悪夢だった。
これ以上に無いくらいの悪夢だった。
簡単な仕事で終わる筈だったのだ、少女を誘拐するだけの簡単な仕事。 スケジュールを調べあげ、周辺住民の行動すら調べあげた。
予想外だったのは彼女の親友である大企業の一人娘まで攫ってしまった事だが.......まぁ想定内だ。 偶然利用価値のある綺麗な商品が手にはいったと等と気楽に考えていた。
ターゲットには人外染みたボディーガードがついている等という世迷い事を耳にはしていたが。
.......なんだコレは。
本当に人外.......化物ではないか!
壁ごと私の部下を一人吹き飛ばし、飛び込んできたもの。
其処に居たのは人型だった。 不定形であやふやな化物。
大人のように見え、子供のように見え、老人のように見え、赤子のように見え、男の様に女の様に人形の様に見えたりもする。
≪『非殺■設定、並びに認識阻害はフ完全ながら.......なんトか間に合いましtaか』≫
「『はヤく済マせよ、■イジンぐハーto。 ア■サちゃ■をこんナとこに■ガkいさせちャdaめだよ』」
殺意とは違う、何処か違和感を覚えるプレッシャー。
口があるかも定かではない化物が発したノイズ混じりの音は、辛うじてそれが意味のある『言葉』だと、誰かとアレが会話している音だと解る。
「撃て.......撃てぇぇぇぇぇぇぇぇえぇぇぇぇ!!! その化物を殺せぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」
それは誰が叫んだ言葉だったか。
周囲に居る者達か、それとも音を聞き付け駆け付けた者達か.......或いは私自身か。
特定は出来ないがする必要も感じない、何故ならその誰かが言わずとも他の誰かが言ったのは間違い無いのだ。 全員の心を支配していたのは恐怖以外の何物でもなかったのだから。
銃声が響く、拳銃は始め小銃に機関銃、挙げ句の果てには対戦車ロケット擲弾。 必要無いと思っていた過剰な装備が役にたつ。
撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ!!!
アレの後ろにいるターゲットが巻き込まれるであろうことすら無視し、一心不乱に引き金を引きまくる! 依頼達成よりも自身の命だ、仮に依頼の失敗で命を狙われる立場になったとしても知った事か!
あんなモノを放置していれば、自分達はみんな.......!!!
複数の対戦車ロケット擲弾の爆発が、辺りに煙を作り出し前が見えなくなる。 姿は確認出来ないがするまでも無いだろう、無数の弾丸に体を貫かれ爆発で粉々に吹き飛んでいるに違いない。
違いない筈なのだ。
「『ディバインシューター』」
≪『認識阻害展開完了、ディバインスフィア形成』≫
ノイズ混じり音が透き通った声に変わった。
奇妙な桜色の光の球が煙が吹き飛ばす、煙の向こうにいたアレは姿を変えていた。
その姿は先程のようなあやふやなモノではなくハッキリとしたモノへ、桜色に発光する小さなマネキンに可愛らしい服を着せた不気味なモノへと変わっていた。
傷一つ無い、化物は当然のように其処に立っている。 .......無論化物の後ろにいる二人の少女も無傷だ。
誰が信じるだろうか? 今時のホラーゲームの化物だって消し飛ぶ過剰な筈だった火力、化物を殺すにはもう、ミサイルでも持ってくるしかないのではないか。
「『シュート』」
化物の周囲をクルクルと回っていた桜色の光が動きを止める。
.......私に見えたのは、意識があったのは其処までだった。
◆◆◆
≪死者0人、非殺傷設定は正常に機能していますね.......マスター、せめて非殺傷設定を使ってから砲撃して下さい≫
「.......」
≪マスター、聞いていますか?≫
「.......」
周りを見ればアリサちゃん達を連れ去っていた男達はみな倒れていた。 全員胸が少し上下に動き生きているのが解る.......気絶しているのだろう。
コイツらがアリサちゃんを.......そう考えると怒りが再び沸々と沸き上がる。
もっと痛め付けてもよかったかもしれない。
許されるなら■してしまいたい。
そんな、自分でも恐ろしいと思える考えに逆に頭が冷えた。 アリサちゃんが自分のせいでなんて言って悲しむ顔が浮かんだからだ。
構えかけたレイジングハートをゆっくり下ろす。 あとはきっと警察やデビットさんがなんとかしてくれるに違いない、そう思ってアリサちゃんの方を振り返る。
「.......あれ?」
すずかちゃんが横たわっていた、気絶しているのか目は閉じられている。 激しい爆音や銃声が暫くの間響いていたのだ、びっくりして気絶してしまったのかも知れない。
それは問題ではない。 問題はそこではない。
一緒にいる筈のアリサちゃんは.......何処に行った?
「レイジングハートっ!アリサちゃんを―――ッ!?」
≪プロテクション≫
痛みはない、しかし強い衝撃が頭に叩きつけられた。 思わず傾く体、二撃目以降はレイジングハートが張ってくれた障壁のおかげで私の身体まで届く事はない。
頬に感じる液体の感触、手を当てて見れば液体は自分の頭から流れ出ている事が分かった。
水がかかった訳では間違いなく無いだろう、手に付着した液体を目の前に持って来れば色が認識できた。
赤だ、赤い液体、恐らくは血だろう。 レイジングハートの張ってくれた障壁が間に合ったのか、それともかすっただけなのかは解らないが頭の表面部分だけが抉られたのは確かだ。 貫通していたらこうして思考する事も出来やしない。
「血がでてる.......? は.......はは、血が出るって事は殺せる筈だよなぁ!化物め!」
体勢を立て直し声のした方向を睨み付ける。
其処にはアイツがいた、アリサちゃんにのしかかっていたアイツが、私の砲撃で吹き飛ばされたアイツが。 アイツは擦り傷だらけで、右手にある拳銃を私に向け何時でも発泡出来る事をアピールしている。
そして、アイツの左腕には気絶したアリサちゃんが抱えられていた。
「おおっと、近づくなよ? 変な手品も無しだ、まぁ? このガキの頭に風穴開けたいっつうなら話は別だがぁ?」
ニタニタと笑いながらアリサちゃんの額に銃を突き付けるアイツ。
アリサちゃんがコロサレル。
ビキリと何処かで硬い何かに罅が入る音が聞こえた。
◆◆◆
男は幸運だった。
今回の依頼は少女を拉致し、依頼人に渡す事だ。 始め、依頼を聞いた時に男の思考によぎったのはターゲットの少女が可愛ければ犯して仕舞おうという反吐が出そうな歪んだ考えだったのだ。
しかし、依頼人も歪んだ思考の持ち主だったのかそう言う事はするなという命令が真っ先に飛んできたのである。 反発は許されない、仮にも男は裏側の人間だ、命令違反がどういう目に遭うかは実際に目で見て知っているのだ。
男にとって、それは生殺しに近い拷問にも等しかった。
しかし男は幸運だった。
偶然、本当に偶然である。 ターゲットの近くには少女がいたのだ、金の髪をした気の強そうな少女。
男の性癖にぴったりと当てはまる、男にとって最高の愛玩生物.......男に迷いはなかった。
男は予定時間を勝手に早め、わざと
.......この選択が少女の親に居場所を知らせる事になってしまうとも知らずに。
アジトの近くで少女の携帯電話の存在に気付き誰にも悟られず捨てた。 確実な失態を前にしても男は動じず笑みを浮かべている。 肉親の前で犯る、それも良いかもしれないと。
だが、この男は我慢出来る男ではなかった。 否、男はこの少女に対してだけは我慢が利かない。 思考が正しく働かない。
まるでそう運命づけられたように。
桜色の砲撃を食らった時も幸運だった。
男は偶然にも魔力に対して耐性を持っており簡単に気絶しなかった。 ゴロゴロと転がり身体中に擦り傷が出来てしまったが大した問題ではない。
少女を再びこの手で確保できた時も幸運だった。
化物の意識が逸れ、少女達も気絶している、だから簡単に確保が出来た。
幸運だった、幸運だった、幸運だった。
男は少女を人質に化物を脅す。 あとはこの化物にこう言えば良い、少女の命を助けたければ此処で死ねと。
化物は恐らくはこの少女を助ける為に来たのだ、だからこそこの脅しが効く。 こいつは死ぬのだ、依頼など知った事ではない。 自分は桜色の光に包まれて先程死んだ、他の仲間にもそう映っただろう。
男は想像する、妄想する。 暗い完全防音の部屋、首輪を着けた金の少女を犯して冒して侵し尽くす。
徐々に膨れていく身体に不釣り合いな腹に少女がやがて絶望するその様を。
「しね」
人質は選択肢の中では悪くない選択だったろう、普通なら化物は言う事を聞いたかも知れない。
しかし、今の化物は普通の精神状態とはかけ離れていた。
幸運だった、幸運だった、幸運だった。
そう、男は幸運
「ガッ!?」
今抱き抱えている少女とは違う声がした。 化物が少女の声で言葉を発したのだ。
男の顔面にいつの間にか当てられた手。 その手は小さく、子供の手だ。
化物はいつの間にか男に接近し顔を掴み思いっきり地面に叩きつけた。
パン、と乾いた音で弾を発射した拳銃は明後日の方に向いており誰にも命中しないまま男の手を離れていく。 そしてアリサと呼ばれていた少女も男の手から離れる。
一体小さなその身体の何処にそんな力が秘められているのか、化物は男の頭を地面に当てたままガリガリと移動を開始する。 たった十mも無い短い距離だったが男の頭は既に血だらけで派手に血が吹き出していた。
男の喉に
≪マスター! 非殺傷設定並び認識阻害に異常が発生しています! 現在実行中の魔法を停止し認識阻害と非殺傷設定を張り直します!!≫
杖により桜色の光が霧散していく、杖は主の命令には基本的に従うがそれは主の為になる行動だからだ。
そして今『誰かを助ける力が欲しい』という優しい願いからも、『主の為になる行動』からも明らかに逸脱した行動を化物はしている。 杖は解っていたのだ、この男を殺害してしまえば主の将来に大きな汚点を残す事になると。
「.......」
化物は杖を下げた。 思いとどまってくれたのかと杖はひとまず安心して非殺傷設定を張り直しにかかる。
「ディバイン.......」
≪っ!?≫
男の頭から桜色の粒子が溢れ出る。 否、男の頭を掴んだままの化物の腕から粒子が溢れ出た。
杖にはどうすることも出来なかった。
「バスっ―――?」
お腹に来た唐突な衝撃に化物の体が曲がる。桜色の粒子が肉体の異常事態に再び霧散する。 化物が視点を動かせば脚が見えた、腹にめり込む誰かの一本の脚。
吹き飛ばされ壁にぶち当たる化物に蹴り飛ばした本人は追撃を仕掛けようとする。 両手の刃を首に突き立て息の根を止めようと二刀小太刀が迫っていた。
化物はそれを桜色の障壁で防ぎながら新たな敵だと認識する。
「ディバインシューター!」
5つの桜色の光が相手を射殺さんとばかりに高速で敵を追尾する!
普通の人間では目で追う事さえも出来ない光は意図も容易く二刀に切り裂かれ、小さな爆発を起こした。
爆発するのは予想外だったのか、光の小さな爆発に敵は体勢を崩しわずかに動きを止める。
漸く化物は敵の姿を捉えた。
細いが引き締まった筋肉。 青年だろう、顔は一瞬しか見えなかったが老けている様子はない。
青年は二刀小太刀を手に迫る、高速を越えた神速。 とてもではないが今の自分に捉える事は不可能。
点では無理、では面では?
化物は瞬時に思考し一瞬で光を収束させる。 大きな威力はいらない、当たれば勝ちだ。
青年が動き、化物が迎え撃つ!
.......そしてガキンという金属音と共に動きは止まった。
結果的に言えば勝者はいない。 青年の二刀は同じく二刀に止められ、化物の光は驚きで霧散してしまった。
「.......ありがとう、もう良いんだナノハ」
化物の目の前にはよく知った男が立ち塞がっていたからだ。 化物が救おうとしていた少女と同じ金の髪をした男はデビット・バニングス.......少女の父親だった。
そして彼は
―――ああ、私は守れたんだ。
ナノハの心が修復される。 理性を再構築し、感情を鎮静させ、記憶に蓋をする。
もう其処に化物はいなかった。
「アリサ.......ちゃん.......」
デビットの後ろで行われている青年の抗議も、もう彼女には届かない。
精神的、肉体的疲労で気絶する僅かな間.......ナノハは鮫島に救助されているアリサをずっと見ていた。
まるで守れたことが現実かどうかを確かめるようにずうっと.......。
『No.0』