この作品のコンセプト自体そんなもんですからね(笑)
誰しもが揃って心折れるであろう、明一番の数学。
黒板に果てしなく並ぶ珍妙な数式やらギリシャ文字、ノートへ写し取った所で思考を放棄する己の脳、高位の催眠呪術がごとき威力を持つ教師の口頭説明...全てにおいて人間の気概を削ぐに適した要素を果てしなく揃える魔物。それが数学だ。
....と、前世通っていた高校では、そう思っていた。
「95点...だと?」
数日前に行った小テストは、恐ろしい結果を連れて帰還を果たした。いや、何かの間違いだろコレ...
確かに、授業の内容は何故か以前と比べ物にならないくらい綺麗な形で脳へキャプチャされてはいたが、ほとんど予習なしで受けたんだぞ?
「おぉ、コウタやるな!まさか獅子丸の点数に匹敵するとは...」
「マジか!今回難しかったのにスゲェな!」
何やら騒がしい樹林が、更に騒がしい獅子丸を連れてやってくる。
そんな二人は実に対照的な点数となっていた。
樹林は21点で、獅子丸は驚異の99点。
本当は全問正解のはずだったのだが、名前を素で書き忘れるという前代未聞の奇行に及んだために一点マイナスとなった。神様、コイツの数学的理論で占められてる脳内容量を、少しは基本的な常識面へ回してやってくれよ。
そんな事を思いながらワイワイ騒ぐ馬鹿二人へ溜め息を吐いていると、小猫ちゃんを呼ぶ先生の声が聞こえた。
彼女は終始無表情で紙を受け取り、顔を上げた時に俺の視線に気付いたか、こちらへ早足でやって来た。
「どうかしましたか?」
「いや、ちょっと気になっただけだから」
「?...これの点数ですか」
「ん。まぁな」
テスト用紙を掲げて見せた小猫ちゃんは、多少逡巡しながらもそれを差し出してきた。無理して見せなくてもいいぞとは思ったが、口に出すと彼女はむしろ意固地になってしまうだろう。
ということから、俺も自身の用紙を渡すことで、痛み分けにした。
(あれ…?)
小猫ちゃんの名前記入欄へ被せるように赤いボールペンで書かれていた数字は、78。
彼女には悪いが、点数が高めだったのには少し驚いた。
と、さりげなく遠ざけていたのにも拘わらず、空気読めない例の二人が彼女の存在に気付いてしまう。
「おふっ!小猫ちゃんいつの間に!」
「し、失敬なのは百も承知でありますが、この卑しい私めに貴女様のテスト結果をご教示頂けないでしょうか?!」
「ダメ」
「ぬっはぁ!付け入る隙のない素晴らしきカウンター!でも悔しい感じちゃゴボフゥッ!?」
上体を仰け反らしながらも身体をクネクネさせるという荒業を披露させている最中の樹林に向かって、突如二つの黒板消しが飛来。奴の横腹へ鬼のような速度で衝突したそれは、縦1m80cm、重量70kg近くある巨体を数m先の壁へ容易に縫い付けた。
静まり返る教室。
その中、両手から白煙をあげる数学教員の口より、たった一言のみが放たれる。
「黙れ。ガキども」
心底どうでもいいが、この学校の教員は黒板消ししか武器として扱えないのだろうか?
***
「うーん...ちっと味付けミスったかなぁ」
単純なようで、実は奥が深い卵焼きを咀嚼しながら眉をひそめる。ヤバイな、このままじゃ黒歌に調理スキルの練度を越されちまう。
最近は弁当の作成を彼女へ任せることが多くなり、元々才能はあったのか確実に腕が上がってきている。
「まぁ...いいかな」
そうなれば、結果的に俺の昼食が豪華になるのだ。上達ぶりに関しては寧ろ此方から後押したいくらいだろう。
冥界放浪時はぶっ倒した魔物が大抵食糧だったし、味つけに関しては多少寛容なつもりだ。生臭いとかそういうレベルを越えてるからな、アレ。
グレモリー家で暮らし始めてからは、世界三大珍味が毎日一品当然のように食卓へ置かれたが...いや、あれを普通と思ってはいかん。
「ん..ぅ」
「っと...おぅ、耳出てるぞ、耳」
「大丈夫。どうせ....二人きり」
膝元から聞こえた声で一旦思考を切り、俺は空になった弁当箱を置くと小猫ちゃんの頭を撫でた。
そう。お昼を食べ終わってから今までずっと彼女を膝枕状態なのだ。最近は毎日、昼休みを学校の庭でこんなことしながら過ごしている。
ちなみに、ここら一帯は認識阻害の魔術結界を施しているので、半径2mより外側からは俺と小猫ちゃんの姿は見えない。なので、校内で俺たちのそういう噂は一向に立っていないのだ。
(別に立ってくれたっていいんだけどなぁ....あ、でも小猫ちゃんが明らか迷惑だな)
「コウタさん...」
「ん?どした」
「あの.....その、アレをやって貰っても、いいですか?」
「あぁ、お安いご用だ。お姫様」
頬を紅く染めながらスカートの裾を握る小猫ちゃんの様子から、何を御所望なのかすぐに察し、俺は弁当箱を手早く布に包んでから腕を枕にして仰向けに寝転ぶ。
すると、そんな俺へ向かい小猫ちゃんが赤い顔のまま覆い被さってきた。
「はふぅ...」
「はは、もう耳も尻尾も出し放題だな」
「す、すみません。気が抜けて、つい」
しかし、謝りながらも俺の首に腕を回して、足まで絡み付かせてきた。スカート!スカート捲れるって!
そう脳内で喚いてみても、流石にこの体位からでは脱出が難しい。まぁ叫び出したいくらいには幸福感が天元突破してるし、現状維持で行こうか。できれば永遠に。
「よしよし…」
「~♪」
頭や頬、顎を優しく撫でてみると大層お気に召したようで、みるみるうちに小猫ちゃんの表情がトロけ始めた。
次に彼女の背中へ腕を回し、思いきって抱き締めてみたが、怒られたり逃げられたりするどころか、甘い声を上げながら俺の首筋をペロペロと舐め.....舐め?!
「ちょ、ひょわ!」
「んふ...れろれろ、ちゅぷ」
「あわわわわ」
カチコチ状態の俺に構わず、熱い吐息を吹きかけながら舌を這わせ続ける小猫ちゃん。ヤバイヤバイ!ただでさえ密着されてんだ、首をペロペロされてるなんて思ったら...
仕方無しに、止まる気がしない彼女の後頭部辺りへ手を触れ、軽く昏睡の魔術を行使。途端にくたりと全身の力を抜き、気を失った小猫ちゃんを見てから安心したような、残念なような複雑な深呼吸をする。
「いや、寝ちまってる今なら...」
そんな黒い衝動が一瞬身体を動かしかけたものの、自分の胸の上で安心したような表情を湛えて眠る無垢な白猫を見た瞬間、邪な感情は全て消し飛んだ。
(この子は絶対汚しちゃあかん。世が生んだ宝や)
俺色に染めてやるとか
「うーん、謎の賢者タイム突入。しかも超前向き」
晴天を隠す無粋な雲の少ない青空を眺めながら、そんなことを呟いてみる。
答える声はなく、俺は当然ながらそれを期待してもいなかった。
***
「コウタ、お帰りにゃん。お風呂出来てるから一緒に入りましょ♪」
俺はいつものように玄関先で出迎えてくれた着物姿の黒歌へ、両手を広げてから真剣な声音で懇願する。
「黒歌、俺を殴ってくれ」
「か、帰ってきて早々意味わかんないにゃん?!」
ああ、確かに説明不足だった。これでは殴られたがり屋の変態みたいである。
俺は少し思案し、最も分かりやすく、簡潔に事情を表現できる文を考えた。
時間にして十秒。余計な着飾りは必要ないと決心し、生まれた言葉は――――
「─────寝てる白音にいやらしいことをしようとしアベシッ!」
思い付いた言葉をそのまま口にしようとした俺だが、最後まで言い終わる前に左頬へ黒歌の右ストレートがめり込んだ。アカン、この威力はガゼルパンチに匹敵するぞ。
彼女の加減できないパワーはよく知っている。なので、殴られた際に玄関の扉をぶち抜いて家から飛び出すという近所迷惑な騒音を回避するため、事前に結界を張っておいた。
よって、固い結界の表面に背中を強打し、俺が涙目になるだけで済んだ。痛杉内。
「...コウタ、前に約束したわよね?白音が私と和解するまでは手を出さないって」
「ゲホッ...す、すまん。やっぱり俺も年頃の男っつぅどうしようもない生き物だから.....ハッ?!」
ヤバい!痛みで正常な思考まで瓦解していたらしく、黒歌の前では絶対言ってはいけない発言をポロッと...って、あぁ!足が、手が動かない!
冷や汗を垂らしている間に人形化させられてしまった俺は、昏い笑みを浮かべながら迫る黒猫を呆然と眺めるしかない...とでも思ったか!
「ハッハッハ!忘れたか黒歌!俺には外部から干渉する類いの呪術には耐性があることをッ!」
そう。以前黒歌と戦ったとき、仙術を使った弱体化が失敗に終わったことが証拠。
こんなモンはすぐに弾かれて...弾かれて...はじ、かれて...ってあれ、動かんぞ?
「にゃにゃん♪コウタこそ忘れたのかしら?私の仙術が洗い流せなかったこと」
「な...まさか、あの時の!?」
あぁ、あの時は腕の痺れがいつまで立っても取れなくて大変だったんだよなぁって、そんなことを悠長に考えてる場合じゃない!
コイツ、さっき殴ったときにちゃっかり
「流石に、直接強力なヤツを注入すれば効くのね...むふふ、参考になったわ」
「さ、参考なんかにせんといて!ていうかまず離れてお願い!」
そんな嘆願など聞く耳持たず、ガッシと俺の両肩を掴んだ黒歌は、その(普段は)綺麗な瞳を爛々と輝かせながら手足を絡め、やがて全身まで擦り付けてきた。
「ひ...ちょま、アッ――――!」
この時、俺の脳内では椿の花が落ちる動画が生々しく再生された。
へへ、親父...なんとか純潔は守ったぜ。
***
俺は風呂に入って夕飯を食べたあと、げっそりとした状態のままベッドへ倒れ込む。うぅ、まだ全身に違和感がある...
黒歌に何をされたかは、俺が精神の均衡を保つためにも聞かないで欲しい。切に。
「はぁ、気付けも合わせて魔力補給するかな...」
そう呟いてゆっくりと起き上がると、ベッドの隣に備え付けられている燭台の引き出しから年季の入った木箱を取り出す。
金属の金色の留め金を外してから箱を開け、見慣れた紙巻き煙草を一本摘んだ。
「ちっ、在庫少なくなってんな。ま、ここんとこオーフィスと戦い詰めだし、仕方ないんだがな」
愚痴りながらも擬似魔術回路を励起。簡単な方式の魔術を使って炎を人差し指から出現させた。
煙草へ火を移してから、燃焼する香草の煙と共に肺へ魔力を送り込む。吐き出すのは甘い香草の匂いを含んだ紫煙のみで、魔力は肺に溜め込んだ時点で体内へ溶け込むようになっている。
身体に悪くないし、周りにも必要以上迷惑をかけない理想的な煙草である。
「一旦落ち着いたら、あそこに行ってまた買うかね...」
上手くブレンドされた香草のもたらす鎮静作用はかなりのものだ。実際、さっきまで焦りまくっていたのが、今では嘘みたく鳴りを潜めている。
と、何だかんだ考え事をしていたらあっという間に吸い終わり、多少落胆しながらも吸い殻をさっきの魔術で塵も残さず焼き付くす。
─────後に残るのは、冷静な感情を湛えた俺自身と、静寂のみ。
「...外の風にでも、当たるか」
俺は木箱を燭台へしまってから立ち上がり、硝子戸を開けてベランダへ出る。瞬間、深夜特有の冷たい風が全身にまとわりつき、否応なく俺の体温を奪って行った。
金属製の手摺に肘を突きながら、ボケッと夜の住宅を眺める。
「…
気づけば、日課と化している擬似魔術回路の拡張を試みていた。
限りなく雑念や邪念の少ない今なら、或いは...
「
俺は魔力を通常の使い方とは異なる形で動かし、イメージする通りに回路を押し進めていく。畑を少しずつ開墾するように、ゆっくりと。
しかし、異変はすぐに起きた。
「ぐぅ...あがっ!」
まるでそれ以上の進行を阻むかのように、伸ばそうとした回路は弾かれてしまった。
クソ、今回もだめ...か。
「ゲホッゲホッ!…く、
これ以上の体内損傷を防ぐため、すぐにこれまでやっていたこと全部をごみ箱へ叩き込む。...ふう、何とか多少の喀血だけで済んだか。
それにしても、毎度毎度こうじゃ進歩がない。ハリボテとはいえ確かに魔術回路が作れたのだから、延ばすくらい何とかなると思っていたのだが...
「何か、とんでもなくデカい何かが邪魔しやがる」
胡乱な表現ではあるが、そうとしか形容できない。最近になってよくわからない箱みたいなイメージも湧いてくるし...
「はぁ...疲れた。もう寝よ」
血が抜けた事で脳味噌に行き渡る酸素が少なくなったか、思考が鈍り始めた事を機に匙投げした。もう十分頑張ったよな、俺。
ちなみに、俺は今日の夢で小猫ちゃんと黒歌の両方から迫られるという状況に陥った。
親父...やっぱ俺はもう駄目かもしれん。
疑似魔術回路延長のためにオリ主が詠唱した台詞はオリジナル。と言いたいところですが、言い回しを一部本家から拝借致しました。
次回はいつものお話の軌道に乗っかり、修行編後半です。