剣の丘に花は咲く   作:五朗

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第二章 風のアルビオン
プロローグ 夢


 

 ―――これは、ゆめ……? ……子供の頃の……

 

 夢を……見ていた。

 トリステイン魔法学院から馬で3日ほどの距離にある、生まれ故郷のラ・ヴァリエールの領地にある屋敷が夢の舞台だった。

 夢の中でルイズは、小さな手足を必死に動かし屋敷の中庭を逃げ回っていた。屋敷を飛び出し迷宮のような植え込みの中に逃げ込み、そのうちの一つの陰に隠れ、ルイズは追っ手をやり過ごした。

 幼い小さな身体を縮こませ、自分の名を呼ぶ使用人の声を耳を塞いでいると、一際大きな声で自分を探す女の声が聞こえてきた。

 

「ルイズ、ルイズ、どこに行ったの? ルイズ! まだお説教は終わっていませんよ!」

 

 そう言って騒ぐのは母であった。夢の中でルイズは、出来のいい姉たちと魔法の成績を比べられ、物覚えが悪いと叱られていたのであった。

 明らかに機嫌の悪い母の声に怯え震えるルイズは、地面に一体になれとばかりに身体を下に押し付ける。すると、隠れた植え込みと地面の隙間から、誰かの靴が見えた。

 

「―――ルイズお嬢様は難儀だねえ」

「まったくだ。上の2人のお嬢様はあんなに魔法がおできになるっていうのに……」

 

 聞こえてきた召使たちの陰口に、ルイズは悲しくて、悔しくて、歯噛みをした。そうこうしているうちに、召使たちが億劫そうに植え込みの中をごそごそと捜し始めた。このままでは見つかると思ったルイズはそっと立ち上がると、音を立てないよう慎重に植え込みの影から逃げ出した。

 

 ―――いつも……いつもそうだった。優秀なお姉さまたちに比べられて……そう言えば、こんな時いつも逃げ込んでいた場所が……

 

 辛いことがあった時、ルイズはいつも、勝手に自分が“秘密の場所”と呼んでいる中庭の池に逃げ込んでいた。

 そこはあまり人の寄り付かない、うらぶれた中庭。 

 池の周りには季節の花々が咲き乱れ、小鳥が集う石のアーチとベンチが。そして、池の真ん中には小さな島があり、そこには白い石で造られた東屋が建っていた。

 そんな忘れ去られた中庭の池に、一艘の小舟があった。誰も見向きのしなくなったその小船だけが、この広い屋敷の中で、ルイズにとって唯一安心できる場所であった……。

 夢の中のルイズは、小舟の中に逃げ込み、用意してあった毛布に潜り込んだ。

 周りの失望の視線と影口から逃れるため、ルイズは毛布にくるまり目を閉じていると……。

 中庭の島にかかる霧の中に、人影が現れた。

 

 ―――そう……悔しくて、悲しくて……この場所に逃げ込んだ時、あの方が来て下さった……

 

 つばの広い、羽根つきの帽子をかぶった、年上の貴族……晩餐会をよく共にした、憧れの子爵。

 

 ―――わたしの……婚約者……

 

 しかし、現れた人影は、婚約者の子爵では無かった。

 

 

「ルイズ、こんなところにいたのか」

 

 赤い外套を身に纏い、現れた人影は自身が召喚した使い魔。

 ―――エミヤシロウ。

 ここにいるはずのない使い魔に、幼いルイズは頬を膨らまし、不満気な顔を向ける。

 

「……なんで来たのよ」

「心配だからな」

 

 不満気な様子のルイズに苦笑いを向け、士郎は手をそっと差し伸べる。

 

「さあ、行こうルイズ。みんなが待ってる」

「……私を待っている人なんか」

 

 士郎の手を見つめながら、ルイズは手を取ることを躊躇している。

 『待っている人なんか』と躊躇いながらも、自分の手から視線を動かさないルイズに、士郎は苦笑いを優しい微笑に変えた。

 

「キュルケもタバサも、オールド・オスマンも、コルベール先生もな」

「ふんっ、キュルケは余計だけどね」

 

 士郎の言葉に、一度目を閉じたルイズは、目を開くと鼻を鳴らしながら士郎の手に向かって手を伸ばしかけたが、士郎の手に触れる直前、頬を染め士郎の顔を見上げた。

 

「その……ね。シロウは?」

「ん?」

 

 士郎が不思議な顔をして、ルイズを見つめると、ルイズの顔はますます真っ赤になった。

 

「だからっ! シロウはどうなのって聴いてるのよ!」

 

 真っ赤にながら怒鳴るように言うルイズに、士郎は思わず吹き出すのを必死に堪えたが。

 

「ぷっ、っく。いや、すまんすまん。……もちろんだルイズ、俺も待っていたよ」

 

 吹き出すのを堪えられなかった士郎は、あまりの恥ずかしさに目を涙で潤ませ、頬まで膨らませているルイズに謝りながら手を差し出す。顔をふくれっ面にしたルイズは、怒りながらも、どこか嬉しげに手を伸ばし、士郎の手に触れ……

 

 

 

 

 

 ―――えっ……何、これ……?

 

 そこは、森に囲まれた何処にでもあるような小さな村に見えた。その中心には、簡易的な寝床なのか、藁が敷かれその上に村人だろうか? 十数人もの人が倒れ込んでうめき声を上げていた。そんな苦しみの声を上げる人達の中を、一人の若い男が走り回り必死に看病をしていた。

 

「―――っくそ! 一体どうなっている! 進行が早すぎるっ!? このままでは間に合わないぞっ」

 

 え? もしかして、シロウ?

 

 たった一人で一つの村の住人の看病をするという無茶をしている男が、自分の使い魔であることに気付いたルイズは、一体何が起きているのかと意識を集中させると同時に、視界が歪み始め目に映る光景が変化を始めた。

 歪んでいた像の焦点が合い、鮮明になった視界の中現れたのは、士郎がナニカと戦っている姿だった。

 

 ―――ひ、と?

 

 一見して人間の姿をしているソレを、しかし、ルイズは人間とは感じなかった。

 紅い瞳を爛々と輝かせ、唾液に濡れた異様に鋭い犬歯をむき出しに吠え立てる姿は、人ではなく獣そのもの。

 それが十体。

 人では到底考えられない獣じみた動きで、その人の姿をしたナニカは士郎に襲いかかっていた。

 普通に考えれば到底士郎に勝ち目は皆無。

 無残に食いちぎられ屍を晒す姿を容易に想像できる―――しかし、 

 

 す、凄い―――っ!?

 

 衛宮士郎はその上をいく。

 まさに目にも止まらない動きで襲いかかるナニカを、士郎は両手に持った白と黒の剣を振るい次々と切り裂いていく。淀みないその動きは、離れて見ていても追うことはおろか、残像すらその目に映すことは出来ないでいた。

 

 何て―――強さっ!

 

 息を呑むルイズの視界が歪み、また別光景が現れる。そこでは士郎がまた別の何かと戦っていた。次々に切り替わる光景。その全てにおいて、士郎は戦っていた。

 絵物語のような現実味が感じられない戦いを目にしたルイズは、まるで何かの劇でも観戦しているかのように興奮していた。

 その後も、ルイズの見る光景は次々と変わっていき―――その全てに士郎がいた。 

 ある時は燃え盛る炎の中から子供を助け出し、またある時は誰かを庇いながら戦い……どれもこれも誰かのために……。

 しかし、物語の語られる“正義の騎士”のような士郎の姿に、興奮したルイズが凄い凄いと何度も連呼していた口が―――唐突に固まった。

 

 ―――すごいすごい! シロウは本と―――?

 

 

 

 

 

 赤 

 

 朱

 

 紅

 

 赫

 

 真っ赤だった。

 焼けた空の下、大地も、空気さえ赤く染まったその中心に、一人の男が蹲っている。

 そこは戦場だった。

 大量の武器? なのだろうか。ルイズが知っている銃に似たものがあちらこちらに散らばっていた。その他にも、見たことのない大きな金属の箱のようなものが煙を吐いて数多く転がっている。それらが何であるか、ルイズには分からなかったが、そこが戦場であることだけは確信していた。何故ならば……

 

 あ……。

 

 そこには死が溢れていた。 

 

 人が死んでいる。

 手がないもの、足がないもの、顎の上だけがなくなっているもの、上半身が吹き飛ばされ、大きなミミズのような腸が飛び出しているもの、逆に下半身だけがないものもある。

 死に満ちた光景を、只々ルイズは呆然と見ているだけ。

 

 血の匂いさえ感じられるようでありながら、現実味がない、そんな矛盾する光景を……。

 

 なに……こ、れ……

 

 理解出来ない光景を、ただ呆然と視界に収めていたルイズの耳に―――微かな声が届いた。

 

 それは―――

 

「また……救えなかった……一体、どうすれば良かったんだ……どうすれば……救えたんだ……俺が……弱かったからか……強ければ……救えたのか」

 

 ―――えっ? シ、ロウ?

 

 か細く、震えた弱弱しいその声が、士郎のものだとルイズは最初気付くことが出来なかった。聞こえてきた声は、今の士郎とは少し違うが、確かに自分の使い魔である士郎の声であった。

 

 でも……本当にシロウなの?

 

 だが、ルイズには信じられなかった。何故ならば、今、目の前で蹲っている男は、自分の今知るシロウとは、あまりにも違い過ぎたからだ。

 身長は蹲っているため判然としないが、百七十センチ前後だろうか、鍛えられた体を黒い外套で身を包み、肌の色は少し日焼けしたぐらいの色で、髪の色は薄い赤錆色だった。

 似ていると言えば似ているが、外見が違っており、声を聞くまで、ルイズは気付くことが出来なかった。

 赤い戦場で一人蹲る士郎は、何かを抱いているようだ。

 

 女の……人?

 

 士郎が抱いているのは、全身を血で濡らした女性であった。

 一目見て死んでいるとわかる女性を抱きしめ、士郎は呆然と紅く焼けた空を仰ぎ見ている。

 

「もし……“世界”と“契約”すれば、救えたのか……」

 

 呆然と呟く士郎を見たルイズは、不意に言いようのない不安に襲われた。

 

 ―――っだ、ダメっ! シロウっ、いけないっ!

 

 得体の知れない不安に襲われたルイズは、訳も分からず必死に士郎を止めようとした。

 

 ダメ、ダメダメダメっ! シロウっそれはダメっ!!

 

 自分でも理由が分からないが、必死に士郎を止めようと声を張り上げた―――その時、焦るルイズの前を一人の女性が通り過ぎた。

 

 えっ?

 

 ルイズの前を横切った女性は、そのまま蹲り呆然と赤い空を見上げる士郎の背後に立った。

 顔は分からない。ルイズにはその女性の背中しか見えない。 

 赤い世界の中でも、艶やかに輝く黒い髪を腰まで伸ばし、赤いトレンチコートを身に纏った女性は、凛とした立ち姿で士郎を見下ろしていた。

 

 だ、れ?

 

 背後に立つ女に士郎はまだ気づかない。

 蹲る士郎の後ろで女性は右手を高々と掲げ、固く握り締めた拳を……思いっきり士郎の頭に振り落とした。

 

「ぐわっ!」

 

 急な痛みに驚いた士郎が、後ろを振り向き、さらに驚いた声をあげる。

 

「りっ、凛……何で……ここに」

「うるっさいっ! このバカっ!!」

「なっ……」

 

 士郎を怒鳴りつけた遠坂と呼ばれた女性は、振り向いた士郎の襟首を掴み上げると、無理やり立たせ、その顔を再度殴りつけた。

 

「がっ」

 

 赤い大地に転がる士郎を見下ろしながら、赤い女性は怒りに声を震わせている。

 

「士郎……あんた、自分が何を言ったか分かっているの……」

「な、何って……?」

「っ!! 分かっているか分かっていないのか聞いてんのよっっ!!」

 

 怒声は空気を震わせ、士郎は呆然となる。

 

「い、いや……知らない」

「ハァ~……無自覚なのが厄介ね」

 

 士郎の答えに、赤い女性は呆れたようにため息を吐く。

 

「士郎、帰るわよ」

「帰るって、どこに」

「日本よ」

「日本?」

 

 呆気にとられる士郎に、赤い女性は一気に何匹もの苦虫を食べたような表情になると、誰に言うともなく口の中で小さく呟く。

 

「結局変えられないの……」

 

 士郎を見ながらも、赤い女性は横目で士郎が抱えていた女性を見るとため息をつく。

 

「はぁ……日本には今、ルヴィアと桜がいるわ」

「桜はいいが、ルヴィアも?」

 

 士郎は疑問の眼差しで、赤い女性を見る。

 

「ええ……あと、橙子さんもね」

「なっ! 一体……何をするつもりなんだ」

 

 恐れを滲ませた顔で、士郎は赤い女性を見上げている。

 赤い女性は悲し気な目で士郎を見下ろしていた……が、どこか別の何かを見ているようにルイズは感じた。

 

「……馬鹿を助けるのよ」

 

 

 

 

 

 深夜―――ベッドの中、ルイズは目を覚ます。

 寝起きにもかかわらず、ルイズの意識はハッキリとしていた。ルイズはドアの横で壁を背に寝ている自分の使い魔を、涙で潤む瞳で見つめ、小さく囁くように呟いた。

 

「シロウ……あなた、一体……」

 

 ルイズの呟きに答えるものは無く、ただ、窓の向こうに輝く二つの月が静かに二人の姿を照らし出していた……。

 

 

 

 

 




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