「お兄ちゃん!大丈夫!?」
少年の耳にいつも聞くソプラノトーンの声が届く。
目を開くと最初に見るのは木製の床。
周囲には少し大きめのテーブルと2つのイス、ベッド、タンス。
少年額には激しい痛みがある。
「額は…切れてないみたいだ」
痛い部分を手で押さえながら少年は立ち上がる。
青い布のドレスを着たそれと同じ色の肩にかかるほどの長さの髪、潤いのある白い肌と黒い瞳。
彼女があのソプラノトーンの声の主だ。
彼女の名前はターニア、今年で16歳になる少女で、少年の1歳年下の妹。
「一体どうしたの?急にベッドから落ちて…」
「だ…大丈夫。びっくりさせてごめん。ターニア」
「もう、気を付けてね。レックお兄ちゃん」
少し困ったような笑顔を見せるターニア。
切れてないかもう1度確認するため、レックは鏡の前に立つ。
ターニアのと同じ色の目と逆立った髪、重ね着した青と茶色の服、そして紫色のズボン。
腰には剣を模して彫られたヒノキの棒が差してある。
それが彼の容姿だ。
両者の服は死んだ両親が着ていたものだ。
切れていないという安心感を得たレックは妹の頭をなでると、外へ出て行った。
「ふうー…朝の顔洗いは気持ちいいな」
冷たい水でわずかに残った眠気が吹き飛ぶ。
水にはレックの姿がよく映っている。
天気は晴天で、麦わら帽子をかぶった農夫たちが畑仕事に精を出している。
井戸の北隣にある万屋は開催まであとわずかとなった村祭りの準備のため今は休業中で、その裏に赤いレンガ屋根の家、レックとターニアの家がある。
ここは山奥の村、ライフコッド。
山の精霊が祭られた教会を中心に作られた農村だ。
この村では商売とはほとんど縁がなく、通貨は使われず、主に物々交換が行われている。
「おーい、レック!!」
タオルで顔をふくレックの背後から少年の声がする。
「ランド、おはよう」
「よお!」
金髪で少しレックよりも背が高く、黒いシャツと白い長ズボンを着た少年が笑顔であいさつする。
ランドと呼ばれたこの少年は村の南で経営されている酒場の息子で、現在は狩りの修業をしているレックの幼馴染だ。
「今年の精霊様の使い役、ターニアちゃんがやるんだろ?エスコート役に早く選ばれてえなー…」
「ランド…エスコート役は村長さんが決めるんだよ。選んでほしいなら、俺じゃなくて村長さんに言えばいいじゃないか」
「分かってねーなー、兄貴は。こういうのはターニアちゃんの兄貴であるお前の許可がいるんだよー」
笑いながら、強引にレックの肩を組むランド。
(兄貴って…ランドの方が1つ年上じゃないか…)
「おーい、レックー。村長さんが呼んどるぞー」
村長の家へ木彫り細工を運び終えて、南の作業場へ戻っている中年の農夫が呼びかける。
「はい!今いきます!!」
「じゃあ、俺も行く!」
「なんでランドも行くんだよ?今日は狩りの特訓をするんだろ?」
「いいからいいから、行こうぜ兄貴!!」
問答無用と言わんばかりに背中を押され、レックは教会の裏の崖を登ったところにある少し大きめの家へ向かった。
「失礼します」
「よく来たな、レック。ランドも一緒なのには驚いたが…」
「別にいいだろ、村長さん!兄貴の行く場所は俺の行く場所ってな!」
恰幅の良い体型で、茶色い服を着た白くて薄いひげと髪の老人が机の上に置かれている絹と木彫り細工を袋に詰める。
「レック、ここの絹と木彫り細工の評判が良いことは知っておるな?」
「はい。それでふもとの町ではよく売れる…って村長、もしかして…」
「そうじゃ。今年はレック、お前に買い出しに行ってもらいたいのじゃ」
詰め終わり、きつく袋の口を締めると、村長はレックにそれを渡す。
ライフコッドでは村祭りの際、造花と良質な木でできた冠、通称精霊の冠が必要となる。
そのため、祭りの前になると村の男性にこの民芸品を元手にふもとの町でその冠を購入することになる。
また、冠を手に入れた後は残金で鉱石や陶器といった村では生産できない物を購入する必要もある。
買い出しは祭りのためだけでなく、村の生活のためにも重要な事柄なのだ。
2年前までは万屋の双子の弟が買い出しに行っていたが、高齢とぎっくり腰のため、ドクターストップがかけられた。
そのため今では生きがいをなくしたと飲んだくれている。
「じゃ、じゃあ村長さん!俺も一緒に行っていいか?」
「ほう…ランド、お前が一緒に?」
「ああ!昨年は俺が行ったからな、先輩としてアドバイスしねえと!」
そんなことを言っているが、本当の目的はターニアとの交際を認めてもらうための点数稼ぎだということは誰の目にも明らかだ。
だから、たまにランドは仕事をさぼってレックの仕事である羊の毛刈りや牛の乳搾りの手伝いをしている。
バレバレなのに本人だけ気づかれているということにわかっていないところがあるため、どうも憎めなくなる。
「じゃ…じゃあ、頼むよ。ランド」
「おう!!」
「まあ、お前が決めたのなら儂からは何も言わん。しっかり準備をしていくのだぞ」
止めろと言っても、勝手についていくだろうと判断した村長は静かに了承した。
半分予想通りだなという思いもあるが。
「はい、お兄ちゃんとランドのお弁当と薬草!」
「お…おう…」
「ありがとう、ターニア」
家に戻ると、ターニアは既に2人の旅の用意をして待っていた。
「それにしてもターニア、なんでこんなに早く準備を…?」
「ジュディが教えてくれたの。昨日こっそりと私に…」
ジュディは村長の娘で、ターニアと同年代の少女だ。
村長の仕事の手伝いをしているため、こういう話は前もって彼女の耳に入る。
「ちょっと心配だけど、ランドがついてるから大丈夫だね!」
「そりゃあな!レックは俺がちゃんと守るから、安心してくれ!ターニアちゃん!」
「俺ってそんなに頼りない…?」
笑顔のランドとターニアを見て、かなり心中が複雑になるレック。
訓練をさぼっているとはいえ、ランドの弓の技術は中々よく、前に見せてもらったときは木の上からファーラットを射抜いて見せた。
ファーラットとは山に生息している緑色のもこもこした体毛で覆われた3つの目で2本足のモンスターだ。
鳴き声がなく、一説によると頭部にある2本の触角で仲間とコミュニケーションしているとされている。
「それと、お兄ちゃんにはこれも!」
「ああ、これは忘れたらいけないね」
ターニアから渡された傷だらけの鞘と柄の剣を背負う。
これは家に昔からあった剣で、父親が幼少期に崖で見つけたという。
父親が死んだあと、レックは何度も剣を抜こうとしたがびくともせず、ターニアやランドも同じ結果だ。
それでも、亡き両親の形見であり、お守りである。
「じゃあ、お兄ちゃん、ランド!気を付けてね!」
「うん、行ってきます!」
「ターニアちゃん!すぐに戻ってくるからなー!」
ターニアに見送られ、二人は村を出た。
「はあ…はあ…」
「はふう…もう昼か…」
崖に作られた山道を下り、一面に広がる草原まで来て、空腹となった2人は偶然目に入ったちょうどいいくらいの形の石に座る。
村を出てから4時間半。
山を下る間の道やトンネルで2人は何度か魔物に襲われた。
黄色い水滴状の物体で黒いぶちがあるぶちスライム。
植物の根に命が宿り、人型となって出てきた魔物でつられて踊ってしまいそうな不思議なダンスをするマンドラゴラ。
魔王が気まぐれでネズミとコウモリを融合して生み出したという噂のあるねずこうもり。
頭の尻尾に口がある紫色の魔物であるおばけなめくじ。
そして、ファーラット。
それらのモンスターはランドとレックの敵ではなかった。
レックはたまにある家畜を守るための魔物退治と農作業である程度鍛えられていて、ランドも弓の力量があるためだ。
もっとも、それはこれらの魔物に対してだけであってさらに強い魔物に対抗できるかはわからないが。
「にしてもレック。もうこの棒、駄目なんじゃないか?」
「確かに…。ここまでマンドラゴラと戦ったときに少し変な感覚があったからなぁ」
「じゃあ、街に着いたら剣を買わないとな!」
「買うって言ったって、お金はどうするんだよ?俺たち、そんなに金持ってないんだぞ?」
「大丈夫だって!俺と兄貴の今ある金でも兵士の剣くらい買えるって!」
「おいおい、貴重な金を俺のために使っていいのか?」
「別にいいって。兄貴のためだし」
よこしまな気持ちがないことを示すかのようなまっすぐな目をレックに向ける。
そういう優しい一面があるため、レックはランドを頼りにしている。
「ありがとう…。それにしても、その兄貴って呼ぶのよしてくれないか?」
「別にいいだろ、今更。そういえば、ターニアちゃん言ってたぜ?この頃うなされてるって。大丈夫か?」
「大丈夫。そんなに心配する必要はないよ」
弁当を食べ終えたレックは再び空を見る。
(うなされている…か…)
うなされる理由は明確に分かっている。
真っ暗な空、幾度も発生する雷。
そんな気候が安定しない険しい山の中にある煉瓦造りの城。
その城の主、魔王ムドーに挑み、敗れる夢だ。
茶色いマントをつけた黒で2本の角のある竜と人が融合したかのような巨大な魔物。
1人の男性と1人の女性がレックと共にムドーと戦う。
その2人の名前、容姿、声はなぜか分からない。
聞いている、見ているにも関わらずだ。
はっきりわかっているのは、ムドーがいる玉座の間に到達した瞬間、ムドーが作り出した虹色の空間の中で身動きが取れなくなり、石と化してしまったことだけだ。
夢が始まるのはムドーの城の宝物庫付近で、どうやって侵入したかも見当がつかない。
(なんで…あんな夢を見るようになったんだ?俺は…)
「ま、日が立てば何とかなるさ。行こうぜ、街まであと1時間だ!」
「そう…だな」
弁当を片づけ、民芸品が入った袋を背負う。
「それにしても、今回のはかなり品質がいいって道具屋のじいさんが言ってたな」
「ダズさん達が作った木彫り細工、ヨーテおばさん達が作った絹。大切に売らないと」
「だな。行こうぜ。ここらへんにはリップスって気持ち悪いモンスターが出るからな」
ランドから腕が2つあり、ピンク色の巨大な唇が特徴的な黄色い巨大なナメクジの話を聞きながらレックはふもとの町へと急いだ。
ドラゴンクエストⅥ 新訳幻の大地第1話いかがでしたか?
突っ込みどころ満載ですけど(笑)。
作者にとってランドというのはかなり頼りになる存在です。
彼がいないと主人公は安心して村を出ることができなかったと思いますから。
さて、主人公レックはこれからどんな物語を描くのか…?
とりあえず、作者が途中でこれの更新を放棄しないようにしないと…。