トリスタニア診療院繁盛記   作:FTR

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その8

私には二人の姉がいます。

 

一人は背が高くて、理知的な顔立ちで、一見冷たそうな感じがするけど実はとっても優しいマチルダ姉さん。

もう一人は、歳と見た目が釣り合っていないけど、私たちの中で誰より頼りになるヴィクトリア姉さん。

 

 

 

 

『♪~~~♪』

 

 

一日の終わり、お風呂からヴィクトリア姉さんの歌声が響いてきます。

普通はお風呂と言うのは蒸気を使った蒸し風呂なんだけど、この家はヴィクトリア姉さんの『譲れない一線』ということで大きな浴槽のある湯殿が設けてあります。

何だか貴族みたいだな、と思います。

毎日夕食後に魔法でお湯を沸かして入るんだけど、ヴィクトリア姉さんはどんなに疲れていても必ずお湯を張るだけの精神力を絞り出します。

それだけでどれほどお風呂が好きか判ってしまいます。

聞けば、お風呂に入って大声で歌を歌えば、一日の疲れも吹っ飛んじゃうんだとか。

 

お風呂と言えば、最初はヴィクトリア姉さんも私やマチルダ姉さんと一緒にお風呂に入ったんだけど、その時に何だかすごく怖い目をして私たちを見て以来、あんまり一緒に入ってくれなくなりました。

『女の魅力がインフレした奴らめ』とか言っていました。

私なんかより体の小さいヴィクトリア姉さんの方がかわいいと思うんだけど、姉さんは『持てる者の理論』とか言って取り合ってくれません。

 

 

そんなちょっと良く解らないところもあるヴィクトリア姉さんだけど、実はスクウェアクラスの立派な魔法使い。

先日夜中にいきなり私のところにやって来て、

 

「テファ、やったよ、スクウェアだよ!」

 

と大声で騒ぎました。

その日に姉さんがトライアングルからスクウェアにクラスが上がったみたいです。

毎日魔法を使ってお仕事しているし、たまにすごく難しい治療なんかもうんうん唸りながらやってるから、腕が上がるのも当然だと思います。

そのおかげでもっとたくさんの人に疲れることなく治療ができるのが嬉しいみたい。

でも、姉さんの目的はそれだけではありませんでした。

私は今も着けたままのイヤリングを撫でながら思い出します。

 

ある夜、姉さんは居間で本を読みかけのまま眠ってしまっていました。

起こそうと思った時、開いたページが目に留まりました。

 

『フェイス・チェンジのルーンについて』

 

フェイス・チェンジは風と水の複合魔法だそうで、非常に高度な魔法なのだそうです。

水のスクウェアの姉さんでも、風の魔法はまだまだレベルが低いらしく、フェイス・チェンジは使えないのだそうです。

何故姉さんがこの魔法を使おうとしているかといえば、それは恐らく私のためなのでしょう。

 

アルビオンから逃げてきたけど、私の耳は普通の人にとっては悪魔の印だと言うことで、私は大きな帽子を目深に被って耳を隠し、人目を避けるようにしてきました。

そんな時、ヴィクトリア姉さんが買ってきてくれたのがこのイヤリングでした。

フェイスチェンジの効果のあるマジックアイテム。

姉さんは教えてくれなかったけど、姉さんの手持ちのお金が半分以上なくなっちゃうくらい高価なものだったみたい。

毎日怪しげな古物屋に出向いて何をしているのかな、と思ったけど、これを渡されたときは姉さんが私のことを一生懸命考えてくれていたのを知って何だか嬉しいやら申し訳ないやら。

でも、その時からこのイヤリングが私の寄る辺でした。

街に買い物に出るときも、これがあれば人の目を気にして歩く必要はありませんでした。

親切にしてくれる人たちを騙しているような罪悪感は、少しあります。

でも、姉さんはいつか必ず私が本当の姿を隠さずに街を歩ける日が来ると言ってくれます。

姉さんはああいう人ですけど、身内に嘘をつく人ではないので私は素直にその言葉を信じることにしています。

 

 

 

知らない人が見ればつっけんどんな感じがするヴィクトリア姉さんだけど、本当は誰よりも優しい人だと思います。

 

姉さんはあまりお金に興味がないみたいで、いつもほとんど利益を乗せないくらいのお金しかもらわないし、生活が苦しい人の場合はもらわないことだってあります。

食べ物も買えないような人には、栄養指導とか言って食べ物をあげちゃったりもしちゃう。

その分、お金持ちの人からの特別な相談の時はびっくりするくらいのお金を請求しています。

あと、私はよく知らないけど、たまに夜出かけて行って、帰ってくるとすごい大金を持っていたりもします。

いくらディーさんが強くても、危ないことしてなきゃいいなと心配になります。

 

昼間のヴィクトリア姉さんはすごく多忙です。

診療所はいつも患者さんでいっぱいで、中には姉さんと茶飲み話をするためだけに来ているお年寄りもいます。

ただお話をしているだけだけど、それもまた治療の内なんだって姉さんは言っていました。

『心療内科』って言ってたっけ。

午後の往診は動けないお年寄りが多いです。

その人たちの話を聞き、やがて来る日には息を引き取るのを看取るのです。

お医者様と言うのは生死を見つめるお仕事なんだと姉さんの後姿から学びました。

 

 

いつもはお婆さんみたいにのんびりな感じのヴィクトリア姉さんだけど、たまにすごく勇敢な時があります。

 

ある日、

 

「子供が巻き込まれたぞ!」

 

って往診の帰りに、大通りで大きな声が聞こえた時でした。

 

「何でしょう?」

 

と私が呟いた時にはヴィクトリア姉さんは走り出していました。

大通りの真ん中に、血まみれで男の子が倒れていました。

周りの人の話だと、貴族の馬車に巻き込まれたらしいのです。

姉さんは男の子に取りつくと、状態を確認してすぐに男の子をレビテーションで持ち上げました。

 

「時間がない、誰か、軒先を貸しとくれ!」

 

姉さんが大声で叫ぶと群衆の中から見知った顔が飛び出しました。確かジェシカさん。

 

「うちを使ってちょうだい、夜までは大丈夫よ!」

 

やっぱりジェシカさんは気風がいいです。タニアっ子というのはみんなこうなのでしょうか。

男の子を魅惑の妖精亭に運び込むや、すごい速さで鞄からグローブとマスクを取り出して着けると姉さんは男の子のシャツをはいでいきます。

私も負けじと準備を急ぎます。

 

「腹腔内出血・・・内臓もやられてるね。秘薬じゃ間に合わない。時間と競争だわ」

 

内臓が潰れているのに加え、お腹の中の太い血管が何本か破れてしまって、このままだと出血多量で死んでしまうのだそうです。

治癒魔法で治すには傷が重すぎ、秘薬で治すには時間がかかり過ぎると言っていました。

 

「点滴の準備を。空の瓶を吊るしな」

 

私は言われたとおりに点滴の用意をしました。

その間に姉さんは男の子にペンくらいの大きさの杖を取り出してルーンを唱えました。

魔法で男の子に麻酔をかけて、次いでブレイドでお腹を切開。

血が噴き出してきて姉さんの顔から服を血に染めていきます。

姉さんは動じることなくルーンを唱えて、吹き出す血を空中でボールのように丸めると、そのまま空の点滴瓶に流し込みました。

自己血輸血というのだと後で教わりました。入りきらなかった血は消毒した容器に貯留しておきます。

これに荷物の中から生理食塩水を取り出して濃度を調節して加え、大腿静脈から輸血しました。ラインは4本。

 

「脈を取っておくれ!」

 

脈が弱い。頑張れ。

姉さんは腹部に取り掛かりきりで、程なく破断した太い動脈が数本ある問題の部位に辿りつきました。

すごいスピードだと思う。

姉さんが言うには、多少しくじっても魔法で元に戻せるから気が楽だっていうけど、それにしてもここまで早いのは初めて見ました。

治癒のルーンを唱えると、押しつぶされたように破れた血管がみるみるうちに修復して行きます。

続いて破裂した内臓や馬の蹄で挫傷した部位に治療を施し、開始から1時間ほどでお腹を閉じて、最後の治癒魔法で切開した部位を塞ぎました。

 

姉さんは大きく息を吐いて脱力したように座り込みました。ものすごい短距離走をしたみたいな感じでした。

 

「テファ、脈は?」

 

脈を取ると、先ほどより強い脈を感じます。大丈夫、生きてる。

 

「何とか間に合ったかねえ」

 

しゃがみこんだままマスクを取って、手袋を外しました。そして、控えていたジェシカさんを見つけて声をかけました。

 

「すまないが、水場を貸してくれないかい。顔を洗いたいんだよ」

 

「もちろんよ。奥にあるから好きに使って」

 

「ありがとうよ。テファ、ちょっとだけ頼むよ」

 

姉さんが奥に行くと、ジェシカさんが話しかけてきました。

 

「もう大丈夫なの?」

 

ちょっとだけ不安げなジェシカさん。

 

「先生の様子からすると、もう大丈夫だと思いますよ」

 

「本当に?」

 

「この後先生から説明があると思います。親御さんの方は?」

 

「表で待っているわ」

 

「じゃあ、一緒に説明をいただきましょう」

 

ジェシカさんはほっとしたようにため息をつき、輝いた眼差しで話し始めました。

 

「それにしても、見ててびっくりしたわ。誰も動けない中で、倒れてる男の子に駆け寄って。どこの英雄さん、って感じだったわ」

 

「困った人を見ると、先生はいつもあんな感じです」

 

そう、私もまた、姉さんに助けられた一人です。

 

「あれは、アレよね、勇気?あとは、優しさ?」

 

客商売をやっているだけあって、ジェシカさんは人を見る目があるようです。

自分のことじゃないけど、私も少し誇らしい気分です。

私は頷いて答えました。

 

「はい。先生は勇気と慈愛の人ですから」

 

何となく言った一言に、ジェシカさんが反応しました。

 

「慈愛?」

 

「ええ」

 

「ああ、それいいわね。『慈愛』のヴィクトリア。なんかいい響きじゃない?」

 

「先生は嫌がりそうですけど」

 

そう言って私たちは笑いました。

 

 

そんなジェシカさんが「『慈愛』のヴィクトリア」の名前を方々で宣伝しているのを知ったのは、だいぶ後になってからでした。

教会が怖いので手術のことは内緒ということで関係者にはお願いしましたが、こちらの方は勝手に広まっていってしまったようでした。

 

 

 

 

『♪~~~~~♪』

 

気付けばヴィクトリア姉さんはいつものメドレーに入っていました。

ヤシロアキって言ってたっけ?

今日はいつになくご機嫌のようです。

 

「ん?お風呂は今はヴィクトリアかい?」

 

洗い物を終えたマチルダ姉さんがエプロンを外しながら居間に入って来ました。

 

「うん。すっかりご機嫌みたい。あ、お茶を入れようか?」

 

「いや、いいや」

 

その時のマチルダ姉さんの顔は悪い人の顔でした。

いわゆる、その、黒い笑顔?

 

「ふふふ、どれ、久々に家族のスキンシップといこうかねえ」

 

そのまま、タオルを手に浴室に入って行きました。

基本的に意地悪だよね、マチルダ姉さんも。

 

 

 

 

 

『わあ、何しに来たんだい、このおっぱいオバケ!』

 

『ふっふっふ、久々に、あんたの成長具合を確かめてやろうと思ってねえ』

 

『や、おやめ、や、やめろ~!にゃ~~~っ!!』

 

 

 

 

じゃれあう姉さんたちの声を聞きながら、私は目を閉じて祈りました。

 

 

 

 

 

お母さん、私は今、とても幸せです。

幸せすぎて申し訳ないくらい。

だから、私は祈ります。

今日みたいな日が、明日も明後日も、ずっと続きますように。

 

 

 

 

 

「楽しそうですね」

 

見ればエプロンを外したディーさんが笑っていました。

いつもヴィクトリア姉さんだけでなく、私たちも守ってくれている頼もしいナイトさん。

 

「ええ。仲がいいです。羨ましい」

 

「ならば、テファさんも飛び入ってしまってはどうですか?」

 

あまりのアイディアに、私は吹き出しそうになりました。

 

「そうね、その手があったわね」

 

「行ってらっしゃい」

 

笑うディーさんを残して、私もタオルを手に浴室に向かいました。

 

 

 

 

 

 


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