【完結】ブラック・ブレット ━希望の星━   作:針鼠

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生きててよかった

 森は打って変わって静寂に包まれていた。ガストレア2体を殲滅したレン達に恐れを抱いたのか、それともこれもまた事態の終幕を示しているのか。

 どちらにせよ、伊熊 将監という男もまた終わりを迎えようとしていた。

 

 

「将監さん……」

 

 

 夏世の腕の中で将監の体温が刻一刻と下がっていく。破れた肺に血が入ったのか掠れた呼吸を繰り返している。

 元より将監が生き残るのは難しかった。影胤との戦いで負った傷はすでに致命傷だったのだ。そんな体で彼はステージⅢのガストレアと戦い、勝利した。

 

 

「夏世」

 

「はい」

 

 

 虚ろな瞳を動かして間近にいる夏世を見つけた将監は絶え絶えの調子で言う。

 

 

「……お前は、俺の道具だ」だから、そう続けて「俺が死ねば、お前は自由だ」

 

「!」

 

「俺は、俺自身で選んで道具になった。戦場にいることを、望んだんだ」

 

 

 これは将監自身が望んだ結末。日常を捨てて、戦場で生きることを選んだ彼の生き方。しかし、それに夏世を付き合わせる必要は無い。少なくとも、将監はそう思った。

 

 真っ青になった唇を震わせて、将監は静かに瞼を閉じる。

 

 

「……最後まで、他人の話を聞かない……勝手な人ですね」

 

 

 初めて会ったときからそうだった。『テメエは俺の道具だ。それ以上の価値は無い』そう言い放ったのだった。酷い言葉だ。初対面の少女にかける言葉ではない。

 

 けれど、夏世にとって初めてのことだった。今までずっと生まれた意味を見出だせなかった自分に、初めて彼は価値(居場所)を与えてくれた。

 都合の良い道具だったのかもしれない。使い捨ての道具だったのかもしれない。

 

 ――――それでも、

 

 

「私は……」気付けば、夏世の目からとめどない涙が溢れていた「私は貴方の道具で構わなかったのに……!」

 

 

 一番最初に千寿 夏世(わたし)を肯定してくれたのは、伊熊 将監(あなた)だったから。

 

 漆黒の空を、一筋の光が東京エリアに向けて駆ける。それはこの戦いの終結を告げるものであり、或いはこれから起こる戦いを予兆する篝火でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、突如東京エリアに現れたステージⅤ、個体名称《天蠍宮(スコーピオン)》はレールガンモジュール、『天の梯子』によって消滅。東京エリア壊滅を防ぐことに成功した。

 しかし、これによる死者はプロモーター12人。イニシエーター9人。伊熊 将監をはじめとした東京エリアでも名だたる民警が命を落とす結果となった。

 

 生き残った民警にはそれぞれに報酬として序列の格上げと報奨金が支払われた。中でも最も功績をあげた英雄、里見 蓮太郎、並びに藍原 延珠の序列を1000位に認定する。

 

 尚、今回の事件の首謀者、蛭子 影胤の死体は見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京エリア一等地。中でも他の建物と隔絶するように建てられた白亜の宮殿。聖居と呼ばれるその一室に彼女は住んでいる。

 謁見に使う会議室でも公務に使う執務室でも無い。されど、自室といえどそれほど趣味的な物が置かれていないそこは普段でも寝るとき以外使うことはなく、部屋の外に護衛が2人立っているのみである。

 しかし、今だけは部屋にもうひとり存在していた。

 

 部屋の中央にある椅子ではなくベットに腰掛ける聖天子は、窺うように隣を見た。同じようにベットに座ったレンがそこにいて、相変わらず感情の読めない無表情で床の一点を見つめている。

 しかし彼女にはわかる。今の彼は少なからず落ち込んでいるのだと。レンは感情を表に出さないのではない。どう表していいのかわからないだけ。だから、今もただただ押し黙っている。

 

 東京エリアの存亡をかけた先の作戦にレンが参加すると聞いたときの彼女の不安は底知れない。人類の敵、ガストレアが蔓延る未踏破エリアへの進出。さらに相手は元序列三桁の蛭子 影胤。無事に帰ってくる可能性の方が低かっただろう。しかし、一体どうして行かないでくれと言えようか。そもそもこの依頼をしているのは自分を含んだ政府だ。他の民警には危険を承知で依頼しておいて、彼にだけはさせたくないなどとは口が裂けても言えない。言ってはならない。聖天子の名を継ぐ者として、東京エリアの希望たる存在として、平等たる指導者として、ひとりの人物に肩入れすることなど許されない。ましてやそれが私情など以ての外だ。

 

 だから、こうして無事に戻ってきてくれたときは心底安堵した。本当なら泣き崩れたいほどに嬉しい。彼の胸に顔をうずめて、その温もりを感じたいと思った。

 そうしないのは理性からなる自制心から。もうひとつは、彼の悲しそうな顔だ。何があったかは聞いていない。それでも聖天子には、自分だけが寂しかったからと身を委ねることが出来なかった。

 

 その代わりなのか、彼女は無意識にクッションを抱きしめるのだった。そんな今の彼女には、人間離れした神々しい美貌の中に少し歳相応の少女らしい幼さが見えた。

 

 

「助けられなかった」

 

「血を止められなかった。間に合わなかった。助けて、やりたかった」

 

「レン……」

 

 

 レンが言っているのは将監のこと――――だけではない。将監と夏世に追い詰められて喰われたペア、影胤と小比奈に殺された者達、他にもレンのいない場所で失われた命。あのときあの場所で失われた全ての命を、彼は救いたかった。

 子供の戯言だと誰しもが笑うだろう。その通りだ。全ての命を救うなんて無理に決まっている。

 

 けれど、全ての人を救いたいという願いを間違っているなどと、一体誰が言えるだろうか。

 

 戦争を無くすにはどうしたらいいか。子供にそんな質問をすればきっと彼等はそう悩むことはない。仲良しになればいい。友達になればいい。ありがとうと、言い合える存在になればいい。

 当たり前で、単純だ。そしてその単純のなんと難しいことか。

 

 レンは、子供のように純粋過ぎる。

 

 やはり、彼を行かせるべきではなかった。

 

 幼い悩みに暮れる行き場のない手を握りたいと聖天子の手が伸びるが、それが届く前にレンはベットから立ち上がる。視線を彼方へ向けて。

 

 

「誰だ」

 

「やれやれ、お邪魔だったかな?」

 

「え?」

 

 

 返ってきた声に驚き、慌てて聖天子もその場で立ち上がる。レンの視線の先を追って、再び驚き目を開いた。

 窓際の壁に背を預けているのは仮面をかぶった紳士服の男。そして傍らに立つ赤い目の少女。

 

 

「……蛭子 影胤」

 

 

 蓮太郎によって撃退、死亡を伝えられていた人物。今回の事件の首謀者たる男が生きてそこにいた。

 

 

「?」

 

 

 影胤がこちらを、正確には隣りのレンを見ると訝しそうに首を傾げている。

 その間に聖天子が部屋の扉までの距離を考えていたとき、扉は外から開け放たれた。

 

 

「レン君! さっき外であの仮面野郎が……って、もういるじゃねえですか」

 

 

 部屋に飛び込んできたウルは、中の状況を見るなり億劫そうに眉根を寄せた。しかし、これは好機だ。

 

 

「今すぐ助けを!」

 

「無駄じゃねえですかね?」

 

 

 そう答えた彼女の足元にジワリと血が広がっている。外の見張りが殺されている。彼女が、ではないだろうからすでに――――。

 

 

「ヒヒ、こちらの事が済むまでの間黙っていて欲しくてね。まあ少しではなく永遠に喋れないだろうが」

 

 

 キッと聖天子が睨みつけるも何処吹く風といった調子だ。

 

 ひとつ呼吸を挟む。それでスイッチを切り替える。この場で怒りは思考の妨げだ。

 一瞬で彼女は一国の指導者である存在に切り替わった。

 

 

「何の用ですか」

 

「大した用ではないよ」肩を揺らし、恭しく腰を折る「貴方の命、ここで摘んでおこうと思ってね」

 

 

 隠す気のない殺気が部屋を包みこむ。

 

 

「今回はこちらの完敗だ。里見君とはいずれ再会の場を設けるとして、貴方だけは今消しておいたほうがいいと思ってね。参上した具合だ」

 

「何故です?」

 

「貴方の思想は私とは掛け離れ過ぎている。邪魔になることこそあれ、生かしておく価値は見出だせなかった」幸い、と彼は続け「最も厄介な御仁は不在だ。早々に済ませたい。――――だから、そこを退いてくれるかな? 明星君」

 

 

 レンが一歩前に出る。聖天子を背に庇うようにして。

 

 

「断る」

 

 

 影胤は喉奥で嗤う。

 

 

「先日は君と戦えず残念だったよ。まあ、私はそれなりに満足出来たが。……君との語らいは楽しいが、今はその時間が無い。もう一度訊こう、退いてくれないか?」

 

「断る」

 

「そうか。――――小比奈、殺せ」

 

「はい、パパ」

 

 

 一瞬。赤熱した瞳の少女の姿が聖天子の視界から掻き消える。その認識に遅れて、レンの足元からすくい上げるように振られる刃があった。

 

 しかしそれを横から飛び込んできたウルが拳で弾く。小比奈は一回、二回と後ろに跳ねて影胤のもとまで退いた。

 

 

「やらせるわきゃないでしょうが」

 

 

 素手で刀を防いだ。そのことに驚くべきなのに、それを上回る寒気が聖天子の心胆を冷やした。ウルの声に込められた怒気。それは影胤の殺気すら呑み込んでいた。

 

 

「なるほど。それが君のイニシエーターか」

 

「……名前」小比奈は真っ直ぐウルを見て「名前、教えて」

 

 

 己の一撃を防いだ。斬れなかった少女のことを知りたかった。

 

 しかしそれをウルは鼻息ひとつ笑って捨てた。

 

 

「今から殺す相手に名乗る名なんて無い。お前はレン君の敵だ。レン君の敵はわたしが全部叩き潰す」

 

「私に接近戦で勝てると思ってるの?」

 

 

 コテン、と不思議そうに首を傾ぐ小比奈。少女は己の父に懇願の視線を送った。

 

 

「ふむ、こういうのはどうだろうか。君と私のイニシエーターで戦わないかい? 実を言えばまだ私の体はボロボロでね。里見君にやられた傷はまだ治っていない。それに、前にも言ったが私は君も気に入っている。出来ればこの手にかけたくないんだ」

 

「ごちゃごちゃとうっさい」待ちきれないとばかりに踏み出したウル「どうせなら二人がかりで構わないですから」

 

「ヒヒ、元気な子だ。小比奈――――」掲げた指を高らかに鳴らす「殺せ」

 

 

 半月に口を引き裂いた少女は鎖を解き放たれた獣のように跳びかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿な」

 

 

 影胤は、目の前で起こっていることが信じられずにいた。そしてそれは小比奈も同様。――――地面に這いつくばった己の姿を信じられないという顔をしていた。

 

 

「か、はっ!」

 

「口ほどにもない」

 

「くっ!」

 

 

 ウルの発言に触発されて、立ち上がると同時に左の刀を切り上げる。首を傾げて紙一重で躱したウルの首もとへ右による神速の二撃目。

 

 

()った!)

 

 

 打ち合わされる剣撃音。小比奈の刀はウルの細首には届かない。その前に挟み込まれたウルの左手が刀を迎え掴んで止めた。

 小比奈の高速の斬撃を見切られたことも信じられないが、何より、

 

 

「なんで斬れないの!?」

 

 

 ウルは素手だ。腕に手甲を仕込んでいた、特殊なブーツを履いていた、それなら納得も出来ようが彼女は先程から生身の手で小比奈の刀を受けている。それなのに斬れない。

 

 

「接近戦に自信があったんでしょうけど、期待外れもいいところです」

 

 

 亀裂音から間もなく、刀は握り潰された(・・・・・・)

 

 ただただ呆然とその光景を見つめる小比奈。

 

 

「何度やっても無駄ですよ。武器に頼るそんな戦い方してるようじゃあ一生かかってもわたしは倒せない」

 

 

 赤熱した瞳で小比奈を見下ろすウルの右手に変化があった。鋭く伸びた爪。それに手首より先の筋肉が以上に発達しているように見える。

 

 

「『呪われた子供(わたしたち)』にとって武器はこの体です。強靭な肉体。再生力。ただ刀を使う達人ならわたしたちでなくたって出来る。なら、より化け物に近い方が強いに決まってます」

 

「……君の侵食率はまさか」

 

 

 影胤の疑問にクスリと笑んだウルは茶化すように答えた。

 

 

「――――49,7パーセント。わたしはおそらく、現在最もガストレア(あの化け物)に近しい生き物です」

 

 

 驚愕を露わにした影胤と小比奈。それもそのはず。一般的にガストレアウイルスによって形象崩壊を起こすのは50パーセントを越えてからだといわれている。それは抑制因子を持つ『呪われた子供たち』も然り。彼女が今告げた数字が確かなら、その一歩手前、いつガストレア化してもおかしくはないということだ。

 そうすると疑問がもうひとつ出てくる。そんな危険極まりないものを野放しにしていいはずがない。

 

 

「君は」無意識に声が震えた「自身の侵食率をコントロールしているのかね?」

 

 

 返答はなかった。しかし否定もなかった。

 

 

「――――小比奈、退くぞ」

 

「でもパパ!」

 

 

 ややあって、撤退を告げる影胤に悲痛混じりの悲鳴をあげる小比奈。彼女としては蓮太郎、延珠に続いての敗北。しかも今回は一対一での完全敗北だ。負けたくないという思いがある。

 

 

「今のお前では彼女には勝てないよ」

 

「……っっ」

 

 

 死を突きつけられるより辛い父からの宣告。泣きそうな顔を俯いて隠した。

 

 

「それに時間もかけ過ぎた。これ以上はリスクが高い」

 

「黙って見逃すと思いますか?」

 

 

 警告を発する聖天子に、影胤は肩を竦める。

 

 

「させてもらえないようならこの宮殿ごと巻き添えで自爆だ。こんな小物一匹と釣り合うのかな?」

 

「………………」

 

 

 悔しそうに唇を噛む聖天子。そも、この部屋に侵入を許してしまった時点で勝つことは難しかった。

 

 承知した上で堂々と立ち去ろうとする影胤は、ふと足を止めた。

 

 

「ああ、明星君。ひとつわからないことがあるんだ」

 

「なんだ?」

 

「君、何故最初に私を見たときにほっとしたような顔をしたんだい?」

 

 

 ぽりぽりと、頬を掻くレンは少しだけ恥ずかしそうに。

 

 

「いや、生きててよかったなって」

 

 

 仮面の下で影胤がどんな顔をしていたから、この時ばかりは皆見えるようだった。

 

 

「――――君はやはり面白いね」

 

 

 そう言い残して影胤は消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 影胤が去った部屋にはレンとウル、そして聖天子が残された。

 

 無言で影胤が去った窓を見つめるレンの横顔を、聖天子は複雑な表情で見つめる。思い出すのは最後の言葉。

 

 ――――生きててよかった。

 

 影胤は正真正銘の犯罪者だ。殺人を犯し、この東京を滅亡させようとした大犯罪者。その相手に、生きていてよかったなどと、発言そのものは褒められるものではない。けれど、それがレンという少年なのだ。

 

 

「頼みがある」

 

 

 レンの瞳は、やはりどこまでも真っ直ぐで、眩しかった。




閲覧、感想ありがとうございまっす!

>どうにかこうにか次で1巻ラストとなります!今回すっ飛ばし気味だったウルちゃんの詳細とかは次話後、あとがきに書こうかと思います。ちなみに、少しだけ先走りで書くと、これが私なりに考えた『ゾーン』です。

>今回の捏造!
夏世ちゃんの肯定したのは蓮太郎くんが最初というのが原作ですが、こちらでは将監さんマジシブメンにしたかったのでこうなります。とはいっても、ツンデレな彼は決して自分から言いませんが。

>ではではー、おそらくは今週或いは来週には次いけるかと思いますので

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