貧乏くじの引き方【本編完結、外伝連載中】   作:秋月紘

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追編之弐拾弐-エピローグ-

 しん、と静まり返る室内。上村とヴェールヌイの二人に案内されて入ってきた京香の姿を見、その場に居た矢矧や数名の艦娘達が一瞬ざわめきを見せる。司令官である上村に視線で制され、慌てて少女らは敬礼を返した。ひと通り状況の説明が済んだ所を見計らい、京香は一歩、部屋の中央に置かれたそれに近付く。

 暗闇の中で、主を探し求めるように唸り声を上げる鋼の塊。その軍艦色の外装を覆い隠す黒い甲殻は、紛れも無く深海棲艦のそれであった。近付くほどに強くなる身体の疼きが、それが自身の半身でありかつて彼女の記憶やその身を喰らおうとした艤装である事を教える。

 

「どうだ?」

「……多分、私を探してるのは間違いないと思う。でも、どうすれば命を永らえられるのかはよく分からないわね」

「そこは分かってくれると嬉しかったんだけどね」

「どうする、触ってみるか?」

 

 声を詰まらせ、遅れて少女は考え込む。触れずして調べるには限度もあり、そして、そもそも考えられる可能性というのが「艤装側に残っているかもしれないコアを奪い自分のものとする」位である。さらには、それを実行に映すのであれば遅かれ早かれ、彼女は艤装とそれを制御するコアに接触しなければならないという事に変わりはなかった。

どれほど考えた所で、命が惜しければルビコン川を渡らなければならない。それは彼女自身がよく分かっている。しかし。

 

「ちょっと、心の準備だけさせて。分水嶺になるんだから、それくらいはいいでしょ?」

「……ああ」

「矢矧、戦闘準備。残りは一度退出、絶対に此処には誰も入れないで」

 

 時間がないかもしれないとは言え、踏み出すには余りに勇気のいる一歩だった。暫しの間を置いて小さく首を振り、視線で意志を伝える。

それに応えるように、ヴェールヌイは一つ二つ指示を出し、それに従い少女達は扉の向こうへと姿を消す。武装を携え臨戦態勢を崩そうとしない矢矧とヴェールヌイ、そして、神妙な面持ちで見守る上村に視線を返し、京香はその右手を、黒く艶やかに光を反射する艤装だった『何か』に伸ばした。

 

 

 

『貧乏くじの引き方-追編之弐拾弐-』

 

 

 

 司令官不在の第五艦娘駐屯地。手持ち無沙汰となったとはいえ、何から始めたものか、と考え事をしながら廊下を歩いていた天龍は、正面の方から京香の代理人の姿を見つける。小さく手を上げて挨拶をすれば、銀髪の少女は合わせて右手を上げ、少し歩調を速めた。近付いてみれば分かる天龍の隈に疑問符を浮かべながらも、叢雲は特に気にすること無く普段通りの挨拶を交わす。

 

「おはよう、天龍。司令官の姿が見えないみたいだけど、何処に行ったか知らない?」

「あ、ああ……」

 

 声を詰まらせる姿を不審に思ったか、叢雲は姿勢を変えずその眉をひそめる。少し悩むような素振りを見せ、天龍は少女の肩を抱き寄せ、周囲を気にしながらも小さく口を開いた。

 

「……昨日の晩、通り魔にやられたんだ。今は横須賀で治療を受けてるが、ちょっとヤバイかも知れねえ」

「何それ、私そんな話聞いて」

「こっちだって急な話だったんだよ!」

 

 反射的に声を荒らげた事を天龍は慌てて詫び、改めて声を潜め話を続ける。

 

「ったく、後で本営から正式に容態やら何やらの通達来るはずだから、そっち任せるわ。集合写真の段取りもちょっと変えねえとな」

「……本当に、通り魔だったの?」

「通り魔に決まってんだろ。……軍人をターゲットにしちまった可哀相な奴だよ」

 

 おざなりに手を振り、そそくさとその場を立ち去ろうとする少女を慌てて呼び止めた。

しかし、聞くべきか、聞かざるべきかと迷い、悩んでいる内に人の姿が疎らに見えてくる。そうして暫くの沈黙の後、眼帯の少女は一度も振り返ること無くその場を歩き去ってしまった。

その後行き来する艦娘たちに適当に挨拶を交わし、やがて人の波が切れる頃、叢雲は改めて、一際大きな溜息を吐いたのだった。

 

「……通り魔なんかで死ぬなんて、絶対、許さないんだから」

 

 日差しが直上から降り注ぐ時間帯。正午を知らせる鐘の音の中、司令官代理の叢雲、大淀より通達され営内の掲示板に貼り出された知らせは、瞬く間に隊内の艦娘達ほぼ全てが知ることとなった。

ここ数日近隣を騒がせていた通り魔が逮捕、拘束され、そして京香もまた、その毒牙に掛かり生死の境を彷徨っているということ。

 事実との大きな相違はあれど、彼女が生命の危機により鎮守府を空けた、という情報は少女らの心に波紋を起こす。

 

「加賀さん」

「……彼女が留守だからといって我々全員が休養していて良い道理は無いわ。敵は待ってはくれないのだから」

「それは……いえ、私達が範を示さなければ、ですね」

 

 信用も信頼もそれなりにしていた指揮官の不在に波打つ胸中を隠し、あくまでも年長者として平静を装う者。

 

「ふーん、そう。ちょっとは姉ちゃんの辛さも分かるんじゃないの、コレで」

「鈴谷」

「ごめんって。本気で言うほど拗らせてるワケ無いじゃん」

「……そう思った、という点は否定はしませんのね」

「……出来ないよ」

 

 個人的感情を反射的に吐露し、吐き出された『それ』の薄汚さに対する嫌悪感と、実感として芽生えた感情との間で揺れ動く者。

 

「あ、あの、あのっ……司令官さんが、その……」

「……あたしも、さっき聞いた」

「大丈夫、だよね。ちゃんと帰ってくる、よね」

「……うん」

 

 平静を装うことが出来るほどの経験を持たず、また自身の無力をつい先頃痛感したばかりなのも相まって、ただ寄り添うしかできない者。

 

「……」

 

 そして、ある少女は怒りのやり場を失い、ただ整然と事実を突き付ける文字列を眺めるしか出来なかった。そこを偶然通りかかった一人の少女が、小さく震える手を見とめて立ち止まる。腰まで届く銀髪を揺らし、彼女は一歩、姉の傍へと近付いた。

 

「暁。……ああ、司令官か。横須賀に搬送されたらしいね」

「……そう」

「どうかした?」

「……どうもしないわ」

 

 響の問いにそう答えると、暁は足早にその場を歩き去ってしまう。未だに電の件を根に持っている事は分かっていたが、響は既にそれを理由に京香に当たる事をしなくなっていたため、長女の葛藤を理解すれども、共感は出来なかった。

 『作戦ミスや想定外の戦力との会敵』は誰の頭上にでも降り掛かりうる、という事実を諦めの理由に出来る彼女とは違い、暁はただひたすらに純粋であったのだ。

困ったように眉をハの字に傾け、少女は小さく息を吐く。

 

「……居ても居なくても頭痛の種になるのは変わりないんだね、司令官」

 

 誰にでもなく呟いた言葉に「悪かったわね」と投げやりな声が聞こえたような気がして、思わず左右に視線を向ける。しかし周囲に人の姿はなく、当然のことながらその声の主も存在しない。

少し考えた結果、疲れているんだと自分を結論づけて少女は再び歩き始めた。司令官不在の間は、皆で此処を維持しなければと意識を切り替える。

 伊豆諸島の奪還以後目立った動きが無いとはいえ、海域が安全と呼べる状態になったわけではないし、未だに各地で戦闘は続いているのだ。なおさら、ただ立ち止まっていられる状況ではない。

 

「お、響か。丁度よかった」

「天龍さん」

「急な話で悪いんだが、来週日曜に集合写真撮ることになったんだ。昼メシ食ったら玄関前集合になる予定」

「? 本当に急だね、でもどうして?」

 

 廊下でばったりと出くわし、そのまま話を始める天龍と響。突然の予定に浮かんだ疑問符に対して、天龍は困ったように笑いながら答える。

 

「あー、あえて言うなら伊豆での勝利と、ウチの戦死者ゼロを祝って、だな」

「……ああ、なるほど。最上さんも電も回復したから」

「色々あったからな。全員が復帰するまで、って話してたんだけどあんまり遅れても、だろ」

 

 十分遅れてる、と頬を緩ませる少女に違いないと同意を示し、天龍は一つ息を吐いた。

 

「ま、そんなわけだから当日は遅れんなよ? それにあんまり言いたかねーけど、暁の奴も提督居ないほうが気まずくならなくていいだろ」

「……どうだろうね」

「?」

「気にしないで、暁たちにはこちらから伝えておくよ。それじゃあ」

「お、おう」

 

 疑問を挟む余地を与えず、響はそのまま廊下の奥へと去って行ってしまう。小さく肩を竦ませ、天龍はそれとは反対方向へと踵を返した。響が呟いた言葉の意味を求めるように、どこか遠くを見ながら。

 

 

 

 深海棲艦化したものや、大きな損傷によって使用不可となった艤装を安置している室内。上村達の見守る中、黒光りする『それ』に手を触れた直後、視界が黒一色に染まった。背中にまとわり付く不快感に身を捩ったのも束の間、そのまま引き寄せられるように体勢を崩す。

胸を何かに強かに打ち付け息を吐き、慌てて視線を上下左右に振る。変わらず真っ暗な視界と、背中から腕や脚を伝ってゆく感触に、一つ、小さな感情の火が生まれた。

 視界の一部を乗っ取られたように、真っ暗で見えないはずの目が幾つもの情景を映す。

不運としか言えない事態の責任を押し付けられ、度重なる非難や糾弾を受けて低い士気を押して戦列に参加し、その都度、自分とは対称的に戦果を上げてゆく妹を横目に見、そして。

炎を上げる僚艦を、自身の手で処分する。

 何度見ても慣れることのない、不愉快な記憶。決まって最後は、一つとして本懐を遂げられぬまま、冷たい海の底へと沈んでゆく。

 

「片割れが帰ってきたのが、そんなに嬉しい?」

 

 返事をするものはなく、その代わりとでもいうように肌を伝う何かが一際強い力を込め、みしり、と音を立てた。骨が軋む音に表情を歪ませ、背中のコネクタ越しに感じる異物感から息を荒げる。身体と、意識の両方が侵されてゆく感覚が嫌悪感をより一層増し、それに飲み込まれそうになる。

 だが、そうはさせない。口腔に歯を突き立て、抱える腕に十本の爪を食い込ませ、決して気をやらないようにと一人戦う。

 

「……でもね、アンタは此処で消えるの。艦娘にも、深海棲艦にも、なってやらない」

 

 どれほどの悪夢を見ても、どれほど強い憎悪を浴びても。後続が皆記憶と戦って生きているのに、『一人目』である私がそれに負けて良い道理があるか。震える唇を拭い、やっとの思いで口角をにやりとつり上げ、彼女は小さく、しかしはっきり言葉を紡いだ。

 

「私は、私なんだから」

 

 刹那、身体全体が力を失い、まるで糸の切れた操り人形のように、五体が艤装に覆いかぶさるように投げ出される。途切れそうになる意識の中で、どうして、と。悲しげな声に問われたような気がした。

 上村、ヴェールヌイ、矢矧の瞳に映っていたのは、主機に触れた京香を一瞬で飲み込む黒い甲殻と、それが歪な、まるで卵や繭の様な球体を作り上げる光景。飲み込まれた少女の声は聞こえず、また、彼らが不安から呼びかけた声も、静かな室内に反響し、やがて何ら反応を引き出すこと無く消える。

 やがて数十分という時間がたったであろうか。痺れを切らした銀髪の少女が砲を片手に一歩、脚を踏み出す。それに気付いて留めようとした上村の視界の端で、甲殻の一部が、からんと音を立てて剥がれ落ちた。

 

「ヴェル」

「……万が一ということもある、司令官はそこに」

 

 両手で主砲を構え、一歩、また一歩と近付く。そして数十センチの距離まで近付いた直後、小さく息を吸い、少女は銀髪を揺らし右足を振りぬいた。唖然とする後ろの二人を他所に一メートルほど飛び退き、大きな音を立てて崩れ落ちるそれの様子を伺う。

 

「お前何やって……!」

「しっ、いいから」

「いいからってお前なあ……」

 

 呆れたようにヴェールヌイを諌めながらも、その目付きは険しいまま少女と同じ場所を見つめている。無意識に触れた冷たい金属の感触に内心ため息を吐きつつも、彼はそれから手を離そうとしない。

なるべくなら使いたくは無いんだが、と考えた辺りで、薄明かりにその姿が見えた。

 傷だらけの鋼鉄の塊、自らを蝕み続けた艤装の主機をあやすように抱えて、薄紫の髪の少女は眠る。

袖口から覗く腕や、首筋に微かに残る傷跡にヴェールヌイが気づくまで、そう時間は掛からなかった。

 携行武器を拳銃へと持ち替え、慣れた手付きで呼吸や脈拍を調べる。そして、少しの間を置いて、少女はゆっくりと首を左右に振った。それに対して態とらしく大きな舌打ちを返し、男は煙草を懐から取り出して一つ口に咥える。

 

「……火寄越せ」

「……」

「提督」

 

 こつん、と砲を伝わる感触。

 

「ヴェル」

 

 背後から突き刺すような視線に怯み、少女は悩み、そして。

 

 ぱん、と乾いた音が一つ、静かな部屋に響いた。


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