黒子のバスケ 銀色の疾風   作:星月

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第七十九話 嫌悪

 第四Qの残り時間も後わずか。

 間もなく試合を決する瞬間が訪れようとする中、試合の得点板は次々とその数字を更新していった。

 

「らあああああああ!」

 

 火神が自慢の跳躍力を活かして白瀧のブロックを掻い潜れば――

 

「うおおおおおおお!」

 

 白瀧が得意の瞬発力を発揮して火神のマークを振り切った。

 両チームのエースがお前には負けないと得点を重ねていく。どちらも一歩も譲る気配がない。優れた矛が敵の盾を粉砕する。

 

「負けっかよ!」

 

 一度でも得点に失敗すればそのまま試合を終えることになってしまう。

 それだけはなるまいと火神はどんどん積極的に仕掛けていった。

 スティールをかわし、ワンドリブルで一気に切り込むとミドルレンジからジャンプシュート。

 だがただのジャンプシュートではない。

 ドリブルでついた勢いを空中で削いで体を立て直し、態勢を整えてからシュートを放つ。

 長い跳躍時間も相まって白瀧のブロックは届かなかった。

 再び誠凛に得点が記録される。

 

「絶対に、勝つ!」

 

 続く大仁多の反撃でボールが渡ったのはまたしても白瀧だ。

 ボールを受けてない状況下でも野生を得た火神の厳しいマークが厳しい中、執拗なカットとスピードで振り切った。

 山本のバウンドパスでボールを受け取るとさらにドリブルで加速。ミドルレンジへ鋭く切り込んだ。

 数歩でタイミングを合わせると跳躍。

 ブロックに跳んだ火神のタイミングをかわす、早いティアドロップを放ってシュートを沈める。大仁多もすぐさま得点を挙げることに成功した。

 

「白瀧ぃ!」

(まだ止められねえ! 反応は出来てるはずなのに、さっきフェイントにつられたせいでどうしても一歩遅れちまう!)

「火神ッ!」

(高さに加えて滞空時間の長さが非常に厄介だ。向こうは空中で立て直しができるから強引に攻めても決められる!)

 

 拮抗した実力を持つ二人。目の前の敵を厳しい視線で睨み付ける。

 

(駄目だ。エース同士の一騎打ちだけじゃ点差が縮まらない! ここは!)

「木吉!」

 

 終わりの時間は刻一刻と迫ってくる。それなのに得点差は埋らない。

 なんとかしなければいけない。この状況下で伊月は方針を変えて木吉へとパスをさばいた。

 

「おう。任せろ!」

 

 パワードリブルで背中の黒木を押し込み、ゴールに近づくと瞬時のピボットターンで彼を置き去りにする。

 何とか光月と黒木がブロックを試みて木吉のダンクシュートコースを塞いでいくが。

 そこから木吉は右手を下ろし、0度の位置に走りこむ日向へとバウンドパス。

 パスはワンバウンドして日向の手元におさまるはずだった。

 それを、白瀧がバウンドの直前に弾き飛ばす。

 

「なっ!?」

(木吉の後出しの権利が読まれた!?)

「ナイス、要!」

 

 宙に浮かんだボールを光月がしっかりと確保し、転じて大仁多のオフェンスに。

 黒子のスティールを三人がかりでボールを運んで誠凛の包囲網を突破。

 ハーフコートオフェンスに移行すると、こちらも今度はエースではなく、小林が攻めて行った。

 パスを警戒していた伊月の真横をクロスオーバーで瞬く間に突破する。

 

「しまった――!」

(くそっ。一瞬、反応が遅れてしまった!)

 

 鷲の目で何とか食らいいていたものの、こちらも体力が限界だったのだろう。小林を止めることは敵わなかった。

 マークをかわした小林はドライブからのミドルシュート。高さと速さ、この二つを両立した彼の得意技を放った。

 

「っ。駄目だ、小林さん! その位置は!」

「むっ!?」

 

 リリースする瞬間、白瀧が警告を発したが少し遅かった。

 小林にとっては死角となっている斜め後ろから、火神がブロックに跳んでいた。

 並外れた跳躍力が小林のミドルシュートを叩き落とす事をも可能にする。シュートは腕に弾かれ、これを黒子が手にした。

 

「あの位置で、届くのか!」

「マジかよ――」

(野生による先読みと、超跳躍力によるブロック。他へのフォローも万全ということか!)

 

 得点が次々と加算されているからといって、並大抵の得点を許すほどディフェンスが柔というわけではない。絶対に自分達が勝つのだという気迫溢れるプレイで目の前の得点を競い合っている。

 

「伊月センパイ!」

「おう、どうした」

「今までの攻防でもわかっていたことだ。あいつの守備範囲は滅茶苦茶広い。俺に、やらせてください!」

 

 絶対に点を取ってやるから。

 そう火神は伊月に懇願して。

 

「小林さん!」

「……ああ」

「もはや火神はヘルプディフェンスに関しても完璧です。やつを完全に振り切らないと得点は難しいでしょう。残りのオフェンス、俺に任せてください」

 

 必ずや勝って見せます。

 白瀧は小林にそう進言した。

 

「わかった。任せる」

「なら、お前に託そう」

 

 エースの意地に、両校の司令塔は首を縦に振って応じた。

 この試合。最後の勝敗を決めるのはエース対決しかない。両校の決断は同じものであった。

 

「行かせねえ!」

 

 火神がボールを持つや、白瀧のプレッシャーは格段に強くなった。

 まだスリーポイントラインであるというのに一歩も通すものかと身動きが取れないほどに手を伸ばす。

 

「……ッ。ラァッ!」

「はっ!?」

 

 しかし、火神は切り込まなかった。それどころか、一歩下がってスリーポイントラインの外側からシュートを撃った。

 

(アウトサイドシュート!? あいつ、そんなに得意ではなかったはずじゃ!?)

(何れにせよ、俺達がやるべき事は!)

(変わらない!)

 

 苦手であるはずの外からのシュート。

 入るのか、そんな疑問が湧いても黒木や光月はリバウンドに供えてポジションを取りに動く。

 

「ハッ。それだけじゃねえ!」

(まさか!)

「明! 黒木さん! 本命は別だ! 火神が行く!」

 

 撃った直後、すぐさま駆け出した火神を見て白瀧は声を張り上げた。

 火神は一直線にゴールへ向かっていき――リングに跳ね返ったボールを、直接リングへ叩き込む。たった一人でアリウープを決めていった。

 

「――まだだ! 当たれ!」

 

 さらに、日向達は得点を縮める為にゾーンプレスを展開。

 この試合を引っくり返そうと最後の賭けに出た。

 

「そう簡単に捉まってたまるか!」

 

 誠凛が必死に追いすがるが大仁多もそう簡単に思惑通りには事を運ばせない。

 山本と小林のピック&ロールで前線のプレッシャーを凌ぐと白瀧も加わって三人のパスワークでゾーンプレスを突破。

 黒子のスティールもかわしてハーフコートオフェンスへと移行する。

 

(くそっ、くそっ、くそっ!)

「駄目! 絶対に止めて!」

 

 日向の戻りが遅れて、四対五の形となってしまった誠凛ディフェンス。ここで止められなければ試合は決するだろう。それを察してリコはこれ以上ない程の声を張り上げた。

 残りの四人がゾーンを作って大仁多を待ち構える。足を動かし、ハンズアップで敵の行く手を阻んでいく。

 

「俺達も、負けられない!」

 

 そのゾーン内に白瀧が切り込んだ。

 チェンジオブペースからのカットイン。火神の体が硬直した一瞬をみのがさず、仕掛けていった。

 木吉や黒子が彼に反応したが、突如白瀧の踏み込みが変化。

 ゴールへ向かってまっすぐ進んだと思えば一歩で横へ踏み込み、そして二歩目で再びゴールへ向き直りながらシュートを放つ。木吉と黒子のブロックの間を通すようにジノビリステップでかわした白瀧。そのシュートが外れるわけがなかった。

 誠凛、最後の仕掛けが通じず。

 

「ああっ……!」

「……そんな!」

 

 思わず、誠凛のベンチでは何人もの選手がコートから視線を逸らした。

 天井を仰いだり、手で顔を覆ったりと。試合の結末を悟ってしまったが故の行動だった。

 

「よしっ!」

「やった!」

 

 対して大仁多のベンチは皆笑みを浮かべていた。

 藤代でさえガッツポーズを取り、試合を制したと確信した。

 大仁多の応援席では残り時間のカウントを始める声まで上がり始める。

 大勢が決した瞬間だった。

 

「まだだ! ボールよこせ!」

 

 そんな中、火神が一人気を吐いた。

 このまま終われない。終わってなるものか。

 最後の一瞬まで白瀧に勝負を挑み続けた。

 

「ああ! 試合時間は残ってる! 走るぞ! 攻めろ!」

 

 彼に続くように伊月や日向達も大仁多のディフェンスに攻め込んでいった。ブザーが鳴るまでは絶対に自分から勝負は投げ出さないと。

 その姿に釣られて、誠凛のベンチメンバー達も気力を振り絞って声援を送り続けた。

 

(諦められないよな、火神。逆の立場だったならば俺だって諦められない。もうここまで来てしまったのだから)

(もう時間も策もありはしねえ。でも誰一人試合を投げてないんだ。俺だって折れてはいねえぞ白瀧!)

 

 最後の勝負も火神に託された。

 白瀧のマークを、幾重ものフェイントを織り交ぜ、緩急も加えて揺さ振る。だが白瀧は動じない。

 あと数秒。まだ白瀧の集中力は途切れない。火神はマークを振り切れない。

 強引にクロスオーバーで中へ切り込む。しかしフリーになれないためか、ゴールへと中々近づけない。

 一度ビハインドザバックで引きつけ、前進。これにもつられない。

 ならば、とアイコンタクトを取った黒子へとパスをさばき、すぐさま走り出す。

 リターンパスを受け取ろうとして手を伸ばし――そのボールが、白瀧に叩き落とされたのと、ブザーが鳴り響いたのは全く同時であった。

 

『試合、終了――――!』

 

 大仁多の応援席、ベンチメンバー、出場選手達が歓喜に湧く。

 誠凛の関係者やリコ達、日向等戦った選手達の表情が悔しさにあふれかえる。

 (大仁多)111対105(誠凛)。

 両校三桁得点という、お互いの高い攻撃力を示したこの試合。

 大仁多が六点差のリードを最後まで守りきり、三回線進出を決めたのだった。

 初出場で全国にその存在を示した誠凛、惜しくも二回戦で姿を消す。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「…………負け、かよ。くそっ」

「火神!?」

 

 終わった瞬間、緊張の糸が途切れたのだろう。

 火神の体がフラフラと大きく揺れる。ついに自分でバランスを保つことさえ出来なくなり、その場に倒れこみそうになる。

 そんな彼を、白瀧が支えた。

 

「しっかりしろ。あと少し立っているだけでいいんだ。もう少し頑張れ」

「白瀧。ハッ……」

 

 二、三歩よろめきながらも、しっかりと火神の体を支えている敵の姿を見て、思わず笑みがこぼれた。

 自分はこれほどボロボロだというのに。この男は最後まで選手であろうと務めている。そんな姿が負けた相手であるというのに何処か誇らしげに見えてしまうのは、彼のおかげで負けても後悔が小さいためであろうか。

 

「――テメエ、俺を挑発なんてしやがって。あれでもしお前らが負けたらどうするつもりだったんだよ。あるいはお前のせいで大仁多が負けるかもしれなかったんだぞ」

「馬鹿か。お前は此処をなんだと思っているんだ」

 

 負け惜しみではない。ただ純粋に不思議に感じていた疑問を投げかける火神。

 すると白瀧は「何を言っている」と当然だと言わんばかりの言葉を返した。

 

「此処は全国の猛者が集まる舞台、IHだぞ。敵一人に本気出された程度で負けるようなら、この先戦っていけるものか。そもそもそんな事で責めるようなやつがこんな所にいるわけがないだろう」

 

 自分達の高めた力を競い合う。

 その中でたった一人を本気にさせた程度で屈するようではその先の試合を戦ってはいけない。

 藤代が指示を出したように、白瀧もまた同意見なのだ。たとえそのせいで負けたとしても、それを誰かのせいにするような賤しい人間などこの場に存在しない。もし白瀧が違う立場であったとしても同じ反応をしたことは間違いない。

 

「だからそんな事は二度と言うな。目の前の勝利を心の底から欲しがっているのに、それを争う相手に真っ向からぶつかってもらえないのは、選手にとって最大の侮辱だ」

「……ああ、強いわけだな。ちくしょう」

 

 本当に、負けても後悔は中々浮かんでこない。

 敵にこれほどまで強い影響を受けたのはおそらくこれが初めてだ。

 ならばせめてと、最後の意地で彼の手を払い、自分の力でコート中央へと歩き始める火神。十人全員が整列し、審判がこの試合の終わりを告げる。

 

『111対105で大仁多高校の勝ち。礼!』

『ありがとうございました!』

 

 最後まで点の取り合いとなった試合。

 一礼後、各選手達は握手をかわして互いの健闘を讃えあう。

 

「今回は負けた。でも、すぐに借りは返してやるからな」

「ああ。そうだな。来年の夏、また返しに来い」

「はあ? そんな待ってられっかよ。冬に絶対に挑んでやる!」

「……どうかな。桐皇に秀徳、この二校がいる中、お前たちが勝ち残れるか」

「勝つ! あいつらにも、お前らにも!」

 

 東京のウィンターカップの出場枠は二校。白瀧はその枠に入ることは難しいだろうと挑発気味に語るが、火神はそんなの関係ないと声を荒げる。

 

「ならやってみろ。俺も、お前との戦いは勝ったとは思っていない。叶うならばもう一度戦ってみたいと思っているからな」

「……その前に、お前らはキセキの世代との試合だろ。負けんじゃねーぞ」

「当然だ」

 

 最後にもう一度強く手を握り締める。再戦を誓い、そして勝った者がさらなる飛躍を期待して、二人は笑みを浮かべた。

 

「白瀧君」

「黒子か」

「負けたのは残念ですが、しかし僕も火神君と同じです。必ずリベンジします。ですが今はただ、君と戦えてよかったと思います」

 

 火神達の会話に、黒子も入ってきた。この試合、戦う事ができてよかったと手を伸ばす。

 

「……俺も、秀徳を破ったお前達と戦うことが出来たのは本当によかったと思う。気がかりの一つを削ぎ落とせたし、今回のような接戦を乗り越えられたのは大きな収穫だった」

「はい」

「だが、悪いな黒子。俺はその手には応えられない」

「えっ――」

 

 相手の事を認めつつ、しかし白瀧は黒子の握手に応じようとはしなかった。

 

「確かにお前の事は選手として認めている。素晴らしい、立派な選手だと。だが――俺はただ一点において、お前を男として許せないでいる」

 

 そう言い残して、白瀧は彼の横を通り過ぎて行った。

 

(ただ一点? 男として許せない?)

 

 彼が栃木に引っ越す際、別れる時に何も言わなかったのはおそらく当時の黒子の心情を気にしてなのだろうが。

 しかし彼がそこまで許せない点とは。果たしてそれが何を指しているのか。黒子にはわからず考えてみるも中々見当がつかなかった。

 

「なんだあいつ?」

「……わかりません。ですが」

 

 おそらく、僕は彼の怒りに触れるような何かをしてしまったのかもしれません。

 そう続けて黒子は遠くなっていくかつてのチームメイトの姿を見つめた。

 

「ほら! 何ボーっとしてんの! さっさと撤収するわよ! 特に火神! あんた、さっさとこっちに来なさい!」

「っと! ヤベ。黒子、行くぞ!」

「そうですね。わかりました」

 

 リコの怒声(特に火神に向けたもの)が耳に響き、二人はベンチへと戻っていく。

 誠凛の選手達はコートを去る前に何度か振り返り、そこからの光景を目に焼き付けた。

 ――初出場で終わらない。必ずこの全国の舞台に戻ってくる。そして今度こそは。

 強い決意を宿して、誠凛高校は舞台を後にした。

 誠凛高校。初のIHで二回戦まで勝ち残る。創部二年目とは思えない活躍は、多くの人々の記憶に刻まれた。

 

 

――――

 

 

 翌日。

 三回戦へと駒を進めた大仁多は、ベスト8をかけた試合へと臨んでいた。

 相手は福島の勇・鎌倉ヶ丘高校。堅実なディフェンスと速攻が武器の強豪校だ。

 前評判では昨日の誠凛との試合で大量の点を取り合った後の疲れを不安視されていた大仁多だったが。

 速攻を武器とする相手に、それ以上の速さで小林・山本・白瀧の三名が速攻を連発。さらに光月、黒木が二人あわせて二十リバウンドを記録するなど安定感を見せた。

 特に白瀧が三十六得点を挙げるなど、マークが厳しい中この日もエースの役割を存分に発揮した。

 最終スコア(大仁多)109対68(鎌倉ヶ丘)。

 この日も百点ゲームで試合を制し、準々決勝へと駒を進める。

 次の試合の相手は、一足先に三回戦突破を決めていた秋田県代表――陽泉高校。キセキの世代の一角、紫原を要する高校である。

 

 

――――

 

 

 その日の夜。

 大仁多高校の選手達はホテルの一室でビデオを見ていた。

 映像の内容は偵察班が撮影した、陽泉のこれまでの試合。それは全国の舞台をここまで勝ち上がってきた彼らでも、信じられないようなものだった。

 小林も、白瀧も、藤代でさえ例外ではない。誰もがその光景に目を奪われ、呆気に取られていた。

 

「……これ、本当にバスケの試合なのか?」

「とてもじゃないが、信じられない」

「IHという全国の舞台でこんな事出来るはずがないのに」

 

 それでも、陽泉高校はそれを成し遂げていた。

 誰かの呟きを切欠に選手達は動揺に溢れた声をこぼす。

 

「此処までの全試合。陽泉は一度も二桁失点を許していない」

「全ての敵の得点を一桁に抑えている。これ以上ない程の完璧なディフェンスだ」

「しかも敵が得点できているのは、スリーポイントやフリースローの得点ばかり。中からは全然得点出来ていないってのが恐ろしい」

「二メートルが三人という超大型の布陣。これが、陽泉高校――!」

 

 三試合ともに陽泉は敵に得点を二桁まで載せていない。最小失点で勝ち上がってきている。本来のバスケとはかけ離れた試合結果だ。

 二メートルの長身を持つフロントライン三人が固めるゴール下。

 しかもその中心であるセンターを勤めているのはキセキの世代の中でもディフェンスは最強と呼ばれる紫原だ。並大抵の攻撃では攻め切ることは不可能である。

 

「……正直な話。此処まで圧倒的となると対策といった対策もあったものではないですね」

 

 一通りのビデオが流れた後、藤代が重々しく口を開いた。

 数多くの試合を目にしてきた彼であるが、藤代も打開策を見出すことは出来ていない。それほど次の相手は一線を画している。

 

「次の試合、皆さんがいつも通り、いつも以上の力を発揮してもらうしかありません。しかし――ひょっとしたらこれまでの試合とは比べ物にならないような結果が待ち受けているかもしれない。それだけは、覚悟していてください」

 

 全員が息を飲む。

 藤代の言葉は非常に苦しいものだった。だがそれに反対する声はない。皆意見は同じであった。とてもではないが『なんとかなる』と楽観視できない。

 これがキセキの世代を擁する高校との初めての公式戦。選手達の間に緊張が走った。

 その後、細かい話し合いを終えてその日は解散となる。

 皆明日に備えて少しでも英気を養おうと自室に戻る中――

 

「本田、明。この後、少しいいか?」

「あっ?」

「僕は構わないよ。なんだい?」

「明日の試合に備えて。少しやっておきたいことがある」

 

 白瀧は一人、部屋に戻らずにチームメイト二人にそう頼んでいた。

 かつての仲間である紫原と渡り合うために。最後の足掻きをしようとしていたのだ。

 

 

――――

 

 

 一方、同時刻。

 陽泉高校もまたホテルに戻ってスカウティングを行っていた。

 

「――という感じだが。お前の目から見てどうだ、岡村?」

 

 ビデオが一時停止される。

 陽泉高校を率いている女性監督、荒木雅子。かつては女子バスケットの日本代表にも選ばれた名プレイヤーで、長い黒髪と凛とした表情が映える美人監督だ。

 荒木は大方の分析を終えると主将である岡村へと話を振る。

 

 

「――いいと思いますよ。さすがに全国常連校というだけあって選手層が豊富。ことオフェンスに関しては全国随一と言っても過言ではない。明日は面白い事になりそうじゃい。超ディフェンス特化型のうちと、超オフェンス特化型の大仁多。最強の矛と最強の盾がぶつかるという矛盾。さて上回るのはどっちかな?」

 

 陽泉高校三年主将、岡村建一 ポジション:PF 200cm

 ずっしりとした物腰で岡村はゆっくりと口角を挙げた。

 二mという長身を有する選手三人がインサイドを固める陽泉。このディフェンスは間違いなく全国一だ。

 果たして敵の攻め気さえ奪い取るこのディフェンス力。明日は如何なる猛威を振るうのか。

 

(……ふーん)

 

 岡村達が敵に向けて興味津々といった表情を浮かべている一方で。

 陽泉高校の中でも最高の身長を誇る紫色の髪の選手はつまらなさそうに頬杖をついた。

 キセキの世代の一角、紫原である。

 陽泉高校一年、 紫原敦 ポジション:C 208cm

 紫原の視線の先にいるのは大仁多のエース、白瀧だった。彼の映像を見た紫原は不満気に視線を細める。

 

(まーだ足掻いているんだ。本当に、うんざりする)

 

 彼の姿を見て紫原は嫌悪さえ覚えていた。

 目障りだと。叶うことならば、次の試合で全てひねり潰してやりたいと思うほどに。

 

 

――――

 

 

 かつての級友にそう思われているとは知る由もなく。

 白瀧は本田と光月をつれてバスケットのゴールがある広場を訪れていた。

 今日の試合の疲れもあるはずなのに。そんな披露は微塵も感じさせないキレで動いている。

 本田と光月。彼らをディフェンス役に見立てて。――白瀧は新たに練習していた技術で二人のブロックを掻い潜り、シュートを打つことに成功した。

 

「おおっ!」

「……まさか」

(マジでこいつやりやがった! これがあれば、陽泉戦もあるいは……!)

 

 かつて彼が想定していた、二対一の場面。

 平面におけるディフェンス能力が高い本田、高さとパワーに優れた光月。仮想陽泉としては十分すぎるほどの相手だっただろう。その二人をかわせるという事がどれだけ大きな可能性を生み出すことか。

 だからこそ、本田も白瀧がシュートを撃った瞬間に希望を感じ取り――ボールがリングに弾かれたのを目にして、絶句した。

 

「え……?」

「なっ!?」

 

 リングをくぐる事無く、コートを転々とするボール。シュートを撃った白瀧も音で行く末を感じ取ったのか、視線を動かす事無く項垂れた。

 

「失敗だ……」

「おいおい。別にそこまで決め付けなくてもいいだろ。形になってないわけでもないんだし」

「次に戦う相手はディフェンス最強の陽泉だぞ。試合となれば成功率はさらに下がる。元々これは切り札に使うつもりだったんだ。だが練習でまともに決まらない、本番で決まる可能性が低いものを切り札と考えることはできない」

 

 

 もはや練習の期間などないというのに。明日にはもう試合だというのに。

 白瀧は結局、最後まで新技を完全にモノにすることができなかった。

 その後も何度か繰り返したものの成功率は安定しない。

 試合前日の最後の足掻き。しかし、白瀧は完成には辿り付けていない。切り札を一つ欠く状況で明日を迎えることとなってしまった。

 

「ッ。くそっ!」

 

 苛立ちを隠そうともせず、地面を蹴る。

 それだけ期待していたのだ。これを切り札としてキセキの世代と渡り合おうと。

 だが現実、それは叶わなかった。成し遂げられない己の無力さと至らない不甲斐なさを嘆くばかりだ。

 

「おい、落ち着きなよ。出来なかったのなら仕方が無いよ。精一杯努力していたんだから」

「……それじゃ駄目なんだ。仕方が無いじゃ駄目なんだよ!」

「え?」

「努力しても、結局出来ないのならば意味がない。この程度のこと、あの男ならば――黄瀬だったならば、一度見ただけで全てものにしているのだから!」

「え?」

「なっ――!」

 

 ギリギリ、と白瀧は歯を食いしばる。怒りと妬みの感情で満ちている声は、彼の心を正しく反映していた。

 彼の説明を受けて、二人はようやく白瀧が懐いている一つの悩みを理解した。

 

(そういう、ことだったのか)

(前に神崎達が言っていた、こいつが抱えているかもしれないっていう不安。それは試合までに残された時間だけじゃなくて、かつて負けた敵への想いがあったってことか)

 

 かつて彼が敗北を喫した、黄瀬への負の感情。彼へ懐いている焦りが白瀧を急かしていた。

 無理も無い話しだ。なぜならば白瀧は、努力した時点で黄瀬に既に大きな遅れを取っている。彼が努力して、ようやく何かを成せるようになった時には、黄瀬も同時にそれを成し遂げているのだから。それも相手以上の完成度で。

 言わばスタート地点が違う。

 圧倒的な才能を誇る天才と呼ばれた者に追いつこう、追い抜こうという想い。二人が考えている以上に白瀧の中では強くなっているのだろう。

 それを知って、しかし光月達は彼に慰めの言葉をかけることはできなかった。

 今ここでありふれた言葉を発したとしても、それが彼の心中を改善できるとは到底思えないからだ。その程度で軽くなるほど彼が背負っているものは柔ではない。

 

「…………すまん。苛立っていた。忘れてくれ」

「構わねえよ。お前も人間だってことだ」

「うん。むしろ下手に隠されるよりは、こうして外にぶつけてくれた方が嬉しいよ」

「そうか」

 

 一通り感情を発散して自分で落ち着いたのだろう。白瀧は小さく頭を下げる。

 彼の謝罪を手短に受け取ると、二人の言葉に少し安堵したのかわずかに笑みが戻った。

 

「さて、そろそろ戻るか。さすがにこれ以上は明日に響きそうだ」

「そうだね。しっかり体を休めて備えておかないと」

「ああ。――ああ、ただその前に」

 

 時間も遅い。もう戻ろうと本田がホテルへと足を向ける。すると白瀧がもう一度、光月を呼び止めた。

 

「明、最後に、少しいいか?」

「え? 僕? 別にいいけど」

「ああ。本田は先に戻っていてくれ。監督達が探しているとまずいしな。疲れているのに悪かった、助かったよ」

「だから構わねえって言ってんだろ。お前が活躍しねえとさすがに次はやばいからな。早めに戻れよ」

 

 本田は一足先にホテルへと戻っていく。

 彼の背中を見送って、そして白瀧は話しはじめた。

 明日の陽泉戦。いざという時の対策を光月に話しておくために。

 

「……え?」

 

 だが、彼の説明を受けた光月は目を丸くして驚愕した。

 

「どういう意味だよ、今の言葉は!?」 

「……疑問に思う気持ちはわかる。確かに紫原の実力を考えれば、一見難しいと感じるだろうが……」

「違う! そっちじゃない!」

 

 『信じられない』『何を言っているんだ』と光月にしては珍しく言葉を荒げて、白瀧に問い詰める。

 

「『もしも俺がいなくなったら』って、どういう意味だって聞いているんだよ!」

 

 まるで白瀧が試合中にいなくなる可能性を、自分で示唆するような話しぶりだからだ。

 大仁多のエースであり、チームの攻守の要となっている。帝光をよく知るという点も欠かせない要因であろう。

 その彼が、何故そのような事を告げるというのか。

 友の当然の反応に白瀧は小さく息を吐いて、説明を続ける。

 

「……俺は帝光中時代、キセキの世代とチームメイトだった。だからこそあいつらと何度か一対一で戦ったこともあるし、全力で力を競い合っていた」

 

 かつてはライバルであった青峰。

 スリーポイントシュートを教わった緑間。

 ポジションを競い合った黄瀬。

 主将であり常に頼りにしていた赤司。

 皆様々な形で幾度も本気でぶつかり合い、その力をよく知っている。

 

「だが紫原と戦ったことは一度もない」

 

 例外が紫原だ。

 彼は練習を嫌い、練習中に本気を出すようなことは殆ど無い。自主練習を嫌う節も相まって、白瀧は彼の力の底を全く知らなかった。

 未知のものに対する恐怖。それが紫原にはある。それが一点。

 そして、もう一つは。

 

「加えておそらく俺にとって紫原は最悪の敵だ。緑間にとって火神がそうであったように。そして紫原はいままで強大すぎる力で多くの選手のへし折ってきた。もし俺が紫原と対峙して、万が一心が折れるようなことになれば、大仁多にはお前しか太刀打ちできるものはいないだろう」

 

 予想される最悪の相性。実力差。力に屈して、もし白瀧まで心が折れるような事があれば。

 決して小林達のことを過小評価しているわけではない。彼らのことは十分すぎるほどに信じている。

 だがキセキの世代は普通ではない。まともに戦って太刀打ちできる選手など、そう簡単に見つけられるものではないのだ。それはこれまでの試合で明らかになっている。全国の猛者でさえ呆気なく敗れているこの現状が示している。

 

「だからこその保険だ。俺達が一番してはならないのは、勝機を完全に失うことだ。もし俺がいなくなったなら、その時は頼む」

 

 おそらくエースが考えるべきことではない。だが考えなければならない問題でもある。

 ゆえに白瀧は恥を承知の上で頭を下げた。もしもの時は、後は頼むと。

 

「なんで、そこまでわかるんだ?」

「わかるよ。あいつらがどう感じているのかはわからないけど、俺達は中一の頃から全国という舞台で共に戦ってきた、大切な仲間なんだから」

 

 三年間、大舞台で共に戦ってきた仲間だ。全てを理解することは出来なくても大体のことは把握している。誰よりも大切に思うからこそ――見栄を張ってはいられない。必要とあればいくらでも縋りつく。

 

「……わかったよ」

「そうか。助かるよ」

「でも、その時は君がもう一回僕に言ってくれ」

 

 重々しく了承する光月。

 それを聞いて白瀧は安堵して、続いた言葉で今度は彼が目を丸くした。

 

「戦う時は一緒だよ。潰れる時も、勝つ時も」

「……潰れないさ。まだこんなところで潰れてなるものか」

 

 本当に頼りがいがある選手に成長したものだ。

 笑みを浮かべる光月につられて白瀧も笑う。

 そうだ。まだ。

 約束を果たすまでは。

 絶対に負けられない。

 こんな所で力に、絶望に屈するわけには。

 潰れるわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

 

 その、はず、なのに。そう、わかって、いる、はず、なのに。

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 それは何度も何度も繰り返された光景だ。

 あらゆる技術を駆使して。あらゆる策を講じて。あらゆる可能性を模索して。

 これ以上ない、最良の手を尽くして挑んでいる。

 

(何故だ。何故、まだ届かない――?)

 

 それでも目指している領域には届かない。

 誰よりも倒したいと勝ちたいと想うその気持ちに偽りは無い。その為の努力をしているという自負もある。

 だが敵わない。

 今日もまた同じだ。白瀧はもはや数える事も億劫になるくらい挑戦して、それと同じ数だけ敗れている。自分は成長の限界さえ考え始めたというのに。相手はどんどん成長していく。見れば見るほど次々と吸収していく。

 何が駄目だというのか。考えても答えはでない。

 だって間違っていないはずなのだから。きっと叶うと、そう信じた夢を叶えようとやってきたのだから。

 

(ならば、何故――!)

 

 遠くなっていく背中へ精一杯手を伸ばす。

 伸ばすけれど、その背中は遠くなる一方で。彼の手はむなしく宙を掴んだ。

 そして、ようやくそれが夢だと気づき目を覚ます。

 

 

――――

 

 

「カッ――ハァッ! ハァッハァッ、ハッ。ハッ!」

 

 一通りのものを吐き出し、口の中を洗って息を整えようと試みる白瀧。

 時間はまだ朝の五時。夢にうなされて起きた彼は、身を襲った不快感に耐え切れず、洗面所で息を荒げていた。

 

「ハァッ。うっ、うぅぅ……くっ、そ」

 

 気分は好転せず、地面に膝を突くように体が沈む。

 もう試合はすぐそこだというのに。仲間の前で表面上取り繕うことは出来ても、内面まで誤魔化す事は出来なかった。

 

「気持ち悪い……」

 

 試合当日の早朝。大敵との決戦を目前にして――白瀧の心が、悲鳴を上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――黒子のバスケ NG集――

 

「確かにお前の事は選手として認めている。素晴らしい、立派な選手だと。だが――俺はただ一点において、お前を男として許せないでいる」

 

 そう言い残して、白瀧は彼の横を通り過ぎて行った。

 

(ただ一点? 男として許せない?)

「ひょっとして、白瀧君が恋い焦がれてやまない桃井さんが僕に好意を寄せているからですか?」

「……今二つに増えたよ」

 

 地雷原を容赦なく踏み抜く黒子。


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