黒子のバスケ 銀色の疾風   作:星月

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第二十八話 エース全開

「誠凛高校、タイムアウトです!」

 

 リコの判断により試合が一時的に止まった。

 誠凛の選手達は重い足取りでベンチへと戻っていく。それだけ先ほどの一撃の衝撃が大きかったようだ。

 ベンチに座り込み、日向が苦々しく言葉を吐き捨てた。

 

「……ったく。レブロン・ジェームズでも相手にしてんのか、俺らは!?」

「オールコートのスリーポイントシュート。……NBAでも試合中だったらありえないぞ。もう緑間(あいつ)は次元を超えている」

 

 レブロン――レブロン・ジェームズ。NBAで活躍するバスケットプレイヤーであり、最強のSFと呼ばれている選手だ。

 緑間のプレイはその選手にさえ匹敵するものだと錯覚してしまう。

 しかしかつて彼が決めた動画を見たことがあるものの、それでもこの状況下で行うことではない。もはや緑間は自分達の理解を超えた領域に立っているのだと、伊月は断言した。

 言葉に出さずとも考えていることは他のメンバーも同じなのか、言葉に詰まる。

 ベンチ全体が暗い雰囲気に包まれようとする中、その状況を打破したのは他でもないリコであった。

 

「皆しっかりして! 今はそんな風に落ち込んでいる時間はないわよ!」

 

 一人一人に渇を入れていく。

 完全に立ちなおさせることはできずとも、これで少なくとも意識を切り替えさせることはできた。

 今はまだそれで良いだろうとリコは話を続ける。

 

「確かに緑間君は脅威だけど、もう彼について議論する場面じゃない。

 大事なのは、とにかく緑間君がそれを決めてきたという現状を、どうにかして打破すること。

 ありえないと考えて何も対策を取らないより、ありえると決めて取り組む。今はそれだけに専念するの!」

 

 もはや緑間の攻略法を考えるしかないのだと。

 現実性の有無について、そのプレイの可否について考えている暇はないのだと。

 

「……ああ。それはわかってる」

 

 言いたいことを理解して日向達も大きく頷く。

 

「でも、どうやってあの緑間を止めんの……?」

「そうね。……彼への対策も一応考えている。けど、それよりもまずは第一Qをこのまま秀徳に取られないために、これだけは言わせて」

 

 だが緑間を止める姿が思い浮かばなかったのか、小金井がふとリコに問いかける。

 リコとて考えがないわけではない。しかしそれよりも第一に言わないことが彼女にはあり――

 

「次の私達の攻撃を……確実に決めていこう!」

 

 ――スターター五人に、次の攻撃の成功を約束させた。

 

 

――――

 

 

 一方、秀徳高校のベンチ。

 こちらは誠凛高校とは対照的に、選手達の間に多少の疲労は見られるもののいくらか精神的に余裕が見られた。

 何よりも均衡していた状況を崩せたことが大きかった。

 中谷監督も選手達をたたえながら、次の戦略について語り始める。

 

「ふむ。まあ反省点など色々言いたいことはあるが。……とりあえず次の誠凛の攻撃、必ず止めようか。それでこの第1Qは秀徳(うち)が取れる」

『はい!』

 

 タイムアウト後、誠凛高校から始まる攻撃を必ず止めるようにと選手たちに命ずる。

 お互い連続で得点を決めていたために戦況が読めない展開が続いていた。それを高尾と緑間の個人プレイで一蹴した。

 誠凛の監督――リコは流れを完全に手放すわけにはいかない、とタイムアウトを取ったものの、だからこそその直後の攻撃を止められれば、誠凛の勢いは沈下する。

 それを理解しているからこそ中谷は選手達の気を引き締めさせる。

 大坪達が大きな声で答えると、中谷も満足そうに頷く。

 

「うん、それでいい。

 ……ここから先、緑間のマークがより厳しくなるだろう。

 まずオフェンスはこのタイムアウト後の相手の出方を窺いながら落ち着いて攻めていく。

 高尾、それと宮地でボールを運んでくれ。誠凛は高さがそれほどではない。大坪と木村、二人を中心に(インサイド)から攻めるとしよう」

 

 余裕を見せつつも、しかし手は抜かない。

 自分たちが優位に立っているところから的確に攻めていく。

 それでこそ王者。彼らはどんな状況下であろうとも全力で敵を打ち倒す。

 

「ディフェンスは引き続きマンツーマンを続行だ。

 誠凛の11番(黒子)は厄介だが、高尾が彼を封じこめている以上、攻撃のパターンは限られてくる。

 そうなると攻撃が恐ろしいのは4番(日向)10番(火神)

 宮地は抜かれることは覚悟の上で、きっちりマークにつくこと。とにかく4番(日向)をフリーにさせるな。

 後はヘルプを素早く。誠凛をインサイドへ易々と入れさせるな。10番(火神)侵入(ぺネトレイト)を抑えられれば、誠凛の攻撃力は半減する」

 

 厄介な黒子を封じた今、得点率の高い日向と火神が狙い目となった。

 これ以上誠凛の好きにはさせないようにと厳しく言い放つ。

 

「誠凛高校は勢いに乗ると強い。彼らを勢いづかせるな、徹底的に叩き潰せ!」

『はい!!』

 

 最後に改めて選手に呼びかける。

 集中力が途切れるようなことはない。先ほどよりも幾分か引き締まった表情で五人は応じた。

 

 

――――

 

 

 そしてタイムアウトが宣告されて一分が経過。――再び試合が再開される。

 

「タイムアウト終了です!」

「……っし、行くぞ!」

 

 十人の選手がコートへ戻っていく。

 送り出すベンチの者達に焦りはなく、また選手達も落ち着いた表情であった。

 伊月がボールをゆっくりと運んでいく。

 秀徳ディフェンス、ならびに味方の立ち位置を確認する。マークはタイムアウト前と変わっていなかった。しかし日向への当たりが厳しく、火神も中々インサイドに侵入できない。

 このタイムアウトで秀徳も意識を切り替えてきたのだろう。先ほどよりも幾分か気を引き締めている素振りを窺えた。

 

(まあ、昨年のリベンジ相手に油断なんて期待してないけどな)

 

 それでも伊月は冷静に、木村のチェックをかわしながら戦況を窺う。

 すると黒子が執拗なカットで高尾のマークを外しフリーになっていることが確認できた。

 

「……ッ!!」

(よしっ、行くぞ!)

 

 黒子が送るアイコンタクトを受け取り、伊月は黒子へとパスをさばく。

 そのボールを見ながら、しかし黒子も冷静にコートを見渡し……火神が宮地に近づいていく姿を視野に入れた。

 火神が壁役となり、行き先を塞ぐことで日向を一時的にフリーにする。しかも中から外へと走り出し、チェックに入る緑間から遠ざかろうとした。

 

(……わかってんだよ、それくらいよ!)

 

 黒子がまさにパスを出そうと腕を振りぬくその瞬間、高尾はパスコースへと駆け出し、腕を伸ばす。

 コート全体を見回す、鷹の眼(ホーク・アイ)を持つ彼には黒子の味方を活かすチームプレイは通用しない。

 

「ええ、そうでしょうね。だからこそ、僕も全力で迎え撃ちます」

 

 それを理解したのか、黒子がそう呟いた。

 黒子は空中でボールを持つとそのまま両手で挟み込み、パスを中断。

 高尾の腕が空を切るところを見た後、彼とは逆方向へ向けて腕を振るった。

 

「なにっ……!?」

 

 パスコースの瞬時の変更。高尾は黒子の動きを見切っていたがために、逆にこれに対応できなかった。

 水戸部が大坪のマークをターンで上手くかわし、パスを受け取るとそのままシュートを決める。

 誠凛高校、タイムアウト後の最初の攻撃をきっちりと決めてきた。

 (誠凛)9対12(秀徳)。

 

「ナイッシュ、水戸部!」

「ナイスパス、黒子!」

 

 途絶えた流れを再び渡すわけにはいかない。誠凛も必死に食らいつく。

 ベンチメンバーも必死に声を出し、五人を後押しした。

 その姿に感心したのか、今のプレイに驚いたのか、高尾は微笑を浮かべて言う。

 

「あーらら。黒子(あの野郎)、やっかいなことしてくれんなー」

「おらっ高尾、ボケッとてんな。行くぞ!」

「はいはい、宮地さん。さくっと取り返していきましょーか」

 

 宮地に声をかけられ、高尾もぼやくのをやめてボールを運ぶ。

 取られたら取り返す。ただそれだけのこと。

 スローインを受け取り、今度はどう組み立てていこうかと考えようとしたところで、彼は緑間のマークにつく二人を目にした。

 

(……今度は火神と黒子のダブルチーム? おいおいおいおい、誠凛期待のルーキー二人とか。随分真ちゃん人気者じゃねーか)

 

 ま、本人は全然嬉しくねーだろうけどな、と呟く。

 どこからでもシュートを撃てる緑間に対し、誠凛は火神と黒子の二人をつけて緑間を封じにきた。

 高さのある火神、そして神出鬼没の黒子。たしかにこれ以上ないほど厄介な組み合わせだ。

 

(でもって残りの三人のゾーンで他を守ると。……まあ練習試合の時に大仁多も使ってきた手だし、別に悪くはねーのかな?)

 

 そして誠凛は伊月をトップとして、伊月・日向・水戸部で三角形のゾーンを作る。

 かつて秀徳と大仁多の練習試合の時にも使われた陣。たしかにこれならある程度の攻撃には対応できるだろう。

 

「でもさ……」

 

 しかし、それでも――

 

「大仁多と誠凛じゃ、選手の差ってもんがあるだろ!」

「ッ! 来るぞ!」

 

 ――秀徳のインサイドを防ぐことができるとは……思えない。

 伊月が叫ぶ。攻撃が来ることを予測して。

 瞬間、高尾はドライブからパスへと切り替えた。伊月を巧みな動きでかわすとローポストの大坪へとパスをさばく。

 

「来た! 三人とも、ここしっかり!」

 

 リコもベンチから激を飛ばした。

 すぐさまマークが厳しくなる。大坪の背後には日向と水戸部の二人。伊月もイーグル・アイで動きを見ている。

 ハンズアップをしっかり行い、好きにはさせまいと隙のないディフェンスを見せる。

 

「悪いが、お前たちでは役者不足だ!」

 

 大坪は振り返りゴールに正対する。

 そして同時に視線のワンフェイク。つられて日向と水戸部の腰が浮かんだ。

 

「ッ! 逆だ、そっちじゃない!」

 

 伊月が必死に呼びかける。

 その瞬間――大坪のダッグイン。二人を真横から突破した。

 

「ッ――!!」

 

 水戸部が体を入れ替えて追う。逆側の日向も回りこむ様に続いた。

 しかし大坪のジャンプシュートを止めるには、至らない。二人のブロックを越えて一本を決めた。

 

「よおし、いいぞ大坪!」

『大坪! 大坪! 大坪! 大坪!』

 

 中谷も声を荒げた。声援もより大きくなる。

 秀徳とて一歩も譲らない。(誠凛)9対14(秀徳)。

 

「……好き勝手やらせてたまるか! 黒子、どんどんボール回せ!」

 

 その光景を見て、また燃える男がいた。

 誠凛のエース・火神である。

 先ほどとは打って変わり、積極的にオフェンスに参加した。

 伊月→日向→黒子→火神と多彩なパスワークを通して火神はボールを手にした。

 

「また来たか。火神……!」

「当たりまえだろうが! あの程度で怯んでいられっか!」

 

 マークにつくのは緑間だが、火神も負けていない。

 果敢に仕掛けていく火神。緑間もこれに反応するが――

 

「俺がお前から決めねえと、意味がねえんだよ!」

 

 急停止からのステップインシュート。

 

「ちいっ!」

 

 緑間がブロックに飛ぶ前にボールを放つ。

 ボールは二度リングにぶつかった後、ネットを揺らした。(誠凛)11対14(秀徳)。

 誠凛も得点を二桁に乗せてきた。

 再び攻守が入れ替わる。すると悪態をつきながら高尾に、緑間が声をかけた。

 

「よこすのだよ、高尾!」

「おう、行って来い!」

 

 火神と黒子、二人を単独でかわしてみせたのだ。

 高尾も言われるがまま緑間へとパスをさばく。

 ボールを取るやいなや、すかさずボールをリリース。

 

「このやろっ!」

「ッ……!」

 

 シュートを撃つ緑間の背後、火神が追いつき跳んだ。瞬間、緑間の体に悪寒が走る。

 火神はブロックショットを狙って右腕を振るった。……しかしブロックは間に合わない。

 ボールは再び高い軌道からリングを突き抜けた。(誠凛)11対17(秀徳)。

 

「くそっ!!」

「……ふん、その程度か。

 俺を舐めてもらっては困る。そう易々と止められると思わないことだな」

 

 その場で立ち尽くす火神を見て、緑間は得意げに言い放った。

 そのまま緑間は二人を置き去りにディフェンスに戻る。

 

「わかっていましたが、やはり厳しいですね」

 

 オフェンスはまだしも、緑間を抑えることは並大抵のことではない。

 このままではまずい、という意味も含めて火神に黒子が語りかけるが……

 

「……厳しいだ? ったく、テメーは何寝ぼけたこと言ってんだ?」

「え?」

「もう少しだ。もう少しでいける。……もう少しなんだ!」

 

 返ってきた言葉は予想とははずれ、希望に満ちたものだった。

 火神はどこか苦しそうに、しかし嬉しそうに言う。希望に満ちた目で。

 

白瀧(あいつ)は前に言ってたな。“キセキの世代”は最強の存在だって。試練を乗り越えてようやく挑める挑戦だって)

 

 脳裏に浮かぶのは銀色の少年との会話。

 火神が“キセキの世代”という高みに挑むための、真の理由に気づけた出来事である。

 

(たしかに強え。なのに、何でだろうな?)

 

 スリーに加え、二人を難なくかわす身のこなし。

 現状はとても良くないはずなのに、決して悪い気分ではなかった。

 

(今まで以上にバスケが楽しく思えてくるのは……!)

 

 ようやく頂を目にして火神は戦慄した。

 相手は圧倒的な存在だが、その相手と本気で戦えることがこれ以上ないほど嬉しかった。

 白瀧に言われて、火神は無自覚に自分を抑制していたのかもしれない。

 『燃えるようなバスケがしたい』。これは火神の長年の思いだった。それを『キセキの世代への挑戦』という形でしばらくの間封じ込め、そして自らを鍛え上げていた。

 そしてその結果、ようやくここまでたどり着き――

 

「俺は諦めねえぞ、緑間! 必ずお前を倒してやる!」

 

 ――緑間の全力を目にしても、一度滾った火神の闘志は消えることなくさらに強まる。

 今まで溜め込んでいた感情を全て爆発させて、火神は吼えた。

 

 

――――

 

 

 誠凛高校対秀徳高校。

 第一Qから激しい試合を繰り広げられ、観客もこれ以上ないほどに沸いていた。

 偵察に来ていた大仁多高校の選手達も試合展開を見て胸の高まりを覚えている。

 

「……やばいな、両校とも。正直どっちが勝つかまったく予想がつかねーや」

 

 神崎が恐る恐る呟いた。

 無名のダークホース(誠凛)インターハイ常連の王者(秀徳)

 押しているのはどちらなのか、それは誰にもわからない。それほどまでに白熱した試合なのだ。

 

「タイムアウト後、てっきり黒子さんはオフェンスには参加しないかと思ったのに、普通に貢献してますからね。そのおかげで相変わらず誠凛は高速のパス回しを展開している」

「でも彼の動きはもう高尾に見抜かれているんじゃなかったのか? それなら何で……?」

 

 黒子の変わらぬ技術に感心する西村。

 タイムアウト後も黒子は攻撃に積極的に参加している。

 そのおかげでパスもスムーズに繋がる。

 しかし黒子のミスディレクションは高尾の鷹の目(ホーク・アイ)で封じられたはず。それなのになぜ通用するのかと光月が疑問を投げかけた。

 

「見抜いているよ。だからこそ、黒子もそれに気づいて、一時的にボールを止める動作を入れたんだ」

 

 その疑問に白瀧が答える。

 

「タイムアウト後の攻撃、誠凛がいきなり黒子を使ってきただろ?」

「うん、センターが決めたやつだね」

「あの時黒子はパスを一時的に中断してコースを変更した。

 黒子はボールに触っている時間が極端に短いから、パスを封じたい高尾は逸早く動いてボールをカットしたい。

 ……だからこそ黒子はその動きを読んでボールを止めた。そしてすかさず他の選手にパス。人間観察に長けたやつだからな、相手の癖を読んだのだろう」

 

 狙われていることを知っているからこそ、その逆をつく。

 高尾の性格とプレイスタイルを読んだ上での奇襲攻撃だったということだ。

 

「パスのフェイントを入れてきたということか。たしかにそれならば、瞬時にパスを出す黒子を止めることは難しい」

「はい。……ですが、理解はできても到底納得はできません」

 

 黒子の考えを理解して小林は頷く。

 しかし黒子の考えに理解を示しながらも、彼の行動に対して批判的に言った。

 「どういう意味だ」という小林の問いに白瀧は淡々と答える。

 

「黒子が普段ボールを持たない理由は、自身の存在感を消すためです。

 しかしボールを持つということはそれだけそのプレイヤーに注目が集まる。

 一時的には良いでしょうが、このままでは黒子の印象が強くなってしまう。それこそ高尾が有利になりますよ」

 

 ――このままではミスディレクションが意味を成さなくなると。

 たしかに黒子は自分から意識を逸らすためにボールを持つ機会が少ない。

 しかし今はどうだろうか? 高尾をかわすためとはいえ、自分に意識を集めるようなプレイをしている。

 その一点があるからこそ、白瀧は黒子の動きには納得できずにいた。

 そう言われると試合内容としては良くない。

 

「なるほどな」

「たしかに、黒子さんは試合を通して出れないから尚更ですよね」

 

 小林に続き、西村も納得して追従した。

 果たしてこれからどうするのだろうか、という期待も込めて。

 

「でも、それを抜きにしても誠凛強いぜ? 開始直後からきっちり決めてきたし」

「うん。しかもあえて得点屋(スコアラー)の二人を囮にして、三人で繋げてたもんね」

 

 話題を変えようと神崎が先のプレイを思い出しながら言う。

 光月もその一連の動きに感心したように呟いた。

 タイムアウト直後の誠凛の攻撃。

 日向や火神と右サイドに展開していたものの、誠凛はあえて黒子を経由し、フィニッシュは水戸部であった。

 チームの得点率が高い二人を使わずに連携で得点した誠凛。その動きは見事であった。

 

「で、その後はそれぞれ個人プレイでしたけどね」

「秀徳は大坪と緑間を、誠凛は火神を使ってきたな」

「お互いがお互いの防御を破った形だが……少し、心配だな」

「心配って、何がですか?」

 

 不安げな表情を浮かべる小林に、西村が問いかける。

 

「……大坪のことだ。ただでさえ接触の激しいゴール下で二試合目。そしてあの誠凛の厳しいチェック。

 秀徳を封じるためだけのゾーンではないな。おそらく、誠凛は大坪の消耗を狙っている」

 

 一見緑間対策のためのゾーンとも思える誠凛のディフェンス。

 しかし小林は観客席から見ているとそれだけとは思えず、好敵手(とも)に厳しい目つきを向けていた。

 

 

――――

 

 

 ……そしてそれぞれの思惑を他所に、時間だけは刻々と過ぎていく。

 第一Qにおける両校の激しい得点の奪い合いは最終的に(誠凛)18対21(秀徳)と、誠凛が一本差にまで追い上げて終了した。

 このまま試合は点の取り合い――ランガン勝負に持ち込まれると予想された。

 しかし……

 

「うーん。あんまり、良くはないかな」

 

 第二Q終了後、控え室に戻った中谷の表情は優れない。

 秀徳の選手達を前にして不満を隠そうとしなかった。

 

「緑間のダブルチーム。10番(火神)と11番《黒子》についてはまあ、大丈夫だろう」

 

 顎を触りながら中谷は言う。

 散々秀徳のエースを苦しめた二人だが、これに対しては特に不安はなかった。

 

「はい。少なくとも11番(黒子)は次の第三Qでは下がるはずです」

「そうだねー。今までの試合でも、中盤で彼はベンチに下がることが多かったからね。

 第二Qも連続で出場した以上、彼はまず間違いなく次の10分間は出ないだろう」

 

 大坪の言うとおり、これまでのデータでは黒子は中盤で下がる展開が多かった。

 終盤の追い上げのために切り札を取っておくことは当然。誠凛とて例外ではない。

 

「ただ……問題はそこじゃない。誠凛の潔いほどのゾーンディフェンスの方だ」

 

 それを耳にして、選手達の表情が曇る。

 各々が現状を理解しているということを表していた。

 

「ミドルは仕方がないとして、中を固めてきた。そのせいで第二Qはロースコアになってしまったからね」

 

 視野の広い伊月が全体をカバーし、日向と水戸部がゴール下を徹底的に固める誠凛。

 高尾や宮地、そして木村はフリーの状況が多かったものの、その代わり大坪のダメージは大きい。

 時には二人の上から決める場合もあったのだが、体力を大きく消耗してしまったのだ。

 緑間もダブルチームを突破することは容易ではなく、また黒子のスティールもあって、シュートを撃つ機会は殆どなかった。外れる可能性があるシュートは撃たないという緑間の性格も悪い方向へと作用してしまった。

 そのせいで前半戦が終わった今、得点は(誠凛)30対34(秀徳)。第一Qの勢いが嘘のように沈黙してしまっている。

 

「後半は緑間を中心に攻める。10番(黒子)がいなければダブルチームもそう機能しないだろう。

 だから緑間、第三Qはもっと積極的に攻めてくれ。遠慮は無用だ」

「……はい。わかりました」

 

 監督の忠告に答える緑間だが、余裕は感じられなかった。

 尊大な態度を取る彼にしては珍しい素振り。そのせいか今まで彼中心のプレイは嫌っていた先輩達は声をかけない。

 逆に緑間の様子が気になった高尾が声をかける。

 

「どうしたよ真ちゃん? ひょっとして全然シュートを撃てなかったから気落ちしてる?」

「黙れ高尾。そんなわけないのだよ。……そんなわけが、ない」

 

 高尾の好意をよそに、緑間はそっぽを向いて高尾を意識から外した。

 

(何だというのだ。……一体何なのだよ、火神(あの男)は!?)

 

 「憎たらしく感じている」という本心を隠すように。苛立ちを抑えながらも緑間は先の試合を思い出す。

 第二Q。緑間はたしかにダブルチームを突破することは少なかった。

 しかし、何度か突破することはあった。黒子のスティールも受けずにボールを手にしたこともあった。

 それでも……それでも彼はスリーを撃つことができなかった。

 

(俺が、あいつに止められると思った? あいつのブロックを恐れたとでも言うのか……!?)

 

 原因は誠凛のエース、火神。

 たしかに実力はほんの少しは認めていた。しかしあくまで自分には及ばない、気に食わない相手だと考えていた。

 それなのに、いざ試合で対面すればどうだ? 第二Qでボールを持っている時。背後から、真横から追いかけてくる火神が視界に入った瞬間、緑間はボールを高尾に戻していた。

 緑間は、火神を脅威と感じ取ったからだ。外れるという可能性が思い浮かんだためだ。

 そのせいで攻撃もリズムに乗ることが出来ず、結果的にロースコアに終わる原因の一因となってしまった。

 

「そのようなことが、あってたまるか……」

 

 これ以上、不甲斐ない姿を見せるわけにはいかない。

 緑間の闘志が再び燃え滾る。そして同時に、ある記憶が蘇ってきた。

 

(俺が決める。俺が一人で決める。そうでなければ、それを証明しなければ……あいつは、何のために犠牲になったというのだ)

 

 彼の脳内に浮かんだのは、一人の男の姿だった。

 緑間と同様に、あるいはそれ以上に人事を尽くした。それでも、それでも天命に選ばれなかった男の姿だった。

 

 

――――

 

 

「皆、よく頑張ってくれたわね! 後半戦に向けて、まずは栄養補給をしっかり! レモンはちみつ漬け持ってきたわよ!!」

 

 一方、誠凛高校控え室では活発な声が響く。

 リコが前半戦の奮戦を讃え、自宅で作ったレモンはちみつ漬けを取り出したのである。

 

「おお! さすが監督!」

「ありがとな。これで後半戦も……」

 

 戦える、と言おうとして日向は言葉を止めた。

 他の選手達の表情も固まる。監督の言うレモンはちみつ漬けを目にしたために。

 

「あの、監督。コレ何?」

 

 小金井が指差す先にあるのは……タッパーに広がるはちみつの上にごろりと浮かんでいる、レモンである。カットしていないそのままの大きさのレモンである。

 

「何って……だからレモンはちみつ漬けでしょ?」

 

 何も間違っていることはないだろうとリコは不思議そうに首をかしげる。

 

「どうしてレモンはそのままなの!?」

「いっつも『切って』って言ってるじゃん!」

「いや、だって、そのままの方が大きいし、きちんと洗ったから大丈夫かと……」

『駄目だよ!!』

 

 だが、部員一同の反論を食らって、リコはあっという間に撃沈した。

 

「水戸部、持ってきてるか?」

「……」

 

 伊月に問われ、水戸部はコクリと頷き、彼が作ったレモンはちみつ漬けを取り出した。

 誠凛高校バスケ内では最も料理が上手い水戸部である。こういった事態にも慣れていた。

 次々と水戸部の下に集まり、栄養補給を行うメンバー。それを見て、リコは悲しげに視線を逸らすしかなかった。

 しばらく補給の時間が続き、全員が落ち着いたところで復活したリコが全員に呼びかける。

 

「それじゃあ、後半戦の話に移るわよ!」

 

 メンバーの表情も真剣なものへと変わる。

 こうした意識の切り替えはしっかりとできていた。

 

「まず一つ。……黒子君は第三Qは下がってもらうわ。最終Qまで体力とミスディレクションの回復に努めて」

「はい」

 

 リコの視線の先は黒子へ。

 本人も力のことを自覚しているのか、表情一つ変えることなく頷く。

 

「秀徳は高さがあるから、黒子君のかわりに土田君を投入。

 そしてゾーンは継続するけど、緑間君のマークには火神君と日向君が入って……」

「カントク! ちょっといいか、ですか?」

「うん? 何、火神君?」

 

 火神は慣れぬ敬語を用いてリコの話を遮る。

 彼がマークしている緑間の話をしていたから、何か気になることでもあったのだろうかと、リコは勘ぐるが……

 

「緑間には、ボックスワンでつかせてくんねーっすか?」

「……え?」

 

 さすがに、この返答は想像していなかった。

 単独で緑間のマークにつくなど、まだ火神には無理だと思っていたから。

 それは当然他のメンバーも同じことで、火神の提案には反論が募る。

 

「まさか火神。お前、一人で緑間を抑える気かよ!?」

「おい、いくらなんでもそれは無茶だ! たしかに前半は緑間のスリーの回数は少なかったけど、それは黒子とのダブルチームだったからこそで……」

 

 しかし、そんな中でも……

 

「今なら大丈夫だと思うんだ、です。今度こそ俺は緑間を止めてやる!」

 

 火神(エース)は自分の力を信じ、意志を貫き通す。

 

 

――――

 

 

「……出てきたか」

 

 10分間のインターバルが終了。

 両校の選手たちがコートへと戻ってくる。

 泣いても笑っても試合はあと20分のみ。選手達の表情からは闘志があふれ出していた。

 

「黒子さんは、ベンチみたいっすね」

「……ああ。第二Qまでずっと休む事無く出場していたからな。無理もない」

 

 秀徳高校はメンバーがそのままだが、誠凛は11番(黒子)が下がり、代わりに二年生の9番(土田)が入った。

 仕方がないこととはいえども、切り札とも言える黒子がいない状況下。果たして第三Qを誠凛が乗り切ることができるのだろうかと不安が募る。

 

「このような状況下でチームを支えられるか。今、お前は真価を問われているぞ。――火神」

 

 白瀧の視線の先にいるのは火神。

 果たしてどちらに勝利の女神は微笑むのか、それは誰にもわからなかった。

 

 

――――

 

 

 選手達を見送る中、小金井が心配そうにリコに問いかける。

 

「……本当に良かったの、カントク?」

 

 「何が」とは言葉にしなくてもわかる。

 果たして本当に火神一人に緑間を任せてよいのかと。

 

『……わかった。緑間君は火神君に任せる』

『カントク!?』

『ただし、こちらの指示には従ってもらうわよ。その時は絶対に個人で動かないで』

『はあ。……カントクがそう言うなら仕方がねえか』

『わかった。それなら俺達も火神の力を信じよう。頼むぞ、火神』

『……はい! 了解っス!』

 

 ――あの時。

 結局リコは火神の提案を受け入れた。日向や伊月を初めとしたレギュラーも、判断に従い、火神を信じた。

 たしかにボックスワンならば秀徳の攻撃を防ぐ確立も増えることだろう。土田が入ることでインサイドの強化にもなっている。

 しかしそれと同時に、肝心の緑間のスリーが増えるようなことになれば……この作戦は逆効果になるのではないかという不安があった。

 

「良いのよ。私達のエースを信じなさい」

 

 それでもリコの目に迷いはなく、火神をまっすぐ見つめている。

 始まる前から緑間と無言の圧力を掛け合っており、集中力の高さを示していた。

 

「僕も、これでよかったと思います」

 

 黒子も賛同の意を示した。

 先ほどは殆ど口出ししなかった黒子であるが、彼にも思うところがあったのかもしれない。

 

「よくはわかりませんが、無謀というわけではないと感じるんです」

 

 それは直感か信頼かはわからない。

 どちらにせよ、今の火神なら託しても大丈夫だとそう感じたのだ。

 

『これより、第三Qをはじめます!』

 

 そして試合の再開を告げられる。

 指示に従い、コート中央に選手が集まった。

 

「……火神」

 

 すれ違う際に緑間が火神に声をかける。

 

「ここから先の後半戦。俺はもう躊躇しないのだよ。俺のスリーを持って、一気に決着をつけてやろう」

 

 威圧感を醸し出して緑間は断言した。

 言葉以上に強みを感じる。伊達に“キセキの世代”という看板を背負ってはいない。

 

「……いいぜ。そう簡単にやれるもんならやってみろ」

「何だと?」

 

 火神もそれを感じ取り、しかしそれに怯むことはなく――

 

「俺はテメーらを倒すためにここまで勝ち上がってきたんだ。先輩達のためにも、絶対に勝ってやる」

 

 あえて振り返ることはせず、言葉だけを残していった。

 先輩達に無理な提案をしてしまったという負い目もある。

 それに対して彼らは無条件で受け入れてくれた。信じてくれたその思いにも火神は答えなければならない。

 火神は自分の役割を果たすべくより一掃気を引き締めた。

 審判よりボールを受け取った木村がスローイン。高尾がボールを手に取る。――第三Qが始まった。


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