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すれ違い――それが恋!
『某教会執務室にある漫画』より抜粋。
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薄暗い。
一度目が覚めたのだが、気持ちよくて二度寝してしまった。思った以上に時間が経ってしまったようだ。
夜目に慣れてくると、ぼんやりと机や棚が見えてきた。人の気配はなかった。
病院のようだが、ベッドも機材も見当たらない。
(あ、そっか。ボク、フェレットだから)
動物病院に運ばれたのだ。この世界の戸籍もお金もない身としては動きやすい。ただ、体力を維持するためフェレットのような小動物に変身したのだが、功を奏した。
(助けてくれた人、ありがとうございます)
籠の中から抜け出す。身体は温かい。
(体調も戻ってる…)
寝ている間に何が起こったのか、首元の彼女に尋ねようとして、ボクはこの世界に来た理由を思い出した。
暴走したロストロギア。まだぼんやりしている頭を呼び起こし、瞬時に探索をかける。
――いた。およそ、500メートル離れた林の傍。
(っ!?こっちに向かってきてるっ)
――血の匂いだ。昨日覚えたボクの臭いを辿ってきている。獲物と認定されたみたい。
建物にいては戦闘に不向き。とにかく移動をしなければ。
暴走状態のロストロギアは、融合した犬の思考パターンで動いている。お腹を減らせている欲望を叶えるため、人を襲う可能性がある。滅多に林の中まで足を踏み入れる人はいないだろうから、犬さんが気づかない限りは猶予はある。
(少しでも通りから離れた位置まで、引きつけないと…)
座標を計算し、転移魔法を展開。
一瞬で、林の中へ跳躍した。途端に虫の鳴き声が耳に入った。
(よし、かかった!)
こちらの動きを察知して、進路方向を変えたようだ。
あとは暴走状態の停止、そして封印をするだけ。
悪夢が蘇る。鋭い爪に、身体ごと弾き飛ばされる。真っ二つに引き裂かれる自分の身体。妄想だ。
(――ッ、大丈夫、今度はうまくやれる)
震えを押さえ込む。前を向く。
そこには昨日よりも禍々しい魔力を発すロストロギアがいた。
思ったよりも早い。時間が経って、同調率が上がっているのかもしれない。
(それでもやるしかない)
原因をつくったのボクなのだから。
牙を向き出しにした威嚇を真正面から見据えた。
◆◆◆
晩御飯の食器を片付け、わたしはどきどきする心臓を落ち着けるため、息を深く吐き出した。
後ろでは既に味方となったお母さんが、様子を窺いながらお皿を拭いている。
ソファーでくつろいでいるお父さん。その横に、立つ。
「どうした、なのは」
「あのね、お父さん。お願いがあって…フェレットを飼いたいの」
「急な話だな。だがなぁ」
両親は、翠屋という喫茶店を営んでいる。食べ物を扱う職場に、動物が出入りするのは不衛生だ。
それはお母さんからも指摘されていた。渋るお父さんの気持ちは理解できた。
(やっぱり、ダメなのかな…)
自宅だけで飼うにしても、作業服の洗濯は家でする。どんなに注意しても限界はある。
「いいんじゃないの、昔は犬を飼ってたこともあるんだしさ」
お風呂上りのお姉ちゃんが加勢してくれた。
わたしとお姉ちゃんとは8歳離れてる。お兄ちゃんはお姉ちゃんと2歳年上だから、わたしとは丁度10歳差がある。
たぶん、お姉ちゃんが言っているのはわたしが生まれる前の話。
「ああ、恭也が拾ってきた子か。懐かしいな」
「けど、アイツは外で飼ってたんだ。フェレットは室内だろ」
着替え持ってお兄ちゃんが降りてきた。
女性陣は賛成派で、男性陣はやや反対かな。
頭に重みを感じて、顔を上げるとお父さんの優しい瞳があった。
「なのはがちゃんと世話をするって約束できるなら、お父さんは反対しないさ」
お兄ちゃんも頷いてくれた。
「苦手な文系も頑張れよ」
「うん。約束する!ありがとう」
嬉しくなって、わたしはそのまま自分の部屋に駆け上がる。
許可がもらえたってアリサちゃんとすずかちゃんにメールしなくちゃ。あと、明日は動物病院に寄るのを忘れないようにしないと。
携帯を開いて、電話帳から友達の名前を引き出す。
――は、――く――る。
気のせいだろうか。
微かに聞こえてきた声の方向、窓を見上げる。
昨日聞いた声に似ている。
もっと耳を澄ます。
――やるしかない。
さっきよりはっきり聞こえた。
けれどなんのことだかさっぱりだ。やるって、夢で見たような巨大な犬と戦うことだろうか。
「……ッ」
金属同士がぶつかったときのような音に、思わず頭を押さえる。周りを見回しても変化はない。お笑い番組を見ているお姉ちゃんの笑い声が一階から聞こえてくるくらい。
音は耳からじゃない、頭だ。それを認識した途端、涎を垂らした犬のような動物と対峙するフェレットの映像が見え
た。
(昨日と一緒!)
フェレットを見つけるため、歩いた通りよりももっと奥。野生の動物が出るからって、夜間は立ち入り禁止区域になっている林の中。
知らず、携帯を握る手に力が入っていた。打ちかけのメールの文面に意味不明な文字が並んでいる。
もし、魔法があるとしたら――。
昼間考えていた可能性に現実味が帯びてきた。
悩んだ末、切のボタンを押し、携帯を閉じる。
今の時間なら、お母さんとお父さんは明日の仕込みをしてる。
お兄ちゃんはお風呂。お姉ちゃんはリビングにいるけど、テレビに真剣だし。
(様子を見て、すぐ戻ってくれば大丈夫だよね)
わたしは、靴を履いて玄関を静かに出た。
もし、魔法があるとしたら――。その答えを探しに。
◆◆◆
高田家の夕飯は遅い。
敏腕医師である雅信さんの手が空くのが早くても20時を過ぎなのだ。
平介が事故に遭ってから、彼は可能な限り自宅で夕飯を取るようになっていた。そうしてまた病院に戻る。
命を扱う仕事だ。本当は、帰って来る余裕なんてない。
いつ病変するか、患者が運ばれてくるか予知できないから救急病棟があるのだ。
彼の息子への想いを考えたら、僕の腹の虫は黙るしかない。
今日も今日とて、ソファーで寝転んで待っていたのだが、
「あかん、味噌買い忘れた」
という杏奈さんの言葉により、僕は夜空の下を歩いていた。
夜風にあてられ、身震いする。気温管理されているミッドにいる感覚で薄着で出てきてしまったのが仇になった。
さっさと温い家に帰ろう。今晩はおでんなのだ。
足取り軽く、たっぷり煮込まれた大根やこんにゃく、卵に想いを馳せていたら舌がひりひりしてきた。
――平介は猫舌だった。
調理は熱くないおでんはおでんやない、という杏奈さんによってされている。そして僕は今、高田平介。
(アツアツ無理だ!)
頭の中で冷めたちくわを咥えた僕が、膝をついて涙を流していた。
その刹那――想像の僕はガラスが割れる音と共に霧散した。次いで、
『スタァライトォオオオオ、ブレェイ、ガァーッ!!!』
悪い子供をさらうという地球の鬼が尻尾を巻いて逃げ出すような、地を這う声。
ふふふと前髪でいいように目を隠し、笑う彼女が夜道に浮かび、思わずちびりそうになった。
「って、なんだ、アラームか」
発信は昨日固定しておいたスフィアだ。
危険度に応じて声が変わる性能付き。信号に例えると、黄色がサンダーレイジで赤がスターライトブレイカー。
因みに声は、本人の声紋を使って僕が合成した。ホンモノそっくりの力作だ。
(ジュエルシードの近くに魔力反応。ユーノが封印に乗り出したか)
若いのによくまぁ働く。禿げるぞ。
もう一つ増えた。これは高町なのはだろう。ユーノを遥かに凌ぐウェポン魔力だ。
若いのによくまぁとんだ脅威の代物を兼ね揃えたものだ。それも彼女の宿命なのだろうか。
彼女と合流した僕は、ジュエルシードもろ共、彼女の魔法をその身に受けることになる。
せっかく怪我を治したのに、傷が絶えないユーノに黙祷。これもキミの乗り越える壁さ。
ミッドでも滅多にお目にかかれない力任せの魔力弾を立て続けに
……だんだん不憫に思えてきた。というより、釈然としない不満が湧いてきた。
どうして、僕ばかりがそんな目に遭わなくちゃいけない。
そこではたと気がついた。
今の僕は未来を知っているのだ。少しくらい変えたっていいのではないか。そんな誘惑。
『ダメだよ。過去を変えることは時空犯罪だよ。刑務所で永久凍結されてしまう』
『なに綺麗ごと言ってるのさ、僕らしくない。ここは魔法の概念がない世界、バレなければいいんだよ』
『僕を誑かすのはやめて!今の僕は平介なんだよ!?』
『だから好都合なんじゃないか。僕自身が介入したなんて誰も思わないよ』
言い争いを続ける天使と悪魔。天秤は傾いた。
「……ちょっとくらいなら」
草場の影で、彼女の砲撃に飲み込まれる瞬間にチョッと防御張って、サッと帰ってくるだけ。
それだけで僕のトラウマが一つ減る。たかが一つ、されど一つ。
冷えた外気が興奮した身体に丁度よかった。
決して、帰る時間を遅らせて、おでんを冷ますことが目的ではないのであしからず。