トリスタニア診療院繁盛記   作:FTR

15 / 44
その15

 取って食われはせんだろう。

 

 そう開き直るまでに1日かかった。

 冷静に考えてみれば、私は何ら悪いことをしていない。

 幸いにもカトレアは生きたままこの診療所を出て行った。

 出て行った先でどうなったかは、平民の私には判らないことだ。

 血相変えた彼女のおとんやおかんが杖を持って押しかけてこないところを見ると、死んではいないと思う。

 もし死んでいたら、今頃この辺り一帯は『被災地』と化していることだろうし。

 また、本当に因縁をつけるつもりなら、召喚状などという面倒なことをせずに直接兵隊をけしかけてくるだろう。

 かといってトリステインの貴族様が平民相手にへりくだった手紙をしたためるとも思えない。

 そう考えると召喚という手段はちょうどいい落としどころとも思えなくもない。

 

 それでも、私たちはそれなりに緊張を強いられた。

 前日になると、マチルダはヴィンドボナの地図を熱心に見分し、テファは大きな鞄を引っ張り出し、ディルムッドは街道筋や国境の警備状況を確認していた。

 かく言う私も、手持ちの現金のある程度を宝石に代えておいた。

 打ち合わせもしていないのに皆で同じような考えに行き着いているところは不思議だ。

 何だか『家族』というより『一味』という字面が似合いそうな気がする私たちだった。

 

 

 あっという間に時は流れて召喚当日になった。

 ヴァリエール領までは馬車で2日だが、今回呼び出された先はトリスタニアにある公爵家の別邸だ。

 気が進まない中、とぼとぼと王城を取り囲む貴族屋敷街に向かって川を渡る。

 アップタウンより更に王城に近いエリアなぞほとんど来たことがない。

 そのため、さすがに今日ばかりは私もきちんと礼服を着ている。

 白いブラウスにタイを締め、いつものだぶついたショートパンツではなくきちんと黒いスカートを履き、足元もサンダルではなく革靴だ。

 上着も、さすがに今日ばかりは白衣ではなくマントを身に着けている。

 いつもならお供はテファだが、今日ばかりはディルムッドに一緒に来てもらった。

 工房も今日はお休み。

 その扉が二度と開かれない可能性があるのは、工房も私の診療院も同じだ。

 もしかしたらの話ではあるが、最悪の場合は今日限りでこの地ともおさらばの可能性がある。

 トリスタニアにも愛着はあるが、やはり最後は我が身が可愛い。

 何かあったらわき目も振らずにとんずらし、本当にマチルダ・ティファニア組と合流してゲルマニアに逃げ込もう。

 そうならないことを祈りながら私は歩みを進めた。

 

 

 別邸に着くと、私は思わず感嘆の声を上げた。

 さすがは大貴族だけあって、別邸の大きさもそれはそれはすごいものだった。

 正門の前に行くと、衛兵がポールウェポンを持って誰何の声をかけてくる。

 ありがた迷惑にもいただいた召喚状を見せると、衛兵はまじまじとそれを見つめ、少し待てと言って奥に消えていった。

 

 しばらくしてやってきたのは、初老の執事さんみたいな雰囲気の人だった。

 

「ミス・ヴィクトリアですか?」

 

 予想に反して慇懃な態度だった。

 私は召喚状を見せて用向きを告げた。

 

「お召しにより参上しました」

 

「・・・こちらへ」

 

 妙に態度が柔らかい。

 平民相手とは思えない態度だ。

 その態度に何だか引っかかるものを感じたが、とりあえず大人しくついていくことにする。

 杖を取り上げられるわけでもないし、ディルムッドと引き離されることもない。

 何だか妙だ。

 

 案内された部屋は、豪勢な調度が並ぶゲストルームだった。

 これ、貴族用の部屋じゃないの?

 と言うより、呼び出した平民風情を屋敷の中に入れること自体が異例だと思うのだが。

 座って待てと言われたが、何だか身の置き場がないので私は窓から庭園の様子を眺めていた。

 数年前まで住んでいた城の庭にも結構庭木が植わっていたが、この庭もなかなかに贅が尽くされている。

 植木の枝ぶりなどは見事なものだ。

 かと言って成金な気配が欠片もないところにヴァリエール公爵家の品のよさが伺える。

 

 庭を見ながら時間をつぶしていたが、なかなか呼び出しがかからない。

 首をひねっていたら先ほどの執事さんが入ってきた。

 

「主人の所用が長引いております。もうしばらくお待ちください」

 

「いえ、お気になさらず。あの、もしよろしければお庭を拝見したいのですが」

 

「・・・あまり遠くにはお行きになりませぬように」

 

 ディルムッドに部屋に待機してもらってテラスに出てみると、庭はやはり美しく、園丁の匠の技が良く解った。見事なものだ。

 飛び石を踏みながら私は植栽の間を縫うように歩いた。

 水の属性の私は、植物との相性がいい。

 診療所でも景観にも益するのでプランターで花を育ててはいるが、やはりできれば庭が欲しいところだ。

 土地持ちと言うのは実に羨ましい。

 庭の一角にはかなりの規模の薔薇園が設けられており、まるで映画で見た『秘密の花園』のような雰囲気を醸成していた。

 そんな感じで植栽を楽しんでいると、木々の間に見える東屋に桃色の髪が見えた。

 カトレアが、椅子に座って無表情で空を見ていた。

 先日見た天真爛漫な雰囲気はそこにはない。どこか糸が切れた人形のような空虚な空気があった。

 あまり遠くに行くなとも言われたし、近寄ろうかどうか悩んでいると、突然カトレアの表情が一変した。

 まるで泣き出しそうな子供のような顔になり、膝掛に包まれた自分の膝を何度も叩く。

 その様子に何とも危なげなものを感じ、私はカトレアに向かって歩みを進めた。

 

 近くに寄ると、私の気配を察したのかカトレアは顔を上げるといつも通りのにこやかな表情に戻り、私に向かって話しかけてきた。

 

「あら、先生。いらしてたのね」

 

「ありがたくも召し出されましてね。その後の具合は?」

 

「おかげさまで、今は楽になったわ。あの時はありがとう」

 

「それは良かった」

 

 私の言葉を最後に、会話が途切れた。

 木々が濃い屋敷の随所で、鳥の鳴く声が聞こえる。

 私たちは、しばらく並んで庭園を見つめていた。

 貴族の庭園らしい、静かで穏やかな空気と時間が、静かに心に染み渡っていく。

 

「時々、たまらなくなるわ」

 

 思い出したように、カトレアが口を開いた。

 抑揚のない、事実だけを告げているような物言いだった。

 

「どうして私はいつまでたっても良くならないのかしら。侍医の人たちは一生懸命やってくれているけど、現状維持だけで精一杯みたい」

 

 私はあえて何も言わなかった。

 かけられる言葉は幾つもあるが、明るい方に話題を振れば、恐らくそれは嘘になる。

 この娘には嘘は通用しない。

 余計なことは言わずに、カトレアの言葉を黙って聞いているしかなかった。

 

「両親は良くしてくれるし、姉も妹も優しいわ。屋敷のみんなも私のことをすごく大事にしてくれる。でも、すごく羨ましくなることがあるのよ。同い年の他の子たちは、皆、お嫁に行ったり、お仕事をしたり、楽しい学校生活を送って、多くの友達に囲まれて……」

 

 そこまで言って、カトレアは俯いた。

 私にはその呟きが、カトレアが抱える呪詛に聞こえた。

 おそらくは、これまでずっと内に貯めていた負の感情なのだろう。

 親にも言わず、姉妹にも告げず、侍医たちにも黙っていた、彼女の内なる気持ちが漏れてきたのだと思う。

 病める者で、健康を願わない者はいないのだ。

 カトレアは治らない。

 そして、彼女を知るすべての者が恐れている日が来るのも、今のままではそう遠い日ではないと思う。

 それがこの世界の、ハルケギニアの理だ。

 

 私は黙って自分の手の中にある杖を見つめた。

 誰にもらったかは知らないが、生まれた時に贈られてきたという青水晶の杖だ。

 アルビオンから逃げ出してからこっち、トリスタニアでの私を支えてくれた杖だ。

 病気を癒し、傷を癒し、時には人を殺めたりもした私の分身。

 医者の看板を掲げていても、必ずしもすべての人を助けられたわけではない。

 老いて死にゆく者、手の施しようがなかった者。

 そんな者たちの慟哭を礎に、多くの者の笑顔があった。

 この杖にはそんなしがらみがこびりつき、既に私には重いくらいの物となっている。

 言うなれば、死者を見送る司教の首にかかる聖具のようなものだ。

 抱え歩くには、神のような信じる寄る辺がなければ人が持つには重すぎる。

 だが、私が神を信じたとしても、神は常に沈黙を守る。

 人を助けることは、常に人にしかできないこともこの世の理だ。

 この、しがらみに塗りつぶされた杖を、振り続けられるのもまた私しかいない。

 死んでいった者たちの事を思えばこそ、私にはこの杖を振るう義務がある。

 故に、カトレアが零した、血の一滴のような言葉が私の指針を決めた。

 

 

「先生……」

 

 

 しばし、沈黙がおりる。

 鳥が囀る穏やかな庭園の中、私たちの周囲だけが時間が止まったようであった。

 ややあって、私は空を仰いだ。

 

 私は天才でも英雄でもなければチートな力を持った異能者でもない。

 選ばれた者などでは断じてない、前世の記憶を持っているだけの普通の小娘だ。

 だが、私は医者なのだ。

 死と言う、神が定めた摂理に対する反逆者なのだ。

 浅学で、矮小で、無力ではあっても、アスクレピオスの杖の下に生きる種族なのだ。

 それこそが、トリスタニアで生きていくと決めた時に自分に課した誓いに他ならない。

 カトレアの呟きの、その先の言葉は聞かなくても判る。

 それだけで、私はこの世の理に立ち向かうことができるのだ。

 悲しいことに。

 

 私は何も言わずにその場を後にした。

 背後でカトレアが一礼をしていたのには気がつかなかった。

 

 

 

 

「お待たせいたしました」

 

 先ほどの執事さんみたいな人が迎えに来て、準備ができたからと屋敷の奥に案内された。

 長い廊下をしばらく歩く。廊下に置かれた置物なども趣味がいい。

 さて、いよいよ査問かと腹をくくるが、案内された部屋に入って私は凍りついた。

 見上げた天井いっぱいに、無数の薔薇の花が描かれていたからだ。

 

 『ス・ロセ』の間。

 

 貴族の屋敷にはたまにこういう部屋がある。

 私が昔住んでいたアルビオンの屋敷にも設けられていた。

 何をたくらんでいるんだ、公爵家?

 私がこれからやろうとしている事を考えると、ある意味お誂え向きとも思えるが、相手の腹の内がいまいち判らない。

 私が予想しうる展開のバリエーションを考えていると、部屋の奥の扉が鈴の音とともに開かれた。

 先ほどの執事さんが入ってきて、大きな声で言った。

 

「ラ・ヴァリエール公爵のお成りでございます」

 

 おいおい、いきなり御大のお出ましか。

 正直ちょっとビビりながらも、私たちは頭を下げて公爵閣下の入室を待った。

 限られた視界のなか、部屋に入ってきたのは初老の男性で、髪にやや白いものが混じり始めているおじさんだった。

 

「そう畏まらなくてもよい」

 

 公爵の言葉に私たちは頭を上げた。そんな私たちを見ながら渋いバリトンで公爵が言った。

 

「お前が我が娘を助けてくれた町医者か?」

 

「はい。トリスタニアで診療所を営みますヴィクトリアでございます」

 

「『慈愛』のヴィクトリアか。話は聞いている」

 

 ……何でおっさんまでそのこっ恥ずかしい二つ名を知っているんだ?

 とりあえず、椅子を勧められたので素直に着席した。

 ディルムッドは私の背後に控える格好だ。

 

「さて、早速だが、今日来てもらったのは他でもない。お前が施した娘に対する治療についてだ」

 

「何ぶん、場末の診療所ですので、至らぬところが多くて申し訳ありません」

 

「謙遜は良い」

 

 ずいぶん投げ遣りな感じで公爵は言い捨てると、今回の事の経緯を語り出した。

 その話を聞くに、カトレアのあまりの無軌道ぶりに私も絶句した。

 

 朝、近場を回ってくると言って馬車で出かけてから、昼になっても帰ってこない。

 夕方になってさすがにおかしいと思った屋敷の者が探索を開始。

 カトレアの部屋からは『数日家を空けます』との書き置きが発見された。

 御者がゴーレムなのを良いことに、そのまま夜を徹して走り、私の診療院に来たというのが今回の経緯だ。

 馬もさぞ迷惑だったことだろう。

 健康に難のあるカトレアは日々の薬の服用が必須なのだが、それを怠ったがために私の診療所に来た時は、既にいろいろ秒読み態勢だったらしい。

 結果として予定調和の通りに昏倒し、私が処置する羽目になったというわけだ。

 まるで暢気な自殺のようだ。

 幸か不幸か私はカトレアの応急処置に成功したが、下手をしたら私の診療所で貴族のご令嬢が急死するという鳥肌が立つ事態を迎えていたかもしれない。

 私もずいぶん薄い氷の上を歩いていたものだ。

 

「そこで、お前に話を聞きたいという者がおってな。今日来てもらったということだ」

 

 公爵が手元の鈴を鳴らした。

 それに応じて扉が開き、50歳くらいの熊のようなでっかいおじさんが入ってきた。

 山のフドウみたいな人だ。

 マントを着ているところを見るとメイジのようだが、私の感覚に引っかかる雰囲気があった。

 この人、水のメイジだ。

 それもかなりの高位の。

 スクウェアなのは間違いないが、魔法使いをABCDランク法で分類すればA+。

 下手したらSくらいは行くのではないだろうか。

 ちなみに私はA-、『烈風』さんはSSSという感じだ。

 

「この者はカトレアの侍医長を務めておってな。長年娘の面倒を見てくれているが、その経験から見ても、今回のお前の治療は驚くほどであったとのことだ」

 

「過分なお言葉です」

 

 できるだけ謙虚に出ている私に、公爵の許可を求めて侍医長さんが発言した。

 

「ミス・ヴィクトリア、いや、ドクトレス・ヴィクトリア、君は自分の成果を理解しているかね?」

 

「と、申しますと?」

 

「我々は、カトレア様が発病するたびに、容体の安定までに数日を要している。それを君はほんの数時間で容体を安定させて見せた。一体どういう魔法を使ったのか、我々には見当もつかないのだよ」

 

 ようやく査問らしくなってきたな、と思いつつ、私はカトレアに施した診療内容を説明した。

 もともとは彼こそがカトレアの主治医だ。詳細を知る必要はある。

 治療内容についてつぶさに話したところ、その中の一つに、侍医長さんが反応した。

 

「点滴?」

 

「はい。感染を確認したので、当院で作製している秘薬を静注しました」

 

 魔法全盛のハルケギニアにおいて、点滴という手法は一般的ではないものの全くない訳ではない。

 

「では、君のその秘薬が功を奏してカトレア嬢の容体は安定したということでよいかな?」

 

「私の見立て違いでなければその通りです」

 

「では、その秘薬というのはどういう組成か教えてもらえないか?」

 

「取り立てて大層なものではありませんが……」

 

 私は、体内の病原菌の増殖を抑える効能について説明したが、話すうちに室内の気温が目の前の二人の熱気のせいで上がり始めるのが分かった。

 公爵と侍医長さんの視線のぎらつきが怖い。

 話し終わるや、侍医長さんはいきなり立ち上がった。

 

「素晴らしい」

 

 まるで神の声を聞いたかのような表情だった。

 

「そのような切り口の秘薬は初めて聞きますぞ」

 

 それはそうだろう。

 実は、始祖以来6000年の魔法文化において、体系づけられた厳格な細菌学は存在しないのだ。

 この世界にはパスツールもコッホもいないからか、何事も魔法で片付けてしまうためか、私の中では常識以前の大前提となっている細菌について、水のメイジたちには掘り下げた知識がない。

 違った切り口からは事の本質を掴んではいるが、具体的な微生物の世界をつぶさに研究している人はいないようだ。

 それがなくても魔法薬で代用が効くだけに、抗生物質と言う発想自体がないのだ。

 どっちが優れているかはともかく、今回はそれが良い方に出ただけの話だ。

 

「それで、君の秘薬というのはどのように作るのかね。是非そのレシピのレクチャーをお願いしたい」

 

「あ、あの、レクチャーはいいのですが……」

 

 私は慌てて話を止めた。

 

「私は市井の単なる平民です。あの秘薬だって秘薬というのもおこがましいものでして」

 

「ドクトレス、我々はそのおこがましいものですら作り出すことができなかったのだ」

 

 困惑する私に、侍医長さんは笑って言った。

 

「何も我々は君を糾弾しようというわけではない。確かに我々とて治療師としての意地やプライドのようなものは多少は持っているが、我々の仕事はカトレア様の治療であり、未だそれを成しえていない以上、そんなつまらんことに拘ってはいられないのだ。我々が望むものは名誉ではなく成果なのだよ」

 

 口角泡を飛ばして語る侍医長さんに、公爵は同意するかのように頷いた。

 

「娘が治るのであればいかなることでもしよう。例え平民の秘薬であろうと、言い値で買い取ってやる」

 

「は、はあ……」

 

 毒気を抜かれて私は曖昧にうなずいた。

 今までどういう目に遭わされるかと怯えていただけに、肩透かしを食らったような気がした。

 結構決死の覚悟で乗り込んできたつもりだっただけに、何だかこの段階で自分の気力が燃え尽きてしまったような気すらする。

 とりあえず、ゲルマニア行きの話は回避できそうだ。

 

「秘薬もそうだが、お前の施した治療の詳細についてもこの者たちに語って聞かせてやってもらいたい。手間賃は出す。また、先日の治療の代金も払っていないそうだからな。その分も払ってやる」

 

「それはありがたいお話ですが、私の秘薬では、症状を抑えることはできてもお嬢様の病を治すことはできません」

 

「そうなのか?」

 

「はい、お嬢様の病巣は、もっと深いところにあるようですので」

 

 私の言葉に、二人は凍りついた。

 侍医長は震える声で言った。

 

「も、もしや、君はカトレア様の病根の見当がついていると?」

 

「おそれながら」

 

 その言葉を聞くや、公爵は荒々しく立ち上がった。

 

「せ、説明しろ、今すぐにだ!」

 

 顔を紅潮させ、今にも卒倒しそうな公爵が唾を飛ばして怒声を上げた。

 医者として、血圧が心配な形相だった。

 私は頭をかき、ちょっと口ごもった。

 

「遺憾ながら、これからお話しすることには現在のブリミル教の教義にそぐわない部分がある可能性があります。もし聞いていただけるのでしたら、そのことはこの部屋だけの秘密ということでお願いします。一人が口を滑らせれば、ここにいる者全員が火炙りになる可能性もある話です。故に、すべては薔薇の下での話ということでよろしいでしょうか?」

 

 私は天井を指さした。

 ここは『ス・ロセ』の間。

 口外無用の話をするための部屋である。

 

「構わぬ。さっさと申せ!」

 

「では」

 

 ここからが正念場だ。

 私は立ち上がってマントを脱いだ。

 黒板を用意してもらい、私は説明を始めた。

 

 カトレアの病気を語る際、私の前世における生物学の基本を外すことはできない。こちらの世界とは学問の体系が違うためだ。人が細胞によって組織されていることや、血液の役割、そして免疫というものの機能について順を追って説明を重ねる。

 次に、人が免疫によってどのようなものから守られているかを知ってもらわなければならない。

 細菌やウイルス、異常な細胞の増殖もまた免疫があって初めて抑制できることだ。

 侍医長は途中で部下の侍医数名を呼び、脇で私の説明の検証も行わせた。

 途中で幾度も質疑応答を交わし、実際に触診で事の真偽を確認してもらいながら話を進めた。

 ひたすらしゃべり続け、黒板にチョークを走らせ、何杯か紅茶を飲みほし、数時間後にようやくカトレアの病気の正体について語り終えた。

 

 話終わったとき、居合わせた全員が言葉を失っていた。

 恐らく彼らも初めて聞くエントリーの病理報告だからだ。

 咀嚼し、消化するまでは時間がかかるだろう。

 そんな中で、再起動をいち早く果たしたのは侍医長だった。

 

「ドクトレス・ヴィクトリア、話はよく解った。君の言うことは嘘ではないと私は信じる」

 

 私の説明をなぞるように幾度となく部下たちと互いの体内の水の流れを確認しながら私の説明の裏付けを取っていた面々だ、疑いの目は誰にもない。

 

「そこで訊きたい。君はカトレア様の治療法が判るのかね?」

 

 私は頷いた。

 このハルケギニアにはカトレアの病気を治す術はない。

 ないものであれば、他所から持ってくればいい。

 そして私にはその知識があった。

 もしかしたら、私が転生をしたというのは偏にこのためであったのかも知れない。

 私は話し出した。

 カトレアの病を治す、その術を。

 

 造血幹細胞の再構築。

 

 根治にはその技術が必要だ。

 私の世界では、その治療法としては自己または型が合う他者の骨髄を移植するやり方が主流だった。

 しかし、いかんせん前世の私はどうやら切った張ったの臨床が主戦場だったようで、血液内科や再生医療などの分野の専門的な技術は持ち合わせていない。

 概略は知っているが、実際にやってみろと言われれば、とてもではないが一人では無理だ。

 公爵を共犯者に引き込んだのは、偏に彼の政治力に期待したためだった。

 幸いにも、今回は侍医団とも会うことができた。

 一人で無理ならば、人手を集める。

 大事を成し遂げるにはどうしたって多くの人の協力が必要だ。

 公爵に対しては資金面でのサポートをお願いする。

 侍医団は私が知らない多くの魔法を知っている。恐らくはアカデミーにコネもあるだろう。

 そんな彼らの力で、造血幹細胞移植か、あるいはそれに比類しうる治療法を研究してもらう。

 また、カトレアも確か優秀なメイジであり、属性も公爵の私刑を受けたサイトに治癒をかけているところから水と思われる。

 自らの体をコントロールしてもらうことはある程度期待できよう。

 

 その体制を立ち上げ、同時に今後のカトレアの発病について細菌やウイルスに対するより効果が高い秘薬を作って治療法開発の時間を稼ぐ。

 カトレアにはすまないが、動物との接触もできるだけ避けてもらわなければならない。

 

 そんなこんなで基本方針を列記する。

 

 ・侍医団による幹細胞再生の手法研究

 ・患者の罹患に関する対抗策の底上げ

 ・患者本人による自身の体調コントロール

 ・生活習慣の改善

 

 造血幹細胞の再生については最もリアリティがある手法は親族からの骨髄移植だが、ドナーの確保となると、これはなかなかにハードルが高い。

 HLAが合致する可能性の高い存在として姉妹のエレオノールとルイズがいるが、ルイズはともかく、エレオノールは難物だ。

 はいそうですかと聞き入れてくれるくらいなら、今頃は彼女も姓が変わっていることだろう。

 故に、やるとなると自己骨髄の移植にならざるを得ない。

 とは言え骨髄移植は不可逆な手法なので、やるとなるとべらぼうにリスクが高い。

 何より、私も研修時を含めてその手技を見たことがない。

 まさに最後の手段だし、手法の研究から技術者の育成だけでも数年を要すると思う。

 

 私が推奨したいのは、『治癒』の要領でカトレア自身の生体内で健康な造血幹細胞を増やしていくやり方だ。これは細胞を『視』ることができる高位の水メイジの技術でもかなりの難度となると思うが、理屈ではできないことではないと思う。完全に機能がないのならばともかく、カトレアの場合は幾ばくかのT細胞が確認できることから、健康な幹細胞も存在することは間違いない。

 この幹細胞をモチーフに、異常な細胞を殺して正常な細胞に置き換えてゆく手法が取れないかと考えている。

 これは現代医学では不可能なやり方だが、ハルケギニアならばあるいは、というやり方だ。

 実現可能かどうかは最終的には侍医団の判断によることになるだろう。

 魔法はイメージだ。

 私が知る限りの細胞生物学の情報を高位の水メイジに伝え、彼らの方で研鑽と研究を重ねてもらうのが一番確実だと思われた。

 他力本願なやり方だが、正直、カトレアの病気は凡人の私一人で治せるような代物ではない。

 これは病魔との戦争だ。

 杖を持ち、秘薬を使い、あらゆる手段を用いて戦争をするのだ。

 知力、体力、財力、政治力、動員しうるありとあらゆる力を使う。

 まさに戦争そのものなのだ。

 兵員もまた然り。

 戦争は一人では勝てない。勝つためにはどうしても組織が必要なのだ。

 勝算については見当がつかないが、カトレアの侍医団の腕前はかなりなものであることは私にも判る。

 現状でトリステインではこれ以上の布陣は望めないと思う。

 あとは運だ。

 

 以上を説明し、私は一つ息を吐いた。

 可能性ゼロを1%にするくらいの事ではあるが、これが私の精一杯だ。

 

 話疲れて椅子に座った私を余所に、公爵と侍医長が熱心に話し合っている。

 

「本当にそんなことが可能なのか?」

 

 公爵の問いに、侍医長が答える。

 

「詳しいところは詰めてみねば判りませんが、理屈では不可能ではありません」

 

「しかし、もし不首尾に終わったら、わしはお前たちを許せんぞ」

 

 信じるか信じないかは、最後は患者の気持ち一つだ。

 医者は無理強いはしない。

 何かあった時は、改めてゲルマニアに逃げ出すとしよう。

 

 公爵はしばらく考え、そしてため息をついて手元の鈴を鳴らした。

 

 部屋のドアが開き、入って来たのは桃色の髪の女性。

 聞いていたか、カトレア嬢。

 

「カトレア、わしはお前の気持ちを尊重したい」

 

 公爵の言葉に、カトレアは躊躇うことなく答えた。

 

「もちろんお受けしますわ、その治療」

 

 迷いなく言い切ったカトレアの視線は、私を向いていた。

 ルイズの手紙が発端だったのであろうが、そこから私の知識までを嗅ぎあてる才能は何だか妖怪じみていて不気味だ。

 前世で友達だったら、毎週阪神競馬場で最終まで楽しい思いができただろう。

 もしも私が一国を任された時は、三顧の礼を持って宰相に招きたいところだ。

 

 カトレアはスカートの裾を持って、優雅に一礼した。

 

「皆さん、いろいろ苦労をかけますが、どうか、今しばらく私に力を貸してください。お願いします」

 

公爵家次女に相応しい、堂々たる所作だった。

 

 

 

 窓の外を見ると、もうすっかり陽が落ちていた。

 ずいぶん長く話し込んだものだ。

 

「では、本日はこれで失礼いたします」

 

 立ち上がった私を公爵が呼びとめた。

 

「しばし待て、夕餉を食べて行くがいい」

 

「いえ、憚りながら、身の程を弁えておりますのでご容赦を」

 

 今さら貴族貴族した食事は勘弁してもらいたかったし、私としては何より一刻も早くこの場を出て、今も気を揉んでいるであろうマチルダとテファを安心させてあげたかった。

 そんな私の心中を読み取ったのか、公爵はカトレアと侍医たちを下がらせた。

 次いで私の背後にいるディルムッドに視線を向ける。

 

「お前も外に出ておれ」

 

 その言葉にディルムッドが私に視線を向ける。

 

「恐れながら、この者の前で私は秘密を持ちません。また、知った秘密をこの者が漏らすことはありません」

 

 こればかりははっきり言わないといけないので、私はきっぱりと言った。

 

「……いいだろう」

 

 公爵はひとつ深く息を吐いて言葉を探すように口を開いた。

 飛び出した発言はとんでもないものだった。

 

「どうだ、娘の侍医団に加わる気はないか?」

 

 完全に予想の斜め上の話だったので、私は一瞬呆気に取られた。

 

「お戯れを」

 

「戯れではない。先も言った通り、お前の腕は侍医長が目を見張っておるほどだ。カトレア自身もお前のことを気に入っている。少し調べさせてもらったが、街の評判も素晴らしいし、何より、お前ほど医療に造詣が深い者を野に置いておくのは惜しい」

 

「買いかぶられては困ります閣下。私はしがない町医者です。無論、協力は惜しみませんが、公爵家の禄を食めるような身の上ではございません」

 

「謙虚なことだ。しかし、町医者ではいろいろ困る事もあろう。お前ほどの腕ならば仕官の先には困らぬだろうに」

 

「好きでやっております野良犬です。今の生活が気に入っておりますのでお気持ちだけ頂戴いたします」

 

「……そうか。残念だ」

 

「申し訳ありません」

 

「よい。では、今後もよろしく頼むぞ」

 

「微力を尽くします」

 

 部屋を出ようとする私に、最後に公爵が声をかけてきた。

 

 

「帰り道はお気を付け下さい、殿下」

 

 

 私は一瞬、足をとめた。

 この部屋に案内された時から予想はついていたが、やはり知っていたか、公爵。

 

 

「御心配、心より感謝を」

 

 

 それだけ告げて、私は扉を閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数年後、カトレアが家族と歓喜の抱擁を交わすのはまた別のお話。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。