これからもどうかお暇つぶしになりますように。
Side 千乃
大きくため息をつく。
昨日・・・新学期初日、私はクラスで自己紹介をした時以外は誰かと話すことがなかった。
まぁ2年生になり新しいクラスとはいえ、やはり知り合いが多く、すでにグループのようなものが出来上がっていたのだろうか。
私はHRが終わっても誰とも話すことなく、下をうつむいてはどうしようかと考えるばかりで結局終わってしまった。
欲を言えば和ちゃんや澪ちゃんともお話ししたかったけど、2人はHRが終わり次第すぐに教室からいなくなってしまった。
私の都合のいいように解釈をさせてもらえるならば、和ちゃんも澪ちゃんも私のほうを少し見ていたように思えた。
特に和ちゃんは声をかけてくれようとさえしていたけれど、きっと生徒会のお仕事が忙しいのだろう。
今日、新入生を対象とした歓迎会が体育館で行われると聞いている。
その細かいスケジュールの調整は、きっと私では処理しきれないものでさすが和ちゃんと唸ってしまう。
そして今日、授業も始まり私は置いて行かれないように授業に集中する。
目が見えなくなってきているのでしっかり耳で覚えなければならない。
一言一句、聞き漏らさないように・・・。
お昼時になり、仲の良い人たちは机を囲んでお弁当を広げている。
遠目に見ていて羨ましく思ってしまう。
基本的に私という人間は、はじめの一歩が弱いのだろう。
軽音部で、よくしてもらっていた反動もあるとは思うのですが、こればかりは性分なのかもしれない。
体が動かなくなってきても、私はできるだけやれることはやりたいと思っている。
その一環として、お弁当作りは日課となっている。
もちろん時間はかなりかかってしまうけれど、その分の達成感はある。
そしてなにより、近い将来、もう満足に動けなくなってしまったらお弁当を作ることもできなくなってしまうから、今のうちにやっておかなければ。
一人で手を合わせて、いただきますと小さい声でつぶやく。
自分で作ったものだから、新しい発見はなく当たり前のお弁当をいただく。
他の人に食べてもらったことなどないから私の料理の腕はどの程度のものなのかわからない。
横目で見れば、周りの人たちは楽しそうにおかず交換をしたりしている。
私が病院にいたとき、したかったことだ・・・と今になって思う。
・・・いや、待った。
私は和ちゃんと唯ちゃんとそういうことはやっている・・・はずだ。
和ちゃんとはパン屋でも似たようなことを・・・。
まさか、忘れていたのか。
嫌な汗が背中を流れる。
これが普通に忘れてしまっていたならいい。
よくはないけど、まだいい。
しかし喪失病だったなら・・・不安はぬぐえない。
さっきまでのお弁当が急に味気なくなった。
まさかこれも喪失病?
周りの声が遠く聞こえる。
だめだだめだ、きっと今は少し憂鬱になっているだけだ。
だから落ちるな。
気のせいなのだから。
心の中で必死につぶやくが、それに反比例して心はどんどん冷たくなっていく。
「ちょっと」
いちごさんがそう声をかけてきたことにより、私の意識は覚醒する。
「顔色悪いけど」
「うぁ・・・えっと・・・」
なんとか返事らしきものは返すけど意味のあるものにはなっていない。
1年生の時、優しく自分のペースで良いと言ってくれたいちごさん。
しかし、昨日苺さんの言った言葉が私は少し怖く感じている。
『それって自虐?』
そういう意味なのか・・・もともといちごさんは誤解されやすい人間であると、信代ちゃんは言っていた。
最近、落ち気味な私が勝手にマイナスにいちごさんの言葉を受け取っているのかもしれない。
けど、確かにあの時、私は怖くなった。
それが引きずっているのか、うまく答えを返せない。
するといちごさんは、目を細めて。
「迷惑、かけないから?」
そう言った。
「・・・えぁっと」
「・・・・・」
会話になっているのかわからない。
満足したのかわからない。
少し、息を吐いて不機嫌そうにいちごさんはお弁当を食べ始めた。
席が隣だから・・・なのかな。
それとも、惨めな私を見るに見かねて隣にいてくれてるのかな・・・。
「そんな目で見ないで」
ちらちらと見ていたのがばれたのか、いちごさんが声を更に低くして言った。
それから私は、すいませんと小さく謝り喋らなくなった。
今日は新入生歓迎会があるので授業は5時間目で終わった。
そして部活に入っている人たちは慌ただしく準備に走り回っている。
いちごさんが声をかけてきた。
「部活、はいってるの?」
どこかぶっきらぼうに。
「いえ、入って、ません」
「なんで?」
「なんで・・・って」
「病気だから?」
「っ・・・!」
そいえば…いちごさんはなかなかずばっという人でした。
「そう・・・です」
「ばかみたい」
本当に、侮蔑の視線を込めて睨んできた。
生前では人と話すことがなかったからもちろん敵意を浴びることはなかった。
この世界でも私は周りの人たちが優しくて恨まれることなんてなかった。
・・・いや、澪ちゃんに怒られたことがあったっけ。
あと、ライブハウスでHTTのデビューした時もブーイングをもらった。
でもそれとは違う。
面と向かって、ここまでの感情をぶつけられたことはない。
そして、経験のない私にできることと言えば、ただこの時が過ぎるまでうつむくことくらいだった。
万が一、私が何かを言い返していちごさんが不快な気分になったらいやだったから。
あと2年で終わってしまう私とは違う。
ここからまだまだ楽しいこと沢山あるいちごさんの邪魔になってはいけない、とも思った。
「あのさ」
何かを言おうとしたいちごさんは、しかし最後まで言い切ることができなかった。
「す、すいません!このクラスに湯宮千乃さんはいますか!?」
中野梓ちゃんが、教室のドアからそう大きな声で言ったから。
私を見て、ため息をついたいちごさんは何も言わず荷物を持って、いつもの速さで歩いて行ってしまった。
どきどきと落ち着かない鼓動を必死に抑えながら、私は息を吸う。
そんな私を見つけてくれたのか、中野さんが私のもとへ走ってきた。
「湯宮お姉さん!」
「あ・・・中野さん」
眩しいとしか形容のしようがない笑顔を私に向ける中野さん。
その笑顔に、ガチガチだった心臓がほぐされた気がした。
「ど、どうした、んですか?」
「すいません、急に押しかけてしまって・・・」
「ううん、だいじょう、ぶですよ」
どこかもじもじとしている中野さん。
かわいいなぁと思う。
「あの・・・今日ってお時間ありますか!?」
体育館へ向かう私と、その隣を上機嫌で歩く中野さん。
跳ねるように歩いており、その都度、2つに結んでいる髪がぴょこぴょこと上下しているのが見ていて和む。
なぜ、中野さんと歩いているのかというと。
「私、ジャズ研にも合唱部にも見学行ったんですけど、どっちも私の目指してる音楽じゃなかったので軽音部の演奏、すごく楽しみにしてるんです!湯宮お姉さんがお勧めしてくれなかったらきっと気づかなかったと思います!ありがとうございます!あ、急にお付き合いしてもらって本当にすいません・・・でも湯宮お姉さんと行けて嬉しいです」
ということである。
中野さんはエネルギッシュであり、行動力があるみたい。
「本当はクラブ活動するよりも入りたいバンドがあるんですけど・・・まだまだ私は力不足なので・・・」
入りたいバンド、その言葉に私はどきりとした。
中野さんがどうして私のことを覚えているのか・・・その答えを私は知らない。
けど・・・もしも私のことを忘れないでいてくれる人がいるなら・・・私は希望にすがってしまう。
肉体的な喪失はふせげないだろうけど、それでも心の中に私という存在を端っこでもいいから住まわせてくれるなら、と。
欲が出てしまうのだ。
まぁそれは今はおいとこう。
もしここでなんで私のことを覚えているの、なんていえば間違いなく警戒されてしまう。
私はもう軽音部ではないけど、初めての後輩になるかもしれないのに、嫌われてしまったら立ち直れない。
「湯宮お姉さんも知ってるかなぁ・・・前、海馬チャンネルでTVに出てたHTTっていうバンドなんですけど・・・」
「・・・はい、知ってます、よ」
「本当ですか!?」
「音楽、好きなんです」
「うわぁ・・・うわぁ!私、あのバンド大好きなんです!大ファンなんです!初めて見たときはマスクかぶっててちょっと不気味だったんですけど今はもうかっこよすぎて直視できないんです!あ、湯宮お姉さんは誰が好きですか!?」
「誰って・・・」
「私は皆さんかっこいいと思ってます!天才タイプのギターも、多彩な音遊びをするキーボードも迫力のあるドラムもクールなベースも!そしてなによりあの綺麗な声!いつかあのバンドに入って私も一緒に音楽を作るのが夢なんです!」
うぅ・・・嬉しい、けど恥ずかしい。
顔を必死にそらす。
にやけてしまうのを必死に隠す。
「な・・・中野さんなら、きっと、なれます」
「本当ですか!?湯宮お姉さんにそう言われると、なんだか本当にそうなるような気がします」
今更ながら。
「お姉さん・・・」
なぜ中野さんは私のことをお姉さんと呼ぶのだろうか。
悪い気はしない。
むしろ妹ができたみたいで嬉しい。
けどもし、年上の人全員をそう呼んでいるのなら、一人舞い上がってしまうのは恥ずかしい。
「あ・・・すいません。私ひとりっ子で・・・中学生の時も部活に先輩はいなかったので・・・湯宮お姉さんが初めての年上で『先輩』で・・・だから、その、お姉さんって呼んでしまいました・・・迷惑ですよね?」
「ううん、そんなことない、ですよ。」
私が初めての先輩・・・やばい。
にやけてしまいますね。
「中野さん、はギター、ですよね?」
「はい!憧れのバンドのギターの人もすごく上手で・・・録画してた海馬チャンネルを何度も見直そうとしてたんですけど、何故か消えてしまってて・・・たぶんお母さんがドラマかなんかを上書き録画しちゃったんだと思うんですけど。初めてお母さんと喧嘩しちゃいました」
ずきりと、心が痛む。
きっと録画していた映像が消えた理由は喪失病のせいだ。
前の世界でもそういうことは身の回りで起きた。
私の病気の進行状況をビデオに撮ろうとしていた研究者は、何度撮っても消える不思議な現象に匙を投げていたから。
もうしわけありません中野さん・・・お母さんとの喧嘩の理由は私のせいです・・・。
「でも、心の中にしっかり焼き付いているので大丈夫です!きっとあの演奏は忘れることができません!」
その言葉に、私の心は温かくなる。
じんわりと喜びの感情がこの胸を覆う。
本当に、なぜ中野さんが覚えてくれているんだろう。
「うわぁ・・・やっぱり人、多いですね・・・」
体育館の入り口を開けると人の多さと熱気に包まれる。
確かに新入生の歓迎会の面も兼ねているのでほとんどの新入生がこの体育館にいる。
それとは別に単にクラブの出し物を見に来た人たちもいるのでその人数はそれなりに多い。
当初、予定されていた人数は大幅に超えているので、椅子が足りず立ち見となっている。
「湯宮お姉さん・・・大丈夫ですか?」
「はい・・・」
優しい子だ。
私が目が悪いと中野さんは知っているから心配をしてくれている。
「ああああの、よかったらその・・・お手を拝借・・・」
最後のほうは自分で何を言っているのだろうと思ったのか、赤面をしている中野さん。
でも、その言葉回しも、赤面してしまう様子もなんだか私を見ているようで和んでしまった。
私はその中野さんの可愛さに頬を緩めながら、差し出された手を握る。
あぁ・・・和ちゃんと紬ちゃんと手をつないだ時のことを思い出すなぁ。
「軽音部は、まだで、しょうか」
「あ・・・えっと実はパンフレットもらってます・・・軽音部は今からです!」
興奮しながら中野さんは言う。
軽音部の音楽。
私のいない軽音部の音楽。
その出来に私は何の不安もない。
いや・・・きっと私を驚かしてくれるはずだ。
だってあの軽音部は、HTTは、プロを目指しているのだから。
きっと中野さんも入りたいと思ってくれるはずだ。
そして、軽音部の正体を今から中野さんは知るはず。
自分の憧れていたバンドだと。
できることなら・・・私も中野さんを喜ばせてあげたかった。
でも、今は無理でも、中野さんがHTTに入って、私も一生懸命頑張って有名になったら・・・その時は共演をするのだ。
その時まで、私のお楽しみは取っておくのだ。
カーテンが上がる。
握られる手から、一層力がこもる。
中野さんの瞳が大きく見開かれる。
皆さん、頑張って。
神様「あずにゃんどんどん出てくるで」