追跡されないように不規則な時空転移を繰り返してようやく、家に着いた。
既に戦闘から1時間が過ぎている。覗いてみた研究室に続く通路は相変わらず空気が冷たい。
ジュエルシードと母さんの姿はない。研究が佳境に入ってるんだ。
あの子のデバイスが封印していた分を取り押さえたから、半数以上を手に入れたことになる。
負けそうになっていた私にお咎めがないから、きっと母さんの機嫌は今までで一番いい。その代わりにいつだって隣にいてくれたアルフは捕まってしまった。
――母さんの願いが叶うことは、私もすごく嬉しいはずなのに。
(痛い……)
疲労困憊で自室に辿りついた私は、腕に抱えていたものをベッドにおろした。
マットレスを揺らすことのない軽い衝撃。ところどころ黒い毛が焼けてしまった子猫を前にしゃがむ。
息も絶え絶えだった小さな身体。あの子と私を庇って、直撃を受けて焼け爛れた傷は色を取り戻している。抱えながらの回復魔法は効果があったみたいだ。
幸運にも四肢が残っているということは、直前で電撃をいなしたからだ。この子の技術が相当高いからこそ、私の目の前に弾き飛ばされただけで済んでいる。
母さんは、あそこにいた私たちを殺すつもりだったのだから――。
だから、時空庭園に戻ってきたおまけでしかない私に、興味はないんだろうか。
(リニス……)
師でもあり、姉であった母さんの使い魔の山猫。
死にかけた敵に思わず、手を伸ばしてしまった私に呆れているだろうか。
(アルフ……)
リニスを助けられなかった後悔で、軽はずみな行動をしてしまった私を、許してくれるだろうか。
本当ならアルフを助けたかったのに、敵の使い魔を治療している自分が嫌になる。
力も入らない身体を縮め、鈍い頭を膝に埋めて私は、意識を失っていった。
◆◆◆
天国とはこういうものだろうか。
ふわふわとした感覚にまどろんでいた意識が浮上していく。
「~~~っ!」
瞬間、全身に走った静電気にカッと目を見開いてしまった。怪我して目が覚めるのが、ここのところ慣れてきている自分が無性に腹立たしい。
痛みに内心のた打ち回りながらも身体を起こすと、ふくよかなベッドの上にいることが判明。
目覚めが水中じゃなければ、どこだって桃源郷だ。因みに医務室のベッドは意外と固い。
シックな内装だが、ところどころオシャレに飾られている小物から推察するに、お子様はお嬢らしい。
子供部屋にしてはうちの部屋の3倍はあるんじゃないだろうか。いちいち家具が大きくてもバランスが取れてるけど、空間の無駄遣いのような気がする。室内温度に頼りきりなこんなところで育ったらどんな人間になるんだか。
ジャンボサイズなクマのヌイグルミを睨みつけ、ベッド脇から生えたアホ毛が目に入った。
「……」
金色の一房はいつ気づいてくれるのか期待しているようで、ぴょこぴょこと左右に揺れている。
とりあえず、寝たふりをした。
「って、そこは声かけるところでしょ!?」
「なにか悲しくって殺されかかった相手をわざわざ刺激しなくちゃならんの!?」
「そうだけど、命の恩人でもあるんだからさ」
「アホめ。俺の尊き犠牲の上で、お前が生きていると知れ」
うっ、私の扱いひどくない……?と左右の人差し指をつき合わせて、答えに窮する少女――見た目フェイト。
なんか、豆柴のような人懐っこい人格に変容してるんだけど、電気ショックによる後遺症かな。
「ああ、そうか。夢か」
でなければ、敵意バリバリのこっちの彼女が僕を助ける理由がない。そう、つまりは夢落ち。
本当の僕は陰険ババァの落雷でお陀仏したか海の藻屑となったのさそうじゃなきゃなんで彼女と2人きりになってんのさぁ現実を受け止めるから正直に話してごらんよ、ははははは。
「もう!ちゃんと話を聞いてよ、《ユーノ》」
「――っ!?」
「ふふ、やっとこっち向いてくれたね」
壊れかかった精神を強制的に呼び戻すには充分すぎる名前。懐かしさを感じるほどに久しぶりな呼掛けに、意表を突かれた。
なぜフェイトにユーノであると知られているのか、疑問がぐるぐる巡る。というか、誤魔化すかなにかしないと肯定したことになってしまう。くそ、時間制限付きとは小癪な。
「……あ」
しかし、悲しくも言葉以上に感情が反応してしまっていた。
僕の顔をマジマジと見ていた少女は大きな赤い目を一瞬だけ瞠り、これまで見てきた彼女よりも優しく笑いかけていた。
シーツを濡らした粗相は目を瞑ってくれたようだ。
「――キミは、誰だ?」
「アリシア。アリシア・テスタロッサだよ、初めましてだね」
アリシア、だって?
彼女の姉は、事故当時の身体年齢でアリシアはプレシアと一緒に次元の狭間に墜ちていった。
あいつの目の前で。
僕らも確認したし、アースラの記録にもそう残っている。
PT事件のキーマンの1人。ジュエルシードをもってしても彼女は生き返らず、だからこそ母親がアルハザードを求めたのだ。
それがどうだろう。アリシアと名乗る少女は今、目の前にいる。足もある。
無論、僕のときと状況は様変わりしている世界だれど、精神的に追い詰められているこっちのプレシアもフェイトも救える存在じゃないのか。
「……残念だけど身体はフェイトなの。今の私は意識だけのアリシア・テスタロッサ。あなたと同じ状態って言えば、わかってもらえるかな?」
「なるほど。アリシアの魂がフェイトの身体に入っている状態、か」
「あなたと違って、あくまでもこの世界の私は少しの時間しか身体は動かせないけどね。だから、アリシア・テスタロッサが生きているわけではないの。……ごめんね」
謝られてしまった。落胆していた僕の内面を察したのだろう、僕以上に申し訳なさそうに俯いていた。
特に悪いことはしていないのにイケナイことをした気分になった。むずむずし始めたお尻から気を散らすように周りを見回し、ところどころ遠い記憶の足がかりを見つける。
――くくっと歪んだそれでも喜びの表現だったのだろう笑みを浮かべた電気っ娘が、見せてくれた写真の背景がこんなようなレイアウトをしていたような気もする。ここはアリシアの部屋でもあり、フェイトの部屋なんだ。
「それで、そのアリシアさんが何の用?」
「お願いがあるんだ。あなたの世界とは違う時の流れだけど、できることは残ってる。だから、あなたを呼んだ」
「……キミが、
「ううん、平行世界の移動は私にできることじゃないよ。それはもっと大きな歯車。私は大怪我をした子猫をここに導くことが精一杯だった」
フェイトの中のアリシアは少なくとも、僕よりも状況を理解している。
詳しく聞ければ、元の世界に戻る方法だって見つかるかもしれない。意外なところで情報源を手に入れた。しかし、彼女とじっくり腰を据えて話すためには殺傷魔法を使用する電撃母子をなんとか保護して、アリシアの信用を得ないといけないわけだ。そもそもアリシアはフェイトの身体にいるわけだから面会はフェイトがいなくちゃ成り立たないよね、でも更正する気があるならともかく収容施設って執務官クラスじゃないと面会できないんだよねー。……難易度、高っ!!
「お母さんも、フェイトも止まれないところまで来ちゃってるのはわかってる。――だから」
そりゃそうだ、管理局の監視中に非殺傷解除しちゃったし。被害も出てる、主に僕。
相槌しながら聞いていた僕は、刹那、耳を疑った。
「お願い、私を殺して」
そう彼女は言った。
「……それは、フェイトをってこと?」
「まさか。違うよ。私の身体がポッドに保存されているのは、《ユーノ》なら知っているよね。その身体を、滅してほしいんだ。お母さんの未練を断ち切るためにも」
「なに、言ってんだ。そんなことしたらマッド科学者の暴走が目に見えてるじゃないか。だいたい、生き返れるかもしれないだろ」
あちらではアリシアの意識が彷徨っているなんて僕が知る限り、なかった。異なる要素があるならば、可能性はゼロじゃない。
だけど――
「……それは無理だよ、摂理を超えてるもの」
この世界にとっての異物に向けれられる、固く強張った声。
臥せられた目蓋、乾いた笑い。全てが癪に障った。
痛むリンカーコアを無視して、変化を解く。
「――身体があって、その傍に
猫の姿じゃ、この大ばか者に説教の一つしてやれない。突然現れた子供姿に、目を点にしていたフェイトの中のアリシアも断られたとわかって徐々に愛くるしい顔を怒らせて食って掛かってきた。
「なんで!?ユーノはフェイトを笑わせたいって思ってくれたんじゃないの!?」
「それは――」
思わす怯んだ。どうして恥ずかしエピソードをこの子が知っているのか怖すぎて聞けない!
だけど僕にだって言い分はある。こいつは、僕に人殺しを頼んでいるだけじゃない。もっと大切なものを差し出そうとしているんだ。
言葉を濁した僕をねめつけた小生意気な少女は歯軋りして、言うまいと閉じ込めていただろう最期の札を叫ぶ。
「そうしなくちゃ、フェイトが壊れちゃうんだよっ!」
だが、そんな
「さっきからごちゃごちゃ、うるさいんじゃーっ!!」
「っ!?」
「いいか!あいつは――フェイトはそんな弱い女じゃないッ!それを見守ってきたキミが否定するなよ!……そもそもさ、当事者のくせに眠ってんな、起きろネボスケ。どーせ、聞いてるんだろ、殻に閉じこもってないで出てきやがれ!」
アリシアの意識化にあるフェイトの身体をたたき起こす。少女相手だろうと容赦はしない。
ここで手加減するくらいなら僕は変態でもいいし、起きたフェイトにぶっ飛ばされるのも厭わない。
「っ」
が、思い切り揺さぶりすぎて腕から襟がすっぽ抜けた。反動でベッドに背中から転がった僕とは反対側でうえっぷ、とか乙女らしからぬうめき声が漏れた。
床に倒れ込んでいるのはフェイトの中にいるアリシア――あーもう、紛らわしいからフェイシアでいいや!――が恨めしそうに口元を押さえている。
「揃いも揃って姉妹愛かよ!どっちかがいればいいだなんて譲り合いの精神発揮する暇あったら、2人で生きる欲を持て!というか、責任を持って紫ババアの面倒を見ろ。ホラー感溢れる悪役ぶり。キミらが止めろ。僕は嫌だ。怖い。電気こわい」
ぶるった身体を擦る。電撃殺傷で感電死寸前なんで稀有な体験は一生に一度だって濃過ぎる。
もはやトラウマトップクラスを奪う健闘ぶりだよ。
顔色悪くして起き上がっている金髪の少女の呆け顔に、包帯だらけの腕を突きつける。
「
僕は全力で逃げるけどな!
「……ぷっ、あははははは!」
大口開いた間抜け面から抜け出したフェイシアは口から頭のネジを落としてしまったらしい。
「負けたよ、あなたには。――私は何をしたらいいかな?あなたが決めて」
「そうだな、まずは俺の名前は高田平介。特別に平介と呼ぶことを許してやろう」
「あははははっ、へ、ヘースケ、面白すぎっ」
「こら、じっとしてろ。魔法座標が定めにくいだろ」
憮然として、笑い転げるフェイシアを見下ろす。
名前を告げただけで爆笑されたのは、こちらの世界では初めてだった。微妙に発音が間延びしているような気もするが、我慢しよう。僕、大人。精神年齢29歳。あれ、待てよ、事故が二十数年前でアリシアの享年って――
「――ヘースケ?」
ひっ。見覚えのある黒い微笑み。
それはまさしく世界の修正力なのか、あの童顔喫茶夫婦とかシングルマザーからグランマに昇格した甘党とか陰険ババアもなんちゃってその中に含まれてるような虚空から紫がイヤヤメテ――
「まったく、女性に年齢を聞くなんてデリカシーがないよ、ヘースケ」
腰が引けた僕の手を引っ張って、回復したフェイシアが先導する。
目指すは転移装置。案内してもらうためだ。というか、僕、声に出したっけ――って、なんでもありません、そんなに強く握らないでくださいお願いします。
(……はぁ、間違いなく、陰険ババアの娘で電気っ娘の姉だよ、キミは)
ぶんぶんと手を振り回して嬉しそうに並んで歩くフェイシアの横顔を盗み見る。
意地を見せよう。初めて
◆◆◆
気づいたらあたしは牢屋に入れられていた。
どれくらい時間が経ったのかわからないけど、個別に捕虜となってなけりゃフェイトは無事ってことだ。
護送される前になんとか抜け出してあの子の傍に行ってやらなくちゃ。母親と2人きりにしておけやしない。どんな無茶を命令するかわかったもんじゃないんだから。
「チッ」
首輪と四足それぞれに絡みついた鎖が、耳障りな音を立てる。魔力吸収タイプとは、厄介だね。
「こうなりゃ、噛み砕いて――ん?」
ピンと両耳を立てる。複数の小走りする足音――この歩幅の感覚なら子供だね。
いっぱい食わされたあのお穣ちゃんか、管理局の坊やか。それとも――
「あの、フェイトちゃんのことを教えてください!」
フェイトとやりあっていた白い魔導師だ。名前は――高町なのは、とか言ったか。
全速力でやってきたのか、肩で息をしている。
「ふん……敵に情報を漏らすほど、あたしはバカじゃないよ」
「敵じゃありません!友達です!」
「は?」
ポカンとしてしまったが、そういやこの子、ずっと名前がどうとか拘っていたっけ。
「フェイトちゃんは――」
「アンタのお友達を殺そうとしたのにかい?」
イジワルな質問だったかね。でも、これくらいでめげているようじゃ、大したことない。
あの子は生半可な気持ちじゃ、手を出せないくらい闇を抱えちまってんだ。誰よりも傍にいた使い魔のあたしでさえ、手伝うことしかできない無力さを感じてきた。
「――それでも、私はフェイトちゃんを助けたいって思うから!平介くんもきっとそうするって信じてます」
「生温いガキが、調子に乗るんじゃないよッ!!――思う?信じる?そんな不確かな希望、あたしたちにはないんだよ!あの子には、たった一つしかなかった。それを奪ってきたアンタらが何ができるって言うんだい!?友達ごっこなら、他でやりな!!」
殺傷魔法を使うまで追い詰められたフェイト。母親にまで殺されかかった衝撃は、あの子にとっちゃ絶望しかない。
どうにかしてやりたくても、あたしは何もできないッ!
牙をむき出して、噛み付く勢いで吼えた。鉄格子ごしの白い魔導師は、俯いていた肩を震わせている。フェイトと拮抗する腕だろうと、脅されれば泣く。甘いもんさ。
「――――ぃ」
ついに嗚咽でもし始めたか、と鼻白んでいたあたしに向かってきたのは、期待を裏切る眼光。
「私は、フェイトちゃんと友達になりたい。困っているならお話を聞かせてほしいって思うし、もし私に助けられる力があるなら――絶対に諦めません」
震えていたのはあたしだった。くそ、気圧されてどうする。
頭を下げて走り去ってしまった白い魔導師。入れ替わりようにやってきた管理局員に溜まっていた不満をぶつける。
「……管理局が何の用だい」
「八つ当たりは止めてもらえるか。危害を加えに来た訳でも、尋問をしに来たわけでもない」
「ハッ、デートのお誘いかい?」
「――そうだ」
冗談を言うようには見えない真面目顔がそこにあった。
「本日、
「なん、だって……」
「既になのはも承知だ。彼女はフェイト・テスタロッサと戦闘をすることになるだろう。相手の出方によっては、確保に生死は問わないと伝えてある」
頭に血が上ったまま、腕を振上げ、再び鉄格子に阻まれた。
「……え」
足枷は消失していた。未遂とは言え、襲いかかられそうになったというのに顔色一つ変えずに、管理局員はこちらの出方を探っている。あたしが逆上するのも想定内ってことかい。
(抵抗は無駄だね、こりゃ)
腰をつけ、話をする態度を表明すれば、手にしていた書類を投げられ、その上に薄っぺらいカードが落ちる。ここから自由になるためのパス。
「……なにを企んでいるんだ、アンタ」
「言ったはずだ、デートのお誘いだと。待ち合わせ場所は戦場だが」
散らばった紙の束には、フェイトの顔写真となにかのプロジェクトについて書かれていた。
頭を使うことが苦手なわたしにとっちゃ、まだるっこしいったらない。
「それに目を通して、決めるといいさ」
それっきり、牢屋に沈黙が降りる。
執務官と呼ばれて出て行ったあいつも、現場に向かうのだろう。フェイトがいる場所に。
「情けないねぇ、あたしってヤツは。敵に情けをかけられる身分で説教してたなんて」
やることは決まっている。
変身を解いた人の手で顔を拭い、慣れない睨めっこといこうじゃないか。
◆◆◆
記憶どおりに事態が進んでいるのならば、時間はギリギリだった。
とはいえ、極似していても抉れに拗れまくった世界軸だ、当てにはならない。
果たして、間に合うかどうか。
(弱気になるな、間に合わせてみせるんだろっ――!)
何度目かになる唾を飲み込む。カラカラとなった喉を潤す水分は、全体冷却にまわされて専ら後回しにされている。
膝は震えるし、顎まで滴る汗を拭う。今は怖気づいている暇はない。
住宅街の一軒家。チャイムを押せば既に彼はいなかった。
戸締りをして出てきた住人に教えてもらった道を走ること20分。ようやく目当ての人物に追いついた。
無礼なのは承知。一刻を争う事態に、二の足など踏んでいられるか。
気配に気づいて、彼が振り向く。隣にいるのは彼と同じ年頃の女子高生。女性のような大人びた雰囲気と少女らしい明るい表情がマッチした知的な美人だ。どこにいてもリア充はテンプレか、見せ付けてくれる。
彼女が一緒にいるのは誤算だが、交渉は始まりが肝心だ。
息を整えるのを待ってくれるその人は、子供に優しいのだろう。たとえ、妹が絡んだ相手であろうともこういうときは平等なんだなと思うと、口が緩んでしまう。
「落ち着いたか?」
「はぁ、はぁ……僕のことよりも、ひぃ、ひぃ、お願いがあって、ふぅ、来ました」
あいつの名前を出せば目色を変えて協力してくれる。一番手っ取り早くて確実な誘導。今は時間が惜しいのだ、説明をすっ飛ばすキーワードを告げるだけでいい。
だからこそ僕は――
事情がわからずにいる高町恭也に向かって土下座する。
「ある人を、助けたいんです」
力を貸してください。
……次は長丁場になりそうです。