紫のローブを着た白い長髪の男性が部屋の中央にある巨大なツボの中身を長い棒でかき混ぜる。
分厚いローブ姿には不釣り合いな真っ白な若々しい肌で、色気も感じられる。
木の器に中の紫色の液体を入れ、口の中へ運ぶ。
これが彼の日課であり、一日の活力となっている。
「姫…まだ笑顔になってくださらぬのですね…」
部屋にはフォーン城にあった例の鏡が置かれていて、そこにはやはりあの姫の姿が映っていた。
城にあったものと比較すると、鏡は3分の1くらい小さい。
この部屋ができてからずっと置いてあるその鏡だが、それに映る彼女の表情はいつもそのままだ。
「あれからもう326年も経っている。あなたの笑顔を見るためだけに、生きているのに…」
伝染したかのように、男の表情にも憂いの色が宿る。
これまで、鏡の中の彼女を笑顔にするためにあらゆる手段を尽くしてきた。
古代の時代の呪文である錬金術を復刻して黄金や宝石を作り出し、自分も先ほど作り出した霊薬によって彼女好みになれるように若返らせた。
ほかにも、彼女の好む花を作るなど手を尽くし続けたが、一度も笑顔を見せてくれない。
「いいや、私には無限ともいえる時間がある。そして、鏡の中にいる限り、あなたはいつまでも若々しく、死ぬことはない。まるで、人魚の肉を食べたように…」
人魚の肉を食べた人は不老不死になる。
それは迷信だということは魔術師は全員知っていることだが、今でもその肉を求めて旅をする、偽物の肉であっても高値で買ってしまうようなバカな成金がいるようだ。
「うん…?これは」
急に机の上に置いてある水晶玉が淡い光を放ち、それには塔の中を歩くレックたちの姿が映し出される。
「ほぉ…まさか、あの扉を開くことができたとはな。ん…?」
シンプルだが、効果的なあの扉を開けた彼らに若干感心する男だが、レックとともに歩く一人の金髪の男を見た瞬間、目の色を変える。
「奴は…いや、おかしい。奴はもう死んでいるはずだ…!」
自分が欠けた呪いで、もう数年で老いて死んでしまうはずなのに、なぜこのような若々しい姿で今、この塔の中にいるのか、男はわからなかった。
彼にだけは、ここまで来させるわけにはいかない。
彼に彼女を奪われるわけにはいかない。
「ならば、今度は確実にやつを殺してくれる…。この魔術師ミラルゴが。イリカ姫、しばらくお待ちくださいませ…」
壁にかけてある、ドラゴンの彫像がついた杖を手にしたミラルゴは部屋を出ていく。
そのとき、イリカの口がわずかに動いたことに、彼は気づくことはなかった。
「やはり…まったく生物の気配が感じられませんし、痕跡もない…」
塔に入り、すでに4階まで到達しているレックたちだが、ここまで一度も魔物と遭遇していない。
魔物だろうと生き物であれば、痕跡ゼロで暮らすことはできない。
必ずにおいや痕などを残す。
だが、チャモロはここまで行ってもそのような痕跡を一つも感じられなかった。
そんな無人の迷宮の静寂が逆に恐ろしい。
「どこだ…どこにいるミラルゴ。イリカ姫と一緒にいるのか…?」
もしかしたら、この塔の中にいるのはミラルゴとイリカだけかもしれない。
だとしたら、だれにも邪魔されることなく疑問の答えを見つけることができるかもしれない。
だが、気になるのはこの塔から感じられる既視感だ。
この塔のことはこの砂漠に来る前に見た廃墟と史料の中でしか見たことがない。
塔に入ったことがないのは確かだが、レンガや柱の構造、刻まれているレリーフが遠い昔に見たことがあるだけでなく、そこへ何度も足を運んだような感じがした。
こんな奇妙な感覚をどう説明すればいいか、フォーン王にはわからなかった。
「まさか…本当に私は…うう!?」
急に頭痛を感じたフォーン王はその場に座り込んでしまう。
「あ、ああ…あああああ!!!」
「お、おい王様!?いったいどうしたんだよ!?」
「ミレーユ、チャモロ!回復呪文!」
「は、はい!!」
慌てるバーバラがいう前に動いた2人はフォーン王の様子を見る。
ホイミだろうとキアリーだろうと、その相手の傷や体調の具合を見極めなければ効果を発揮できない。
風邪をひいている気配はなく、外傷もない。
だが、フォーン王は頭が割れるほどの頭痛に苦しみ、のたうちまわっている。
その状態が十数秒続いた後で、その頭痛は嘘みたいに消えてしまった。
「はあ、はあ…」
「フォーン王…」
「大丈夫…大丈夫だ…」
レックの手を借り、起き上がったフォーン王はしばらく壁に体をもたれさせる。
「その眼、どうやら答えが見えてきたようだな」
「ああ…。信じられないが…」
クリムから受け取った水筒の水を飲むフォーン王だが、今まで飲んだことのないおかしな味がしたために顔を青くし、すぐに吐き出してしまう。
「ああ、もったいねーなー。いい酒なのに…」
「なんだこの味は!?こんなまずいものがどうしていい酒だと…!?」
「まだまだお子様だなぁ。こういう味がわかって、ようやく大人の階段を登れるってもんだ。おっと、話が脱線しちまったな」
この脱線は明らかにわざとだろうと、みんな口は開かないものの視線でクリムに訴えるが、彼にとってはどこ吹く風。
水筒を取り上げると、中の酒を一気に飲み干した。
「やはり、やはり私は…」
「よもや、この塔に入ってくるのが貴様だとはな…」
コツン、コツンと足音が聞こえてくる。
だが、チャモロは足音と同時に感じる気配に違和感を抱いた。
(声が聞こえたのと同時に気配が…どういうことでしょうか?)
「エリック、いや…エリックの生まれ変わりというべきか…」
階段を下りてきて、目の前にやってきた若々しい男はフッと冷たい笑みを浮かべながらフォーン王を見る。
その姿は史料にあった醜い容姿の魔術師とはかけ離れていた。
だが、フォーン王はなぜか彼に見覚えと、すさまじい怒りが感じられた。
初めて会う男にこれだけの怒りを抱くのは初めてのことだ。
「ミラルゴ…!!」
「え、ええ!?この人がミラルゴ!?」
「…というよりは、いろいろと姿を変えているみてえだな。どうやら…モシャスの魔力を霊薬で変質させているな?」
禁呪法の中には、薬物を使って既存の呪文を変質させるものもある。
霊薬がそれで、常人にとっては劇薬で、精神に異常をきたすことからそれに指定されたが、呪文が確立されていない頃は魔物に対抗するために霊薬で肉体強化や回復を行っていたという説がある、
ミラルゴは霊薬という言葉を口にしたクリムをにらみつける。
そして、懐から金色のランプを取り出す。
「貴様らをここから先へ行かせるわけにはいかん。時に貴様には、ここで死んでもらう。私とイリカ姫のために…」
ランプを一度こすると、その中から紫色の煙が出てくる。
そして、その姿が徐々に紫色の肌をした雲の巨人へと姿を変えていく。
「行け、ランプの魔人よ。あの者たちを殺せ」
ランプの魔人が右手をレック達に向けてかざすと同時に、バギマが発生する。
発生する竜巻はなぜか塔を傷つけることなく、レックたちを目指す。
「くそ!あの魔術師、何考えてバギマなんて唱えて…!」
「フォーン王!後ろに下がってください!!バギマで相殺します!!」
チャモロが唱えたバギマがランプの魔人のバギマとぶつかり合い、相殺する。
中級呪文がぶつかり合ったにもかかわらず、塔には傷一つついていなかった。
「イリカ姫を傷つけるわけにはいかないからな、塔にはいろいろと細工を施しておいた」
「ちっ…腹が立つぜ…」
彼女の安全を考えると感謝すべきかもしれないが、その相手が敵であるミラルゴであることに腹立たしさを覚える。
ランプの魔人は自由になっている左手で再びバギマと唱えようとする。
だが、その前に飛び出したレックはその左腕を破邪の剣で切り裂く。
しかし、切った実感がなかったうえに、ランプの魔人の左腕は無傷だった。
「こいつ…まさか、ギズモと同じなのか!?」
「まずい!レックが無防備だ!!」
バギマを止めることができないと判断したレックは後ろへ下がろうとするが、それよりもやはり竜巻が起こるのが先だ。
このままではバギマの餌食となってしまう。
「危ない!!」
急いでバーバラが両手に魔力を込めてラリホーを唱える。
わずかでも発動までの時間稼ぎになればいいとはなったラリホーだが、幸いランプの魔人には効果のある呪文のようで、睡魔に襲われたその魔物はうとうとと眠りについてしまう。
「ありがとう、バーバラ!」
急いでインパスを唱え、眠るランプの魔人を実体化させる。
そして、破邪の剣で実態を得たその恰幅の良い肉体を両断した。
「ふん…やはり、インパスが使えるのであれば、実体のない魔物を召喚しても意味がないか…」
インパスが使えることは扉の仕掛けからわかっていることだ。
しかし、これから自分が使う手段を前には彼らにはどうすることもできない。
ランプの魔人に勝てる程度の相手にイリカ姫を渡すはずがない。
「さあ!イリカ姫を解放しなさい!さもないと…」
「ふっ、その程度で勝った気になるとは、愚かな女だ。その程度の頭脳で魔法使いを究めるとは、300年以上の時の中で魔法使いの価値も落ちたものだな」
「キーーーッ!馬鹿にしてぇ!!」
「…!やめろ、バーバラ!!」
ミラルゴの挑発に乗ったバーバラはレックの静止を振り切り、ベギラマを放つ。
だが、ベギラマはミラルゴの目の前で跳ね返り、逆にバーバラに迫る。
「く…うおおお!!」
レックは闘気の呼吸をするとともに、炎を宿した破邪の剣を跳ね返るベギラマに対して振るう。
闘気のせいか、火力が増したその炎はベギラマに側面からぶつかり、相殺する。
だが、元々高い魔力を持つバーバラのベギラマを相殺するのは生半可なことではなく、一度に強い闘気を生み出したせいか、疲労が発生してしまう。
「レック!!」
「はあ、はあ…はあ…」
「ふっ…お前たちはわからないのか?なぜ、この塔の中に生物がいないのか」
「…!そういえば…」
ミラルゴのいう通り、この塔にはミラルゴとイリカ以外に生物は存在しない。
それは魔物だけでなく、虫などの他の生物も存在しないということだ。
誰も来させないようにするのであれば、むしろランプの魔人のような魔物を多く召喚して監視させたほうがいい。
ミラルゴは懐から黒い儀式用の剣を取り出す。
「エリックの生まれ変わりと旅人、ここに宣言する。お前たちは決してイリカ姫に会うことはできない!」
ミラルゴは自分の左手首を切り付ける。
切り傷からはドス黒い血が流れ、床を汚していく。
そして、その血は魔法陣へと変化していく。
「今度はどんな呪文を!?」
「こいつは…やばいな…」
ミラルゴがやろうとしていることにいち早く気づいたクリムだが、徐々に歪んで見える塔の内部を見て、手遅れであることに気づかされた。
塔の中はまるで蜃気楼のように構造がぼやけて見え始め、周囲の壁や床が現れたり消えたりし始める。
「く…ミラルゴ、いったい何をした!?」
「教えてやろう。この塔が300年前に消えた理由を。私はこの塔にある術を施した。私の意のままに動くようにな…!時には両足を生み出して歩き、そして今、こうして侵入者を排除する!」
「排除…うわあ!?」
突然側面から壁の一部が柱のように伸びてきて、それがアモスに直撃する。
重い質量のある一撃でアモスは吹き飛び、向かい側の壁と激突すると、今度はその壁がスライムのように変化し、アモスを飲み込み始めた。
「アモスさん!!」
「助けねえと…げえ!?」
アモスを救おうと、駆け寄ろうとするハッサンだが、今度は自分が立っている床が同じように変化し、彼の両足を飲み込んでいた。
飲み込まれた箇所は強く圧迫されており、激痛がハッサンの表情に苦悶の色を付ける。
「ふふふ…急いでどうにかしたほうがいいぞ?長時間体を圧迫されてたあとで解放されると、毒素で内臓がやられて死んでしまうらしいぞ?」
笑いながらミラルゴは後ろの壁が変化した穴の中へ入ってしまう。
ミラルゴが入ると同時に穴が消えてしまった。
「待て、ミラルゴぉ!!」
「この塔は私の眼、耳、そして体でもある。塔に入った時点で、貴様らの死は決まっているのだ!」
「塔を意のままに操る…そんなことが、ああ!!」
「キャア!!何よ、これぇ!!」
ミレーユとバーバラの体が床が変化したロープで縛られ、石でできたベッドの上に拘束される。
レックたちは体を塔に取り込むのに対して、明らかにミラルゴは女性は別の扱いをしている。
「女たちは生かしてやる。イリカ姫の手前、女性には優しくしなければならんからな」
「女性に優しくなら、解放しなさいよ!!」
「そうはいかん。解放したら、何らかの手段で奴らを解放するかもしれんからなぁ」
「普通に殴っても意味がねえなら!!」
ハッサンは闘気の呼吸をし、両拳に闘気を集中させていく。
打撃そのものが効かないとしても、闘気である程度ダメージを与えることができる。
両拳で足を拘束する床を殴ると、その反動のせいか体が宙に浮き、両足も自由になる。
床も砕けており、それを見たハッサンはこの塔は呪文が聞かなくても物理攻撃が通用することを理解した。
だが、だからといって塔を完全に破壊するのは現実的に難しく、それよりもミラルゴ本体を狙うのが建設的だ。
そのミラルゴがどこにいるかさえ分かり、攻撃することができれば勝機がある。
「アモスさん!!」
ハッサンは闘気がまだ残っているうちにアモスを飲み込もうとする壁にこぶしを叩き込む。
壁が砕け、取り込まれかけたアモスは自由の身になる。
「ほら、こいつをやるよ!!」
クリムは何度も床から床へと飛び移りながら、ハッサン達に呪文をかける。
同時に、再び床がハッサン達を取り込もうとしていたが、なぜか飲み込まれなくなっていた。
「即席で作った呪文だが、少なくともこれでしばらくは飲み込まれずに済むはずだ!!!」
「助かったぜ!アモスさんはチャモロとフォーン王を!俺はレックを助ける!!」
「…一体、どうしたら…!」
相手は魔王ではないが、塔を物理法則の多くを無視して操ることのできる魔術師。
レックたちは助かるかもしれないが、ミレーユとバーバラは縛られたままで、自力で脱出することができない。
クリムが唱えた呪文のおかげで、少なくとも飲み込まれることはないようだが、それでもいつまでもつかわからない。
焦りが募る中、ミレーユは果たしてこの変化する塔が真実のものなのかという疑問を浮かべる。
現実にそんなことができたらとんでもないことだが、問題はここが現実世界ではなく、夢の世界であることだ。
夢の世界では現実ではありえないことでも多少なりとも起こることがある。
幸せの国の犠牲者の魂が戻って復活したように。
「…鏡、ラーの鏡を使って!」
「ラーの鏡…まさか!!」
ミレーユの言葉を聞き、何かを察したレックは急いでラーの鏡を出し、それで塔を映す。
塔の光景が移ると同時に鏡から光があふれだし、その光に反応するかのように、ミレーユとバーバラを拘束していたベッドとロープが消えていく。
そして、塔の姿も元に戻っていった。
「全部幻…だったのかよ??」
何事もなかったかのように元に戻る塔にハッサンは戦慄する。
飲み込まれたときの圧迫感や泥のような粘り、そして拳が感じた感触。
あのすべてが幻となると悪い冗談に聞こえてしまう。
「幻を実体化させる…という理屈だな。あのミラルゴって魔術師…相当覚悟をきめてかからないと、逆に餌食にされるぞ」
酒を飲むクリムだが、その目は真剣そのものだ。
夢の世界にも寿命の概念が存在するにもかかわらず、300年以上生きていること、魔物を召喚し、塔を幻で自由自在に変化させる魔力。
そんな力を持った人間に出会ったのは初めてで、それが敵として出会うことになってしまったことは惜しい。
だが、だからといってやられるつもりはない。
自分にもプライドがあり、そしてやらなければならないこともある。
レック達の視線が次の階段に向けられる。
再び不気味な静寂に包まれた空間で、彼らは階段を昇って行った。
「く、くくく!!ラーの鏡も持っている。真実を映し出す、忌まわしい鏡!!」
部屋に戻ってきたミラルゴは両手で顔を隠して机へ向かう。
そして、机にある引出から顔全体を隠すような真っ白な仮面を出し、それで自らの顔を隠した。
水晶玉には階段を上るレック達の姿が映っている。
もう少しでここまでやってくる。
本当はこんな無様な仮面をつけて姿を見せたくないミラルゴだが、もうあの霊薬を作る時間がない。
それ以上に、自分の今の顔をイリカに見せたくない。
そうなるくらいなら、死んだほうがましだ。
「エリックめ…生まれ変わってでもイリカ姫を奪おうというのか?私から…!!」
何より許せないのはエリックの生まれ変わりであるフォーン王だ。
非力なくせに自分の塔に土足で上がり、イリカ姫を奪おうと躍起になっている。
そんな彼が気に入らない。
彼がいる限り、何百年たとうとイリカ姫の笑顔を自分の物にすることができない。
「殺してやる…魂ごと貴様を殺してやる…!」
もはや生まれ変わりすら許さない。
魂を砕く手段は既に知っていて、その武器はあと少しで完成する。
問題はその武器を振るう力だが、それについては何の問題もない。
「神よ…愛の神よ、どうか私に、イリカ姫を守る力をお与えください…」
紫色の小瓶を取り出したミラルゴはその中身を一気に飲み込む。
飲んだ瞬間、体中に激しい痛みが起こり、苦しみ出したミラルゴはビンを落とし、踏み砕く。
「あ、あ、ああ、あ、あああああああ!!!!!!」
気が狂うかもしれないほどの痛みだが、これは霊薬が効いている証拠だとわかっているミラルゴは笑みを浮かべ、痛みを受け入れていく。
部屋の中は彼の叫び声一色となった。