白銀の復讐者   作:炎狼

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第三十六話

 毎日亡くなった夫の墓参りをかかさない美人の未亡人がいるという噂を聞いたシュラは、配下であるエンシンとチャンプを連れて墓地にやってきた。

 

 そこで見たのは噂どおりの美人と幼い娘の姿。

 

 瞬間的にシュラは己の中に燃える黒い感情をあの母子にぶつけることにした。

 

 チャンプなどすでに鼻息荒く娘に近寄って「結婚式」だなんだと叫んでいる。

 

「ったく、我慢のきかねぇ野郎だな。おい、チャンプもうちょいおちつ――」

 

 瞬間、シュラの耳に金属と金属がこすれあうような音が聞こえた。

 

 僅かに顔をしかめたシュラが周囲を見回すと、母子の後ろから外套を羽織った人影が凄まじい勢いで飛んできた。

 

「そこのガキ、頭下げろ!!」

 

 声に気付いたのは娘の母親だった。

 

 彼女は娘を抱くように倒れこむと、その上をが駆け抜け、チャンプの顔面に強烈な蹴りを叩き込んだ。

 

「ふべぇッッ!!????」

 

 完璧にヒットした蹴りはチャンプの顔に埋まり、元々不細工な顔をさらに醜悪なものへと変えた。

 

 まともに蹴りを喰らったチャンプはそのまま為すすべなく吹っ飛び、後ろにあった墓石をいくつか破壊してようやく停止した。

 

「ぐ、おおぉぉおおぉぉぉ!!?? いてぇ……! いてぇぞ……!! 誰だちくしょうっ!!!!」

 

 痛みにうめくチャンプは顔を抑えて転がっているものの、シュラとエンシンは彼の体たらくに肩を竦めた。

 

「おいおい、嘘だろチャンプ。なにやってんだこのデブ!」

 

「興奮しすぎで周りが見えてなかったんだろ? まったく、変態はこれだからよぉ」

 

 一応くくりとしては仲間として扱ってはいるが、そこまで大事にしているというわけでもない。

 

 今の攻撃を防ぐなり回避するなりできなかった彼が悪いのだ。

 

 転げまわるチャンプに下卑た嘲笑を浴びせるシュラであるが、一頻り笑い終えると、ギロリと眼光鋭く外套の人物を見やる。

 

「とはいえ、だ。あんなヤツでも一応はワイルドハントのメンバーだ。俺達に楯突くってことはどういうことか、テメェわかってんだろうな?」

 

 凶悪な雰囲気を纏ったシュラの今のターゲットは、母子ではなく、目の前の外套に絞られた。

 

 フードを目深に被っているから顔立ちまでははっきりとしないが、肩幅からして男であることはわかった。

 

 すると、外套男は僅かに頭を上げた。

 

 その奥には黄金に輝く瞳がシュラ達に向けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……さぁて、どうしたもんかね。

 

 襲われそうになっていた母子を助けるため、とりあえずは娘に手を出しかけていたデブを蹴り飛ばしたものの、状況はあまりよろしくない。

 

 リヒトは小さく溜息をつくと目の前にいる褐色の肌と顔面に刻まれた傷が特徴的な青年を見やる。

 

 ……強さ的にはコイツが突出してるな。後の二人はまぁ身構えるほどの連中でもねぇか。

 

 直感的に目の前にいる男がもっとも危険であると判断したリヒトは、背後で抱き合う親子に視線を向ける。

 

 二人は状況を飲み込むので精一杯なようで、すぐには立ち上がれそうにない。

 

 まぁ、この状況で走って逃げろとも言えないので、ジッとしてくれていた方がいいといえばいいのだが。

 

 ふと、リヒトは彼女らの背後にあった墓石を見て思わず目を見開いた。

 

 墓石には『ボルス』とあった。

 

「……マジかよ」

 

 ボルスといえばリヒト達ナイトレイドが殺したイェーガーズのメンバーだ。

 

 まさかその妻子とこんな場所で会うことになるとは。

 

 運命の悪戯か、それともただの偶然かわからないが、なんとも奇妙な話だ。

 

「とはいえ、だ。あんなヤツでも一応はワイルドハントのメンバーだ。俺達に楯突くってことはどういうことか、テメェわかってんだろうな?」

 

 褐色の青年の声にリヒトは視線をそちらに向ける。

 

 そして彼らが何者であるかも今の説明でわかった。

 

 ……コイツらが帝都を荒らしまくってるって噂のワイルドハントか。んで、恐らくコイツが大臣の息子、シュラだよな。

 

 墓参りに来るため、ナジェンダからはある程度の情報を貰っていた。

 

 帝都で悪逆非道の限りを尽くす秘密警察ワイルドハント。

 

 その首魁はオネスト大臣の実の息子であるシュラ。

 

 ナイトレイドとしてもいずれは始末すべき相手だろうと、ナジェンダは語っていた。

 

「……親がクズなら、子もクズか……反吐がでるぜ……」

 

 あまり声は出したくなかったが、リヒトは小さく悪態をついた。

 

「あぁ? テメェ今なにか言ったかぁ!!??」

 

「……」

 

 シュラが煽るような怒鳴り声を上げたが、リヒトは答えない。

 

 とりあえず身がばれるような情報はヤツらに与えるべきではないと考えたからだ。

 

「ケッ、だんまりかよ。正義の味方気取りか知らねぇが、余計な気ぃまわしてんじゃねぇぞ平民が! 玩具は玩具らしく、俺らに使われてりゃいいんだ!!」

 

「おいシュラ、コイツさっさと殺してお楽しみとしゃれ込もうぜ。なんならオレに任せろよ。チャンプのデブは使えねぇが、こんな野郎、オレにかかりゃ一瞬だ」

 

「ハッハァ、いいぜ。お楽しみ前の余興と行くか。エンシン、帝具はどうする?」

 

「いるかよ。素手で充分だ」

 

 エンシンと呼ばれたオカッパ頭の青年はベロリと唇を舐めながらシュラの前に出た。

 

 どうやら一対一をお望みらしい。

 

 が、それはそれでこちらとしても好都合。

 

 ……まぁ三人いっぺんに来てもこれ使えば逃げるくらい簡単だけどな。

 

 装備入れをまさぐっていた手からとある物を離したリヒトは、母子を守るように前に立ち拳を構える。

 

「あ、あの……」

 

 背後にいるボルスの妻が震える声で声をかけて来た。

 

 リヒトは眼光をエンシンに向けたまま彼女に答える。

 

「まだそこを動かずにガキをしっかり抱えてろ。それと、立てるならいつでも走れるようにしとけ」

 

「は、はい」

 

 彼女は娘をしっかりとその胸に抱き、僅かに腰を浮かせた。

 

 恐怖に震えていたからすぐには無理かとも思ったが、流石にそこは軍人であるボルスの妻だ。

 

 震えていた瞳には強い光が宿り、なんとしても娘を守るという決意が見て取れた。

 

 ……良い嫁さんだな、ボルス。

 

 内心で笑っていると、それを隙だとでも思ったのか、エンシンが拳を振り上げて距離を詰めてきた。

 

 距離を詰めるための体捌きと鍛えられた肢体からして、それなりに実力はあるほうだろう。

 

 だが――。

 

「っ!!??」

 

 エンシンの放った拳は虚しく空を切った。

 

 瞬間、彼の鳩尾にはリヒトの強烈な肘鉄が叩き込まれる。

 

「がっ!?」

 

 鈍痛によろめくエンシンだが、それで倒れるほど柔ではなく、すぐに怒りの表情を浮かべてリヒトに打撃をはなってきた。

 

「なめてんじゃねぇぞ、この外套野郎!!」

 

 最初の一発は様子見だったのか、放たれる拳打には先ほど以上の速さがあった。

 

 とはいえ、リヒトからすれば見切れないはずがない。

 

 エスデスと戦い生き残り、日頃からスピードのあるアカメやレオーネ、そして今は亡きブラートに鍛えられてきたリヒトにとっては、エンシンの攻撃をいなすことなど簡単だった。

 

 放たれる連打を次々に払いのけ、隙を見て彼の顔面や腹部にカウンターを叩き込んでいく。

 

 そして、先ほど吹き飛ばしたチャンプとかいうデブと同様に顔面に拳を叩き込むと、エンシンはよろめきながら数歩後退していく。

 

「ぐ、クソがぁ! このオレの顔を……! 許さねぇ……!!」

 

 鼻血を垂らしたエンシンは腰に差していた曲刀を抜いて切先をリヒトに向ける。

 

 確か先ほどシュラはエンシンに帝具は使うのかと聞いていた。

 

 そして興奮状態となっているエンシンを見るに、恐らくあの曲刀が帝具だろう。

 

 帝具には帝具で対抗すべきとリヒトもヨルムンガンドを使うべきかと迷うが、エンシンの曲刀とシュラが下げさせた。

 

「ったく、見てられねぇな。もういい、お行儀のいい一対一なんてここまでだ。こっからは俺達全員でやる。ちょうどチャンプも復活したしな」

 

 シュラが向けた視線の先を見ると、確かに先ほどまでのたうっていたチャンプが鼻息荒くリヒトを睨みつけていた。

 

 鼻血は激しく流れており、顔面の中心は幾分か凹んでいる。

 

 不細工がより不細工だ。

 

「なめやがって、なめやがって、なめやがってぇ……! オレとその子の至福の時間をよくも邪魔しやがったなぁ!!!!」

 

 吼えるチャンプにリヒトは大きく溜息をついて辟易した様子を見せる。

 

 どこをどうとれば至福の時間に見えたのやら。

 

 ……頭のイカれた野郎の思考ってのは理解できん。

 

 辟易するリヒトだが、状況は若干悪くなってしまった。

 

 彼らの様子からして正々堂々なんて言葉が似合う連中ではない。

 

 だからこそリヒトにも対多人数用の道具を用意してある。

 

 ……ただまぁ、範囲が結構広いのと俺にも割りと効果があるってのが玉に瑕だけどな。

 

 腰の装備入れから二、三個の赤い玉を取り出したリヒトは苦笑するも、視界の端で動いたチャンプにすぐさま視線を向ける。

 

「決めたぞ! テメェは腐ってドロドロになりやがれぇ!!!!」

 

 チャンプの掲げた手にはおどろおどろしい色をした球体があった。

 

 それが帝具ということはすぐに理解した。

 

 構えからして投げるタイプの帝具だろう。

 

 チャンプの図体からして投げられる速度はかなり速いと見てもいいはず。

 

 だが、投げられるのを待っていればその間にシュラとエンシンがしかけて来る可能性が高い。

 

 後ろの二人を守りながらでは正直キツイ。

 

「なら、そろそろ退くか」

 

 ニッと笑みを浮かべたリヒトはボルスの妻子の隣に行くと、シュラには見えないように彼女達の体にヨルムンガンドを巻き付け、自身の体に縛り付ける。

 

「ひゃ……!?」

 

「わりぃな。こっから結構揺れる。旦那以外の見ず知らず野郎に背負われんのは嫌かもしれねぇけど、出来ればしっかりしがみ付いとくれ。嬢ちゃんもな」

 

「……はい!」

 

 ボルスの妻はリヒトの首にしっかりと手をまわし、娘の方も背中にしっかりとしがみ付いている。

 

「その子から離れろテメェ!! うらやましいことしやがってぇ!!」

 

 チャンプが叫びながら球体を投げた。

 

 リヒトが回避すると、球体はそのまま後ろにあった墓石に衝突すると、墓石を破壊ではなく腐食させた。

 

 ……なるほど、ドロドロにするってのはそういうことか。

 

 見るとチャンプの周囲には今の球体以外に五つの球体が浮かんでいた。

 

 それぞれの球体は発動する効果に対応しているであろう色と、文字のようなものが刻まれている。

 

 ……アレ一つ一つに効果があって、投げれば効果が発動するってことか。いっぺんに投げられると正直厄介だな。

 

 分析していたリヒトだが、唐突な殺気と空気の流れが変わったのを感じその場から飛び退いた。

 

 刹那、地面が抉れ三日月状の風のようなものが通り過ぎ、近くにあった木を数本なぎ倒した。

 

「ハハハ! ガキと女背負った状態でよく避けるじゃねぇか!」

 

 笑うエンシンの手には先ほどの曲刀があった。

 

 恐らくは先ほどの三日月状の風のようなものは真空刃だろう。

 

 しかし、威力はそこまでではない。

 

「そらそらぁ! 休んでる暇はねぇぞ!!」

 

 エンシンが放った真空刃を回避した瞬間、シュラが猛烈な乱打を叩き込んできた。

 

 やはりと言うべきか先ほどのエンシンよりも遥かに早い。

 

 だが、それでも捌けないわけでも回避できないわけでもない。

 

 全ての攻撃を紙一重でいなし、叩き落としていく。

 

 一見すると余裕にも見えるが、リヒトの表情は硬い。

 

 ……華奢とはいえ流石に二人背負ったままはきちぃな。

 

 二人を背負った状態でなければ、シュラの拳打の嵐を回避しながらカウンターを叩き込むことは出来た。

 

 しかし、二人を背負っているため、若干動きが遅くなってしまっている。

 

 拳の中にある隠し玉を使うにしても、カウンターを射ち込める隙がなくては意味がない。

 

「どうしたぁ!? 防戦一方って感じだな――ッ!!??」

 

 嘲笑交じりに煽ってきたシュラだが、何故か彼は猛攻をやめて飛び退いた。

 

 同時にリヒトもその場を離れる。

 

 それとほぼ同時に二人の間を雷を伴った球体が通り過ぎていく。

 

 見ると、チャンプが鼻息荒くリヒトを睨みつけていた。

 

「テメェ! 何しやがるクソデブ!! 俺ごと殺す気か!!」

 

「うるせぇ! ソイツは俺がぶち殺すんだよ! 邪魔なのはテメェだシュラ!!」

 

 どうやらチャンプは顔面を蹴られたことが相当頭に来ているようだ。

 

 だが、それはリヒトにとってつけいる隙となる。

 

「なら、最初はテメェからだ……!!」

 

 シュラとエンシンの視線がチャンプに向いている今こそ、ヨルムンガンドを使うことが出来る。

 

 チャンプの近くにある墓石にヨルムンガンドを射ち込み、一気にそれを縮める。

 

 背負っている二人にはかなりの負担だろうが、そこは我慢してもらう。

 

 チャンプとの距離を一気に詰めたことで、彼は「はや――!!??」とリヒトの速さに対応が出来ていない。

 

「テメェはこれでも食ってろ」

 

 握っていた二つの小さな赤い球体を通り過ぎざまにチャンプの口に叩き込む。

 

 チャンプは突然口の中に投げ入れられたものを吐き出すことが出来ず、そのまま嚥下した。

 

 瞬間、彼は見る見るうちに大粒の汗をかき、表情を青くしたり赤くしたりとめまぐるしく変化させた後、天に向かって吼えた。

 

「か、かれえええぇえぇええええぇえええぇぇぇえぇぇぇぇえぇッッッッ!!??」

 

 口から炎を吐き出さんばかりに吼えたチャンプは、腹部や喉を押さえながらその場にしゃがみ込んでえづきはじめた。

 

「どうした、チャンプ!」

 

「か、かれ……!!?? み、みみみずみずみずみみずううず……!!」

 

「水ぅ? あの野郎になにやられたんだ!」

 

 チャンプの異常な様子にさすがのいシュラたちも表情を曇らせている。

 

 それにリヒトはニタリと笑みを浮かべてようやく彼らに向けて声を発した。

 

「そのデブに食わせたのは、デッドエンドリーパーってトウガラシから作った特製の唐辛子玉だ。各種スパイスと混ぜ合わせてっから、絶品だと思うぜ?」

 

「唐辛子だぁ!? そんなもんでこんな風になるってのか!?」

 

「なるさ。デッドエンドリーパーは植物の危険種なんて言われるほどの辛さを持つ。そいつの腹の中は今頃大変なことになってるだろうなぁ。二、三日は地獄の苦しみが続くだろうよ」

 

 アジトに戻る前に採取したデッドエンドリーパーをいくつか拝借して作り出した唐辛子玉の効果は充分のようだ。

 

 恐らくチャンプの腹の中は焼かれるような痛みが広がっているはず。

 

 帝具を使うことはおろか、立ち上がることすら出来ないだろう。

 

「さぁて、次はどっちがコイツを喰う? 感想を聞かせてくれよ」

 

「テメェ……!」

 

「コケにすんのも大概にしやがれぇ!!」

 

 二人は同時にリヒトに向けて距離を詰めてきた。

 

 だが、リヒトはそれを待っていた。

 

 装備入れに入れていた先ほどの唐辛子玉よりもやや大きめの赤い玉を三つ取り出し、背負っている二人に告げる。

 

「目瞑って俺がいいって言うまで呼吸するな」

 

 コクンと頷いた感覚が伝わってきたので、二人とも了解できたようだ。

 

 リヒトは距離を縮めてくる二人を見据えると、突撃するように走り出す。

 

 血迷ったわけではない。

 

 狙いを完璧に決めるのであれば、至近距離でなければならない。

 

「死ねぇ!!」

 

 最初に突っ込んできたシュラの鋭利な突きがリヒトを襲うも、リヒトは落ち着いて回避するとシュラの顔面に目掛けて先ほどの赤い玉を投げつける。

 

 シュラはそれを間一髪回避するもの、リヒトは二つ目の玉を地面に転がした。

 

 瞬間、玉は弾け二人を起点として赤黒い煙が周囲を包んだ。

 

 リヒトはすぐさま息をとめたが、シュラは思わず呼吸してしまったのだろう。

 

 次の瞬間、彼もチャンプのように地獄を見ることとなる。

 

「ぐおっ!? くせ、かれぇえぇえぇえぇえぇえ!!?? な、なんらこりゃあ!!??」

 

「シュラ!! どうした、おい!!」

 

 やや離れた場所にいたエンシンは直撃を免れたようだったが、それを見逃すほどリヒトは甘くはない。

 

 ヨルムンガンドを空中に射ち込みいち早く煙の中から脱すると、エンシンに目掛けて装備入れから出した三つの玉を取り出して投げつける。

 

 地面に落下したものとエンシンの顔面に直撃したものはそれぞれ爆散し、再び周囲に赤黒い煙を撒き散らした。

 

「ぎゃああああ!!?? く、くせぇし、かれぇえええ! ちくしょう、催涙煙玉か……!!」

 

 エンシンはすぐに察しがついたようで煙の中から逃れようとしているが、リヒトは空中からそれを見逃さず、彼が逃げる方向に煙玉を投げておく。

 

 ついでにシュラとチャンプに向けても一つずつ投げつける。念には念だ。

 

「その煙玉にはデットエンドリーパーの粉末と、腐った危険種の血、ほかにもうんこやらしょんべんが入ってる。早く逃げねぇと目も耳しばらく使い物になんねぇぞ」

 

 そう言うリヒトの瞳も充血しており、効果の激しさを物語っていた。

 

「ち、ちくしょう! このオレをここまでコケにしやがって! 必ずぶち殺してやる!!」

 

「好きにしろ。あばよ、これに懲りたら少しは自制すんのを覚えろ、お坊ちゃん」

 

 リヒトはそのまま空中にヨルムンガンドを射ち込みながら墓地を去る。

 

 最初から勝利などは望んでいない。

 

 母子を救うことができればそれでよいのだ。

 

 リヒトはワイルドハント三人の絶叫を心地よく感じつつ、二人に呼吸を促しながら安全な場所へと運んでいく。

 

 

 

 

 

 墓地から離れ、帝都の下町あたりで二人を降ろす。

 

「ここまで来れば追ってこねぇだろ。大丈夫だったか?」

 

「はい……。危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました。おかげで私もこの子も命を拾いました」

 

「気にすんな。あいつ等ムカついたから手ェ出しただけだ。それにまだ安心ってわけじゃねぇからな……」

 

 一瞬、リヒトの瞳に黒い影が落ち、光が消え失せた。

 

「それはどういう――」

 

 ボルスの妻が言いかけたところで、リヒトは彼女の鳩尾に拳を入れた。

 

 彼女は短く「あ……」と漏らした後、その場に倒れむものの、リヒトはそれを抱き留める。

 

「ママ……! どうし――」

 

 母の様子に娘が駆け寄るものの、リヒトは娘の腹部にも拳を軽く入れる。

 

 子供相手にはいささか乱暴だが、騒がれるといろいろと面倒だ。

 

「恨んでくれてかまわねぇ。……さて、この二人をどうするか、だな」

 

 とりあえず近くに積まれていた木箱を背にして二人を座らせると、リヒトは口元に指を当てて考える。

 

 二人を気絶させたのはこれ以上自身の姿を見せないためだ。

 

 家まで送り届けてそのまますぐに消えようかとも思っていたのだが、それは危険であると判断した。

 

 シュラの様子からしてこの母子のことを気に入っていることは容易に想像できた。

 

 ああいう手合いは一度ターゲットにした相手をしつこく狙う。

 

 最終的には家を突き止めて母子を蹂躙するだろう。

 

 それでは助けた意味がない。

 

 とはいえこのままここに放置するわけにはいかない。

 

 下町はスラムよりは治安がいいので、放置しても問題はないだろうが、もしもという場合もある。

 

 では警備隊に引渡すのがいいのかと言われるとそれもダメだ。

 

 リヒトは既に手配書が出回ってしまっており、警備隊の前に姿を現そうものなら騒ぎになることは確実だ。

 

 では、何をするのが最善か。

 

 二人を安全かつこれからもワイルドハントから守るにはどうすれば良いのか……。

 

「……やっぱりあいつ等に直接会うしかねぇか」

 

 大きなため息をつきながら二人の体にヨルムンガンドを巻き付けて再び体に固定する。

 

 リヒトが決めた会う相手は、敵であるイェーガーズだ。

 

 ボルスがイェーガーズに所属していた以上、彼の妻子である彼女らも庇護対象にはなるだろう。

 

 ちょうどエスデスもいないようなので、会うのはそれほど難易が高くはないだろう。

 

「まぁ、問題はどうやって引き渡すか、だよなぁ。素直に見逃してくれるといいんだが……どうなるかねぇ」

 

 悪手であることはわかっている。

 

 選択を誤れば確実に捕縛され、仲間達に迷惑をかけてしまう。

 

 だからこそ、取引は慎重にしなければならない。

 

 その相手もしっかりと選んだ方がいいだろう。

 

「狙うとすれば、やっぱりアイツだよな」

 

 溜息をついたリヒトは二人を背負いながら屋根の上を駆けていく。

 

 流石に親子二人を鎖で拘束して往来を連れまわすほど特殊なプレイをするつもりはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワイルドハントが街中で起した事件の後始末を終えたウェイブは、墓地でシュラ達が騒ぎを起したと聞き、すぐさま墓地へ走った。

 

 そこには数名の警備兵の姿があり、ウェイブは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 

 まさか、というくらい影が心に落ちたが、ウェイブが描いていた最悪のビジョンは広がってはいなかった。

 

 警備兵が駆けつけると、そこには鼻水やら鼻血やら涙やらで顔がぐちゃぐちゃになったシュラ達がいたという。

 

 彼らは外套を羽織った何者かに襲われたという。

 

 その何者かはここで墓参りをしていた母子を攫っていったとも言っていたらしい。

 

 墓参りをしていた母子。

 

 ウェイブはすぐにボルスの妻子であると見抜いた。

 

 同時に、顔がグチャグチャになったシュラ達を想像して「ざまあみろ」と思った。

 

「……当然の報いってヤツだ」

 

 悪逆非道の限りを尽くした彼らには軽いくらいの罰だ。

 

 しかし、気がかりなのはボルスの妻子が攫われたということだ。

 

 恐らく外套の人物は彼女らを助けてくれたのだろうが、どこに消えてしまったのだろうか。

 

「うーん、一体どこに……」

 

 ウェイブは口元に指を当てて考えながら帝都の下町を歩く。

 

 が、ふと彼は立ち止まった。

 

 見ると、ウェイブの表情は驚愕に染まっている。

 

 視線を追うと路地の向こう側にある大通りを見ていた。

 

 そこには綺麗な銀髪に黄金の瞳をした青年が外套を羽織って歩いていた。

 

「リヒト……!!?」

 

 すぐさまウェイブは彼を追った。

 

 路地を抜け、リヒトが歩いていた大通りに出ると周囲を見回して彼を探す。

 

「……いた!」

 

 雑踏に紛れながらリヒトは歩いていた。

 

 ウェイブはすぐさま彼の尾行を始め、人ごみに紛れながら彼の動向を探っている。

 

 ……偵察か? じゃあこの後仲間と合流するのかも。

 

 出来れば人気のないところに言って欲しいと願いながら、彼の後ろをついていく。

 

 やがてリヒトは人気のない路地に消え、ウェイブも見失わないように駆ける。

 

 そして路地に飛び込むウェイブだったが、彼は思わず息を詰まらせた。

 

「よう、ウェイブ」

 

 そこにいたのは家屋の壁に背を預けて立っていたリヒトだった。

 

 彼の様子からして、どうやら尾行はばれていたようだ。

 

 しかし、ウェイブはうろたえることはしなかった。

 

「ここで何をしてる。偵察か?」

 

「いいや、どっちかって言うとお前を探してたんだよ。ウェイブ」

 

「俺を?」

 

 ウェイブは怪訝な顔をすると、リヒトはどこかニヒルな笑みを浮かべ、近くにあった樽の影から何かを引きずり出した。

 

「この二人を預けたくてな」

 

 瞬間、ウェイブは目を見開いた。

 

 リヒトが樽の影から出したのは、手を縛られたボルスの妻子だったのだ。




はい、お疲れ様でした。

少し更新が遅れてしまい、大変申し訳ありません。
とりあえず、ボルスの妻子は救うことにしました。
……可哀想だったしね。

また、唐辛子程度でと思うかもしれませんが、どんなに強くても目や鼻を刺激されれば隙はできるものなのです。(暴論)

果たしてリヒトはウェイブとの取引がうまくいくのか……。
次回の更新は来年になると思いますが、よろしくお願い致します。

皆様、良いお年を。

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