「…」
現実世界に戻り、地下の鏡の間で再び鏡の前に立ったフォーン王は目を閉じ、静かに瞑想を始めている。
レック達は王の後ろでイリカ姫の封印が解けるのを待っていた。
今、フォーン王が唱えているのは古文書の中にあった呪文で、最近見つかったばかりのものだ。
一言一句すべて暗記しているフォーン王はずっとその呪文を唱え続けている。
「ねえ…うまくいくかなぁ?」
「夢の世界でミラルゴを倒し、イリカ姫も解放しました。あとは、彼ら次第でしょう」
呪文を唱え終えたフォーン王は再びラーの鏡で鏡の中にいるイリカを照らす。
ラーの鏡の力で、鏡の中の憂い顔だったイリカ姫の表情が笑顔に変わっていく。
そして、鏡から浮き上がるように彼女が出て来て、ゆっくりとフォーン王の前に立つ。
「…やっと、会えた。エリック…」
フォーン王の頬に触れ、ほろりと涙を流したイリカにエリックは胸の高鳴りを感じつつも、不安からか視線を逸らす。
「イリカ姫…私は…」
「あなたは…命がけで私を助けてくれた…。あなたが来てくれたから、私は…」
「だが、私は…あなたの知っているエリックでは…」
「確かに、あなたは私の知っているエリックの生まれ変わり。すべてが私の知っている彼と同じというわけではないでしょう。けれど…それでも、あなたは私にとってはエリック、たった1人の愛する人です」
「愛する人…私が…」
「ありがとう、エリック…時を超えて、私を救ってくれて…」
涙でくしゃくしゃになった自分の顔を見せないようにするためか、エリックの胸に顔を押し付ける。
前世のエリックの彼女を幸せにしてほしいという言葉を思い出し、エリックは戸惑いを捨て、イリカを正面から見て、彼女を抱き寄せた。
「エリック…」
「長い間…待たせてしまってすまない、イリカ…。もう、離さない…」
「すまなかったな…旅人よ。私のためにいろいろと迷惑をかけてしまった。そして、ありがとう。前世の私の願いをかなえてくれて」
イリカと共に王の間に戻ったエリックはイリカを解放してくれた立役者であるレック達に侘びと感謝の言葉を口にする。
王の間を戻る間、イリカを見た兵士や貴族らからはかなり動揺し、なぜカガミ姫が現実世界にいるのだと口々に質問してきた。
一旦は後で頃合いを見て話すと説明して凌いだが、いずれは何かしらの形でイリカのことを説明しなければならないだろう。
「ありがとうございます、ようやく私はエリックと再会することができました。しかし…まさかあなたがこの場にいるとは…そのことに運命を感じます」
「俺が…?」
イリカに正面から言われたレックは戸惑いを感じ、目をうろうろさせる。
エリック一筋の彼女のその物言いは決して男女関係という意味合いではないだろう。
彼女は300年以上前の人間で、それと何か関係があるのだろう。
「あなたからは精霊の加護が感じられます。そして、4人の勇者の血が…」
「4人の勇者…まさか!!」
「知っておられるのですね。かつて、世界を救った4人の勇者の存在を。ラミアス、オルゴー、スフィーダ、セバス…彼らは400年前、世界を破滅へ導く邪悪を退けました」
「それについては私も書物で読んだことがある。だが、まさか彼が…だが、なぜ君にはそれが…」
「私がいた家は400年前、勇者たちとある契約を交わしました。来るべき時に、4人の勇者の血を引く、邪悪を断つ最後の希望が現れたとき、その人を力のありかへ導くことを…。そして、見分けるための手段となるこの秘宝を代々受け継ぎ、今は私の手の中に…」
イリカは手袋を外し、中指にはめている透明な水晶の指輪をレック達に見せる。
イリカがレックのそばへいき、彼に指輪を近づけると、それは淡い光を発していた。
「んな…」
「光ってる…?ですが、ええ!?レックさんがその4人の勇者の末裔…!?」
「そんな、馬鹿な…!?」
そんな話は聞いたことがなく、自分の両親かもしれないレイドック王とシェーラからもそのようなことを一言も聞いていない。
作り話かと疑いたくもなるが、今のイリカの目を見ると、とても嘘偽りを言っているようには見えない。
「確かに、400年前の戦いで邪悪を退けることができました。しかし…あくまでも退けただけ。力をつけたその邪悪が…デスタムーアが…再び世界を破滅へ導くために動き出す時が来る…。4人の勇者はその時のために、それぞれが手にした高純度のオリハルコンで作られた武具をそれぞれが封印したのです。4人の血を引く末裔がそれを手にし、デスタムーアを討つときのために…」
「デスタムーア…」
その名前を口にしたレックの胸が大きく高鳴り、視界が真っ暗になる。
周囲を見渡すが、そばにいるはずのハッサンやバーバラといった仲間たちの姿がなく、フォーン王もイリカもいない。
目の前に血のような赤い霧が集まっていき、それから激しいプレッシャーが感じられた。
そのせいか、レックの体が震えていて、理性でそれを止めようとしても体が言うことを聞かない。
冷や汗でびっしょり濡れているのを実感しながら、その霧を見る。
すると、霧の中から赤い目の形をした光が肉眼で見え、それがジロリと彼を見た。
「レック…レック!!」
「!?はあ、はあ…はあ…」
「おい、どうしたんだよ!?急に…」
「バーバラ、みんな…」
我に返ると、再び光景が王の間に戻っていた。
バーバラ達の姿もあり、バーバラは心配そうにレックの肩に手を当てている。
「だ、大丈夫…ごめん。何か…」
「やはり…見えたのですね。デスタムーアが…。これは私の指輪が見せた幻…4人の勇者の血を引く貴方しか、デスタムーアの名を口にした時に1度だけ見える幻です」
幻を見せることで、役目を果たしたのか、指輪は輝きを失い、砂のようにバラバラになって消滅する。
「ムドーが倒されたことはエリックから聞きました…。しかし、ムドーはあくまでもこれから訪れる災厄の予兆にすぎません。デスタムーアを滅ぼすためには、4人の勇者の武具を手に入れる必要があります」
「待ってくれ、なんでレックなんスか?レック以外にも、そういう人っているんじゃあないんスか?」
確かに、4人の血を引く末裔というだけなら、レック以外にもそういう人間が過去に存在したとしてもおかしくない。
その人ではなく、なぜレックでなければならないのか、ハッサンには分からなかった。
「デスタムーアの居場所へ向かうことができる唯一の機会だからです。デスタムーアが隠れたのは夢と現実の狭間。デスタムーアは人間に、そして神に勝利できるほどの力を蓄える時間を稼ぐため、そこへの道を400年もの間自ら封印したのです。その間、たとえその末裔がいて、武具を手に入れたとしてもデスタムーアと対峙することすらかなわないのです」
「マジかよ…けど、なんで400年って分かったんだよ?」
「デスタムーアが逃げた道を4人の勇者が賢者と共に調べて、突き止めたからです。私の一族はその賢者の血を引いています。そして、その真実はその一族に脈々と受け継がれてきました。すべては400年後に現れる勇者たちの末裔に真実を伝えるために…」
およそ20年そこそこしか生きていないハッサンにはその400年というのは気が遠くなる。
人間よりも寿命の長い魔族でも、その400年がどれほどの者なのか想像がつかない。
「300年もの間、鏡の中にいた今の私では今の状況を理解するだけでも精いっぱいな状態です。今わかる範囲で私の知る真実をお話しします」
どのような知識も、長い時を経て摩耗していき、もしかしたら正確な意味では伝わらなくなるかもしれない。
300年もの間鏡の中にいたことで、本来なら消えてしまっていたかもしれない知識を知らせることができるかもしれない。
そう考えると、封印されていたこの300年は無駄ではなかったのかもしれない。
「まずは、勇者たちが武具を隠した場所を…。ラミアスが手にしていた剣はマウントスノーの雪山に眠っています。スフィーダの盾はこの国の北にある迷宮に、セバスの兜はレイドックに、オルゴーの鎧はグレイズ城にあります」
「スフィーダの盾が眠る迷宮は元々、私の先祖が作ったものだ。太陽の導きがなければ、盾を見ることはできないらしい。その太陽というのが何かは分からないが…。おそらく、王家の者であっても見つけることができないよう、口止めされたのだろう」
仮に国が滅びたとしても、スフィーダの盾を魔族の手に渡すわけにはいかないという当時の人々の意志が感じられる。
問題なのはその太陽というのが何かだが、これはその洞窟に入らなければわからないだろう。
「だが…オルゴーの鎧か。これは問題だな…」
「エリック…?」
「オルゴーの鎧があるグレイス城は100年前に滅亡している。原因は分からないが、そこにオルゴーの鎧がまだ残っているかどうか…」
「…!そう、ですか…」
グレイスは1000年以上前から存在していた王国で、オルゴーの故郷であり、その縁で鎧がその地で保管されることになった。
勇者に関する歴史や魔王との闘いの記録に詳しいことで知られていて、滅びた原因にはそれがあるのではないかとフォーン王は踏んでいる。
もっとも、生き残った人々の証言をまとめた記録には魔物の大軍が押し寄せた、突然雷が落ちて来たり嵐が起こったとか、急に目の前で人が火だるまになったなどと災害とも魔物の攻撃とも取れる証言ばかりで、逃げてきた人々もなぜこのようなことになったのか正確にわかる人がいなかったという。
仮に魔物の攻撃と考えるなら、最悪の場合、オルゴーの鎧は既に魔王の手に落ちてしまっているかもしれない。
だが、フォーン王にとっては既に滅びた国ではあるが、イリカが生きていた時代には確かに存在していた国だ。
それがもうこの世に存在しないということにイリカは時の流れの残酷さを感じずにはいられなかった。
「その4つの武具には4人の勇者の魂が宿っていると聞きます。きっと、彼らがあなたを導いてくれます…」
「…なんだか、実感できません。そんなのが、俺に…」
確かに、デスタムーアの配下である魔王ムドーとジャミラスは自分たちの手で倒した。
だが、それはジャミラスの場合は成り行きで、ムドーについては夢の世界のレイドック兵士としての役目を果たしただけ。
勇者の末裔とは何の関係もない因縁、強いて言えばその脅威が迫っている時代に偶然生まれ、偶然自衛のために戦っただけだ。
だから、急にそのようなことを言われてもしっくりこない。
「あなたたちはこれから、南の海を旅することになるでしょう。その旅の中で、否応なしに勇者の末裔としての役割がついて回ります。自分の意志と関係なく…。しかし、信じています。エリックと共に私を救ってくれたあなたたちなら、それを乗り越え、デスタムーアを退けることができることを…」
「ふむ…このカードは…」
真夜中の自宅で、久々にタロットカードをいじっていたグランマーズは旅を続けているレック達のことを占っていた。
引いたカードは3枚で、中央に置いてあるカードは愚者の正位置、出発を意味するものだ。
水晶玉で占うことの多いグランマーズだが、それだけでなく、タロットカードやろうそくの火、水などを使った占いをすることもある。
旅を継続しているレック達に対して、どうしてこの愚者の正位置のカードが出たのか、その意味を考える。
「もしかしたら、彼らにもう1つの旅の目的が生まれたのかもしれんのぉ。その目的が彼らにとって吉となるのか、それとも凶となるのかは知らぬが…」
グランマーズは左右に置かれているカードにも注目する。
左は運命の正位置で、右は塔の正位置。
今回の場合、左側のカードがその人の過去、真ん中が現在、右側が未来という形になっている。
「これは…予期せぬ出来事、崩壊、再出発…それが未来に起こること…」
しばらくそれらのカードを見つめた後で、グランマーズは窓際にある椅子に座る。
真夜中で、外は月明りで照らされている。
ミレーユがいなくなり、一人で家事をするようになった。
そのためか、いつも以上に疲れがたまることがあり、座っている間にうとうとと眠りそうになる。
(予期せぬ出来事…それが彼らを破滅させるようなことにならなければよいが…)
ムドーが倒れ、人々が再び来るであろう平和に喜びを抱いていた。
だが、いまだに魔物は減らず、最近では海で不幸な出来事が起こり続けていると最近食料を運んできてくれた商人から聞いたことがある。
突然の嵐で商船が沈没したり、不漁が続いて餓死者が出ている漁村が出てきているらしく、再び人々の中に不安の色が出てきている。
(ムドー…諸悪の根源と思っておったが、まさか、その根源はもっと別のところにあるということか…)