アーマードスーツに対処してからは、ケムリの行動は迅速だった。
物質透過とセンサーでテロリストの位置を把握しつつ、急速接近して無力化する。
このビル内の戦闘において、アイギスの出力を使わなくても、かなりの範囲をカバーすることができた。
「そろそろ行くか……」
そしてしばらく進んで、データ保管殻がかなり近づいたところで、ケムリはテロリストに対処することをやめ、すり抜けて保管殻へとダッシュした。
そうすると、後ろからも挟撃されてしまうことになるので、戦術としては不利になってしまうが、残り15分、瞬間的にデータ保管殻に突入して、急速離脱することはアイギスの能力があれば不可能なことではない。
「追え! あれをデータ保管殻に入れるな!!」
データ保管殻へと走るケムリを、後ろからパワードスーツに身を包んだテロリストたちが10人以上で重機関銃で銃撃しながら追ってくる。
ケムリはそれをアンチフィールドバリアで固定しながら、目の前のテロリストたちを適切に無力化し、あるいはすり抜け、データ保管殻の方向に向かって走り、そしてついにデータ保管殻の見るからに重そうなハッチ状の巨大な扉が目に入った。
「あそこだな。シューター起動」
ケムリが右手の人差し指と中指を立ててそういうと、その先に小さな青い遠距離形プラズマ球が発生した。
データ保管殻の内部に、ハッキングを進めているやつがいるはずだ。そいつを無力化するか、そのメカ系を破壊すれば、この一連のテロは失敗だ。
後ろの大口径ライフル弾に追われながら、右手人差し指に青いプラズマ球を発生させながら、ケムリは丸いハッチをくぐり、データ保管殻に突入した。
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データ保管殻内は、白く、広かった。
天井は6メーター以上もある。
そういう周囲の状況を横目に、ケムリがハッカーを探すと、そいつは部屋の隅にすぐ見つけることができた。
髪がながい、やつれた肌の、無精ひげを生やした男だった。
その男はケムリが突入してきた音を聞くと、ビクンと体を震わせて、はねるように黒にプラズマラインのスーツを着たケムリのほうを向いた。
ケムリは右手の人差し指と中指を男のほうに向けたが、遠距離用のプラズマ球を発射する前に男が口を開くのが目に入った。
「please……」
男の口から出た言葉は、脅迫でも、恫喝でもなく、懇願の言葉だった。
右手を構えるケムリの目にも、とまった男の両手が心臓の鼓動にあわせるようにビクンビクンとはねているのがわかった。
そう英語で口にした男はしばしの空白のあと、思い直したように日本語で続けた。
「頼む。見逃してくれ。ください。このデータが転送されなければ、俺たちの同胞が、国が死ぬ」
男は指をこちらに向けるケムリに対して顔をゆがませて、かすれるような声でさらに言葉を続けた。
「プリーズ、サー……」
「……」
ケムリはそのハッカーの男に青いプラズマのともった右手の指を向けながら、しかし、動けなかった。
その違和感は、突入した時点ですでにあったのだ。
このテロリストたちは、退路を考えていない。データを転送したあとに、無事に逃げ出すような計画を立てていないように思われた。
つまり、自分たちはもとから捨て駒になる気だったのだ。
そして、自分たちの命を投げだすような強い決意を持っている可能性について、ケムリは頭の片隅に放置していた。
だから動けなかった。
男は、ケムリが撃つか撃たないか、それを確認する前に、男の目の前のキーボードの打ち込みを再開した。
そして逡巡するケムリには、保管殻を守る二機のアーマードスーツがそれぞれヒートブレードを振りかぶって殺到しているところだった。
「!?」
轟音をともないながらクロスで迫る赤刃をケムリはすんでのところでかわすと、一旦距離をとり、データ保管殻のハッチから飛び出し、逆方向から殺到する重機関銃の大口径ライフル弾の嵐をアイギスのアンチフィールドで無力化し、保管殻から迫る二機のアーマードスーツから再び距離をとった。
「くそっ、どうする!?」
ケムリは一人毒づいて、重機関銃の援護射撃を受けながらこちらに向かってくる2機のアーマードスーツをにらみつけた。
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すでに時間は残り5分を切っていた。
屋上と地上から突入したウルオス小隊はデータ保管殻まで1/3の地点まで侵入しているようだったが、しかし間に合うかどうかは一か八かだ。
そしてケムリは目の前の2機のアーマードスーツの刃をすんでのところでかわしながら、しかし決心できずにいた。
「くそっ」
さすがにケムリの装着しているアイギスでも、重機関銃の援護射撃を受ける2機のアーマードスーツを殺さずに無力化するのは容易ではない。
悩むケムリのセンサーが、さらに異常を感知した。
クレスト社内部まで突入してきていたウルオス小隊が3小隊とも、このビルから撤退をはじめていたのだ。
「どういうことだ?」
なぜウルオス小隊がすべて撤退するんだ? 今ウルオス小隊が保管殻を目指す以外の行動を起こすのは不可解だ。
仮にデータ転送に間に合わなかったとしても、彼らはテロリストを制圧しなければならないはずなんじゃないのか?
混乱しながら目の前のアーマードスーツに対処するケムリに、女の声で通信が入った。
『こちらサラ=ハースニールだ。ちょうど帰りの輸送機でクレスト=アーバレスト社の上空に到着したよ。時間切れだよ。今すぐその場を離脱しろケムリ』
「おい、まさか……」
ケムリは背筋を凍らせる思いで言いながら、しかし、目の前の2機のアーマードスーツから反転し、元来た廊下を全速力で走った。
走りながら通信した。
「やめろサラ! こっちは僕がやる! だから来るな!」
『時間切れだって言っただろ? もうクレスト社とは話がついてるんだ。早く逃げるか、アンチフィールドを最大出力で展開しておいてよ』
廊下を全力で走りながら叫ぶケムリに、通信機の女の声は、しかし平静な声で続けた。
『逃げ遅れないでよ。“そのビルを破壊する”』
その通信の間にはすでに、ビルの廊下内を全力で走るケムリのはるか上、ビルの屋上のさらに上空、高度4000メートルの輸送機から、一人の女がパラシュートもつけずに、眼下のクレスト社の巨大なビルに向かって飛び降りたところだった。
そしてその女は、自由高速落下の風きり音を耳にしながら、眼下の小さい点のようなクレスト社のビルを見ながら言った。
「サラ=ハースニール。アイギスを起動する」
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一方データ保管殻では、ハッカーの男が、震える指でキーボードを叩いていた。
さっきの少年のことは、すでに男の頭から消えていた。とにかく、このデータ保管殻のデータを祖国に転送すること、それだけが男の頭を埋めていた。
あと1分、いや50秒もかからない。
「はぁっ、はぁっ」
男の口からは、心臓が飛び出しそうで、目の前はかすみ今にも失神しそうだった。
「やめろ! やめろよサラ!!」
データ保管殻外部の廊下では、ケムリがうわごとのように叫びながら、目の前の廊下の横で死んだフリをしているアルバニの足をひとつつかんで、そのままダッシュした。
通信を聞いていたらしいアルバニ3号は、ケムリに足をつかまれながら言った。
『ケムリくん急いで急いで! ケムリ君は無事でもボクは死んじゃうよ!』
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その間にも上空3500メートル地点を高速落下する人型の影が、黒い硬軟外骨殻スーツの足先に固有サイコニクスの黒い斥力球を発生させ、それをウルズリアクターで強化された両足で斥力を発生させながら強力に蹴りつけ、砲弾のように真下にそびえるビルへと加速した。
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クレスト社ビル内の長い廊下をまるで疾風のようにケムリが走っていた。
そろそろアルバニ3号と侵入した74階の窓が見えるはずだ。
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クレスト社ビルの上空では、上空3500メートルから戦車砲のように加速した人型が、アイギスの右手に固有サイコニクスによって重力子の黒い槍を生成しているところだった。
その黒い重力子の槍をつかむと、人型は眼下にすでに2000メートルに迫った巨大なビルに向かって、高速落下する体を弓のようにギリギリと反り返らせ、そして一気にウルズリアクターのエネルギーを流して高速で反転しつつ、右手の重力子の黒い槍を、上空1500メートルから真下の172階のクレスト社のビルに向けて、超音速で“投擲”した。
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「くそっ! 死ぬ!」
『ケムリ君。ダッシュダッシュ!』
自律思考戦車にせかされながら走るケムリの目の前に破壊された窓ガラスが見えた。
「突っ込むぞ!」
ケムリは足をつかまれて廊下にガンガン車体をぶつけるアルバニ3号にそういうと、両足にいっそう力を込め、窓ガラスの破壊された穴に飛び込んだ。
まるで銃身から飛び出す砲弾のようにクレスト社から飛び出したケムリの目にはクレスト社の上空からビルへと黒い槍が突っ込むのが見えた。
次の瞬間、クレスト社の巨大なビルが、上から崩壊した。
まるで巨大な稲妻に打ち抜かれたように、ビルが崩壊し、その崩壊の合間からは赤熱して溶岩化したコンクリと、その間に青い稲妻が走り、その崩壊が瞬時にビルの頂点から、1階部分までを貫き、次に轟音をとどろかせた。
「あの女っ……」
空中に放り出されながら、そう毒づくケムリの目に、次に崩壊して爆発した巨大なビルの瓦礫の山が停止するのが見えた。
放射状に外に広がっていた瓦礫の山々が、その動きをとめ、次にゆっくりと、次第に加速してビル内部に吸い寄せられると、巨大なビルを貫いた黒い槍へと殺到し、そして一瞬に、まるでブラックホールに吸い込まれるように、その瓦礫の山々ごと、天にそびえていたクレスト社の176階の巨大なビルが、丸ごと消滅したのだった。
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ケムリは落下の衝突時の衝撃をアンチ・フィールドで無効化し、アルバニと共にビル外部の庭へとその身を投げ出すと、息をつきながらしばし消滅した、さっきまでビルがあった空間をながめていたが、しばらくして、横手のほうから声がかかるのを聞いて体を起こした。
「一週間ぶりだねケムリ~」
予想外に朗らかな声とともに、ケムリより一回り大きな、しかし細身の体がケムリを抱きしめ、上からケムリの頭をやわらかくウェーブした黒髪がくすぐった。
ケムリを抱きしめた女は整った顔に笑みを浮かべてケムリに話した。
「私はしばらくお前に会えなくてさみしかったんだよ。どう? これからどっかのホテルのロイヤルスイートにでもしけこまない?」
「しけこまねぇよ。ていうか高校生を誘うなよ」
「相変わらず固いなぁケムリは、一度私と寝たら、私なしじゃいられない体にしてあげるんだけどなぁ」
「黙れよエロ女。ってそうじゃないよ。何したんだよお前は」
「えっ? 何が?」
「何がって、“これ”だよ」
ケムリがスーツごしに頭をうめられた女の両乳の間から顔を出して顔を向けた先には、先ほどまで巨大なビルがあり、今では1階部分が申し訳程度に残っただけの空間があった。
非難めいた口調のケムリに、サラはしかしあっけらかんとした口調で答えた。
「何って、別に説明するほどのことじゃないと思うけどな。上空から斥力加速して、重力子槍を上空からビルに向かって……」
「そうじゃないよ!」
「うん?」
サラの言葉をさえぎったケムリはさらに非難の色を強めた。
「あのビルの中にはまだ人がいたんだぞ? それを……」
「ああ、自分たちが死んだことも気づかず、楽に逝っただろうね」
「そうじゃねぇよ。なんで……」
「お前のせいだよ。ケムリ」
「え?」
その言葉にポカンとするケムリに、サラはケムリの肩に手をまわしたまま続けた。
「お前が判断を間違えたから、私が出る必要があったんだ。お前がテロリスト達を速やかに殺していれば、少なくとも、それ以外のやつらは死なずにすんだ。でもお前が躊躇して、手を下さなかった。その時点でテロリスト鎮圧の成功率は5分5分、ダハクはそんなあいまいな確率に賭けたりはしない。だから成功確率99%以上のこちらの方法に切り替えたんだ」
「だからって……」
「だからだよ。私たちの任務は、あのビルの何百倍も重要なデータを守ることだった。そのデータは消滅しちゃったけどね。まぁバックアップはあるらしいけどさ。誰も殺さずに事態を収めようとしたお前の間違った判断がこの結果を招いたんだよ」
「お前はよく平気でいられるよな」
「慣れだよ、ケムリ。一月も戦場で生きれば、“そういう感覚”は麻痺してくるものなんだよ。それでもお前の心が痛むなら、私が慰めてやるからさ」
「いや、それはいいって言ってるだろ! 顔を近づけるな!」
『あの~、盛り上がってるところ悪いんですけど、“お客さん”のようですよ』
抱きつこうとするサラと振りほどこうとするケムリの横で、アルバニ3号が言うと、それに気づいたサラが顔を上げた。
「動くな! 動けば射殺する!」
ケムリとサラにいくつもの銃口を向けているのは、ケムリがビルに到着したときに会った警察庁の警官たちだった。
そしてその先頭でくだんの監察官がケムリたちにそう宣言したところだった。
「貴様等、ずいぶんと好き勝手やってくれたな。この私の管轄で……」
「うん?」
監察官を先頭に、警察官たちもケムリとサラに銃口を向けていたがサラが顔を上げると、警察官たちが一斉にたじろいだ。
「もしかして、新しく配属された監察官かな?」
「そのとおりだ。運が悪かったな、この落とし前は高くつくぞ」
「そいつは理不尽な話じゃないか。テッサから、話は事前に通してあるということだったんだけどな?」
「現場は承諾していなかった。最終的な決定は現場が下すものだ! 見てみろ! これがどれほどの被害か理解しているのか!?」
「クレスト社からは、データ保管殻の“もの”はこのビルの数百倍の価値があるってことで了承されてるって、連絡を受けてるだろ?」
「そんなことは関係がないことだ! そもそも、貴様等のわけのわからん兵器になぞ頼らんでも警察庁のウルオス小隊が効率的に……」
監察官とサラが押収していると、監察官のそばの彼の部下が耳打ちした。
「新堂監察官。こいつはサラ=ハースニール、功殻13課の“死神”です! あまり刺激しては……」
「何を言っている? 私は警察庁の威信を……」
部下の進言に監察官が反論しようとした矢先、異変が起きた。
「は?」
気の抜けた風にそう言った監察官の視界には、先ほどまで自分が立っていた地面が映っていた。
いつの間にか、その監察官は地面に倒れていたのだ。
そして、起き上がろうと体を動かしてみたが、体が動かなかった。
監察官が混乱しながら頭をわずかに動かして上を見上げると、サラ=ハースニールが冷たい目で監察官を見下ろしていた。
「どうしたんだい新堂監察官? いきなり地面につっぷして、まるでお前のまわりの“重力だけ6倍に”でもなったみたいじゃないか?」
「お、お前がやったのか!? はなせ!!」
「どうかなぁ。私のアイギスはわけのわからん兵器だからね。もしかしたら偶然かもしれないよ。運が悪かったね、たまたまお前の立ってる場所の重力が強くなってしまったんだろう」
「き、貴様っ……!」
「“重い”だろ? 新堂監察官。重力6倍ってことは、体に自重の5倍のものが乗っているようなものだからね。お前なら300キロくらいか」
地面にはりつけになっている監察官にサラが言葉を続けた。
「部外者と話すわけじゃないんだ。警察庁の監察総監に許可をとった時点で、お前の権限が及ぶところじゃないんだよ。そもそも、最初からお前が攻殻課と連携してればもっと速やかにことが進んだことを棚に上げて言えたことか?」
「だ、誰がお前らのようなっ……」
「人間の体って、意外と重力に耐えられないんだよなぁ。7倍、8倍……」
サラがそう口にするにつれて、地面にはりつけられた監察官の体がミシミシと地面に吸いつけられた。
「ぐぁぁぁぁっ……」
「それで? 指揮系統の権限として問題がない点については何かあるかな?」
「わ、わかった! 不問にする! 今回は特別に貴様等の責任は問わないでおく!」
「責任を問わない? 違うな」
「がぁぁぁぁぁっ!」
サラがさらに重力を10倍まで強化すると、監察官がしぼるようなうめき声を上げた。
「私が求めるとすれば、謝罪だよ。あまりわずらわさないでくれるかな?」
「わ、わかった! 謝罪する! 指揮系統については問題がなかった! 上には、そう報告しておく!」
「はぁ、まぁいいか」
ため息をついてそういうと、監察官の周りを覆っていた重力場が解除され、監察官はその場につっぷして彼の部下が急いでかけよった。
13課の死神は、彼らに興味を失うと、そばでむっつり押し黙っていたケムリに向かっていった。
「さぁケムリ。現場でのすり合わせはすんだってことで、二人の愛の巣に帰ろうよ」
にこやかにそういうサラに向かって、むっつりと押し黙っていたケムリは反論するように言った。
「なにが愛の巣だよ、攻殻13課本部だろうが。僕にとっては魔界だよ」