ティグルの日常は、最近少し騒がしく変化していた。
と言っても戦雲が近いブリューヌでは、当たり前の変化だと誰もが判断するだろうが。
変化したと一言で言っても、ティグル自身の朝はあまり変わらず、いつも通り侍女であり妹分でもあるティッタの不断の努力から始まる。
「ティグル様。 朝ですよ、起きていらっしゃいますか」
まずはティグルの寝室の前のドアを叩いて。
「ティグル様! もう朝ですよ! いい加減に起きてください!」
次に部屋に入り、ティグルの傍まで近寄り。
「ティグル様! もういい加減に起きてください! カイムさんも待ってるんですよ!」
さらにティグルの肩を揺すり、敢えて客分であり、同居人でもある男性の名前を出して焦燥感を煽るが。
「……あともう少し……、もう少しだけ……」
と呟き起きない。そんなティグルに業を煮やしたのかティッタは。
「もう! ティグル様! いい加減にしてください!」
肩をひっ掴み、無理やり上半身を起こしてそのまま左右に振る。
ぐわんぐわんと首が左右に揺すられ、漸くティグルの頭が起き出す。
ティグルは欠伸をしながら、ティッタと朝の挨拶を交わす。
「ふぁ~。……おはよう、ティッタ」
そこでティッタは、漸く手を離す。
もしティグルがこのまま起きなければ、もう一度今のをやったのだろう。
「はい。おはようございます、ティグル様。
朝食の用意が出来ていますよ。
今日はお昼から、各村の村長様や商会の方を招いて、糧食や兵士さんの手配についてお話しするんじゃなかったですか?」
ティッタは、今日の予定をティグルに確認しながら、ティグルに水が入った桶を渡す。
ティグルは忘れてはいなかったのだろう、ぼんやりしていた顔を急に真面目ぶった表情に変え、ティッタの発言を制する。
「ティッタ、会合は昼からだ。まだ時間はある。
と言うわけでもう一眠り……」
「もう! ティグル様!」
ティッタの怒号が屋敷に響き渡った。
「もう! 会合自体は昼からですけど、商会の方や村長様達は、もうセレスタに来ているんですからね!
ティグル様が歓待しなくて誰がするんですか!?」
家宝の弓に、先祖代々への礼を欠かさずやり終えたティグルは、階段を降りながらそう発言するティッタに、何も言い返せず無言で一階に降りる。
確かに、その日の内に町に入りそのまま会合、では忙しなさ過ぎる。
当然、各々昨日の内に町に入り、宿をとって今日の会合に臨んでいる。
領主であるティグルに失礼があってはいけないと思い、時間より早く来る者がいてもおかしくはない。
ティッタの至極御最もな発言に、ティグルはぐぅの音も出なかった。
「お待たせしました、カイムさん。
ティグル様がやっと起きてくれました。
朝食を食べましょう」
「……」
ティッタの言葉に、微かに首肯するカイム。
ティグルとティッタの毎朝のやり取りに、もはや完全に慣れていた。
そして朝食が終わり、ティグルは書斎で必要な書類を纏め、誤字が無いかを確認する。
一頻り確認し終わり、来客用の服に着替えて一刻半(三時間)程が経過した頃。
村の村長の一人が屋敷に到着した。
「領主様、ご無沙汰しております。
今日はどうぞよろしくお願いします」
「ああ、早いな。
今日は来てくれてありがとう。
よろしくお願いするのは、こちらこそだ。
今日は無理を聞いてもらうんだからな」
そして全員集まった食堂で昼食を振る舞いながら、各々出せる兵や糧食を試算し、その日の内に決着を見せる。
疲れてクタクタになったティグルは、着替えもせず寝床に横になった。
明日ティッタに散々怒られるんだろうなあ、という考えが頭をよぎるがもう微睡み、日々戦への気配が近付く日常を思いながら、意識を手放すのだった。
それから数週間経った昼下がり、ティグルはカイムやバートランが、練兵する丘に足を運んでいた。
この数週間で変わったことを思い、憂鬱な体現するかのように、その足取りは重い。
セレスタの町からほど遠くない丘の上で、兵士百十人程が調練していた。
集まった人々の表情は様々だ。
ある青年は、カイムの武技に見惚れ。
また、ある近隣の村の老人は槍の腕前が上達したバートランに悔しそうに詰め寄り。
また、ある農夫はカイムの槍捌きに心を奪われ。
また、ある老兵はバートランの指揮に忠実に従い。
また、ある新兵はカイムに弟子入りしたい、と剣を片手に師事を請う。
戦の匂いが漂ってきそうだった。
「よろしくお願いします! ハアァ!」
また若い青年が、カイムに向かって声を張り上げながら槍を繰り出すのを見て、この数週間で変わった、自身を含む周りの変化に溜め息を洩らした。
集まった百十人の内、百人が戦に赴き、残りの十人が程が領地の守備に当たる。
カイムとアンヘルには領地の守備だけをお願いしていた。
カイムが戦場に行けば、当然アンヘルが付いてくるし、それはあまりにも悪目立ちが過ぎる。
なにより、ティグルが望まなかった。
正式な領民ではないし、最初に会ったときアンヘルが「静かに暮らしたい」と言ったのを覚えていたからだ。
しかしカイムは、見知ったバートラン達が、戦場に赴こうとするのに何かを感じたのか、調練にも参加した。
アンヘルはそんなカイムに、若干驚いたようだが特に何も言わず、黙ってカイムを見守りお願いを聞いてくれた。
ティグルも二人に感謝し、ティッタやセレスタをよろしく頼む旨を伝え、問題はないかのように思われたのだが。
問題があるのは、ティッタだった。
ティッタは、カイムとアンヘルも共に戦場に行くと思っていたが、二人はセレスタに残るという。
それを知ったティッタは、当然三人に詰め寄りなんで、どうしてという詰問を抑えられなかった。
最後には納得してくれたが、カイムとアンヘルを見る眼は厳しい。
あんなに強いのにどうして? と、眼が語っていた。
それ以来、屋敷の空気は結構重苦しい。
ティッタはカイムを責める様な、何処か咎める様な視線で見るし、カイムはその視線を気にしていない。
というよりは、歯牙にも掛けていないと言った風情だ。
その態度を感じたティッタが、また視線を険しくする、という悪循環に陥っていた。
自分が戦争から戻れば元に戻るだろうと、楽観的な思考をしていたが、その思考は正しいと思っている。
ティッタは、ティグルが心配で仕方ないようだった。
戦争の話題を出すと事ある毎に、ティグルの身体を気遣い無事に帰って来てください、武勲何て要りませんからと繰り返す。
ティッタの献身に感謝しつつも、これ以上ティッタと二人の関係が悪化しませんように、とブリューヌで信仰されている十の神々の内、九柱に祈る。
そんなことを祈られる神も迷惑だろうが、それでも祈り終えたティグルは、改めて丘の兵士達の方を見遣る。
先程の青年は、とっくにカイムに気絶され、仲間に介抱されながら伸びており、新しい者が今弾き飛ばされていた。
何とか彼らの命を守り、生きて連れて帰らねばと、思い立ちティグルも訓練に加わる。
そうしてティグルの番がやって来た。
弓以外はからっきしなのだが、戦場ではそうも言ってられないだろう、と言うアンヘルの言に、自身の剣の腕を雀の涙程でも上げるべくカイムに挑みかかる。
そして、カイムが大幅に手加減した様子見である剣の一閃を、一合と持たせられず武器ごと吹っ飛ばされ、ティグルの意識は刈り取られた。
そしてその日、ティグルは何度か武器を変えカイムに挑みかかるも、弓以外ではそもそも勝負にすらならなかった。
槍を繰り出せば、若干腰の曲がった老人にも三合と持たず。
斧を振るえば、ふらつきその隙を老齢といっていい老人に簡単に突かれ、一合も武器を打ち合えない。
殴打武器に至っては、簡単にその軌道を読まれ、素手でティグルと同じ年頃の少年に惨敗を喫した。
生きて彼らを連れ帰ると皆を心配するどころか、皆に自分の命を守る事すらできないんじゃないかと、心配される始末だ。
結局、ティグルは「カールレオンの王子に揮えぬ武器無し」とまで称された天才カイムをして、「弓以外の武器を持てば、この領民達にも迷惑がかかる」と無表情に伝えられ、自身のあんまりな惨状に匙を投げられた。
しかしティグルは、カイムを拝み倒して剣の基本的な型だけでも教わり、後の二週間でぼろぼろになりながらも、何とか一般兵の水準程度まで上達する。
──意外にもカイムが、懇切丁寧にティグルに教えたのが一番の要因だが──
だが、カイムは納得していないのか、それを使う様な状況に陥らぬよう充分留意すべしという、有難い訓示をティグルに授け、とうとう出立の日を迎えた。
やっと次から原作軸!
長かった。
切りがいいのでちょっと書き貯めします。少々お待ちを。
そんなに長く待たせません。長くても一週間ぐらいかな。
そして明日はアニメの二話。しっかり観ないと。