黒子のバスケ 銀色の疾風   作:星月

37 / 119
第三十六話 怒涛の反撃

 聖クスノキのディフェンスは無理なブロックショットやスティールは控え、しっかり相手をマークし、ミスショットを誘うノーギャンブルであった。

 序盤は特にこの策が決まり、ジャンの奮起もあって流れを掴んでいた。ミドル以降を大仁多に圧され始めた後は2-3ゾーンディフェンスによって敵の猛攻を防ごうと必死に逃げ切りを図る聖クスノキの選手達。

 しかしそのゾーンディフェンスも神崎というロングシューターの出現により、大きく歪み始めていた。

 

「ようし! 真田ナイッシュ!」

 

 聖クスノキの攻撃。沖田から真田へとパスが通り、ミドルシュートが炸裂する。

 (大仁多)25対30(聖クスノキ)。点差がゴール二本差へと広がった。

 

「一本! きっちり返して行こう!」

 

 対して大仁多は2-3ゾーンに対応するため小林がボールを運び、外からパスを回していく。

 小林から神崎、そして再び小林へとボールが戻り――一挙に仕掛けた。

 

「まだまだディフェンスが甘いな!」

 

 前列二人の間を小林は瞬く間に突破した。神崎のスリーを警戒し、ミドルが空いていたのも幸いした。

 小林のジャンプシュート。ジャンと楠が詰めブロックに跳ぶ。すると小林はシュートの体勢から一転、右手を入れ替え、横へとパスをさばく。

 

「ナイスパス!」

「イカン! 白瀧がフリーダ!」

「くっ、そおおお!」

 

 白瀧がボールを受け取り、ジャンプシュートを狙う。

 それを見た楠が着地後すぐにもう一度跳躍し、プレッシャーだけでもかけようと腕を伸ばした。

 すると白瀧はシュートを撃たずに外の神崎へとボールを戻す。

 

「また、俺か! ナイスアシスト!」

(フェイクじゃ、ない! 駄目だ間に合わない!)

 

 今度は先ほどと違い、神崎が本当にスリーポイントシュートを撃った。

 前列二人が詰める前に放たれてしまい、聖クスノキは神崎のスリーを許してしまった。

 

「よっしゃあ!!」

 

 鬱憤を振り払うような神崎の叫びが木霊する。

 (大仁多)28対30(聖クスノキ)。その差、わずか二点。

 小林がインサイドに入り、中から外へとパスを出して神崎のアウトサイドシュート。最も撃ちやすく、確立が高くなる。

 大仁多の連携の為に聖クスノキのゾーンは外へと広げざるを得なくなり、形が乱れていた。

 

「どうだ、聖クスノキ! こっからは俺の時代だ!」

「……あまり調子に乗るな神崎」

「イテッ!」

 

 三連続で得点を決め、ついに有頂天に達した神崎は堂々と聖クスノキの選手達を指差し、高らかに告げた。

 見かねた小林が神崎をどつきディフェンスへと連れて行く。

 

(だが本当に助かってるぜ勇。おかげでこちらもそろそろ大丈夫そうだ)

 

 それでも神崎の活躍が大仁多を勢いづけていることは確かである。

 小林に注意されて苦笑している神崎を見て、白瀧はクスリと微笑を浮かべた。

 

(もうあいつは怖くない!)

 

 万全の状態で白瀧はマッチアップしている相手・楠を待ち構える。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「動きが鈍くなってきたんじゃないですか、楠さん?」

「このやろう!」

「勇じゃないですけど、俺だって何も感じてないわけではないんですよ!」

 

 揺さぶりにつられず執拗に密着する相手を楠が睨み付ける。

 白瀧のフェイスガード、厳しいチェックの為に楠は無闇に勝負を仕掛けることができなかった。

 ドライブで切り込もうにもすぐに神崎をはじめとした選手達がヘルプに入る。そうなれば白瀧との挟み撃ちに会い余計に攻撃を組み立てることが困難になるのだ。

 

(だが、それでも……!)

 

 それくらいわかっている。それでも楠は攻めた。

 変速のチェンジオブペースからのクロスオーバーで白瀧の横から突破を図る。

 まだ白瀧は食らいついている。そこで楠はドライブしている左手からボールを後ろへと弾いた。

 

「ナイスパスじゃん!」

「……させっか!」

 

 ボールは間近にいた沖田へ。すかさずミドルシュートを放つ。

 神崎のブロックよりもボールの軌道の方が高い。だがボールはリングに激突する。

 

「こうなれば後はオレの仕事ダ!」

 

 そしてそこからはジャンの仕事であった。

 ジャンはオフェンスリバウンドを制し、黒木の上からシュートを沈める。

 (大仁多)28対32(聖クスノキ)。点差がゴール二本差と広がった。

 バスケにおいてシュートが確実に決まるわけではない。大抵が外れリバウンドの勝敗によって攻撃の成否が決まる。

 大仁多は未だにジャンを完全に攻略できているわけではない。まだローポストはジャンの制圧領域下にあった。

 

「……まったく。どこまでも手こずらせてくれますね」

 

 藤代はため息を一つ零し、相手のセンター・ジャンを見る。

 日本人離れした体格を持つ留学生。やはり彼は脅威の存在であった。

 

「しかしそろそろ彼にもおとなしくしてもらわねば困りますね。――小林さん、松平さん!」

 

 いつまでも嘆いてもいられない。

 藤代はベンチに座ったまま、コートの小林と松平に声をかけた。

 二人が自分へと視線を向けたところで、右手の指だけを動かし、二人に指示を出す。意味を理解し、頷いて試合に戻る彼らを見送って、ようやく藤代に笑みが戻った。

 

「聖クスノキが最も頼りにしているセンター。それを、崩させていただきましょう」

 

 もっとも、藤代の笑みにはどこか黒い一面が見られたが。

 

 大仁多の反撃。小林が高さを活かし、山田の上からパスを通す。

 ボールはローポストの松平へ。真田のチェックをかわしつつターンアラウンドシュートを放つ。

 ……しかしボールがリングに嫌われる。

 

「オオウッ!」

「チッ……!」

 

 リバウンド争いはジャンが制した。大仁多の攻撃が失敗し、再び聖クスノキボールへ。

 

「いいぞ、反撃だ!」

 

 山田・沖田・楠の三人が外からボールを回す。

 すると真田のスクリーンで沖田のマークが一瞬外れた。

 この機を逃さず山田から沖田を経由してジャンへとパスが通った。ジャンは体を回転させてリングと正対する。

 だがそのジャンの身動きを封じるために三人の選手がジャンを囲んだ。

 

「ナッ……ニッ!?」

「悪いな、お前は最優先で潰させてもらう!」

「撃てるものなら撃ってみろ!」

「……させんがな」

 

 小林・松平・黒木。三人の選手によるトリプルチーム。ジャンを封じるために藤代は三人の選手をジャンに当てることを決断した。

 

「グヌヌ。クソッ!」

 

 いくら自分よりも背丈が低い相手とはいえ、三人の同時マークを受けることは並大抵のことではない。しかも相手が王者・大仁多の選手達というのだから尚更だ。

 これ以上ボールを持っていても24秒ルールに引っかかってしまう。ジャンは無理やりシュートへと行った。

 無茶なシュートだったのか、シュートははずれてしまう。

 

「リバン!」

「うおおお!」

 

 その上、黒木にディフェンスリバウンドを取られてしまった。

 

「クッソッ!」

「よっし。ナイス黒木!」

「ヘイ、黒木さん!」

「む……?」

 

 士気がさらに高まる大仁多。

 そこで白瀧が黒木へと叫ぶ。黒木がリバウンドを取るや否や、速攻の為に走り始めていたのだ。

 

「……決めて来い!」

 

 黒木から矢の様な送球が放たれる。白瀧は勢いづいたボールをフロントラインで確保。そのままドリブルで攻めあがる。

 普段の試合ならこのまま白瀧がワンマン速攻を決めていただろう。だが、この試合はそうはいかない。

 

「させるか!」

「……やはり、来たか」

「来い、一対一だ!」

「楠さん!」

 

 聖クスノキのスコアラー、楠が立ちはだかった。

 

(もう遠慮はしない。ここで俺が決めて流れを一気に引き寄せる!)

 

 エース対エースの一騎討ち。攻める側の白瀧からすれば味方の援護を待つという手もあっただろう。

 だが白瀧はその手段を捨てた。

 聖クスノキの主力はジャンと楠の二人。これは覆しようもない事実だろう。だからこそこの二人を倒せるかどうかに試合の行方はかかっている。

 そして楠を倒すのは白瀧の役割。今こそその役割を果たすときだと白瀧は感じていた。そうすることで試合の流れも大仁多へと向くだろうと。

 

「――行くぞ!」

 

 白瀧は闘志をむき出しにして勝負を仕掛けた。

 体をかがめ、スピードを最高速へと乗せる。

 さらに加速を殺す事無く、左から右へのクロスオーバー。

 

(やはり動きのキレは凄まじい! しかし俺とて……)

 

 向きの急変化に戸惑いつつ、楠もサイドステップを踏んでコースを塞ぐ。

 簡単にはやらせない。だが――直線的に動いていた白瀧が、突如小刻みに揺れ始めた。

 

「なっ……そんな!?」

 

 白瀧のラストステップが生んだ急激な方向の連続転換。――ジノビリステップ。

 その動きを止めることは不可能であった。楠のブロックを横目に、白瀧はステップシュートを沈める。

 (大仁多)30対32(聖クスノキ)。スリー一本を決めれば大仁多が逆転する。

 

「俺は負けません。あなたにも、聖クスノキにも」

「……白瀧」

 

 肩で息をする楠に、白瀧はこの試合の必勝を言い残した。そして神崎達と手をかわしてディフェンスに戻る。

 その姿が楠にはどこかうらやましく思えて、

 

「それくらいわかっている。でも俺だって、負けるわけには……いかないんだ」

 

 楠もまた己の強い思いを言葉という形にして吐き出した。

 

 

――――

 

 

 その後、聖クスノキ高校はタイムアウトを使用して流れを絶とうとした。

 だがそのタイムアウトはあまり意味をなさなかった。

 聖クスノキ高校には残されている手札がほとんどないのである。ジャンと楠、切札である両選手を序盤から投入し、逃げ切りを考えていた。

 しかしそれでも大仁多を完全に攻略することはできなかった。むしろ大仁多の多彩な戦術を前に苦戦を強いられた。

 ジャンはトリプルチームの為に得点・リバウンドが一挙に減り、楠も白瀧の徹底したマークを前に得点を重ねることはできなかった。他の選手達もフリーとなればすぐにシュートを撃つが、ヘルプも早くシュート成功率が定まらない。

 ディフェンスは神崎のアウトサイドシュートの為にゾーンが崩れ、小林や白瀧の高速ドライブからのパスワークを前に失点の連続。

 第二Qを五分残したところで、ついに大仁多の逆転を許してしまう。徐々に大仁多が点差を開いていき、聖クスノキは流れを取り戻せないまま第二Qも終わろうとしていた。

 

「楠!」

 

 山田から楠へとパスが通る。この試合何度目かわからない白瀧と楠の対決。

 第二Q残り十秒、聖クスノキの最後の攻撃である。

 

「ディフェンス集中! これを止めて終えるぞ!」

「ハンズアップ! 声出してけ!」

 

 大仁多のベンチから大きな声援が飛び交う。声援は未だに聖クスノキの方が大きいが、しかし士気は明らかに大仁多の方が高い。

 疲労も溜まり集中が欠けてしまいそうな中、楠はしっかりとボールをキープし、白瀧の猛烈なディフェンスに対抗していた。

 

「さあ、序盤の勢いはどうしたんですか!?」

「……ッ!」

 

 挑発、わかっていても言い返せなかった。いや言い返す余裕もなかった。それだけ楠は危機に陥っていた。

 白瀧のスティールを防ぐのだけでも精一杯。そんな中、白瀧の後ろから沖田が走りこむ姿が目に入った。

 

(こっちじゃん、楠!)

「……ふっ。助かります!」

 

 沖田のスクリーン。おかげで楠はクロスオーバーで突破した。

 

「スイッチ!」

 

 すかさず神崎がヘルプに入る。だが彼に掴まっては得点できない。周囲へのパスもリバウンドが難しい今、得点に繋がることは期待できなかった。

 ゆえに楠は己の手で勝負に出ることを選んだ。

 

「俺は、勝たなければならないんだ!」

「げッ!?」

 

 急停止からのジャンプシュート。否、ジャンピングシュート。

 普通のタイミングよりも早く放たれたボールは神崎の指先を越えて――白瀧の腕に叩き落とされた。

 

「なっ、馬鹿な!?」

「よっしゃ! 要、ナイスブロック!」

 

 マークをかわし、さらに通常よりも早い今のシュートは白瀧では止められないはず。

 それなのに止められたという突然の出来事に、楠は呆然とした。

 第二Q終了のブザーが鳴る中、白瀧は神崎とハイタッチをかわし、そして楠と向かい合って言った。

 

「あんな高さじゃ、止めてくれと言っているようなものですよ」

 

 もうお前の攻撃は通用しないのだと。

 準決勝前半戦、第二Q終了。(大仁多)43対36(聖クスノキ)。大仁多七点リード。

 

 

――――

 

 

 前半戦を終えて試合は10分間のインターバルを挟む。

 両校がそれぞれの控え室に戻り、各々の時間を過ごしていた。

 

「前半戦お疲れ様です。皆さんよく戦ってくれました。

 第二Qで逆転できた効果は大きい。この勢いをなくさぬよう、鋭気を養いましょう」

 

 大仁多は控え室に戻り藤代が選手達を褒め称えた。

 折り返しの時点で逆転できたこと、これは後半戦の士気にも繋がる。

 選手達が十分な休養を取れるように笑みを浮かべて選手達をリラックスさせた。

 

「えーっと、今日レモンはちみつ漬けを作ってきたので、よければどうぞ」

「ああ、ありがとうな橙乃。さて……おーい、レギュラー陣。栄養補給の差し入れだ」

『おー!』

 

 それぞれが試合で失われた水分や糖質を補給していると、橙乃が自分の持ち物から取り出したタッパーを手にして小林に呼びかけた。

 小林の招集により山本や黒木といった出場していた他の選手たちも橙乃の元へと集まってくる。

 一人一人が橙乃に感謝の言葉を告げてタッパーのふたを開けると……はちみつの上にごろりと浮かんでいる、タッパー一杯のレモンがそこにはあった。カットしていないそのままの大きさのレモンが。

 

「あれ? 白瀧さん、俺意識だけ中学時代にトリップしているんですかね?

 なぜか昔とまったく同じような光景が目の前に広がっているんですけど」

「安心しろ。俺も同じだ」

「まったく安心できないです、はい」

 

 隙間から様子を窺っていた西村が半信半疑で白瀧へと問いかける。

 かつて帝光時代、マネージャーである桃井が作ってきたレモンはちみつ漬け(?)とほとんど一致する惨状が目に入ったのだから当然だろう。

 何かを諦めたように遠い目をしている白瀧に、西村もため息をこぼすしかなかった。

 

「……橙乃。ひょっとして料理はあまり得意ではないのか?」

「へ? えーっと……」

 

 しかしただ一人、小林だけが立ち直り恐る恐る橙乃へと問いかける。

 答えたくなければ答えなくても良いと補足すると、橙乃からは意外な返事が返ってきた。

 

「お兄ちゃんには『茜の料理はいつも上手いな!』って言われましたけど」

「まったく参考にならないぞー、それ!」

 

 松平の鋭いツッコミが入る。さすがはシスコン。妹は絶対だと考えているようだ。

 

「はあ。おーい、葵! 持ってきてるか?」

「ええ。はい、どうぞ」

「ありがとう。あとついでに今度橙乃に料理を教えてやってくれ」

「了解。時間がある時にね」

 

 小林はため息をつき、もう一人のマネージャーである東雲に呼びかけた。

 彼女はきちんとした料理を持ってきてくれたようで、小林も笑顔でそのタッパーを受け取る。

 さらに東雲に橙乃の料理の指導を頼むと、今度こそ栄養補給をはじめた。

 

「あー、東雲がいてくれて本当によかったー」

 

 山本がうれし涙さえ浮かべながらレモンを口に運ぶ。黒木達も東雲のタッパーへと集まった。

 チームメイトがおいしそうに食べている中、東雲は楽しそうに眺め、橙乃は寂しげな表情で見て……自分のバックの元へと歩いていった。

 

(私のじゃあ、駄目か……)

 

 自分の料理は役に立たないと考え、レモンが入ったままの容器を戻そうとする。

 

(……まったく、見ていられないな)

 

 その橙乃の様子を、レギュラー陣の中で唯一東雲のレモンを食べていなかった白瀧が見て、彼女の元へと歩いていった。

 

「おーい、橙乃」

「え? あ、えっと、どうしたの白瀧君?」

 

 突然の呼びかけに少し困惑する。

 白瀧はその素振りを気にすることなく、橙乃が持っているタッパを指差して言った。

 

「それ、全部くれ」

「それ? って……これ?」

「うん。そのレモンはちみつ漬け」

「……へ?」

 

 橙乃は手にしているタッパーを上に上げ、質問の意図を問うと、白瀧は笑みを浮かべて頷く。

 思いがけない返答に、橙乃は硬直した。

 

「でも、東雲さんの作ってきたくれたものの方が……」

「んー。俺は橙乃の作ったやつの方が良いんだけど、駄目か?」

「いや、白瀧君がそれで良いなら私は別に……」

「それじゃあ、いただきます」

 

 了承をもらった白瀧は橙乃からタッパーを手にし、早速レモンの一つを口に運ぶ。

 さすがに大きすぎるために丸ごとは無理なので少しずつはちみつにつけてから食べていった。

 

「ど、どう……?」

 

 橙乃が不安げに見つめる中、白瀧は表情はまったく変えることなく、

 

(……やっぱり酸っぱいな。全然皮にハチミツの甘味が染みこんでない。それに切ってない分食べにくいという欠点もある)

 

 しかし冷や汗をかきながら咀嚼していた。

 まず一つのレモンを完全に食べてから、白瀧は一度食べることを辞めて橙乃と向かい合う。

 

「うん、全然大丈夫。口に入れば後は変わらないよ」

「……そう?」

「ああ。でもやっぱりレモンを薄く切ってきたほうが食べやすいし皆で摂取するにも丁度いいから、次からは東雲さんのように切って漬けてくれ」

(男前だ、男前がいる……!)

「そっか。うん、わかった」

 

 中学時代、桃井が作ってきた差し入れを全て一人で引き受けていた(しかも喜んで)白瀧にとってはこの程度のことはなんともなかった。

 橙乃とさらに数名のチームメイトが評価を大幅に上げている中、白瀧はさらに二個目を口に運び、噛み締めていく。

 

「お、おい白瀧? 無理しなくても、なんなら手伝うぞ?」

「ああ。俺もちょっと食べたくなってきたんで、少しなら……」

 

 その姿を見ていられなくなったのか、三浦と佐々木が白瀧の肩を叩く。

 頼れる後輩に変な所で無理をしてほしくないと感じたのかもしれない。

 白瀧のことを案じての言葉だったが、白瀧は二人の誘いを断った。

 

「無理ってなんですか? これくらいなら全然負担になりませんよ」

「いや、しかし……」

「それに出ていた分俺の方が消耗していると思うので。補給をきちんとしたいんですよ」

(白瀧――!)

 

 あくまで退く気を見せない白瀧に、二人は心の中で涙した。

 こうして選手達が栄養補給を済ませていると――藤代が突如大きく手を叩き、その音によって皆の注目が藤代へと集まった。

 

「さて、皆さん栄養補給をしながらでも構いません。ですが意識だけはこちらへ向けてください。

 ……そろそろここから先の、後半戦――第三Q以降の話をしていきますよ」

 

 藤代の言葉で表情の緩みが消え去り、顔つきが選手のそれへと変わる。

 意識が切り替わったことを確認して藤代は話を続けた。

 

「第二Qではようやくこちらが流れを掴み始めました。

 しかしまだ気を抜ける展開ではありません。点差は七点、二桁もない今、いつ戦況が変わってもおかしくないと意識してください」

 

 逆転に成功し流れは大仁多だが、完全優位というわけでもない。

 少し油断すればジャンと楠の両者のどちらかが再び暴れることになるだろう。

 

「準決勝で手を拱いているわけにもいかない。後半開始から仕掛けていきます。

 ――白瀧さん、小林さん。少々早いですが、新しい型で行きますよ」

「お!?」

「いよいよか……」

「了解です」

「やるからには、トコトン見せ付けますよ」

 

 藤代の提案に選手達は嬉しそうに頷いた。それだけ期待している面があるということだ。

 

「今回の相手・聖クスノキ高校は新しい型が最も効果的に働く相手だと言えます。

 この試合が新しい型の実践投入の初めてですが……やりましょう。第三Q始まりと同時に、聖クスノキの息の根を止める!」

『おう!』

 

 全力で獲物を倒す。余裕など一切なしで、王者は早々に勝負を仕掛けるための策に出た。

 その後さらに細かい打ち合わせをした後、残り時間はそれぞれの選手達は解散して試合に備える。

 白瀧も例外ではなく、レモンを全て片付けたあとは立ち位置に戻る。その途中、光月を見て彼に話しかけた。

 

「おい、明? 大丈夫か?」

「……え、ああ要か。大丈夫、大丈夫だよ」

「……そうか。まあ、準備はしとけよ」

 

 放心状態のような光月を見て、白瀧は少し声をかわしただけでその場を離れる。

 

(これは、この試合中には無理だな)

 

 光月の復活が厳しいと判断したのである。以前のように切欠があればいけるかもしれない。だが今回は大きな切欠がない。

 ならば今は彼自身の手で復活してもらうことを祈るしかないと考えたのだ。

 白瀧は何も言わずに静かに椅子に腰掛ける。

 

「……楠先輩は、どうなるかな?」

 

 すると神崎が隣の椅子に腰掛け、白瀧に問いかけた。

 前半白瀧を存分に苦しめた楠。徐々に白瀧が優勢となっていたが、果たして後半はどうなることか。

 それを不安に思った神崎だが、白瀧は不安など一切感じさせない冷静な声で返答した。

 

「どうでるかはわからないけど、少なくとも前半のような脅威はない。むしろ俺がそのようなことをさせない」

「本当、頼りになることを言うよな。けど、本当に大丈夫なんだろうな?」

「当たり前だ。前半戦、散々楠に罠を仕掛けていただろう」

「ああ、以前お前が言ってたことね。まさか本当とは思わなかったけど……」

 

 白瀧は自信を持って答える。

 なるほどね、と納得した表情を浮かべつつ、神崎は「こいつが本当に敵にならなくてよかった」と思った。

 

「おそらく間違いない。去年のデータを調べて、そう確信したからな。なあ、橙乃!」

「え?」

 

 呼びかけに驚きつつ、橙乃はなんとなくその場の勢いで首を縦に振った。

 

 

――――

 

 

 そのころ、聖クスノキ高校控え室。

 こちらでは士気高まる大仁多とは一転、不穏な空気が流れていた。

 

「おい、楠!? 大丈夫か、しっかりしろ!」

「ロビン、ロビン!? どうしたの!?」

 

 控え室に到着早々、楠が倒れこんだのである。

 エースである楠の突然のアクシデント。当然のことながら石川やチームメイト達が焦るのも当然のことだ。

 石川はすぐに楠をベンチに寝かせ、症状を窺う。そして彼の体を見て驚愕した。

 

「汗の量が尋常ではない。……まさか、前半戦で消耗しきってしまったのか!?」

「……すみません。どう、やら……大仁多の策に、やられたようです……」

 

 彼の体からあふれ出る汗の量。すぐにタオルをあて、さらに楠に水分を含ませる。

 意識は問題なくあるようだが安心はできない。それほど楠が弱っていた。

 

「やはり、まだフル出場は厳しかったのか……!」

「しっかりするじゃん! この10分、しっかり休め!」

「……すみません」

 

 先輩二人の応援への返答は実に弱弱しい。おそらく声を絞り出すのも精一杯なのだろう。

 

「チッ! 前半あいつが大人しいと思ったラ……こういうことだったのカ。コレガ狙いだったのカ!」

「あいつ? あいつって、誰のことですか?」

「決まっているだろう――白瀧ダ!」

 

 山田の問いかけに、ジャンは苛立ちを募らせて答える。

 何故もっと早く気づけなかったのかと、己を責めながら。

 

「監督! これでは少なくとも第三Qは……」

「……ああ。わかっている」

 

 先の言葉は言わなくてもわかった。石川は西條の言いたいことを察し、表情をゆがめた。

 

「皆。この様子では楠は第三Qは出られない。楠を欠いた状況下で大仁多の猛攻を防がなければならない!」

「……これは」

「ちょっと、やばいじゃん?」

 

 ちょっとで過ぎればよいがな、と石川は沖田の呟きに対して心中で答えた。

 楠の不在。それは今の聖クスノキの大きすぎるハンデとなる。

 しかも逆転され、劣勢であるというのに……あまりにも、痛すぎる現状だった。

 

「……いえ、待ってください監督」

 

 すると楠が監督の声を遮って言った。無理やり体を起こし、監督を見る。

 

「俺なら大丈夫です」

「な……」

「ロビン!? ちょっと、あなたは寝てて!」

「大丈夫だ。……10分、それで体を休めます。だから出させてください。俺が、絶対にこのチームを勝たせますから!」

 

 西條の制止を振り切って楠は嘆願する。

 無理だとわかっていても、楠は退こうとしなかった。

 

「楠……」

 

 その覚悟が痛々しく、石川はすぐに決断できなかった。ただ表情を歪ませるしかできなかった。

 

 

――――

 

 

 一週間前、大仁多高校が聖クスノキ高校と戦うことが決まった日。

 白瀧は橙乃に一つ調べてほしいことがあり、彼女に依頼していた。

 

『一つだけ調べて欲しいことがある。できるだけ早急にだ』

『……調べる? 調べるって、何を?』

『去年の栃木県予選の聖クスノキ戦のデータ。それを調べてほしい』

 

 内容は盟和高校に敗れたという県大会のデータではなく、予選のデータだ。

 白瀧は『何故楠が今年になって出場するのか』という点が気になっていた。他のメンバーは『理事長の孫だから一年目は大切にされていた』と納得していたが、白瀧はそれでは納得できなかったのである。

 

(これが栃木じゃなかったなら、納得もしたんだけどな)

 

 理由は栃木にはすでに大仁多という王者がいるためである。

 本当に打倒王者を謳うならば少しでも早く王者と戦わせその力を実感させるなり、大仁多を倒す機会を増やした方が賢明だと考えた。

 それなのに一年目は県大会には出ず、二年生の今年になってようやく出場させた。この一点を疑問に感じたのである。

 

(そして対常盤高校戦。これも違和感があった。なぜあいつは第四Qまででてこなかったのかという疑問が)

 

 そしてもう一つは三回戦の試合展開である。

 常盤高校ほどの強豪校を相手に、楠を温存していたということ。

 たしかに大仁多と戦うために隠していたとも考えられる。だが白瀧はこれにも他に理由があるのではないかと考えた。

 だからこそ白瀧は橙乃に調査を依頼した。

 

「いくつか予想していたけど、まさか俺と似たような境遇とはね」

 

 苦笑いし、顔を俯かせる。

 橙乃に依頼したデータ。それを見ると楠は去年の県予選大会に出場していたということが明らかになった。

 だがその後は出場記録はない。冬の大会にも参加していなかった。

 実は楠は県予選大会の際に膝を痛めてしまったという。その後は治療期間が続き――その結果体力が低下してしまった。

 一度落ちた能力を戻すことは並大抵のことではない。それは実体験済みの白瀧が誰よりも理解している。

 

「エースの体力不足。そして控え選手層の薄さ。……これにつけこまない手はない。徹底的に叩く」

 

 だからこそ白瀧は前半戦、楠の体力を奪うことに専念した。

 ディフェンスの密着マークは楠のシュートとパスという選択肢をなくし、彼を動かすため。

 オフェンスで囮に勤めたのも全てはこのためだった。白瀧はチームメイトの囮であり、同時にチームメイトは白瀧の囮でもあったのだ。

 ボールがライン外に出ない限り、ゴールが決まらない限り試合は続く。

 もしも白瀧が味方へとパスをさばき、彼らが攻めれば楠の注意はそちらへ向く。突破されればヘルプに出る必要もある。かといって要所要所で白瀧が仕掛けるために白瀧への警戒も緩めることができない。

 体力だけでなく集中力・注意力までも万遍に発揮しなければならない状況であった。それゆえに楠の体力は通常の倍以上消耗していた。

 おそらく楠は後半戦のための余力などないだろう。だが聖クスノキは彼を交代することもできないと、白瀧は考えていた。

 

「もしも楠を変えようものなら、それこそ俺が止めを刺す」

 

 楠は190㎝のスコアラー。彼が抜ければ得点源が減るばかりか、一気に高さまでなくなる。そうなればゾーンディフェンスも効果が半減するだろう。

 聖クスノキは常盤や盟和ほど選手層は厚くない。だからこそ変えるわけにはいかない。変えれば大仁多の猛攻を止められなくなる。

 楠を交代するか、交代しないか。どちらを選べばよいのか。正解などないのかもしれない。おそらく誰にもわからないだろう。ただ、唯一わかることがあるとしたら……

 

「どちらにせよ、絶対にこの試合に勝つ!」

 

 どう転んでも、大仁多が手を抜くようなことはないということだ。

 

 

――――

 

 

「……マジ、かよ」

「おそらくな。白瀧の長所は瞬発力だけではない。それを1試合継続するスタミナにもあるのだよ。

 後半戦で一気に決着をつけるために、白瀧はわざと楠の体力を削り取ったのだろう」

「相手は完全に疲労している。でも自分はまだ動ける。これほど有利な状況はないでしょうね」

「その通りなのだよ」

 

 緑間は大仁多の作戦の意図を理解していた。緑間の説明に火神は驚き、黒子は感心する。

 ここまでの試合、全てが後半戦の為の布石だった。これほど念入りに仕掛けを施すなど普通できないだろう。

 それでも白瀧達は実行した。それもあくまで自分達が優位に進める状態で。

 

(……だが、今までの白瀧ならばこのようなことは考えなかったはずだ。

 たしかに中学時代、体力の低下した相手を圧倒したことはある。だがそれは『結果として』そうなっただけだ。

 今回のようにそれを『目的として』プレイをしたことはない。何か、ヤツに心境の変化があったのか?)

 

 このことは白瀧の変化をも意味している。プレイスタイルの拡大、思考の変化。

 緑間が知るはずもなかった。これは白瀧とて思い至ったのはつい最近のこと。彼が橙乃と話すまで考えたこともなかったことなのだから。

 ――絶対に勝てなくてもそれ以外を活かす。己が駄目でもチームメイトを活かす。そしてチームメイトが駄目でも己を活かす。白瀧は己とチームの相互の利点を計っていた。

 

「っつーか、あいつ爽やかな顔していながら、意外とやることえげつねーな。弱った相手を一方的にって」

「……それは俺達が言うことではないのだよ」

「は? 何言ってるんだよテメー」

「お前が言っていることは、お前がダンクをすること、俺がスリーを撃つこと。それらも総じて卑怯だと言っているようなものなのだよ」

「……どういう意味ですか?」

 

 言っている意味を理解できず首をかしげる黒子を見て、緑間はため息を一つついて言った。

 

「やつにとって優れているのが体力だったから取った戦法が今回の試合なのだよ。

 だが長所は人によって様々だ。今の白瀧を責めるのは、長身であり跳躍力がある火神がダンクをすることを、弾道が高く確実性のある俺がスリーを撃つことを、それらを責めることと同義だということだ」

「……たしかにそう言えますね」

 

 たしかに印象は悪いかもしれない。だが己の長所を信じて戦うことは皆同じだ。

 それは誰かが否定して良いことではない。たとえ理解されずとも、それも一つの戦い方なのだから。

 

「その上で気になるのは、状況が変わった後半戦で両校がどう動くかだが。……どうやら、時間のようだな」

 

 緑間が選手達が入場することに気づき、視線をそちらへと向ける。

 両校とも顔つきはすでに試合のものへと変わっている。しかも聖クスノキ高校の中には、楠の姿も見られた。

 

「出るつもりですかね」

「ああ。どうやら、どちらも退く気はないようだな」

「……へっ。いいじゃねーか。試合も盛り上がる」

 

 後半戦、果たして試合がどう動いていくのか。観客席で三人は静かに試合の行方を見守る。

 

 

――――

 

 

 第三Q、後半戦の開幕である。

 大仁多高校は神崎に代わり、山本が再びコートに入った。聖クスノキの選手交代はない。

 

(……交代はしない、か。それがあなたの選択ならば、俺も本気で行かせてもらう)

 

 白瀧の顔が強張る。容赦はしないと言葉にせずとも表情だけでわかるようだった。

 第三Qは聖クスノキのスローインから再開。

 山田が楠へとボールを渡す。すると楠は開始早々、いきなりシュートモーションに入った。

 

(なっ!? 何をしている!?)

 

 白瀧も慌ててブロックに跳ぶ。だがこのシュートはジャンピングシュートの方だ。

 タイミングが間に合わず、楠の手からボールが打ち出される。

 

(ハーフラインを少し超したところから撃つなんて、緑間じゃないんだぞ!?)

(一体何を考えて……!)

「黒木、松平! 目的はジャンだ、止めろ!」

 

 大仁多の選手達が驚愕している中、小林が楠の行動の意図に気づき、二人に叫ぶ。

 スローインと同時に、ジャンと真田。二人のインサイドプレイヤーがゴール下へと走っていた。

 楠のシュートはやはり入らない。しかしリングに当たり、宙に浮く。

 

「止めろ!」

「ちっ!?」

「くそっ……!」

「……ヌッガアアアア!!」

 

 真田の賢明なスクリーンアウトで二人の反応が一瞬遅れる。

 黒木と松平、二人がリバウンドの確保を狙うも……間に合わず、ジャンが確保。さらに彼のダンクシュートを許してしまう。

 (大仁多)43対38(聖クスノキ)。第三Q、最初に点を取ったのは聖クスノキ高校。

 

「決まった! ジャンのダンクシュート炸裂!」

「いいぞ聖クスノキ! まだ負けてねえ!」

 

 決まったのがジャン、それもダンクシュートというのが余計に観客を沸きあがらせた。

 派手なシュートは決まれば周囲に与える影響も大きい。聖クスノキの応援席は士気を取り戻そうとしていた。

 

「始まりそうそう、派手なことをしてくれるな」

「やっぱり徹底的に潰さないと駄目ですね。……小林さん、やりましょうか」

「ああ、行けるな?」

「はい。一気にケリをつけてしまいましょう」

 

 敵の派手なプレイに苦笑しつつ、小林と白瀧は敵に聞こえないような小さい声で会話をする。

 黒木のスローイン。小林へとボールが渡る。普段はここから小林や山本がボールを運んでいく。

 だが……

 

「なっ!?」

 

 小林は白瀧にボールを預け、先に前線と走り始めた。

 聖クスノキの選手達が驚くのも無理はない。PGである小林が司令塔らしからぬ行動をしているのだから。

 その代わり……白瀧と山本が並走するようにボールを運んでいた。

 

「これはまさか、白瀧がPG!?」

 

 それが意味するのは大仁多のポジションの交代。

 白瀧が小林に変わり、PGのポジションに入ったということである。

 

(何を、何を考えている!?)

 

 聖クスノキの誰もがその意味を理解できない中、

 

「さて、それじゃあそろそろ決着をつけましょうか。行きますよ、小林さん」

 

 白瀧がこの試合の決着を着ける一手を打とうとしていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。