これほどの強敵との一対一での戦いを、アネラスは経験したことがなかった。
目の前に迫る、鋭利な斧槍。アネラスは辛くも回避して、何とかこちらの斬撃を当てようと赤獅子の隙を狙う。
「舐めるなよ、小娘があ!」
「それは、こっちの台詞!」
袈裟掛けに振るう、防がれる。蹴りを見舞う、躱される。穂先で突かれる、いなす。斧頭が顔に向かう、正面に剣をおき必死に受け止める。
ジンやトヴァルが目的や意志の探り合いをしている一方、赤獅子は完全に命を刈り取るつもりで来ていた。得物を振るう様も、苛烈の一言に尽きる。
リベールの人間に、猟兵との縁は少ない。経験しているのはカシウスやクルツなどが精々だった。そもそもここ数カ月の事件を除いては、百日戦役以降リベールは平和な国だったのだ。若手遊撃士に人の意志で人命が脅かされることは、他国と比べると限りなく少なかった。
そして最近のクーデター。むしろ、カイトの方がアネラスより強敵の殺意を経験しているほどだ。
奇襲と追走による疲労を考えるとアネラスの機動力が勝っている。しかし殺意と不殺による勢いの差、そして命を懸けた戦いの有無が、アネラスの勝利を遠ざけている。それに、頼りにしていたカイトの援護もない。
「とっとと、死ねぁあ!」
「させないよ!」
現状ほぼ互角。
アネラスの繊細な剣が、鎧の隙間を閃く。鎧が崩れる。
けれど、赤獅子も一つの猟兵団の副団長。その程度で勢いはそがれない。
赤獅子は袈裟掛けに斧槍を振るった。それをアネラスは避け、逃さず地面すれすれからの振り上げで追撃――しようとしたところで、斧槍の突起に邪魔された。
「おらぁ!」
怯んだところを赤獅子の足が襲う。まともに腹部に受けた。一アージュほど、少女の体が跳ぶ。
すぐさま追撃してきた。転んだところを、魔人のごとく斬りかかる。
これは回避できた。こちらが反撃。両者の斬撃は拮抗し、鍔迫り合った。
反撃という状況の分アネラスの方が押していた。しかし元の体つきが違う。結果的に、双方が全力を持ってこの状況を維持することになる。
「いい加減……もう止めて!」
「ああ!?」
「殺し合いなんて、最低だよっ!」
剣と斧槍が弾ける。両者は一度距離をとった。
「一々、御託を並べてんじゃねえよ。俺がお前を殺す……それはもう決まったことだ」
「復讐する理由は理解したつもり。でも納得は出来ない。どっちが悪いか分かってるの!?」
「世間一般からみりゃ……そりゃ俺たちが悪いだろうな」
「なら何で!?」
「理由が必要なのか?」
言葉に詰まる。
そもそも猟兵に自分たちの価値観を問うこと自体が、あまり意味のある事とは思えないが。
「猟兵にも色々とあるがな。細々と与えられる任務をこなす者。大規模な戦闘部隊を持って、国家レベルの争いに介入する者。ある組織のお抱え猟兵だっている」
ジェスター猟兵団は、一見普通にいくつかの伝手から仕事を受ける猟兵団だった。しかし、赤獅子だけは、自分が何者かの傀儡であることに気づいていた。ジェスター猟兵団全体が、見えない何かによって動かされていることに気づいていた。
怪しいと直感したのは、他の猟兵団の伝手で来たという銀髪の男が来た時だった。もう何年前になるか、どこからともなくやって来た戦闘講師。あの修羅ともとれる剣技は凄まじいの一言だが、自分の家に土足で踏み込まれた気がしてならなかった。
あの時からだ、団長の地位まで上り詰めこの団をもっと自由な猟兵団にしてみせると決めたのは。
「子供の頃。気づいた時には銃を握り、そしてジェスターにいた。自分の意志で動いているように見えて、その実いつも誰かに利用されるだけだった。遊撃士襲撃の時も、団壊滅の時も、そして今も……」
そして目標は絶たれた。
発端は遊撃士襲撃を依頼した何者か。それは、結局のところ分からず終いだった。
もう疲れていた。どれだけ忠実に遊撃士を撹乱したとしても、まるで予定調和のようにカシウス・ブライトに蹂躙されたのだ。
笑わずにはいられなかった。滑稽すぎた、自分の一生に。
だから抗ってやる。様々な者に、正義に、体制に、思想に。復讐の相手がカシウス・ブライトか、遊撃士か、それとも利用された何者か。そんなことはどうでもよかった。
「判るか? 最後の最後ぐらい、俺は利用されることを自分で選んでやった。だから最後も、俺の意志でお前を殺す! それが俺の、この世への抗い方だ!」
だからこそ、小娘。お前は、最後の最後まで遊撃士の正義に殉じてみせろ。
「さあ。復讐をさせないというのなら、殺してでも止めてみろ! 剣を持って!」
赤獅子が、再びアネラスに迫る。
アネラスは一語一句漏らさず、赤獅子の言葉を聞いていた。
色々思うことはある。だが一番の感情は、怒りだった。
赤獅子が迫る。アネラスを亡き者にしようと、斧槍を大振りに振ってくる。
その刹那、アネラスが消えた。
「そんなことはさせない」
声は後ろから聞こえた。遅れて、自分の脇腹に傷ができていることに気づく。
一方のアネラスは、自分が成した行動に驚きを顕わにしていた。
剣聖や祖父程でない。むしろ不完全だが、今自分は八葉一刀流、『紅葉切り』を放った。
怒りが一つの決意を固めた。その決意が、まだまだ自分が八葉の剣士として成長できることを教えてくれる。
「復讐なんてさせないよ。それに、私は絶対に殺しなんてしない」
少なくとも私は猟兵のことを知らない。恐らく、この大陸の闇も知らない。だから他人の意志に対して何かを言うことは出来ない。
でも、自分の意志を貫くことは出来る。その意志を貫くことで、判り合えないと思う誰かと判り合うこともできるかもしれない。
「私は、守るために剣を持ったの。だから、剣を、斧槍を、殺しの道具になんて使わせない」
剣を持って、遊撃士の正義を貫く。剣を持って、守りたいものを守って見せる。
「八葉一刀流、アネラス・エルフィード。参る!!」
アネラスが自分から突っ込む。斧槍と剣が衝突。剣を翻してすぐさま体当たり。同時に蹴り。
腕力とそこから得物に伝える破壊力こそ圧倒的に赤獅子が上だ。しかしアネラスは華麗な体捌きで攻撃を避け、赤獅子に勝る苛烈な勢いで攻め続ける。
素の実力は相手が上、しかし総合的には互角。やってやれない相手ではない。
捻じりこむような剣の突き、赤獅子の髪を切り裂いた。
「くぅ!」
切り刻むような八葉滅殺。疲労も相まって、赤獅子の膝が揺れた。
「私はっ!」
体を捻じり、肩から手首までの関節に力を伝える。剣風閃、高速の剣戟で生まれた真空が刃となって赤獅子を襲った。
「負けないっ!」
ジンのように、帝国での事件に誰かを重ねたわけでもない。トヴァルのように帝国の遊撃士としての意地を持つ訳でもない。カイトのように、自分が抱く負の感情と決別しようとしているわけでもない。
それでも負けられない。遊撃士として、先輩として、何よりアネラス・エルフィードとして。
その意志と想いが、辛くも少女の刃を赤獅子に届かせた。
今まで森を騒がせていた激しい衝突ではなく、太刀が斧槍を弾き飛ばした乾いた残響が響いた。
アネラスは太刀を振り上げたまま。赤獅子はそこにあった斧槍を振り下ろした姿勢のまま。
彼らのそば、アネラスの後ろの地面に、斧槍が突き刺さった。
「まだまだぁ!」
素手となっても猟兵は向かってくる。どれだけ痛めつけても、意識がある限りこの男は止まらない。
意識を飛ばして、それでも命を奪わない。それをするため、こちらの痛手は覚悟する。
「はぁぁああ――」
素人に毛が生えた程度の、しかし力の限りの殴打。アネラスは、痛みに顔を歪める。それでも、剣に闘気を込めることだけは止めなかった。
「せいぁあっ!!」
鉄鉱山でも放った光破斬。その力を振りかぶらず。直接赤獅子に当てるのだ。
「さあ、来い!!」
再びの赤獅子の攻撃。それを掠めながら、アネラスは赤獅子の胸元に剣の平を叩きつけた。
膨張、拡散、破裂する琥珀のエネルギー。爆発は赤獅子のみならずアネラス本人も巻き込んで、両者を正反対の方向へ吹き飛ばした。
「いてて……」
飛ばされた後、アネラスは緩慢な動作で立ちあがる。自分が受けたのは爆風だけだが、それでも相当な威力だった。
叫びながら放ったせいで、喉も少しばかり痛い。おまけに木にぶつかったせいで背中が痛いし、今更戦闘で受けた傷が存在を訴えてくる。
一応動ける。戦闘もできる。しかしもう一度赤獅子と戦えと言われれば、それは勘弁願いたい。
「……さて、どうかな」
気を落ち着けて、ほぅっと息を吐く。赤獅子に近づいたが、反応はない。
太刀を構える。その切っ先を赤獅子の喉元に突き付けた。それでも反応しない。
呼吸を確認。静かだが、腹部は上下に動いている。気絶しているだけのようだ。
「よかった……」
殺すことなく、無力化する。少々無茶が過ぎたが、屈強な体格を持つ赤獅子にはこれでちょうどよかったらしい。
「……」
元から用意していた縄やその場に転がる木のツルで赤獅子を拘束しながら、考えた。
帝国の情勢、帝国遊撃士の情勢、そして猟兵の生き方。全てが知らないことだらけだった。自分が知らない世界があった。
それでも、自分はこの強敵を下して見せた。自分の意志をもって。
これから先同じような窮地が自分に襲い掛かっても、きっと自分は自信を持って戦える。
「よかった。赤獅子に勝って、カイト君を守れて、ジンさんたちと肩を張れて」
赤獅子を拘束した。しばらくすれば目を覚ますだろうが、これで簡単には動けないだろう。
勝利を噛み締めたその時、森の奥から爆音が響き渡った。
「――!」
驚いて、周囲を見渡す。
アネラスは、軽く自分の頬を叩く。
惚けている場合ではない。まだ戦いが終わっているとは限らないのだ。それにジンやトヴァルはともかく、カイトは謎の仮面の男に襲われている。
「守りきれた、なんて言ってる場合じゃない。早く行かないと……」
カイトがどこにいるかは判らない。あの爆音はトヴァルやジン、それに仮面の男でも生み出せそうだ。
一先ず、アネラスは音がした方角へ向かうことにした。
――――
例えば、ヨシュアは双剣の使い手である。アガットのような一撃な重さはないと言え、圧倒的速度をともなった連撃は多くの人間や魔獣を制圧してきた。
しかし、仮面の男――Cの太刀筋は違った。
剣閃が放たれる。剣閃が翻る。また剣閃が放たれる。
避ける暇もない。一撃を避けたと思ったら、巧みに双刃剣を操って二撃目。重い連撃が、途切れることなくカイトを狙ってくる。優雅かつ苛烈な体捌きと圧倒的な刃の質量は、カイトに反撃の隙を全く与えなかった。
また一撃。腕の手甲が弾かれ、カイト自身も容易に吹き飛ばされる。
「くっ……」
赤獅子と同様にカイトも戦場を走り回っていた。そのせいか、早くも疲労の色が出始めているのだ。
「どうした? この程度で終わりか?」
対するCは、流れるような連撃だからか全く息を切らしていない。元々顔を隠しているからというのはあるが。
苦し紛れに、そのことを小突いてみる。
「そんなこと言って、実は行きも絶え絶えなんじゃないのか? ほら、顔を見せてみろよ」
「フフ……少々、人見知りでね。そう簡単に仮面は外せない」
「そんなこと言って、意外とオレの知っている人とか。他の奴らは仮面なんてしてないし」
「中々いい推理だ。しかし、理由が単純すぎるのが難点だな」
再び突進してくる。紙一重でそれを避けて、続けてくる膝蹴りも何とか躱せた。
いくら弱っちくたって、修羅場を潜ってないわけじゃないんだ。
「舐めるなぁっ!」
距離をとりつつ放った弾丸は、避けられ、いなされ、双刃剣に遮られる。
今までは銃を撃つ暇さえなかったが、やっと三連弾を撃てた。
喜びも束の間、さらに早く距離を詰められる。
「ちょ、ま――」
再三の殴打がまたも直撃。強い威力の拳が顔面にヒットし、カイトの視界がぐらついた。
「ぐっ!?」
もう完全に遊ばれているような、サンドバック状態だ。
「このまま嬲られるのが趣味かな?」
そんなわけないだろこの野郎。
仮にも正体不明の敵と戦っているくせに、意外と呑気な感想が顔を覗かせる。
全力のアガットと戦ってもこうはならない。間違いなくジンと渡り合える実力者。いや、もしかしたらそれ以上。本気を出させたらどれほどの実力となるのか。
現状、どうしたって勝てる気がしない。
「さあ、戦いを続けるとしようかっ」
ヨシュアの双連撃のような十字の斬撃。二撃を受け、カイトの両脚の脛当てが宙に舞った。
「しま――」
さらに追撃。カイトの左腕に血の線が走った。衝撃で体が浮き、地面に落ちる。瞬間体を回転、上を向いたところで体を跳ね起こそうとしたが、瞬間顔の横に双刃剣の片刃が突き刺さった。
「つまらないな。やはり、この程度で終わりなのか?」
自分を跨いで仁王立つ様はマウントポジションに近く、一息で首も跳ねられそうで全身から汗が噴き出る。そのまま男の急所を蹴り上げてやりたい気もするが、それを決行する瞬間には自分の視界がはるか向こうまで跳びそうな予感がした。
せめてもの抵抗にと右手の銃口はCに向けられているが、それもささやかな抵抗にしかならないだろう。
「どう、して、こんなことをするんだ。殺すでもなく見逃すでもなく……」
「それでいて痛めつけるのは何故か、ということか?」
遊撃士に対し、何かしらの恨みや意図があって殺すこともしない襲撃を繰り返す。納得のいかないものはありつつも、またこの襲撃自体が目的なのかそれとも手段の一つなのかは判らなくとも、そういった流れがあることは認識している。
「何か、並々ならない目的はあるんだろう。少なくとも赤獅子には、俺たちを殺すっていう意志が見て取れたよ」
だが目の前の男には。そして未だカイトが目にしない、魔獣を操る謎の人物には、明確な意志が見えなかった。まだ、遊撃士たちが知りえない真実があるのだ。
「それを聞いてもいないのに、納得して実力なんで出せるわけないだろっ」
「確かにな。ではそういうことにしておこう。正体不明な相手では武装解除をして真意を聞き出さねばならない、それが理由で本気を出しきれていないと」
地に刺さっていた片刃が抜かれ、Cは緩慢な動作でこちらに背を向け距離をとる。こちらが不意を突こうと逃げ出そうと、必ず対応できるという心の裏返しだ。子供の駄々を許すような台詞と合わさって、こちらの心を抉ってくる。
「確かにルールを伝えないのは、この遊戯盤での勝負では不公平だったな」
「遊戯盤?」
五アージュ程、決闘のような距離感を保ってCは振り返った。カイトも双銃を構える。外れた脛当てを回収したかったが、さすがにそれは許してくれなさそうだった。
「そう、遊戯盤だ」
遊戯盤。カジノにもあるような娯楽を行うための盤のことなどだが、急に話が反れたのは何故だ。
そう考えたが、返ってきたのは至って真面目な声色だった。
「この戦いも、遊撃士の奮闘も、猟兵の復讐も、全てはゲームだ。彼の敵が定めた、一つの盤上の一手に他ならない」
「なっ」
何を言っている。仮にも命懸けの戦いを、遊戯盤などという遊びで済ませてたまるか。
「そんなことがあってたまるか! 遊撃士は人民保護、支える籠手の信念を持って動いてる! 猟兵だってとても納得できないけど……それでも戦う理由がある! 庭先で遊んでるような感覚な訳がないだろう!?」
「確かに遊びではないが、それでも一つの勝負であることに変わりはない」
「ふざけるな、殺し合いにルールも何もない!」
突如、Cが双刃剣を振り切った。飛ぶ斬撃が紫閃となってカイトの近くを切り刻む。
遅れて気づく。Cから溢れ出る殺気が、かつての怪盗紳士に勝るほどのものであることを。
「あるのだよ、カイト・レグメント。遊戯盤はすなわち世界、だとすればルールはすなわちこの世の理だ。そして対戦者は、その場所と理という制約の中で互いの存在をかけて戦うだけに過ぎない」
並大抵の人間が出せるような殺気じゃない。冷や汗が止まらない。Cが近づいてくる。
「貴様に判るか? その意味が」
何とか防御をと身構えるのと同時、Cが動いた。
最初の一発。袈裟懸けの大きな一閃で重心を崩され、両手が無様に空を泳いだ。
「ぐっ!」
「全ては駒に過ぎない。
二撃目。がら空きの胸に双刃剣の柄を押し込まれ、転ぶと共に嗚咽が襲った。
「
今度は肩口に正拳突きを食らう。衝撃は少年を宙に浮かせ、さらに頭まで響いて視界をぐらつかせた。
「
わずかな抵抗に、少年は銃弾を二発放った。揺れる視界の中、一つは幸運にもCの仮面に衝突したが、それでも勢いは止まらない。
「
体ごと回転させた水平斬り。回復する隙さえなかったカイトの左腕を、再び深く抉る。
折れそうになる膝に力をいれる。逃げる暇もなく流麗な体術を食らう。両手の双銃が宙を舞った。
何も抵抗できず、カイトはCを睨むことしかできなかった。
「何より
Cは双刃剣を左手に持ち、その肩を後ろに引き絞った。仮面の奥の瞳は見えなくてもきっと灼熱のように盛っている、そう直感した。
「
光速の突きが放たれる。捻りながら襲いかかる歪な大槍は左脇に襲いかかり、少年を十アージュも吹き飛ばした。
木の枝に衝突して裂傷を作り、最後には地面に衝突して意識を失いかける。
「かて、ない、よ……」
何とか意識を繋げて最初に呟いたのは、そんな絶望的な台詞だった。
圧倒的すぎる。オルテガや全員で挑んだトロイメライのように、搦め手や発想の転換で勝てるような相手ではない。どう考えても自分では役不足だ。時間稼ぎにすらなっていない。いつでも息の根を止められてしまうような玩具だ。
静寂のなか、何とか上半身だけ起こすと、Cが悠々と近づいて来ているのが見えた。
「強さも弱さも概念も、全ては手段でしかない。その中で
「……」
「遊撃士の信条も、駒の特性の一つに過ぎない。そんな虚ろなものを掲げて、諸君らは何を成す?」
逃げ場もない。ぼんやりとした頭で、考える。
エステルはクーデター事件の時、民間人であるラッセル博士を救出するために協会規約第二項の文面を利用して、レイストン要塞への侵入という国政介入の荒業をやってのけた。
そして自分も、エステルたちと共に王族や民間人を助けるため武力によるクーデター阻止を図った。
確かに遊撃士の規約は、幾つかのケースに介入するための口実とも言える。信条であり、また道具の一つなのだ。
「諸君らの存在意義は何だ? 人民保護などという幻想が通らない国で、まやかしだと市民から砕かれる国で……」
しかしCが言うように、現状この国では遊撃士ができることがほとんどない。落とし物の捜索や魔獣退治などにはもちろん需要があるが、それを上回る怒りの対象となっている以上、下手に動けないのが現実だ。
むしろ赤獅子やCの真意が真実であれば、自分たちがいなければ帝国における悪意は減少するかもしれない。
「遊撃士は、どんな存在意義を駒とする?」
どんな存在意義を駒とするのか。どんな存在意義を胸に刻み、自らの原動力としていくのか。
カイトは何も言えない。弱くて経験もない少年に、意志は証明できない。
「脆く儚く……小さな銃だ」
小さなCの呟き。それを聞いて、カイトは顔を上げる。
いつの間にか自分が俯いていたことに気づいたが、それ以上にCが手にしているものに驚いた。
自分の二丁拳銃だ。いつの間に回収していたのか、Cは双刃剣を土に突き刺し代わりに二丁拳銃を巧みに操っていた。大道芸のように華やかに、熟練の銃使いのようにしなやかに。手元で銃を翻し、唐突に銃口を少年に向けた。
驚く間もなく銃声。弾丸はカイトの右頬を掠め、背後の土にめり込む。
Cの体型では、カイトの二丁拳銃は本当に小さかった。
「これでは、殺傷にしても対した魔獣も葬れない。人に使用しても猟兵が用いる物と比べれば天と地の違いだ」
Cは乱雑に、拳銃を放り投げた。金属の軽い音がして、カイトの眼前に転がった。
「実力もない、意志もない、命を奪う覚悟もない。そんな調子で、何故この場に留まることができる?」
今度こそ、はったりでも何でも返せそうになかった。
何のために、自分はここにいるのか。何に胸を張れるのか。
判らなくて、少年は銃を見やる。
帝国での日々は忙しかった。だからか、カイトは久々に銃身の文字を見た。
A・RとL・R。数少ない、実の両親との繋がりを。
(お父さん、お母さん)
自分の人生の転機、百日戦役。
両親は亡くなり、ルーアンは混迷し、そしてクローゼと出会った。テレサやジョセフの元で暮らし、成長し、エステルらと出会い、彼らと共にクーデターを阻止した。
もし戦争がなければ、自分は両親の元で健やかに育っていたのだろうか。クローゼと出会い惹かれることはなかったのだろうか。孤児院の弟たちの世話を焼き、遊撃士になることはなかったのだろうか。
先の未来も仮定の現実も、どうなっていたのかは判らない。けれど、一つだけ違うと思えることがあった。
少年は泥だらけの顔を空に向けた。ボロボロの銃を頼もしげに拾い、小鹿のように震える足で力強く立ち上がった。
「大切な人を、守るために」
「なに?」
そして言った。砕かれた信念をかき集めて、弱さに揺れる金の瞳を輝かせて。
「姉さんや先生……大切で大好きな人たちを守るために戦う。それが、オレの信念だ。だから今、ここにいるんだ」
守るために、遊撃士を目指した。その根底だけは、今までの人生があるから言えるのだ。両親が亡くなったから、第二の母ができたから、姉に憧れと恋情を抱いたから。
「……その意志が使い物になるという自信でもあるのか?」
「知るか、馬鹿野郎」
Cの問いに、間髪入れずに答えた。
「誰だって、自分が人生の主役だ。守りたいものは自分で決める。何を為すかも、何を信念にするかだって、自分で決めるっ!」
それこそCが言ったように、自分の命さえ駒として使うのなら。それならどんな理想を掲げたって、その理想が脆弱なものだって、掲げてはいけない理由なんてないはずだ。
守りたいものを守る。自分が弱いのなら、弱いなりに信念を掲げる。そして自分が強くなれることを信じて、諦めずに意志を貫き通す。
「そうやってオレは生きてやる!」
諦めずに、碧雲の向こうの大空を見上げて。
零から一歩一歩努力を続けて、信念を守れる閃きを生み出して。
そして守りたい人間は、いつの間にか家族や仲間でだけではなくなっていた。
「出会ったばかりの人だって。帝国遊撃士の先輩だって、音楽好きの友達だって、落とし物を探す女の子だって」
他にも、色んな人がいた。敵意と礼節が同居するクレア中尉、情報をくれたミヒュトやドヴァンス。
ああ、そういえば彼もいたか。
「遊撃士は正義の味方って言ってくれた、スカチャラの兄さんだって」
「ほう……」
出会ったすべての人を守る。そんな夢物語だって、願わずにはいられない。リベールも帝国も、そこに住む人々に、何一つ違いなんてないと知ったから。
だからこそ。
「出会った全ての人を守れるように、生きてやる!」
そのために。目の前の強大な敵に抗うために。
「オレの命を懸けてやる! 決定打を与えられないなら、指の一つでも骨折させてやる! そうやって、アンタの太刀筋を狂わせてやる!」
そして自分の意志と願いを、別の誰かに託す。ジンやアネラスやトヴァルに。
そのためにすべきは、実力差に諦めることではない。
一歩足を前に踏み出して、戦うこと。
「覚悟しろ、C! ここからが……本当の戦いだ!!」
小さな体で大声を張り上げた。Cに脆く儚いと言われた双銃を構えた。
「フフフ……いいだろう」
Cは答えた。感情の見えない彼の普段の声色。しかしこの時、カイトとの会話の中で初めて楽しそうな声だった。
カイトとCが同時に駆け出した。
Cの斬撃。カイトは辛くも避ける。そのまま後退、銃弾を撃てる限り浴びせる。殆どは避けられ、しかし二発は腕と脚に炸裂。大した痛手ではないが、一瞬だけ動きが止まる。
Cは次に体術を放った。それに対し、カイトは避けられない。諸に吹き飛ばされ、しかし少年は先ほどと違い瞳にCを捉えるのを止めなかった。
その瞳の金の輝きをCは見る。カイトは着地、回転、立ち上がってさらに後退を続けた。
そんな中、逃げる少年は青色の波を纏う。Cは咄嗟に斬撃を飛ばし、カイトのズボンの右脚末端を赤くした。思わず転ぶ少年。
茶髪が揺れる。それでも青色の波は消えず収束拡散し、金の瞳はCを睨み続けていた。
ティア……ではない、セラスだ。これまでの攻撃による傷を癒すのではなく機動力を取り戻させ、攻撃を続けるつもりだ。
大した覚悟だ、そうCは考えた。
指の一つでも骨折させてやる。一見滑稽な、しかし確かに苛烈な意志が込められた言葉。弱くとも、確かに意志は見て取れた。この遊撃士四人の中で最弱な少年に。
遊撃士は自らの存続をかけ、そして自分たちは遊撃士を追い出すために戦っている。遊撃士対自分たち、という構図だ。
そしてその一方で、自分たちも彼の者と盤上の勝負を繰り広げている。
遊撃士を追い出す。その理由は、彼の者との戦いの布石に過ぎない。だが戦う以上、遊撃士には存在意義を聞きたかった。それは本心だったのだ。何故お前たちは戦うのか、と。
そして少年は答えた。他者に同調するのではなく自分の意志に従い行動するという、自分たちと同じ信念。市民に迫害されるこの帝国において、それでも帝国に居座り続けるのだという、自分勝手の資質。違いなど、遊撃士かそうでないかだけだ。殺す側か救う側かの違いでしかない。
トヴァルも同じ。こんな現状になっても帝国遊撃士協会を再興させようという意志は、ある目線から見れば民間人ではなく自分たちを救おうとしている自分勝手の代表だ。そしてその信念を強く持ち、今まで嬲られるだけの状況から初めて逆転しようとしている。
ここまで同調するものを見せられて、もはや完全に遊撃士を手にかける気は失せた。もとよりこの数ヶ月で、かなりの数の遊撃士が帝国から姿を消した。もう目的は十分なほど達せた。
そして遊撃士なら。自分勝手で勇敢な正義の使者であるならば。
少年にとっては大一番でも、自分にとってはただの蛇足だ。この戦いの終着点は見えた。カイトは戦いに集中して聞こえなかったようだが、森の奥で轟音が聴こえたのだ。
だからこそ、ここから決着までの数分間、楽しませてくれよ。
「行くぞ! カイト・レグメント!」
Cが叫んだ。若者のような、快活な声を張り上げて。
先日就職活動が終了しました。既に社会人となり、忙しく過ごしています。
感慨深いですなあ。
次回、第三章最終話「風を共に舞う気持ち」です。