ヨルムンガンドを展開したリヒトは目の前の二人を睨みつける。しかし、それに答えたのはナタラだけであり、クロメは八房をおさめて近場の岩に腰掛けてしまった。
それに怪訝な表情を浮かべていると、クロメは懐から『クロメのおかし』と書かれた袋を取り出し、クッキーらしきものを咀嚼しながら問うてきた。
「どうして数で優位に立っているのに二人で攻撃しようとしないんだ? って考えてない?」
「まぁな」
クロメの言ったことは実際のところ図星である。戦いにおいて数で上回っているということは、それだけで優位に立っていると同じことだ。まぁ帝具戦ならば話は別かもしれないが。
「じゃあ一応答えてあげるね。ナタラは他の骸人形の中でも戦闘能力は特に高いんだよ。そうだなぁ……あそこにエイプマンっていう特級危険種の骸人形がいるでしょ。簡単に言えばアレの十倍は強いよ。私やお姉ちゃんがいた暗殺者育成機関で育ったし」
「だからオレには勝ち目はねぇって?」
「どうだろうねぇ、それには答えてあーげない。それよりもホラ、ちゃんと前見ないと……死んじゃうよ」
彼女がそこまで言ったところでリヒトは直感的に仰け反った。刹那、彼の頭を掠めるようにしてナタラの持っていた槍のような武器の刃が通過していった。
バック転の要領でその場から飛び退くとナタラが次の攻撃態勢を取っているところだった。
「嫌な攻撃してきやがって」
毒づきつつナタラを睨みつけるが、彼の目に感情は見えない。死者なのだから当たり前といえば当たり前なのだが。
リヒトは一瞬クロメを見やる。彼女は相変わらずお菓子にパクついているが、眼光は鋭い。恐らくこちらに一瞬の隙でもできれば斬りかかって来ることは間違いないだろう。
「どうやらクロメを殺すにはお前さんを再起不能にするしかないっぽいな。ナタラくんよ」
肩を竦めながら言うとナタラはそれに答えるように武器を構えた。リヒトもまた片手剣を構える。
二人の間に静寂が流れ、聞こえるのは谷底で戦っている者達の音しか聞こえない。クロメもこの状況でリヒトに隙がないことが理解できているようで一切の攻撃を仕掛けては来ない。
そしてリヒトとナタラ、二人の視線が交錯した時。彼等はほぼ同時に動いた。
リヒトは右腕に浮かぶ実体のあるヨルムンガンドを投げつけ、ナタラは一気に距離詰める。ヨルムンガンドは弾丸には及ばないものの、かなりの速さで伸びていくが、ナタラはギリギリで避けて見せた。
さすがはアカメと同じ教養を受けてきただけはある。先ほどのアカメとの戦闘を見ていても分かることだが、彼は相当訓練を積んでいたのだろう。
ナタラはヨルムンガンドを避けてそのままこちらに直進しながら武器を構え、強烈な刺突を放ってきた。リヒトはそれに恐れず片手剣を構えて走る。
顔面に向けて放たれた突きを剣で弾き、そのまま刀身を滑らせるようにナタラに肉薄し、彼の首筋目掛けて剣を振り抜いた。
ナタラの武器は槍ではない。しかしこういったリーチのある武器はその構造上相手との距離をある程度取り、中距離からの攻撃を得意とする。だからこそリヒトは一気に懐にもぐりこんで首を飛ばそうと思ったのだ。
けれど、ナタラは渇いた瞳でこちらを一瞥すると武器の柄を後方に伸ばし、身体をひねり柄でで薙いできた。直撃すれば肋骨が折れるだろう。リヒトはそれもおかまい無しに首を落とそうとも思ったが、よくよく考えれば首をとばした程度で動かなくなるわけではなさそうだし、何よりここで無理をしてナタラの首を刎ねたとしても、次にはクロメがいる。
負傷した状態でクロメに勝つのは難しいと判断を下し、リヒトはエネルギー体のヨルムンガンドを後方の虚空に打ち込むことでその場から離脱するが、リヒトの口元は僅かに上がっている。
すでに手を打ってあるのだ。空中で実体のあるヨルムンガンドをクロメに向けて振りぬく。短剣を咥えさせているので殺傷能力は高い。離れている距離は空中にいる高さも加えても十メートル前後。鎖を戻しながら振っても十分届く距離だ。
地上のナタラもそれに気が付いたのかクロメの護衛に走る。滑り込みながらクロメの横に立った彼はヨルムンガンドを叩き伏せる。
「残念。おしかったね、リヒト」
お菓子を食べながら言ってくるクロメは微笑を浮かべていたが、リヒトもそれに対しニィっと笑って返す。
「いいや、手順通りだ」
笑って言うリヒトを怪訝に思ったのか、クロメは隣にいるナタラを見やる。見ると、ナタラの武器と腕にはヨルムンガンドが巻きついている。
ナタラもそれを引き剥がそうとしているものの、ヨルムンガンドは離そうとも離れようともしない。
「……なるほど、最初から狙いは私じゃなくてナタラの武器だったってわけだ」
「正解。気付いた代わりに種明かしと行こう。基本的にオレの帝具、ヨルムンガンドはオレの意思で動かしているが、今の状態になるとヨルムンガンドにもある程度の自律行動が取れるようになる。だから余計な思考は排除することが出来るんだよ」
地面に降り立ちながら解説するリヒトに対し、クロメは冷たい瞳を向けてくる。
「思った以上に面倒くさい帝具だね、それ。でも――」
彼女が言った瞬間、リヒトの体が凄まじい力で引っ張られた。ナタラが武器をふるって釣りのように引っ張ってきたのだ。
「――ちょっと舐めすぎだよ」
不適な笑みを浮かべてくる彼女は、八房を抜き放った。そして一気に足に力を込めるとリヒトに向かって逆袈裟斬りを放つ。しかしリヒトは冷静に状況を判断。引き寄せられるスピードをそのままに彼女の攻撃を弾く。
「やっぱりアカメと太刀筋が似てるな、クロメ!」
攻撃を弾き、そのままナタラの力で空中に放り出されながら言うリヒトだが、既に背後にはナタラがいた。彼は先ほどのように柄を伸ばし、今度は上から叩きつけるように槍を振り下ろしてくる。
するとヨルムンガンドが危険を察知したのかリヒトの意思に反し、空間を噛んでそのばから強制的にリヒトを離脱させた。
そちらに引っ張られると同時にナタラの武器に巻きつけたヨルムンガンドを引っ張ってみるが、彼もそれを離そうとはしない。
「だったら、これでどうだッ!」
リヒトはヨルムンガンドを力のままに振り下ろした。腕を拘束されているから武器は振りほどけないはずだ。案の定、ナタラはそのまま地面に叩きつけられ、大きな土煙が上がった。
鎖を伸ばしたまま地上に降り立った後、鎖を回収しながら土煙の中を一瞥する。
……影は見えねぇが、今ので再起不能はないよな。死体だし。
嘆息しつつクロメを見ると、相変わらず嫌な笑みを浮かべている。彼女はそのまま膝を曲げると、八房を構える。その姿はアカメのものと本当に酷似していた。
それに内心で笑いつつも、リヒトは駆け出す。クロメも同じように駆け出すと、剣と刀が衝突した。
金属と金属がぶつかり合う音が響き、二人の目の前で火花が散る。
二人はそのまま何度も激突し、一進一退の攻防が続く。
「一つ聞きたいんだがクロメ、どうして昔の仲間を骸人形にする。仲間なら静かに眠らせた方がそいつの為だろ」
「お姉ちゃんと同じことを言うんだね。そうじゃないよリヒト、仲間だからいつまでも一緒に居たいんだよ。だから私は大好きなお姉ちゃんと一緒に居るためにお姉ちゃんを殺すの」
「なるほどな。まぁテメェの言い分も分からないことはねぇ。誰だってずっと一緒にいたいヤツはいる……でも、いつまでも過去に囚われていたら前には進めない。死んだやつは土に還してやれ」
「君の言い分なんて聞いてないよ」
彼女は言うと同時に一際強く八房を振るってきた。リヒトはそれに大きく後退させられるが、彼女は追撃をしてくることはなく崖に向かって行った。空中で見たとき崖下にはレオーネがいたはずだ。
恐らくクロメは彼女に仕掛けるつもりだろう。そうはさせまいとヨルムンガンドを放つが、彼女に直撃仕掛けた瞬間、回復したナタラによって防がれた。
「絶対にクロメには傷を負わせないってか……。生きてるころは正義感が強かったのかもな」
苦笑するリヒトにナタラは戦闘態勢をとって駆けて来る。それに対してリヒトも戦闘態勢を取った。
リヒト達の戦いを少しはなれた林の中で観察していたチェルシーは、アメを舐めながらため息をついた。
「リヒトは大丈夫そうだけど、タツミがなぁ……。苦戦してるっぽい」
上から見下ろす形だがタツミは二対一の状態で苦戦しているのが見て取れる。タツミが戦っているのは特級危険種のエイプマンの骸人形と、バン族の生き残りだという黒いローブを来たヘンターという骸人形。
「アカメの話だと八房で骸人形にされた人は生前に染み付いた強い念や癖は残ってるんだっけ。だったら効果がありそうなのはあのヘンターだね」
不適な笑みを見せながらチェルシーは気付かれずにがけ下に降りるために適当な鳥に変身すると、タツミの背後にある岩陰に身を潜める。
エイプマンはタツミが相手をしているから、この隙を狙ってヘンターが仕掛けてくるだろう。チェルシーは一度変身を時、再度ガイアファンデーションを使用する。
出来上がったのはバン族の男の体だ。バン族は数年前にエスデスが制圧した一族だ。その際の生き残りというのなら、同胞には相当強い念を抱いているだろう。だからこそ、その心のヒダを狙うのだ。
そして男がタツミに向かって駆け出した時、チェルシーはヘンターの前に姿を現す。ヘンターはいきなりの同胞の登場に一瞬呆けたような顔をしていた。そして口からは途切れ途切れの声が漏れる。
「ナ……カマ……!?」
同胞を皆殺しにされた彼にとっては突然の同胞の出現は嬉しさもあったのだろう。僅かに口元が緩み、体にも隙が現れている。
次の瞬間、彼の額に鋭い針が突き刺された。
同時にチェルシーは変身を解き、ヘンターに告げる。
「残念ながら、私は滅ぼされた貴方の同胞じゃないわ」
チェルシーの言葉にヘンターは悔しさと怒りが混じったような呻き声を上げたが、上から飛来したタツミの一撃によって体を両断された。
「ナイス、タツミ。体を真っ二つにすればもう動けないでしょ」
「助かったぜチェルシー!」
タツミはビッと親指を立ててくるが、チェルシーがそちらを向くとエイプマンが体を起しているところだった。
「タツミ、その猿は任せたわよ!」
「お!? おう!」
余裕ありげな返答だったので問題はないだろう。チェルシーは走りながら嘆息する。
……やれやれ、リヒトの行ったとおり私も甘ちゃんだなぁ。流石に今のは大胆すぎた。
戦場から離れ岩陰に隠れたところでチェルシーはリヒトが戦っている崖の上を見やる。時折空に彼の姿が見えることからまだ生きているだろう。いいや、生きていてくれなければ困るのだ。
「告白するまでは生きててよね、リヒト。私も生き残るからさ」
リヒトとナタラによる戦闘はどちらかといえばリヒトが優勢であった。しかし、未だにナタラを仕留め切れてはいない。その理由はやはりクロメだ。彼女はナタラだけは失いたくないようで、彼がピンチに陥ると確実に割って入ってくる。
しかもナタラは段々とヨルムンガンドを使った立体的な戦闘方法に慣れてきたようで、防御能力も上がっている。
……いい加減クロメの精神力でも削るべきか?
リヒトは戦いながらエネルギー体のヨルムンガンドをクロメに巻きつける算段を立てるが、内心で被りを振った。
……だめだ。クロメの精神力を削るなら八体目が出てからか、骸人形を少なくしてからじゃねぇと。
判断を下したリヒトはナタラとの戦闘に戻るが、そこでクロメが焦ったようにナタラを呼んだ。
彼はそれに瞬時に反応するとクロメの元に駆けて行く。リヒトもそれを追うと、二人は対岸へと移った。確かあちらにはマインがいたはずだ。
「マインは仕留めさせねぇよっと!」
ヨルムンガンドを対岸の木に打ち込んで二人の後を追う。二人の姿はやや広いところにあったが、彼らの前には巨大なカエルがいた。
「カイザーフロッグだぁ!? アレも骸人形ってことかよ!」
カイザーフロッグはエイプマンと同じ特級危険種だ。消化液が凄まじく何でも溶かしてしまうという話だが、まさかあんなものまでコレクションしていたとは。
「って、マイン!!」
リヒトが驚くのも無理はない。カイザーフロッグの口元からはマインの手と特徴的なピンクの髪が見えている。短い舌打ちの後彼女の手にヨルムンガンドを巻きつけて引っ張り出そうとしたが、一歩遅かった。
ヨルムンガンドが届く前にマインは完全に飲み込まれてしまったのだ。
「クッソ! 待ってろマイン!!」
毒づきながらもマインを救出しに走るが、その前にナタラが立ちふさがり、クロメが楽しげに言う。
「あの子を助けたいなら私達を倒してからじゃないとね。でも、その頃にはドロドロに溶かされてるかもしれないけど」
「テメェ……!」
リヒトがクロメを睨みナタラの攻撃を受け止めたところで谷底からエイプマンが跳ね上がってきた。全員がそちらに視線を向けるとインクルシオを装備したタツミがエイプマンを蹴りつけた。
タツミがそのまま崖上に上がってきたのでリヒトは彼に向かって名を呼ばずに告げた。
「マインがそのでけぇカエルに飲み込まれてるから、エイプマンを再起不能にして助け出せ!! クロメとコイツはオレが何とかする!」
「お、おう! わかった!!」
唐突に言われたことでタツミは驚いたようだったが、すぐさま向かってきたエイプマンを撃退し、首をとばした。恐らく身体にも相当ダメージが残っていたエイプマンは、そのまま力なく倒れ付す。
タツミはノインテーターを出現させるとクロメを一瞥した後カイザーグロッグに向かって行く。
「行かせないよ……ッ!?」
クロメが動き出そうとしたものの、その足を見るとヨルムンガンドがとぐろを巻くようにきつく巻きついていた。
リヒトはマイン救出用に伸ばしたヨルムンガンドを、クロメに気付かれないようにゆっくりと彼女の足元まで戻していたのだ。また、今はヨルムンガンドとオーラで接続されているためそちらに手を向けなくて済むので、ナタラとの戦闘にも集中できる。
「オレとのデートがまだだろクロメちゃん」
ニッと笑みを浮かべながら言うリヒトはナタラの攻撃を受け流していく。ここまで戦ってきて改めてナタラの戦闘力の高さに驚かされれるが、この程度ではブラートには及ばない。
それに今はマインを救出することが第一だ。なんとしてもクロメをタツミの元に行かせる訳にはいかないのだ。すると、クロメは冷徹な眼差しをこちらに向けて不気味な微笑を浮かべた。
「それじゃあさっさと君を殺してアレも殺すことにするよ」
「好きにしろ。オレを殺せたらだけどな、クソガキ」
煽るような言葉を口にするとクロメが八房を抜き放ちながら迫り、逆からはナタラが迫ってきた。
リヒトはクロメが迫るのにあわせてヨルムンガンドを回収し、八房を鎖で受け止め、ナタラの槍を片手剣で受け止める。ギチギチと音を立てて鎖が軋むが、ヨルムンガンドは短くすれば短くした分強度が増す。この程度まで戻せていれば帝具の一撃を受け止めることは可能だ。
クロメは不機嫌そうな顔をしたが、リヒトはそれを見ながら嫌味たっぷりの笑みを投げた。それが気に食わなかったのかクロメは八房をグッと押し込んできた。角度を見るとリヒトの脇腹に突き刺さる軌道だ。
恐らく彼女はこれをリヒトが避けると踏んだのかもしれないが、リヒトの行動は意外なものだった。
リヒトは八房の攻撃を避けなかったのだ。それにより八房の刀身が脇腹に突き刺さった。鋭い痛みが身体を駆け抜け、リヒトは苦悶に顔を歪ませる。さすがのクロメもこれには驚いたようで初めて明確な驚きが顔に表れた。
「八房は斬り殺した相手を骸人形にする呪いをかける帝具だから、殺されてなけりゃ問題はねぇんだよ。だからさぁ……」
言いながらリヒトは八房の刀身を右手で握って彼女がこれ以上動けないようにする。
「……捕まえたぜ」
「ナタラ!」
クロメは動けるナタラにこちらを殺すように命じたようだが、既に策は打ってある。ナタラの手にはエネルギー体のヨルムンガンドが巻きついているのだ。そう、リヒトは激痛に苦しめられるこの状況下であっても精神を研ぎ澄ましているのだ。
だからこそ鎖の強度もグンと上がっているというわけだ。
リヒトは視線だけを動かしてカイザーフロッグに飲み込まれたマインを救出仕様としているタツミを見やる。カイザーフロッグは元々動きが遅いので簡単に背中に乗れたようで、そこにノインテーターを突き立てているところだった。
すると、それに答えるようにカイザーフロッグの体がボコボコと膨らみ始めた。そしてリヒトは思い出す。飲み込まれたマインの持つ帝具は、所有者がピンチになればなるほど力を増すパンプキンだということを。
そしてタツミが背中を裂こうとしたところで、彼の眼前をレーザーが駆け抜けていった。タツミはそれをアクロバティックな動きで避けていたが、中からは服の所々を溶かしたマインが出てきた。
……あの状況なら相当ピンチだよな。
内心で笑みを浮かべていると、脇腹と右掌に鋭い痛みが走った。見るとクロメが八房をグリグリと動かしている。
「お仲間が救えたところを見てる場合じゃないよ。早くこの状況を打破しないと死ぬよ?」
「あぁ、そうさな……。でも、次の手はもう来てる……」
ニッと笑みを浮かべながら言うと、彼の背後から影が飛び上がってきた。クロメとナタラもそれに気がつき、リヒトの力が緩んだほんの一瞬を見計らってその場から離脱した。
八房が引き抜かれたことで血が流れ出るが、刺さった場所には大きな内臓もないし、血管も傷ついてはいないはずだ。
「足止めご苦労だったな、リヒト」
「ハッ。ちっとばかし痛かったぜ」
そういわれたのでそちらに視線を向けると、ナジェンダがいた。そして彼女の隣にはいつもとはまったく違う風貌のスサノオが険しい表情で佇んでいた。
「ソイツがスサノオの奥の手か……」
「ああ。後はこちらがやる、お前は少し休んでいろ」
「冗談。こんくらい怪我の内にはいらねぇよ。まだ戦えるさ」
とは言って見るものの、リヒトの表情は晴れない。クロメを見ると相変わらず不気味な笑みを浮かべている。また、彼女から発せられる覇気もなんとなく強くなった。
「骸人形の制御が減った分、クロメに力が戻っているようだな。気を引き締めねば一瞬で骸人形にされるぞ!」
ナジェンダに言われてその場にいる全員が戦闘態勢を取った。けれど次の瞬間、彼等の視界の端で一瞬チカッと何かが発光し、それに続いて轟音と共に球状の爆発が起こった。
爆心地の方角的にあちらはアカメとレオーネがボルスと戦っていた方角だ。リヒトはカイザーフロッグの骸の影に隠れることで事なきを得たが、視線はクロメたちを探していた。
しかしそれだけ見回しても彼女らの姿はなく、崖の近くにナタラの持っていた武器が突き刺さっているだけだった。どうやら爆発に乗じて逃げたようだ。
やがて爆発が止み、リヒト達は互いの生存を確認した。
「クロメは逃げたようだな」
「あの爆発は、ボルスか……アカメとレオーネは大丈夫か?」
「待っていろ」
ナジェンダは言うとスコープを取り出して谷底を見やった。リヒトもそれにならって目視で注視すると爆心地の近くにアカメとレオーネの姿が見て取れた。しかし、レオーネは倒れているようだ。
「タツミ。動けるならあの二人を頼む」
ナジェンダがタツミに命じると彼は崖下へと降りて行った。
「レオーネは大丈夫そうか?」
「体が上下していたから息はあるはずだ。それにライオネルには奥の手もあるしな」
それに頷いたリヒトは一瞬視界がぶれるのを感じた。彼はそのまま倒れこみそうになるが、スサノオがそれを受け止める。
「わるい、スサノオ」
「気にするな。それよりもまずは手当てをしなければ。ナジェンダ、拠点に戻ったほうがいいんじゃないか?」
「そうだな、アカメ達が合流したら一度拠点へ戻ろう。チェルシーもラバックと合流している頃だろう」
スサノオもそれに頷いたが、リヒトだけは首を横に振った。
「いいや、ボス。オレはラバックと合流する」
「その傷でか? やめておけ、無理はしない方がいい」
「わかってる。でも、チェルシーが気になる。無理をするんじゃないかって思ってな」
脇腹を押さえながら言うリヒトの額には僅かに汗が浮かんでおり、服には血が滲んでいる。ナジェンダはその状態を見て難しい表情をしたが、しばらく考えた後に頷くとスサノオに命じた。
「スサノオ、リヒトの手当てをしてやれ。リヒト、二人と合流したら決して深追いはするな。先ほどの爆発がボルスの持つ帝具のルビカンテの自爆だとすれば、それだけでも十分な戦果だ。決して戦闘などしようと考えるなよ」
「ああ、了解だ。それにエスデス達も合流するだろうしな」
リヒトは軽く答えてみるものの、傷の痛みは消えてはいない。むしろ強くなっているといってもいいだろう。
「よし、とりあえずこれで止血は終了した。だが無理はするなよ」
「わーってるよ、そんじゃ行ってくる。みんなは先に戻っててくれ」
言いながらリヒトはラバックとチェルシーが合流するという地点へ向かった。
木にヨルムンガンドを打ち込みながら合流地点へと向かうリヒトは、傷口を押さえていた。恐らくスサノオに止血してもらった傷口が開きかけているのだろう。
「まぁこんだけ動き回ってれば当たり前か……」
苦笑しながら進んでいると、そこで林の中にラバックが走っているのが見えた。
「ラバ!」
リヒトが声をかけると彼は一瞬身構えたが、すぐに緊張を解いてこちらを見上げてきた。
「リヒト、何でお前こんなところに」
「んなことはどうでもいい。チェルシーはどうした!?」
「チェルシーちゃんならボルスを殺し終わって、みんなを楽にするためにってクロメを追ったよ」
「あの馬鹿……!! ラバ、お前は拠点に戻ってろ。オレはチェルシーを追う。アイツはどっちに行った!」
「え、あぁクロメがいる方向だから結界の外……このまま真っ直ぐ進めば合流できると思う」
リヒトはそれだけ聞くと空中へ高く飛び上がった。空中で周囲を見回すと林の中の小路にボルスが倒れこんでいる。チェルシーに始末された本物のボルスだろう。
恐らくチェルシーは彼に化けてクロメを暗殺するつもりなのだろう。しかし、リヒトは胸がざわめくのを感じていた。先ほどの戦闘の前、彼女は長距離からのマインの狙撃を避けてみせた。
あの反応速度は明らかに人間のそれを越えている。だからリヒトは軍に所属していた頃に聞いた暗殺部隊のエリート組みから零れ落ちた者達のことを思い出す。
暗殺部隊を作るため、帝国は年端も行かない純真無垢な子供たちを百人買い付け、暗殺者として育て上げた。その内の七人は精鋭部隊とされており、アカメはこれに所属していたのだ。
だが、その他選抜から外れた大勢の子供たちの末路は、帝国の地下で行われていたのは劇薬などの薬物投与を施す人体実験だったらしい。
恐らくクロメのあの反応速度はそれの産物によるものだろう。もしかするとクロメはチェルシーの殺し方では殺しきることが出来ないかもしれない。
「早まるんじゃねぇぞ、チェルシー……!!」
脇腹の痛みも無視して突き進むリヒトはやがて森を抜けた。地上に降り立つといよいよ止血の効果がなくなってきたのか、脇腹からじんわりと湿ってきた。しかしそんなことを気にしている暇はない。
周囲を見回すと崖近くの小路を歩いているボルスとクロメの姿があった。あのボルスはチェルシーで間違いがないだろう。すると、クロメが態勢を崩しその場にへたり込んだ。先の戦闘で八房を使いすぎた疲労だろうか。
ボルス……いいや、チェルシーはクロメを心配するように腰を落とす。そしてクロメの背中を摩った瞬間、ボルスの姿が掻き消え、その中からチェルシーの姿が露になった。
クロメはそれに反応することが出来なかったようで、次の瞬間には彼女はその場に倒れこんだ。恐らくチェルシーは針で急所を抉ったのだろう。けれどリヒトの胸中にはいまだざわめきが残っている。
「チェルシー!」
声を大にして叫ぶと彼女はこちらに振り向き微笑みを返しながら歩いてきた。リヒトは彼女に「走れ!」と言おうとしたが、その時彼女の後ろでゆらりと悪鬼が立った。
こちらに歩いてきていたチェルシーもそれに気が付いたのか、すぐさま身体を反転させる。
リヒトはその時クロメの瞳を見てしまった。あの瞳はもう人間がしていいものではない。今まで見てきた敵の中で最も不気味な瞳は素直にリヒトを恐怖させた。クロメはお菓子を噛み砕きながら八房を抜き放つ。
「チッ!!」
短い舌打ちの後、リヒトはヨルムンガンドを一気に伸ばしてチェルシーの身体に巻きつける。そのまま力いっぱい引っ張ったがそれが幸を創した。彼女が先ほどまでいた場所にナタラが現れたのだ。その背後には銃を持った女の骸人形がいる。
チェルシーを何とか自分のいるところまで引っ張ることに成功したリヒトは、大きく息をついて目の前の三人を見据える。だがクロメはというとその場に八房を突き刺して座り込んでいる。
死の淵から復活したとは言えどダメージは大きいのだろう。または、劇薬の後遺症か……。
「ありがとう、リヒト。危なかった……」
「無理しすぎなんだよテメェは。それにオレに話すことがあるんだったらもっと命を大切にしやがれ」
「……うん、そうだね」
チェルシーは顔を伏せながらいうもののリヒトはどうやってこの場から逃げたものかと算段を立てていた。
……どうする。強行突破で抜けるか? いいや、ナタラの戦闘能力を考えるとオレは逃げ切れてもチェルシーがキツイ。それにもう一人と連携されても厄介だ。
何度も逃げることを考えるもののいい案は一向に思い浮かんでこない。その間にもナタラと女の骸人形は着々と近づいている。そして彼等が腰を低くし一気に来るか否かの瞬間、僅かな地響きと鳥類がギャーギャーと鳴く声が聞こえた。
「なに?」
不思議そうに辺りを見回すのはチェルシーであるが、それは骸人形二人とクロメも同じことだった。しかし、リヒトだけはこの地響きがなんであるのかが理解できた。
「逃げるぞチェルシー」
「え、どうやって……うわぁっ!?」
チェルシーの声を最後まで聞かずにリヒトは彼女を左手で持ち上げる。ナタラと銃使いはそれに反応したが、その瞬間彼等の目の前に危険種の群れが雪崩れ込んできた。
危険種の姿は一言で言えば馬のような姿だった。しかし、頭には刀のように反り返った角が生えており、口元からは鋭利な牙が覗いている。二級危険種のブレードランナーの群れだ。個々の力はそうでもないが、群れで行動するのが脅威となる危険種だ。
「コイツ等、一体何処から……」
「オレにひきつけられて来たんだろうさ。いい感じに来てくれたぜ」
ニッと笑みを浮かべて言うのも無理はない。なにせブレードランナーはリヒトにも向かってきているが、動けないクロメにも向かっているのだ。クロメに向かっているということはナタラ達は動けない彼女を援護するほかない。
だからこそ今が好機なのだ。
「跳ぶぞ、チェルシー。しっかりしがみ付いてろよ!!」
言うが早いかリヒトは虚空にヨルムンガンドをい打ち込み、空中へ躍り出た。眼下ではクロメが睨んでいたが、そんなことは気にしていられない。一刻も早くこの場から離脱しなければならない。
そのまま次の空間にヨルムンガンドを打ち込もうとしたが、その時したから一つの銃声が聞こえた。そして次の瞬間リヒトは腹部の辺りを何かが貫通したのを感じた。
「リヒト?」
一瞬震えたリヒトに対しチェルシーが怪訝な顔を向けてきたが、彼はそれに答えずに空中を跳びながら臨時拠点へと戻っていった。
臨時拠点の近くへ帰還を遂げたリヒトとチェルシーは地上に降り立ち、互いに安堵の息をついた。
「ここまでくれば問題ないだろ。オレの体質もたまには役に立つな」
肩を竦めながら言うリヒトにチェルシーも頷いたが、彼女の顔は晴れない。深追いしたことを悪く思っているのだろう。
「ごめんね、リヒト。無茶させちゃって」
「気にすんな。ラバックから聞いたけどオレ達を楽させようとしてくれたんだろ。謝ることじゃない。でも、今度からは誰かと一緒に行動しろよ」
苦笑しつつ言うリヒトだが、息は荒いし顔色も悪い。流石にチェルシーもそれに気が付いたのか顔を覗き込んでくる。
「ねぇリヒト。調子悪そうだけど怪我してるの?」
「ん、ああ。脇腹を刺されててな、ちょっとばかし視界が霞んでるだけだ」
「ちょ!? それって全然大丈夫じゃないじゃん! 早く戻って治療しないと!」
「そうだな。でも大丈夫そうだ。ホラ、前見ろ」
顎をしゃくって前を指すとアカメとタツミが二人に手を振って駆けてくるところだった。チェルシーはそれに安堵したような表情を見せたが、リヒトはその表情を最後まで確認することが出来なかった。
視界がもう確認できないところまで霞んできていたのだ。そして体の重心がぶれたかと思うと、彼はそのまま地面に倒れこんだ。
「リヒト? リヒト!?」
チェルシーの声は聞こえるものの限り無く遠い。リヒトは空を見上げながら刀傷のある脇腹ではなく、腹部の辺りを撫でた。
妙に温かみのある液体の感触と本来人体にはない穴がそこにはあった。そう、リヒトはクロメの骸人形の一人である銃使いの女に撃たれていたのだ。
……やっぱ撃たれてたよな。ヤバイ、もう意識が……。
徐々に視界が狭まり、もはや人の顔すらも認識できないぐらいまで視界が霞む。しかし、チェルシーが必死に呼びかけているのは聞こえた。
「しっかりして! リヒト、死んじゃいやだよ!! まだ伝えたいこと伝えてないのに!!」
段々とその声も聞こえなくなってきたが、声の感じからして彼女が鳴いているのが分かったリヒトは、口を僅かに動かした。
『泣くなよ』と。
だが言い終えると同時に彼の視界は完全に闇に支配された。
リヒトが『泣くなよ』と口パクで伝えてから目を瞑ってしまったことにチェルシーの顔が蒼白になった。
「そんな……リヒト? 嘘だよね?」
言って見るものの彼女の問いにリヒトは答えない。チェルシーは最悪なことを想像したが、その瞬間焦った様子でタツミとアカメがやってきた。
「チェルシー! リヒトは!?」
タツミに問われたものの、チェルシーはそれに答えることが出来なかった。タツミも彼女の反応に最悪の事態を想像してしまったようだが、リヒトの胸に耳を当てたアカメが告げる。
「タツミ、チェルシー。急いでリヒトを拠点へ運ぶぞ! まだ心臓は動いてるし息もある。今ならまだ間に合うはずだ!!」
アカメに命じられて二人は顔を見合わせるとそれに頷いた。
すぐさまチェルシーが傷口からこれ以上血が流れ出ないように押さえながら、リヒトをタツミに背負わせる。
「急ぐぞ! 早く処置しないと取り返しがつかなくなる!」
「おう!!」
タツミは走り出し、チェルシーとアカメもリヒトの傷口を押さえながら走り出した。そしてチェルシーは下唇を噛み締めながら祈った。
……お願い。死なないで、リヒト!!
彼女の瞳からは涙が零れ落ちた。
はい、早めに投稿するなどと言っておきながら一週間も空いてしまって申し訳ないです……。
なにぶん荒ぶる神々を食べることに必死だったものでして……。
まぁそんなことは理由になりませんよねw
尚且つ戦闘描写へたくそですみません……。
チェルシー生存確定!
もっとピンチな所に颯爽登場!! させようかとも思ったんですが主人公負傷の方がおもしろいかなーって思ったのでこんな感じにしました。
そして次に控えてるのはセリュー戦!! 負傷しているリヒトは二週間で完治させることが出来るのか……そしてセリューは狂気から解き放たれるのか……もう少々お待ちくださいませ。
そしてもうお解かりですね、この作品のヒロインは……。
では、感想などありましたらよろしくお願いします。
追記
本編中でタツミがバレてますが、そこは私のミスです。
修正しておきます。
皆様には多大なるご迷惑をおかけして申し訳ないです。