表情から目をそらすように、わずかに顔を背けた。視線の先には、なぜかニヤニヤと底意地の悪い笑いを浮かべている篠ノ之がいた。

 

「なるほどー。マドカちゃんにはそういうアプローチの方が効くのかー」

 

 篠ノ之がしたり顔で言う。マドカも今度は動じずに、ふんと鼻を鳴らして応じた。

 

 もう一点のマドカの気になること――それがこれだった。彼等が揃いもそろって、彼女に異性として好意を抱いているというのだ。戦うことと、“姉さん”に近づくことしか欲していないマドカに。彼らの思いや行動の理由は、マドカには理解できないものだ。愛情や恋、友情。そういったものは彼女には理解の外にある存在なのだった。

 

「……お前たちが何をしようとも、私は何も与えたりしない。見返りなどないぞ」

「知っている」

 

 マドカの言葉にボーデヴィッヒは短く応える。

 

「分かってほしいな。僕たちが明日も生きていたいって思えるのは、君がいるからだよ、マドカちゃん」

「……ふん」

 

 付き合っていられない、という意思を示すつもりで首を振って、マドカは踵を返した。部屋から出ようとするその背中を追うように、また篠ノ之の声がかかる。

 

「僕たちの存在は、君がいることで意味が――」

 

 マドカかは脚を止め振り返った。向けられた鋭い視線の先に、篠ノ之とボーデヴィッヒの顔があった。眉間にしわを寄せて珍しく表情を崩しているボーデヴィッヒに対し、篠ノ之はいつもの屈託のない笑顔だった。

 

「……篠ノ之。喋りが過ぎる」

 

 ボーデヴィッヒが静かに強い口調で言う。黙れということらしい。はあい、と言って篠ノ之は悪戯っぽく笑った。

 

「客用の寝室が空いている。マドカ、朝まで休め。明日は長い」

 

 マドカは黙って頷き、部屋の外へ出た。廊下は照明が落とされていて、暗く長い。しばらく行くと少年達の騒々しい声も聞こえづらくなる。

 

「私は何も与えない。与えられるものなど何も持っていない」

 

 周囲に人の気配もなくなり、暗闇の中に一人きりになったところで、マドカはぽつりと(つぶや)いた。その呟きがどのような思いを表しているのか――口に出した途端、マドカにもよくわからなくなる。

 

 彼女はまた頭を振って物思いを振り払い、一人の暗い通路を歩き始めた。

 




オリキャラについて、本文で大体書いているのでここでは説明しませんが、一夏ハーレムズの要素を反転したキャラ、ということにしています。
篠ノ之箒が「ネンネ・堅物・コミュ障」なので篠ノ之彗は「耳年増・オープンスケベ・お喋り」という感じ。

キャラの関係や属性も大体反転。ただし中にはこれのどこが反転キャラやねん、と言われそうな方もいそうです。

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