場所を指定して恭也さんを連れて時の庭園に転移したときには、既に戦闘が始まっていた。
地揺れが半端ないんですけど。なんで隣の恭也さんは普通に歩けるのさ。……ああ、イケメンだからか。
「大丈夫かい、高田くん?」
「へーき、でぇすー、ぜはー」
というか、筋肉疲労で足元が覚束ないだけだった。
飛ぶに飛ばして更には男1人増やして転移したせいか、脂汗が止まらない。一応恭也さんが持ち歩いているミネラルウォーターを有難くもらったから脱水症状の心配はないけど、水分を含んだ服がじっとりと肌に張り付いて気持ち悪い。
魔力のある限り地面から生える砂のくぐつ兵無双は直接建物内に座標を置いて転移ショートカット。
こちとら逃げることしか能がない魔導師と、一般人の武人。
怪我をさせないでねと黒化した忍さんに約束させられてしまったのだからある意味命がけだ。
こっちの世界の彼女も吸血衝動あるのだろうか。貧血になるまで啜るのだけは勘弁してください、人間って想像以上に血がたくさんあるのね黒こげのヤモリは身体によくてももう食べられませんしすっぽんは造血と違うぎゃぁあああ――
「――ハッ!?」
「……高田くん?」
本当に大丈夫か?と疑いの眼を乾いた笑いで誤魔化しながら、一室のドアロックを解除する。
電気回路に魔力を通すこの手のロックはコツがあって、強い衝撃が加えられると非常用コードに切り替わる。
研究所の視察や捜査を抜き打ちで行う際に某パワハラ女に強いられた経験が思わぬところで役に立った。
そうしてやって来ました、まるで悪の秘密基地のような部屋。
ごてごてのマシーンが壁を覆い尽くして、床はコードやらで埋まっている。電気のスイッチが見当たらないんだけど、ディスプレイの明るさが電灯の代わりとでも言うつもりだろうか。窓も一個もないし、そりゃあ隈も濃くなれば目つきも陰険になるわ。
「さて、アリシアの身体は――っと」
下部からライトに照らされた一画。その中央にある緑色の液体で満たされたカプセルの周りだけは小奇麗にされている。
……差がありすぎやしませんかね。危なそうな液体ビンや実験器具の方こそ、片付けるべきだと思うのは僕だけなのだろうか。
そして当たり前のようにアリシア(故)は素っ裸。この、痴女め。
「恭也さん。これ壊せます?」
「ああ、待ってろ」
転がっていた椅子で叩き割る。
さすがにどうかと思ったけど、ここは静かにしておこう。
彼は心強い。魔法がなくても超人的な動きと冷静な判断ができるからこそ、必要としたヒーローなんだから。
「おわっ、ベトベトする」
脱ぎ捨てられていた白衣を守りきったかわりに跳ね返りがついた僕の服のクリーニング代請求は管理局にしよう。
「どぞ、これ」
服が汚れるのも気にせず、抱えている恭也さんに拾っておいた白衣を渡す。
液体が抜け終え、久しぶりの重力にその身を晒したアリシア少女の肌を見ているわけにもいくまいて。
この場にいないフェイシアに知られでもしたら、面倒になること必須。つい先日のユーノという前科がある分、やや神経質になっている気がしなくもない。
心得たとばかりに行動してくれる恭也さんに感謝しつつ、手つきが慣れているように見えるのは気のせいでしょうか。
きっと年の離れた妹の世話で培ったスキルだよね。恋人がいるからってそっちの経験なわけない、ないったらない。
「……ん?」
パラパラと頭に振ってきた埃を見上げると、天井に罅が入っていた。それも徐々に割れが大きくなっているように見えるのは気のせいだきっとそうだと開けたままの目は、落ちて来た大きな粒に潰された。
「ぬおぅ!?」
目がぁ目がぁ!?
のた打ち回りたい激痛。意思とは関係なく溢れる涙によって、潤んだ視界がさざ波のごとく揺れる。……と思ったら建物全体が揺れてるだけだった。先ほどから一定の間隔で起こる震動は徐々に大きくなりつつある。
どーせ、高町辺りが大暴れしているんだろう。頑張っているようで何よりだ。
「さて、と。天井が崩れないうちに行きましょう、恭也さん」
「そうだな。先導は任せる」
アリシアを背負った恭也さんと僕は、階段を降りていく――。
◆◆◆
なのはちゃんと一緒にお母さんの研究室までおりていくフェイトを、ぼんやりと眺めながら私は、どこか虚ろな記憶を思い出していた。
ずっと見てきたから私はプロジェクト『F.A.T.E.』を知っている。けど、フェイトがどんな反応をするか、気が気じゃなかったっていえば嘘になる。
隠す必要もなくなって、隠し切れない時期にきて、もうすぐフェイトが知る番が来る――。
「あははははは!あんな人形傷ついたところで、代わりはたくさんいるのよ」
そう、お母さん自身によって最悪な形で。今までの黙っていたツケを払うように、声は高くどこまでも響く。
「だけど、アリシアの代わりはいない!娘はアリシアただ一人、そのためには私は時空だって捻じ曲げてみせるッ」
金切り声から、耳を塞ぎたくなった。でも、私の家族だから、娘で姉だから。
傷ついた2人から目を逸らすことなんてできない。
「あなたって人は――どこまで」
檻に入れられている管理局の黒髪の子が、睨みつけている。
「……フェイトちゃん?」
なのはちゃんの呼掛けにも、俯いてしまったフェイトは応えない。
壊れた幻像を二十年以上も抱きしめ続けている母さんは、フェイトにはどう映っているのかな。
「――なに、戻ったの?廃棄したつもりだったのだけど」
ここまで皹のある母さんの心に直面したのは初めての妹は、私とは違って実体のある身体を一歩前に進めた。
「私は、つくられた人形です。母さん、と呼ぶことさえ許されないのなら、
ひくっ、と母さんの顔色を隠すための厚い化粧の皮が引きつる。
「……貴女と一緒にいられるなら、それだけでよかった」
奥底の本音をフェイトは静かに涙で濡らした。
「私はずっと虫唾が走っていたわ。アリシアと同じ顔で、同じ声で、全く別のなり損ない。――ふん、歯向かうというのならそれもいいでしょう。捨てる手間が省けて丁度いいわ」
だけど、母さんは戻れない。壊れた笑い声を、響かせる。
フェイトの声は届かない。
「――世界が変わったって、自分が変わるわけじゃない。あなたの姿に、娘が喜ぶとでも思うのか?」
「ふん、籠の鳥が囁いたところで――」
ガキン、と檻が解除される。泥んこになったフェレットがレバーに凭れかかるようにして笑っていた。
籠を取り払ってくれた黒髪少年は、杖を構えてお母さんを見据える。
だけど、
まるでそこしか目に入らないとばかりに血走った瞳で。
「――平介っ!」
保存されていたはずの
◆◆◆
「これはこれは、お揃いで」
降りた先の地下室で、呆け顔を晒している面々に内心大笑いする。――もちろん、強がりだ。
だって約一名、堅気じゃないだろってぐらいの人相の悪いオバサンがめっちゃ怖くてちびりそうなんだもの。
理性の失ったプレシアの殺気が襲い掛かってきた。条件反射的に後ずさった僕の後ろにいたアリシアを背負った恭介さんが動く気配がしたかと思ったら、ピタリと負荷が肩透かしのように消失する。
「え――」
そうして視線を戻せば、プレシアが倒れていた。
ついでに言えば背後にいた人物が源悪おばさんの身体を片手で支えている。どうやら目に及ばない速度でもって意識を刈り取ったらしい、と推測する。
いくら優秀なマッドサイエンティストの魔法がチートでも身体能力は所詮達人には及ばない。首筋に金属でも仕込んでいない限りは手刀をくらって気を失うもの。
うんまぁ、今までの苦労がなんだったんだっていうクロノのキツーイ視線もわかるけど、結果がよければいいよね。恭也さん、グッジョブです。
「これにて一件落着ってやつだ」
プレシアはバインドで縛られ、恭也さんが担いでいる。それまで逞しい背中に乗っていたアリシアはクロノに押し付けた。
瓜二つのアリシアの身体に微かに目を見張ったフェイトだったが、反抗する様子もなく、大人しくしている。
「――平介くん!」
あとは高町とユーノの全力タックルをかわしつつ、脱出するのみ。――なんだけど。
ずごごごごごごっ、ってこれ何の音かな?めりめりと地面が引き剥がされてどっか引き寄せられていくんですけど。
「みんな、近くの者を掴むんだ!」
焦りまくったクロノが似合わない冗談に乾いた笑いが引きつった。
「……おいおい」
プレシアさんが自慢げに見せびらかしていたジュエルさんたちが、独りでに宙を泳いでいた。かと思えば魔力が形づくり扉にフォームチェンジしていた。
あれ、扉繋がりかけてない?まぁ、僕らが一生懸命集めたの全部フェイトに奪われたわけだし?ってことはプレシアさん結構保持してるよね。もしかしなくてもアルハザードに繋がる水準足りてる?
つまりはジュエルシードは自動的に発動。――オーマイガッ!!
こんなもん、抉じ開けたらパンドラの蓋吹っ飛ばしたようなもんじゃないか。というか、僕だけ残してみんな避難するとか薄情な。特にクロノ。公務員だろ、なんとかしてよ。
「この、閉じろ閉じろ閉じろッ!!」
「そんな無茶だよ、平介!ジュエルシードを制御するなんて――」
ユーノの忠告は有難いが無理でも無茶でもやるしかないっつーの!やらなければ、宇宙に投げ出されるだけだ。
それに僕には、前科がある。暴走状態のじゃじゃ馬の扱いはこれが初めてじゃない。
――願イヲ承認
脳に直接響くような声に反応して、ポケットからぽわっとした光が浮き上がる。
どさくさで紛失していたヤツというか僕を吹っ飛ばした張本物、ⅩⅣの文字が浮かんだジュエルさんだ。
なんでこんなところに?という疑問はとりあえずぶん投げた。何事も命あっての思考だ。
藁にもすがる思いで乱暴に掴む。お仲間が扉なんだから、このジュエルさんが鍵穴になればいい。
角が食い込んで痛い拳を、突き出す。
「こいつで、いい加減閉じてろッ!」
魔力の濁流が、うねり――
「止まっ、た……?」
「――やった!やったよ、平介くん!」
ジュエルシードが作動停止した。けど喜ぶのはまだ早い。
その証拠に、台風レベルだった風はまだ強風のまま。
「そんな、扉が閉じきっていない……?」
――そう。
これ以上開くことはなくなったが、開いてしまった分は自分で閉じるセルフサービスなんだから。
「なんとかならないの、クロノ!?」
「できればとっくに手を打っているさ!」
クロノとユーノが言い合いしている間にも、床の一部が剥がれて扉に引き込まれていく。
アフターケアもしてから休めってんだこの石っころ!うんともすんとも言わないただの石になったジュエルさんをさっさと放り投げ、
「――うわッ!?」
只でさえ脆くなっていた地面に亀裂が入り、引きずり落ちそうになった。そんなの知ったことか、とジュエルさんの恨み事のようなタイミングだった。
「なにをしてるんだ!キミも早く避難を――」
扉の吸引力は立っていられるレベル。体が中に浮くことがないのが幸いしたが、一人ですっ転んだところをクロノに見られたようだ。
早くもクロノの指示で、ユーノや高町、恭也さんも避難していた。全く仕事が早い男がいると楽できるね。あとは空間そのものが呑み込まれてしまうよりも早くアースラまで撤退できるかどうかが命のデッドラインだろう。
この規模ならば、時の庭園という空間の消失とその周囲の引力均衡に影響を及ぼすくらいだろう。
――だけど。
ズッコケた足元を立て直し、手のひらを扉に向ける。
途端に胸に走った痛みに歯を喰いしばる。
「――平介くん?」
なんてことはない。ジュエルさんの仕返しはリンカーコアに充分すぎるほど刻まれていた。
魔力を集めただけで肺が潰されたみたいな激痛。さっきの無茶な使役でコアによくて皹割れ、悪くて破損かな。
「平介!」
高町が、ユーノが呼んでいる。
このまま虚数空間に呑まれる扉の前に居続ければお陀仏だ。そんなのわかっている。わかりきっている。
そんでもってここから逃げれば、フェイトの生きた
「せっかくここまで来て、そんなのってない!」
心臓を捻り潰されそうな痛みを血反吐に変えて。
「――チェーンバインド!」
楔を中途半端に開いた扉へ、串刺した。んでもって、全力で引く。
それでも子供一人分の重さなんてたかが知れてる。ずるずると足元が滑るだけで、扉は動く気配すらない。
「!」
重ねるように一番に伸びてきた鎖は、金。
「……くッ!」
「フェイトちゃん!?」
踏ん張りきれないフェイトが、力負けして扉に引き摺られていく。ったく、怪我だらけになのに無理するからだっての。……僕が言えた義理じゃないけどさ。
桜色が一本フェイトを支え、横まで引き摺られてきたその細い腕を掴み、立たせる。
「私も手伝うよ!」
「僕も!」
「こっからは全員で力作業だ!」
続いて、淡い緑、青、と色鮮やかな虹がかかる。
恭也さんも片手でクロノの後ろから補助してくれていた。単純な力勝負にあの人がいるなら百人力。
裏付けるように扉からずずっと焦った音が初めて聞こえた。よし、イケる!
「いいぞ、あと少しだ!」
クロノの掛け声に息を合わせ、徐々に異空間の隙間が狭まっていく。
そのまま気合を入れ、綱引きに奮闘し――扉が閉じる。
「おわっ」
「きゃっ」
「ぐぅ」
「うぅ」
一同、慣性の法則に乗っ取り、転がった。
先頭で踏ん張っていたせいか、後方にいる高町たちと距離がある僕は、ダイレクトに後頭部を強打した。さらには横にいたフェイトの肘がピンポイントで鳩尾に食い込むなんて一番の功労者になんたる仕打ちだろうか。
「うぅ、手がまだ痺れてる」
「……筋肉痛になりそうだ」
過ぎ去った危機からの解放感に浸っている高町たち。
閉じた扉は用ないなら帰るとばかりにさっさと消えていった。全くお騒がせもいいところだよ。
「……何か忘れているような」
危機は去ったというのに、釈然としないものがもやもやと頭の隅から漏れ出てくる。
扉は閉じた。首謀者とアリシアも無間空間へ地盤と沈下することなく無事に確保できた。他になにがあるというのか。
「お疲れさん」
「……うん」
まだ足腰に力が入らないフェイトに手を差し出しながら考える。
「あ、そうか」
――ここの地盤、もう限界なんだった。
思い出した瞬間、フェイトの腕を引いたまま、陥没した。
一転して、視界が地盤だらけになった現状に目を瞬く。とりあえず、フェイトは落下による怪我はないようで一安心。といっても満身創痍で、生まれたての小鹿のようになっているけど。
「……これは困った」
だが、今回は2人。いくら魔法で強化していようと、女の子が支えられる腕力は限りがある。
縄梯子代わりにユーノのバインドがこちらに伸ばされるが、半分の位置でこつ然と消えてしまった。
「平介くん!?フェイトちゃん!?」
「こっちは無事だぞー!」
伝えたものの、さて、どうしたものか。
上空はまだ魔法が使えるようで、心配そうな顔した高町が
縄梯子代わりに伸ばされたユーノのバインドも、半分の位置でこつ然と消えてしまったし。
「掴まれる距離まで降りるから、待ってて!」
一往復ずつならなんとかなる。そう決意に染まる高町には悪いが、徐々に下降を始めている足場がもちそうにない。跳び上がる反動で崩れかねない。
「なら、一緒に捕まって!」
「――わかった」
ジャンプすれば届く位置まで下降してきた高町に了承を伝えて、
「!?」
フェイトだけを押し上げた。
どうしてッ――そう訴える瞳にヒラヒラと手を翻す。バカ町め、僕まで掴まったら落ちるに決まってるだろうが。
三人とも落ちるのを回避するための策だ、文句は言わせない。敵を騙すにはまず味方から、なんて常套手段じゃないか。
崩れていく足場が、全身の重力を奪っていく。じわじわと押し寄せる浮遊感は腹に力を入れて我慢する。
ここで不様な姿を
「――平介くんッ!!」
……ったく、キミはいつも諦めが悪いね。
まだ言い足りないのか顔を歪めている高町を見上げ、目を閉じる。
周りは既に暗い。今更目を閉じたところで変わりはない。それに死ぬ瞬間を見なくて済む。
というか、バインド綱引きがトドメになって心臓が痛くて痛くて脂汗でまくりなので、目を瞑らなければ叫び出してしまいそうだった。
そんな臆病な僕はやっぱり、ヒーローに向いていない。ヒーローには、なれなかった。
(……ごめん平介。ごめんなさい、平介の両親。ごめん、みんな)
思い出の知り合いたちに挨拶を済ませ、ただ落ちていく記憶の中で、
――なのはを悲しませるのは許さないからな。
そんな懐かしい台詞を、最期に思い出して。失笑混じりに息を吐く。
……なに、言ってるんですか恭也さん。
彼女が悲しんでいるのは、あなたたちと距離を感じていたからです。悲しませているのは僕ではなくて、彼女にとってもっと大切なあなたたちが離れていってしまうことなんですよ?
お願いです、恭也さん。彼女を、もっと見てやってください。笑顔に誤魔化されないでください。
――そんな、いつだったかさえも思い出せない昔の夢に、僕は意識を委ねた。
20~22話を加筆したい衝動。
……抑えきれなくなったら編集しようと思います。