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昨年のIHでベスト4入りを果たした栃木の強豪校、大仁多高校。
今年は白瀧、光月の大型ルーキー二人をレギュラーに加えるなど新戦力を伴い、昨年のベスト4という壁を乗り越える事。そして高校バスケ界に旋風を引き起こしたキセキの世代を打倒し、全国制覇を果たす事を目標に、再びIHの舞台へと駒を進めた。
しかし準々決勝でそのキセキの世代の一人、紫原を率いる陽泉高校との接戦の末に敗北。IHは前評判通りキセキの世代を有する高校が上位を占める結果となり。
大仁多高校は全国ベスト8で姿を消す事を余儀なくされたのだった。
IHの激闘から四日が過ぎた。
栃木に戻っていた大仁多の選手達はしばしの休養を経て英気を養うと、この日の午前の藤代監督の呼び出しにより久々に学校の体育館へと向かっていた。
「……なんかまだ実感わかねえよな。このの前まで全国大会で戦っていたってのに」
「そうですよね。ちょっと、信じたくないです」
「なあ。まさか、本当に今日で山本先輩たちが引退しちまうなんて」
通学路を歩いているのは神崎と西村だった。
二人は登校途中に偶然出くわすと、共に今日の要件について語りながら学校を目指す。
今日は特別な日だった。山本達多くの3年生が引退する日である。入部から半年程度とはいえ寝食を共にし、競い合い、教えを受けた先輩たち。そんな人がいなくなってしまうという事実は信じがたいものだった。
「まだまだ一緒にバスケしたかったよ。……そういえば要の怪我について何か話聞いてるか? 試合の後は会ってないから何も知らないんだけど」
「俺も聞いてませんよ。すぐに病院には行ったそうですが、その結果については知りません」
「そっか。あいつも多分しばらく部活に参加できないだろうからな。こりゃ新チームの悩み事が増えそうだ」
「できるだけ軽症であればいいんですが。——ん? あれって」
そして3年生の事だけではない。あの激闘で負傷した白瀧の事も気がかりだった。
試合の途中ですでに怪我を負って、それでもなお試合に出続けて天才に挑み続けた彼だ。酷使した足に蓄積されたダメージは相当なものだろう。
叶うならば、少しでも傷が軽いものであってほしい。
そう西村たちが祈ると、その祈りの先である白瀧の後ろ姿が目に移った。
「……えっ?」
「はっ!?」
一足先に体育館へ向かっているのだろう、彼の後ろ姿。その彼の左脇下にある松葉杖を見て二人の表情が凍った。
「まさか!」
「うそでしょ。白瀧さん!」
「えっ? ああ、西村、勇もか」
驚き、名前を呼びながらすぐに駆け出す二人。すると声が届いた白瀧が彼らの方へと振り返る。
松葉杖の力を借りて体を支えている白瀧に表情の異変は見られない。特に不安を隠すような素振りはなかった。
「どうしたんですかそれ? まさか骨に異常が!?」
「ああ、違う。これは少しでも治すのを早めるためにと負担を減らすためだよ」
「なんだ、よかった。じゃあそんなに大した怪我ではなかったんだな」
焦りを隠せない質問に、白瀧は手を振ってその心配を一蹴する。
大丈夫だと笑う白瀧。そんな受け答えで神崎は安堵の息をこぼした。少なくとも最悪の想像は避けられたようだ。
「いや。ちょっと、大したことはあったかな」
「えっ?」
しかし、続けられた言葉に二人は再び息を飲む。
「……全治一か月だってさ。やっぱり無茶のしすぎはよくないって」
それは無理な躍進の代償だった。
やはり足の怪我の重症化は避けられなかった。一週間はおろか、その倍以上の一か月という治療時間を要することになってしまったのだ。
「い、一か月ですか?」
「マジ?」
「あんまり気にするなよ。それ以上の戦果を求めて戦ったんだ。むしろ短いくらいだ」
呆然とする二人を見て、白瀧は再び柔らかい笑みを浮かべる。
そんな彼の姿が痛々しく思えた。自分たちを気遣っているとすぐにわかる反応だからだ。
「……他の人には話してあるのか?」
「ああ。監督とキャプテン、それに中澤さん。あと世話になった橙乃にも一応話してある。——っと。噂をすれば、だな」
この事はすでに皆にも伝えてあるのか気になり、神崎が問いかけた。
白瀧が口にしたのは大仁多の中でも中心を担う人物たちの名前だ。たしかに彼らならば下手な不安を広げないようにと周囲に情報を漏らさないのも頷ける。
すると、そんな噂をかぎつけたのだろうか。橙乃が校門をくぐる姿を白瀧がとらえた。
「おおい、橙乃!」
「えっ? ——ッ!」
白瀧が名前を呼び、空いている左手を振る。
するとその声に反応した橙乃の視線が彼らへと向き、その存在に気づくと歩くスピードを速めて近づいていく。
「あの時は、悪かったな。橙乃には随分と世話になっぶっ!?」
「えっ」
「えっ」
会話ができる距離まで近づくと、白瀧が謝罪の言葉を並べていく。
多くの人に心配をかけたが、その中でも最も負担をかけたのが彼女だという自覚はあった。
だから本当に申し訳ないと頭を下げた白瀧だが、その謝罪は最後まで続くことはなかった。
突然横から白瀧の左頬を襲った衝撃。橙乃の容赦ないビンタが炸裂し、バランスを失った白瀧はその場に崩れ落ちた。
「……いや、ちょっと待て!」
「橙乃さんその人重症者! けが人です!」
相手の状態など知らないと言わんばかりの攻撃。
一瞬の出来事に呆けてしまった神崎と西村だが、すぐに我に返ると彼女を制止する。
しかしそれでも橙乃は何も反応を示さない。それどころか仰向けに倒れた白瀧の上にまたがると、今度は逆の頬をはたいた。
「えっ、聞こえてない!?」
「お願いですから、一度止まって——」
「やめろ!」
神崎と西村が何とか止めようとすると、白瀧の怒声が響く。
その声は衝撃を与えた橙乃に対してではなく彼女を止めようとした二人に向けられたものだった。
背中側にいる神崎達には見えないが、白瀧には見えていたのだ。
「…………バカ」
橙乃が涙を流し悲しんでいる表情が、しっかりと目に映っていた。
「……ごめん」
すべての原因は自分にある。だから罪に対する罰は甘んじて受けようと考えたのだ。
ゆえに白瀧は下手な言い訳はせず、謝罪するばかりだった。
「許さない」
ただし許しは得られなかった。再びその場に乾いた音が何度も響き続く。橙乃が泣き止むまで、この光景は繰り返され続けた。
————
「えっ。お前が怪我したの顔だったっけ?」
「数分前までは無傷だったぞ」
「夏の途中なのに紅葉が咲き乱れているよ……」
「うん。言わないでもわかってる。だから深くは聞くな」
その後、体育館で合流した合流した本田と光月は、白瀧の変わり果てた顔を見て、呆然とした。
一発や二発受けただけではありえない顔の発赤。実は負傷とは顔の傷だったのではないかと疑うほどだった。
「おい、お前達。面白い話はそこまでにしておけ。——監督が来たぞ」
そんな彼らの姿を見かねた中澤が声をかけた。
たしかに彼の言う通り、藤代が山本達三年生を連れて体育館へと姿を現した。
後ろに続く先輩たちの姿は落ち着きを払っているようで、どこか寂し気にも見える。
やはりこれが別れの時なのだとわかってしまう光景だった。
「集まっていただきありがとうございます。まずは、皆さん大変お疲れさまでした。ベスト8と優勝には届きませんでしたが、大仁多の名に恥じない戦いであったと思います」
藤代は最初に戦いの労を労い、その奮闘を讃えた。
昨年の結果には劣るとはいえキセキの世代と渡り合ったのだ。その言葉に偽りも過剰な評価もない。
「ここからはまた新たな戦いに向けて励んでいただきたい。ですが今日はその前に——皆さんご存知かもしれませんが、先のIHで山本さんたち3年生は最後の戦いとなりました。小林さんはチームに残りますが、WCまで残るのは彼だけです。今日からは1、2年生を主体とした新チームで活動することになります」
そして、この日集まった最大目的である3年生の引退が藤代の口から告げられた。
予想されたいただけに動揺はない。しかし幾分かの悲しさが選手達に広がる。
「代表として、山本さん。皆さんに声をかけてください」
「はい。——まずは皆IHを一緒に戦い抜いてくれてありがとう。頼りない副主将だったかもしれないけど、とても充実した三年間を贈ることが出来た。俺はWCには出れないけれど、WCではみんなが、今度こそ、全国制覇を、成し遂げて、欲しい」
3年生の中でもまとめ役であった山本が藤代に託されて皆の前に出た。
途中言葉に詰まりながらも、最後まで上級生としての顔を保ち続けた。彼のスピーチが終わると拍手が沸き上がる。
「本当に、引退しちゃうんですか? WCまで残っても……」
すると最前列に立ち、そして関係が特に深かった神崎が山本達に続けないのかと質問する。
「学校の方針でな。俺とかに至っては成績も優秀というわけではないし仕方がない」
「それに佐々木達にいたっては、WCの前に入試となるからな」
「えっ!? 嘘。早っ!」
「本当だよ。医学部を受験しようと思っててね、国立の推薦という事もあって時期が早いんだ」
「国立の医学部ですか!」
「すげぇ」
ただその問いに満足した答えは返ってこなかった。
学校の方針だけではない。成績優秀者は受験の時期も早い可能性もあるという事で、なおさら部活を続けられないという。
だからこそ、これが本当に引退の時なのだった。
「皆さん。本当に3年間お疲れさまでした。誰もが後輩の良き手本になったと思います。皆さん、今一度拍手をお願いします」
自分の誇りだと語る藤代は惜しみない言葉を贈り、そして送別の拍手を全員で送った。
最後、3年生は1,2年生に声をかけていき、共に競い合った体育館を去っていく。
「後は頼むぞ。小林を支えてくれ」
「……はいっ!」
山本はすれ違いざまに神崎の肩を叩いた。
「俺達が果たせなかった夢、叶えてほしい」
「もちろんです」
佐々木は少し寂し気に笑ってそういい、白瀧は引き締まった表情で頷いた。
「お前は自分が考えている以上に立派な戦力だ。陽泉戦でそれを示した。頑張れよ」
「はい。ありがとうございました」
「本田。お前もこれから出番が増えるだろう。……光月と一緒に頼むぜ」
「うす。お疲れさまでした」
松平は光月と本田、二人で励めとエールを送った。共にポジションをしのぎ合った先輩に、二人も労いの言葉を贈った。
「ごめんね。あとはお願い。しっかりね」
「……はい。お疲れさまでした。ありがとうございました」
東雲が橙乃の頭を優しくなでた。
「さて、それではこれより新チーム体制について説明を始めます」
そして3年生が姿を消すと、藤代が改めて新チームの説明を始めていく。
「まず第一にですが—―今日をもって主将を交代します。小林さんに変わって中澤さんを主将に任命します」
その第一歩として、最も大きな変化である小林から中澤への変更を皆に告げた。
「へっ?」
「嘘!」
「マジ?」
突然の知らせだった。大きな衝撃が走り、白瀧を除いた一年生全員に動揺が広がる。説明と相談を受けていた二年生はあらかじめ知っていた為に驚きはなく、対照的な反応であった。
「小林さんは残るって聞いてたから、キャプテンは続行だと思ってたよ」
「まあ新チーム移行なら珍しい話ではない」
「……えっ。てか、お前全然驚いてないな」
「俺は別件で中澤さんから話を聞いていたんだ」
部に残る小林が引き続きキャプテンを務めると思っていただけに、この任命はすぐには受け入れられなかった。
ただ一人、新キャプテンから話を聞いていた白瀧だけは別だったが、他の面々はしばらく声がやむことはなかった。
「皆さん驚きの連絡だとは思いますが、これも新チーム結成に必要な事です。小林さんはよくやってくれました。これからは中澤さんがチームを率い、戦ってもらいます」
そんな彼らを鎮めるべく、藤代は今一度彼らに告げた。
これはすでに決定事項。ここから大仁多の主将は中澤なのだと。
「頼むぞ、中澤」
「はい。……よろしいんですね?」
「ああ。俺も去年そうだったし、新チームになれるためにはこれがいい。頼むぞ、キャプテン」
「わかりました。ならば、小林さんには一選手として働いてもらいます」
「おう。俺も肩の荷が下りた」
新旧キャプテン、中澤と小林が軽い口調でそう話す。
去年も冬から小林が新キャプテンとしてチームを率いてWCを戦った。以前から大仁多は新チームに移行する時はそう決めていたのだ。小林が残るとしても変わりはなかった。
これで小林も一選手としてプレイに専念できると気を高める。3年生引退により雰囲気が一変する中、チームとしてだけではなく、選手個人としてもこれがよいという藤代の考えだった。
「それでは連絡事項を続けます。3年生の引退に伴って、一軍と二軍のメンバーの振り分けを今一度行います。これより一軍メンバーを発表します。呼ばれた方は返事をしてください。まずは中澤さん」
「はい!」
そして藤代からの通達は続く。
キャプテン変更に続いて発表されたのは一軍メンバーの再編成だ。
まず名前を呼ばれたのは中澤だ。そこから聞きなれた名前が続き、さらに新たに加わった選手の名前が続いていく。
「——西村さん」
「はい!」
「以上の19人となります」
「えっ? ちょっと、待ってください監督!」
「どうかしましたか?」
「いえ、その。白瀧の名前が呼ばれていない気がするんですけど。その、俺の聞き落としでしょうか?」
最後に西村の名前が呼ばれて発表は締めくくられた。
しかしその内容に納得できなかった本田はすぐに藤代に問いただした。
間違いなく選ばれるはずの白瀧の名前が呼ばれなかったのだ。陽泉戦でもあれだけ活躍したエースが一軍から外れるのはおかしい。他の者たちも同じ考えだった。当然の疑問なのだが、藤代は彼の疑問を否定する。
「いいえ。白瀧さんは今一軍には入れていません。彼には約2週間、病院に通い治療に専念してもらいます」
「えっ?」
「病院に通うって、お前捻挫なんじゃないのか!?」
「その通りだよ。ただ、速く治したくてな。——心配するな。すぐに戻る」
ただしそれは白瀧を戦力に数えていないわけではなかった。
むしろその逆。彼を重要な選手として考えているからこそ藤代は一軍のメンバーから白瀧を一時的に外したのだと語る。
その意志が伝わっているのだろう。当の白瀧も一切迷いを浮かべてはいなかった。
「そしてその代わり、といってはなんですが。白瀧さんに代わって彼を新たに一軍に編入し、さらにもう一人マネージャーの方に加わっていただきます。——入ってください」
そして白瀧と東雲の穴を埋める人材も、藤代は確保に成功していた。
監督の許可を得て、今まで体育館の入り口で控えていた一人の選手が監督の傍へと歩み寄る。
「……あっ!? あの人!」
「ん? 知り合いなの?」
男子生徒の顔に見覚えがあった本田が真っ先に声を荒げる。
「あいつ!」
「バスケは辞めたんじゃなかったのか?」
そして三浦や黒木、二年生達もかつて共に汗を流した男の顔を見て、多種多様の反応を示した。
「紹介しましょう。去年夏のIH本戦が始まるまでバスケ部に所属し、そしてこの度部に戻る事を決断してくれた、二年の加賀さんです。そして彼女は新入部でマネージャーの仕事を引き受けてくれた同じく二年の北条さんです。お二人とも、自己紹介を」
「はい。……えー、監督から紹介を受けた
大仁多高校二年、
昨年、大仁多高校がIH出場の切符を手にした瞬間を共にしながら、本戦に参加することなく部を去っていった男がバスケ部に戻ってきた。
「私は
大仁多高校二年、
アイスグリーンの髪に、髪と同じ色の丸く大きな瞳の特徴の女性。東雲が去り、大きな損失となったマネージャーの枠を埋める存在も同時にバスケ部に加入したのだ。
「一学年上の先輩みたいだけど、何で本田は知ってるの?」
「あー。俺はたまたまあっただけなんだけど……」
「俺と本田がランニングしている最中に鉢合わせたんだよ。その時に少しだけ話をしたんだ」
「そうそう。……あれ。そういえばさっきあの先輩お前に説得されたって言ってなかったか?」
「ああ。まあ、な。色々事情があるんだよ」
光月に当然の質問を投げかけられた本田。答えに思い悩んでいると白瀧が助け舟を出す。
その白瀧は、加賀が語るように彼が部に復活する原因となった一人であった。その時の事を思い返し、白瀧は苦笑を隠せなかった。
————
話は二日前にさかのぼる。
「悪いな、白瀧。怪我の事は聞いていたんだが……」
「いえ、構いませんよ。新キャプテンの依頼となれば断れません」
「いつも通りの呼び方で構わない。それにまだ任命されてないしな」
まだ新体制に移行する前の時、白瀧は中澤に呼び出されて学校を訪れていた。
松葉杖で歩く姿を見て申し訳ないが、これから行うためには白瀧の存在も必要と考えてのことだった。だからこそ素直に応じてくれたことは本当に助かった。
「ですが、どうしたんです? 俺に会ってほしい人がいるとのことでしたが」
「その前にまず聞きたい事がある。お前は、先輩たちが引退するとして、もっともポジションとしてマズイと思うのはどこだと思う?」
廊下を歩きながら二人は今回の目的について話していた。
中澤に問を投げ返されると、白瀧はしばし悩んでその答えを結論付けた。
「やはり、俺のSFと勇のSGですかね」
「俺も同感だ。お前たちの実力を疑うわけではないが、単純に層が薄くなる。二軍から入ってくる選手も一軍と比べると経験は薄い」
二人の結論は同じだった。
3年生が抜けると仮定すると、山本と佐々木が抜けてベンチ登録メンバーの中では一年生一人しか残らないSGとSFのポジションが弱くなると。
ここから先戦い抜くとなればせめてもう一人即戦力が欲しい。そう考えるのは当然の事だった。
「そこでだ、実はそのポジションを埋めるあてがあるんだ」
「そうなんですか!?」
「ああ。あるんだが、ちょっと問題がある」
「問題?」
「実は、そいつは去年バスケ部をやめてるんだよ」
「バスケ部をですか?」
コクリとうなずく中澤。
大仁多バスケ部は強豪だ。その為練習も厳しく、やめる選手も多い。しかし中澤が注目するほどの選手がやめるとは想像が難しい。
(それは、期待して良いのだろうか?)
退部したという話を聞き、白瀧の表情は硬くなる。
強豪校の部をやめるという話は珍しくない。しかし、その部活を辞めた人間が部に戻るという事は非常に珍しい。
かつて緑間は「続ける者は続けるし、戻ってくる者は戻ってくる」と語っていたがその通りだと思った。一度辞めるには相当な覚悟がいるし、戻ってくる時も同様だ。
その選手が一年間戻ってこなかったことを考えるとよほどの理由があったに違いないのだろうが、果たしてその考えをひっくり返せるのか疑問に覚えた。
「何か怪我か病気でしょうか?」
「一切わからない。監督は説明を受けたらしいけど、プライバシーの問題だから話せないの一点張りだった。今まで本人に聞いても答え得られないとしか言わなかった」
「そりゃそうでしょうけど、その言い方だと練習が厳しくてやめたわけではないんですかね?」
「おそらくな。やめた時期を考えても、IH県予選の後と色々おかしい」
「えっ!? IHの直前じゃないですか!」
「その通りだ」
だからおかしいんだよと中澤はそこで言葉を区切る。
納得できないのは中澤も同じだった。実力もあり、IH出場も決めていた。それにも関わらず大会直前にやめるなど考えられない。
ただ、そんなよくわからない人物でも力はあると中澤は考え、今はそれが必要だと信じている。
そして二人は目的の場所にたどり着き、足を止める。二年生の教室だ。藤代から今日はここにいるだろうと情報を受けていたのだ。
「どうやらこの教室にいるらしい。先に言っておくが、別に悪いやつではない。むしろお前と気も合うだろう——」
「失礼しました! ……よし! 終わった!」
例の人物について中澤が説明を続ける中、彼の声を遮るような叫びが響く。
教室の中から出てきた声の主は、短く整えられた黒い髪に、恵まれた長身瘦躯の体つきをしていた。顔も女性受けするであろう端正な顔立ちだ。
「ん? あれ、中澤か。久しぶりだな」
「ああ。久しぶりだな加賀」
「今日は部活ないのか? そういえばそろそろIHじゃなかったっけ」
「それがこの前終わったところだ」
中澤と話を交わす男性。どうやら目的の人物で会っているようだ。
白瀧は中澤に加賀と呼ばれた人物の特徴を目にして、記憶を思い返し、そして該当する情報に思い至った。
「あなたは、あの時の!」
「はっ? 誰だ君。……あっ? ああ、あの時加勢してくれた選手Aか!」
「は?」
(選手A? 俺の事? じゃあ本田が選手Bか?)
加賀一護。彼は今年の県予選の後、白瀧がストリートバスケで少しの間共にプレイした選手だった。
「お前達知り合いか? ならば丁度いい。加賀、お前に話がある。ちょっと時間をくれ」
————
「……というわけだ」
「そうか。そういえば今年はキセキの世代ってやつらが加入してくる年だったか。白瀧、君ほどの実力者なら問題ないと思っていたんだが」
「買いかぶりすぎですよ」
空き教室へと場所を変え、議論を交わす三人。
中澤と白瀧から今年の成績とキセキの世代の話を聞き、加賀の表情は真剣なものとなっていた。
加賀はわずかな時間とはいえ、一緒に戦った白瀧の力を評価していた。間違いなく全国でも屈指の実力者であり、きっとIHでも勝ち上がるだろうと。
そんな彼をもってしても全国では勝ち残る事は難しい。この事実は非常に大きなものだった。
「それで、キャプテンは俺に何を望みだ?」
「……お前の力が必要だ。去年、一軍でIH出場にも貢献したお前の実力が」
「それこそ買いかぶりというやつだ。俺はバスケ部をやめたんだ。もうあの頃の力なんて」
「いいえ。俺があなたが今も衰えていないと知っている。今もバスケをやっているんでしょう?」
「……そうか。見られていたな」
白瀧の鋭い指摘が入り、加賀は気恥ずかし気に頬をかく。
事実、白瀧の目からしても加賀の実力は大したものだった。大仁多の一軍に名を連ねるのもうなずける程。
(白瀧を連れてきて正解だったな)
一連の流れを見て、中澤は自分の判断が正しかったと確信した。
元々はエースであり、そして言葉にも説得力を持つ、カリスマ性のようなものを持つルーキーを連れていくことで自分の説得力を増そうと考えていた。
まさかそれが知り合いであり、加えて今の相手の力を補償までしてくれるとは嬉しい誤算であった。
「……わかった」
しばし無言で熟考すると、加賀は参ったと言うように両手を上げて彼らの提案を受け入れた。
「本当か?」
「俺だって完全に未練がないわけじゃない。それに、小林さんだって残ってるんだろ? 去年はIH本戦で申し訳ないことしたし、少しでも返せるなら返したい。こっちの問題も片付いたしな」
「ならば」
「ああ。よろしく頼むよ」
そう言って加賀が右手を差し出すと、中澤も右手を前に出して握手を交わした。
これで戦力については改善の兆しが見えた。大きな進歩と言える。主将としてまず大きな仕事を果たすことが出来た。
「でも未練があるって事は、嫌になって辞めたわけではないんですよね? どうしてバスケ部をやめたんですか?」
「えっ!?」
「さっき問題が片付いたとか言っていましたが……」
二人が握手を交わす中、白瀧の問いが加賀に突き刺さる。
「いや、その……」
「えっ。何か言えない事情ですか? やはり怪我か病気ですか?」
「そういうわけではない。ただ言えないというか、恥ずかしいというか」
突然口ごもる加賀。口に出すのも恥ずかしい、そんな秘密を抱えているような反応だった。
「……絶対誰にも公言しないと誓えるか?」
「ああ」
「は、はい。それほど大事な事となれば」
「そうか。なら、まあ。うん。お前達だけには打ち明けといた方がいいか。いいのか?」
秘密にすると約束し、加賀は言葉につかえながら、なんとか退部した理由を口にする。
「実は——」
「ああ」
「はい」
今まで他の誰にも言えなかった、バスケ部を辞める原因。それは——。
「赤点取りすぎちゃって補講を避けられなかったんだ……」
斜め下すぎる解答に、中澤も白瀧も開いた口が塞がらなかった。
加賀一護。彼はバスケの実力者であると同時にバカだった。
※大仁多は赤点を取るとIHには出られない。
「このバ加賀! じゃあ何か!? お前は補講でIHに出られないからって、恥ずかしくなってバスケ部やめたって言うのか!?」
「……はい。その通りです」
「ああなるほど納得した。だから今年は藤代監督は追試前に皆を集めて勉強させたんだな。そりゃこんな理由だって言えないわけだ!」
「去年はなかったんですね……」
それじゃあ他の人が知らなくても仕方がないか。白瀧は無理やり納得し、そしてこの事は他言無用にしようと心に誓うのであった。
「ただそうなるとこれから先も問題になるのでは? おそらくWC前にもありますよね?」
「ああそれなら問題ない。今勉強は——」
「あーーーー!」
「え?」
ただ学力が不安ならばこの先も同じ問題に向き合うことになるだろう。当然の悩みを白瀧が問うと、加賀は不要だと返し、その途中で彼の声は女性に叫びに掻き消された。
突然の声に全員が視線をその発生源へと移す。すると入口の教室に透明な青緑色の髪をした女性が立っていた。
「こんなところにいた。イッチー遅い! 終わったら連絡するって言ったから待ってたのに!」
(イッチー!?)
「ごめんごめん。ちょっと話があるって呼ばれちゃって」
その女性に愛称で呼ばれた加賀は、片手で謝罪のポーズを作りつつ、苦笑を浮かべて彼女に近づいていく。とても親し気な様子で二人の仲が非常に良いという事が初見でもわかった。
「ん? この二人はどちら様? 話があるって何か用事?」
「ああ。バスケ部の選手だ。ちょっと昔の事でね」
「加賀先輩。この人は?」
「簡潔に言えば……俺の彼女。勉強も教わってて、おかげで今回の補講も乗り切った」
「北条日奈です!」
「お前、彼女まで作っていたのか。まあそれなら説明しておいた方がよさそうだな」
加賀の説明を受け、北条が明るい声色で二人に名を名乗る。
反応を見ても彼女であることは間違いない。
ならば、彼氏の事情が変わるという事は早めに伝えておくべきだ。中澤は結論づけると、北条にも加賀の入部経緯について説明を始める。
「……なるほど。それで、イッチーはバスケ部に戻るって?」
「ああ。突然相談もなしに悪い。だけど俺は」
「じゃあ私もバスケ部のマネージャーに入る!」
「バスケを今度こそ、って、はい?」
「軽っ!? あの、そんな簡単に決めて大丈夫ですか?」
真剣な表情で、バスケを今度こそ最後まで続けたい。そう語ろうとした加賀の発現の最中、北条の爆弾発言が炸裂した。
「うん。イッチーがそこまで言うなら本気なんだろうし、全国大会とか面白そうだもん」
「……北条先輩は、部活には入ってないんですか?」
「入学してすぐのころいくつか入ったけどね、どれもつまらなくてやめちゃった」
(あ、この人絶対に天才型だ)
面白そう。この一言ですべての悩みを一蹴する北条。
最後まで屈託ない笑顔を浮かべる新マネージャーの姿に、白瀧はただ威圧されるばかりであった。
――黒子のバスケ NG集――
赤点取ったせいでIHに出れないとかもはやNG。
「あれNGじゃなくて事故だろうが!?」