「此処は一体……?」
イオナとヒュウガが京香と別れた頃の事。打ち寄せる波の音を聞きながら、彼は埠頭で立ち尽くしていた。
【Depth.002】
「何処かの埠頭みたいだが、防衛設備や防壁の類も頑強とは言い難いな」
そう独りごちて辺りを見回す。灯台の影が遠くに見えたが、どうやら機能を失っているということもなく、平然と光を放っているのが分かる。霧の潜水艦『イ401』の艦長であり、イオナのパートナーでもある少年、千早群像はそれを見て大きく首を傾げた。
「灯台が生きてる……防備が手薄なのに霧から攻撃を受けた様子も無い、奴等の手の届かない海岸があったという事か……?」
うーん、と少年は唸り声を上げる。ポケットなどを漁ってみても、普段持ち歩いていた携帯端末と財布が見つかった程度。そして、肝心の携帯端末に関しては位置情報を取得することが出来ず、色々と考えこんでみたものの、自身の正確な位置は把握できなかった。画面を改めて確認して電波が立っている事に気付き、他の401クルーに対して連絡を取ろうとしてみる。
しかし、そちらも不発。メールを送信するまでは出来たものの、返ってくるのは受取人不在を示す機械的な文章のみ。夜半を迂闊に歩きまわるわけにもいかず、彼は頭を抱える事になってしまう。
「……参ったな。杏平に僧、いおりに静もダメ、か。一通り見る限り、日本なのは間違いなさそうなんだが」
そう呟いて、何度目かの溜息。動くにも動けず、かと言って人気のない場所で留まっている訳にも行かず、大きく首を振って少年は遠くに見えた建物へ向かって歩き始めるのだった。
外灯の光を受けて暫く歩いていると、正面に見える壁が煉瓦造りだと判別できる程度に距離が近付く。敷地を囲う塀に沿って進み、正門があると思しき柱が目に止まった辺りで、背後から声が掛かる。
「そこの少年、こんな時間に此処で何をしている」
「……散歩のようなものですかね。オレが言うのもなんですが、女性が一人歩くような時間でもないと思いますよ」
表情を崩すこと無く、群像は声の主の方へ向けて振り返り、直後に自身の目を疑う。そこに居たのは、艦娘『日向』。和装に近い衣服と腰に提げた刀、そして、何よりその背中に負われた大きな艤装、その主砲が此方に向けられている事に、少年は何より驚愕することとなった。
「まあ、そうだな。とはいえ、此方としては身分の知れない、謂わば不審者をみすみす鎮守府に近づける訳にもいかなくてな」
「……それはどうも。とは言え、オレからすれば貴方の方が不審者ですよ。いつの間にそんなパワードスーツなんて」
「パワードスーツ?……まさか艦娘を知らないのか?」
聞き覚えの一切ない単語に、思わず間の抜けた声で返答をしてしまう。その姿を見て、日向は訝しむような視線を少年に向けた。
「……いや、ちょっと待ってくれませんか。此処は日本ですよね?」
「何を当たり前のことを聞くんだ? 正確に言うと此処は伊豆半島、下田の辺りだよ」
「だったらだ。どうしてこんな防備で埠頭や海岸線が維持できている? ここは霧の艦隊の手が届かない場所だとでもいうのか?」
今度は日向が間抜けな声を上げることになった。二人は間違いなくこの場所を『日本』だと認識しているし、使う言葉も同じ、そして会話が概ね成り立つ程度に、知識も共通しているはずなのだ。なのに、こと海戦に絡む単語だけが噛み合わない。日向からすれば、海岸線に大仰な防備を敷かなければならない程にデタラメな脅威など聞いたことがないし、逆に群像からすれば、霧の艦隊相手に防壁も何も無い埠頭が残存していること自体が信じられないのだ。
その辺りを考えれば、二人の会話が噛み合わないのも不思議ではなかった。
「……霧の艦隊という名前は初めて聞いたな」
「……オレも、艦娘という名称は初耳だ」
「やれやれ、何処の日本の話をしているんだ」
「それはこっちのセリフだよ」
「……まあいい、君には少し話を聞きたくなった。名前は?」
「千早群像。好きに呼んでくれ」
そうか、と一息つき、日向は礼とともに自身の名前を名乗る。その名を聞いた直後、群像の瞳がこれまでで一番大きな驚きに見開かれるのだった。
「……ヒュウガ!? お前がか!?」
「初対面の割に随分と失礼だな、君は」
「とまあ、こんな事があってな。何故イオナと別行動になったのかはオレにも分からないんだ」
そして時は現在に戻り、駐屯地本館内、応接室。テーブルを囲むのは此処の指揮官である華見京香と、隣に座る明石。向かい合う形で客人である千早群像、イオナ、ヒュウガの三人が横並びにソファに腰掛ける。それぞれに用意されたマグカップを手に、群像がこの場所に到達した経緯を改めて確認していた。
「それで、他のクルーとの連絡は?」
「今の所鳴かず飛ばず、だな。一応改めてメールを送ってみようとは思っているんだが」
「……そのクルーの特徴も一応聞いておきたいんだけど。敵対するつもりはない、と言っても身元を証明できないと色々厄介でしょ?」
「確かにその通りね。……構わないかしら?」
「ああ、オレも異論はない」
艦長である群像の同意を得、イオナが指で机を数度叩く。遅れて銀色に煌めく砂が四つの人形をとった。其処にあったのは、金髪ツインテールの少女、ドレッドヘアーの日に焼けた少年、黒髪長髪、眼鏡の少女、そして、赤と白のツートーンカラーのヘルメットに頭部を包んだ少年と思われる男性の姿。京香の視線は、その内の一つに釘付けになっていた。
「ホントにこの格好してるの?」
「……僧のことなら間違いないが」
「何か特殊な装備なのでしょうか……」
「まあ、初見じゃ驚くわよねえ」
「気にしないでやってくれ、単なるマスクだ」
マスク、マスクか……と反芻する京香とは別に、明石が四人分並んだ人型に指を触れる。触れてみるとわずかに抵抗があるが、先程形を取った時のような流動性は無く、寧ろプラスチック等の樹脂に触れた時の感触に近い。首を捻り、彼女は正面に居る二人の少女に問いかけた。
「あの、これただの銀砂じゃありませんよね? 流動性を持ってる上色や形状まで変化できるなんて……」
「ナノマテリアルのこと?」
「ナノマテリアル? フラーレンとかカーボンの事ですかね、それにしてはそのどれとも異なる性質を持っているように見えますが……」
イオナの言葉に疑問符を浮かべる二人を訝しむ群像とヒュウガ。やはり、今話している相手と自分達との間にはなにか決定的な齟齬が存在する、と双方が明確な意識を持ち始めていた。
「ナノマテリアルを知らないのか?」
「……まるでそっちだと当たり前にあるみたいな言い方ね」
「……その通りだが、本当に此処は日本なのか疑いたくなるな」
「とは言え、思い通りに制御できるのは私達霧の艦隊くらいのものだけれど」
ヒュウガの説明によると、霧の艦隊と呼ばれる者達の船体や武装、メンタルモデルを構成する物質をナノマテリアルと呼んでおり、それらは任意で構造を組み替えることによりあらゆる物体などを再現することが出来るらしい。だが、その生成にも限度があるため、群像等の乗る401は装甲や電算機器などの内、人類製の物に置き換えられるものはある程度そちらで代用しているのだそうだ。
「まあそんなわけで、私達メンタルモデルもホントの身体、って訳じゃないのよ」
「へえ……とてもそうは見えないですね。万能素材なんて羨ましいです」
「無尽蔵に生産できれば言うこと無いんだけどねえ。更に言えば私達は艦体やメンタルモデル、武器に至るまでほぼ全てでナノマテリアルを消費するのよ。代用が効かない万能素材、っていうのもちょっと考えものね」
「……じゃあ他の、というか貴方達が敵対してる霧はどうなの?」
「向こうはそれはもう潤沢に使ってくれているよ。オレたちがナノマテリアルをあまり使えない、というのは単純に生産力の差でしか無いからな」
断片的な情報とはいえ、朧げながらも群像等の言う『日本』の状態が見えはじめる。
イオナやヒュウガを除く『霧の艦隊』の殆どは人類の敵として海洋を制圧しており、更に深海棲艦以上の制圧力、戦闘能力を持っているらしい。故に島国である日本を始めとした各国は既に海洋の大半を失い、今や細々とした反抗を行うのみで精一杯なのだという。だからこそ群像は埠頭の防備や戦闘の痕跡の小さな海岸線に疑問を抱いた。
「……地獄絵図ね」
「イオナ達のお陰で幾らかマシになりつつはあるけど、概ね同感だ。それに比べて此方は平和なんだな」
「霧ほど出鱈目な敵じゃないだけ助かっている形ですね。小さくて当たらないだけで、人類の武器が全く通用しない、というわけでは有りませんので」
「その深海棲艦とやらとの戦闘はいつから?」
群像の問い掛けに、明石と京香は顔を見合わせ、小さく考え込む素振りを見せる。質問した群像らが首を捻るのを見てか、早々に思考を中断して菫に近い黒髪の彼女は答えた。
「えーと、記録としての初出は1950年代頃だったかしら、一人目の艦娘三笠と接触できたのが2000年に入ってからで、その辺りから両方共加速度的に数が増えてる」
「という事はもう100年以上続いているのか……こっちはこっちで大変そうだな」
「……えっ?」
群像が思わず口にした言葉に対しての艦娘側二人の反応が余りに想定外で、少年は面食らう。ヒュウガやイオナも同様の事を考えていたらしく、リアクションはどちらも彼と似たようなものであった。流石に違和感を覚えたか、少年は改めて二人に問う。夢でありたい、と考えた疑問の答えを彼女等に求めるように。
「……つかぬ事を聞きたいんだが、今は西暦何年なんだ?」
「え、2014年だけど、それが?」
「という事はタイムスリップしてるかもと。でも14年ってことは私達は表立っては動いてなかった時期だし深海棲艦とかいうユニット群なんて聞いたこと無いわよ?」
「もう一つ、幽霊船の噂は?」
続けた問いにも彼女らは明瞭な返答を返さない。情報が足りなかったか、と幾つかの補足を加えた辺りで、京香の眉がぴくり、と動く。第二次大戦、という単語に反応した理由を彼は嫌な記録ではあるから、と訂正しようとしたところで、彼女の口から聞こえた言葉に耳を疑うこととなった。
「それにさっき1950年頃から深海棲艦とやりあってるって言ったよな、第二次世界大戦はどうだったんだ?」
「その、第二次世界大戦っていうのさ。実は『こっち』じゃ起こってないのよ。だから艦娘の素性は最初に三笠と接触した時からずっと疑問を持たれてるの」
「うわ……いよいよもって白昼夢か何かだと思いたくなってくる感じだわ」
「……夢と呼ばれる幻覚や観念、心像のどれとも異なっている。現実と判断して間違いは無さそう」
三者三様に違った表情を浮かべるが、その内二人に共通していたのは困惑、諦観。水色の髪の少女は何かしらの考え事をしているようだが、その胸中は窺い知れない。疑念の目を向ける明石と京香の二人に気付いたか、ヒュウガは不愉快だと視線で答えた。
「狂言の類とか思ってる?」
「悪いけど半信半疑、って所。少なくともナノマテリアルに関しては否定しようもないし、401みたいなオーバーテクノロジーの塊見せられちゃね」
「塊とは言うが、ある程度置き換えられるものは人類側の技術で置き換えてるぞ? そこまで驚くような事も多くはないと思うんだが……」
「……魚雷は空を飛ばないし構成因子から崩壊させるような能力は無いわよ。何この超兵器」
明石から受け取っていた書類に、当たり前のように書き揃えられていた超兵器の数々を思い出し、京香は一際大きな溜息を吐くのであった。