[凍結中]魔弾の王×戦姫×狂戦士×赤い竜   作:ヴェルバーン

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第二話

 狼達は直ぐに去って行った。いっそ憐れみを覚えるほど無様な引き際だが、その心境は良く理解出来る。今まさに、ティグルも同じ心境に襲われているからだ。

 

 

 

 頭上から咆哮が響き渡り、迫り来る影が降り立つと同時に、十二匹の狼達は脇目も降らず逃走した。

──結局三匹が大樹からはなれた、背後の木立に潜んでいたようだ──

 

 

 新たな脅威が飛来し、先程の比ではない恐怖にティグルは身を強張らせながら、飛来した恐怖──赤き竜の一挙手一投足に戦々恐々としていた。

 

 一体幾歳月経てば、これほどの竜になるのかティグルには見当もつかなかった。

 

 全長は……どれ程だろうか?

 正確には判らないが、最低でも三百チェート(三十メートル)は超えているだろう。普通の成竜の倍以上はある。

 翼開長はおそらくそれよりもやや長いだろうと推測でき。

 尾は煮え立つマグマでも詰まって入るかのように、亀裂から赤い光が揺らめいている。

 牙はすべてが鋭く尖っており、その鋭さはまるで一流の鍛治師が鍛え上げたナイフの様だ。

 金色の立派な角と、同色の深い知性を湛えた縦長の竜眼が向ける先は、木々の間の闇の中。

 何かを待っているようだ。

 

 

 

 逃げるなら今と分かっていながらもその見事な巨躯にティグルは眼を奪われた。

此れほどの竜が静かに見つめる先には何がいるのかと一瞬興味を引かれ、気付けば完全に機を逸したティグルは仕方なく樹上の人であり続けた。

 

 赤き竜の金の眼が見詰めるその先には、暗い森の木々しか見えない。然し、竜の眼には何か、或いは誰かが来るのが分かっているようだ。

 三百アルシン(約三百メートル)先から人の顔を見分けられるティグルの眼でも、やはり木々と闇しか見えない。

 一体何が来るのかという好奇心と、機を観て逃げなければ、という焦燥感の狭間でティグルは一杯一杯だった。

 

 額から汗が流れ、それでも竜と竜が向く先を伺っていると、微かな月明かりに照らされて朧気ながら、人影が浮かんで来た。

 

 

 

出てきたのは壮年の男だった。

 

 ボサボサの髪は確実に視界を妨げているだろうに、そんなことは些事と気にした風もなく竜目掛けて歩いている。

 赤い紋様で縁取られた黒い装束を、太い革帯で固定し、両の上腕には内側まで覆う腕甲が月明かりを鈍く反射していた。

 左腰には護拳付きの大剣を携え、その相貌はシワが目立ち始め、無精髭が伸び、左眼は白く濁り隻眼。

 残る右眼には──長い間闘い続けていたのだろう──疲れ以外、何の感情も見えない。男と親しくないティグルにはそれ以外見てとれなかった。

 そして、戦場に余り馴染みのないティグルでも判る程の死臭。

 一体何人殺せば此処までのものになるのだろう、千や二千では効かない筈だ。

 

 戦場帰りの戦士。

 

 そんな血臭と、隙のない男の立ち振舞いが全てを物語っていた。

 

 そんな考察を逃げるタイミングを逸したティグルが続けていると、竜の眼前の三アルシン(三メートル)程手前で男が停止した。

 

 

 

 男は見上げ、竜は見下ろす。

 まるで其所だけ時が止まったかのように、互いを見詰め合い微動だにしない。

 

 ティグルは枯れた大樹の上から固唾を飲んで二人を見守り、懸命に注目を集めないように気を配っていた。

 もしかすると戦闘に発展するんじゃないかという想いは少しだけあったが、二人の眼は敵意を帯びておらず、寧ろ互いを労る様な眼差しが傍目に見ても良く分かった。

 

 そんな視線が交差して数十秒経った頃──ティグルの体感では数分経った様な気がしたが──、漸く二人に動きがあった。

 

──まぁ、このままだんまりという事はないだろうな

 

 ティグルは半ば当然の予想をしていたが。

 

 しかし、ティグルの予想に反して口を開いたのは竜の方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「伝えたいこと、聞きたいことが幾つもあったのだが……」

 

「…………」

 

「そうよな、実際に会ってみれば中々出てこぬものよ。或いはそうした言の葉は無粋なのかもしれぬな」

 

「……、…………」

 

「あぁ、しかし此れだけ言っておかねばな……、カイム」

 

「……?」

 

「我を苦痛の中から救いだしてくれたこと、お主に心から……感謝を」

 

 

 アンヘルはカイムに頭を下げた。それは見ていて、やり慣れていない事が分かる程ぎこちないものだったが、其れを気にするカイムではなかった。

 

 カイムは頭を下げるアンヘルに近寄り、その顔を優しく撫でた。感謝などする必要はないと、そんなことは当然の事だと言うように。武骨な手で、半身に己の温かさを感じられるように。

 

 そうして暫くアンヘルとカイムが触れ合っていると、互いに疑問があったのか色々質問を交わし始めた。

 

──何故生きているのか?

──傷は?

──体調は?

──此処は何処か?

──封印を失ったこの世界は?

 細々とした疑問はあれど、中でもこの五つが気になった。

 しかし、今迄の状況から、二人は現状の完璧な把握は困難と見ており、分かるものから挙げていく。

 

「前の二つは分からぬが、残りの問いには答えてやれそうだ」

 

「…………?」

 

「先ず体調についてだが、我は常と代わりない。封印の負荷の影響も残っていないと言っていい。お主の方も……、問題ないようだな」

 

 アンヘルはカイムを見遣りながら確認し、カイムは頷きを返す。

 

「次に、此処は何処か、という問いだが。上空からみたこの近辺は、我の見知らぬ土地であるとしか言えぬ。おそらく、お主にとっても知らぬ土地の筈だ。いや、此れは最後の質問にも関係してくるのだが……」

 

 そこで初めてアンヘルは言い淀む。常ならばはっきりした物言いをする此の竜にしては珍しい。

 しかし、見知らぬ土地とは些か妙だ。カイムとアンヘルは18年前の戦争時にかなりの土地を巡った。そしてカイムも知らぬ筈と言う。

 アンヘルが封印されていた18年間、カイムはアンヘルの知らないであろう土地にも訪れたことがあるが、それはアンヘルとて分かっている筈。それでもカイムが知らないと判断した理由とは?

 

 最後の問い、封印を失った世界についてだが、カイムでは想像もつかない事が起きているのだろうか。

 

「我は……我らは死んだ。

我は最終封印、我が死ねば世界は滅ぶが、直ぐ様世界が滅ぶというわけではない。しかし、何らかの異常が有っても可笑しくない筈。

だというのに、此れといった異常は……、少なくとも空に上がった限りは感じられぬ」

 

「……」

 

 確かにそれはカイムも感じていた。

 カイムの妹、女神フリアエの死の際には世界には様々な問題が発生し各地がざわめいていたという。それは動物たちも例外ではない。カイムの記憶では、生き物は皆、訳の分からない不安が去来し、騒がしく、落ち着きがなかった筈だ。

 だというのに、この場所に至る迄の道中の動物たちは、常と変わらぬ平常振り。何かおかしいと感じるにはは充分だった。

 

「おそらく、此の世界は我らの世界とは別の、異なる理の世界なのであろうな」

 

 アンヘルは確信が持てない為か、くぐもった声を発しながらカイムにそう告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜が人の言葉を喋ってる。

 

 ティグルは仰天しながらも、なんとか樹上に留まった。

 男は終始無言であるにも関わらず、竜との会話は通じているようだった。竜が話す言葉は朧気ながら聴こえて来るが、はっきりとした内容は分からない。分かるのは、男と竜はかなり親しいということ。二人は、長いこと会っていなかった為に、互いを気遣っているということのみだ。

 それ以上は混乱していているティグルの頭では分からない。

 

 一方のみが声を発して、それでも続いている不思議な会話を盗み見ているティグルは、次第に自分が酷く場違いな事をしているんじゃないかと思えてきた。

 遠来の友との語らいを邪魔する無粋者か、恋人との逢瀬を不埒にも覗く様な出歯亀のような。

 

 これ以上この場に居てはいけないと思うが、何かの拍子に注目を集めその剣と牙が自身に剥かないとも限らない。

 いや、確実に自分の存在に気付いているとは思うが。

 

 

 そんな葛藤を抱いているティグルを、いつの間にか男の碧い眼と竜の金色の眼が、見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話しが途切れた頃を見計らっていたカイムは、先程からずっと不思議に思っていたことを訊ねた。何をと言う迄もない。

 

 アンヘルとカイムを先程から朽ちた巨木に陣取って注視している赤髪の男についてだ。

 

「…………?」

 

「あの人間か?

我は知らぬぞ。というより、まだ居ったのか? 

害にも成りそうにないので放っておいたのだから、逃げるなりすれば良いものを」

 

 アンヘルは男の方にぐるんと頚を向けながらそう言うと、

 

 男の方は見るからに前身が強張っていた。

 

「まあ良い、事のついでだ。あの小僧の話しを聞けば、今の我らの状況がはっきりするかもしれん。…………あまり期待できそうにないが」

 

 アンヘルは見るからに狼狽えている男の方へ、話を聞くため枯れた樹へ向かい始めた。

 カイムも何らかの情報を得る必要性は分かっていたので──人と関わるのは気が進まないが──仕方なく男の方へ歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在ティグルは、樹上の人から竜上の人へと昇華していた。

 

 身を切る様な風が、自身の赤髪と、機能さ、身軽さを優先した狩装束をはためかせる。

 下を見れば黒々とした森が絨毯のように広がっているのが見え、東の地平線上には、ヴォージュ山脈からもうすぐ朝陽が顔を出すのだろう、空が白み始めようとしていた。

 西にはヴォージュ山脈からたなびく陰が自身の領地アルサスに架かる。

 

 何もかもが新鮮な空の景色に感嘆の溜め息が洩れそうになった。

 

「うっ……!」

 

 だが、不意な上昇によって臓器が持ち上がる不快感に、くぐもった声しか出ない。鐙も無い竜の背で、咄嗟に男──カイム──の背を掴んでいた手に力がこもる。

 

「やれやれ、本来なら我の背に跨がって悲鳴など挙げようものなら、容赦なく叩き落としているところだ。

小僧、己の利用価値と我の寛容さに感謝するがいい」

 

 最も本来ならカイムしか背を許さぬがな、と赤い竜──アンヘル──の言は続く。

 おそらく今の上昇はワザとだろう。

 悔しげなティグルの視線にも、この人語を解する竜は何処吹く風だ。

 何で注意しないんだ、とティグルが背を掴み、風避けとしていたカイムの表情を伺うと、前を見続けている変わらぬ無表情。

 慣れっこなのかなとも思うが、それよりも

こんな高所で人をからかうなど、や

人の気も知らないで、と

毒づく言葉が脳裏をよぎる──、がしかし口には出さない。

 

──実際にはカイムはそんなことを戦闘中、一々気にしてられないからなのだが──

 

 

 どうも苦手だ、とティグルは心中呟いた。

 感情を宿さない瞳に、常に無表情で何を考えているのか読めない顔。態度にも何ら自身の言いたいことを込めないので、傍にいて不安に思う。

 声が出せないなら、それらが顕著に表れそうなものだがと、自身の素人考えが浮かび、思わず出た溜め息が風に流れた。

 

 

 何でこんな事に、とこの竜と男を連れて領地に帰る事になったティグルは、冷たい風に身を縮こませながら、後悔し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「小僧、其処で何をしておる?」

 

「…………」

 

 近づいて来た赤い竜の問いに、ティグルは答えを返すことができない。いや、答えることはできる。狼から避難していたのだと言えばいい。

 しかし、今この場に狼は居ない。なら何故こんな処に居続けるのだと、必ず問うて来るだろう。

 まさか馬鹿正直に、「貴方達に興味がありました」等と物見遊山気分で言うわけにもいくまい。もし、機嫌を損ねてその剣と牙が此方に剥いてきたらどうするのか。

 

 ティグルに取れた選択肢は四つ。

「正直に話す」、

「巧い言い訳を思い付く」か、

「黙ったままでいる」最悪、

「そのまま逃げる」か。

 

 無論、最後の逃げるは論外だが、咄嗟に言い訳等を思い付くわけもなく。

 正直に話す踏ん切りに時間が掛かったティグルは、「黙ったままでいる」を選ぶことしか出来なかった。

 

「……何故黙っておる?

何か疚しい事でもあるのか?」

 

「……いや、実は」

 

 結局、一つ目の全てを「正直に話す」を選んだ。嘘を付くのも、黙りこんでいるのも結局機嫌を損ねるだけだと思い至ったのだ。

 死にたくないが、もし襲われて死んでも人として恥じない死に方を。馬鹿な死に様かもしれないが、少しでも良心を咎めない方を選んだ。

 そんなティグルの善良さを感じたのか竜が返した言葉は、

 

 

 

「何だ、唯の間抜けか……」

 

 

 

 酷い言い様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンヘルとカイムは、何故か必死めいた表情をして、弁解じみた男の境遇を訊きながら、凡そ、話しは真実だと判断した。

 

 理由は第一に、アンヘルは逃げる狼を見ていたこと、カイムも狼とすれ違ったこと。

──因みにカイムは襲って来た十二匹の狼を返り討ちにし、そのうち八匹の狼を蹴り殺した──

 

 第二に、自分達を騙す理由がないこと。

 此れは、普通に考えてアンヘルとカイムを騙して得られる利益はないだろうと思ったからだ。

 

 此の世界の価値観は知らないが、例え此の男が追い剥ぎや賊の類いだとしても、カイムの風体は金持ちには見えないだろうし、常人なら近付くのを躊躇う。

 仮にアンヘルの、竜という身体に価値を見出だしてたとしても、此の男一人でアンヘルがどうにかなる相手とは思えない。

 

 話しの内容を聞く限りでは偶々其処に避難し、逃げる機を逸しただけのようである。

 例え此の男が自分達を此の地に呼び寄せた張本人だとしても、男の方から自分達に要求や取引を持ち掛けなかった点が不可解になり、また、偶然自分達を呼んだにしても、直ぐに逃げなかった点が不可解になる。

 

 まあ縦しんば、此れらの推測が事実と反していたと後に判ったとしても、その時はその時、下らない嘘をついたことを死んで後悔するまで報復すれば良いだけのこと。

 

 詰まるところ、此の男の境遇は自分達にとってどうでも良いのである。

 先の問いは、此方の知りたいことを吐かせる為の繋ぎであり、布石ですらない挨拶程度のもの。

 そんな問いに、何を切羽詰まった表情をして話しているのか自分達には分からないが、会話の出来る相手というのが分かれば其れで善し。

 適当に答えを返し、その質問を切り上げ次の質問に移る。

 

「何を呆けている? 問いを続けるぞ、此処はなんという場所だ?」

 

「っ、ああ。此処はアルサス領だ。もう少し東に行けば国境のヴォージュ山脈だ」

 

 アンヘルは呆ける男に訝しげながら問いを続けると、出てくるのは自分達には馴染みのない地名。しかし、半ば予想はできていたので、それほど戸惑うことはない。

 

「フム、次の問いだ。『封印騎士団』、『女神』……少し古いかもしれぬが、『帝国』や『連合』、『天使の教会』……此れらの単語に聞き覚えは?」

 

 赤毛の男は困惑を顔に浮かべながらも、アンヘルの問いに答える。

 

「『女神』という単語で思い当たるのは、風と嵐の女神エリスや大地母神モーシアのことかな? 

他の単語は悪いけど、聞いたことがない。

いや、俺が知らないだけって事も有るかもしれないけど」

 

「そうか、────よく分かった。

次を最後の問いにしようぞ」

 

 五つの単語の内、一つだけしか知らない。その一つも、求める答えとは異なっている。分別のついた人間なら、最初の二つの単語は自分達の世界の一般常識だ。

 推測通り、自分達にとって此の世界は──

 

「最後の問いだ。此処から一番近い人里は何処だ?」

 

 ──異なる世界、さて此れからどうするか──という嘆息をおくびにも出さず、アンヘルは最後の問いを男に投げ掛ける。

 

しかし、不思議な事に男は突然顔を強張らせてアンヘルの問いに問いで返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティグルと人語を話す赤い竜の会話に、隻眼の男は一切入って来なかった。感情の見えないその単眼には、そもそも会話の内容に興味が有るのかさえ定かではない。

 

 話しの内容は、現在地と暗号めいた単語の確認のみ。意図が迂遠過ぎて何だかよく分からないが、竜は注意深く聞いている。もういい加減勘弁して欲しいと思っていたティグルに、漸く最後の問いがやって来た。

 

「最後の問いだ。此処から一番近い人里は何処だ?」

 

 竜も漸く終われると思ったのだろう。気だるげな視線を寄越しながら、ティグルに最後となるであろう問いを投げ掛ける。

 

 しかし、ティグルは質問に答えるのを躊躇した。この二人の目的が定かではない為だ。

 何と言っても、二人の内一方は竜なのだ。

 竜は普段、森や山を棲みかとし、人が目にすることは殆どない。そして出会えば必ずと言っていい程襲われる。

 質問の意図を察するに、竜が近くの村や町に立ち寄る気があるのは明白だ。

 そして、竜が町中に降り立ったら町人が混乱するのは目に見えている。

 

──今現在、自分は襲われていないが、質問が終われば用済みと判断し殺されるかもしれない。たとえ、答えて助かったとしても町の人間が襲われない保証はない──

 

 少なくとも自身の領地である此処アルサスの領地に、この人語を解する竜が領民を襲う可能性を排する事ができない以上、近くの町の場所を教えることはできなかった。

 

「それを聞いてどうするんだ?」

 

「その問いはお主に関係があるのか?」

 

 間髪入れずに竜が問い返す。

 ティグルは竜の言葉を額面通りの意味と取るべきか、「自分達の行動に口出しするな。好奇心は身を滅ぼすぞ、さっさと答えろ」という言外の警告と取るべきか、判断がつかなかった。

 然し、実際にティグルに関係が有るので、言及しない訳にはいかない。

 

「ああ。俺にも関係がある」

 

「フム、どう関係があるのだ?」

 

 竜はティグルの答えが意外だったのだろう、金色の目を僅かに見開いた。──やはり警告だった様だ──冷めた様な視線が、興味深げで舐め回す様な視線に変わる。

 

 そこで漸くティグルは朽ちた大樹から降りて、目の前の赤い竜と隻眼の男の前に立ち、貴族の礼を取って自身の名と素性を二人に告げた。

 

「俺は、ティグルヴルムド=ヴォルン。このブリューヌ王国の伯爵で、ここアルサス領の領主だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男──ティグルヴルムド=ヴォルン──の話しは続く。

 

「近くの町──セレスタは俺の領地だ。俺は自分の領地に竜が降り立って、領民に被害が出る可能性を見過ごすことはできない」

 

「ホウ、お主が此の地の領主か」

 

 アンヘルは愉快げに嗤いながら、ティグルにそう返した。

 今のティグルの格好は、誰が見ても普通の狩人だ。

 こんな真夜中の森で供も連れず、市勢の狩人が着る様な草染めの服に、なめした皮の装束を纏っている者が領主。

 此れが供を連れ、豪奢な装飾や意匠を凝らした狩装束を着込んでいたなら、成る程、貴族が遊猟に来ていると信じたかもしれないが。

 

 しかし、嗤うアンヘルにティグルは毅然とした態度を崩さない。

 アンヘルは嗤いを納め、ティグルを改めて注視した。

 

 確かに、ティグルの顔はよく見れば整った品のある顔立ちをしている。

 領主に、──というより人間の貴族に──余り詳しくないアンヘルは、少なくともそれなりに裕福で、他者に傅かれる生まれにいるのだろう、と

 

そう見て取った。

 

「フム、まさかとは思うが、我が見境無しに人間を襲って喰らう邪竜だ、等と言いたいわけではあるまいな?

其れは要らぬ危惧よ。

我らは唯、静かに生きることを望んでいる。然し、最低限の生活でも必用なものというのはあろう? 

それを求めているのみだ」

 

「でも、町の者は怖がるだろうし、それに、この人は……喋れないんだろう?」

 

 そう言って、ティグルは変わらぬ無表情のカイムを見遣る。

 注意を向けているが、その眼に何の感情の色も映さない。

 

「お主の察しておる通り、此の男は口が利けぬ。代弁できるのは我しか居らぬ。

然し我が『声』を使う故、問題ない。」

 

「『声』?」

 

「此方にはないのか? 思念による言葉の伝達法だ」

 

━━此のようにして意志を伝える積もりだ

 

 いきなり頭の中に響いた『声』に驚いたのだろう、アンヘルはティグルは身動ぎしたのが分かった。

 然しティグルは、まだ納得いっていないようで、

 

「でも、おま……いや、あなたが人を襲わないという保証はないし、それにこの人が町に入っている間に、あなたは町の傍で待っているんだろう?」

 

「当然だ」

 

「それは、やっぱり領民が不安がる。

出来ればそれは止めて欲しい」

 

「ではどうせよと?

我は人間など喰らう悪食な竜ではないし、無闇に人を害する邪竜でもない。

無論、貴様らが先に手を出しておいて静穏を保って居られる程、穏やかな竜でもないがな。

我に此のまま此処で、一生置物の生を過ごせと?

或いは、此の男に一生此の森の隠者で居れと? お主はそう言うのか?

それとも何か?

お主が我の代わりを務めるとでも?」

 

 

 

 

 アンヘルは自分の要求を撥ね付け続けるティグルに、確かな怒りを抱いていた。

 高々人間風情が、自分達の行動を制限する等、思い上がりも甚だしい。

 挙げ句の果てに自分の事をお前呼ばわり。

──殺気込めて睨み付け「あなた」に変更させたが──

 世界は変わっても、所詮人間は人間か、とその愚かさと傲慢さに軽蔑するような皮肉を吐いた。

 

 しかし、アンヘルの浴びせる台詞の何処にティグルの琴線が触れたのか。ティグルは考え込んでいる様だった。

 

 

「……まあ、それしか手段がないなら」

 

「何?」

 

 返答次第では唯では済まさぬ、といった風情のアンヘルだったが、ティグルが発した言葉に当惑の声が洩れた。

 

「というか、それしかないか……」

 

「どういうことだ?」

 

「どうって、俺が貴方の代わりになるってことだよ。

俺はこの人の言いたいは分からないけど、貴方を挟んでならわかるだろう?

確かに、四六時中付き添ってやることは出来ないけど、最初に俺の口から町の皆にこの二人は安全だって説明すれば良いんだ。

それに……」

 

「何だ?」

 

「それに、俺が何を言っても遅かれ早かれ、町には行くんだろう?

なら、領主である俺の言葉があった方が混乱は少ない、だろう?」

 

 アンヘルは、まさかティグルが自分の皮肉を真剣に考えるとは思わなかった。

 些か勢い任せな所はあるが、よくよく考えてみればティグルの提案はそう悪いものではない。寧ろ自分達にとっては好都合だ。

 

然し、ティグルの思惑が見えて来ない。

 

 確かに、ティグルは此の提案によって領地の混乱をある程度は防げるだろう。自分達も普通に施設の利用や手持ちの換金、物の売買ができる筈だ。

 

 だが、当然リスクはある。カイムやアンヘルが問題を起こせばティグルの責任問題となることだ。

 領主であるティグルが自分達の安全性を領民に保証したにも関わらず、(過失、故意を問わず)問題を起こした場合。ティグルが補償や補填、賠償をしなければならない。

 

 そんなリスクを負わずとも、自分達に他の土地へ行ってください、と一言頼めば済む話。

 

 

 ティグル自身には旨みがない。それなのに何故、態々自分から苦労を背負い込む様な真似をするのか。

 

 アンヘルには理解出来なかった。

 

 

「小僧、お主はそれでよいのか?」

 

「それで、って何が?」

 

「我らが問題を起こせば、その大きさにも因るがお主の領民から、お主自身にその責を問う声が必ず上がろう。

 

その覚悟はあるのか?」

 

 

 此れはある種、重要な賭けだった。但し比重はティグルの方が圧倒的に重いが。

 

 此の問いに依って、アンヘルとカイムの存在を重荷に思い前言を翻すなら、アンヘルはティグルを此の場で殺してでもその町に行くのをやめないが、翻さずに覚悟を示すならば、歓んで利用させて貰おうと考えた。

 

 アンヘルが勝てば、ティグルは命を繋ぎ、二人にも利益がある。

 ティグルが勝てば、ティグルの命は無くなり、二人にも利益は無い。

 

 しかし、どちらに転んでもアンヘルとカイムに損はない。

 

 ティグルは知らず自身の命をチップに、アンヘルはティグルの存在による旨みをチップに。

 

 

 この真剣なアンヘルの厳かな問い──ベット──に、ティグルは

 

 

 

 

「まあ、なんとかなるだろう」

 

 

 

 凡そ、能天気としか言えない台詞を返してきた。

 

「それにそういう問い掛けをしてくるってことは、

大体の場合、自分から騒ぎを起こさないものさ」

 

 アンヘルは思わず毒気を抜かれて、ティグルに呆れた様な、馬鹿にした様な溜め息を衝きながら。

 

「楽観的だな、少々不安になってくるが……。

まあ、よかろう」

 

 そう、よいのだ。

 確かに、アンヘルは賭けに勝ったのだから。

例え、覚悟を示した、とは到底言えない返答であったとしても。

 

「此の男の名はカイム。我の名は……アンヘルだ。

では小僧、さっさと乗れ」

 

「え?」

 

「我とて、お主など乗せたくないわ。

然し、お主の存在は我らにとっても有用だ。

もう夜も明ける。

時間も惜しい、我が我慢してやる。

早く乗れ」

 

「ああ! 分かった」

 

 アンヘルは自分の名を教えるの一瞬躊躇ったが、結局教えることにした。

 此れからカイムが世話になるのだし、名がなければ不便かもしれないと判断したからだ。

 そして、いつの間に乗って居たのか、カイムは既にアンヘルの上だ。

 ティグルは慌てて、アンヘルの首元に駆け寄る。

 

 そんなティグルがアンヘルの背に乗るのに手間取っていると、カイムは仕方なく手を差し出しティグルを引き揚げた。

 

「ありがとう」

 

「……」

 

カイムは無表情で一瞥するだけでティグルに関心を示した様子はない。

 

 ティグルが背に乗ったのが分かったアンヘルは、そのまま翼をはためかせ一気に空へ駆け上がった。

 上空を旋回しながらアンヘルはティグルに問う。

 

「人里はどっちだ?」

 

「っ、ここから西の方角だ!」

 

 答えは吃り、大声だった。鐙もない背に不安か、それとも叩きつける風と冷たい空気に困惑か。

 

「行くぞ」

 

 そんなティグルに、アンヘルはお構い無しとばかりに、悠々と朝陽が滲む大空を舞った。

 

 こうして三人は空の人となった。


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