「ここだ…ようやくついたぜ…」
休憩を終え、舗装された一本道を進んだレック達はその奥にある巨大な滝に到達する。
山で湧き出た水がそのまま流れており、済んだ色をした水はその先にある滝から地上まで落ちていく。
アモール並みのきれいな水に魅了されるが、今はそれを見るためにここまで来たのではない。
「なぁ、ホルス王子。ここが終点で間違いないのか?」
「ああ。ここで洗礼の儀式をするってよ」
滝を見ながら、ホルスはあらかじめ聞いていた洗礼の儀式のやり方を思い出す。
まずは服を着たまま水の中に飛び込み、水底にある薄茶色の器を手にする。
そして、その器に滝の水を入れ、自分の血を混ぜて飲み干す。
その後で滝に入り、1分間そこで打たれ、使った器を元の場所に戻す。
これで儀式は終わり、試練を終えたことになる。
ただし、この儀式には一つだけ決まりがある。
滝に打たれる中で何があったかを誰にも言ってはいけないということだ。
過去にホルテンにそのことを尋ねたが、彼も決まりだからという理由で何も答えなかった。
儀式内容だけを見ると、滝に打たれるだけのように見えるが、3つの試練を受けたホルスにはそんな生易しいものとは到底思えなかった。
それに、山の頂上であるためか、気温は低いうえに水も凍るように冷たい。
「けど…雪山の時ほどじゃあねえ!」
意を決したホルスはレーヴァテインを置き、水の中に飛び込む。
突き刺すような冷たさがあちらこちらから感じるが、ホルスは我慢して深く深く潜っていく。
生物のいない、石と砂だけの水底をホルスは注意深く見つめる。
そこには黒々と死体芝刈りな場所に不釣り合いな、薄茶色の木箱が隠れるように置かれていた。
だんだん息苦しくなってきたホルスは石をどかし、木箱を手にして水面へあがっていく。
「プハア!!ハア、ハア、ハア…」
「ホルス王子、大丈夫ですか!?」
体を拭けるように布を持ってきたチャモロだが、ホルスは右手を出して彼を制止させ、左手で採ってきたばかりの木箱をあける。
そこには説明にもあったように、例の器が入っていた。
「よし、これに…」
器を手にしたホルスは急いで水を汲み、平らな石の上にそれを置く。
そして、腰にさしてある護身用のナイフを抜き、キラリと光る刀身をじっと見つめた。
しかし、後ろからの目線が気になり、ナイフを置いた後で振り向いた。
「なんだよ?そんなにこの儀式が気になるのか?」
「ううん、なんだかホルス王子…積極的に動いてるなって思って…」
バーバラのその言葉は今のホルスを見ているレック達全員の気持ちを代弁していた。
試練を受ける前までのホルスははっきり言うと臆病そのものなうえに面倒くさがりで、試練に対して消極的に見えて仕方がなかった。
初代ホルストック王へのコンプレックスやこれまでのふがいない自分への情けなさがそうさせていたのだろう。
しかし、試練を突破したことによって少しは自分に自信がついたのか、動きに違いが出てきていた。
特に第3の試練はホルスの思い付きがなければ突破することができなかったかもしれない。
「ちっ…勘違いすんなよ。さっさと城に帰りたいだけだ」
レック達の視線から、これは軽蔑ではなく単純に感心してくれているのだということはホルスも理解できている。
しかし、そういうのには慣れていないのか、憎まれ口を叩くとナイフで左手を浅く斬る。
水の中にいた時ほどではないが、痛みでホルスは顔をしかめる。
だが、この痛みを我慢し、流れる血を器に入れる。
透明な水が血によってわずかに赤く染まり、チャモロが持っている布を無理やりとったホルスはそれを包帯代わりに左手に巻く。
両手で器を手にしたホルスはわずかに赤く染まったその水を見て、わずかに表情をゆがめる。
誰でも、血が入った飲み物を飲む気にはなれないだろう。
しかし、鼻血を飲んだことがたまにあるホルスはそれと同じだと割り切り、眼を閉じてその水を飲み込んでいく。
呑んでいる水の味はいつも飲んでいるものと同じだが、どことなく不快感を感じる。
いつもとは違い、たっぷりと時間を使って飲み切った。
「ハァ…!ハアハア…」
器を置き、不快感を振り払うように右腕で口元をぬぐう。
そして、ゆっくりと滝へ向かって歩いていく。
「あ、王子大丈夫!?」
わずかにふらついたホルスを見たバーバラは手を貸そうとするが、ハッサンに止められる。
石に躓き、こけてしまったホルスだが、それでもゆっくり起き上がり、滝の前まで歩いた。
ゴウゴウと水が落ちる音が間近から聞こえ、その勢いにひるみそうになるものの、ホルスはその水の中に入る。
頭上から降り注ぐ水が痛く、おまけに鋭い痛みと冷たさを感じる。
だが、1分座ってこの水に耐えることができれば、ようやく試練が終わる。
ガタガタと震える体を抑え、ホルスは振り返ってその場に正座し、眼を閉じる。
「ん…?なんだ…?」
閉じて数秒立つと、落ちてくる水の冷たさを感じなくなり、音も聞こえなくなる。
ゆっくりと目を開けると、そこは真っ暗な空間で、ホルスはその中に立っていた。
服はなぜか乾いていて、腰にはおいてきたはずのレーヴァテインが差してある。
「レーヴァテイン!?なんだよ、今度は…」
(よくぞここまでたどりついた、ホルスよ)
声が聞こえて来て、ホルスの目の前にオレンジ色の炎の人影が現れる。
それは第2の試練の後で休憩していたときに見たものと同じだった。
その姿は徐々に大きくなっていき、形を変えていく。
「な、なんだよ…!?今度は俺に何をやれってんだよ!?」
(シンプルだ…。竜を倒せ。初代ホルストック王が戦ったドラゴン、ストームウィルムだ)
「ストームウィルムだと!?うわあ…!?」
前方から激しい吹雪が起こり、大きく吹き飛ばされたホルスは転がりまわる。
「うう、痛…い…」
痛みに耐えながら、起き上がったホルスは吹雪を起こした張本人をじっと睨む。
姿を変えた影はやがて、真っ白な翼竜へと姿を変えていった。
「竜を倒せって…冗談じゃねえよ!?俺にそんなこと…」
(王はストームウィルムと一人で戦った。そして、そのレーヴァテインで心臓を貫き、葬った…)
「だから、俺は初代ホルストック王じゃあねえんだぞ!?」
これまでの試練はあたかも初代ホルストック王の戦いを追体験するような内容だった。
嫌な予感がしたとはいえ、まさかストームウィルムと戦うところまでやるのは予想外だった。
そして、ホルテンら試練を突破した王族がなぜこのことを秘密にしていたのかも理解できた。
ホルスはレーヴァテインを抜こうとするが、やはり今でも抜くことができない。
(レーヴァテインを抜かん限り、お前は儀式を終わらせることができない)
再びストームウィルムが吹雪を吐く。
起き上がろうとしたホルスだが、再び吹雪を受けることになり、両腕を頭を守り、両足に力を入れて踏ん張る。
だが、できるのは踏ん張ることだけで、前へ進むことができない。
(1人…俺、1人だけなのか…?)
これまでの試練はレック達が一緒に戦ってくれていた。
しかし、この空間では彼らに助けを求めることはできない。
第3の試練と同じように、自分1人でどうにかするしかない。
吹雪がおさまると、ホルスはゆっくりとストームウィルムに向けて接近する。
あくまでホルス自身が測っているにすぎないが、吹雪を放てる時間は20秒程度。
1度目と2度目の時間差はおよそ10秒。
20秒耐えて10秒の間に可能な限り進む。
それがホルスにできる最大限のことだった。
問題はこれから何度も襲ってくるであろう吹雪にあとどれだけ耐えることができるかだ。
「はあはあはあ…」
(前へ進むか、ホルス)
ホルスの予想通り、10秒経過とほぼ同時にストームウィルムは口を開き、吹雪を放った。
1度目、2度目と回数が重なるにつれて、両足に入る力が鈍くなっていくのを感じた。
少しでも気を抜けば吹き飛んでしまい、これまでの歩みが無駄になってしまう。
「あと少し…もう少しだけ前へ…」
自分に言い聞かせるように、つぶやいたホルスは吹雪が収まるまでじっと耐え続けた。
そして、これまでの自分を振り返る。
(思えば、俺ってすんげえ根性なしだったよな…)
何をやっても、何かうまくいかなくなったとたんに諦めてしまう。
それを繰り返し続けて、次第に怠け癖ができてしまった上に、だらしのない王子になってしまった。
兵士や国民にとって、自分は未来のホルストックを導く存在。
それがこんなざまでは、見下されても仕方のないことだ。
それに、逃げたとしても王子としての自分の立場が失われるわけではない。
しかし、今回の試練では逃げ道がなかった。
降りかかる困難を自分と一緒に来て呉れたレック達の力で突破していかなければならなかった。
第1、第2の試練では戦いがあり、戦うことのできないホルスは自分が足手まといになっていることへの後ろめたさを感じていた。
しかし、第3の試練でようやく自分の力が試練突破の大きなきっかけになり、自分にも何かができるという自信につながった。
「へへっ…」
これまでの自分自身、そして今起こっている状況。
こうなると笑うしかなかった。
しかし、あきらめの色はなかった。
そんな彼に応えるかのように、腰のレーヴァテインが光り始める。
「こいつは…」
光がホルスを包み、鋭い冷たさが消えていく。
同時に、何かを感じたホルスはゆっくりとそれの柄を握る。
「よくわからねえけど…今の、俺なら…」
何かの革新を得たホルスはゆっくりとレーヴァテインを抜く。
鞘の中に隠されていた、炎のように輝く刀身の刃が徐々にあらわになっていく。
そして、抜いたレーヴァテインの柄はだんだん元々は自分の体の一部だったかのように馴染んでいき、次第に力が湧いていくような感触がした。
両手でレーヴァテインを握ったホルスストームウィルムに向かって走り出す。
吹雪が利かないことに驚いたのか、ストームウィルムがゴウウ、とうなり声を出す。
走りながら、ホルスはあることを思い出した。
「いいことを思い出したぜ。ストームウィルム、てめーの心臓があるのは…」
ストームウィルムが吹雪を吐くために頭を下してくれたことがホルスにとっては都合がよかった。
剣を鞘に納めると、鼻っ柱に手を付け、頭の上によじ登る。
ホルスがやろうとしていることに気付いたストームウィルムは抵抗するように激しく体を動かすが、ホルスは両手に力を入れ、必死に取りついた状態を維持する。
揺れが収まると、再びストームウィルムの体をよじ登り、背中に到達する。
そこには真っ赤にマグマのように燃えているかのような小さな痣があった。
「ここだぁぁぁぁ!!」
レーヴァテインを抜いたホルスはその痣に刃を突き立てる。
そこからオレンジ色の血が噴き出て、ホルスの顔と手、そして服を汚していく。
強い生命力を持つドラゴンの血であるためか、まるでお湯のような熱さが感じられた。
心臓を貫かれたストームウィルムの悲鳴は静かになっていき、1分も立たずに倒れてしまった。
「はあ、はあ、はあ…」
動かなくなったストームウィルムの背中から離れたホルスは急に感じる疲れでその場に座り込んでしまう。
両手もブルブル震えていて、止めようと思っても体は従ってくれない。
しかし、なぜかそれが今の自分にとっては心地よく思えた。
(見事だ、ホルストックの王子よ)
急に背後から声が聞こえ、振り返るとそこには真っ白なローブで全身を包んだ男が玉座に座っていた。
彼の腰にはレーヴァテインが差してあり、まさかと思い振り返ると、ストームウィルムに刺さったままのはずのレーヴァテインが消えていた。
そして、ストームウィルムの肉体はオレンジ色に炎を出して消滅していった。
「お前は…」
(すべて見させてもらった…。ホルストックの王子として生を受けたお前の戦いを…。よくぞ、試練を潜り抜けた。我が子孫よ)
「我が子孫…ってことは、あんた…」
立ち上がった男はローブを脱ぎ捨てる。
ホルスと同じ色の髪でドラゴンのうろこで作られた鎧姿、そしてうっすらとした髭のある若い青年。
それは若いころの初代ホルストック王そのものだった。
(なぜ私がここにいるのか…と言いたそうな顔だな)
驚きとともに一歩後ろに下がったホルスを見た初代ホルストック王はフッと笑みを浮かべる。
しかし、何百年も前の人間を現実世界ではないとはいえ、実際に目にすると誰でもこうなってしまうだろう。
「当然だろ…死んだ人間が何で…」
(私は最期を迎える前に王家の試練を作った。そして、最後の試練を受けることになるあの滝に自らの魂を残した。今では失われている呪文を使ってだ。すべては…王となり、ホルストックの時代を告げる人間であるかを見極めるために)
「見極める…?そりゃあご苦労なこった。俺はあんたほど立派じゃねえぞ?」
(確かにそうだ。弱虫なうえに女の敵、不真面目で臆病者。これまで試練を受けてきた王族の中ではお前は一番弱い男だ)
初代ホルストック王の容赦のない言葉にホルスはムッとするが、返す言葉がない。
実際、試練を受ける前に逃げ出そうとして、そのために助っ人として一緒に来て呉れたレック達に多大な迷惑をかけることになった。
第3の試練とストームウィルムとの戦いでは自分の力でどうにかなったものの、これはほかの王族もできたことな上に、これが成長のあかしになったとは今のホルスには思えなかった。
(だが、お前は試練の中で弱さを知った。そして、それと向き合う強さを手に入れた。自分の弱さを認め、克服するために戦い続けろ。成長していく姿を見せることで人を引っ張っていけ、未来のホルストック王よ)
「弱さを認めて…克服する…。こんな俺にも、できるんですか…?」
最後にようやく敬語で初代ホルストック王に問いかける。
彼は何も言わず、静かに首を縦に振ると、周囲が光りに包まれた。
「ん…うう…」
鋭い冷たさを感じ、うっすらと目を開けたホルスは透明な水のカーテンの先にあるレック達の姿を目にする。
同時に、服が水を吸ったせいで重たくなっていて、靴の中も水でびしょ濡れになっていた。
だんだん冷たさに耐えられなくなり、ホルスは急いで滝の中から飛び出した。
「ホルス王子!?大丈夫ですか!?」
滝から出てきたホルスの顔を見たチャモロは心配そうに問いかける。
唇が若干青くなっており、肌からも冷たさを感じる。
「ああ、大丈夫…試練は終わったぜ…」
「にしても、すげえな。ガキンチョのくせに10分も滝に耐えるなんてよぉ」
「ハッサン、ガ…ガキンチョは…」
「いいぜ。俺はまだガキンチョだよ」
怒って否定するかと思ったホルスだが、認めたかのような穏やかな口調を見せたことで、びっくりしたバーバラは目をぱちぱちと激しく瞬きする。
夢かと思い、頬をつねったが、痛みを感じたため、これは現実だと認識するしかなかった。
「ホルス王子…滝の中で、何かあったの?」
「悪いな、そいつは教えられねーよ」
「ええーーっ、ちょっとくらいいーじゃない!!王子のケチンボ!!」
文句を言うバーバラを無視して、ホルスは体を拭かれながら滝をじっと見る。
この中で今でもホルストックの未来のために見守り、試練を課し続ける初代ホルストック王に静かに感謝した。