日が高くなり始めた頃、二人の少女は差し込む日の光に目を薄らと開ける。意識が覚醒した直後、ふと視線を向けたベッドに京香の姿は無く、何をするでもなく窓の外を眺めている天龍の姿だけがあった。先に身体を起こした長門に気付き、少女は小さく頭を下げる。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。……提督はどうした?」
「……」
一瞬、天龍は言い淀む。反射的に答えるには、上手い言い回しが思いつかなかったのかもしれない。しかし、金剛が身体を起こしたことに気付いたところで、彼女は一旦気を落ち着けるように深呼吸をし、その後はっきりと言い切った。
「提督は、三特艦の連中が引き取っていきました。一先ずは通り魔にやられて搬送されたって事にしとけってことらしいっす」
「明石は」
「アイツも同行してます」
そう言って、少女は窓の外に視線を向ける。塀に囲まれた敷地内、あの後それなりに積もったらしい雪にはしゃぐ駆逐艦娘や、それに大人げなく紛れて雪合戦に興じる数人の女性らが目に留まり、同様にそれに気付いた長門等二人と苦笑いを浮かべた。
彼女等が振ってきた手を振り返し、天龍は再び二人へと視線を戻す。
「それで、向こうの司令官らしいおっさんからの伝言です。提督の身体の事、特にシグの実験体であったこととかは秘密にしておいて欲しい、と」
「……わかった」
「任せておくデス」
「で、他に何か話は?」
長門の問い掛けに小さく悩む仕草を見せ、少しの時間を置いて天龍は回答をはぐらかした。問い詰めた結果拗れてしまう可能性を避けたか、目を完全に覚ますために顔を洗ってくると踵を返す長門に、まだ続いていた駆逐艦娘と数名の空母、戦艦艦娘による雪合戦に乱入を果たす金剛とをそれぞれ見送り、やがて天龍は大きな溜息を吐いた。
「……最期に立ち会えたからって、気休めにもなりゃしねえよな」
『貧乏くじの引き方-追編之弐拾-』
長門達が解散したのとほぼ同じ時刻。横須賀港にほど近い場所にある建造物群、本棟らしき煉瓦造りの一つと、その脇に沿うように倉庫や営舎らしき建造物が並んでいる。雪に真新しい足跡を残し、煉瓦造りの建物の正面扉を開け、一人の少女がその中へと足を踏み入れた。
水気を拭った靴で板張りの床を鳴らし、黒い尾を引いて廊下を歩く。途中、顔見知りの少女らと挨拶をかわしつつ歩を進める内に、ある一室の前で一人の少女と鉢合わせる。特三型、暁型駆逐艦艦娘のものとよく似た制服に、白の軍帽、そして陽を受けて煌めく白銀の髪。ぴたり、と足を止めた少女らは目を合わせ、にこり、と笑みを浮かべた。
「おはよう。執務室に何か用事?」
「おはよう、矢矧。華見中佐の搬送が終わったから報告にね」
「ああ、なら丁度よかった。私も彼女の件で報告する事があったのよ」
疲れたような溜息を吐いて矢矧は執務室の扉をこんこんと叩く。遅れて返ってきた声にヴェールヌイと目を見合わせ、彼女はドアノブに手を掛けた。連れ立って部屋に入ると、椅子に腰掛け、外で買ってきたらしいファーストフード店の袋を机の上に広げて遅めの朝食をとっている男の姿があった。
「おはようさん。二人してどうした?」
「華見中佐の搬送完了したよ、今は処置室のベッドに寝かせてる。中将への報告はまだだから、非破壊検査なら十分な時間をとれると思う」
「……了解。それが終わったら肌と髪もちゃんと整えておくか。で、矢矧さんは?」
「私? 多分中佐絡みだと思うんだけど、ドック棟最奥区画で深海棲艦化が認められて凍結処理中だった艤装一基が動作を再開したそうよ」
「あぁ!?」
男はがたん、と思わず身を乗り出し、その勢いで膝を強かに天板に打ち付け悶絶する。呆れたように溜息を吐く二人の艦娘は、男が一先ず落ち着くのを待って改めて説明を続けた。
「今のところ自律行動や攻撃は無いみたいだけど、深海棲艦化が進行するようなら突入できるように、技術クルーの後退と信用のおける娘達の展開は済ませてるわ」
「……ちっ、分かった。矢矧はそっちの監視を継続して頼む、俺はヴェルと一緒に嬢ちゃんの様子を見てくるから何かあったら無線鳴らせ、良いな?」
「了解、無茶は程々にするようにしておくわ」
そう言って笑う少女に無理は厳禁だと軽口を返し、銀髪の少女を伴い部屋を出る。矢矧が続けて退室したのを確認して施錠し、拳を突き合わせて三人はそれぞれ別の方角へと向かい駆け出した。途中すれ違う少女や男達に程々に声を掛けつつ廊下を抜け、固く施錠された扉の前で立ち止まる。扉の前で見張り番をしていた艦娘、不知火と二三言葉を交わし、男は扉に手を掛けた。
「っさいな、平気だって言ってんでしょうが!!」
「ですが貴方はっ……ぐっ!?」
その直後、扉の向こうから話せるはずのない者の怒鳴り声と、鈍い物音が聞こえる。遅れて聞こえたどさり、という音に慌てて扉を開ければ、そこには平気な顔をして立っている屍体の姿があった。
「……ええと、貴方が此処の責任者だっけ、三特艦の。確か上村謙治大佐だったかしら」
「ウチをご存知とは光栄だな、華見中佐。……で、ウチの艦娘に何しやがった?」
「朝潮? ちょっと気絶してもらっただけよ。人型相手は慣れてないのね」
わざとらしく溜息を吐き、そう答えた少女は笑う。やれやれ、といった様子でヴェールヌイは気を失い倒れている艦娘を抱き起こし、警戒を解くこと無く京香へと冷めた視線を向ける。聞こえないように小さく舌打ちし、上村と呼ばれた男は乱暴に自身の頭を掻いて一歩、京香の前へと近付いた。
「明石の奴しくじったな」
「十分でしょ。人間だったら失血死くらいはしてるんじゃないかしら」
「……お前さん、心拍は?」
「止まってるわね。脈でも取ってみる?」
差し出された腕を取り、その手首に指をあてがう。その肌の冷たさと、彼女の言葉通り一切脈を打たない血管に、思わず彼はその眉を大きくひそめた。その様子を見ていた京香の瞳に、一瞬哀しみの色が写ったのは気のせいだったのだろうか。銀髪の少女は、彼女が浮かべた苦笑いの意味を理解することが出来ず、ただゆっくりと視線を京香から外した。空いた右手に拳銃を取り、その銃口を額に向けたまま。
目を背けること無くヴェールヌイを呼び、構えている銃を下ろせと口を開く。渋々といった様子で従ったのを確認できたか、男はそのまま京香をベッドに腰掛けさせた。そして、男の口から続けて出てきたのは、一際大きな溜息であった。
「心停止してる人間が平気な顔して喋ってるなんざ聞いた事ねえわ、なあ嬢ちゃん」
「そうね。私もビックリしてる」
「どう考えてもびっくりで済むようなレベルの話じゃないけど」
「ヴェル」
「……」
不安そうに目を伏せる京香に肯定を示し、上村はゆっくりと首を振る。
「明石の報告も見させてもらってたが、手遅れってのは事実だ。流石に嘘にも限度はある」
「そう」
「上に知らせる前に色々調べとこうってことでウチに運んだんだが、まさか目を覚ますとは……」
「じゃあ、なんでこうしてられるのかは分からない、ってこと?」
「まあ、そういうこったな」
何と言えばいいのか分からず苦笑いを浮かべる上村と、態とらしい溜息を吐いて目を伏せる京香を見比べ、ヴェールヌイは小さく肩を竦めた。京香からすれば分からないことばかりで、なるべく早くに二人から話を聞きたいところであったが、とはいえその二人からしても、死体となったはずの少女が目を覚まし、あまつさえ、脈拍が止まっているにも関わらず意思の疎通や活動が可能だという、この状況を説明出来る答えなど、持っているはずもなかった。
「とにかく、朝潮の事もあるし貴方が本当に『華見京香』だという証拠はない。悪いけど拘束させてもらうよ」
そう言い掛けて伸ばした手が京香に触れたその瞬間、接触した部位の皮膚が突然その色と質感を変え、ばくん、という音と共に大きく割れた。ヴェールヌイの左腕を食い千切ろうとしたそれをすんでの所で躱し、一足飛びに距離を取る。そして右手を掲げた直後、三発の銃声が密室に響いた。
「……私の意志じゃない、なんで」
「……朝潮相手と随分対応が違うな、嬢ちゃん」
「敵対行動と認定、司令官、殲滅許可を」
言うが早いか、ヴェールヌイの左手には召喚された砲塔が握られ、背中には艦艇の後部構造体を模した主機が背負われている。駆動音を鳴らし、その一対の砲身が立ちすくむ少女へと向けられた。対する京香の右腕は既に人の姿に戻っており、その足元には先程ヴェールヌイが威嚇として撃った銃弾の痕跡が残されている。三人がそれぞれ別の意志の元にらみ合いを続ける最中、不意に男の無線機が耳障りなノイズをかき鳴らした。聞こえてきたのは先程別れた矢矧の声。
『提督聞こえる? 資料貰って確認したんだけど、活動再開した艤装の型式が分かったわ。DD-AN08曙型、略歴見た感じ華見中佐の実験で使われたもので間違い無さそうよ。それに調べようとした子達が何人か捕食されそうになった、追い払われただけの子も居るあたり、何か目的があるんだと思う』
「なるほど、そういう事か。了解した、くれぐれも特型の艦娘は近づけるんじゃねえぞ」
『特型ってどうして……』
「ちょっとしたトラブルだ、後で説明するから監視を継続して頼む」
無線機から意識を京香の方へと戻し、依然として砲口を外そうとしないヴェールヌイを制して一歩足を踏み出す。怯んだように後退る少女を見て、上村は困ったように首を振った。
「どうやら、完全な状態で蘇生できた訳じゃないようだな」
「……どういう事?」
「聞こえてたろうが、お前さんが実験でペアリングした艤装が搬送に合わせて活動を再開してる。ヴェルを狙ったのも同型艦が目的なんだろう、最期の足掻きってやつかね」
「放っておけばそのまま華見中佐はまた死ぬ、ということかな」
「まあそんな所だろうな。どうする?」
男の問い掛けに鼻白む。放置していればその内また死ぬ、と言われて「わかりました」と納得できるはずもないが、かといってどうすれば生き続けられるのかも分からない状態には変わりはない。さらに言えば、今の時点で「人間として生きる」事はほぼ不可能に近い状態であることは明白である。
生きたい、と願った所でそれを何の懸念材料も持たずに実現できる案は無く、どれだけ考えた所で、京香は男の問に対する答えを導き出すことが出来なかった。
「意地の悪い質問だったかね。まあ、一つチャンスが有るとすれば、もう一度艤装と接触する位だろうな」
「……矢矧も言ってたね、特定の艦娘が捕食されそうになった、って」
「主機が母体を探してるってこと?」
「恐らくな。上手くすれば艤装を心臓代わりとして命を繋ぐことは出来るかもしれんが、試してみるか?」
「……」
考える余地など無かった。悩んだ所で一度死んだ身であることには変わりなく、そして何もしなければそのまま死に至る事が分かっている以上、京香が取り得る道は一つしか残らない。たとえそれが確信の一つも持てないギャンブルだとしても、その結果最悪の事態を引き起こす可能性があったとしても、少女はほんの少し見えた光明に縋らざるを得ない。
「艤装の所まで案内して」
「了解した。……一応言っておくけど、最悪の場合、司令官の指示を待たずに処理に移る事だけは理解していて欲しい」
「俺も、流石に全員を抑え込める自信はねえからな。一発限りの博打って事は覚えとけ」
「……分かってる」
その後会話を交わすこともなく、三人は連れ立ってドック棟の最奥部、艦娘達が部外者の立ち入りを禁ずるように塞ぐその扉の前へと到着した。始めは三人ともを「矢矧の指示である」として押しとどめようとしていたが、彼女等の上官である上村の説明と、京香の示したドッグタグを見て納得したのか、渋々といった様子で扉を開ける。
薄暗い室内、艤装を展開して臨戦態勢を取っていた艦娘達の一人が、彼女達に気付いて駆け寄ってくる。黒のポニーテールに整った顔立ち、矢矧と呼ばれ敬礼を返す少女が、京香の姿を見て青ざめた視線を向けた。
「あの、提督、彼女は……」
「ん? 見ての通りリビングデッドってヤツだが。そこの艤装が呼んだのか嬢ちゃんの方が原因かは知らんが一時的に意識を取り戻したんでな。このままだとまあ間違いなく死ぬだろ、ってんでやれる事はやっとこうって訳よ」
「……失敗した時は私達で幕を引く事になってる。矢矧も待機していてくれないかな」
二人の言葉の意味するところを察したのか、少女は硬い表情で艤装だったものを見つめる京香に敬礼をし、扉の前へと下がるのであった。