タークス隊本部、”取り調べ室”内にて
男はただ、何をするでもなくじっと用意された椅子に座っている。
「……何か話さないのか?」
返事はない。まるで、言葉が右から左へと素通りしているかのようだ。
「はぁ……」
それを受けて、その対面に腰掛ける男が大きなため息を吐いた。その頬には、なんとも独特なタトゥーが刻まれている。だんまりを決め込む男と、それに対し、呆れた表情を浮かべる男。二人の光景は、どこかありふれた刑事ドラマのワンシーンのようでもあった。
「あのなぁ、保護を求めたのはお前なんだぞ?」
「……まいったね、こりゃ」
だらんと椅子に腰かけ、お手上げだといわんばかりに鉄色の素っ気ない天井を見上げる。とその時、ガチャリと音を鳴らしてその個室に唯一設けられたドアが開く。
「た、隊長!」
ガタタンッ!
大きな音を立て椅子から立ち上がった彼は、自身の姿勢をピンと正し深々と訪問者へ頭を下げた。だが、隊長と呼ばれたその訪問者は柔和な優しい笑みを一つ浮かべると、そんな男へねぎらいの言葉をかける。
「お疲れ様です、イバン。君には苦労を掛けますね」
「め、めっそうもない!」
だが、男は益々畏まるばかりだった。そんな彼の態度に苦笑し、隊長たるベノナは顔を座ったままの男へと向けた。
「進展は?」
「ソレが全く」
「成る程。何か都合でも悪いのですか?」
ちらり、とだんまりを決め込むままの男の視線が、かすかに動く。それを、ベノナは人懐っこい笑みのまま見届ける。すると、今まで固く閉ざされていた男の唇が、ゆっくりと、しかしながら確かに動き出す。
「あんたが、この部隊の責任者か?」
「ええ、畏れ多くも」
***
今からおよそ、四時間ほど前。突如として耳に入ってきたその情報が、仮眠をとるべくまどろんでいた彼女の意識を再覚醒させた。曰く、重大な情報の入手に成功したので今すぐに会議が行いたい、と。何の脈絡もなく、ベノナから報告が入った。ソレが普段の彼らしくなかったため、彼女はソレが急を要するほどに大切な情報なのだろうと推測した。そうして、無理と反発が出てくることを承知で代表者権限による緊急招集をかけたのが、丁度一時間前。攻略組の主要メンバーによって開かれるその会議は、今や混沌がその全てを支配していた。
「ラフィンコフィンからの亡命者が、今日の明朝に現れました」
開口一番、ベノナが彼らへと報告したのは、あまりにも衝撃的すぎる内容だった。今までの雲をつかんでいるかのような曖昧な情報ではなく、確固たる、しかも直接的な亡命者からの情報ともなれば、逆に驚かないのが不思議なくらいなのだ。
「亡命者は今我々の拠点にて保護しています。その際、彼に対して取り調べを行いました」
言いながら、彼は目の前にウィンドウを表示すると何かのオブジェクトを実体化させた。コトリ、と机に置かれたそれは、淡く輝きを放つ録音クリスタルだった。
「亡命の理由は?」
「彼らの計画が恐ろしくなった、と。これは亡命の手土産だそうです」
「計画?」
思わず、アスナは眉をひそめた。だが、ベノナは多くを語ることなく、静かにクリスタルに録音されたデータを再生した。
『……計画の変更はナシだ』
『強気っすねヘッドォ』
『アイツらは、まぬけ、だ。気づけるわけ、ない』
「っ!!」
僅かに遠く、反響するかのような声は、その音量こそ小さく遠いものの、確かにアスナが聞いたことのある声だった。そしてそれは、ここにいる全ての攻略プレイヤーについても同様だった。
『時は、近い』
『攻略組が気付いた様子はないっすもんねぇ』
『フン、好きモノだなお前ら。はやりすぎて、余計な人殺しはするなよ?』
『えー、硬いっすよぉヘッドォ!!ヘッドだってワクワクしてるくせに』
『you right』
おぞましい程に場違いで、悪寒すらいだく陽気な声。クリスタルから発せられるその音声は、本当に楽しげで、おもちゃを買い与えられた子供のような無邪気さがあった。
『P-13,19,0,6,21,4,4,25,8,5,7,24,14,18。集会は明日予定通りだ。各地に散らばる
『『了解』』
『ああ、それと――』
不意に、そこで録音は途絶えていた。だが、攻略組にとってそんなのは些末事だ。大事なのは、今まで尻尾を捕まえられなかったラフコフの、確実な情報を掴んだというその一点のみ。
「この情報、信憑性は高いのか?」
「かなり。亡命者曰く、逃亡寸前に幹部たちが話していたのをひそかに録音していたそうです」
「ふーん」
そのまま、訪ねたキリトは腕を組んで何かを考えるように押し黙った。その見据える瞳は鋭く、表情も険しい。とそこで、卓に座るクラインが手を上げた。
「信憑性が高いのは結構だがよぅ、P-何ちゃらってのは何なんだ?」
彼の言う通り、その録音データでわかることは、ラフコフのメンバーが何かを画策しているということだけ。確かにそれだけでも今の攻略組には地獄に垂らされた蜘蛛の糸の如きではあるが、そうだとしても情報として十分とは言い難い。だが、ベノナはまるで問題ないとでも言いたげに首を振った。
「確かにクラインさんの言うとおりです。しかし、彼の手土産はこれだけじゃないんです」
「本当か?」
「ええ。重要なのは録音データ内の数列です。P-13,19,0,6,21,4,4,25,8,5,7,24,14,18。これは、彼らが身内で使う暗号なんだとか。Pとは解読法の事。そしてその法則に沿うと、前六文字と後ろの五文字はダミーで本命は中の三つ、つまり4,25,8とのことです」
「意味は?」
「4と8が時刻を、これは足すんだそうです。そして残る25が、集会に使う層を表しているんだとか」
「じゃあ……」
アスナは、頭の中でベノナが告げた解読法に沿っていく。4と8は足して12。のこった25はそのまま層を意味するなら、つまりは
「明日の十二時に、25そうで集会が行われるってこと?」
「ええ、まず間違いないでしょう」
忽ち、会場場所に集まったプレイヤー達にどよめきが走る。かつてない程の手がかり、数々のPKを繰り返し、自分たちを脅かさんとしたラフコフの尻尾を対に掴んだのだから。だが同時に、いきなり目の前へと提示されたそれに対して、如何すればいいかわからないでいるのもまた事実だった。
「さて、私が今日アスナさんに無理を言って皆さんに集合してもらったのは他でもありません……」
一呼吸置き、ベノナはかつてない真剣な眼差しのまま、真っ直ぐにアスナを見やった。そこでアスナも、今から彼が言わんとするであろうことをおぼろげながらに悟った。
「タークス隊隊長として進言します。討伐部隊を編成し、これを叩きましょう」
屹然と、確かな口調で告げた。
「我々は常に後れを取り続けました。防御的カウンターインテリジェンス。不甲斐なくも、私たちにはそれしかできませんでした。カウンターエスピオナージとは遠く離れ、常に受け身であるしかなかった。しかしそれではだめなんです。いずれか、我々攻略組の脆弱性が露呈して、致命的な攻撃を受けることでしょう。その前に今、こちらから攻勢を取りましょう。敵の防諜力は我々に遠く及びません。このチャンスを何が何でもモノにしたいんです。アスナさん。どうか、ご英断を」
テーブルの上に置いていた手を、アスナはほとんど無意識のうちに握りしめていた。
***
「討伐を、決行します。我々はこれ以上、大切な仲間を失うわけにはいきません。ですが強制はしません。討伐隊に参加するか否か、それは個人の判断にゆだねます」
それが、攻略組に迫られた、ひいてはアスナの下した決断だった。もうこれ以上、犠牲者を増やしたくないんだという正義心と、仲間を殺されたという義憤。我々は数々の窮地を乗り越えてきたんだという自信と、対プレイヤーという、今までに経験したことのない状況への不安。背反する感情のはざまで、如何するべきなのかを問い続け、出した答えに誰も文句は唱えなかった。既に街を照らしゆく太陽の日は赤く、遥か彼方の水平線へと沈み行かんとしている。手持無沙汰となったアスナは一人、街のはずれにあるベンチに腰掛け、茜色へと染まったその光景を眺めていた。
「……」
思い返すのは、あの日の夜の事。今はいない彼ならば、果たしてどんな決断を下していただろうか。何故、自分たちの前から姿を消したのか。もう何回と繰り返した問いかけは、しかしいつも答えなどない。
「ふぅ……」
重く、押し出したかのような溜息。心は言い知れぬ不安に駆り立てられるまま、ソレが晴れることはない。こんなにも心細いと感じたのは、一体いつぶりだろうか。ぼんやりと、アスナは一人思う。そこで、彼女は自嘲じみた笑みを浮かべた。らしくないなというのは、彼女自身自覚していた。強くあれ、走り続けろ、そして燃え尽きれ。あの空をかける、流星のごとく。嘗て彼女がかくあれと掲げていた信念に、唯一疑問という名のひびを開けた人。彼女が初めてかなわないと、超えられないと感じた彼の、どこか懐かしさを覚えるその後ろ姿へ、アスナはそっと言葉を投げかける。
「あなたは、どうして誰かを守り続けるの?」
ずっと尋ねようとして、今の今まで聞けなかったその問いは、またしても帰ってくることはなく、どこか空しいままの茜空へときえた。
***
Interlude: Sleeper《XXXXXX》persona non grata
すっかりと太陽が落ち、月明かりすら埋め尽くさんとする闇夜一色に染まり切った森の中を、彼は一人歩き続けた。辺り一面に広がり、視界という視界をうっそうと茂る木々が塞ぐその光景は、どれも不気味なままに同じで、ぐるぐると同じ場所を回っているかのような錯覚を覚える。だがその道を行く彼の足取りはしっかりとしていて、まるで惑わされている様子がない。パキリと踏み進めた足が地面に落ちてた枝を折ったとき、その視界のハジで何かがきらりと光ったのを、彼は見逃さなかった。だらりと自然体でいた右腕を懐へと持っていき、ベルトにくくられた短刀のようなナニカの柄を握った彼は、そのまま真っ直ぐに振り抜く。一閃の尾を引きながら、目にもとまらぬ速さで振り抜かれたその武器は、ガリィィンと激しい音と火花を散らしながら己へと迫っていた凶刃を弾いた。何者かによる襲撃、ソレは誰の目に見ても明らか。であるのに、彼は全く動じることなくうっそうと茂る森の中を見つめた。
「ひどいなぁ、ジョニーさん。ボクのコト忘れっちゃたんですか?」
すると、同一風景だったはずの森の中から、パチパチと手を叩く音がこだました。
「お前の腕がなまってないか不安でよぉ」
「まさかそんなことあるわけないでしょ」
「どうやら、その、ようだ」
まるで実態無き亡霊のように、暗闇からゆらりと現れたのは、四人のレッドプレイヤーだった。
「久しぶりだな。一、いや、二か月か?」
「お久しぶりです、ボス」
頭を丁寧にさげ、彼は目の前に現れたぼろ雑巾のようなポンチョ男を見やった。それを見届けたポンチョ男――Pohはくっと口元を釣り上げると、頭を下げた彼の肩へと手を置いた。
「尾行の類は?」
「ありませんよ。まったくの無警戒です」
「そうか」
ポツリとつぶやかれたPohの言葉に、彼はそっと頭を上げる。その頬には、何かを複雑にカリカチュアライズされたタトゥーが刻まれていた。
「攻略組は?」
「ボスの思惑通りに。今日開かれた緊急会議によってラフコフ討伐作戦が決定されました」
「くくく、そうか」
口元が、邪悪に歪み行く。だがそれは、Pohだけではなく傍らに立つジョニーとザザも同じだった。
「いやぁ楽しみっすねぇヘッドォ。オレ、ワクワク止まんねーっす」
「まだ、始まって、ない」
「それも時間の問題だ」
「だな」
無邪気なる子供のように笑みを浮かべるジョニーとしゅーしゅーという擦過音を立てながらつぶやくザザに、彼も笑顔のまま返す。とそこで、彼はさらにその奥に立つローブの男が興味なさげにため息をこぼすのを見た。
「どうしたんですか」
「ふん、あまりはしゃぐな。今はまだ、目的のひとつ目が終わったにすぎん」
「あーもう。サブはいっつもドライすぎですよ」
「……知るか」
不愛想な声のまま、ローブの男はジョニーを一瞥する。そんな彼の淡白な対応に、怖気図居たのかとからかうジョニーとザザだったが、Pohはただ一人、そんなローブ男に対してぶるりと身を震わせた。それは、久しく感じたことのない恐怖か、それとも未知なる畏怖なのか。彼にとって、それらはただ与えるだけのもので、感じるはずのないものだった。最悪と称されるレッドギルド“ラフィン・コフィン”そのリーダー“Poh”彼はそんな存在なのだ。だが、ただ一人の男だけは例外だ。
――『………いいだろう、お前の提案に乗ってやる。ただし、指図はするな。俺のエモノを、殺すも殺さないも、全て俺が決める』
『Ha!!いいぜ』
初めて会ったその日の事を、Pohは思い返す。あの時から、決して消えず、衰えることのない黒い憎悪を燃やし続けるその男だけは、Pohにとって唯一、自分が体験することのない“畏れ”を抱かせる人物にして、長らくの相棒という存在なのだ。
――ククク……この時を待ちわびたのは他でもないお前だろ?brother
決して、多くを知るわけではない。彼のたぎる“憎悪”も、己が抱くそれも、相手には関わりのないこと。友情など、そんな甘えたものは彼も男も有してはいない。だからPohは高らかに声を上げる。
「俺たちは狩る側の人間だ。さぁ、狂乱に彩られたパーティーを始めようぜ!!It’s show time!!」
***
そうして、運命の日となる太陽が蒼く透き通った大空に高く昇り、小鳥たちが新たなる朝の始まりを囀り謳う中、攻略組総勢50名が集合場所たる五十層転移門前広場へと集まっていた。その顔触れは、傍目に見れば知らずとも理解してしまう。誰もかれもが、日の光を受けてきらびやかに輝く武器をその手に携え、職人の技が随所に光る防具を身に纏う。そんな彼らは、ともすれば古い神話、あるいは英雄譚に出てくる戦士や勇者、騎士団のごとく。――攻略組。名実ともにこのアインクラッド内で最強と名高い彼らは、このデスゲームにおける
――皆、覇気がない
が、それも無理はないだろうと、彼女は思う。今回は、いつもと訳が違う。攻略組がこうして集まるのは、この生き地獄――アインクラッドという鉄の城にて自分たちのもう一つの現実から脱出せんがため、はるか彼方、想像すらもつかぬ天の頂へと至り、この世界の囚われた全てのプレイヤー達の希望と願いをその一身に背負いながら立ちはだかるモンスターという名の敵を剣を以て倒すのが攻略組に課せられた使命にして誉なのだ。だが、今日集まったのはそんな誇りや誉とは程遠いものでしかない。――同士討ち――道を外れ、プレイヤーを殺害するという禁忌を犯したレッドプレイヤー達の集まりであるギルド、ラフィン・コフィンを同じプレイヤーである攻略組が武力を以て討伐する。対峙するのは、AIによって操られ、ゲームエンジンが作り出すデータでしかないモンスターではない。相手は、己と同じ意思を持ち、命を宿すプレイヤーそのものなのだ。ただモンスターを屠るのとはわけが違う。己の刃が、もしかしたら同じ存在であるプレイヤーを殺してしまうかもしれない。その行為の、一体どこが誉であり誇りなのだろうか。ここに集まったのは、モンスター狩りのスペシャリストではあっても人狩りのスペシャリストではない。
「よぉ、難しい顔してるな。アスナ」
「おはよー」
「おはよう。キリト、アスナ」
「うん」
ハグしてくるレナを受け止めながら、アスナは普段通りの口調で返す。だが、彼女と長い付き合いがあるレナからしてみれば、それもただの強がりに過ぎないと分かっていた。
「力、もっと抜いていいと思うぜ」
「…………私からすれば、平常を保っていられるあなたの方が羨ましいわ」
「俺が?まさか」
苦笑を漏らしながら、キリトは己の右手を突き出すと、嵌めていたグローブをとる。現れた白い手は、かすかに震えていた。
「……」
「皆そうさ。ここに集まったみんな、そんな感情を押し殺しながらここにいる」
外したグローブをはめなおし、その右手を強く握る。
「でも、誰かがやるしかないだろう?もうこれ以上、罪のないプレイヤーを殺されるわけにはいかない」
ギリッと音の出るほどに握られた己のこぶしを、つややかな黒い瞳で見つめる。未知なる闘いへの不安や恐怖がないわけではない。だが、既に覚悟は決めれいる。ちらりと、キリトはレナの方を見やった。守ると誓った、嘗ての自分にはできなかったこと。その過ちを、もう二度と繰り返さないために。
「時間、ね」
「大丈夫?アスナ」
「うん、少しだけ。勇気をもらったから」
「そっか」
ふわりと、まるで太陽のような朗らかさでレナが笑う。それにつられ、アスナも自然と笑った。多少なれど覚悟は決まった。今は、自分がなすべきことを成すだけだ。そう、強い意志を胸の中に秘め、アスナは改めて、広場に集まる戦友たちの前へと立つ。
「皆さん!!今日は集まってくれて本当にありがとうございます。私たちは今までに、多くの戦友を失いました。モンスターによって、ではありません。私たちと同じプレイヤーによって、です。レッドギルド“ラフィン・コフィン”、彼らは今までに、多くの過ち、同じプレイヤーを殺すという罪を犯しました。もちろん、許されるはずもありません。道を違えたものたちを、正せるのは同じプレイヤーの私たちです。相手はレッドプレイヤー、これまでに多くのプレイヤーを殺めた対人のエキスパートです。ですが、私たちは多くの困難を乗り越えてここに立っています!!目的はメンバーの束縛。我々の積み重ねてきた武力によって、ラフィン・コフィンを平定します!!」
「「「「オオオオオオオっ!!」」」」」
アスナが高らかに声を張り上げれば、ここに集まった全ての雄姿たちの雄たけびがそれにこたえる。士気は十分にある。ここに集まった者たちならば、大丈夫だろう。そう感じたアスナは、力強い足取りで、転移門へと続く道を進み始めた。
というわけで討伐作戦開始です。超優秀なラフィンコフィン。アスナたちは見事につられた形となりました。原作通りの流れではありますが、何せ元が情報少ないので、ほぼオリジナルのようなものです。独自設定と解釈ばっかりだなぁと、書きながら思いました。